御 文

蓮如上人(れんにょしょうにん)ご製作の手紙形式の法語

 本願寺八世蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)(1415〜1499年)が、門徒さまに書き与えた寛正二(1461)年から明応七(1498)年にかけてのご法語です。蓮如上人みずから御文(おふみ)と称し、大谷派でも御文と呼びますが、本願寺派(お西)では御文章と言います。また、勧章・宝章などとも言います。真宗の信仰のありかたを消息体(しょうそくたい)(書簡(手紙)形式)で、平易に説き、真宗普及に果たした役割は大きいです。真偽未決のものを除いて、221通が伝えられており、広く流布(るふ)され、現在も勤行(ごんぎょう)や説教、法話のあとなどに読まれています。

一部現代語訳を紹介します。

一帖目 第二通、第六通
二帖目 第二通
三帖目 第四通
四帖目 第二通、第九通、第十三通
五帖目 第一通、第八通、第十六通

一帖目

:原 文 現代語訳
第二通  当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心(しゅっけほっしん)のかたちを本とせず、捨家棄欲(しゃけきよく)のすがたを標(ひょう)せず、ただ一念帰命の他力の信心を決定(けつじょう)せしむるときは、さらに男女(なんにょ)老少をえらばざるものなり。されば、この信をえたるくらいを、『経』には「即得往生(そくとくおうじょう) 住不退転(じゅうふたいてん)」(大経)ととき、『釈』には「一念発起(いちねんほっき) 入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)」(論註)ともいえり。これすなわち不来迎(ふらいこう)の談、平生業成(へいぜいごうじょう)の義なり。『和讃』にいわく、「弥陀の報土(ほうど)をねがうひと、外儀(げぎ)のすがたはことなりと 本願名号(みょうごう)信受(しんじゅ)して ご寐(ごび)にわするることなかれ」(高僧和讃)といえり。「外儀のすがた」というは、在家・出家、男子(なんし)・女人(にょにん)をえらばざるこころなり。つぎに「本願名号信受して ご寐にわするることなかれ」というは、かたちはいかようなりというとも、また、つみは十悪・五逆・謗法(ほうぼう)・闡提(せんだい)のともがらなれども、回心(えしん)懺悔(さんげ)して、ふかく、かかるあさましき機をすくいまします、弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念(おくねん)の心(しん)つねにして、わすれざるを、本願たのむ決定心をえたる、信心の行人(ぎょうにん)とはいうなり。さてこのうえには、たとい行住座臥(ぎょうじゅうざが)に称名(しょうみょう)すとも、弥陀如来の御恩を報じもうす念仏なりとおもうべきなり。これを真実信心をえたる決定往生の行者とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
  あつき日に ながるるあせは なみだかな かきおくふでの あとぞおかしき 
  文明三年七月十八日
 現代語訳
文明三(1471)年七月十八日
第六通  そもそも当年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠(すいめん)におかされてねぶたく候うは、いかんと、案じ候えば、不審もなく往生の死期(しご)もちかづくかとおぼえ候う。まことにもってあじきなく、名残(なごり)おしくこそ候え。さりながら、今日までも、往生の期(ご)もいまやきたらんと、由断(ゆだん)なくそのかまえは候う。それにつけても、この在所において、已後までも信心決定(けつじょう)するひとの退転なきようにもそうらえかしと、念願のみ昼夜不断におもうばかりなり。この分にては、往生つかまつり候うとも、いまは子細なく候うべきに、それにつけても面々の心中も、ことのほか由断どもにてこそはそうらえ。命のあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候う。よろずにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じそうらえ。明日もしらぬいのちにてこそ候うに、なにごとをもうすもいのちおわりそうらわば、いたずらごとにてあるべく候う。いのちのうちに、不審もとくとくはれられそうらわでは、さだめて後悔のみにてそうらわんずるぞ。御こころえあるべく候う。あなかしこ、あなかしこ。 
  この障子(しょうじ)のそなたの人々のかたへまいらせ候う。のちの年にとりいだして御覧候え。
  文明五年卯月二十五日書之
 現代語訳

(浅井成海監修『蓮如の手紙 お文・ご文章現代語訳』より)

二帖目

通  原文 
2  原文と現代語訳 

三帖目

通  原文 
4  原文と現代語訳 

四帖目

通  原文 
2  原文と現代語訳 
9  原文と現代語訳 
13  原文と現代語訳 

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