トップページみんなの広場長編小説 目次>長編小説「こちらレッキー探偵事務所」

こちらレッキー探偵事務所  文:林 克之





こちらレッキー探偵事務所・目次

第一話  名探偵の初仕事

第三話  レッキーと癒しの罠

第二話  訓練犬セナの悲劇



◆第一話 名探偵の初仕事 1◆



 テーブルの上で携帯電話が鳴った。
 ソファーでくつろいでいた林田克己は慌てて吸いかけのタバコを揉み消し、手探りで電話を取った。

「はい。林田です」
「林田探偵事務所ですよね」
 若い男の声だった。

「えっ?あっ、そうですそうです」
「お願いしたいことがあるんですが」
 林田の顔が困惑にゆがむ。

「ど、どう言うお話でしょうか」
「電話ではちょっと」
「な、なるほど。しかし、こちらもけっこう忙しいのでね。一応だいたいの内容を聞かせてもらって、それからこちらへ来てもらわないと。」
「姉を連れ戻したいんです」
「う、うちは謎解きが専門なんですよ。残念だけど、そう言うのはちょっとね。どこか他を探してください。それじゃ」
 林田は電話を切ろうとしたが、男が懸命に食い下がる。

「お願いします。あなた、柔道三段なんでしょ」
「ええ。まあ」
「それに、医学的な知識もあると、チラシに書いてありました」
「ええ、一応」
「ピッタリなんです。あなた以外に適任は見つからない」
「そ、そう言われても」
「とにかく、会ってください。いま6時だから、ええっと。9時ごろに伺います。Nマンションの305号室ですよね。」
「ちょ、ちょっと待ってください。こちらにもいろいろ都合が」
「それじゃ、9時に。ああ、私は中村と言います」
「ちょっと。ちょっと待ってください。もしもし、もしもし」
 電話は切れた。

「やれやれ」
 林田は大きなため息をつくと、ソファーに深くもたれた。そして、手探りでタバコを取ると、ライターで火をつけた。

「ま、なるようになるか。ここにくれば向こうから断るだろうよ。それより腹減ったな。晩めしにするか。なあ、レッキー」
 林田の足もとで静かにうずくまっていたまっ黒なラブラドール レドリバーが、突然元気いっぱいに立ち上がった。どうやら来客らしい。

「先生います?私です。植山です」
 壁のドアホンからはねるような若い女性の声が流れた。

「おお、まいちゃんか。カギ開いてるよ。入って入って」
 林田はソファーでタバコをふかしたまま、玄関に向かって応える。
 ドアの開く音がした。しばらくすると植山まいがスーパーの袋を両手にぶら下げてリビングに入ってきた。

「先生、夕ご飯まだでしょ。一緒に食べましょ。材料仕入れてきたから」
「お、助かるなあ。今から作ろうかなって思ってたんだ」
「どうせレンジでチンでしょ。私に任しといて。ビックリするの作るから。よ、レッキー、久しぶり。台所借りますよ」
 黒犬に右手で挨拶すると、まいは袋を下げたまま、さっさとキッチンに向かう。

「仕事の帰り?」
「ええ、私、今、日勤なんです」
 キッチンから水の流れる音が聞こえはじめる。

「相変わらず忙しい?」
「ええ。でも私、いま外科病棟なんですよ」
「へえ、外科へ廻ったの。川村のヤツは元気かい」
「相変わらず患者さんに人気ありますよ。あ、そうそう。川村先生怒ってましたよ。林田のヤツ、ぜんぜん連絡してこないって」
「お互いさまだって言っといてくれ」
 林田はソファーに深々と沈み込みながらたばコをふかす。

「川村先生、心配してますよ。先生のこと」
「心配って何が」
「だって、病院辞めてもうずいぶん経ちますもん。お金、大丈夫なんですか。ここの家賃だってけっこう高いんじゃないんですか」
「あいつ、そんなこと言ってるのか。それなら見舞いくらい持って来いって」
「だから、今日のスポンサーは川村先生」
「なるほど。ところで今日のメニューは何」
「ペペロンチーノです」
 フライパンの音をガチャガチャさせながらまいが答える。

「そりゃ旨そうだな。ワインでも飲みたいところだな」
「ちゃんと買ってありますよ」
「さすがまいちゃん。怖いほど気が利くねえ。でも、今日は止めとくよ」
「えっ。体の調子でも悪いんですか」
「いや」
 林田は新しいタバコを口にくわえながらため息まじりに言った。

「9時に人が来るんだ」
「へえ、女の人ですか。私、帰りましょうか」
「残念ながら男。なんだか仕事の依頼らしい」
「ええ!」
 キッチンから皿やコップの砕け散る音が聞こえた。



 「インスタントですが、どうぞ」
 緊張して座っている中村秀樹の前に、まいがコーヒーカップを置く。

「どうも。いただきます」
「先生も飲みますか」
「いや、僕はいい。あとでワイン飲むから。それより話を聞きましょう。たぶん、聞くだけになると思いますが」
 林田はさも落ち着かない様子で、またタバコに火をつける。

「先生、タバコ止めたらどうですか。ちょっと吸い過ぎですよ」
「これしか楽しみがないんだよ」
「あの、失礼ですがこの方は?」
 中村秀樹が怪訝そうな顔で、林田の隣に座ったまいを見る。

「あっ、私? 助手の植山です」
 まいは姿勢を正して青年の方に向き直った。

「ああ、それで。あなた確かこの間、駅前でチラシ配ってましたよね。私はそのチラシを見て、ここに電話したんです」
「うちは零細企業ですから。彼女のことは気にしないで、どうぞ話してください。こう見えても、けっこう忙しいんです、私」
「あっ、すいません。実はこちらもあまり時間がないんです」
 中村秀樹は慌ててコーヒーカップをテーブルの上に戻す。林田もせかせかとタバコを消す。
 顔が緊張で青ざめている。。神経質そうな、まだ20代の青年。

「林田さんは総合教団をご存じですか」
「総合教団? ああ、何年か前に芸能人やスポーツ選手が入会したとか言って大騒ぎになった新興宗教のことかな」
「そうです」
「知ってます知ってます、私。愛の儀式とか、いろいろあるんでしょ」
「私の姉はその総合教団の信者なんです」
「へえっ」
 まいの目が好奇心に輝く。

「短大の卒業式の次の日、姉は突然姿を消しました」
 中村秀樹は切々と語り始めた。

「私たちは必死に探しました。警察にも届けました。でも、見つかりませんでした」
「それはそれは。大変ですねえ。でも、残念ですが、うちは人探しは扱ってないんです」
 林田は気の毒そうに言う。。

「半年ほどして、姉から電話があったんです。今総合教団の活動に参加していて忙しいから当分帰れそうもない。落ち着いたら必ず帰るから心配しないでくれって。それだけ言ってすぐに切れました」
「そりゃないわよねえ」
 まいが怒ったような声で身を乗り出す。

「それで?」
「教団の本部に電話してみましたが、本人の希望なので居場所は教えられないと」
「なるほど。警察は?」
「信教の自由にかかわることなので、手は出せないって言われました」
「そりゃ困ったな。まったくお手上げだな」
「この十年、私たちは死にものぐるいで探したんです。でもだめでした」
「そうなんですか。気の毒だとは思いますが、うちは謎解き専門で…」
 林田はいたたまれないような気持ちになって、とうとう下を向いてしまった。
 中村秀樹が勢い込んで続ける。

「一週間前、とうとう姉を見つけたんです」
「えっホントに。そりゃすごい。まさに執念ですね。おめでとうございます」
 林田はホッとした顔でテーブルのタバコに手を伸ばした。

「姉と一緒だった女性が一月くらい前に脱会して、その人が連絡をくれたんです」
「そうですか。あとはじっくり家族で話し合うことですね。時間はかかるだろうけど。大丈夫、きっとなんとかなりますよ」
 探偵はまるでカウンセラーのような口調で、安心したようにゆっくりとタバコに火をつけた。

「タバコなんか吸ってる場合か!」
中村秀樹がバンとテーブルを叩いて立ち上がった。突然の大声にテーブルの下から黒犬がバッと飛び出す。

「す、すいません、つい興奮してしまって」
「どうしたんですか急に。お姉さんは見つかったんでしょ」
「そ、それが、明日には台湾へ行ってしまうかもしれないんです」
 青年はため息を一つつくと、力なくソファーに腰を落した。

「どう言うことですか」
「台湾に総合教団の教祖が住んでいるらしいんです。姉は何かの役に選ばれたらしくて。そう言う情報が昨日入ったんです」
「赤の儀式ね」
 まいが大きく頷きながらキッパリと言った。

「何、それ」
「総合教団の秘密儀式の一つですよ。お姉さんは教祖への生贄に選ばれたんだわ、きっと」
「へえ、まいちゃん詳しいんだ」
「それほどでも」
「だから、今日しかないんです。今日姉を連れ戻さなければ。お願いします、林田先生。力を貸してください。お願いします」
 テーブルに頭を叩きつけるようにして懇願する。

「ちょっと待ってください。実はですね、私は目が」
「とりあえず20万用意してきました。姉が無事帰ったら、出来るだけのお礼はさせてもらうつもりです。お願いします、お願いします、お願いします」
「だからね、中村さん。私はですね」
「お引き受けします」
 まいがキッパリと言うとテーブルの上の封とうに手を伸ばした。

「ありがとうございます。ありがとうございます。林田先生にお引き受けいただければ、これほど心強いことはありません。きっと父も喜びます」
「それじゃ、この契約書に目を通してサインしてもらえますか」
「契約書って。まいちゃん、そんなものいつ作ったの」
「わかりました。ここに名前を書けばいいんですね」
 中村秀樹はまいから契約書を奪い取るようにして、さっさとそこにサインをしてしまった。

「さあ、これで契約は成立したわ。先生、がんばりましょう。盲目探偵の初仕事なんだから。なんとしても成功させなきゃ」
 まいがすっくと立ち上がった。

「えっ?えっ?盲目??」
「うちは謎解き専門なのに」
 頭を抱えてうめくように呟く林田の顔をレッキーが嬉しそうにペロペロ舐めた。



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◆2◆



「そうですか、自動車事故ですか。一年前に。それはお気の毒に」
 助手席に座った白髪頭の男、中村栄三はつくづくと言う口調でそう言った。

「で、相手はどんなヤツだったんですか」
「暴走族です。16才で、無免許」
 林田の代わりにまいがそう答える。

「そりゃひどい、そりゃ最悪だ。でも林田さん、あなた綺麗な目をしてるから、目がお悪いなんてぜんぜん判りませんよ」
「両目とも義眼なんです」
 まいと並んで後部座席に座っている林田が頭をかきながら答える。

「あなた、偉いなあ。私ならとっくに自殺してますよ。それにしても、私感激です。こんな間近で本物の盲導犬が見れるなんて」
栄三はシート越しに振り返り、林田の足元に窮屈そうにうずくまっているレッキーの頭に手を伸ばした。

「あっ、触っちゃいけないんでしたね」
「いいですよ、ちょっとくらい」
「ほんとに。おお、よしよし。お利口お利口。名前は?」
「レッキーです」
「オスですか、メスですか」
「女の子です」

「もう永いんですか」
「一緒に歩き出して、まだ三ヶ月ほどです」
「それにしても綺麗な犬だな。サラサラして、黒光りしてる。やっぱり毎日お風呂へ入れるんですか」
「いえ、ブラッシングだけです。お風呂は2ヶ月に一度くらいかな」
「へえ、そうですか。ご飯は?やっぱりドッグフード?」
「お父さん!」
 ずっと黙ったまま運転していた中村秀樹が、耐えかねたように口を開いた。

「どうしたんだ秀樹」
「静かに座っててよ。気が散って運転出来ないよ」
「さっきから、何怒ってんだおまえ」
「仕方ないだろ。詐欺に遭ったような気分なんだから」
「ちょっと。それ、どう言う意味」
 外の景色を見ていたまいが大きな声で怒鳴った。

「テレビドラマじゃあるまいし、盲導犬を連れた探偵なんて。詐欺みたいなもんだ」
「あんたがボッとしてるから悪いんじゃないの。こっちには契約書があるのよ。人権委員会に訴えるわよ」
「金返せ!」
「まだ言うか!」
「まあま落ち着いて。まいちゃん、やっぱり無理だよ。僕にはこんな仕事。邪魔になるだけだよ。帰ろ。ね、ね」
「ダメです。私は行きます。こんな事で負けちゃダメよ、先生」
「そんな問題じゃないと思うんだけど」
 林田はため息をついた。

「ほら、もうすぐラーメン屋がある。あそこでラーメンでも食べて、タクシー呼んで、帰れ。金はもう諦め、グエッ」
 突然後から首を締め上げられた秀樹は、死に物狂いでブレーキを踏んだ。

「いいんですか、ほんとに。息子さんの言うとおり足手まといになるだけですよ」
「いいんです。気にせんでください。恵子のことはもう半分諦めてます。30といえば、十分過ぎるほど大人だ。それより、タバコどうですか」
「あっ、すいません。部屋に忘れてきちゃって。一本いただけますか」
 栄三と林田克己は、道路わきの木にもたれて仲良くタバコに火をつけた。

「林田さんはなんで探偵なんか始めたんですか」
「改まって聞かれると、大した理由はないんです」
「まさか、テレビドラマに刺激されてって言うんじゃないでしょうね。ほら、古屋なんとかって言う俳優がやってたヤツ。あれ、面白かったですよね。私かかさず見てました。でも、まさかね」
「ははは、まさか」
 林田は力なく笑った。

「事故の前は何されてたんですか」
「病院に勤めてました」
「へえ、事務員か何か」
「ドクターです。心療内科の」
 まいが横から口を挟む。

「え!お医者さんですか!こりゃ驚いたな。ほんとですか」
 栄三はまじまじと林田の顔を見たが、周りが真っ暗でよく見えない。

「ちょっと、そこの二人。静かにしろよ」
 秀樹が怒気を込めて言った。

「ぜんぜん緊張感がないんだから、まったく。お父さん、いま何時」
「えっ?ああ、ダメだ。暗すぎて時計の針が見えない」
「先生。時計、時計」
 まいに促され、林田が腕時計のボタンを押す。

「午後 11時 42分 です」
 可愛らしい女の子の声が暗闇に響いた。

「へえ、そんなのがあるんだ。私も買おうかな。最近目が悪くなっちゃって」
「いろいろと便利なものがありますよ、今は」
「どんなのがあります?今持ってます?」
「いい加減にしろ」
 秀樹の怒鳴り声が深夜の山中に響いた。



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◆3◆



「ねえ、お姉さん、ホントにあの中にいるの?」
「間違いない。絶対にいる」
 前方の闇に大きな建物の気配が感じられる。
 中村秀樹が唇を噛み締めながらそれを睨みつける。

「どうやって連れ戻すのよ」
 道脇の石垣に腰をおろしたマイが、足をブラブラさせながら聞いた。

「0時キッカリに出てくるはずなんだ。毎晩当番が井戸に水を汲みに来るらしい。今日、姉さんが当番で」
「ああ、それってウシトラの儀式ね。教祖の写真に水を備えて2時間祈るんだって。でも、あなたよく調べたわね。そんなことまで」
「言っただろ。一月前に脱会した人が連絡してくれたって。その人、姉さんの短大時代からの親友なんだ。教団でもずっと一緒だったらしい。それより、君こそ詳しいじゃないか」
「ワイドショウのまいって呼んで。、その井戸ってどこにあるの」
「君が今座ってるとこ」
「ああ、これっ」
 まいは右手で石垣をポンポンと叩いた。

「さあ、お父さん。そろそろ時間だよ。これが最後のチャンスなんだ」
「判ってる。やれるだけのことはやろう」
 中村親子の顔が緊張に引きつった。

「さっきも言ったけど、くれぐれも邪魔だけはしないでくれよな」
「判ってるわよ」
 まいがムッとした声で睨み返す。

「さ、先生。向こうへ行ってましょ。こんなとこにいたら、何言われるか。言っとくけど、お金は返さないからね」
「判ってるよ。とっくに諦めたよ。頼むから、サッサとどこかへ消えてくれ」
「何よ、その言い方」
「まあまあ、落ち着いて」
 林田が二人の間に割ってはいる。

「まいちゃん、行こう。中村さん、お気をつけて」
「ありがとうございます」
 栄三がぺこりと頭を下げる。

「あのう、一つだけお願いがあるんですが」
「なんですか」
 秀樹が難しい顔をして林田を睨む。

「すいませんが、タバコを2,3本いただけませんか」
 林田の耳にギリギリと言う秀樹の歯ぎしりの音が聞こえた。



「うまくいくといいな。」
「きっと失敗しますよ。あの秀樹って子、イライラし過ぎてるもん」
「そりゃ無理ないさ。それより、一時間も走るとこんな静かなところがあるんだなあ。空気もうまいし、きっと星も綺麗なんだろうな」
「今日は曇ってるから、真っ暗ですよ。先生、タバコ消したら。火事になったらどうするんですか」
 林田とまいは、道わきの石に腰を下ろして小声で話した。

「一度聞こうと思ってたんだけど、先生、何で病院辞めちゃったんですか」
「だって仕方ないだろ。目が見えなくなっちゃったんだから」
「カウンセリングなら見えなくたって出来るじゃないですか」
「そりゃそうなんだけどね…」
「先生って、タバコ吸う以外は、患者さんには評判よかったんですよ」
「そりゃどうも。それよりまいちゃん、どこかオシッコ出来ないかな」
 林田は話題を変えるようにレッキーの頭を左手でなぜながら言った。

「レッキー、オシッコしてこなかったんですか」
「レッキーもなんだけど、僕も」
「我慢しなさい!」
「シーっ声が大きいよまいちゃん」
 まいは慌てて自分の口をふさいだ。
 突然、井戸の方向から甲高い女性の悲鳴が上がった。

「いよいよ始まったな」
 まいは慌てて立ち上がると井戸のほうを見た。

「私、本物の悲鳴聞いたの初めて。あっ、でもダメ、暗くて全然見えないわ。残念」
「座って待ってようよ」
 林田はレッキーの首筋を撫ぜながら、3本目のタバコに火をつけている。レッキーは退屈そうにクンクンと鼻を鳴らす。

「またタバコですか。こんな時に。こんなチャンス滅多にないですよ。ああ、ヤッパリ見えないなあ。暗すぎて何にも見えない」
 まいはさも悔しそうに、ピョンピョンと何度も飛び上がる。

「姉さん、帰るんだ。一緒に帰ろう」
「秀樹。あんた、なんてことするの。放しなさい!」
「恵子、帰ろう。お母さんも心配してる。頼むから帰ろう」
「お父さん。こんなことして。いくら親子でも許さないわよ。私許さないわよ。放しなさい、放して!」
 闇の彼方から、すさましい親子の格闘が聞こえてくる。

「なんか迫力あるわね」
 まいの声は興奮で擦れている。

「あっ、先生大変!誰かがこっちへ走ってくる」
「えっ」
 林田は慌ててタバコを揉み消し、ハーネスを握って立ち上がった。

「林田さん、恵子が。恵子がそっちへ逃げました。捕まえて、捕まえてください」
「あいたたた、指を噛み切られた」
 中村親子の悲壮な叫びが林田の耳に届いた。

「先生。来た、来た、来た!捕まえて。捕まえて!」
 まいが両手を振り回しながら、早口で叫ぶ

「えっ? えっ? えっ?」  次の瞬間、イノシシのような勢いで何かが飛び込んで来たかと思うと、林田はアッと言う間に弾き飛ばされていた。レッキーもろとも。

「あいたたた」
「先生、何やってるの。全く役に立たないわね。待ちなさい。待て! コラ。止まれ!」
 まいが慌てて闇の中に走りだした。そしてつまづいた。

「いったあい。なんでこんなところに石なんかあるのよ」
「どうしたまいちゃん。大丈夫か」
「足くじいちゃったみたい。それより先生、早く追いかけて」
「よしわかった。方向はこっちでいいのか」
 林田は素早く立ち上がって、ハーネスを握りなおした。レッキーはすでに、スタンバイOKとばかりにシッポを立てている。

「そう、そのまままっすぐ。一本道のはずよ」
「よしレッキー、走るぞ。追いかけるんだ。ストレート ゴー!」
 レッキーはゆっくりと歩き出した

「レッキー走れ、走るんだ。ハリー アップ!ハップアップ!」
 林田がハーネスをグイグイ前に引くようにして促すと、レッキーは徐々に加速度を増していった。

「よしいいぞ、いいぞ。その調子、その調子!」
「先生、がんばって」
 まいの声がもうはるか後ろから聞こえる。

「任しとけ。それレッキー、行け、行け」
まっ暗な道を林田は快調に走りつづけた。ほとんど全速力…をすでに超えていた。

「おいレッキー、タイム、タイム。ちょっと休もう。スピード落とそうよ。心臓…が」
 レッキーはまるで野生に帰ったかのように、グングングングン加速度を増す。

「レッキー、ステディー!ステディー!お願い、スピード落として!お願いしまあす!」
 林田の声はもうレッキーには聞こえていない。爛々と目を輝かせて全速力で闇の中をひた走る。

「ヒイ、もうだめだあ!死ぬ、死ぬう!」
「きゃあ!」
 ドッスーン。
 突然、林田の体に衝撃がはしり、目の前で何かが倒れた。

「レッキー、ストップ、ストップ」
 ハーネスを引き絞ると、ようやくレッキーは止まった。
 ヒイヒイと苦しそうに呼吸しながら、林田は足もとに倒れた物体を手で探ってみる。女が大の字になって気を失っていた。

「あらら、脳しんとうでも起したかな。モシモシ、モシモシ。ゴメンね、大丈夫」
 レッキーが申し訳なさそうに中村恵子の顔を舐め回している。

「林田さん、姉さんは。捕まえたんですか」
「あっ、恵子」
 中村親子が息せき切って走り寄ってきた。

「気を失ってるだけです。それより秀樹さん、指大丈夫ですか。食いちぎられたとか何とか」
「そうなんです。左手の小指を」
「どれどれ。ああ大丈夫。まだ繋がってるよ。とりあえず応急処置だけ」
 林田はズボンのポケットからハンカチをとりだすと、手早く処置した。

「へえ、さすがだなあ。やっぱり」
 秀樹は感心しながら、血の滴るハンカチを眺めた。

「こう言うのはホントはまいちゃんの方が上手いんだけど。あれ、そう言えば、まいちゃんどうしたかな」
「あの辺で座り込んでましたけど」
 栄三が今来た道を振り返った。闇の彼方に小さな光りが三つ見えた。

「貴様ら、何者だ。シルビア姉妹に何をした!」
 光りは大声で怒鳴りながら近づいてくる。

「まずい。騒ぎに気づいて男たちが出てきた」
「きゃあっ。先生。助けて!」
 まいの本物の悲鳴が三人の耳をつんざいた。



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◆4◆



「行きましょう、林田さん。お父さん、姉さんの事頼んだよ」
 中村秀樹が暗闇の中に走りだした。そのあとを林田が慌てて追いかける。

「クソ、暗くてよく見えないな。やつらライトを消したな」
「まいちゃん、どこだ。声を出せ」
「先生、ここよ。こっちこっち。キャア、あんた、どこ触ってんのよ」
「ギャア!」
 男の悲鳴があがった。

「なんだ、どうしたんだ。まいちゃん、無事か」
「林田さん急ぎましょう。と言ってもこれ以上慌てると、真っ暗すぎて」
「私が先にいきましょう」
「えっ?」
 秀樹をサッサと追い越して、林田がグングン走っていく。

「林田さん、危ないですよ。無茶だ」
「大丈夫大丈夫。レッキー、ツウ ザ まいちゃんだ。判るか。急げ、急げ」
「先生、気をつけて! 男が二人、そっちへ行ったわよ」
 まいの声が前方から聞こえた。あと10メートルほどか。

「いけ! レッキー。わあっ!」
「あいたっ」
 ゴツンと鈍い音が下。見えないはずの林田の眼前に星が光った。

「うう、鼻が」
 林田の足もとに、男がうずくまっていた。

「ごめんごめん。大丈夫」
 レッキーが男の顔をペロペロ舐め上げる。

「このやろう、舐めやがって!」
 もう一人の男がいきなり林田に殴りかかる。

「林田さん、危ない」
「グエッ」
 カエルのような声があがった。林田の背負い投げが見事に決まった瞬間だった。

「あっ、ついホンキで。大丈夫? 頭、打たなかった」
 気絶した男の腕をとって、林田が脈をたしかめる。

「この野郎! ぶっ殺してやる!」
 うずくまってうめいていた男が、ポケットからナイフを取り出し、林田の背中目指して突進してきた。

「危ない林田さん。ナイフ。後ろ!」
 ドスン!
 林田の体が少年のように素早く反応したかと思うと、男の体が5メートル先の地面に叩き付けられていた。

「お見事。今のなんて言う技ですか」
  駆け寄ってきた秀樹が息を弾ませながら聞いた。

「山荒らし。幻の必殺技。一度やってみたかったんだ。でもあんなに上手くかかるとは思わなかった。大丈夫かな、あの人」
 林田は照れ臭そうに頭を掻いてみせる。

「さあ、急ぎましょう。植山さんを助けに行かなきゃ」
「ああ、そうだった。レッキー、カム」
 レッキーが林田の足に鼻をこすりつけてくる。

「行きましょう。ついて来てください」
 秀樹が走りだした。そのあとを林田が追う。

「あれ? あれ?」
「どうしたんですか。林田さん」
「レッキーの様子が。まさか。ゲッ、やっぱり」
 林田の不安は的中した。レッキーはいきなり立ち止まると、背中を丸くしてその場にうずくまってしまった。

「どうしたんですかいったい」
「すいません、先に行ってください。ウンチです」
「ええっ、ウンチ! 盲導犬でしょ。まったく。すぐ来てくださいよ」
 秀樹がブツブツ言いながら走って行った。

「盲導犬だってウンチくらいするよなあ。忙しくて、夜のトイレ、してなかったもんなあ。ごめんごめん、気にしない気にしない。ゆっくりやれ、やれ」
 林田はレッキーの横にしゃがんで、排泄中の彼女を励ました。

「よしよし、もういいのか。ついでにオシッコもしとこうか」
「先生、何してるの。中村さん、あっさりやられちゃったわよ。早く助けに来てよ!」
 イライラしたようなまいの声が闇の向こうで聞こえた。

「ごめんごめん、まいちゃん。大丈夫か」
「大丈夫じゃないわよ。何モタモタしてるの。私、いま、人質になりかけよ。きゃあっ、あんたどこ、触ってんのよ」
「ギャアッ」
 また男の悲鳴があがった。

「ちょっと待ってて。ウンチ取ったら超特急で行くから」
 林田はズボンのポケットからおもむろにナイロン袋をとりだした。

「サッサと助けにこんかい!」
「は、はいい!」
 カミナリのような怒声に、林田とレッキーは、ピンと姿勢をただした。



「先生。もう一杯コーヒー飲みます?」
「いや、もう止めとくよ。眠れなくなるから」
 リビングのソファーにもたれた林田が眠そうな声で答えた。壁の時計は5時13分を示している。

「それよりまいちゃん、足、大丈夫」
「平気ですよ。ちょっと捻っただけみたい。もう大して痛くないし。それより、仕事行く前にアパートへ寄って、服着替えなきゃ。血が一杯付いてるんです」
「えっ? どこか怪我してるの」
 林田は驚いて体を起した。

「返り血ですよ。男の腕、思い切り噛み千切ってやったから」
 向かい側のソファーに腰を下ろし、三杯目のコーヒーをすすりながら、まいがさらりと言った。

「なるほど。気の毒に」
 林田はため息をつくと、タバコに火をつける。

「それより先生。初仕事は大成功でしたね」
「まあね。あの親子にとっては、これからが本当の戦いだとは思うけど」
「カウンセル、してあげたら?」
「僕はもう医者じゃないもの。それに、ああ言うのは家族の絆しか処方箋がないのかもしれない」
「そうなんですか。それより先生、これからも探偵、続けるんですか」
「ああ、他にすることもないしね。ただし、これからは、絶対謎解き専門」
「私、看護婦辞めて先生の助手になろうかな」
「いいよいいよ。仕事あるかどうかわからないし」
 林田がタバコにむせながら、慌てて左手を振った。

「それは残念。じゃあ、名前だけでも変えません?」
「名前って」
「だって、林田探偵事務所なんて。だいたい林田克己なんて、名探偵の名前じゃないですよ」
「ほっといてくれ」
 林田はまいに聞こえないような小さな声で呟いた。

「ねえねえ、レッキー探偵事務所なんてどうですか」
 まいが身を乗り出して言った。

「それこそマンガみたいじゃないか。レッキーだって迷惑さ。なあ、レッキー」
「そんなことないわよね、レッキー。あれ。先生、レッキーがいませんよ」
「えっ、あれ。レッキー。レッキー、カム。カム」
 すぐに飛んで来るはずのレッキーの気配は、どこにもなかった。

「あれえ、おかしいなあ。レッキー、レッキー」
 まいが立ち上がって。部屋の中を探し始める。

「先生、やっぱりどこにもいませんよ」
「そんなはずないよ。さっきまで、確かにいたんだ。レッキー、レッキー。あれ、やっぱりいないな」
 林田もタバコを消して立ち上がる。

「外にでも出ちゃったのかしら」
「玄関は閉まってるだろ。アッ、待てよ。まいちゃん、奥の寝室見て来て」
「寝室、ですか?」
 まいは怪訝そうな顔をしながら奥の部屋に向かう。林田はソファーに座りなおすと、新しいタバコを加えた。

「あ、先生。いました、いました。だけど先生、盲導犬ってこんなでいいんですか」
 まいの非難のこもった声が寝室から聞こえてきた。

「レッキーだって、疲れたんじゃないの」  林田の脳裏に、ベッドの上で大の字になっていびきをかいているレッキーの姿がくっきりと浮かんだ。



 

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