天台宗

朝倉山真禅院 公式サイト

〒503-2124
岐阜県不破郡垂井町宮代2006
0584-22-2212



真禅院
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本地堂(ほんじどう

本 地 堂(ほんじどう)
(国重要文化財)
 再建:寛永19年(1642年)9月11日
 桁行4間(9.9b)
 梁行3間(7.6b)
 一重の入母屋造妻入り造り
 明治の移築時に木賊葺(とくさぶき)※1を棧瓦葺 (さんがわらぶき)屋根に改められた
 ※1木賊葺:木材の薄板を用いて施工する板葺   (いたぶき)の一種 板厚は4〜7ミリメートル 

 ご寄付のお礼について
平成27年12月から平成30年9月まで行われた本地堂「平成の大修理事業」が、
信者の方々からのご寄付並びに文化庁及び岐阜県・垂井町からの補助金にて
無事円満完成成就することができました。
ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。


 国重要文化財である現在の本地堂は、約380年前の再建です。
 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原合戦時、南宮大社及び神宮寺の諸堂社は、兵火にかかり烏有に帰しました。
 戦火より40年後に三代将軍徳川家光より金7000両を支給され、岡田将監(しょうげん)造営奉行(伊勢神宮・多賀大社の造営奉行:美濃代官 幕府勘定奉行)のもとようやく造営の運びとなりました。
寛永17年(1640年)9月19日に起工し、2ケ年を要し寛永19年9月11日に再建されました。(造営費403両3分3朱)

 造営は、幕府大工頭木原杢助(もくすけ)が各種殿堂の仕様書・木割帳・絵図面等を作り、京都・江戸・名古屋等より寺社建築に経験ある者を集め、幕府工事の一環として行われました。
 幕府大工頭木原杢助は、起工に先立ち商工業者・諸職人を集めて見積・入札を行い、入札を行った職種は、大工をはじめとして木引・手伝・鍛冶・檜皮師・瓦師・石工・塗師・飾師・彩色・畳師・指物師・材木商などです。
寛永19年(1642年)9月11日に再興され、翌9月12日に遷宮式が執行された。春日局が徳川家光の代参で来ています。

懸 魚 鬼 面 巴 飾 組 物(尾垂木他)
  ↑保存修理前  保存修理後↓   
     
  
              ↑保存修理前
                     蟇 股 (鷹・鴛鴦・鴨・雁の彫刻)
                                      保存修理後↓
       
       
 格天井絵
       
 菊  芙蓉 
       
 蓮  桐  
     
牡丹  
擬宝珠及び鰐口には

寛永拾九年午暦
濃州南宮社 太神宮寺
九月吉祥如意日

の銘有
注:寛永19年(1642年)
       
   写真提供:公益財団法人 文化財建造物保存技術協会

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