天台宗 |
朝倉山真禅院 公式サイト〒503-2124 |
真禅院
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本 地 堂(ほんじどう) (国重要文化財) 再建:寛永19年(1642年)9月11日 桁行4間(9.9b) 梁行3間(7.6b) 一重の入母屋造妻入り造り 明治の移築時に木賊葺(とくさぶき)※1を棧瓦葺 (さんがわらぶき)屋根に改められた ※1木賊葺:木材の薄板を用いて施工する板葺 (いたぶき)の一種 板厚は4〜7ミリメートル |
国重要文化財である現在の本地堂は、約375年前の再建です。 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原合戦時、南宮大社及び神宮寺の諸堂社は、兵火にかかり烏有に帰しました。 戦火より40年後に三代将軍徳川家光より金7000両を支給され、岡田将監(しょうげん)造営奉行(伊勢神宮・多賀大社の造営奉行:美濃代官 幕府勘定奉行)のもとようやく造営の運びとなりました。 寛永17年(1640年)9月19日に起工し、2ケ年を要し寛永19年9月11日に再建されました。(造営費403両3分3朱) |
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造営は、幕府大工頭木原杢助(もくすけ)が各種殿堂の仕様書・木割帳・絵図面等を作り、京都・江戸・名古屋等より寺社建築に経験ある者を集め、幕府工事の一環として行われました。 幕府大工頭木原杢助は、起工に先立ち商工業者・諸職人を集めて見積・入札を行い、入札を行った職種は、大工をはじめとして木引・手伝・鍛冶・檜皮師・瓦師・石工・塗師・飾師・彩色・畳師・指物師・材木商などです。 寛永19年(1642年)9月11日に再興され、翌9月12日に遷宮式が執行された。春日局が徳川家光の代参で来ています。 |
懸 魚 | 鬼 面 | 巴 飾 | 組 物(尾垂木他) |
鰐 口 | 鬼 瓦 | 鬼 瓦 | 鬼 瓦 |
蟇 股(鷹・鴛鴦・鴨・雁の彫刻) | |||
格天井絵 | |||
菊 | 芙蓉 | ||
蓮 | 桐 | ||
牡丹 |
擬宝珠及び鰐口には 寛永拾九年壬午暦 濃州南宮社 太神宮寺 九月吉祥如意日 の銘有 注:寛永19年(1642年) |