佐和山(232.5)


2006年11月3日 金曜日 (晴れ) 単独  


11:48 佐和山城址駐車場

12:15〜13:24 佐和山山頂

13:40 佐和山城址駐車場


「佐和山城」、天下分け目の関ヶ原合戦、一方の将、石田三成の居城である。
「三成に過ぎたるものが二つある、島左近と佐和山の城」といわれた城である。
五層の天守閣を持つその城は当時は有数の巨城であったようである。この城祉をぜひ見なければと思っていた。

地形図で見ると彦根城の東側の小高い山らしい。ここを目指していざ出発。しかし、登り口もそもそも登山道があるのかどうかも知らない。行き当たりばったりである。

10時頃、佐和山の東側にあたる鳥居本に着く。大手門はこちらにあったというから付近に登り口がないかとウロウロしたが分からない。諦めて彦根側に回る。すると、そこには寺院やら神社がならび、どうやら佐和山を巡る道もあるらしい。案内パネルに「Aコース、Bコース」と記されている。しかし、そのコースを示す図のようなものはなくどこを歩くのやら分からない。

とりあえず、食料調達のため彦根市街地に入る。彦根城近くは観光客の車と人で一杯だった。佐和山周辺とはえらい違いだ。彦根駅前に行くと、彦根城築城400年祭だかなんだかのイベントがあるらしく人が集まっている。中には甲冑姿の人も。彦根城の人の多さもこの所為か。

佐和山城祉駐車場に戻って出発。取りあえず上部に延びた舗装された林道を歩く。林道は途中で二手に分かれ右下の道を歩いてみる。すぐに舗装は切れ草が生い茂った荒れた道となる。そんな中に踏み跡が一本。多分こんなところじゃなくて他にちゃんとした道があるんだろうなと思いつつも面倒くさくてその踏み跡を辿っていく。

しばらく歩いてやはり違うなと思ったが戻るのも面倒でそこから山腹の藪斜面に取り付く。(こんな何でもないような山でも藪を歩くとは何の因果か)と思いながら稜線に出れば何とかなるだろうと登っていく。

藪の中を一登りして稜線に出ると果たしてちゃんとした登山道があり道案内まで立っていた。「やはりな。」きちんと調べてから登ろうよ。
駐車場から佐和山を望む
何故か藪を一漕ぎ…稜線上にはしっかりした登山道
龍潭寺の分岐点…反対へ下りれば鳥居本へ

良く踏まれた道を一旦下って緩く登る。展望はない。再び下ると麓の龍潭寺からの道と合わさる。ここから登れぼってくればすぐだったのだ。そこから少し傾斜のある斜面を登っていくと佐和山城本丸址。本日のゴール。あっと言う間だったがいらぬ薮こぎをして汗は噴き出ている。他にも数人の方がみえたがみんな涼しい顔である。なんだかばつが悪い。

平坦で広い本丸址をウロウロする。南側に三角点があった。展望は所々ある。彦根城も眼下に見える。400年祭のものだろう、パレードの賑やかな音がしている。

空気が澄んでいれば北側に伊吹山も望めそうだが今日は靄がかかっていて見えない。そちらを見ていると外人さんに声を掛けられた。

Do you understand english?

だったと思う。思わず「ハイ」と答えたが日本語だった。つづいて北に見える白いタワーは何か?と聞かれたが

I don't know.

通じてるのか。なんとなく、にこにこして典型的なシャイな日本人になっている自分に気づき胸の内で苦笑。最後は、写真を撮ってくださいとのことでパチリ。よく写真を撮ってくださいとお願いされる質なのだが外人さんからは初めてだった。

広場に設置されているベンチに腰を下ろしてプシューッ!タイム。こんな山も良いよな、と彦根城とその周りを走る車を見ながらほのぼのとした時間を過ごす。ここを訪れる人も意外と多く、中にはこんな子達が、といううら若き女性のグループもあった。

城跡としての佐和山はこの本丸址広場が平らかで広々している以外はそれと分かる遺構はほとんどなさそうだ。登ってくる途中ところどころそれらしい平らかなところはあったがそれも竹林や雑木林に埋まっていた。関ヶ原合戦の後廃城になりその後麓の彦根城ができたのだからしょうがないか。しかし、この山城で三成は何を思っていたのか。島左近は…。

下山は龍潭寺側へ。アッと言う間に龍潭寺の境内にに着いた。そこには石田三成の胸像が建っておりその功績を讃えた銘板が埋め込まれていた。領民には名君として慕われていたのだ。
佐和山三角点…山頂は城跡らしく広々している。
彦根城を望む。ここからは見下ろす感じだ。
石田三成像…領民には名君だったらしい