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真禅院諸堂案内
鉄塔
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鉄 塔(県重要文化財)
室町時代の作
改鋳:応永5年(1398年)8月10日(美濃守護土岐頼益)
高さ :1.8m
上径:0.7m
下径:1.0m
上層に梵字の日次及び菩薩六体
下層に四天王像が鋳つけられている
元は北条政子が夫源頼朝の菩提を弔うために寄進したもの
関ヶ原合戦時 破損し 初層と二層の部分だけが現存
珍しい塔で 如法経(法華経)を書写して納めていたもの
(納経鉄塔の現存は全国に 五口のみ)(注:現存鉄塔)
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当寺院の鉄塔は 『新撰美濃志』に「古銘は鎌倉二位尼の建立」とあり、夫である源頼朝の死後、妻である北条政子が、頼朝の菩提を弔うために全国の社寺に多数寄進したものの一つで珍しい鉄塔です。
鋳鉄製塔で、初層主軸部と屋蓋、二層主軸部だけが残り、初層と二層の主軸部の直径の逓減工合から、もとは基壇上に三層鉄塔が安置され、円形主軸部と同形の屋蓋を交互に三層を積み重ね、その上に露盤と九輪を安置したのと思われる
(岐阜県指定文化財調査報告書第三巻・垂井町史)
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鉄塔の銘文は、江戸時代までの雨ざらしによる錆と関ヶ原合戦時の破損により現在は読みとれませんが、応永5年(1398年)8月10日美濃守護土岐頼益の命により破損していたのを改鋳したことが記されています。(注:銘文)
現在の破損は、慶長5年(1600年)9月15日(新暦10月21日)関ヶ原合戦時、南宮山に陣取っていた西軍の長宗我部盛親が、陣営の兵糧の煮炊きに使ったためであるという。
(新撰美濃志・垂井町史)
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○江戸時代に作られた由緒書には、次のように書いてあります。
慶長五年関ヶ原合戦の折 西軍 長宗我部盛親がここに陣し これを竈(かまど)に使用し破損した
古銘 鎌倉二位の尼建立
新銘 応永五年八月十日
永正年間まで年々如法経書写して塔に納入した
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注 : 鉄塔銘文(新撰美濃志)
平氏能登入道沙弥浄普
平氏左京亮氏仲
土岐美濃守源朝臣法名常保
土岐刑部少輔源朝臣法名真兼
右兵衛大夫秀行 藤原散位秀顕 源盛光 沙弥道順 沙弥浄阿弥
勧進聖 沙 弥 妙 全
大 工 河内国高大路家久
応永五年戌寅八月十日敬白
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下層 四天王像 |
上層 菩薩像 |
下層の屋蓋と二層部 |
下層部と屋蓋 |
注 : 昭和63年から平成元年にかけて 岐阜県および垂井町より補助金をいただき
奈良の元興寺文化財研究所にて 錆び止め等の修繕を行いました
注 : 現存する納経鉄塔(五口)
六十六部法華経納経塔 (資料提供 : ノートルダム清心女子大学 小嶋博巳教授)
国名 |
現在地 |
寺名・社名 |
鋳造銘 |
下野 |
栃木県日光市 |
輪王寺三仏堂 |
文明2年(1470年) |
陸奥 |
岩手県平泉町 |
毛越寺宝物館 |
文和4年(1355年) |
石見 |
島根県大田市 |
大田南八幡宮 |
正平17年(1362年)説?
文明17年(1485年)説?
永正17年(1520年)説?有り |
淡路 |
兵庫県洲本市 |
千光寺
洲本市立淡路文化資料館 |
文保2年(1318年) |
美濃 |
岐阜県垂井町 |
真禅院 |
応永5年(1398年) |
六十六部→日本66か国(ごとのしかるべき聖地)に大乗妙典=法華経を奉納するという
名目で行う巡礼 別名「日本廻国」 近世には実践者を「六部」と略称
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