天台宗

朝倉山真禅院 公式サイト

〒503-2124
岐阜県不破郡垂井町宮代2006
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三重塔



写真提供 : 浅野写真事務所 浅野一範氏

三 重 塔(国重要文化財)

 草創:天平13年(741年)
 再建:寛永20年(1643年)
 7月落成
 高さ:25.38b
 初重: 4.394b
 二重: 3.955b
 三重: 3.368b
 心柱:20.34b
     

 国重要文化財である現在の三重塔は、約380年前の再建です。
 慶長5年(1600年)9月15日(新暦10月21日)関ヶ原合戦時、南宮山には西軍の毛利秀元(注:1)・吉川広家・安国寺恵瓊・長束正家・長宗我部盛親ら27,900人が陣取っていました。この時に南宮大社及び神宮寺の諸堂社は、兵火にかかり烏有に帰しました。
 関ヶ原合戦後、南宮権現執行利生院永純(現橋本氏)が同じ天台宗の僧である東叡山寛永寺住職慈眼大師天海大僧正(注:2)等に再建を嘆願し、戦火より40年後に三代将軍徳川家光より金7000両を支給され、岡田将監(しょうげん)造営奉行(注:3)のもとようやく造営の運びとなりました。
 造営は、幕府大工頭木原杢助(もくすけ)が各種殿堂の仕様書・木割帳・絵図面等を作り、京都・江戸・名古屋等より寺社建築に経験ある者を集め、幕府工事の一環として行われました。
起工に先立ち、寛永17年(1640年)8月に幕府大工頭木原杢助の立会いの下に商工業者・諸職人を集めて見積・入札を行い、入札を行った職種は、大工をはじめとして木引・手伝・鍛冶・檜皮師・瓦師・石工・塗師・飾師・彩色・畳師・指物師・材木商などです。

 
  撮影者:日本写真協会会員 作美善男氏
    

 寛永17年(1640年)9月19日起工、寛永19年(1642年)9月11日に再興され、翌9月12日に遷宮式が執行された。春日局が家光の代参で来ています。
三重塔のみは京都の石材商 久保権兵衛の一括請負であった。
(造営費1111両1分1朱)(日本初の請負工事)(注:4)
三重塔だけは1年後の寛永20年(1643年)7月に落成。

 

注1: 毛利元就の四男・長門長府藩始祖
関ヶ原合戦時は、吉川広家(徳川家康と内通)に道阻まれ参戦しなかった
注2: 徳川幕府の政務に参与黒衣の宰相(君主を助けて政治を行った最高の官職)上野寛永寺・日光東照宮を建てる
注3: 美濃代官で伊勢神宮・近江多賀大社の造営奉行もつとめた 幕府勘定奉行
注4: (日本初の請負工事)
・日本美術全書第 16巻 桂離宮と東照宮 江戸の建築T
「近世前期の大工と技術」 谷直樹 著(大阪市立大学大学院教授 工学博士)
・建築もののはじめ考 大阪建設業協会「請負」 小野一成 著(早稲田大学講師)
・名城大学工学部 南宮神社建造物総合調査報告 第1部

   撮影者:
 日本写真協会会員
 作美 善男 氏

 
写真提供 : 中嶋輝幸氏  


宝 鐸
(風鐸)
宝 珠 物(尾垂木他) 鬼 瓦
擬宝珠 蟇 股
初重(頭貫 彩色)
蟇 股
初重(頭貫 彩色)
蟇 股
初重(頭貫 彩色)
蟇 股
初重(頭貫 彩色)
蟇 股
初重(頭貫 彩色)
蟇 股
初重(頭貫 彩色)


三重塔三層目 撮影 : 高木かわらや 高木俊康氏

 大垣市の高橋執男さんより
三重塔の模型を寄贈していただきました
 細かいところまですべて手作りで、完成まで4カ月以上かかる力作です
ありがとうございます  合掌




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