西滝ヶ洞(781.8)


2006年6月18日 日曜日 (曇り後晴れ) 単独  


9:20   笹尾山

10
:20  伊吹山ドライブウェイ

10:50  送電線鉄塔

11:20〜13:00 西滝ヶ洞

12:15  伊吹山ドライブウェイ

13:48〜14:15 送電線鉄塔

15:10 
 笹尾山


笹尾山・石田三成陣地跡
関ヶ原合戦西軍大将石田三成陣所の笹尾山から古道を歩き西滝ヶ洞に登ってきた。
西滝ヶ洞は「美濃の山」第1巻に紹介されているが明神山からの稜線歩きに何となく食指が動かなかった。改めて地形図を見てみると石田三成陣所跡から点線道が西滝ヶ洞東の小沢峠まで続いている。点線道は使われてない古い道で薮に埋もれている可能性が強いが古戦場と絡めてこれを歩くのは楽しいのではないかと思い向かってみた。

関ヶ原古戦場、笹尾山・石田三成陣所跡は当時の様子を復元したような柵が設けられ数カ所に砦の説明などのパネルが立っていて公園として整備されている。その広い駐車場に車を停め出発。近くには最終決戦地跡の石碑が田圃の中に立っている。

笹尾山山頂は広々としている。奥に東屋があり中央に陣所跡の石碑、南側は切り開かれて展望台がある。展望台に上がると合戦時の布陣を説明するパネルがあり目の前に広がる関ヶ原と重ね合わせることができる。左手に南宮山の麓にある家康最初陣地・桃配山が見え、右手には小早川秀秋が布陣した松尾山が見える。この狭い空間で天下分け目の合戦は一日で決した。古戦場とはいえ血生臭さをいまだ感じるのはなぜだろう。

突然現れた林道
笹尾山から裏の植林された尾根に取り付く。緩やかな登りが続きやがて古道らしき溝が現れる。荒れていて溝の中を歩いていくことはできない。斜度はないに近いが雨後の濃密な空気が身体にまとわりつき暑い。

溝に沿って歩いていると突然尾根が切れた。何と舗装された道路が眼下に走っている。最初伊吹山ドライブウェイかと思ったが辿り着くのが時間的に早すぎるのとルート取りが明らかに地形図と違っている。この道は私の地形図には載っていない。どうも最近できた道らしい。しかたがないので右手に笹を漕いで一旦舗装路におりわずかに登ったところのコンクリート壁に階段を見つけ尾根に取り付いた。

尾根上に出るとやや薮がかかっているが溝は続いている。わずかに進んで尾根が広くなってくると溝も巾が広くなってくる。しかし、灌木が邪魔をしてここでも溝の中を歩くことはできない。灌木を避けながら右往左往して進む。溝が薄くなってきて前方が明るくなってくるとドライブウェイのヘアピンカーブに出る。

昔の面影を残す古道
アピンカーブを回りきったところに立っている鳥居をくぐって上部の尾根に取り付く。祠の脇を通って奥に進んでいくとここからは明らかにそれと分かる古道が現れる。

古道、というにはあまりにもはっきりしていて今でも現役で使われているのではないかと疑われる。今にも上から荷を背負って誰かが下りてくるのではないか、そんな錯覚にとらわれる。厚く積もった落ち葉だけが現役ではないことを示している。優しい道だ。女、子どもでも歩きやすそうである。きっと往時は母子が連れ立って歩く風景もあったことだろう。途中、平らかに地ならししてあるところは休憩用の小屋でも建っていたのかも知れない。ここで行き交った人々が日和話をしたことだろう。思いがけない出会いにいろいろな思いを巡らす。左右には広葉樹が続き秋に来たら素敵だろう。

やがて植林が現れるとそんな夢のような道も終わる。楽しい時間は短いのだ。

地形図上の点線路は尾根筋を進んでいくがその方向は笹藪になっていて踏み跡は左手山腹の植林地帯の中へ続いている。

山腹の巨岩
すぐに尾根筋に出るのだろうと思っていたが踏み跡は何時までたっても尾根筋に向かおうとはしない。どこから尾根筋に向かうんだと思っている内に大きな岩の前に出る。

岩の下には祠が崩れて倒れている。今年の大雪にやられたのだろうか。祠の状態はともかくこの岩は祀られているらしい。そのためにここまでの道は整備されていたのだろう。その流れで古道も手入れされかつての姿を残していたもののようだ。

ここから右手の尾根筋を見上げると送電線鉄塔が立っている。これも私の地形図には載っていない。しかし、鉄塔に出れば巡視路があるはずで上手くいけば巡視路が稜線まで導いてくれるかもしれない。取り敢えず鉄塔に出てみよう。

下草のない植林の山腹を登って一旦尾根筋に出る。そこからわずかに薮を漕いで鉄塔下に出る。

鉄塔より明神山を望む
鉄塔からは晴れていれば関ヶ原、濃尾平野が見下ろせそうだが生憎曇っていてはっきり見えない。東には明神山が見える。その尾根に立つ電波塔も見ることができる。

鉄塔斜面の上部に行くと見慣れた巡視路案内板が立っている。送電線はこの鉄塔から北東方面に延びていてひとつ奥の鉄塔はどうやら小沢峠付近に立っているようだ。迷うことなく巡視路に入っていく。

巡視路は山腹をトラバースするように進みやがて稜線上に出る。本当は小沢峠経由で西滝ヶ洞を目指すつもりだったがここは明らかに峠より西である。まあしょうがないだろう。ここから送電線巡視路を離れ左手の下刈りされたまだ若い植林帯に入っていく。

下刈りされた、といっても笹や灌木が切り払われたもので切り株が残っておりそれが邪魔くさく歩きにくい。一旦斜面を登りきりそこから90度右に折れ稜線を進んでいく。少し進むとわずかに踏み跡が現れホッとする。三角点付近は下刈りが消え灌木が若干うるさくなる。

三角点
到着した三角点はわずかに切り払われているのみで腰を下ろす気にならない。北側が開けているが生憎曇っていてあまり展望は得られない。なんだか落ち着きが悪いのでさらに稜線を西に進んでみる。

あまり代わり映えのしない稜線が続く。西隣のピークに至ってやっとなんとか腰を落ち着かせる場所を確保した。そして早速プシュッ!

濃密な空気は幾分密度を薄めたものの相変わらず身体にまとわりつき暑い。朝露で全身濡れているがなかなか乾かない。眼前の風景も半分ガスの向こうである。しかし、誰もいない、誰もこない山頂。これはこれでいい感じだ。唯一はっきり見える三角点ピークとその向こうの送電線鉄塔が何となく絵になる。

三角点ピークを見る
やがてガスは晴れてきて青空も見えるようになってきた。伊吹山方面は相変わらずだが、正面には高天神がはっきり見え、右手には池田山が姿を現した。それより遠くは無理だがほとんど諦めていた眺めだけに嬉しい。今日もありがとう。お礼を言って山頂を後にした。

下山は、休憩したピーク南の尾根を下る。こちらも地形図上に点線道が記されている。

最初は笹藪だがすぐに溝が現れる。こちらも登りの尾根と同じでかつて使われた道であることが分かる。斜面をつづら折りになって優しく下りていく。しかし、倒木や笹藪、萱薮が所々あり歩けるのは半分ほど。

やがて古道はドライブウェイでとぎれる。その向こうに送電線巡視路が下りていてそこに入る。

この巡視路は古道を利用しているようだ。草むらに覆われた溝の中におきまりのプラスチック階段。あまり使われていないのか所々崩れておりまた草に埋もれている。この埋もれたプラスチック階段が登山靴に引っかかって歩きにくい。こんなものない方がいいとぶつぶつ言いながら下りていく。

鉄塔より古戦場を見下ろす
鉄塔からは関ヶ原が一望の下だ。天気も良くなってきたことだしここでコーヒー休憩とした。

コーヒーを飲みながら眼下の古戦場に笹尾山のパネルで見たうろ覚えの布陣を重ねてみる。西軍、小早川秀秋が裏切らなければどうなっていたのだろう。考えても答えはでないがついつい考えたくなる。確か家康に催促されて裏切った彼はいい死に方をしていないはずだ。

ひとときの時間旅行を終え、鉄塔下の古道を下っていく。やがて再びドライブウェイに出る。ここからは、笹尾山までひたすら舗装路を歩いていく。

笹尾山は思ったより賑わっていた。何故か若いカップルが結構いた。こちらは汗まみれ泥まみれの服を駐車場の端で着替え家路についた。