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・23日18時前テレビにて新潟で地震があったのを知る。
・同日23時頃出れ美にて災害状況を知る。
(この時災害用トイレの寄付を思い立つ)
・24日災害状況が解るにつれ、新潟へ向かう決心をする。
(社長・部長間で在庫を支援物資として送る計画がなされる。)
・さしあたり、自家用車(ワゴン車)に載るだけ詰め込み
(携帯トイレプラ20個/テント20張/
オドレスパック2000枚/消臭スプレー20本)
本社へ向かい寄付のシールを貼り、11時過ぎに新潟へ向かい出発する。







・25日16時40分頃高速道路通行止めの為、柏崎インターで高速を降りる。
・あたりはもう暗くなってきたので長岡市へ向かうのはあきらめ、柏崎市役所へ
16時55分頃到着し寄付の旨申し出ると快く受け取って頂く。
(ここへ寄付しておけばたとえ隣の市町村であっても、必要な避難場所へ
運搬して頂けると思っていた。)
・17時20分頃柏崎市役所を出て、宿泊場所を探すもどこも一杯で
19時45分頃ようやく柏崎市より50kmほど離れた上越市で
ビジネスホテルを探す。
・26日9時頃柏崎市役所へ行き、寄付した災害用トイレを配布する
お手伝いを申し出るも、対策本部が会議中であった為その場で待機する。
(待機中、市役所倉庫前にいたが、支援物資がどんどん搬入されるが一向に
被災地へ搬出される気配がない)
・11時ごろ市役所職員の方に同行し、避難所へ災害用トイレの配布作業へ
出発するが、3セット設営した後は必要ない様であった為、寄付したトイレ等
はどうするのか聞いたみた所、
「せっかく頂いた物だから今後の為に保管しておきたい」
と言ってみえたので、 失礼を承知で15セットをお返し頂き13時30分頃
長岡市へ出発する。




・事前に電話にて環境福祉課へ携帯トイレの寄付の件を申し出ておいたが、
50分程ロビーにて待たされた。それ程市役所内はバタついており、
又ロビー内には避難住民の方があふれていた。
支援物資はどんどん市役所に届いており、倉庫内に入りきらない分は外に
青シートをかけて野積みになっていた。
(ペットボトルの水が多く目に付いた)
・16時頃長岡市役所を出発し、被災地と避難所を2箇所ほど見てから
ホテルへ戻る。
(同じ長岡市内でも、被災地は報道の通りひどいものだったが、そこから
数キロ離れた市街は、外見上は何事もなかった様に見えた)


・市役所としては、震災からの最初の3日間程は支援物資の受入だけで
バタついており何日かたってようやく各避難所に配布出来る様になった様だ。
(28日頃の地元テレビやラジオで支援物資はもう十分だから、物資を
避難所へ配布するボランティアを盛んに募集する様になった。)
・トイレを必要とする条件としては、上下水道の断水、特に上水道はわりと
早く復旧するが下水は後回しになっていた様だ。

・26日19時頃、長岡市環境業務課より弊社本社へ災害用トイレと
オドレスパックについての問い合わせの電話が入り、現地ホテルより説明の
電話を入れる。
・27日9時過ぎに環境業務課より、災害用トイレとオドレスパックの注文が
弊社本社に入り、災害用トイレとオドレスパックをあるだけセットで欲しい
との事、至急在庫状況を調べ、全部で415セット発注をかけた。
・28日12時頃、長岡市環境センターへ納品する。
(その際地元テレビなどで携帯カイロの需要があると聞き、
ホッカイロを1710個社員一同として寄贈する)



・役所の立場として、使用時には管理が必要なもの(複数人使用し満タンに
なった時点で取り替える方式)は人手が不足し、採用しづらいとのコメント。
・ライフライン復旧などの固定した人員の現場用として、採用を検討との事。
・余震が続く中、建物内では使用中不安である為、野外で使用したいとの
意見あり。
・早い段階での支援物資の寄贈が、今回の受注につながったと思う。
(1週間でも遅れての寄贈であれば、今回の受注にはならなかったと思う。
なぜなら、同じ長岡市のリース会社の敷地には、どんどん他県からトイレが
搬入されており一杯になっていた、帰りの高速道路でもトイレを満載した何台
ものトラックにすれ違った。)
・市町村間での連携があまりされていない様に見受けられた。一部分だけを見て
いての感想なので、本当にそうなのかは解りませんが・・・
・岐阜市へ納品した500個に内、300個が支援物資として新潟へ送られた。
・地震が発生した時点から、支援及び復旧までの間、必需品のトイレは、
事前準備をとる必要を啓蒙すべきと思う。
