イタリアあれこれ 
 1. アルファベット  2. 「ノー」と言えない西欧人  3. 花子は男の子
 4. 「柿」はイタリア語  5. ブラーボ/アンコール/ビス  6. 男尊女卑/カストラート
 7. イタリア人/姓名  8. 方言と標準語  9. Sの発音
 10.フェルマータ  11.Hの発音  12.発音と表記
 13.テンポと速度  14.ドルチェ/dolce  15.ボン・ジョルノ
 16.  17.ローマの松/シンデレラの馬車  18.ネクタイ
 19.  20.危機管理
 マナー(所変われば品変わる)  21.常識は非常識
 22.なぜ彼らはスープ・コーヒー・スパゲッティを啜らない
 23.鼻をかむときはできるだけ大きな音で「チーン」とやろう
 24.向かいの座席に足を乗せるのなら、靴のままで
 25.食卓に置いて良い物、迷惑な物
 26.私の大失敗
 27.その他コマゴマいたずら、塩、酒、たばこ、口論、挨拶
 28.偶数・奇数  29.ゴキブリ/ハエ  30.湿気
 31.聖職者の特権  32.サッカー  33.自転車
 34.障害者  35.教師の休暇  36.医・薬
 37.湯・水  38.信号無視  39.聖母の嘆き
 <番外>最終学歴
イタリア写真集 <1>

2007年5月、高校卒後49年目の同窓生15名で、小生のプランした旅程で、のんびり旅をしてきました。
小生が編集作業担当する同窓生ホームページにジャンプします。

イタリア写真集 <2>

2006年10月、高校同窓生3名のイタリア旅行に誘われ、ツァー旅行に加わってきました。
小生が編集作業担当する同窓生ホームページにジャンプします。

イタリア写真集 <3> ヴェルナッツァ

小生の最もお気に入りの漁村/1975〜76年





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アルファベット

  英語のアルファベットは26文字だが、イタリア語は JKWXY の5文字を欠き21文字しかない。

  その昔、天上より諸国の使いの天使に、お盆に乗せた26文字が渡された。几帳面なイギリスの天使は26文字を正確に持ち帰った。ところが、あわてん坊のイタリアの天使は5文字落としてしまって、21文字しか持ち帰らなかったからだそうだ。

  ついでながら、ロシアの天使は、遠い帰路のためか雪で滑ったのか、途中でお盆をひっくり返し、慌てて拾って並べ直したけれど、あんな文字になってしまったとか。

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「ノー」と言えない西欧人/グラーツィエ

  西欧では白黒をはっきり言う・・・これも時と場合によるのであって、人情にも機微がある。例えば「不味い・駄目だ」と相手を否定するときには、「美味しくない・悪くない」(Non è male.ノネマーレ)、「好きじゃない」(Non mi piace ノンミピアーチェ)等と表現することが礼儀だ。

  類似表現の多い日本語に比較し、イタリア語は語感がニュアンスを表現し、Non è male. も話し方で「最高と言えないまでも、なかなか良いよ」となるし、grazie(グラーツィエ・ありがとう)も語感で「もう結構」ともなる。

  ついでながら、多くの芸能人がTV等で「グラッチェ」と発音してるのを聞くと少々寒くなるが、ある番組で吉永小百合さんだけは見事に grazie を発音していた。私はサユリストではないので客観的なつもり、念のため。

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花子は男の子

  日本人観光客の多くなった今では、イタリア人も日本人女性の名前を聞いて驚かなくなったが、一昔前、「私は花子です」と答えようものなら、見た目は女だが実は男なのか、と妙な目で見られたものだ。

  イタリアでは Maria(マリア)のように”A”で終わる名前は女、Mario(マリオ)のように”O”で終わる名前は男である。人名に限らず、すべての物の名前は男性と女性に厳然と区別されているのだ。

  例えば arancio(アランチョ・オレンジの木)、arancia(アランチャ・オレンジの実)のごとく、木は男性、果実は女性名詞である。だだし、イチジクは fico(フィーコ)だが、レストランなどで、これだけは間違っても "o" を "a" に変えて注文してはいけない。公序良俗に反するので、インターネット上での解説は差し控えねばならぬが、辞書に載ってるのかなあ?

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「柿」はイタリア語

  イタリア人の友人から「おまえは カコ が好きか?」と聞かれ、何のことか解らず戸惑っていたら、「日本人なのに kako を知らないのか?」と畳み込まれたことがある。

  イタリア語で「柿」は、日本からの外来語なので、単数でも kaki (または cachi と綴り、共にカキと発音する)が正しい。しかし " i " で終わる言葉は複数形を示すので、多くのイタリア人は kaki は「柿」の複数形であり、単数形は kako と誤解している・・・と気付くまでに、数分間のイタリア式激論を要した。

何の意味かピンとこないとの指摘もあるので、イタリア語の規則を下に表記する
  単数形 複数形  
男性名詞語尾 --o --i 通常の語尾変化
より詳しくは「規則集・性数」を参照ください
「柿」の伊語 kaki
cachi
kaki
cachi
単複同型の例外
単数形を"kako"と誤認しているイタリア人が多い

  なお、イタリア語のアルファベットに”K”は存在しないが、このように非存在文字を含む単語は外来イタリア語である。

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ブラーボ/アンコール/ビス

  演奏会で Bravo ! (ブラーヴォ)と賞賛することがある。男性ソリストにはそれでよいが、女性ソリストには Brava(ブラーヴァ)、男女混合奏者には Bravi(ブラーヴィ・男性複数形)である。演奏行為が bravo である、と言えなくはないが、相手の人間を賞賛するときは性数の一致に注意をしないと誉められた側は戸惑う。

  ついでながら、ヨーロッパ諸国では、アンコールを要求する場合「ancora・アンコーラ」より「ビス」が多く使用される。 bis bis bis ・・・(ビース、ビース、・・・) の叫び+手拍子で、次第に会場内がユニゾンになってアンコールを要求する。

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男尊女卑/カストラート/アルト/ソプラノ

  日本は男尊女卑の国、西欧は女性尊重の国と学校で教わったが、それは幻想が過ぎる。嘘だと思う女性はイタリア男性と結婚したら解る。例えば、財布を決して女房は握れない。その日必要な額を渡される、それが多くの一般家庭だ。

  決定的「証拠」に、形容詞を辞書で調べようと思ったら「男性形」しか見出しには存在しない。 

  大阪府知事が、女性のため土俵に上がれなかったように、イタリアでも教会の聖歌隊に女性が参加できない時代があった。そのため男性が高音パートを受け持たねばならず、カストラート歌手が存在した。従って、高い(= alto)音域を歌う男の子やカストラート達を「アルト(高声部)」と称し、更に極めて高い(= sopra)声域を「ソプラノ」を称した。今ではそれらを女性が受け持っているのは承知の通り。(余分な心配だが、カトリックの女性法王様はいつ誕生するのであろう。)

  蛇足だが、声楽では男声・女声・混声・同声などの用語を使用し、たとえば「混声合唱」を「混性合唱」とは言わない。

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イタリア人/姓名

  イタリア人は、自分のことをイタリア人だと言わず、ローマ人だとかナポリ人だと表現する人が多い。小国の群雄割拠した歴史を未だ引きずっているのか、今時の若者でも、自分の名前に出身地を混ぜて呼ばせる者が少なくない。

  過去の有名人を挙げれば、ローマに近いパレストリーナ出身のパレストリーナ、フィレンツェ近くのヴィンチ村出身のレオナルド・ダ・ヴィンチ、中部地方アレッツォ出身でドレミファを考案したグイード・ダレッツォ、シチリアの片田舎コルレオーネ村出身のゴッドファーザー率いるコルレオーネファミリーのごとくである。

 ← グイード・ダレッツォ生家の壁面。「ここでグイード・モナコが生まれ住んでいた」と記述がある。因みにグイード・モナコはグイード・ダレッツォの本名である。/写真クリックで、小生編集の別サイトの当該ページにジャンプします。
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方言と標準語

  従って(参照:前項「姓名」=出身地に拘るイタリア人)、方言は、恐らく日本以上に「健在」の印象を持つ。 「オ・ソーレ・ミーオ」「帰れソレントへ」などのナポリ民謡は、ナポリ方言のため、歌詞を知っているイタリア人は少ないし、知っていてもその発音のできる人は更に少ない。楽譜によっては、標準イタリア語訳の歌詞が載っているものがあるほどだ。現地で入手した「ナポリ方言辞典 VOCAVOLARIO NAPOLETANO-ITALIANO / BERISIO」は、B5版500ページもの「立派」なものだ。

  ローマ西方にあるサルデニヤ島のイタリア人宅に招待された時、親戚中の人に毎日歓待され、昔ながらの人情に感激したことがあるが、彼らが言うには、こんな小さな島に4種のサルド(サルデニヤ方言)があるが、自分の地域の一種以外は全く理解できない、と皆が平然としていたのには少々驚いた。

  詩人ダンテ(13・4世紀/左写真)の出現でイタリア語が「統一」された歴史があり、ダンテの「神曲」解読は、大学生の重要かつ難解な修得科目である。 従って標準語はフィレンツェ地方の言葉ということになっている。いわば日本の東京語に相当するのだろうと思ったのだが、とんでもない。フィレンツェ方言は未だ激しく、フィレンツェ方言をふんだんに盛り込んだコメディー映画が存在するほどだ。

  そんな訳で、地方出身者の方言や訛りは更に激しい。例えば Sicilia(シチリア)の si の標準発音は、英語の see や sea の [si] で、she の [shi] ではない。しかしシチリア出身者やナポリ人は「shiチリア」としか発音できない人が多いので、「発音が違う。siチリアだろう」とからかったりすると、日本人である私の発音を懸命に真似するイタリア人が居たり、Napoli 人が -po- を独特の曖昧母音的発音をするのを聞くと、楽しくも、ほのぼのとする。

  ちなみに、オペラ「カバレリア・ルスチカーナ」の台本はシチリア方言らしいし、シチリア語は標準イタリア語文法の「時制」がかなり欠けている、と「神曲」担当教授から聞いたことがある。 ・・・誤解されては困る・・・ 私はイタリア人にも難しい「神曲」が読めるほどの力は残念ながら無い、「神曲」教授の友人が居ただけだ。

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Sの発音

  母音に挟まれた s は有声音(濁音)となる、という「通説」を信ずるのは危険である。語尾の場合は無声音(清音)になるなど、色々ある。特に語尾の -oso/a は形容詞を作る語尾だが、この場合の標準発音は「・・・オーソ/オーサ」と必ず清音である。

  従って、ミサ曲におけるラテン語の lacrimosa も、イタリア人は「ラクリモーサ」と発音する。しかし、多くのイタリア人は s の濁音と清音に関し、形容詞とある種の一部の単語を除き、かなりいい加減だから、我々があまり神経質になることもないであろう。

  きっちりしたい方のために、「音楽イタリア語小辞典」では、例外S発音(母音に挟まれた清音S/母音に挟まれない濁音S)を赤字で示した。

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フェルマータ

  フェルマータ(fermata)は「fermare フェルマーレ・停止する」の過去分詞形である。楽譜標語としては女性名詞として登場し、使用法は多種在るように見え、混乱なさる方々も多いであろう。しかし実際は単純であるので小辞典のfermataを参照願いたい。

  ところで、イタリアのバス停は fermata(停留所)と書いてあるだけで、全国どこを訪ねても一切名前がない。「○○教会から2つ目の停留所で降りて/○○広場で降りて・・・」等と表現するより仕方がないのだが、生活してみると意外に不便はない。これは都市形成の歴史と発想の違いであろう。

  イタリア中、どんな大都市・田舎を訪ねても、すべての道路と広場には必ず名前が付いている。そして、通りを挟んで右と左で、住所の番地は偶数と奇数に厳正に分けられている。その網の目の中をバスが走っているのであって、バス停や駅を起点に町が出来ているのではない。

  もう一つ、彼らは道を尋ねることを「いとわない」。外国人である僕に対しても、彼らは平気で道を尋ねてきた。明らかな観光客には尋ねないようだが、自分の生活圏のバスに乗っている人間をよそ者とは思っていないようだ。

  小生はポンコツ自動車を持っていたのでイタリア人の友人を何度も同乗させた。ところが彼らは、目的地に着くまで、度々 fermata(ストップ)を要求する。「こちらの道で大丈夫だ」と僕が主張しても、歩行者や隣の車に大声で道を尋ねる。その感覚は、道を尋ねるのではあるが、互いにおしゃべりをすることが目的なのではないかと思うほどだ。

  歩行者同士も同じで、大都市観光地でない町や田舎では、こちらが道を尋ねると、わざわざ目的地まで歩いて連れて行ってくれ、道々いろんな会話を互いに楽しむことが出来る。僕は田舎育ちだったせいか、子どもの頃は、希に村に訪ねてくる人が道を尋ねてくれると、自分が少し大人に近づいたような嬉しさで、同じようなことをしたことを思い出す。

  車で走っていると、ヒッチハイカーが実に多い。主に観光地巡りの諸外国人だ。危険なので乗せるなと言われているが、好奇心旺盛な僕は多くの人を乗せたが、一度も危険な目にあったことがない。あまりにもポンコツの僕の車に、強盗目的の人間が乗るはずが無いという勘が当たっていたのか、運が良かったのかも知れない。観光地でない田舎巡りでは、こちらから声を掛け、多くの村人を乗せた。いまだに山間の田舎では、大きな荷物を持った人が徒歩で山越えをしていることもあるのだ。日本人を初めて見たというイタリア人に会うと、内心大いにほくそ笑んだものだ。

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Hの発音

  ラテン系であるフランス人やイタリア人は、”H”の発音ができない。

 イタリアでは2輪や4輪の自動車レースが盛んで、イタリア人の友人達を僕の車に乗せ、イタリア北部・イモラでの2輪国際レース観戦に出かけたことがある。彼らは興奮して「オンダ、オンダ」と話しかけるが、onda というイタリア語は「波」を意味するので、初めの内何のことか理解できなかった。HONDAをオンダとしか発音できなかったのだ。その日のレースは見事HONDAが優勝し、上位4着までの3つをHONDAが独占した。

  ところで、笑うときはちゃんと「ハッハッハッ」とHの発音ができるのだが・・・

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発音と表記

  「イェ」の発音は -ie- をまず想起することから、現代イタリア語では「ジェ/チェ」と発音する -ge-, -ce- の多くは、-gie-, -cie- と綴ることが望ましい、と主張するイタリア人言語学者もいる。(参照: leggero, leggiero)

  「〜でせう」の現代表記は「〜でしょう」であり、「〜でしょお」とまでは表記しない如く、日本にも発音と表記の問題は存在する。しかし、外国人である小生の素人判断だが dolce・ドルチェ の如き極めて日常的な単語まで dolcie と表記統一するのは、多くのイタリア人の感覚に素直に受け入れられるとは思えない。

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テンポと速度

  イタリア語の tempo と日本語の「速度」は全く概念が違う。イタリア語の tempo は必ず「等速度」の刻みであり、非等速のものは tempo とは言わない。

  日本語では等速でないものをも「速度」と称する。そのため「テンポ」と類似発音しても、我々は「速度」的概念で理解する。だから、日本語で「テンポを乱すな・正確なテンポで」等と指揮者が要求するときも、イタリア語なら修飾語抜きの " Tempo ! " または" In tempo ! "で事足りる。

  楽譜に、しばしば tempo rubato と書かれることがある。「盗まれた速度で」と大抵邦訳されているが、この直訳では何のことか解らない。「テンポ=等速」の図式が理解できれば、等速が壊される意味であること、つまり演奏者が「自由な速度で演奏せよ」(一般に ritardando することが多い)の意味であることが腑に落ちよう。

  だが上の場合の「自由な速度」は、楽譜上に拍数が記譜可能であることに特徴がある。日本の盆踊り唄は複数人数で踊るため等速のテンポで歌われるが、一人で歌う日本の伝統的な唄には絶えずテンポが揺れているものが多く、洋楽譜への記譜不可能な場合が多いことが tempo rubato とは本質的に異なる。ついでながら、この微妙なテンポの揺れ、さらに平均率とは異なる音階の微差が日本伝統音楽の味でもあろう。

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ドルチェ/dolce

  イタリアでは食後に甘い飲食物を好んで取る習慣があり、糖分を含んだ食物(砂糖、ケーキ、果物、アイスクリーム、キャラメル・・・)を dolce と言う。

  例えば、レストラン・ristorante のメニューでデザートに相当する部分は dolci (ドルチ/dolce の複数形)と題して色々な品物が書き並べてある。なおイタリア人はコーヒーにやたら砂糖を多く入れ、甘くして飲む人が多いせいか、dolci の部類にコーヒーが並んでいることもある。気に入ったデザートが無い時やお金がない時は、ポケットからあめ玉を出して頬ばってから、ご馳走様をする人が居るほどだ。

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ボン・ジョルノ

  Buon giorno. と綴る。buon は buono の語尾切断形。丁寧に発音すれば「ブオン」であるが、日常的にはフランス語と同様に「ボン」と発音される。意味は英語の good に相当する。giorno は英語の day に相当する。したがって buon giorno を直訳すれば good day(良い一日)または good morning(おはよう)に相当する。

  北部地域では一般に昼飯時まで使用されるのだが、中部から南部にかけては太陽の出ている内は、夕方までこの言葉を使う地域もあり、一概に使用時間帯は決められない。

  私は初めのうち「ボン・ジョルノ」は当然日本語の「おはよう」と理解していた。ところが、別れ際に相手がもう一度「ボン・ジョルノ」と言うので、まだ何か用か・・・と思って振り返ると、相手は知らぬ顔をしている。つまり「さようなら」にも使われるのだが、考えてみれば「良き一日でありますように」という言葉なのだから当然であろう、と現地で初めて認識した。

  午後または夕方からの挨拶言葉 buona sera(ブオナ・セーラ/英 good afternoon / evening )も同様に別れ際にも使用される。英語圏の人たちからも、別れ際に英語で good afternoon などと挨拶される場面に度々出くわし、まかり間違えば故郷の土を踏めない異国での挨拶言葉は、実に心に深くしみいるものだと感じ入ったことがある。

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  イタリアの水は石灰分が多いため、紅茶を作ると真っ黒なお茶が出来上がり、時間が経つと墨汁のように「とろみ」まで付いてくる。日本では「紅茶」と言うが英語で Black tea と言うのが納得できる。だからイタリア人は普段紅茶を飲まないし、飲ませてくれる喫茶店(Bar・バール)を探すのは大変難しい。イギリスまで北上すると水質も随分良くなり、おいしい紅茶を飲めることになる。

  鍋ややかんで湯を沸かすと、すぐに大量の湯垢がこびりついてしまう。タワシくらいでは取れない、この湯垢取りは、イタリアの主婦の面倒な作業となる。

  イタリアの老人は足首がふくらはぎと同じ太さになり、杖をついてゆっくり歩いている人が多い。それも女性が多いと観察した。石灰分の多い水道水を長年飲んだからだ、とイタリア人は言うが、事の真偽は私には不明だ。旅行者が沢山飲んだ程度での心配はないはずで、あちこち飲んでみたが、地域によりなかなか旨い水もある。ペルージャやローマ(共にサーカーの中田が関係する町)は、日本より石灰は多いのだろうが生で飲んでも旨かったし、平気で飲んでいるイタリア人も多い。

(今でこそ日本人サッカー選手はヨーロッパ各地で活躍しているが、この項は2000年頃書いたのか、中田英寿選手がサッカーの本場イタリアで活躍していること自体大変な話題であった。/2003)

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ローマの松/シンデレラの馬車

  レスピーギが「ローマの松」を作曲しているので、ローマの松を是非見てみたいと思った。しかし日本の松林を連想していた私には少々期待はずれで、まばらに樹木が点在する寂しさしか印象になかった。樹木は日本の方が太く立派なものが多いようだ。ただし松毬(まつかさ)だけはやたらにデカイ。ソフトボールより大きく、両手でも囲みきれないものがごろごろ落ちている。台風がない地域だからこれほど大きく育つのだ、と聞いたことがあるが、そうかも知れない。

  大きいと言えば、野菜にも大きなものが多い。ピーマンは小さい方が珍しい。カボチャなど大人でも一人で持てないほどのものが普通に見られ、子どもにとっては、馬車のような乗り物の連想もごく自然で、シンデレラ物語の設定は、彼らには突飛な発想ではないのだ。

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ネクタイ/cravatta

  ネクタイは17世紀中期頃よりフランスで流行し始めたとか。この西欧文明の産物は、日本でも現在は馴染んだ服飾の一つであり、特にサラリーマン男性の洋服の定番小物でもある。洋の東西を問わず、ネクタイを締めると、心身共に引き締まる思いのする人の多いことも事実だろう。

  そこまでは問題にするつもりはないのだが、ネクタイをすべき正当な理由がない場面まで、ネクタイをしていない男性が異端視される、となると少々黙っていられない。仕事中=ネクタイ着用は、国際化社会の一員として無条件な「常識」だと考えて疑わず、他人にも強要するグループの一員になると窮屈である。

  イタリア男性が先ずネクタイを締めようと考えるのは、教会での祈りと、家族で囲む食卓の場である。イタリア人の大半がカトリックであるから、例えば食事に先立ち、食事の出来ることへの感謝の祈りを神に捧げる。つまり神への感謝と敬虔の気持ちを込めてネクタイを締めるようだ。それが敷衍して、相手に敬意を表する場面での着用習慣があると観察した。従って、仕事=ネクタイ着用の如き「常識」はない。仕事=仕事着がまずは常識だ。仕事の内容がネクタイをすべき内容であるか否かが判断基準だ。イタリアでは、行儀の良い銀行員でも、夏の暑い時はノーネクタイと腕まくりで接客をするのは珍しくない。

  還暦を迎えて解ったのだが、この年になると体から脂質が減るのか、少々の暑さでは上着を着ていても平気なことが多くなった。ましてやエヤコンの利いた部屋で座る時間が多くなると、若い人たちの運動量の多い仕事ぶりなど思いもよらない。非常識な「常識」を振り回す壮年(老年なのかなあ)にはならぬようにと自らを戒める昨今である。

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  イタリアにいた頃の私の愛車は Fiat800。中古車屋は高いので、修理工場で「張って」居た所に、車を売りに来たイタリア人と直談判で買ったものだ。既に20年ほど走り込んだオンボロだったが、良く走ったし、周りも同じような年代の車が元気に走り回っていた。

  一度部品交換にフィレンツェ郊外のフィアット工場に行ったことがある。20年ものの部品などあるのか心配だったが、魔法の如く即座に取り替えてくれた。こんな古いのにどんな部品でもあるのかと尋ねると、Certo !(チェルト・勿論)と答えが返ってきた。もう一度は、マフラーが落ちそうになったので同じ工場に持ち込んだところ、修理は簡単だが、走行安全性に大した影響がないのだから「鍛冶屋」で溶接してもらった方が修理代が安い、とエンジニアが教えてくれ、その忠告にありがたく従った。こんなサポート体制に気を良くし、イタリアの北から南まで1年間大いに走り回った。

  自動車道路環境も実によい。郊外の autostrada(アウトストラーダ・自動車専用道)は無料が多いし、有料の高速道でも料金は日本の5〜10分の1であろうか。その上、sciopero(ショペロ・ストライキ)ともなれば、料金所に料金投入箱があるだけで人は居ない(!・・・?)。アペニン山脈をまたぐために、フィレンツェとボローニャ間の高速道はややカーブが多いが、一般の高速道は真っ直ぐで、日本のように不要なカーブはない。名神高速道が初めて開通したとき、居眠り防止のためイタリアの高速道を真似てカーブを多くした、という新聞記事を読んだ覚えがあるが、それは真実ではないし、快適な直進道路ではかえって眠くならない。例えばローマ・ナポリ間をドライブ経験の方には、このことに賛同頂けよう。

  イタリアにも勿論最高速度規制はある。しかし「ねずみ取り」で捕まったという話は一度も聞かない。自分の車の性能と腕の限界まで走ってくると、歩行者の多い市街に入ってからも、危険な速度で走ろうとは全く思わない。帰国直後の高速道走行で、前車が居ると低速を余儀なくされ、空いていても100kmで走行することに強い欲求不満を覚えたことがあり、市街地も速度違反したくなる心境に我ながら驚いたことがある。また日本の速度制限表示は「サバ」を読み過ぎであろう。高速道の本線から出口に向かう時、例えば40kmなどと書いてあっても、どうせサバがあるからと、速度を守る運転手は先ず居ないどころか、速度遵守は追突される恐怖に見舞われる。イタリアでは(それが当たり前のことと思うが)指示速度を守らねば危険な速度が表示してある。

  イタリアでは、名義変更の際、取得税を一度払うだけでそれ以上の税金は一切ない(1975年当時のことで、今もそうだろうか?)。また日本と違って車検制度がない。危機管理意識の相違で、車の安全管理は所有者に100%任されているのだ。

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危機管理

  日伊間の日常生活上の危機管理意識は大いに異なる。生命財産は先ず自分で守るべきものと考えるか、他者に守ってもらうものと考えるかの違いである。(権利には義務が伴い、自由には責任が伴うという民主主義の根本原理にも発展する問題と考えるが、ここでは堅い話は引っ込める。)

  前項の車検制度がその例であるが、日常的にも諸例が見られる。ピサの斜塔は、写真では想像できないかも知れないが、塔の内部を螺旋状に登ると、途中で外部の円周の縁を歩くことになる。この斜塔の傾斜は歩行者にはかなりのもので、大理石の足下は、特に雨で濡れていたりすると、外周の下り傾斜部分は立ち止まっているだけでも地面まで滑り落とされそうな場所もあり、先に進むにはかなり勇気を要する。柵もつかまる何物もないのだ。日本では「管理責任」等が持ち出され、つまり事故責任は他者に問われ、無粋な柵を作るか、立入禁止策しか浮かばぬ所だ。残念なことに傾斜が進行し、今は登ることを禁止されているようだが、小生の居た頃は自由に登れた。代わりに似たようなスリルを味わいたい方は、サン・ジミニャーノの高い塔を選んで登ると良い。塔を登るには内部の木の階段を上ることになるが、上に行くに従い、手すりの無い所・今にも折れそうな足下の板を踏むことも出来る。がらんどうの内部は障害物もなく、踏み外せば間違いなく、一番下まで落ちることが出来る。(ピサの斜塔は修復完了で現在は登れるようだ 2001)

  危機管理を自己責任に任されている例は、ポンペイの遺跡にもある。ご存じの通り、未だ発掘が続いており、非公開部分が多い。また、多くの人が安全に見学するには危険である、と言う理由での非公開部分も多い。後者の非公開部分は、お薦めはしないが、時間と勇気があれば見られなくはない。メインの見学区域をはずれると、「危険」の小さな立て札などがあるだけで、ロープも張ってないところがある。足を踏み外すと数十メートル下に落ちるし、乱暴をすれば柱が折れ部屋の下敷きになるかも知れない様な所が見られる。ここで命を落としても、「危険」や「立入禁止」の札を無視した私の自己管理方法に責任があるのであり、ロープを張らなかった管理者に責任が在る訳ではない。

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マナー
マナー/常識は非常識

  イギリスは食事中のマナーが厳しい。ヨーロッパを南に下るに従って規則に捕らわれない傾向にある。食材の貧しい国ほど、食物への感謝の気持ちが強いのか、マナーは「豊か」なようだ。食事に限らず、マナーなんて常識的であれば問題ない、とイタリア人は言う。だがその「常識」が曲者である。

  「常識」とは、限られたグループ・地域・時代において「当然」と共通認識されているものにすぎない、と小生は思う。

  従って、その「内部常識」は、一歩外に出れば極めて「非常識」であることもある。自分の常識を他人に疑いもなく適用するほど非常識なことはないのに、その非常識さに気が付かないのが「常識」の愉快なところだ。滑稽な内は良いのだが、迷惑なのは厄介である。ましてや「命」に拘わるともなれば穏やかでない(身体的生命から社会的生命にいたるまで、「文明」国にも具体例は沢山ある)。

  イタリアの生活上の禁止事項は比較的少ないが、うっかりすると「常識は非常識」となる事項を思いつくまま並べてみることにする。禁止事項に属するマナーとは、相手に不快感を与えないための知恵や約束事である。

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マナー/なぜ彼らはスープ・コーヒー・スパゲッティを啜らない

  少々品のない話になるが、彼らは「ズルッ」という音から、極めて不潔な色々なものを連想する習性がある。従って幼少の頃から、そういう音を絶対立てないように厳しく躾られている。当然ながら食事中に於いては厳禁である。条件が悪いことに、イタリア(に限らずヨーロッパで)は、この啜り音が実に良く響く食堂が多い。食前の祈りの後、一斉にスープを飲むときの静寂を破るような啜り音は、どんな小さな音でも聞こえてしまうから始末が悪い。

  スパゲッティもうどんのように啜ると旨いと感ずる私だが、感覚が長年染みついた彼らの前では、配慮して音を立てない、これがマナーというものだろう。

  ついでだが、「ゲップ」は下半身の音同様に、あるいはそれ以上に最悪のマナー違反である。これは疑いを差し挟む余地のない彼らの「常識」なのだ。

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マナー/鼻をかむときはできるだけ大きな音で「チーン」とやろう

  イタリアで初めてオーケストラ演奏を聴いている時だった。会場が張りつめるようなピアニッシモになったその時、オーケストラ団員が会場中に響く大きな音で鼻をかんだ。大変驚いたが、周りの聴衆も演奏者も全く気にしていない様子で、僕は更に驚いた。

  前項の理由から想像頂けようが、風邪を引いていようが、鼻は絶対に啜ってはいけないし、かむときも注意しなくてはいけない。つまり余分な「音色」を消すために、出来るだけ大きな音で「チーン」とやらねばならない。うら若き女性でも、そうするのがヨーロッパ人のマナーである。

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マナー/向かいの座席に足を乗せるのなら、靴のままで

  列車や飛行機で、足が疲れたからといって、ヨーロッパでは靴を脱いではいけないし、靴下を脱ぐなど以ての外である。風呂に入るときと寝るとき以外靴を脱がない彼らの習慣から、それは下着になる、または下着を脱ぐ感覚以上のことなのである。良いマナーとは言えないが、向かいの座席や机の上に足を載せたいときは、靴のまま載せた方がまだましなのだ。

  ホテルのロビーなどで、旅で疲れたからといって、男性はもちろん、特に女性は靴を脱いではいけない。娼婦以上の積極的意思表示を意味することになるからだ。

  昔見たアメリカ西部劇映画で、縛られて靴と靴下を脱がされた荒くれ男が、泣きべそをかいている場面に合点がいかなかった思い出があるが、彼らには、これほどの屈辱はないのである。

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マナー/食卓に置いて良い物、迷惑な物

  喫茶店(bar バール)やレストラン(ristorante リストランテ)のテーブルに手提げ鞄などを我々は乗せてしまうが、これも厳禁である。

  食卓テーブルには、大抵クロスが掛けてあるが、ここには直にパンなどの食品を置いて食べるのだ。テーブルとは、大きな食品皿のようなものだ。だからそこに底の汚れた鞄など置くことは「常識」では考えられないことなのだ。では・・・と椅子に置くのもお薦めできない。床に置こう。つまりカバン類は床や地面に置く習慣があるから、それをテーブルに置くなどは、食品皿に靴を載せるようなものなのだ。

  さて、大きな食品皿であるテーブルに置いて迷惑でないものは、せいぜい小さなハンドバックまでだろう、というのが彼らの「常識」なのである。

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マナー/私の大失敗

  他人の家を訪問するには、イタリアに限らず、ヨーロッパ的常識がある。今でも思い出す度に悔やまれる失敗がある。

  イタリア人は、農家か特殊な人しか一軒家には住まず、都市では大きな共同アパートメントに生涯住むのが普通である。その玄関には守衛が常駐するか、さもなくば正門の大きな扉には常時鍵が掛かっている。どちらが高級と言うことは一概には言えない。ちなみに、私は守衛付きに住んでいた。来訪者は、守衛または住人とインターホン等で許可を得なければ正門の鍵を開けて貰えない。更に各住人の部屋のドアには鍵がある。

  イタリア語にも少し慣れた滞在1ヶ月目頃、ある有名ピアニストを訪問することになった。その方のアパートメント前に昼過ぎに到着し、インターホンの名前と部屋番号を確かめていた。その時、偶然にも住人らしき人が鍵で扉を開けて入っていったが、扉をしっかり閉めず、押せば開く状態だったが、これがいけなかった。僕は都合が良いと、その後について入ってしまった。

  訪問先の部屋のドアチャイムを押すと、「セールスの人か?」と聞かれた。妙な質問だなと思いつつ、「いえ、私は・・・の者です」と答ると、「そのまま少し待ってくれ」と返事があった。ほっとすると同時に大変な誤りに気がついた。昼時は多くの人はシエスタ(昼寝)の大切な時間だ。ましてやアポイント無しの突然の訪問であるから、外扉のインターホンから都合を聞くべきが本来である。部屋の前まで押し掛け、相手が断り難い状況を作るなど、失礼極まりない。後で考えれば、有名音楽家訪問という緊張感と、まだ慣れないイタリア語会話が1回分省けるという情けない気持ちが判断を誤らせたのだろうと思う。

  しかしその方(女性ピアニスト)は、恐らく昼寝のベッドから抜け出ていらっしゃったのか、素顔のままで、何も文句を言わず色々対応して下さった。イタリアの生活習慣に慣れていなくとも、先に電話でアポイントを取るくらいは常識であったと、何とも苦い想い出である。

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マナー/その他コマゴマ
いたずら
  食卓でのいたずらは、幼少より厳しく躾られているようで、あまりやらない。唯一良くやってたことは、パンの柔らかい部分を丸めて、相手に解らぬようぶつけ合うことくらいだ。服を汚すほどのいたずらは決してしないようだ。

塩を取ってください
  大きなテーブルで食事をすることが多いが、自分の目の前にある塩などは取って良いが、腕を延ばせば取れるからということで、隣席の人の食物上を通過して腕を伸ばすのは極めて失礼に当たる。従って「その塩をこちらに回してくれ」と頼むことは何ら失礼ではない。/毒殺の史実の多い人々のマナーなのであろうか。

まあ一杯
  ワインは彼らの水分補給に不可欠の飲料で、食事には必ずの付き物だ。子どもでも水で薄めて飲んでいるくらいだ。まさに命の水なのだ。グラスに継ぎ足しは味が変わると言うことであまりしない。食前酒、食後酒も含め、「まあ一杯」という無理強いは決してせぬ。各人のペースでアルコールが楽しめる。/このマナーは、是非日本にも入ってきて欲しい、と下戸の筆者は切に思う。

酒の上
  飲んだからと言って無礼が許されることは決してない。取り乱したり、ましてや「からむ」などは最低のマナーに属する。/これも、是非日本に入ってきて欲しいマナーだ。/飲んで気の強くなった日本人観光客が、現地人に「からんで」いる光景(当人は親しく話し掛けているつもりだろうが)に出くわしたことも度々だが、殴り返されても文句の言えないことなのだ。

たばこ
  道路に吸い殻の投げ捨てを平気でする彼らだが、いったん食事が始まると、最後のコーヒーになるまでは決してたばこを吸わない。たばこのニコチンは、ワインなどに良く溶け、味を著しく損なうからだ。

口論/悪口
  おしゃべり好きの彼らは、口論も良くやる。相手の論理的弱点を徹底的に探し出そうとする。ただし、相手の身体的特徴を茶化すのはタブーだ。頭髪・目の色・肌の色・背丈・スタイル等極めて多彩な人々が共生する知恵であろうか。

挨拶
  イタリア人は人に会うと、かしこまった Bon giorno. (ボン・ジョルノ)でも、親しい相手への Ciao! (チャオ)でも、後ろに必ず相手の名前を付ける。つまり「おはよう」だけでは終わらず、「おはよう、△△さん」と挨拶する。付けなければ、とてもぶっきらぼうな挨拶となる。初対面で相手の名前が解らぬ時には Bon giorno, signore.(ボン・ジョルノ・シニョーレ。女性には signora・シニョーラ / signorina・シニョリーナ)等と言う。/ただし、別れ際の Bon giorno. や Ciao! の後ろには名前を付けないことが多い。

  やってみるとこれは色々な効用があり良いことだ。しかし、日本語では名前を入れると言葉の流れが良くないし、何となくよそよそしく感ずる場合が多いのが残念だ。

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偶数・奇数

  偶数・奇数に関しては、我々日本人の想像を遥かに超えた概念把握をしているようだ。

  フェルマータの項で、通りを挟んで右と左で、住所の番地は偶数と奇数に分けられている、と書いたが、演奏会場や映画館においても、中央通路を挟んで偶数と奇数に厳正に分けられている。従って、隣同士座ろうと思うなら、1と3または2と4番のようにチケット購入しなければならない。これは他のヨーロッパ諸国にも共通のようだ。

  小生の渡伊は1975年だが、その2年ほど前、世界的な「石油危機」があった。その時イタリアが採った政策が、日本人には決して思いもつかぬアイデアだ。石油節約のため、自家用車のガソリン節約策として、車の末尾ナンバーの偶数と奇数が、一日おきに走行可とし、違反車は取り締まられた。偶数日が偶数ナンバー、奇数日が奇数ナンバーと対応してる内は良い。31日が奇数ナンバーの場合、翌日1日は偶数ナンバー走行可能日である。数ヶ月する内に、走る方も取り締まる方も頭が混乱してきて、僕が入国したときにはその節約政策は廃止されていた。

  我々からすれば、間抜けな政策と見えるが、偶数・奇数の概念の違う彼らには真剣なものだったようだ。トイレットペーパーなどを買いに走り回った我々には、それを笑う資格はない。

  この4〜5月の連休を利用し、ハンガリー・リスト音楽院で合唱演奏を行った際知ったのだが、リスト音楽院の座席は、日本と同様の連番式であった。こうした文化の相違からだけでは無かろうが、ハンガリーは未だユーロに加盟していない。(maggio/2002)

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ゴキブリ/ハエ

  ゴキブリは、太古の昔から生き延びてきた生物であり、人類が滅亡したとしても、地球上に生き残る生物の代表格と聞く。日本ではそれを実感するが、イタリアの住居や飲食店ではゴキブリを全く見たことがないので、そんなことは思い出しもしなかった。ハエ・蚤・ダニなどの類も見ていない。ただし蚊は中部地方で意外に多いが、南部のサルデニャ島には全く居なかった。ハエは農村で牛の周りに沢山舞っていたのを見ただけだから、観光者が見ることはごく希だろう。

  下水道の整備、道路清掃の行政策は日本より一日の長があるようで、ゴキブリやハエの発生を押さえる効果は大きいだろう。恐らく何度もペストの洗礼を受けた歴史を持つ彼らの知恵であろう。しかし私の実感では、湿気の低さという要因も極めて大きいように思われる。つまり、生ゴミ等は、虫が発生する前に乾燥してしまうほどである。

  ゴキブリやハエが居ないことをもって、イタリア(のみならずヨーロッパ)人は日本人より公徳心があると言う人もいるようだが、私にはそうは思えない。特にひどいのは、たばこの投げ捨て、犬の排泄物の放置である。たばこの吸い殻は道路に捨てなければ、毎晩の道路清掃者の仕事を奪うことになる、とうそぶくイタリア人が多い。狩猟民族であったせいか、欧米人には愛犬家が多いが、イタリアも実に多く、毎晩の清掃にもかかわらず、毎朝の犬の散歩後の排泄物はかなわない。観光地では、建物・景色を見ると同時に、道路にも良く目を凝らさぬと、とんでも無いことになる。(フランスのパリの道路清掃は、早朝に行われるせいか、イタリアより少しは油断しても良いようだ/ただし、私のこれら駄文は、全て25年も前の体験のため現在は異なるかも知れない)

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湿気

  イタリアはとても空気が乾燥している。

  9月頃だったか、ローマのカラカラ浴場の野外オペラを見に行った。ところが開場直前に雨が降り始め、それもシャワーではなく、バケツの水を浴びせられる如き豪雨となり、開演は中止となった。木陰の避難では全く意味が無く、着いたバスに皆で走り飛び乗った。日本人は僕一人、他はアメリカ、ドイツ、フランスなどからの観光客だったようだ。こんな時は、互いに饒舌になり「カラカラとは、日本では雲一つない上天気を意味するんだ」と言うと、イタリア語の解るグループ「代表」が英語、ドイツ語、フランス語等に訳し始め、それほど面白いことを言ったつもりはなかったのだが、その内バスの中はあちこちで大爆笑になった。

  そんなことが言いたかったのではない。僕は夏用背広を着ていたが、全身水中に浸かったのと全く同じ感覚のずぶ濡れだった。繁華街でバスを降り、時間つぶしに映画を見た。その途中で気が付き始めたのだが、2時間弱で外に出ると、背広まで殆ど乾いて居るではないか。(安映画館で、冷房装置など入っておらず、外気との換気装置くらいは多分あっただろう) これが湿度の違いを思い知らされた最初の出来事だった。

  僕は良く旅をした。一人旅、イタリア人との旅、他国人との旅等々。昼飯後は、イタリアの習慣に倣い、僕もシエスタ(午睡)を取った。先の経験で、年中、旅には着替えを殆ど持ち歩かなかった。ズボンでも、昼寝前に洗えば、目が覚めれば乾いているからだ。Gパンは夏冬用など気にすることはない。真夏に厚手のものでも、汗が布地に染み込む前に乾いている感じで、暑さを感じない。冬でも(僕の訪ねたヨーロッパの国全て)、スチーム暖房がどこでも整備されており、昼寝中に乾いている。

  イタリアではバスタブのない部屋も珍しくない。彼らは滅多に風呂に入らす、毎日シャワーだ。僕もその習慣に従ってみたが、不足感が全くなかった。それは明らかに湿度の違いからくるものだと思う。湿気の多い日本の生活では、やはり風呂に入らぬと愉快でない。

  イタリアは春に雨が多い。(その後一斉に緑が芽吹くのは本当に美しい)。小雨の時は、恋人同士が寄り添って歩いているのに、傘はどちらか一人が自分だけに差している光景は珍しくない。少しくらい濡れても屋内に入ればすぐ乾くからだ。(観光都市は、排気ガスのせいか、昔のように乾燥していない、と彼らは言う。)・・・大きな建物に小さな窓で快適に生活できる、・・・ワイシャツ(実は歴史的にも、これ自身が下着なのだが)の下に更に下着など着けない、・・・イタリアの赤ワインは安くて美味い等々、湿度の違いが日本とは異なる色々な違いを生み出しているようだ。

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聖職者の特権

  イタリアはキリスト教徒、それもカトリック教徒が圧倒的に多い。神父は大変敬われていると同時に、多くの特権を有している。

  その「おこぼれ」を頂戴した経験がある。渡伊した最初の1ヶ月を、ある人の紹介で、ペルージャ中央教会付属の神父さん用宿舎に同居する幸運に恵まれた。食事時に常時ウェイターが付いているのは序の口で、驚いたのは湯水であった。「湯水の如く」水が使えるのは日本くらいで、しかもペルージャは山の上の小都市だから、水は大変貴重である。一般家庭は勿論、その町の最高級ホテルでも、毎日の如く昼間数時間は断水するのに、私の部屋では24時間湯水のシャワーが使用可能であったのだ。後は推して知るべしである。

  ペルージャの東方約30Km位の所にアッシジがある。フランチェスコ会派キリスト教の発祥地である。1990年頃、サン・フランチェスコ教会内の大食堂(礼拝堂をそのまま使用している)を見せていただく好機に恵まれた。いくつもの鍵付き扉を通り抜け、その部屋にたどり着いたとき、私は自分の目を疑った。それは、何の飾りもないシンプルな飴色の大理石で床と壁が作られていたが、その美しさは私には表現できない。今までイタリアの多くの豪華絢爛たる礼拝堂を見てきたが、これに勝る部屋は私の記憶にはない。ちなみに、部屋の西扉からはテラスに出られるが、それは、アッシジを南から訪れる人がまず目にする、この教会の西側上方のテラスである。(写真は東向き正門

  清貧を旨としたフランチェスコが見たら・・・とか、フランチェスコに相応しいシンプルな美・・・とか、ローマカトリック教会は世界一の権力と財力を・・・等々一言言いたくなる私も、この美しさには沈黙を守る。期間限定でも良いから一般の鑑賞に是非開放願いたい。

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サッカー

  イタリアで、子どもから大人まで一番人気のあるスポーツはサッカー(calcio カルチョ)である。古くは1934、38年のワールドカップ連続優勝という歴史を持ち、彼らは自分たちこそ世界一と信じている。

  イタリアでは、どんな小さな市町村にもサッカー場がある。例えば、イタリア北西部の地中海沿いには、山と海に挟まれ、貝殻が岩に張り付いているように見える漁村がある。もちろん通路はほとんどが階段である。それにもかかわらず、わずかの又は唯一の平地部分を村民のサッカー場(と言ってもテニスコート程度だが)にしている。初めて見たときには、そんな勿体ないことをせず、小学校の運動場にでもすべきだと心中憤慨していたくらいだ。しかしその後、どこの町・村を訪ねても、子どもから大人までがサッカーボールを器用に扱う姿があり、日常生活への根付きぶりを実感した。

  当時(1975)の日本は野球人口がトップで、世界中で最も人気のあるスポーツがサッカーとは私も認識していなかった。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が出来たのは1993年である。わずかの期間で日本も随分実力を付けたものだが、本当のトップに上り詰めるには、やはり愛好人口の裾野の広さが必要だろう。[2000.12]

2002.6.13
  今日KoreaJapanワールドカップ予選第3戦で、苦労したイタリアが決勝トーナメント出場を決めた。前年の王者フランスと優勝候補アルゼンチンが予選敗退という波乱に加え、イタリアは第2戦で審判のミスで明らかな2得点が無効となって敗れ、背水の陣でよく踏ん張った。イタリアファンとしてはメデタイ。(先ほどのニュースで、決定は覆らないが、1点分は審判自らミスを認める会見が流れた)
  日本も、ホームでの試合という有利さもあるが、明日の第3戦結果で予選通過の是非が決まるほどの実力をつけた。両者共に、期待のもてる展開だ。
  ワールドカップレベルのサッカーは日頃スポーツを見ない小生にも面白い。出場32カ国を見ると、経済「超」不安国はあるが、政情不安国は存在しない。平和な戦争は愉快だ。


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自転車

  イタリアが競技用自転車の名車生産国であるのにはそれ相当の理由がある。

  今や「ケイリン」も「ジュードー、カラテ」と共にヨーロッパ語になったが、やはりヨーロッパでは、一般道を使った自転車競技がポピュラーだ。日本ではツール・ド・フランスが有名だが、イタリアも大変盛んなのだ。自転車競技のTV中継は、サッカーと共に人気番組だ。

  人気コースの一つはアッシジ・ペルージャ間を走破するものだ。両市とも山岳都市のため、急な下りで出発し、長い平坦路で争い、最後は心臓破りの登りを競うというコースだ。それを、渡伊直後2日目に見た為か、TVニュースダイジェスト(と言っても30分もあるダイジェスト)は印象的だった。自転車の修理は走ったままでやる。伴走車から手を伸ばして手際よく修理をしてしまうのだ。もっと驚いたのは、上位で競っている選手にTV中継車がインタビューをする。選手は嫌がりもせず、当たり前の顔で、長々と喋りまくるのだ。そんなに喋って息が切れないか、順位に影響しないかこちらが心配するくらいだが、むしろ得意げな様子である。

   余談だが、1975年当時のTV局は4局のみであった。全て国営であるがCMが入る。CMは番組の始めと終わりにあるが、番組の良いところでCM中断するような無粋なことはしない。国営だから出来るのか、センスの問題か、いずれなのであろうか。

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障害者

  イタリア人の障害者が身近に居たことがある。彼は左足が不自由で歩くのもかなり遅かった。

  ご存じの通りイタリアはサッカーが盛んで、日頃の遊びはサッカーが多い。我々は彼も含め度々サッカーをやった。当然彼はボールの速度に追いつくことは出来ない。しかし誰一人として彼のために特別のボールを送ることはしない。偶然にこぼれたボールが彼の所にくることは、2時間遊んでもほとんどない。それでも彼は喜々として一緒に走り回っていたし、皆も当たり前と思うどころか、意識もしていないようだった。

  なるほど、と思うと同時に自分の意識の低さを思い知らされた。障害者への「差別」どころか「区別」意識すら持たないレベルでの認識の高さに、イタリア人の温かさを見た。帰国するとき、僕が車の処分に困っていたら、彼は僕の車が欲しいと言って買い取ってくれた。

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教師の休暇

  大学に奉職して早や30余年。幼稚園から大学、いずれかの教師なら、夏期休暇や春期休暇の大切さは、身に染みて解っている。まとまった休暇から得られるもの・得なければならぬものは実に多いのだが、世間の理解はそうではない。それどころか、私の場合、最近では連続した数日間の休暇すらままならぬのが現実だ。

  イタリアと日本の休暇の差に愕然としたのは、渡伊初日の飛行機中のことだった。経済的理由で私の選んだ(要するに当時一番安い)ロシア航空は、羽田を発ち10時間半でモスクワ着。日本時間真夜中・モスクワは夕方、給油休憩後ローマに向け飛び立った。

  ところが、隣席がおしゃべり好きのイタリア人に変わっていた。彼は僕がわずかだがイタリア語を理解するらしいと知ると、ローマに着くまで会話を止めなかった。手真似および図解による会話の中で判明したのは、彼がモスクワ近郊で1ヶ月ほどロシア語を勉強してきたこと、そしてイタリアに帰ったら、今度は家族と共にドイツに1ヶ月ほどドイツ語の勉強に出かけるとのことだった。きっと語学研究者か、語学担当大学教官と推測したが、さにあらず、小学校の国語(当然ながらイタリア語)教師だった。どうしてそんなに休暇が取れるのか、と聞くと、イタリアの教師なら誰でもやっていることだし、君もイタリアに出かける音楽教師じゃないかと答えが返ってきた。僕は特例だと言っても、未だ片言のイタリア語だったせいか、彼は全く日本事情は理解してくれなかったどころか、日本の国語教師は外国語の勉強もせずに務まるのか、と聞かれては返す言葉に窮した。

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医・薬

  幸いなことに小生は病院の世話になったことが殆ど無かったせいで、イタリアの医・薬事情はあまり観察してこなかったが、薬局の多さには少々驚かされた。医薬分業制だから当然だ、と彼らは言っていたが、日本の大都市の喫茶店より多い印象で、それ程薬に頼って良いのだろうかと若干心配になったほどだ。

  滞伊中に一度だけ病院に駆け込んだことがある。クリスマスから新年にかけての休暇中、友人が殆ど帰省したので、オンボロ愛車でアドリア海側に一人旅に出た。山越えを含む長旅になるので、チーズ・サラミ・果物をいつもより多めに買い込んだ。山中での昼食時、誤って左手薬指を今でも跡が残っているほど、かなり深く切ってしまった。イタリアのナイフは日本より実に鋭利になっていることは知っていたのだが、堅い種類のチーズだったのが災いしたのだ。あたりは人家など一軒もなければ、行き交う車もない山岳道路。致し方なく地図を開き、病院のありそうな一番近い町を目指し、血の滴る左手を車外に出し、愛車はマニュアルミッションであったが、右手のみの運転で山道を下り、何とか病院にたどり着いた。

  医者の治療法にまず驚いた。傷の部分をいきなり揉み始め、益々出血をひどくさせるのだ。驚いて尋ねる僕に、医者は「自分の血液で異物を洗い流すのが一番良いのだ」と平然として作業を続けている。次に驚いたのは、治療が済むと「パスポートを見せろ」と言う。何やらカルテに書き込み、ヨーロッパで医者に掛かるとべらぼうに高いと聞いていたので心配していたら、外国人は治療費無料だという。日本では、こうした場合の治療法や外国人への治療費はどうなっているのだろう?

  昨(2000)年11月頃から、一日1回は意識が瞬間なくなる感覚に見舞われるようになり、久しぶりで病院に行った。「立派」な高血圧(最高170,最低120平均)との診断が下り、薬嫌いな小生が、遂に毎日薬を飲む身分となった。そんなわけで、ふとイタリアでのことを思い出した次第。

  (2008年6月、大腸癌が見つかり、ただ今闘病中)

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湯・水

  イタリアの水の特徴、日本のように「湯水の如く」は使えないこと等は前に触れた。(イタリアの水聖職者の特権

  ここでは、イタリアの蛇口の記号に関する豆知識を記す。日本では英語圏式に湯は H (hot)、水は C (cold)の記号が普通だ。それを知っている人は、つい C は水と思ってしまい、いきなり水のつもりで蛇口に手を差し出したり、シャワーを浴びたりすると危険だ。

  イタリア語は、C は[calda=熱湯]を意味し、F が[fredda=冷水]を意味するからだ。ホテルによっては Hot, Cold 方式表示もあるが、とにかく注意して確かめてから使おう。

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信号無視

   イタリアの車は信号無視が当たり前、との紹介記事によく出会う。日本での暴走好きな若者の信号無視にはたまに遭遇するが、イタリアでの信号無視風景は私は見ていない。

  私のイタリアでの運転歴は、中部のフィレンツェに居を構え、北はミラノ・ヴェネツィア周辺、南はローマからナポリ周辺まで、1年間で約3万Kmは走り回った。変わった所は、エルバ島およびサルデニヤ島であった。その間、信号無視に出会ったことはない。彼らに聞くと、ナポリなど朝のラッシュには気を付けろとは聞いていたが、その時間帯に南部市街地を走っていないので残念ながら分からないが、昼間の市街地での信号無視は絶対になかった。夕方の通勤ラッシュにはよく運転したが、信号無視は見ていない。

  イタリアで運転を、と思われる方は、絶対に信号無視は危険であり、大げさな特例記事を鵜呑みにしてはいけない。度々南部出身のイタリア人を私の車に乗せて旅をしたが、信号で止まる私に、信号で止まるなと言われた経験は一度もない。

  なお信号の設置場所は、市街地内だけであり、町と町を結ぶ道には人家がないので、殆ど信号がない。つまり危険だから信号があるのだ。ただ、真夜中で前後左右人通りもないのに、日本のように信号が変わるまで待つことはあまりせず、安全を確かめつつ通り抜けることは私もよくやった。信号は危険を避ける設備であり、絶対的に守るための設備という考えをしていないことは確かだ。それで警察に捕まったという話も聞かない。

  ラッシュ時には、意味もなく警笛を鳴らしたり、前の車に早く走れと手振りによる口論を「楽しむ」(私もやった)地域があるのを見ると、マナーが悪いように見えるが、車線変更や直角合流は(1台ずつ交互だが)必ずさせてくれる。日本では車線減少による直進の合流でさえ、気分を害する「競り合い」が多い。

  
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聖母の嘆き

  キリスト教文化を根底に持つ国の楽曲には、キリストの母である聖母・マリアの嘆き・悲しみを扱うものが多い。その「嘆き」には、聖書に親しむ彼らの、宗教観を越えた人生哲学のようなものを想起させる。楽譜の中に書かれた doloroso または con dolore (悲しげに・苦悩に満ちて)等の指示語(音楽用語)には、私のような無宗教の者の想像を遙かに超えた深さがあるようだ。

  たとえば、"Stabat Mater dolorosa" や "Ave Maria" と題する名曲は多いが、聖書の一節にある「十字架に掛けられたキリストの下で嘆き・悲しみに満ちてたたずむ聖母」をテーマとし、人間の悲しみ・苦悩でこれ以上のものは無かろうという典型を扱っている。

  信心深いイタリア人より、「息子を殺された母親(Mater)は、その場に立っていられない。でもマリアはそれに耐えて立っていた(Stabat)。そこに意味があると思う。」と聞いたことがある。

  現実生活で大きな苦悩に直面したとき、打ちひしがれるか、原因の相手に報復するか、それとも聖母のように「立ち続ける」ことが出来るか、その「嘆き」方に「教え」があるようだ。

  当HPに訪問下さった方から、dolore と言う意味を調べても判らず、このHPにもない・・・とのメールを本日頂き、これは単なる訳語では収まらぬ言葉だと思い追加した次第。(2002.8.20)

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<番外> 最終学歴

  私は、本年3月で65才定年を迎えたので(事情でもう1年間現役で残ることになってはいるが)、そろそろこの件に異論を唱える権利が出来たと思っている。(2005年4月)

  私は2つの大学を卒業した。従って、私の最終学歴は2つ目の大学卒業を指すことになる。これまで自己紹介の略歴や様々な書類に自分の最終学歴を書かねばならぬ場面に多く出くわした。しかしその度毎に何か違和感を感じてきた。

  最終学歴を書く書類には、一般にその他の経歴記入欄はない。つまり最終学歴は、如何なる人物かを判断する最重要項目として世間では取り扱われている。しかし最終学歴が常にその人物像を物語っているとは限らない。

  一つ目の大学で経済を学び、二つ目の大学で歴史を学び(最終学歴)、音楽を専門にしてきた私の経歴を、最終学歴から誰が読み取ってくれるだろうか。最終学歴を中学卒・高校卒と書かねばならない人の中には、世間の過小実力評価に違和感以上の想いを抱いている人も少なくなかろう。他人の履歴書類に目を通す機会も多々経験すると、最終学歴は人物判断材料には殆どならない、というのが私の結論だが、残念ながら世間の最終学歴信仰は未だ根強い。

 思いつくまま追加中