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デュオの青い虹 文:カメ仙人
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地球人に騙され、連れ去られていた男たちが戻ってくる。善神アルディオンの神子が地球人を追い払い、囚われていた者たちを解放してくれたのだ。このニュースで村は活気づき、大切な家族を迎えるため、残された女子供、老人は歓迎の宴会の準備に走り回っていた。子供たちの中でも、大きな子たちは野に出て、食べられる草や木の実を集め、トンク(野豚)やラビ(ウサギ)を狩った。久々に人々の顔には喜びがあり、希望が溢れていた。 「……ライヤ……」 喜びに沸き立っている村人たちの中に一人暗く沈んでいる少年の姿があった。村の男たちが帰ってくる。確かにそれは嬉しい知らせだ。だが、素直には喜べない。何故なら、それは大好きだった幼なじみのライヤが善神アルディオンの神子であると認めることなのである。彼女の口から神の言葉を聞いたと聞かされても、嘘だと思った。あの美麗な地球人の男に騙され、神子のふりをさせられているだけだと思った。だから、デュオの人々を助けてくれるなんて嘘で、もっと酷いことをするつもりだと信じていた。だから、騙されているライヤを取り戻すため、地球へ行き、知恵と力を得ようと思った。でも、…… 「ちくしょーっ! あんな奴にかなうわけないじゃないかーっ!」 口惜しげに拳を地面に叩きつける。あいつは本当にきれいな男だった。それに実力もある。でも、悪い奴だったなら、勝てる可能性もあったのに……。情けない。こんなことを考えてしまう自分が惨めだった。自分を磨くことによって相手に勝ってやろうと思えない自分自身がとてつもなく卑怯で卑しい人間に思えてくる。敵が悪い奴だったらよかったのにと願う己は何て下劣な人間なんだろう。もう消えてなくなってしまいたい。この世から、自分という人間がなくなってしまえばよいのに……。 「フェリオ」 「あ? ライヤの母さん……」 不意に背後から声がして振り向く。そこにはライヤとは異なった印象の女が立っていた。ルフィリヤ、ライヤの母であった。 「フェリオ、ライヤと一緒じゃなかったのかい? ライヤは何処にいるんだい? もう三日も家に帰ってこないんだよ。あたしはてっきりフェリオと一緒だと思っていたんだけれど……?」 「そっ、それは……」 心配げに見つめる相手に何と答えたらよいのだろう。言葉を詰まらせ、フェリオは立ち尽くしていた。彼の様子がただ事ではないのに気づいたのか、フィリヤの顔も強ばってくる。 「おばさん……、ライヤは……地球人に誘拐されて……。ぼく、ライヤを助けようと総督府に乗り込んだんだけれど……」 「ライヤが誘拐?! 総督府に乗り込んだって……あんた……?」 あまりにも恐ろしい事実を聞かされ、女の顔は紙のように真っ白になる。それを辛そうに視線を離し、今までのいきさつをゆっくりと語った。やっとの思いで総督府に忍び込み、見つけたライヤ。なのに、善神アルディオンの声を聞いたと言う。金髪の青年と共にデュオを解放するのだと、レーザー・ソードを振りかざしたフェリオに告げた彼女……。心の痛みが更に強くなって行く。どうしようもない程、惨めな気持ちが全身に重くのしかかってくるようであった。ウッズマンを懸命に守ろうとしたライヤの顔が忘れられない。あの時襲った、強烈な嫉妬の炎と魂を剥ぎ取られたような虚脱感がまざまざと蘇ってくる。 「おお……、まさかライヤが善神アルディオンの神子様……? そんなことって……そんなことって……。おおっ、善神アルディオン……信じられない……」 言葉にならない言葉を発し、ライヤの母はヘナヘナと地面に座り込んでしまう。しかし、一生に一度しかない初恋を失ったばかりの少年には哀れな母親を慰める余裕などなかった。 「信じられなくたって、本当なんだよ! ライヤは、ライヤは、アルディオンの神子になっちゃったんだ! もう昔のライヤじゃない。もう、もう、もう、おばさんの知っているライヤじゃない! 神子様なんだよ! 善神アルディオンの神子様! もう、ぼくたちなんか相手にならない程、お偉いお方になっちまったんだーっ!」 「フェリオ……」 ライヤを失った心の痛手を何にぶっつけたらよいのだろう。憎い敵である地球人の男に心を奪われた幼なじみが許せない。善神アルディオンの神子なんて皆を騙すようなことをするなんて……、それもきれいな男の口車にのって……。裏切り者! 全てのデュオ人を地球人に売った売国奴! 馬鹿な少女! でも、でも、でも、でも……。大好きだ! 憎んでしまいたいのに、好きだという気持ちが後から後から沸き出してくる。好きだ、好きだ、好きだ! ライヤ! ライヤ! ライヤ! ライヤ! 「うわーっ! うわー! うわー!」 頭をかきむしり、叫声を上げながらフェリオは駆け出した。もうここにはいたくない。フィリヤの茫然自失の姿も見ていたくなかった。いやそれどころか、ライヤにつながる全ての物を見るのが辛かった。人々も、村も、丘も野も、川も、ライヤと一緒に行った所は全て嫌だ。見たくない。見たくない。見たくない。何もかも、ライヤを思い出させる物全てが辛いだけであった。この世に自分程不幸な人間はいない。世界の全てが恋を失った少年を嘲笑っているように感じる。楽しそうに笑っている女たち。きっと、あれは自分を笑っているんだ。ライヤに振られた馬鹿な自分を嘲笑しているに違いない。誰もかれも、皆、馬鹿にしているんだ。地球人なんかに恋人を奪われた男を蔑み、馬鹿にして……。フェリオは走った。誰もいない所へ行きたい。この世から消えてしまいたい。誰もいない所へ行って、人知れず死んでしまいたい! 苦しくて、苦しくて、苦しくて、そして、悲しくて…… 「ああーっ!」 足下の石に躓き、身体が宙を泳ぐ。一瞬の浮遊感。そして、地面に叩きつけられる衝撃。激しい痛みが肘と膝を襲う。何て惨めなんだ。泥だらけになりながら、そのまま地面をかきむしる。皮膚が破け、血が滲むのも構わず爪を立てた。肉体の痛みなんか何も感じない。しかし、心の傷口から鮮血が迸っていた。声にならない声で、少女の名を叫ぶ。ライヤ! ライヤ! ライヤ! もう決して戻らない日々。消してしまいたい甘やかな思い出。輝くルビーの瞳も、ふっくらとした愛らしい唇も、何もかも、記憶から消えてしまえと、懸命に念じた。しかし、忘れようとすればする程、鮮やかに蘇ってくる面影。 「ライヤーッ! ライヤーッ! ライヤーッ!」 少年の声は虚しく草原に響くばかりであった。 デュオ独立のあおりを喰らった地球人たちは、新しい惑星の指導者、ライヤの命により、続々と退去させられて行った。レアメタルを買いつけにきていた商人も、女子供を誘拐し、奴隷として売り買いしていた人買いたちも、次々と追われるようにして、惑星を離れて行く。そして、ついには、デュオ総督であったウッズマンの陰謀を阻止しようと乗り込んでいた、星間警察と銀河パトロールさえも、星外退去を勧告されてしまったのである。デュオは銀河連邦によって正式に独立を認証された惑星であったが、まだ連邦の一員としての条約には加入はしていない。だから、連邦と唯一の繋がりは、デュオ駐在大使ウッズマンを通してのみ行われていた。 「すっかりウッズマンの思惑通りだな」 くわえ煙草のモルグが憮然とつぶやく。目の前では、彼らの荷物を黙々と運び出すパトロール隊員の姿があった。デュオ政府は、星間警察と銀河パトロールに対しても、即時退去を求めてきたことが腹立たしくてしかたがないのだ。どうせ、デュオ政府の命令とは表向きで、背後にはウッズマンが暗躍しているのに違いない。それが判っていながら、従わなくてはならないとは……。なんとか両警察組織の幹部を動かし、ようやく半数だけはデュオに残すことはできたのだが、敵、ウッズマンに対する警戒は明らかに低下してしまう。口惜しいがしかたのないことであった。 「モルグ、みっともないわよ。今回はウッズマンの完勝。残念だけれど、黙って引き上げましょう」 「キヨネ……」 口惜しげに見つめる警部にキヨネは微笑みかけた。それは決して負け惜しみの笑みではない。何か心に秘めるものがある時の顔だ。 「何を企んでいる?」 ついと側に寄ると、小声でささやく。 「企むだなんて人聞きの悪い。ただ、私は虹を見たのよ。デュオを希望の光で満たすような蒼い虹をね」 「はあ……? 青い虹……?」 唇に煙草を張り付けたモルグが、ポカンと口を開けて見つめる。キヨネは明るく微笑んでいるだけであった。 「それにしても、遅いわねえ……」 ふと気遣わしげに時計を見る。もう、地球へ出発する船は出航の準備に入っていた。 「遅いって何が?」 「デュオの蒼い虹のことよ」 「はあ……?」 「デュオに残るアルディオン伝説に出てくる勇者のことよ。アルディオンの神子を助け、悪魔を倒す若者」 「はあ……?」 再び首を捻るモルグを残し、宇宙港の入り口へとキヨネは歩き出した。出航の時間は知っているはずなのに、どうしてあの子はこないのだろう? まさか、何かあったのであろうか? 「本当に、誰を待っているんだ?」 「モルグ、忘れたの? フェリオよ。私は彼にウッズマンと闘うため、地球へ留学するようにと勧めたのよ。そして、あの子はくると言ったのに……」 「ああ、あのガキか……。確か、善神アルディオンの神子の幼なじみとかいう……。怖くなって止めたんじゃあないのか? 地球と言えば、敵の真っ直中。何をされるか判らないってんで、臆病風に吹かれちまったんだよ」 「フェリオはそんな子じゃないわ! あの子はライヤのためなら、単身で総督府に乗り込むような勇敢な少年なのよ。地球が怖くて後込みするような少年じゃないわ。もしかしたら、何かあったのかも知れない……」 キヨネは唇をギュッと噛み、真剣に考え込む。まさか、ウッズマンが何か仕掛けたのではないだろうか? しかし、いくら彼でも、たかだか十四才の少年に対して危害を加えるとは思えないが……。嫌な予感に思わず宇宙港の外へ駆け出していた。 もうじき地球へ行く船が出る。キヨネは地球へ行き、力をつけろと言った。ライヤを取り戻すため、ウッズマンに勝つ知識を身につけろと言った。あの時は、敵が悪者だから勝てると思っていたけれど……。騙されて鉱山で働かされていた男たちを解放してくれた。誘拐されて奴隷商人に売られていた女子供も返されてくると言う。地球人全部を星から追い出してくれた。そんな奴が悪者なのだろうか? キヨネは、ウッズマンは悪者だと言ったけれど、次々と実行される制作は本当にデュオ人を助けることばかりだ。もしかしたら、キヨネの方が悪者なのかも知れない。地球で力を得ろと言ったけれど……、もしかしたら、地球へ行った途端、人買いに売られてしまうかも知れない……。いや、あの人はそんな人じゃない。だって、単身ライヤを総督府から助けようとした時、何も頼まないのに一緒に行ってくれたもの……。でも、もしかしたら芝居だったかもしれない……。油断させ、地球へ連れて行くため。でも、何故? 自分にそんな価値があるのか? 地球人は女の子を売り買いするのは知っている。ライヤを誘拐したのもそのためだ。でも、男の子をさらってどうする? そんな手の込んだ罠を仕掛けて手に入れる程価値があるのか? そうとは思えない……。 「フェリオ、どうかしたのかい?」 「母さん……」 戻ってきてからずっと沈み込んでいる息子を心配げにシルビアが見つめていた。ライヤが善神アルディオンの神子となったことは既に村中の噂になっている。きっと、そのせいで落ち込んでいるのであろう。 「あんたが何を悩んでいるのかは判らないけれど、自分を信じな。母さんはあんたが何をやったとしても、信じているよ。何しろ、あんたは神様からの預かり物なんだからねえ」 「母さん……、そりゃ言い過ぎだよ。まあ、昔から子供は神様からの預かり物って言うけど、ぼくだけが特別なわけじゃない。子供は全て神様からの預かり物だもの」 フェリオは思わず苦笑する。しかし、シルビアは笑ってはいなかった。ただ真剣な眼差しで息子の顔をジッと見つめている。 「あんたの瞳の色……」 「えっ?」 ギクリとして息を呑む。幼なじみのライヤにすら教えていない秘密。母だけが知っている秘密。それがどうかしたと言うのだろうか? ただの突然変異だと思っていた自分の瞳の色。デュオ人の瞳の色は一人残らず燃える紅であった。しかし、フェリオの瞳は……。 「ぼくの瞳の色がどうかしたの? このエメラルド色の瞳が……?」 フェリオはそっと自らの目に指を差し込み、紅の透明な膜を取り外す。下から現れたのは深い湖を思わせるエメラルドグリーンの瞳であった。 「ぼくは生まれてからずっと、母さんに言われて、タルク(赤蛙)の瞼を目に被せていたんだ。これをつけていると、他の子たちと同じように、紅の瞳に見える。だから、ずっとつけていたんだ。どうしてか判らなかった。ぼくは子供だから、母さんが他の子たちにいじめられないようにって心配して、そうしているんだと思っていた。でも……」 ジッとエメラルドの瞳が母を見つめる。神秘的な湖を思わせる深い緑色であった。 「いつかは言わなくてはいけないと思っていたよ。あんたの秘密」 「ぼっ、ぼくの秘密って……?」 あまりにも真剣な母の顔。フェリオはどう反応したらよいのか判らず、曖昧な笑みを浮かべる。 「あんたは母さんたちの本当の子供じゃないんだよ」 「えっ?」 今、何を聞いたのだろう? 意味がさっぱり判らない。こんなに真剣に聞いているのに、何を冗談を……。本当の子供じゃないって? 母さん、そんな真剣な顔をして冗談は止めて欲しい。今はそれどころじゃないのに。ライヤが善神アルディオンの神子に祭り上げられ、金髪の地球人の操り人形となっていると言うのに。その敵と戦うために、地球に行くかどうか悩んでいるというのに……。そんな真面目な顔をして冗談は言わないでよ。ほとんど言葉が口から出そうになっていた。だが、フェリオは全身を凍りつかせたまま動けない。母、シルビアの顔は苦痛に満ち、とても冗談を言っているようには思えなかったからだ。 「十四年前、父さんは狩りをしていて、はるか遠くカルディア山までバズー(赤毛熊)を追って行ったことがあったんだ。カルディア山は、神聖な神の山、神聖時代に善神アルディオンを中心とした神様の国神都アルカディータがあったと言われる山なのは、あんたも知っているよね。そこには、普通のデュオ人は畏れて近づかない。父さんだって気づいていれば、そんな恐れ山には絶対に入り込まなかったはずだったんだけれど……。バズーを倒し、辺りを見回した時、恐れ山に立ち入ったことに気づいた父さんは、慌てて、善神アルディオンに許しを乞い、倒したばかりのバズーを捧げたそうだ。そして、一目散に駆け戻ろうとした。その時だよ、どこからともなく赤子の声が聞こえてきたのは。恐る恐る見回すと、大きな木の根元に赤子が寝かされていたんだ……」 「……それが……ぼくだって言うの……?」 青ざめた顔で問う息子に、シルビアは黙ってうなずいた。こんなのは夢だ。悪い夢を見ているんだ。こんな馬鹿な話しってない。ずっと本当の母さんだと思って暮らしていたのに……。今更、本当の親子じゃないなんて……。どうして……? 今まで信じていたものがガラガラと音を立てて崩れて行く。目の前にいる女は誰? ここはどこ? 自分は何? 何もかもが全く知らないものに見えてくる。空気さえも、自分を拒んでいるかのように息苦しかった。 「うー、」 どうしようもなく腹が立ってきた。何故、今になってそんなことを言うのだ? 拾い子だったって構わない。黙っていてくれれば、知らずにいたのに。何も知らなければ、本当の親子でいられたのに。なんで今更……。捨てられたんだ。それも二度。一度は本当の親に。二度目は、育ての親に。もういらなくなったから、捨てられたんだ。母さんは、もうぼくをいらないと思ったから、ぼくを捨てるんだ。今更、こんなことを言うなんて、そういうことなんだ。 「フェリオ……」 青ざめた顔で立ち上がる息子を見て、シルビアは思わず引きとめようと手を伸ばす。だが、激しい憎しみのこもった瞳に、ギクリと身体を硬直させた。 「みんな……みんな……みんな大嫌いだーっ! ライヤも母さんも、みんな、みんな、みんな嘘つきだ!」 何かが音を立てて崩れて行く。張り詰めた心の琴線がプツプツと切れて行くおとが聞こえた。ガラガラと雪崩のように今まで築いてきたものが落ちて行く。激情が奔流のように溢れ、押し流されて行く。留まりたいと願うのだが、何も掴む物が見つからない。ちっぽけな木の枝でもいい。何かにすがりたかった。でも、何もない。もう、信じられるものは何もなかった。フェリオはギュッと唇を噛み、怯えた顔の母を……いや、かつて母と信じた女をにらみつける。そして、プイと顔を背けると、外へ向かって駆け出した。 「待って、フェリオ! 母さんはそんなつもりで……真実を話したんじゃないんだよ。あたしは、あんたこそが善神アルディオンの……」 シルビアは慌てて外へ飛び出した息子を追いかけようとしたが、つまずいて倒れてしまう。そして、走り去って行く後ろ姿を虚しく見送っていた。 意外な出生の秘密を告げられたフェリオの胸は驚愕と絶望で張り裂けそうであった。何も考えられない。頭の中は真っ白で、何処をどう走ったのか、気づいた時は、泉の縁で座り込んでいた。さらさらと流れる風の音も、足下を渡る木の葉もまるで気づいてないかのようにうつむき続ける。涙さえもとっくに流れ出るのを止めてしまい、頬にはその痕だけが残っていた。恋人に裏切られ、母にも捨てられてしまった。もう何処にも彼の居所はない。もう誰も待っている人はいない。世界中で独りぼっちになってしまった。夢も希望も無惨にうち砕かれてしまった彼には、生きる希望は何一つ残されてはいなかった。 「えっ?」 背後で何かが動く音がする。もしかしたら、この辺りに棲むガウル(黒狼)かも知れない。しかし、少年は動こうともしなかった。もう、どうなってもいい。狼に食い殺されてしまうなら、それでもいいと思っていたのかも知れない。 「ふふ、やっと見つけたぞ小僧」 低くくぐもった声が耳に入る。一体誰? フェリオはノロノロとした動きで顔を上げた。しかし、周囲には人の姿は見えない。気のせいだったのだろうか? 虚ろな視線を足下に投げた。と、不意に白い手が空中に現れる。気配を察して上げた鼻先にシュッと白い霧のようなものが吹きつけられた。 「なっ……?」 咄嗟に立ち上がろうとした少年の身体がグラリとよろける。同時に意識は遠のいて行く。何が起こったのか、かすんで行く視線は、緑色のタイツのようなピッタリとした服を着た小男を捕らえた。目が異様に大きくて額が狭い、鼻はなく口が大きい、珍妙な面相をしていて、平伏していれば、正にガマガエルそのもののような男が薄笑いを浮かべて彼を見下ろしている。この男は何者なのだろう? 少年の意識はそこで途切れてしまった。 惑星デュオが独立を宣言して、もう一ヶ月が過ぎようとしていた。わずかな期間であったが、ほとんどの地球人は惑星外へ退去させられてしまい、今ではほんの一握りしか残ってはいなかった。善神アルディオンの神子、ライヤは、惑星デュオの女王として、無理矢理働かせられていたデュオ人たちを、過酷な鉱山労働から解放し、奴隷商人に捕らわれた女子供も家に戻すよう命令を発した。もちろん、背後には銀河連邦の大使ウッズマンの力が大いに働いたことは周知の事実である。と、言うよりも、デュオ新政府を指揮し、様々な政策を実行して行ったのは彼である。一部を除いた地球人を惑星外に追放し、外交、貿易、軍事、内政など全てにおいて、彼は実権を思うがままにふるっていた。地球人がデュオを思い通りに動かすことに対して、人々の中から不満の声も上がってはいたが、彼の的を射た政策は、見る間にデュオを開放し、自由で豊かに変えて行ったので、誰も面と向かって異議を唱える者はいなかった。 人々は、善神アルディオンの神子を救世主と讃え、そして、善神アルディオンへの信仰心はいやが上にも高まって行く。いつ誰が提唱したのか、アルディオン神殿を建設しようと人々はこぞって集まり始めた。忌まわしい占領の記憶を呼び起こすデュオ総督府は打ち壊され、そこへ新たに神殿建設の鍬がうち下ろされたのである。誰に求められたのではなく、自らの意思で男たちは石を運び上げて行く。女たちは、食事を奉仕者たちに用意した。純白の大理石がデュオ各地から運ばれ、輝く神殿を形作って行った。わずか一月しか経たぬ間に、建物の基礎はできあがり、美しい白亜の光を放ち始めている。何万と言う数のデュオ人がひたすら善神アルディオンとその神子に嬉々として奉仕していたのである。 「おーっ! 神子様だ! 善神アルディオンの神子様がご視察にこられたぞ」 一心に働く人々はハッとして、作業の手を止める。そして、彼らの視線は、近づいてくる純白の御車を認めた。人々は息を呑み、停車した御車から降り立つ少女に平伏する。 「皆さん、ご苦労さまです。皆さんのお蔭で、アルディオン神殿の工事も順調に進んでおります。きっと、善神アルディオンも心の底からお喜びのことと存じます」 ふわりとした純白のドレスを身につけたライヤの声が凛と響いた。人々は更に頭を低く下げ、感動に打ち震えているようであった。中には、感極まり、すすり泣いている者さえもいる。聖女はそんな人々に、この上もない優しげな微笑みを投げかける。傍らには、金髪の美しい青年の姿がある。デュオ駐在大使ウッズマンであった。 「神子様!」 不意に、近くで平伏していた女が顔を上げた。神子を守るように両側に立っていた神兵が緊張する。 「神子様、私の亭主が無事戻ってまいりました。地球人に連れ去られ、鉱山で無理矢理に働かされ、殺されてしまうところをお救いいただきました。本当に本当にありがとうございました」 女はライヤの裾にすがり、感に堪えかねたように号泣を始めた。 「おお、それはよかった! もう、デュオは大丈夫です。善神アルディオンが私たちを守ってくださいます。異星人などに星を自由にはさせません。私たちは力を合わせてデュオを立派な星にいたしましょう」 「ああーっ、神子様ーっ!」 そっと差し出された聖女の手を己が両手で包み込むように押し頂くと、女はそっと口づける。続いて、足下に平伏し、爪先にも口づけした。 「神子様、ばんざい!」 「善神アルディオン、ばんざい!」 「惑星デュオ、ばんざい!」 人々の歓喜の叫声が巻き起こる。喜びに満ちた人々の顔と顔。感涙にむせび、抱き合っている者たちの姿もあった。なんとか善神の地上代行者に触れようとする人々が殺到してくるのを神兵たちが懸命に抑えているが、押し寄せる群衆は、津波のように守りの兵たちを飲み込もうとしていた。 「神子様、危険です。どうかお車へ」 ウッズマンが恭しくライヤの手を取り、御車へと導く。彼女は導かれるまま、御車へと乗り込んだ。人々は、大声で善神アルディオンと神子の名を称え、 「万歳!」を連呼する。そして、御車は静々と群集の間を走り抜けて行った。 「狂信者ってのは、怖いもんだな。たとえ、信仰の相手が傷つくかも知れぬのに、ああやって一目見ようと集まって、あわよくば触れたいと押し寄せる。彼らの目的は決して神子を傷つけようというのではないが、群集が押し寄せればどうなるのかということを考えもしない……」 「でも、あの人たちは、心から善神アルディオンを崇拝しています。本当の信仰者です」 「ふふ、だから、狂信者だというのだよ、善神アルディオンの神子様」 皮肉な笑みを浮かべ、ライヤを見つめる。彼の視線のあまりの冷たさに、少女は思わずうつむいてしまった。この男が判らない。無血革命とも呼べる、デュオの独立の立役者であり、ライヤを善神アルディオンと謀った張本人である。彼は虐げられているデュオ人を侵略者から解放するために、デュオを独立させると言った。そして、見事に成功させたのである。独立後も、次々とデュオ人開放のための政策を打ち出し、神子としてのライヤの位置を揺ぎ無いものにしてくれた。それも、全てはデュオ人のためだと言う。実際、彼のやったこと全ては、デュオ人たちを大いに歓喜させ、あのように熱狂的に神子を信奉させている。 しかし、何故かは判らないが、彼女を不安にさせる。言葉の端々に何処かデュオ人を軽蔑しているような態度が見えるような気がするのだ。気のせいに違いない。きっと、思い過ごしだ。ライヤは無理にそう思い込もうとするようにうなずく。 「アスラン、皆、あなたのお蔭です。あなたのお蔭でデュオの人たちは救われました。ありがとう」 ライヤは神子として、金髪の美青年に会釈する。 「これはこれは神子様、もったいないお言葉で……」 ウッズマンも大仰に礼を取る。フワリと揺れる黄金の髪、端正な面立ちがキリリと引き締まり、ハッとする程に美しく見える。計算しつくされたような典雅な仕草であった。まだ年端もいかない少女は、この一瞬の姿を見ただけで全ての疑いを忘れてしまった。心がときめき、顔が上気してくる。かつて幼なじみに覚えた感覚とは異なる不思議な感覚であった。どうしてこんなに胸が高まるのだろう? 彼の一言一言に強く心が動かされてしまう。優しい言葉を聞くと、嬉しくて嬉しくて天にも昇るような気持ちになり。冷たい響きを感じると、不安で不安でどうしようもなくなってしまうのは何故? 切なくて、寂しくて……、そして傍にいるだけで幸せで……。荒波のように少女の心は揺れ動いていた。 ほどなく御車は総督府の建物の中で唯一残された本部塔へと到着した。ここは、アルディオン神殿ができ上がるまでの、神子の仮宮になっている。停車すると同時にドアが開かれ、ライヤは降りた。建物の中へ入ろうとして思わず立ち尽くす。 目の前に若い女性が立っていたのだ。それはかつて見たことのある女性。あの独立の日、フェリオと共にいた女…… 「あなたは……」 「お久しぶりです、善神アルディオンの神子様」 女は恭しく礼をする。ライヤは何か尋ねようと口を開きかけた。 「キヨネ……」 ライヤに続いて降りてきたウッズマンの顔が引き締まる。そこにいたのは、銀河パトロール特級航宙士、キヨネ山本であった。 「一体これは何の真似だ? 惑星の君主に対して無礼ではないのかね? ライヤ女王に謁見したければ、それなりの手続きを踏むべきだろう?」 「私が用があるのは、神子様ではないわ。あなたに用があるのよ、ウッズマン」 「私に用?」 「とぼけないで! フェリオをどうしたの? あの子、地球へ留学することになっていたのに、一度家に帰ったきり戻ってこなかったのよ。変だと思って訪ねたら、行方不明だって言うじゃないの。一体、あんないたいけな少年に何をしたの?」 「フェリオが行方不明……」 ライヤの顔が青ざめる。大切な幼なじみに何か異変が起こったのだ。 「何を言っているのか理解できないね。フェリオとは誰のことだね? 妙な言いがかりは止めて欲しいものだ」 しかし、金髪の美青年の顔は全く変化を見せない。それどころか、逆にとがめるような響きがあった。 「そう、あくまでとぼけるつもりなら、それでもいいわ。きっと探し出して、あなたの正体を暴いてあげるわ」 「ふふ、それは楽しみだな。しかし、残念ながら、私には暴かれて困るような事実はないのだよ、キヨネ」 「どうとでも言っているがいいわ。銀河パトロール特級航宙士を軽くみないことね」 黒髪の美女は切れ長の目でグッとにらむと、クルリと踵を返して立ち去って行った。ライヤはそれを青ざめた顔で見送る。本当にフェリオは行方不明になってしまったのだろうか? そして、それにウッズマンが関わりあっているのだろうか? 信じられない。信じたくない。傍らに立つ美しき青年が、彼女の大切な幼なじみをどうにかしただなんて……。ずっと兄妹のように育ってきた男の子。気がつけば、いつも傍にいた少年。そんな大事な友達を、彼は傷つけたのだろうか? 嘘だ。そんなこと信じたくない。 「待って、フェリオが行方不明って本当なの?」 震える唇で思わず尋ねていた。歩き去ろうとしていた女性の足が止まる。 「あの子は……、フェリオはライヤは大好きな女の子だと言っていたわ。ライヤを取り戻すため、地球へ行って力と知恵を身につけるって誓ったのよ」 少女の問いには答えず、キヨネは静かに見つめている。その眼差しには優しい光があった。 「フェリオがそんなことを……?」 呆然と立ち尽くす少女王を残し、キヨネは再び背を向けて歩き出した。何も言うことはない、自分で考えろと言うことなのだろう。 「フェリオ……」 少女の胸に蘇る幼い頃の思い出。山野を駆け、泉に遊んだ。いつも隣には優しい瞳の少年がいた。はにかみやで 乱暴だったけれど、ライヤにだけは 優しかった少年。地球人に誘拐された時も、単身総督府に乗り込んできた無鉄砲な男の子。命がけで助けにきてくれたのに……。彼を騙し、人々を偽った。よりにもよって、善神アルディオンの言葉を聞いたと宣言してしまい、ウッズマンに身を任せてしまった。それなのに……フェリオは……彼女のために……地球へ行こうとしていた……。そんな彼が行方不明…… 「ああっ、フェリオ……どうか無事でいて……」 たった一人、寝所に戻ったライヤは堪らずベッドにひれ伏した。ウッズマンを信じたい。しかし、行方不明の幼なじみのことが気がかりで胸が張り裂けそうであった。フェリオは今何処に? 無事でいるのだろうか? もしや、殺されているのでは……? 不安で、不安で不安で…… 「フェリオ! フェリオ! フェリオ! どうか無事でいて……。そして、私を助け出して。偽りの神子の座から引きずり下ろして、私を普通の娘に戻して……」 もう、誰も助けてくれる者はいない。真実を暴露して、虚構の女王から解放してくれる勇者は消えてしまったのだ。地球へ行ったのなら、いつかは帰ってきてくれるかも知れない。それなら、例え小さな希望でも、それだけを頼りに生きて行けると思っていた。でも、フェリオは……。もう、死んだのかも知れない。もし、生きていたとしても、ライヤに絶望し、姿を消してしまったに違いない。彼はライヤを見捨てたのだ。神を欺く裏切り者を許せなかったのだ。 「フェリオ……」 絶望が少女の小さな胸を激しく凍りつかせた。これで本当に一人になってしまった。たった一人、陰謀の蠢く荒野に置き去りにされてしまったのだ。それは誰のせいでもない。彼女自身が選んでしまった茨の道であった。 ウッズマンに挑戦状を叩きつけた後、キヨネは口惜しさに唇をジュッと噛み、仮宮から憤然と歩き出す。必ずフェリオの居所をつきとめ、悪事を暴いてやらなくては気持ちが治まらない。しかし、行方を知る手がかりは全くなかった。もしやと、フェリオの家を訪ねたが、彼は母親と何かあったらしく、飛び出したまま帰ってこないと言う。村の周囲をくまなく捜したが、姿は見えなかった。殺されてしまったのではないかと、痕跡を調べたが、そんな様子もない。正に忽然と姿を消したとしか言えない状況であったのだ。争ったような痕も見えないし、何者かが連れ去った姿も見られてはいなかった。一体、何処へ? ただ一つ、村の子供が近くで、走り去る地球人の乗った車を見かけたと言う情報だけが、あやふやな情報としてキヨネの耳に入っただけであった。地球人の乗った車……? もしや、その中にフェリオが……? 偶然かも知れない。しかし、そんな都合のよい偶然があるだろうか? 疑いは当然のようにウッズマンに。だが、残念なことには、車の去って行った方向は元総督府のあったアルカディア方面ではなく、逆のデュオ未開地区へであった。と、言うことは……やはり偶然だったのか……? しかし、何故かは判らないが、この裏にはウッズマンが関わりあっているに違いないと彼女の直感が告げていた。だから、それを確かめるために、疑問を直接投げかけてみたのだ。しかし、当然とはいえ、ウッズマンはにべもなく否定した。しかし、少年の失踪には、必ず彼が関係しているに違いない。何の証拠がなくとも、彼女の感はそう告げていた。 「キヨネ」 「モルグ」 声に、キヨネの思考は中断された。顔を上げると、星間警察のモルグが立っているのが目に入る。 「何しょぼくれた顔をしとる。銀河パトロール特級航宙士の名が泣くぞ」 「わっ、悪かったわね! そんなことより、フェリオの行方は判ったの?」 「残念だが……」 「……そう……」 キヨネは小さくため息をつく。あまり期待はしていなかったとはいえ、落胆する気持ちを抑えることはできなかった。 「だが、面白い噂を聞いたぞ」 「噂?」 「ああ、神聖デュオ政府は、全ての鉱山からデュオ人たちを解放したと発表しているが、かなりの人数の男たちが家に戻っていないらしいのだ。死んだとも考えられるが、今までの例では、死んだ者や麻薬中毒で使い物にならなくなった男たちは全て家に戻されている。野ざらしにされているとは考えられない。だとしたら……?」 「まさか、まだ鉱山が残されていると?」 「うむ、ありえないことではない。もっと未開地区の何処かに秘密の鉱山があるのかも知れぬ。それに、最近、星間警察が密かに掴んだ情報で、木星麻薬がデュオから密輸されているらしいという報告があるんだ」 「木星麻薬ですって? そんな……馬鹿な……。木星麻薬のシンジケートは、私たちがぶっ潰したのよ。それに、原料のゴールデン・ポピーはデュオで自生する植物ではないはず……」 「ああ、イオにあったゴールデンポピーの栽培基地は確かに壊滅させた。しかし、奴ら、今度はデュオに栽培基地を作ったのかも知れない。デュオで誘拐した男たちをそこで働かせているとも考えられる」 「まっ、まさか……」 モルグの推理はキヨネを青ざめさせた。木星麻薬とは実に恐ろしい麻薬である。最初は疲れも、悩みも忘れさせてくれる素晴らしい薬のように思えるのだが、習慣的に使い続けると、次第に中毒症状が現れ、気づいた時には、精神崩壊を起こして廃人になってしまうのだ。 「そういえば……、フェリオの父親は無理矢理鉱山で働かされている間、妙な薬を飲まされて、帰ってきた時には廃人になっていたと言っていたわ。そうだった……どうして思いつかなかったのかしら。その妙な薬が木星麻薬だってことを……」 キヨネが口惜しげに唇を噛む。シンジケートを完全に壊滅させたと信じ込んでいたため、奴らが使っていた薬が木星麻薬だと気づかなかった。何と言う迂闊さだ。 「と、いうことは……フェリオは誘拐されて、ゴールデンポピーの栽培基地で働かされているかも知れないってことね。それなら、子供が見かけたという地球人の乗った車が未開地区へ向かっていたというのも肯けるわ。恐らくフェリオは気絶させられるかして、車に乗せられ、栽培基地へ連れて行かれたのよ」 「そういうことだ。栽培基地さえ見つければ……」 「フェリオは見つけられる」 「そして、同時にウッズマンの息の根も止められる」 「すぐに手配しましょう!」 「おう!」 二人は互いにうなずき合うと、星間警察と、銀河パトロールのそれぞれの基地へと向かった。 ガタガタ揺れる乗り物に乗せられている。朦朧としている意識の中で、フェリオはそう感じていた。一体、何処へつれて行かれるのだろう? あの時、カエルのような男に霧状の物を吹きかけられ、そのまま意識を失ってしまい、気づいた時には、猿轡をされ、手足を縛られたまま車に乗せられていたのだ。どれぐらい気絶していたのかは判らないが、彼がボンヤリと意識を取り戻してからも長い間車は走り続けている。最初はアルカディアにつれて行かれるのだと思っていた。しかし、あそこまではこんなに時間がかかるはずがない。だとしたら、何処へ? 人買いに売るつもりにしても、行き先はアルカディアのはずなのだ。一体、カエル男の目的は何なのだろうか? 殺す気なら、すぐに殺せたはずだ。だとしたら目的は何? 次第にハッキリしてくる意識の中で少年は懸命に考えていた。しかし、どうしても理解できない。自分のような子供を誘拐して、何の利益もないはずだ。ただの貧しいデュオ人の少年であるフェリオには、何かの価値があるようには思えない。自分を過小評価しているとは思えないが、どう贔屓目に考えても誘拐される価値が自分にあるとは思えなかった。とにかく逃げなくては。後ろ手に縛られているロープを外そうと試したが、厳重でとても抜け出せそうには思えなかった。しかしこのまま、むざむざとされるがままになってはいられない。何を企んでいるかは判らないが、決して楽しいことが待っているとは考えられない。相手に気づかれないように、ソロソロと手を動かす。何かロープを切る物はないか……。だが、手は虚しく空を掴むだけであった。 「うっ……」 車が大きくバウンドして、少年の身体が床に叩きつけられる。拍子に、後頭部を何か硬い物にぶっつける。痛烈な痛みで、目から火花が飛び散った。一体、何に……? 頭をめぐらせ、それを見ようとした。光る小さな棒だ。 「レーザー・ソード」 その言葉が脳裏に浮かぶ。それはまさしく、レーザー・ソード、あの時、キヨネが手渡してくれた武器であった。腰のベルトに差し込んだままにしていたのが、今のバウンドで外れたのかも知れない。これさえ使えれば……。フェリオは運転しているカエル男に気づかれないように用心深く身体をおこそうとする。狭い後部座席の床に転がされているため、なかなか思うようには行かない。おまけに、時折車は大きくバウンドするため、せっかく半身を起こしかけても、再び床に投げ出されてしまう。その都度、全身を打ち付けられて悲鳴を上げそうになった。だが、猿轡がそれを許さない。顔を顰め、心の中でカエル男を罵倒した。この男、一体、何が目的なのだろうか? ソードを手に入れ、自由になったら、絶対に聞き出してやる。フェリオは痛む身体に鞭打って再び起きようと蠢き始めた。ジワジワと頭を起こし、縛られた足を懸命に動かして尻を動かす。少しずつではあるがソードに近づいて行った。後もう少し! 後ろ手に縛られた手に硬い円筒形の物が手に触れる。たぐり寄せ、右手にしっかりと握り込んだ。不意にブレーキがかかり、少年の身体が大きくつんのめった。再び床に叩きつけられる。しかし、レーザー・ソードは手の中だ。これさえあれば……。手の中でボタンを探り、ソードでローブを断ち切ろうとする。 「小僧、目が覚めているな?!」 咄嗟にソードを腰ベルトの中へ隠す。顔を上げると、カエル男がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて見つめていた。フェリオは唇をギュッと噛み、にらみつける。 「ふふ、生意気そうな小僧だぜ。だが、いつまで強情でいられるかな?」 男はクックッと下卑な笑みを見せる。フェリオは思いっきり憎しみのこもった視線を相手に向けた。 「ほう、こいつが閣下のおっしゃっておられた少年か? どう見ても、ただのデュオ人のガキじゃねえか。閣下ともあろうお方が、随分と用心深いことだなあ」 ドアを開け、中を覗き込んだデュオ人の男が唇の端を歪めて笑う。カエル男が顎をしゃくると、少年の身体を軽々と肩に乗せて歩き出した。大きな男である。軽く見積もっても、二メートルはあるであろう。広い肩の上では、フェリオはまるで赤子のように小さく見える。太い腕で拘束されては身動き一つできなかった。少しでも情報を掴んでおかなくては。顔を動かし、周囲に視線を投げる。草木のほとんどない岩山のようである。こんな風景には全く見覚えがない。思った通り、かなり遠くへ連れてこられたようだ。車の轍の痕と太陽で村から西だと思われる。すると、デュオ人すらもあまり近づかない、カルディア山の近くか……? フッと少年の脳裏に母が語った出生の秘密が蘇る。赤子のフェリオはカルディア山で父に拾われたという。もしかして、ここがカルディア山だろうか? かつて 繁栄した神秘の神の都のあった山……。こんな状況ではあったが、もしかすると自分の生まれた故郷かも知れないと思うと、懐かしいような甘酸っぱい感情がこみ上げてくる。が、そんな甘い感傷を断ち切ってしまうように、身体が地面に叩きつけられる。痛みをこらえ、巨躯の男を見つめる。デュオ人のくせに地球人に従っている裏切り者だ。が、彼は何の表情も見せず、懐からナイフを取り出した。殺される?! フェリオは思わず身体を硬くさせる。鋭いナイフの刃がシュッと一閃した。ジュッと目を閉じる。だが、何処にも痛みは感じない。恐る恐る目を開くと、ハラリと猿轡が地面に落ちた。目を大きく見開いて相手を見る。男は続いて足のローブを切った。 「立て!」 男は肩を掴むと、地面の上に立たせる。続いて両手を拘束していたロープを断ち切った。フェリオはロープの痕が残る手首を摩りながら無言で男たちを見詰める。これからどうするつもりだ? 「では、小僧を預けたぞ。絶対に逃がしてはならぬ。それに、死なせてもならぬ。それが、閣下のご命令だ」 「判った」 男がうなずくと、カエル男は再び車で去って行った。フェリオは無言で見送る。 これからどうなるのか……? ここは何処なのか……? 途方にくれた少年は、呆然と巨漢のデュオ人を見返す。 いくつものモニタの居並ぶ部屋の中で、キヨネは忙しくキーボードを叩き、モニタに映る風景を念入りにチェックしていた。フェリオの住む村が映し出されると、倍率を上げ、動き回る人々の顔を丹念に見つめる。しかし、求める少年の姿は見あたらない。別のモニタへ視線を移すと、アルカディアの中心、元総督府が映し出されている。地球支配の象徴であった総督府のほとんどは打ち壊され、仮宮の司令塔だけが残されていた。新たにアルディオン神殿が建築されれば、それも壊されてしまうであろう。多くのデュオ人たちが奉仕し、着実に白亜の神殿が姿を整えつつあった。これが完成すれば、アルディオンの神子、女王ライヤの宮殿ともなるのであろう。神殿建設に従事する人々の間にも、あの少年の姿はみえなかった。画面を操作し、周辺にある建物の窓に焦点を当て、中に蠢く人々の顔を確かめて行く。だが、やはり発見することはできない。 「ふーっ!」 キヨネは一つため息をつくと、モニタから視線をはずした。 「どうしたキヨネ? もう諦めたのか?」 「モルグ……」 思わず振り返ると、腕組みをして、タバコをくわえた男が立っているのが目に入った。星間警察のモルグ警部である。 「何か情報が……?」 「いや、あちこちの村に捜査官を派遣したが、フェリオらしい少年を見かけたと言う情報はなかった」 「そう……。私もスパイ衛星を使って調べたのだけれど……」 「見つからなかったか……」 「スパイ衛星も、惑星全てを把握できるわけではないから……。もしかしたら、もっと奥地に連れ去られたのかも知れない……。衛星を少しずつ奥地へ動かしてみるわ」 「そうか……、オレもできるだけ情報を集めてみたんだが……。どうやら、木星麻薬の栽培地が西の方角にある可能性が出てきた」 「西? それって、デュオ人たちが畏れて近づかない神の山が在る方角ね」 「そうだ、かつて神都が在ったとデュオ人たちが畏怖している所だ。それに、匿名のメールが星間警察に送られてきた。“少年はカルディア山にいる”と」 「怪しいわ。一帯何者?もしかしたら罠かも知れないわね。でも、デュオ人たちが畏れて近づかない所なら、秘密の花園を造るにはもってこいの場所とも言えるし……」 「とにかく調べてみる必要があるな」 「ええ。すぐに衛星をそちらに向けてみるわ」 言うなり、キヨネはマウスを回転させる。すると、モニタの画像が高速で移動し始めた。クルクルとビデオの早送りのように風景が流れて行く。やがて深い森に囲まれた山が姿を現わした。これがカルディア山である。周囲を取り囲む緑の森林とは対照的に赤い岩肌の露出し、草木の一本も生えてはいない岩山だ。 「こいつはなんとも殺風景な山だなあ。草どころか、苔も生えてはいねえんじゃあねえか? こんな山にゃあ、鳥も獣も棲んじゃあいねえだろうなあ……」 キヨネは黙ったままモニタを見つめている。少しずつズームし、何か動く物はないかと目を凝らした。しかし、荒涼とした岩棚が続くばかりである。やはり、ここではないのかも知れないとおもい始めていた。失望を露わにして画面から視線を引き離そうとした。が、何かが引っかかって視線を戻す。荒い岩肌に何か筋のような物があるのだ。一体何だろうか? モニタをズームして詳しく見ようとした。数本の筋が入り混じって見える。 「ほう、これは轍(わだち)の痕だな。こんな奥深くに何者が車で乗り込んだんだ?」 「それに、こんな所に何の用があったのかしら……?」 キヨネは轍の痕跡を追ってモニタを動かして行った。カルディア山の頂上へ伸びて行き、中腹でプッツリと途絶えていた。 「どういうことなの?」 「周囲に何かないのか?」 「いえ特には……。やはり偶然誰かがドライブにでもやってきた痕なのかもしれないわ」 「うむ……しかし、こんな荒れ果てた山にドライブってのは酔狂過ぎるような気もするけどなあ……」 モルグは納得しかねる表情であったが、キヨネは意に介せず、モニタをカルディア山から遠ざけて行った。 幼なじみの行方不明の知らせは、まだ成人には達してはいない少女の心を暗闇にさ迷わせていた。一体何が起こったのだろう? ただ一人だけの男の子。いつだって傍にいてくれた少年が消えてしまった。どうしたらよいのだろう? 今すぐにでも捜しに行きたい。しかし、偽りの神子でも、簡単に神殿を抜け出すことはできない。もし、彼女が行方をくらましたと判れば、やっと独立した惑星デュオはどうなってしまうか……。再び強欲な地球人たちによって侵略され、以前よりも酷い状態になってしまうかも知れないのだ。ウッズマンに唆され、善神アルディオンの声を聞いたと人々を騙し、神子となり、デュオ女王となったことは後悔しない。それで、愛するデュオの人たちが救われたのだから。でも、フェリオは……。大好きだった幼なじみを失った悲しみは少女の心を際限もなく苦しめていた。そして、今回の行方不明…… 「フェリオ、フェリオ、フェリオ……どうか無事でいて……」 ライヤは必死で神に祈った。神の怒りも恐れず、善神アルディオンの神子と神をも偽った身ではあったが、許しを乞い、懸命に幼なじみの無事を祈らずにはいられなかった。 「善神アルディオン、どうかフェリオが無事でありますように……」 両手を遭わせ、祈る。もしも、フェリオが助かるのならば、自分の命はいらないとさえ思った。神の御名を汚した罪人である己は救われなくても当然かも知れない。しかし、彼は何も罪を犯してはいない。純真で勇敢な少年なのだ。死なせてはならない、大切な少年であった。 「神子様、いかがなされた? そのような暗い顔をなされては人々が不安に思いますぞ」 「アスラン!」 不意に扉が開き、金髪の青年が室内に入ってきた。ライヤは弾かれたように振り返る。デュオ駐在大使ウッズマンであった。虐げられたデュオ人たちを救ってくれた恩人。普通の少女であったライヤを神子に仕立て上げ、惑星を独立させた蔭の首謀者。そして、独立後のデュオを支え、次々と政策を実行し、若い政府を他惑星から守護してくれていた。ただ一人の理解者なのだ。 「フェリオの行方は判りました?」 「いや、八方手を尽くしてはおりますが、まるで手がかりがなくて……」 「……そうですか……」 僅かな期待は見事にうち砕かれてしまった。ライヤは辛そうに視線を落とす。やはりフェリオは、もうこの世にはいないのだろうか? 彼の元気な笑顔を見ることは二度とできないのだろうか? 悲しみに打ちひしがれラいやはフラリとよろめいた。 「神子様、しっかり!」 倒れそうになる細い身体を青年大使の腕が支える。ジッと見つめる碧眼が妖しく光っている。ライヤはいつも、この目に見つめられると何もかも忘れて胸に飛び込んでしまう。動悸が早くなり、顔が上気してくるのだ。もしかしたら悪人かも知れないと思うことがあるのだが、美しい碧眼に見つめられ、身も心も溶かされてしまうのだった。 「神子様、ご心配は無用です。必ず、あの少年を見つけてさし上げます。きっと、ご無事で……」 「ああっ、アスラン! 私、私どうしたらいいのか……。もしもフェリオに何かあったら……」 「神子様、ライヤ様、心配は要りません。私がおります。いつも私がお側におります。だから、何も心配は要りません」 「アスラン、私を見捨てないで。あなただけは、何処にも行かないで!」 「何処にも行きませんとも。可愛いお姫様」 しがみついてくる少女の身体をウッズマンは強く抱きしめる。もう彼女は彼無しには生きられない。すっかり身も心も虜であった。胸に顔を埋めてすすり泣く少女を抱きしめ、口元に冷たい笑みを浮かべた。
第六章 消えたフェリオ! ---了---
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もうあの娘は完全な操り人形だ。右を向けと命令すれば、ただちに右を向く。左を向けと命じれば、何の疑いもなく左を向く。決して逆らわないロボットも同じだ。ライヤの居室から出たデュオ駐在大使、アスラン・ウッズマンを廊下の影からジッとドルトイは苦悶に満ちた視線で見つめていた。美麗の青年総督は冷笑を浮かべている。何もかもが彼の思い通りに進んでいた。惑星デュオを、善神アルディオンの神子の名を利用して独立させた。そして、銀河連邦からの全ての束縛から解放し、邪魔な地球人を惑星外へ追放した。これで惑星内で何が起ころうと、連邦の干渉を受ける心配はなくなった。全ては彼の思い通りに動かせるのだ。少女王には何も判らない。聞かせたい情報だけを聞かせ、デュオが素晴らしい惑星に変わって行くと信じさせておけばよいのだ。 「閣下」 不意に、何者かの声が廊下に漏れ聞こえる。金髪の美青年は足を止めて、目を細めた。 「楽園の状況は?」 「全て順調で」 「では、次の作戦に入れ」 「はっ、武器の確保ですな。銀河連邦に軍備で対抗するための……」 「余計なことは言う必要はない! お前は私の指示したことを遂行するだけでよい!」 「はっ! これは余計なことを申しました……」 低いが、鋭い叱咤に、声が竦み上がる。沈黙が廊下を支配し、冷気が空気を重く沈殿させた。 「もうよいわ! 行け!」 「はっ……」 返事が返ってきた。だが、行く気配はしない。青年大使は眉を顰め壁をにらむ。 「まだ何かあるのか?」 「はっ。例の銀河パトロールの女が少年を探しているようで……」 「キヨネが少年を捜している?」 「はい、ご命令で楽園に送り込んだ少年でございます。あの神子の幼なじみとかいう……」 「……あの少年か……」 「どういたしましょう?」 「監視人のガルスに始末するように命じろ。これはアルディオンの神子の命令だ」 「承知。では、参ります」 声が消えるか消えない間に、廊下に潜んでいた気配が消える。ウッズマンは長いまつげに縁取られた碧眼を伏せた。形のよい唇からはアルカイックな笑みが浮かんでいる。何処から流れてくるのか、一陣の風が金の神をソヨいでいた。 「何者?!」 鋭い視線が廊下の隅々を見渡す。だが、誰も動く気配はない。気のせいだったのかと視線を動かそうとした瞼がピクリと揺れた。 「アスラン様……」 苦しげな瞳をした副官が姿を現す。 「ドルトイか」 ふっとウッズマンの表情から緊張が消えた。そして、浮かぶのは嘲弄の笑み。しかし、副官の顔から咎めるような表情は消えない。苦悩と、後回と、主を批難する無言の抗議がある。 「ジュリア様を愛されていた頃のアスラン様は何処に行かれたのですか……」 「ドルトイ、私は私だ。あの頃とちっとも変わってはいないつもりだよ」 ウッズマンは、フッと笑みを浮かべ、右手で煩げに黄金の髪をはらう。そして、コツコツと軍靴を鳴らしながら去って行く。角を曲がり、靴音も聞こえなくなった廊下には、再び静寂が訪れていた。ドルトイは、そんな主を寂しげに見つめ、やがて反対の方向へと去って行った。 「ほーっ!」 誰もいないはずの廊下に、小さな吐息が聞こえた。やがて柱の陰から現れる女の姿。青い髪、赤い瞳の中年のデュオ人、侍女長、マームであった。彼女は最近覚えた地球の酒を廊下でコッソリと飲んでいたのだが、ウッズマンが近づいてくるのを見て、慌てて柱の陰に隠れたのだが……。偶然、今の会話を聞いてしまったのだった。純朴なデュオ人の女であるマームには、話の内容が今一つ理解できてはいなかった。しかし、一つだけ判ることがある。 「神子様が死ぬほど心配されておられた少年はウッズマン様が……? そんな……まさかそんなこと信じられない……」 侍女長の顔は青ざめ、手足は驚愕に震えていた。もう、先ほど飲んだ酒の酔いはすっかり覚めている。いや、酔いどころではない。救世主だと信じていたウッズマンが、何かとんでもない陰謀を企んでいるらしいのだ。 「はっ、早く神子様にお知らせしなくては……」 マームは震える足を励まし、廊下を走ろうとする。がその時、何者かの黒い影が目の前に立ちはだかった。思わず身構えて、相手を確かめる。潰れたような平べったい顔だが、目が異様に大きな不気味な顔。一言で説明すれば、ヒキガエルのような顔をした男であった。 「あっ、あんたは……?」 引き攣った表情で相手をにらみつける。 「女、今の話を聞いていたな?」 「ひっ?!」 それは先ほど、ウッズマンと会話を交わしていたのと同じ声。マームは咄嗟に逃げようと踵を返す。同時に何か紐のような物が首に巻きついてきた。それは粘つくナメクジの触覚の如き不気味な感触であった。懸命に剥がそうともがきながら、視線をカエル男に向ける。 「ひーっ?!」 締め付けられ、潰された咽喉から、笛のような悲鳴が漏れた。今、首に巻きついている紐の先にはカエル男の大きな口があった。濡れた革紐だと思っていたのは舌。カエル男の長く伸びた舌であった。相手は本当に人間なのだろうか? いや、このようなことができる者など、人間であるはずがない。逃げなくては! マームは死にもの狂いで舌をモギ離そうと暴れた。しかし、長舌は離れるどころか、益々締め付ける力を増してくる。メキメキという咽喉が潰れる音が聞こえ、せき止められた血管が膨張し、顔面が真っ赤に染まって行った。 「神子様に真実を伝えなくては……」 マームの意識はそれっきり途絶えてしまう。ガックリと落ちる頭、力の抜けた膝が落ち、身体が前のめりに床に倒れた。 「くっくっくっくっくっ……」 動かなくなった侍女の躯を見下ろし、カエル男が嘲笑する。長く伸びた舌を口中に戻し、残った先端で唇を舐めた。 重く肩に食い込むロープ。足を一歩踏み出すごとに、ゴトンと貨車の車輪が回る。また一つ足を動かすと、ゴトゴトと貨車は引かれて行った。塵埃の舞う中、鉱山から切り出された岩石を運ぶ少年の身体は、乾いた汗の痕に貼りついた塵で覆われていた。 ガタッ! と、ゴツゴツとした地面から突出している岩に車輪が乗り上げ、貨車が大きく揺らいだ。 「あああっ!」 慌てて倒れそうになる貨車を支える。バラバラと積まれていた鉱石が落ちて行った。拾わなくては! 腰を屈め、手を伸ばす。と、その時、バシッ! と鋭い痛みが肩を襲った。 「うわーっ!」 鞭だ。あおられ、倒れる。 「サボるんじゃあねえ!」 怒声が飛び、少年の頭を靴が押さえ込む。グリグリと踵が捻じ込まれ、顔が泥の中に埋まった。息ができず、手足をバタつかせると、やっと解放される。口の中に入り込んだ泥をゲーゲーと吐き出した。監視の男は、鞭の柄で己のボサボサの青い髪をゴリゴリと掻いている。同じデュオ人にも容赦しない監視人、ガルスだった。 「小僧、子供だと思って甘えるんじゃねえぞ! ここでは、大人も子供もねえ。働かねえ野郎は容赦はしねえ! とっとと運びやがれ!」 鞭で頬をしたたか打つと、監視の男は腰に手を当ててにらんだ。フェリオはそんな男を無視し、貨車のロープを拾おうとした。だが、そんな反抗的な行動が逆鱗に振れる。またも襲ってくる鞭。 「小僧、ナメルなよ! 貴様の一人ぐらい死んだってかまわねえんだからな!」 倒れた少年の顔も腹もお構いなく、踵が襲う。フェリオは身体を丸め、ひたすら耐えていた。地獄だ。こんな地獄がいつまで続くのだろう。不思議なぐらい頭の中は冷静だった。冷めた思考がいつ果てることない折檻の痛みを忘れさせてくれる。 「ガルス、もう止めないか! それ以上やると、そいつは死んじまう。後が面倒だ、いい加減にしろ」 「監視長……」 振り返ったガルスの視線が大男を捕らえる。監視長のダンである。腕組みをし、厳しい表情で部下を見つめていた。 「ちっ……」 ガルスは忌々しげに舌打ちをすると、未練がましく少年の顔面を蹴り飛ばす。そして、ブツブツと口の中でつぶやきながら立ち去って行った。フェリオは唇をギュッと噛むと、黙って立ち上がる。そして、再びロープを担いで、貨車を引き始めた。重い貨車はノロノロと少年の後ろをついてくる。ロープを持つ手も、支える肩も、とっくにマメは破れ血が滲んでいた。だが、痛みはもう麻痺してしまい、何も感じない。ただ、全身を襲ってくる絶望的な疲労だけがあった。惑星が独立して、こんな鉱山はなくなったと思われているが、実はいまだに残されていた。この事実を皆に知らせなくては。デュオはウッズマンの後ろ立てで独立解放されたのは、表面だけだったと言うことを、ライヤに知らせなくては。そして、汚らしい地球人の悪巧みから、幼なじみを救うまでは、絶対に生きていなくてはならない。それだけを思い、過酷な労働にも耐えていたのであった。 朝早くから夜遅くまで牛馬のようにこき使われ、身体は疲労しきっていた。だが、やらなくてはならないという執念が少年を生かし続けていた。だが、思いとは裏腹に、足取りは重い。何ヶ月にも及ぶ過酷な労働は少年の肉体と精神をぼろ雑巾のように疲れさせていた。ともすれば投げやりになり、安らかなる死を望みさえする。しかし、ただ一つだけの心残りが彼をこの世に引きとめていた。愛しい幼なじみを悪魔の手から救いたい。なんとしても、あの美しい金髪の悪魔からライヤを救い出してやりたかった。騙されているとも知らず、利用されている少女。知らず知らずに悪魔の手助けをさせられている恋人を正気に戻し、元の優しい少女に返してやらなくてはならない。それができるのは自分だけだと信じている。だれも、彼女の苦しみは理解できない。小さい頃から一緒に育った自分だけが彼女の苦しみを取り除いてやれるのだ。 時折負けそうになる自分自身を励ましながら、フェリオは貨車を引く手に力を込めた。トンネルの坂道を登って行くと、不意に広い場所に出る。地面も平坦に変わっていた。フェリオはホッとため息をつく。そして、ロープを引く手から力を抜いた。貨車の背後に回ると、今度は押し始める。平坦なところい出ると、作業はグッと楽になった。フェリオは身体の疲れを少しだけ忘れることができる。 「フェリオ、大変だったなあ」 後ろから貨車を引いてきた男が耳元でささやいた。青い髪のほとんどが白くなっている七十ぐらいの老人だ。 「ドルベ爺さん、見てたのか?」 「ああ、オレはすぐ後ろにいたからな。ったく、ガルスの野郎、同じデュオ人のくせに、地球人の犬に成り下がりおって……恥知らずが! だが、今にみているがいい。すぐに……」 「シッ、見てるよ」 「ふ、構うもんか。犬野郎なんぞ怖くはねえ! 威張っていられるのも今の間だけだ。もう少しの辛抱だ。フェリオ、後少しだ。だから、今は我慢しろ」 老人は吐き捨てるように言ったが、口を閉ざし、己の貨車を押し始めた。フェリオも黙って貨車を押し続ける。やがて、コンベアの前までくると、ガラガラと鉱石を引っくり返した。そして、空になった貨車を引いて、地下へと降りて行く。この作業を一日中、何度も繰り返しているのだ。手足は棒のように疲れ、頭は、ひたすら夜になって休める時を待ち続けていた。 最後の鉱石をコンベアにぶち撒くと、フェリオは額の汗を腕で拭った。腕も顔も塵にマミレ、どす黒い模様が顔に形成された。だが、そんな少年の顔を嘲笑する者など一人もいない。そこで働かされている者たち、全ての顔は同じような模様ができあがっているからである。貨車を納屋に収めると、フェリオはノロノロとした足取りで寝床へと足を向ける。もう食事も何も欲しいとは感じなかった。ただひたすら眠りたい。引きずるように足を一、二歩進めた。が不意に、何者かの手がそれを止める。ハッと身構え、振り返った。そこには白髪混じりの老人、ドルベが笑みを浮かべて立っていた。 「フェリオ、そのまま眠る気か? 無理にでも食事をせんと、明日はもっと辛くなるぞ。それに、塵垢をちゃんと落としておかんと、皮膚呼吸ができなくなってしまうぞ。さあ、シャワールームへ行こう」 「いいよ、放っておいてくれ。もうどうだっていいんだ……。もう疲れちゃったんだよ。爺ちゃん、眠らせてくれよ」 「だめだ! しっかりしろ! フェリオ、大切な幼なじみを助けるんじゃなかったのか? 地球人に騙されている恋人を助けるって言っていただろう? 恋人を助けるためには、絶対に死なないって言っていたのは嘘か?」 老人に諭され、フェリオは渋々とうなずいた。そして、ノロノロとシャワールームへ歩き出す。が不意に足を止め、顔を上げた。表情は引き締まり、拳に力がこもる。ドルベの目もピクリと吊り上がっていた。昼間、フェリオを鞭打った、監視人のガルスである。 「ヘッヘ、爺さん、えらく坊やを可愛がっているじゃねえか? お稚児さんにでもする気かよ?!」 手に持っている鞭を弄びながら野卑な笑みを浮かべている。フェリオは言葉の意味を理解していないのかポカンとしていた。 「なっ?!」 老人が絶句して男をにらみつける。しかし、平然と無視すると、少年の顎を鞭の柄で持ち上げた。 「売国奴……」 フェリオは男の手を払いのけると、吐き捨てるように叫んだ。だが、その言葉が終わらない間に、鞭が少年の肩を襲った。歯を食いしばり痛みをこらえる少年。目は爛々と憎しみに燃えていた。 「ふふ、オレが憎いか? 憎いだろう? 憎め、憎め! だが、オレ様にご命令されておられるのは、善神アルディオンの神子様だ。恨むなら、神子様を恨めよ。お前をこの楽園に投獄するように命じ、人一倍苦しめてやるように命じられたのは全て神子様だ。お前はアルディオンの神子様に疎まれているのだ」 「嘘だ! ライヤがそんなことを命令するはずがない!」 思わず叫んでいた。しかし、その言葉が終わらない間に鞭が少年を襲う。 「うわーっ!」 フェリオは床に倒れた。起きあがろうとする顔面に踵が容赦なくねじ込まれてくる。再び踏みつけようとしたガルスの目が近づいてくる監視長の巨躯を捕らえた。と、監視人は舌打ちをすると、足を引っ込める。が、その姿が曲がり角で消えると、ニッと笑みを浮かべた。 「神子様を呼び捨てにするな! ライヤ様は我々デュオ人の救いの主だ。お前ごとき汚い小僧が呼び捨てにできるようなお方ではない!」 ガルスは、もう一度少年を蹴り飛ばすと、笑いながら去って行った。 「フェリオ、大丈夫か? くそっガルスの野郎、ひでえことしやがる……。それに、アルディオンの神子様だって? なんだって、神子様がフェリオみたいな子供を……? 口からでまかせを言いやがって。なあ、フェリオ、アルディオンの神子様なんて、お前のような子供の存在なんか知っているはずないのによ」 ドルベ爺は監視人の後ろ姿に向かって毒づく。そして、傷ついた少年を助け起こそうとした。しかし、フェリオは口惜しげに唇を噛んで起きあがろうとはしなかった。 「どうした?」 「畜生! ライヤがそんなこと命令するはずなんかあるものか……」 口惜しさに思わず涙がこぼれおちそうになって顔を背けた。 「フェリオ……まさか、助けたいって言っていた幼なじみってのはライヤ女王なのか? アルディオンの神子様の……?」 老人が人目をはばかりながら小声で尋ねた。フェリオは沈黙したまま答えない。だが、ドルベは何かを察したのか黙ってうなずいていた。 マームは一体どうしたのだろう? いつも呼べばすぐにきてくれていたのに、ここ数日、姿が見えないのである。何か用事を頼もうと思って呼ぶのだが、別の者が出てくるだけであった。今も、飲み物を欲しくて呼んでみたのだが、やってきたのはマームよりもずっと若い娘であった。名をミーシャという。年はライヤよりも幼く見える。彼女はオズオズと恐れるように飲み物を差し出した。 「ミーシャ、またあなたなの? マームはどうしたの? どうしてマームは姿を見せないの?」 ライヤは差し出された飲み物には手も出さず、幼い少女に尋ねた。だが答えは返ってこない。ただ困り果てたという表情が返ってくるだけであった。 「ミーシャ、答えなさい。アルディオンの神子、ライヤが命じます。マームはどうしたの?」 「みっ……神子様……」 堪りかねたライヤが鋭く詰問する。彼女が知らないはずはない。きっと何かを知っているはずだ。ライヤは幼い少女の様子を見て直感した。何かを知って隠している。ミーシャだけではない。他の侍女たちも、小姓たちも彼女に何かを隠している。それが何か判らないだけに余計に気になってくる。特に、マームの消息を尋ねた時の彼らの当惑した表情がおかしいのだ。 「ミーシャ、答えなさい! さもなくば、善神アルディオンの炎の矢があなたの頭上に落ちてきますよ」 「ひーっ! 神子様、ど・どうかお許しを……」 少女は青ざめて立ち尽くす。それ程アルディオンの神子の言葉は厳しいものであった。 「ミーシャ!」 「もっ、申しわけありません神子様。マームさんは……行方不明なのです。上の方々は、マームさんは実家に帰ったとおっしゃるのですが……。マームさん、実は両親も姉弟もいない人なのです。だから……もしかして……誰かに……。行方不明になった直後、血の付いたマームさんの腕輪が中庭で見つかって……。だから……」 「ミーシャ……それってまさか……マームが……殺されたかも知れないってこと?」 「はっ、はい! あっ、でも 、死体は見つかってないから……もしかしたら、誘拐かも……。いっ、いえ……その……ただちょっと怪我をしてるだけで……本当は恋人とかけ落ちしたのかも知れないけれど……。そっ、そうですは、きっとマームさんはかけ落ちしたんです。そうに違いありません。ご心配なされなくても……」 ミーシャは言葉を詰まらせた。懸命に安心させようと言葉をつむいでいたのだが、敬愛するアルディオンの神子の表情が暗く陰鬱になっていることを見て取ったからである。マームは生真面目な侍女であった。恋人がいたという噂もない。偶然に怪我をしただけであるなら、血の付着した腕輪を中庭に放り出して行くはずなどない……。何かの事件が起こったに間違いはない。かけ落ちしたのかも知れないなんて誰も信じてはいないのだ。 「もう……もういいわ……。行ってちょうだい。私は疲れました。一人にしてください」 「神子様……」 「出て行って! お願い、私を一人にして!」 「はっ、はい!」 もう何が何だか判らない。神子に仕立て上げられて以来ずっと傍で世話をしてくれていたマームが行方不明になってしまったのだ。どうして? 本当に何かあったのではないだろうか? 心配で心配で……。思わず大声で叫んでいた。彼女が悪いわけではない。しかし、今は顔も見たくはなかった。ミーシャも、他の侍女たちも小姓の少年たちにも顔を見られたくはなかった。マーム、優しい母のような女であった。様々な不安を聞いてくれ、慰めてくれた女性。それが急に行方不明に……。どうして? 何かの事件に巻き込まれてしまったのだろうか? もしかしたらもう、死んでしまったの? 違う! 違う!あの優しい侍女が死ぬなんて考えたくない。きっと、かけ落ちしたのだ。誰か良い人ができて、二人で逃げ出したんだ。そう、それに違いない。それしかないではないか……、それしか…… 皆、行ってしまう。自分の愛した人は皆離れて行ってしまう。どうしようもない空虚な悲しみがまだ大人にはなり切っていない少女の心を苦しめていた。誰よりも大切だと思っていた幼なじみも、アルディオンの神子に祭り上げられた孤独な寂しさを慰めてくれていた侍女も何も語らず去ってしまった。もう誰も自分を解ってくれる人はいない。ただ神子としてだけの重圧が残されているだけである。いや、その神子と言う名すら砂で作られた城のようなもの。ただの幻なのだ。善神アルディオンの掲示など受けてはいない。ただ金髪の青年総督、いまは連邦大使であるウッズマンにそそのかされただけなのだ。 惑星に住む人間全体の運命を無理矢理任された苦しみを理解してくれる者は誰もいない。いっそうのこと、神殿から逃げ出してしまいたかった。何もかも捨てて昔のようなただの娘に戻りたかった。しかし、それはできない。消えてしまえば、再びデュオは地球人に乗っ取られてしまうかも知れないのだ。デュオ人のために尽力してくれるウッズマンにも申し訳が立たない。それよりも、あの美しい青年から離れることができないのだ。美しく輝く金色の髪、深い湖を思わせる碧眼を思い出すと、頬が火照り、鼓動が早まってくる。あの青年だけは裏切ることができない。何もかも捨ててデュオのために尽くしてくれる男をどうしても裏切ることができないのだ。 「ああっ、マーム! 何処にいるの? フェリオはどうしているの? どうして二人共、私から離れて行ったの……」 神殿ができあがるまでの仮宮の生活は、息苦しく少女を痛めつけた。常に誰かが見つめている。ホッとため息をつくことすらできない緊張した日々であった。一瞬も気を抜くことは許されない。人々の希望であるアルディオンの神子には気を許し、居眠りをすることすら許されないのだ。そんな心の苦しみを誰かに語りたい。しかし、迂闊には他人には話せないところへ自分はきてしまったのだ。もしも、「疲れた」と一言いえば、直ちに医師団が呼ばれ、大げさな検査を受けさせられ、一日中ベッドに押し込められてしまうだろう。 「退屈だ」 とつぶやけば、何人もの芸人が呼ばれ、何日でも珍しい芸を疲労してくれるに違いなかった。しかし、望んでいるのは、そんな表面だけの慰めではない。心を許し、安心できる友達が欲しいだけなのだ。贅沢なドレスも典雅な装飾品もいらない。ただしっかりと抱きとめてくれる胸が欲しいだけなのだ。確かに、ウッズマンは優しくしてくれる。優雅な礼で迎えてくれ、壊れやすいガラス細工を扱うように抱擁もしてくれる。だが、心が感じられない。何処か冷え冷えとしたものを、彼の言葉の端々、華麗な仕草の中に感じてしまうのだ。だが、そんな冷たさ故に益々惹かれてしまう。彼の心を完全に自分のものにしたくて、堪らなくなってしまう。苦しくて、苦しくて、苦しくて……。彼がいないと思うだけで涙が出そうに辛くなってしまう。フェリオやマームのことを思い出してしまうのも、今ここにウッズマンがいないせいなのかも知れない。彼さえ傍にいてくれたら…… 「ライヤ、何を考えている?」 深い思索の泉の底に意識を沈めていた、ライヤは我に変える。そして、パッと明るい笑顔を向けた。そこには美しい金髪碧眼の青年が立っていた。連邦大使、アスラン・ウッズマンだ。 「ウッズマン! 一週間も何をしていたの? 私を一人ぼっちにして……」 泣くまいと唇を噛み締める。しかし、その努力は無駄に終わる。愛しい男の顔を見た途端、両眼から涙が零れ落ちてしまった。青年は唇の端に笑みを浮かべ、優しく肩を抱く。ああっ、やっぱり愛おしい…… 「おやおや、どうなされましたお姫様? せっかくの可愛らしいお顔が涙でグシャグシャですよ」 青年大使は、苦笑しながら少女の涙を拭ってやった。しかし、いったん流れ出した涙は次々と溢れ出してくる。 「はてさて困った泣き虫のお姫様だ。どうか泣きやんでくださいまし。哀れな下僕(しもべ) が困っておりまする」 と、おどけたように笑みを浮かべるウッズマン。それを見て、不意に怒りの感情が爆発した。 「なっ、何よ、私がこんなに寂しい思いをしていたというのに、笑うなんて酷い! 酷すぎる! 一体何処で何をしていたのよ! 私を放り出して、地球の女とデートでもしていたの? それとも、デュオ人? 一体私がどんな気持ちで待っていたと思うの? こんな神殿の奥で、何も知らされず、何を聞いても誰も答えてくれない。寂しくて、寂しくて、寂しくて……。なのに、あなたはいてくれない……」 怒りが次から次へとこみ上げてくる。一体自分が何を叫んでいるのか理解せず、ただ怒りの奔流に任せた。 「これは意外なことを言われる。私がこんなに可愛らしいお姫様を何の理由もなく一人ぼっちにしていると思われるのか?」 ウッズマンは唇を引き締め、僅かに不快そうに眉を顰めて見せた。そして、少女王の身体を冷たく突き放す。 「ウッズマン……?」 思わずギクリとして相手の顔を見る。美しい碧眼が愁いをたたえたように暗く沈んでいた。もしかしたら怒らせてしまった? 「私は、八方手を尽くして少年を捜しておったのですよ」 「少年を捜しにって……?」 「そうですよ、ライヤ様の幼なじみが行方不明になったとご心痛の様子だったので、私は部下に命じて惑星全土を探させていたのです。部下たちだけでは心許ないと、私自身も近隣の村々まで捜索に出かけていたというのに……。そのように叱られるとは……。まことに残念です」 長いまつげに縁取られた瞼を伏せ、唇を口惜しげに震わせて、青年大使はライヤに背を向ける。そして、出て行こうとでもするように足を一歩踏み出した。 「待って、アスラン! 私が悪かったわ。だから行かないで!」 ギュッとウッズマンの腕を掴み、縋るような眼差しで見上げた。やっときてくれた愛しい青年、怒らせたまま行かせたくはなかった。もし、このまま行かせてしまえば、二度と戻ってこないかも知れない。そんな恐怖が少女を必死にさせていた。 「ごめんなさい、アスラン。私どうかしてたわ……。だってあなたは、何も教えてくれなかったんですもの……。私、あなたに見捨てられてしまったのかと悲しくて、寂しくて、一人でいるのが凄く辛くて……」 「ライヤ女王……」 力強くしがみついてくる少女の身体を優しく受け止め、流れる青い髪を指で軽く愛撫してやる。もうすっかり身も心も虜になってしまっている幼い少女を弄ぶのは心地よい快感を呼び起こす。自然、形の良い唇に酷薄な笑みが浮かんできた。何も知らない少女は、青年大使の胸に顔を埋め、すすり泣いている。 「姫様、どうか涙をお拭きください。せっかくの可愛らしいお顔がだいなしです」 ウッズマンは洗練された動きでハンカチをそっとライヤの目頭に当てる。溢れでる透明な滴が柔らかなシルクで造られた布に吸い込まれた。ジッと上目遣いに見上げてくる紅の瞳は百万もの言葉よりも多くを語っている。恋している。まだ熟してはいない少女は、美しい黄金の髪を持つ、碧眼の青年に身も心も溶かされてしまっていたのであった。 光も射さない地下深く、牢獄のような狭い薄汚い部屋がいくつも並んでいる。いや、それは正に牢獄であった。各部屋のドアは外から頑丈な鍵で封印され、中の者は決して自らの意志で外に出ることは許されない。おまけに、廊下の出入り口には、武器を腰に吊した屈強な男が見張りをしていた。各部屋の中には、五から六人のデュオ人が眠っている。皆、昼間の過酷な鉱山の労役で身も心も疲れ果て、死んだように眠っていた。そんな牢獄のような部屋の一つだけは他とは異なり、住人はたった一人しかいなかった。殺風景な何も無い部屋の片隅には空のベッドがポツンと置かれている。布団には人が眠った形跡すら見えなかった。この部屋の住人は何処に? 視線をもう一方の隅に移すと、暗闇の中に何かが蹲っていた。獣ではない。膝を抱えた、青い髪の人間、デュオ人の少年であった。 「ライヤ……」 両膝に顔を埋めていた少年の唇が小さなつぶやきを漏らした。どんなに惨い仕打ちを受けてもギュッと唇を噛みしめ、涙一つ見せなかったフェリオだった。いつかは逃げだし、悪者に騙されている幼なじみを助ける。それだけが心の支えだった。どんなに過酷な使役も耐えるつもりだった。いくら殴られても、蹴られ踏みにじられても、決して諦めるつもりはなかった。それなのに……。彼が幼い時から思い続けた少女は…… 「ふふ、オレが憎いか? 憎いだろう? 憎め、憎め! だが、オレ様にご命令されておられるのは、善神アルディオンの神子様だ。恨むなら、神子様を恨めよ。お前をこの楽園に投獄するように命じ、人一倍苦しめてやるように命じられたのは全て神子様だ。お前はアルディオンの神子様に疎まれているのだ」 なんてことなのだろう……。こともあろうか、彼をこんな苦境に陥れたのは、その愛しい幼なじみだったのだ。必死に助けたいと願った少女は、彼を疎み、こんな地獄へ落とした張本人だったのだ。信じられない。信じたくはない。しかし、全くの他人である鉱山の役人、ガルスがそう言ったのだ。口から出任せとは思えない。それに、フェリオがライヤと幼なじみだと言うことも知らない男の口からそんな言葉が出るのは、やはり何らかの命令がアルディオンの神子から出ている証拠だとしか思えない。では一体、自分は何のために懸命に頑張っていたのか……? 裏切られた悲しみと、愛おしい少女を失った思いが、少年の両眼から溢れ出した。透明な滴は頬を伝い、膝を濡らす。もう涙を我慢する必要はない。もう何も耐える必要もない……。 「はっ?」 不意に、フェリオの背にしている壁が音を立てた。ハッとして顔を上げる。が、もう音はしない。気のせいだったのだろうか? フェリオはグスッと鼻を鳴らすと、腕で乱暴に涙を拭おうとした。その時、 再び音がした。思い過ごしではない。確かに壁が音を立てたのだ。一体誰が……? 気味悪げに壁を見つめる。と、壁を造っていた石のブロックの一つがゴトゴトと動き出した。と、見る間にドンドンせり出してくる。 そして、ついにブロックがこちらの床の上に転がった。フェリオは立ち上がり、用心深く身構える。 「フェリオ……フェリオ……」 小さなつぶやきが穴の向こう側から漏れる。聞いたことのある声。 「ドルベ爺さん?」 「しっ! 大きな声をだすんじゃない! 他の奴らに聞かれちまう」 それは紛れもなくドルベの声であった。穴を覗き込むと、見慣れた老人の顔が闇の中に浮かび上がって見えた。 「へっへっ! やっと動かせる石を見つけたぜ。ずっと一つずつ動かして調べていたんだ。フェリオと重要な話をしたくてな」 「重要な話し?」 「おうさ、凄く重要な話しだ。どうだ、ここから脱走しねえか?」 「だっ……脱走……?」 思わず大声を出そうとして、慌てて口を押さえ、小声で問い直す。壁の向こうの老人はニヤリと笑みを浮かべてうなずいた。 「おいっ、フェリオ! 何をしている?」 突如、背後のトビラが開き、大声が轟く。ギョッと振り返った目に飛び込んできたのは、張り番の大男、ガルスの姿であった。フェリオは慌てて壁の穴を身体で隠すように立ち上がった。 「なっ、何しにきたんだ? 今は仕事の時間じゃない。眠る時間だ。いくら囚人でも、眠る権利ぐらいあるはずだ!」 憎しみのこもった瞳でにらみつける。だが、相手はそんな少年の怒りなど歯牙にもかけず近づいてきた。 「ふふん、なかなか可愛いことを言ってくれるじゃねえか?」 言葉が終わらない間に、男の平手が少年の頬を打つ。 「トンク(豚)野郎!」 毒づくフェリオの鳩尾に膝が突き刺さった。思わずくの字になるが、その顎に反対側の膝が食い込んだ。反動で仰け反った後頭部が壁にぶち当たり、痺れるような痛みが全身を貫いた。 「おとなしくしていろ。そうしたら、優しくしてやるからな」 下卑な笑みを浮かべた男の手が少年の上にのしかかってくる。 「一体なにを……?」 「へっへっ、ここには女はいねえからなあ……」 「えっ?」 意味が分からず呆然と相手を見つめる。が、粗野な男が己の下半身を剥き出しにしようとしたところで意図を察し、凝然となった。 「やめろーっ! この外道!」 激しい恐怖が少年に意外な力を与えた。のしかかってこようとする男の巨体を突き飛ばし、立ち上がる。 「このガキーッ!」 したたか打ちつけた腰をさすりながらガルスが起きあがってくる。フェリオは開いたままになっているドアに駆け出した。だが、太い腕がそれを阻む。襟首を掴まれ、宙吊りになる。ジタバタもがくが所詮はか細い少年の抵抗。引き寄せられ、羽交い絞めに捕らえられてしまった。男ばかりの鉱山で、か細い少女のような少年は、ガルスのような性をもてあましている男にとって格好の餌食だった。いじめ抜き、弱ったところで襲いかかる。フェリオをたった一人で部屋に閉じ込めたのも妄執を完成させるための小ざかしい細工だった。実に最低の男である。だが、それは見事に効を奏した。見張りには好物の酒を与え、沈黙させた。他の部屋の者友は何も手出しはできない。獲物はか細い少年だし、過酷な労働を課してヘトヘトに疲れさせている。後は思い通りに少年をイタブルだけだ。下劣な欲望で上気した男の口からはハアハアと死臭に似た息が吐き出されてくる。 「止めろ、トンク(豚)野郎! この外道、地獄へ落ちろ! 離せーっ!」 フェリオは懸命にもがき、逃れようとした。だが、おぞましい男の腕に嬲られ、どうすることもできなかった。必死に足掻く少年の手が何か硬い物に触れる。何かは咄嗟にはわからなかった。しかし、夢中でソレを握り、ゲス野郎の額に打ちつけた。 「ギャーッ!」 不意打ちを食らったガルスが悲鳴を上げて仰け反る。パックリと開いた傷口からは、驚くほど大量の鮮血が噴出していた。相手が怯んだ隙に、フェリオは起き上がり、逃げ出そうとした。 「逃がすかーっ!」 が、痛みと怒りのために悪鬼のごとき面相になったガルスの手がフェリオの足首を捕らえた。 「離せ!」 フェリオは、握り締めている筒状の物をゲスな妄執男に向けた。それは無意識の行動であった。親指が筒にある突起を押したのだ。途端、迸る閃光。青白い光が空気を切り裂き、外道の顔面を貫いた。一瞬、驚愕が時間を止めたように静寂が訪れる。次に足首を捕らえていた男の手が離れた。ユックリと落ちていく男の身体からは魔法のように肩から上が消失している。フェリオが咄嗟に拾い上げたのは、かつてライヤが誘拐され、救出しようと総督府に乗り込んだ時、地球人の女が武器だと言って渡してくれたレーザー・ソードだった。見張りに見つからないようにベッドの下に隠していたものであるが、今の騒動の最中に転がり落ちたものであろう。 「こっ……殺してしまった……」 初めて人間を殺してしまった恐怖が、少年の心を硬直させてしまった。呆然と首の無い骸を見下ろし、ガタガタと振るえ出した。 「殺してしまった……。ぼくが人を……」 足腰から力が抜け、床に座り込んでしまう。なんと言う罪を犯してしまったのか……。いくら変質者から逃れるためとはいえ、相手を殺してしまうとは……。絶望的な恐怖が少年の精神を破壊しようとしていた。 「フェリオ! フェリオ! フェリオ!」 何処かで自分を呼ぶ声が……? あれは誰の声? 呆然と座り込んでいた少年の意識が急激に現実に引き戻された。 「ドルベ爺さん……?」 我に返ったフェリオが壁に開いた穴を見る。向こう側では、心配顔の老人の顔があった。 「フェリオ、凄い武器を隠していたんだなあ……」 フェリオは黙ったままうつむく。彼もレーザー・ソードがこんなに物凄い威力を秘めた武器であるとは知らなかったのだ。初めて使った結果がこれだった。一瞬にして大男の頭を消し去ってしまう恐ろしい武器。 「こんな物!」 手を振り上げ、ソードを床に叩きつけようとする。 「まっ、待て! それを壊してはいかん!」 小さいが老人の厳しい制止の命令が飛んだ。驚いて振り向くフェリオに、ドルベのズルそうな笑みが眼に写る。 「それでこの穴を大きく広げるんだ」 「えっ?」 「いいから、やれ!」 わけが判らず、少年はうなずいた。そして、ソードを握りなおし、壁に向かって放射した。眩しい閃光が迸り、音もなく壁が溶けて行く。ものの一分も経たない間に、人一人が十分通れる穴が開いてしまった。ドウベは恐る恐る溶けた壁面を指で触れて見て、以外に熱くないのを確かめると、手招きで少年を呼んだ。中に入ると、老人はニンマリと笑みを浮かべ、少年の肩をたたく。そして、ソッと指で床に掘られた穴を示した。 「こっ……これは……?」 「オレたちが脱走のために掘った穴だ」 不意に穴の中から現れた男が答えた。ドルベ老人と同質の男だ。その後ろにも何人かの男たちの顔が見えた。全て、老人と同質に収監されていた男たちだ。驚いて、ベッドを見る。確かに人が眠っているように中央が膨らんでいる。 「ふふ、アレは毛布を丸めて置いてあるだけさ。オレたちが穴掘りをしている間に、見張りに見つからないための仕掛けさ」 ドルベ老がニヤリと笑った。 「オレたちはコッソリと脱走用の通路を掘っていたんだ。見張りに気づかれないようにするのは大変だったんだぜ。何しろ膨大な土の量だ。コッソリ捨てるのも苦労したんだから……」 「グレン、余計なことは言うな。そんなことよりも、早く脱走だ。そうしないと、ガルスの死体が見つかっちまう」 「ガルスの死体? 奴は死んだのか?」 「ああ、この坊主を襲おうとして、逆に殺されたんだ。裏切り者の変体野郎には良過ぎる最後だ」 「ふん、そいつは残念だったな。オレはあの薄汚い外道をいつか徹底的にイタブッテ殺してやりたかったのに……」 「オレもだよ。だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。早く脱走だ!」 「おうっ、坊主、お前が先に行け! 穴はさっき完成したばかりだ。穴を抜ければ自由の天地だ!」 「判った」 まだガタガタ震える足に力を込め、穴の中へ飛び込もうと身構える。 「待て、貴様ら、何をしておる?」 「はっ?!」 「監視長……」 今まさに穴に飛び込もうとしたフェリオの身体が凍りつく。二メートルを越す巨漢の監視長がドアの前に立ちはだかっていたのだ。おまけに、手にはエルファン(斑竜)をも倒せるような大剣が握られていた。 「畜生!」 フェリオはレーザーソードを敵に向ける。同時に指をボタンのうえに乗せた。だが、ボタンを押そうとするよりも早く、ダンの大剣がソードをたたき落としていた。 「くそーっ!」 痺れる右手をかばいながらも、大男に躍りかかる。が、軽くいなされ、逆に腕をねじ上げられてしまった。 「殺せ! ぼくは命なんか惜しくない! 地球人の奴隷にされるぐらいなら、死んだ方がましだーっ!」 もう、何もかも絶望的であった。監視長の大剣は暴れる少年の頭上へと落ちて行く。 |