トップページみんなの広場長編小説 目次>長編小説 「フローラ エンジェル」

フローラ エンジェル  文:林 克之


フローラ エンジェル・目次

パート1

パート3

ファイナル

パート2

パート4



◆パート1◆

 守山洋介がその少女と出会ったのはある平日の午後のことだった。
 彼はアーケード街をトロトロと歩いていた。なんというあてなどない。ただの暇つぶしだった。
「映画でも見るか…」
 しかし何の映画がはやっているのかさえわからない。
 洋介は退屈していた。
 本当は退屈どころのご身分ではなかった。卒業を控え、同級生たちは就職活動に飛び回っていた。超氷河期とかで、 集まれば愚痴のこぼし合いだ。
 じつは彼はルポライターを密かに目指してはいた。しかし、どう動けばなれる のかさえ彼にはわからなかった。いなかへ帰って漁師にでもなるか。最近は本気 でそう思うようになっていた。

「すいませーん」
 突然後ろから声をかけられた。かわいらしい声だった。
 洋介はちょっと顔をゆがめてふりむいた。どこかの風俗の客引きかと思ったのだ。
 そこにその少女がたっていた。

「このへんに、ビヨーインありませんか?」
 少しアクセントのおかしい話かただった。
 おかしいというか、不思議だったのは少女の姿そのものだった。
 まるで童話の絵本から飛び出してきたようなあざやかなスカイブルーのワンピ ースを着ていた。どういう生地なのかはわからないが、フワフワとやわらかそう な服だった。
 右手には30センチほどのバトンのようなものを持っている。そして、彼女の右 肩には白いヌイグルミが。ふわふわとした毛の…ポケットモンキーというやつだ ろうか。

「え?ああ、『ヤヤ』のことかな?」
 「ヤヤ」というのは、この近くにある美容院の名前だった。「カリスマ美容師」 とかでテレビなどで何度もとりあげられた。この娘も、そこをさがしてどこかい なかから出てきたのだろうか。
 それにしても不思議な少女だった。
 とんでもなくかわいい。
 肩までかかるセミロングの髪は少し茶色っぽかった。肌の色は透き通るよう に白い。その目はまるで少女マンガのように大きかった。
 年は、よくわからないが、中学生ぐらいか。それならこんな時間にどうして? 家出娘か?まあいいや。案内ぐらいしてやろう。

「ついておいで。すぐそこだから」
 洋介は背中をむけて歩き出した。少女は黙って後についてきた。
 すれ違う人がみな二人を見ているようだ。それほどその少女は目立っていた。
そう、まるで絵本から出てきたお姫様。ピッタリの表現を思いついて、洋介はひ とりうなずいた。

「ここだよ」
 『ヤヤ』の前までくると、洋介は入り口を指差した。ここでお別れのつもり だった。
「あの…」
 少女が長いまつげをふるわせた。
「中まで連れていってくれませんか。わたし、目、見えません」

 洋介は絶句した。考えてもみなかった言葉だった。あんなにスイスイと後をつ いてきたのに。しかし、うそだろうとは言えない。
「そ、そうなの?き、気がつかなかった。一人で歩いてきたんだろ。杖もつかずに」
「この子、教えてくれます」
 少女は右肩のヌイグルミをゆびさす。
「え?」
 驚いてまじまじと見る。ヌイグルミの黒いひとみがクルリと動いた。
「うわ」
 洋介は小さく叫んでしまった。それはヌイグルミではなかった。本物だ。

「チチっていいます。とても利口」
「そ、そう…。かわいい名前だね」
 洋介はなんだか間のぬけた返事をしてしまった。それにしても…。盲導犬なら 聞いたことがあるが…。
「お願い。中についていって」
「あ…ああ。ど、どうすれば…」
「肩、貸してください」
 洋介はおずおずと肩をさしだした。少女の左手がそこにのびてくる。小さくて かわいらしい手だった。

「いらっしゃいませ」
 店は案外すいていた。
「あの…。この子、目が見えないんですけど」
「あ、はいはい。お兄さんはそこで待っててください。さあ、お嬢さん。わたし がお連れしますよ。すぐにできますから。あっ、そのヌイグルミはお兄さんにあ ずけておいて」
 店員がにこやかに応対してくれた。
「オニイサン、お願いね」
 少女は右肩のチチを洋介に手渡した。
 ふんわりとしていてあたたかい。やはり本物だ。少女の背中にかくれていたが、 チチはとても長いシッポをもっていた。
「じゃあ。カットだけなら30分ほどでおわりますから」
 少女は店員に導かれ、奥へ入っていってしまう。

 洋介はしかたなく、チチを両手でつつむようにしながら、指示されたソファー に腰かけた。
 居心地のわるさはもう最高だった。後から入ってくる客たちが、うさんくさそ うに彼を見る。
 彼は誰とも目をあわさないようにして、少女のことを考えた。
 いったい何なのだろう。あの言葉づかい。外国人?だとしたらどこの?それに、 あの服。どう見てもそうとう高そうだ。
 いろいろと考えてはみた。だが、よくわからない。だいたい、いま抱いている サルがどうも納得できない。こいつはどうやって彼女に道を教えるのか。あんま り考えすぎて頭がぼやっとしてきた。

「お待たせしましたあ。おわりましたよ、お兄さん」
 さっきの店員の声に驚いて、洋介はあわてて顔をあげた。どうやら少し 眠ったらしい。
 少女が立っていた。さっぱりとショートカットになっていた。さっきとはまる で印象がちがう。
「いいじゃない。かわいいよ」
 自然にそんなセリフが口についた。
「ありがと。オニイサン」
 その時、洋介の両手からチチがパッととびあがった。もちろん少女の右肩へ。

「ヒエエ!」
 そばにいた店員が声にならない声をあげる。
「こんどはフクが買いたいの。このフク、めだつから。お願いします、オニイ サン」
 少女はこぼれるような笑顔を洋介にみせた。
「あ…はい」
 思わずうなずいてしまう洋介だった。



「お兄さんはやめてくれよ。守山洋介っていうんだ。きみは?」
 服屋をさがして、今度は並んで歩きながら、洋介は少女に言った。
「…マサコ…」
「そう…」
 ウソつけと思った。しかし口には出さなかった。洋介は少女の右肩のチチとよ ばれる白い子ザルが気になってしかたなかった。どうやって少女に道を教える のか?」
「ぼくには女の子の服なんかわからないけど、この店でいいかな?」
「どこでも、いい」

 若い子相手の雰囲気の店に二人はとりあえず入った。
 洋介はすぐに店員をつかまえ、少女が目の見えないこと、服を選んでやってほ しいことを伝えた。また兄妹に間違えられた。
 少女の買い物を見せの入り口あたりで待ちながら、洋介はまた考えた。

「シッポだな…」
 さっきならんで歩いた時、あのサルがしきりにシッポを動かしていることに気 がついた。少女の背中のあちこちをつつくように。
 道を右にまがった時、洋介は確信した。サルはシッポで道をおしえているのだ と。かなり複雑な合図のようではあったが。
「何者だ、あの子。サルが道案内するなんて話、聞いたことないぞ。それに、お 金もそうとうもってるようだし…」
 美容院の支払いで、彼女が出したサイフはかなりぶ厚かった。

「お待たせしました、お兄さん。着ていた服はこれに入れましたから」
 目の前に紙ぶくろをさしだされ、洋介はハッとわれにかえった。
「なにか、食べにいこ。わたし、おなかすいた。オコノミヤキがいい」
 少女が立っていた。ベージュのセーターと白いパンツをかわいく着こなしてい た。赤いスニーカーも。そう言えば、いままで何をはいていただろう。あまり気 にしなかったが、はだしだったような気がする。

「ああ、いいけど。心配してない?お家の人」
「大丈夫大丈夫。行こお、ヨースケ」
 二人はまた並んで歩いた。ジロジロ見る人はもういなかった。時々少女の かわいらしさにふりかえる男はいたが。
「やっぱ兄妹にしか見えないよな」
 洋介はうれしくなってきていた。自慢の妹をつれて歩く兄のような気持ちだっ た。
もう少し行くと、おいしいお好み焼き屋があるんだ」
「わたし、食べるの、はじめて」
 少女はうれしそうに洋介を見た。いや、見えないのだろうが…。

 二人が路地にはいったその時、後ろから複数の靴音が追ってきた。
「え?」
 洋介は何気なくふりかえった。
 4人の男が立っていた。古いギャング映画に出てくるような黒ずくめの男たちだ った。

「……!!」
 サングラスをかけた男がなにかがなりたてた。どこの言葉かよくわからない。 「な、なんですか?あなたたち?」
 洋介はおどおどしながら日本語でこたえた。
 男がまたまくしたててきた。どうやら少女にむかってがなっているらしい。
 洋介はとなりを見た。にこやかだった少女の顔はこわばっていた。いや「こわ ばった」表情ではない。「りん」としたとでもいうのだろうか。

「……」
 少女の口から言葉が発せられた。意味はわからなかったが、威厳のようなもの が感じられた。
 いつのまにか二人は男たちに囲まれていた。
「な、なんなんですか、あなたたち!警察よびますよ!」
 洋介はせいいっぱい声をはりあげた。兄として妹は守らねばならない。
 いきなり殴られた。洋介はあっけなく吹っ飛んだ。道路になさけなくころが る。
 4人の男が少女を囲んだ。ジリジリと迫っていく。

「……」
 彼女がまた何か言った。怒気をふくんだ声だった。
 右手に持ったバトンを男たちにしめす。男たちの顔が一瞬ひきつる。
 白いバトンがクルクルとまわりはじめた。みごとな指さばきだった。
 少女が左足のつまさきだけでスッと立つ。

「お、おお!」
 道路にころがった洋介は夢でも見るような気分でそれをながめてしまった。
 みごとな「舞」だった。そうとしか表現できなかった。優雅で美しい。少女が 舞い踊るたびに男たちが次々とはね飛んでいく。声もあげずに。
 あっという間だった。
 周りの野次馬たちも、驚きの声さえあげる暇がなかったほどだ。

「に、逃げなきゃ」
 洋介はとっさにそう思った。あわてて立ち上がり、舞を披露し終えた少女の手 をひっぱった。
「逃げるんだ!」  二人は一目散にその場を離れた。
 大通りにでると、タクシーが見えた。
「タクシーに乗るよ!」
 少女はニコニコしながらコックリとうなずいてみせた。

「どちらまで」
 運転手がアクセルを踏みながら問い掛けてきた。
「え?あ、ああ、そうだなあ…」
 息をととのえながら、洋介は考えた。どこへ行くかなど決めてはいなかった。
「オウチへ帰ろ。オニイサン」
 少女がそう言った。
「え?」
「どこへ行けばいいの?」
 運転手のイライラした口調に、洋介は思わずアパートの住所を口にしてしまっ ていた。
「おなかすいた、ヨースケ」
 白いサルをなぜまわしながら、少女がそうつぶやいた。



「お待たせお待たせ。お好み焼き買ってきたよー」
「はーい!」
 ドアをあけると声がかえってくる。なかなかいいもんだなあと洋介は思った。
 少女は小さなコタツにちょこんとすわっていた。チチという子ザルは座布団の 上でまるまっている。
「さあ、とりあえず食べようか」
 洋介が買ってきたものをコタツの上に並べる。コーラにビール。、コンビニ 弁当も並んだ。わりばしとお好み焼きを少女に手渡す。

「いいニオイ。いただきまーす」
「どうぞどうぞ」
 洋介も缶ビールを音をたててあける。
 少女はおいしそうにお好み焼きを食べはじめた。
「おいしいかい?」
「おいしい!」
 洋介はなんだかうれしくなってしまった。ビールだけ飲みながら、彼女の食べ るのを黙って見ていた。
 少女の横で、チチが皮をむいたバナナにかじりついている。ほんわかとした空 気が部屋じゅうに満ちた。
 さっきの格闘シーンがまるでうそのように思えた。

「ごちそうさま」
 コンビニ弁当まできれいにたいらげた少女は、満足そうにほほえんだ。
「ねえヨースケ。シャワーかりていい?わたし、アセかいてる」
「え?ああ、いいよ。お風呂はね…」
「知ってる。さっきたしかめた」
 少女は立ち上がるとさっさと一人で風呂場にむかった。チチはまだバナナと 格闘している。
少女が狭い風呂場のドアに消えると、洋介はテレビのスイッチを入れた。
 見たいものなどやっている時間ではなかったが、退屈しのぎにはなるだろ う。
 昼間のワイドショーのようなものが映った。キャスターらしい女性とコメンテ ーターが話している。

「トリミア王国のフローラ皇女が体調不良のため、日本滞在中のすべての日程を キャンセルされたそうなんです」
「それは残念ですねえ。たしか今日着かれたばかりじゃなかったですか?どうさ れたんでしょうね。心配です」
「詳しいことはわからないそうです。訪問団の団長から外務省に連絡があった らしいんです」
「そうですか。たいしたことなければいいんですが。わたし、個人的にも興味あ ったんです。フローラ皇女はお目がご不自由なんだそうですが、音楽や舞踊にも すごい才能がおありだそうで。皇室をはじめ、障がい者団体との交流なども予定さ れていたようですが」
「そうなんですか。すいません。わたし、よく知らなかったもので…。あ、いま 皇女さまの到着時の映像がとどいたようです」

 テレビの画面に専用機のタラップをおりてくる少女が映し出された。
 洋介は飲みかけの缶ビールを畳の上に落としてしまった。ポカンと口をあいて 画面をぼんやり見た。キャスターが何か言っているが、もう耳に入らなかった。  話題が別の事件に移った。洋介はノロノロとリモコンのスイッチを押して、 テレビを消した。
「フ…フローラ」
 うわずった声で風呂場にむかって呼びかけてみた。
「はーい」
 無邪気な返事が即座にかえってきた。
「シャ…シャワーの使い方、わかった」
「ありがと。わかります」
 水音が聞こえてくる。
 洋介は壁をにらみながらジッとすわっていた。
 たいへんだ。たいへんなことになってる。なんとか、なんとかしなければ。ど うする。
 考えがまとまらない。
「と、とにかく警察に…」
 洋介はフラフラと立ち上がった。部屋のすみにある電話の前に正座する。
「あれ?警察って何番だっけ?」
 頭が完全におかしくなっていた。洋介は必死で考えた。やっとのことで思い出 し、1のボタンを二回押した時、後ろから肩をポンとたたかれた。
「どこ、電話するの。ヨースケ」
 洋介はあわてて受話器を戻してしまった。おそるおそる振り返る。
 ぬれた髪をタオルで拭きながら、少女が不安げな顔で立っていた。
「あ、いや、その…」
 洋介はゴクリとツバをのみこんだ。
「…きみ…王女さまなの?フローラ姫?」
 少女はしばらく黙って立っていた。
「おはなし、します。ヨースケ」
 ゆっくりと彼の前に正座する。
 アクセントの少しおかしい日本語で、フローラ姫は語り始めた。



 空港からそのままホテルへ。フローラはつまらなかった。
 せっかく日本に来たというのに、まだ日本語を一度も聞いていない。訪日が決 まった日から猛勉強したというのに。
 ホテルに着けば着いたで、交流団のメンバーにとり囲まれるようにして、ま っすぐ部屋まで。しかもうるさいしつけ係と二人部屋。

「ねえミイア。ちょっとホテルの中、探検してきていい?」
「だめです王女さま!みなさま何かお忙しいようです。モリス団長のお部屋 で緊急会議をなさってるらしいですから。姫さまはここでおとなしく…」
「だって夕方までなんの予定もないんでしょ。わたし、退屈で死んじゃうわ」
「ニホンとの親善の、これは大事な『お仕事』なのでございますよ、姫さま」
 予想通りのミイアのこたえに、フローラはうんざりした。
「着いたばかりで緊急会議って、どういうことかしら」
「さあ、わたくしは存じません。それより姫さま。少しお眠りなさい。長旅 と時差でお疲れでしょうし」
 フローラはむりやりベッドに横にならされた。
 疲れていたのはミイアのほうだった。すぐにとなりのベッドから寝息が聞こ えてきた。

「ミイア…」
 なんの返事もないことを確かめて、フローラはベッドを抜け出した。
「チチ、行くよ」
 白い子ザルがピョンと彼女の右肩に飛んできた。
「フローラ王女、どちらへ?」
 ドアをそっと開けたとたん、たどたどしいトリミア語が飛んできた。どうやら 日本の警察官らしい。
「モリスから連絡がありました。緊急の会議だそうです」
「それは聞いております。われわれ警備のものも遠慮するようにと」
「どこの部屋ですか?」
「ひとつ下の階すべてが交流団の方のお部屋です。モリス団長のお部屋は一番 奥の1618です。ご案内いたしましょうか?」
「それには及びません。階段はどっちですか?」
 この廊下のつきあたりでございます」
「ご苦労様です」
 フローラはゆっくりと階段にむかった。

「王女さま、お気をつけて!」
 何人かの警官に声をかけられる。そのたびに軽くほほえみを返す。
 下の階には警官はいないようだった。廊下の一番むこうから話し声が聞こえ てくる。そうとう大きな声で話しているらしい。
 フローラは足音をしのばせて、ネコのようにしのんでいった。

「ついにドリアン将軍が立たれた。トリミアはわれわれの手に落ちたも同然だ!」
 モリス団長の興奮した声が聞こえた。
「フローラ王女はどういたします?」
「予定通り。われわれは日程をこなすのみ。日本政府にクーデターを知られては ならん」
「外務省あたりに情報が入るのでは?」
「心配いらん。手は打ってある。三日ぐらいは大丈夫だ。それまでにドリ アン将軍がトリミアの新しい支配者になる」
「わかりました。みなに伝えます」
「ミイア以外はみなわれわれの仲間で固めてある。くれぐれも王女には気づか れるな。日本にいる間ぐらい楽しい思い出をつくらせてやれ。最後のな」
 モリスの高笑いがドアを突き破る勢いで飛んでくる。

「クーデター?まさか…」
 フローラの白い顔がみるみる青くなった。
「そう言うことだ。わかったな。どうと言うことはない。あの小娘の相手をして ればいいんだ。国に帰ればゼイタクな暮らしが待ってるぞ。楽しみにな。フ ローラさへおさえておけば、国王も自由には動けまい」
 フローラはキッとくちびるを噛むと、急ぎ足で階段にもどった。

「会議はもうお済みですか?」
「ここの責任者はどなたですか?」
 声をかけてきた警官に、フローラはにこやかに尋ねた。
「わたしでございます」
 あわてて責任者らしい男が走ってきた。
「すぐに車を用意してください。極秘に。国王からの大事な指示がありました。
わたしひとりでホテルを出ます。30分ほどで戻ります。団の者たちにも言っ てはなりません」
「は、はい。わかりました。すぐに…」
「エレベーターで下に降ります。誰とも会わないようにできますか?」
「もちろんでございます。さあ、どうぞ」
 男に案内されてフローラはエレベーターに乗り込んだ。

「車はもう用意いたしました。二人のSPがお供いたします。なんなりとお 申しつけください」
「ありがとう」
 ホテルの裏口から外へ。黒塗りの高級車が待っていた。
「どちらまで?」
「とにかく出してください」
 車は走り出した。
 フローラは考えた。これからどうする?いい考えなど浮かばない。

「王女さま…」
「あ、ごめんなさい。もう少し走って。まっすぐでいいから」
「…わかりました」
 10分ほど走っただろうか。フローラが決心したように口を開いた。
「止めて」
「え?」
「酔ったみたいなの。外に出ます」
 車が止まるとフローラはドアを外に出た。助手席の男がついて出てきた。
「大丈夫ですか?」
 フローラの顔をのぞきこむように見る男の頭を、彼女の白いバトンがコンとた たいた。

「ウッ」
 腕利きのSPはあっさりと崩れおちた。
 フローラは走り出した。一目散に!
「……!!」
 後ろからもう一人のSPの叫び声が聞こえた。
「チチ、逃げるよ!なるべくにぎやかそうなとこ」
 何度目かの角をまがった時、いきなり誰かとぶつかった。

「あ、ごめん、なさい」
「あらあら、そんなにあわてて、どうしたの?」
 やさしそうな女性の声だった。
「タクシー、乗りたいの」
「タクシーならそこに止まってるわよ」
「ありがと。チチ、タクシー」
 フローラはなんとかタクシーに乗り込めた。
「どこまで行くの?お嬢ちゃん」
「にぎやかな、とこ。一番」
「はいはい」
 とにかく逃げなければ。そしてお父様に連絡しなければ。わたしが無事なこと を。



「トリミア、小さいけど、平和な国です。でも、最近、良質のエメラルド鉱山が 見つかりました。それ狙って、いろんな人、動いてる噂、ありました」
 フローラはさみしそうにため息をついた。
「と、とにかく、警察に保護してもらおう。日本の警察、けっこう頼りになる から」
「ダメ!クーデター、トリミアの恥です。日本に知られたくない」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うんだけど」
「大丈夫。お父さま、強い人です。すぐ、なんとかします。それまで、 わたし、ここにいていい?」
 フローラの大きなひとみが洋介をとらえる。この目が見えないなんて。彼には まだ納得いかなかった。
 しばらく沈黙が続いた。

 突然フローラが立ち上がった。入り口にむかってスタスタと歩いていく。
「ど、どこへいくの?」
 洋介は驚いて後を追った。
「わからない。でも、これ以上迷惑かけられない。ありがと。ヨースケ」
 悲しそうなフローラの声。
「わ、わかったわかった。とにかく今日はここに泊まればいい。どうしたらい いか、ゆっくり考えよう」
「ほんとに?」
「ああ、ほんとほんと」
「うれしい!ありがとヨースケ!」
 フローラがいきなり振り返り、洋介の首に飛びついてきた。そして右のほほ にキスをした。
「よかった。安心したら、わたし、眠くなった。寝よ寝よ」
 フローラはさっさとコタツにもどり、首までもぐりこんでしまった。

 洋介はしばらく呆然と立っていた。われに返ってコタツに歩み寄ると、フロ ーラはもう寝息をたてていた。チチがそのそばで丸くなっている。
「まるで天子だな」
 洋介は冷蔵庫から缶ビールを出してきた。まだ2本残っている。
 まだ手をつけていなかったコンビニ弁当をつまみにチビチビと飲んだ。
「マンガだな、こりゃ」
 どう考えても整理などつかなかった。頭がぼやけてくるばかりだ。
「なるようになれ!」
 残ったビールを一気に飲みほすと、両手をひろげて大の字にころがった。そ して、彼も深く眠った。

「ヨースケ起きて!わたし、おなかすいた」
 天子の声に起され、洋介はあわてて時計を見た。もう午後の7時をまわってい た。
「ほんとだ。よく寝ちまったもんだ」
「ラーメン!わたし、ラーメンたべてみたい!」
 二人は並んでアパートを出た。
 すぐ近くのラーメン屋に入る。
「いらしゃーい。あれ?守山くん、妹さんいたっけ?」
 おばさんが興味深々の顔でフローラをみる。
「あ、うん。マサコっていうんだ。今日いなかから出てきたんだよ。マサコ。 ここ、ミソラーメンがうまいんだ」
「それでいい。おにいちゃん」
 並んでミソラーメンを食べる。フローラは上手に箸をつかった。

「かわいい妹さんねえ。ほんと、かわいい」
 おばさんはジロジロとフローラをながめまわしていた。
「どうだった?おいしかった?」
「最高よ、ヨースケ」
 ラーメン屋を出た二人は商店街をのんびりと散歩した。フローラは洋介の腕 にからみついた。洋介は一瞬とまどったが、なんだかほのぼのした気持ちにな れた。妹と歩くというのは、きっとこういう感じなのだろうと彼は思った。

 むこうから顔見知りのおまわりさんがやってきた。いつもはぼんやりしている のに、今日はいやに真剣な顔つきだった。
「どうかしたの?なにかあったの?」
 洋介はなぜか気になって声をかけてしまった。
「よお守山くんか。彼女?」
「妹です。それよりどうしたんです。まじめな顔しちゃって。何か事件ですか?」
「それがよくわからんのだ。どこかのお金持ちの娘さんが家出したらしい。若い 男とこの辺でタクシーを降りたんだとさ。極秘で探せって。写真も送って こないんだぜ。どうやって探せって言うのかねえ。むやみに聞き込みもするな とさ。なんでも、有名な人の娘だから、マスコミに騒がれたくないんだと」
「ど、どんな子なんですか?」
「ええっとね」

 おまわりさんはポケットから手帳をとりだした。
「身長154センチ。ほっそりした13歳の…。髪は少し茶色っぽい。色白…。ほか にもいろいろ言ってきたが、こんな子、どこにでもいるよなあ。君の妹さんだっ て、けっこうあてはまる…」
 おまわりさんはウンザリしたように言った。
「ははは、ほんと。たいへんですね。じゃあ」
 洋介は顔をこわばらせて早足で先をいそいだ。
「わたしのこと、探してる?」
「そうみたいだ。このぶんだと君のお国の人たちもやってきてるかも…」
「どうする?ヨースケ」
「とにかく部屋へ戻ろう。じっくり考えよう。いや、そうゆっくりもしてられ ないかも…」
「わたし、大丈夫。ヨースケといると楽しいもの」
 フローラがにっこりとほほえむ。
「ま、任せなさい。きっと守ってみせる」

 日付が新しい明日に変わろうとするころ、洋介とフローラはひっそりと夜汽車 に乗り込んだ。
 あてもない、それでも心躍る旅行のはじまりだった。

パート1  ---了---

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◆パート 2◆

 潮騒の音が守山洋介の鼓膜を心地よく刺激している。
 風はなかった。この時期にしては暖かな朝だった。
 砂浜には人はいなかった。いや、たったひとり。小さな影が子犬のように砂の 上をかけまわっている。
 岩の上に腰をおろした洋介の真横に赤いスニーカーがちょこんと置いてあった。
中には靴下が丸めて押し込んである。

「ヨースケー」
 少女がこちらにむかって手をふった。
 洋介はひょいと右手をあげてそれにこたえた。もう一時間はああやって走りまわっている。
まだまだ子どもなのだ。
 少女がこちらにむかって走ってきた。もちろん右肩には白い子ザルが乗っかっている。
 流木をヒョイヒョイとよけながら、ものすごい勢いで駆けてくる。

「ねえねえヨースケ。これ何?」
 フローラの小さな手のひらにはピンク色の貝殻が乗っていた。
「貝殻だよ。なんていう種類かはわからないけど」
「へえ、カイガラ?きれい?」
「うん、けっこうきれいかな」
「わたし、いっぱい集める!ヨースケにあげるね」
 フローラはひらりと身をひる返し、また駆け出して行ってしまった。彼女の 背中で、チチのシッポがせわしなく動いているのがわかった。

「たいしたものと言うか何と言うか…」
 あの子ザルがフローラの目になっていることはもう疑いのないことだったが、 それにしても…。
「ま、なんでもありかもな。なんせあの子、不思議の国の王女さまなんだから…」
 洋介は思わず苦笑いしてしまった。まったく馬鹿げた話だ。

 そういえばむかし『ローマの休日』なんて映画をレンタルで見たっけ。けど、 こっちの方がすごいぞ。なんせヒロインは盲目の王女さまだし、とんでもなく 強いし、クーデターの連中に追いかけられてるし。
「けど、こう言うのは見てるほうがいいな。登場人物にはなるもんじゃない…」
 無邪気に砂を掘り続ける少女を洋介はジッと見ていた。あきることなどなか った。自然と顔がゆるんでしまう。
 やがてフローラが駆け戻ってきた。両手いっぱいに貝殻が乗っている。

「どう?きれい?」
「うん、きれいだよ」
「ヨースケにあげる。ぜんぶあげる」
「ありがと」
「うれしい?ヨースケ」
「ああ、すっごくうれしいよ」
「よかった」

 天子のほほえみを浮かべるとフローラは洋介の横にちょこんとすわった。
 洋介は手のひらで受け取った貝殻をしばらく見つめていたが、それをジャンパ ーのポケットにしまった。ちらりとフローラを見る。
 フローラは楽しそうに波の音に顔をむけている。

「やっぱり、海に来てよかったね」
「そうだね。ぼくも久しぶりだ」
「わたし、海って大好き」
 フローラはそう言いながらポケットから何かを出してきた。

「何それ?」
「これ?ピロルっていうの。ニホンではパン フルートっていうんでしょ」
「パン フルート?きいたことないなあ。楽器なの?」
「そうよ」
 フローラはピロルを口にあてた。

 それは手のひらにのるほどの小さなものだった。長さのちがう細い竹のような ものが6本、2列。それがひもで束ねられている。
 不思議な音が鳴った。ピロルからおとぎの旋律が流れはじめる。それが波の 音と絶妙のハーモニーを奏でる。
 おとぎの国の王女さまの、それは体中がほんのりと温かくなるミニコ ンサートだった。
 洋介はなんだか幸せな気分になってしまった。自分がいまどこで何をして いるのかさへ忘れてしまう。これからどこへ行くのかさえ…。
 夢から呼びさますように、ジャンパーのポケットで携帯電話が鳴った。
 洋介は顔をしかめながら電話を耳にあてた。

「洋介か!おまえ、いまどこにいるんだ!」
 悪友の渡辺智也の声だった。

「なんだ。トモヤか。ちょっと旅に出てる」
「のんきなヤツだな、あいかわらず。いま、おまえのアパートの近くなんだけど よ。おかしなヤツらがウロウロしてるぞ。おまえ、なんかヤバイことやったろ?」
「おかしなヤツらって?」
「おかしなヤツらはおかしなヤツらだ。外人みたいなのとか、刑事みたいに目つ きの悪いおっさんとか」
「そうか。いや、たいしたことないんだ」
「うそつけ。たいしたことないって雰囲気じゃねえぞ」
「…まあな」
「なんだかしらねえけどよ。困ったことあったら電話してこいよ。いいか洋介」
「ありがと。きっと電話するよ」
 電話を切った。

 ポケットに戻そうとすると、また鳴った。
「もしもし、守山くん?わたし、安子。いまどこ?」
 ゼミ仲間の木村安子だった。声がどこかふるえている。
「ちょっと出てるんだ」
「どこにいるの?あいたいんだけど…」
 洋介は返事もせずに電話を切った。いや、電源まで切ってしまった。

 安子が「守山くん」などと言うはずがない。誰かがそばにいるのだ。無理に 電話させられているのだ。誰が…。警察か?公安か?それとも…。

「どうしたの?ヨースケ」
 フローラが心配そうに洋介の顔をのぞきこむ。見えない目で洋介の表情をさぐ るように。
「あ、いや。なんでもない」
「そう…。ねえ、ヨースケ。わたし、ここ、気に入った。2、3日、ここで泊まろ」
「え?」
「大丈夫。お金持ってるよ。わたし」
 お金は心配していなかった。洋介も精一杯おろしてきている。フローラ のサイフの厚さには比較にもならないだろうが。
「…そうだな。そうしようか。ウロウロしてもしょうがない。ここまではまだ手 は廻ってないだろうし。よし、すてきなホテルを探しに行こう」
「やったー!」

 フローラは手をたたいて喜んだ。赤いスニーカーをはくと、待ちきれない ように洋介の手をひっぱる。
「行こう行こう、ヨースケ!早く早く!」
「よし!行こう!」
 洋介は膝を力いっぱいたたいて立ち上がった。



 時期はずれと言うこともあって、予約なしでも部屋は十分にあいていた。
「わたし、波の音、聞こえる部屋がいい」
「かしこまりました。ツインでよろしいですね?」
 フロント係りの問いかけに、洋介は一瞬とまどってしまった。

「いい、いい。ね、オニイチャン」
 フローラがニコニコしながら口をはさむ。
「お部屋は305号室になります。ここにお名前を…」
「あ、はい。…あの…。この子、目が見えないもんですから、代筆でいいですか」
「もちろんけっこうでございます」
フロント係りの若い男は驚きをおさえながらにこやかに答えた。フローラが 見えないことに気がつかなかったのだ。

「係りのものがご案内いたします」
「マサコ、いくよ。肘をお持ち」
「はーい」
 フローラは洋介の右肘にぶらさがった。打ち合わせしていたわけではないが、 まさか子ザルが誘導してくれるとは言えまい。知られるのも得策ではない。
 係りの女性に案内されて部屋にむかう。
 南むきの明るい部屋だった。窓をあけると波の音が聞こえてくる。

「いいいい。ここ、いいね、ヨースケ」
 フローラは無邪気に部屋の中の散策をはじめた。
 洋介はベッドに腰をおろしてあれこれと考えた。だめだ。何もうかばない。

「フローラ、あとで着替えを買いにいこう。ぼくのは少しもってきたが…。下に ブティックがあったみたいだから」
「行こう行こう。すぐ行こう」
 フローラが洋介に飛びついてくる。

「わかったわかった。でもな、チチは使うなよ。本物だってわかったら、みん なびっくりするから。わかる?」
「はーい。オニイチャンにつれてってもらいまーす」
「そのバトンは置いていったら」
「これはだめ。これは離せないの」
 フローラはキッパリといった。
 洋介はやれやれと思った。でも、またあの舞が見たいとも思った。
 エレベーターで一階におりる。喫茶店やおみやげ物やに並んで、小さなブテ ィックがあった。

「すいません。この子に何か見てやって。着替えをあまり持ってこなかったんだ」
「わかりました。さ、お嬢さん、どうぞ」
 洋介の肘をはなれて、フローラは店員と服選びをはじめる。
「前のサテンでコーヒー飲んでるから、終わったら声かけてください」
「わかりました。下着なんかもご用意できますから」

 洋介は喫茶店に入りコーヒーを頼んだ。
「フローラの言うとおり、ここでしばらく落ち着くか。そのほうが安全かもしれ ない。クーデターが早く沈静されればいいんだが…」

 しばらくすると店員につれられてフローラが入ってきた。旅行バッグを下げ ている。
「オニイチャン、バッグも買っちゃった」
「そ、そう…。なにか飲む?」
「わたし、いい。それより、あっちへ行きたい」
 フローラが奥の方を指差す。

「あっちって?何かあるの?」
「ゲームセンターがあるんですよ。妹さん、行ってみたいって。楽しそうな音が してますものね。でも、見えないとあそこはねえ…」
 フローラのかわりに店員がこたえる。
「大丈夫。ね、いこ、いこ」
 フローラにひっぱられ、洋介はしかたなく立ち上がった。

 ゲームセンターというほどの規模ではなかった。何台かのゲーム機が並んで いるだけだ。にぎやかなのは、ゲームの音ではなく、UFOキャッチャーに 群がる3人の娘たちの声だった。どうやら女子大生のようだ。

「ねえねえ、ヨースケ、あれなに?」
 フローラにきかれ、洋介はUFOキャッチャーのことを説明した。
「おもしろそう。わたし、やってみたい」
「無理だよ。見えないと無理だ」
「ヨースケが教えてくれればいいじゃない」

 フローラに背中をおされるようにして歓声をあげ続けている娘たちに近づく。
「すいません。この子にもやらせてやってもらえませんか」
「あ、どうぞどうぞ」
「けど、むずかしいですよ。わたしなんか、もう二千円も使っちゃった」
 三人の娘は快く場所をあけてくれた。
「いいかいフローラ。もっともっと。そうそこ。よし!」
 洋介の指示にしたがいボタンを操作したが、あえなく失敗。
「な、やっぱり無理だろ。おもしろくないだろ」
「お願い。もう一回!」
 フローラの顔が真剣になった。
「そうそう、もうちょっと。よし!」
 今度は大成功。キャラクターのぬいぐるみをゲット!
「わあ、すごいすごい!」
 まわりの娘たちが拍手しながら大喜びする。
「ね、いけるでしょ。もう一回!」
 なんと、次も大成功。
 そして次も。

 洋介は首をかしげた。おかしい。なんかおかしい。
「…そうか」
 苦笑いしながらフローラの背中をみる。白い子ザル、チチのシッポが密やかに 動いているのがわかった。



 守山洋介は憮然とひとり、ベッドにすわっていた。ほかには誰もいなかった。
「やっぱり 行かせるんじゃなかったな…」
 さっきからもう何度、同じことを口にしたことか。
「ねえ、いいでしょう。わたし、ドライブいきたーい」
 あのかわいい顔でせがまれれば、誰だっていやとはいえまい。いっそついて いけばよかったか。だが、そんなことをいえる雰囲気ではなかった。

 あの三人娘はやはり大学生だった。二十歳の記念に車でぶらりと旅をしている のだという。
「ねえ、マサコちゃん。わたしたち、これからドライブに出かけるの。一緒 に行かない?ヌイグルミもらったお礼したいの。どう?」
「わあ、行きたい行きたい!」
「だめ!ウロウロしちゃあぶない!」
「大丈夫ですよ。わたしたち、ちゃんと手引きしますから。心配いりませ んよ、お兄さん」
「そ、そういう問題じゃなくて…」
「行きたい行きたい!わたし、行きたーい!」
 結局フローラたちは出かけてしまった。

「ま、こんな田舎までは手はまわってないだろ」
 洋介はテレビのスイッチを入れてみた。
「なにかやってるかもしれないぞ。こんな時代だ。いくら小さな国だって、いつ までもクーデターを隠せないだろ」
 リモコンでチャンネルをきりかえてみたが、それらしい映像は見つからなかっ た。
 洋介はしかたなく、冷蔵庫のビールをとった。
 ピーナツをつまみに、窓際のイスで飲み始める。窓の外には美しい海岸線が見 えた。

「トリミア訪日の団長、モリスさんにおいでいただきました」
 2本目のビールを飲み干した時、つけっぱなしにしておいたテレビからそんな言 葉が聞こえてきた。洋介はあわててテレビの前にとんで走った。
「モリスさん。王女さまのご様態はいかがですか」
 キャスターらしい女性がたずねる。白髪頭のやせた男がボソボソとなにかいっ た。どうやらトリミア語らしい。
「たんなる過労らしいのですが、一応大事をとっております」
 通訳の女性が無感情にそういう。

「残念ですね。日本じゅう、楽しみにしていたのですよ。フローラ王女の来日を」
「わたくしどもとしても、とても残念です。わがトリミア王国はまだ日本と正式 な国交がありません。今回の来日には大いに期待しておりました」
「訪日の行事はどうなっていますか?」
「ほとんどの行事は、わたくしどもで何とかなります。しかし、最終日に予定さ れております、皇室お招きのパーティーには、ぜひフローラ姫に出ていただきた い。それまで、体調を整えていただきます」
「そうですか。なんとかお顔を見せていただきたいですね」

 その後、トリミア王国の紹介の映像が流れた。フローラ姫の姿も映った。長い 髪、真っ白なドレス。まさにお姫さまだった。
「いまのショートカットもかわいいかな。それにしても、たいした役者だな。こ のモリスってじじい」
 洋介はムカムカと腹が立ってきて、テレビのスイッチを切った。
 窓際にもどりイスにすわりなおしたが、もう飲む気にもなれなかった。
 ふとポケットの中の貝殻のことを思い出した。
「そうだ。退屈しのぎにはちょうどいいかも」
 フローラたちはまだまだもどりそうにない。洋介は意を決したように部屋を出 た。

 フロントでホームセンターの場所をきく。案外近くにあるようだ。
 いそいそと出かける。フローラの喜ぶ顔が何度も浮かび、洋介はしらずし らずテレ笑いしてしまう。
 必要な道具を買い込み、いそいそと部屋に戻る。

「さて、と。覚えてるかなあ」
 テーブルの上に貝殻と道具を並べて、洋介は製作過程を頭にえがいてみた。
だいじょうぶ。あのバイトからもう二年にもなるが、しっかり覚えている。
 貝殻の中からよさそうなものを選ぶ作業からはじめた。
「いいぞいいぞ。これだけあればかわいい首飾りができそうだ」
 洋介は作業に熱中した。そのほうがずっと楽だった。なにもしないでいると、 恐ろしいことばかり考えてしまう。

 首飾りが半分ほど出来上がったころ、部屋の電話がなった。
「フロントでございますが、妹さんからお電話です」
「あ、そうですか」
 すぐにフローラの楽しそうな声が聞こえてきた。洋介のほほが思わずゆるむ。 「ヨースケ?ドライブ楽しかったよ」
「そう。よかったね」
「ねえヨースケ。いまからオネエサンたちと夕ご飯たべにいくんだけど。いいで しょ」
「え?だ、だめだめ。帰っておいで」
「えー!だめだって」
「代わって。もしもし、わたしたちが責任もちますから。そんなにおそくなりま せんから」
「あ、いや。その…」
「…わかったわかった。いま行くから…。そういうことですから、ご心配なく」
「もしもし!もしもし!」
 電話は切れていた。

「まったくもう。近ごろの大学生ときたら…」
 ぶつぶつ言いながら、しかたなく窓際に戻る。
「こうなったらビックリするようなやつを作ってやるぞ。見てろよ」
 おかしなファイトがふつふつとわきあがってくる。
「それにしても、晩メシは一人で食べるのかよ…」
 寂しさや不安を吹き払うように、洋介は首飾りづくりに没頭した。



「わあおいしい!これ、なんて言うの?」
 フローラがまた歓声をあげた。
「それはトーフステーキ」
「ふふ、マサコちゃんって、ほんとに居酒屋はじめてなんだ」
「まだまだおいしいのがくるわよお」
 三人の女子大生はさも楽しそうにフローラを見ている。

「わたし、のどかわいちゃった」
「それなら、これ飲んでみたら」
「こら、だめよサヤカ!」
「いいじゃない。ちょっとだけよ」
 サヤカとよばれた娘が大きなジョッキをフローラに手わたす。
「わあおいしい!これ、なんていうの」
「カルピスチューハイ。どう?気に入った?」
「気に入ったあ!わたしもこれ欲しい」
「いいわよ。すいませーん!カルピスチューハイもうひとつ!」
「さやかったら!やめなさいったら!」
「いいからいいから。かたいんだからミホは」
 店員がジョッキを持ってやってきた。

「ありがと。それにしても、奥、うるさいわねえ」
 サヤカはそれをうけとりながら、わざと顔をしかめてみせた。
「すいません。宴会が入ってるもんですから」
 店はけっこう広かったが、テーブル席にはフローラたちと、少し離れて 若い男女4人のグループだけ。しかし入った時からいかにも下品そうな声が奥 の座敷からひびいてきた。
「気にしない気にしない。ほらマサコちゃん、ヤキトリがきたわよ」
 ノゾミがフローラに串をもたせてすすめる。

「わあ、これもおいしい!」
 フローラがまた歓声をあげた。それがおかしかったのか、女子大生たちはおな かをかかえて笑い出す。
「さあ、どんどんもりあがっちゃおう!かんぱーい!」
「カンパーイ!」
 フローラもジョッキをあわせて大声をあげた。そして、一気に半分ほどのんだ。

「だ、大丈夫?マサコちゃん」
 ミホが心配そうにフローラの様子をうかがう。
「大丈夫大丈夫。さあ、マサコちゃん。どんどんいきな。かんぱーい!」
 サヤカがまたフローラのジョッキに自分のジョッキをぶつける。

「おまちどうさまあ」
「お、きたきた。カラアゲにジャガバタ、シシャモとホタテバター」
「まだまだどんどんくるわよ。マサコちゃん、もうカラじゃない。もう一杯どう?」
「だめよサヤカ!」
「わたし、おかわりしまーす」
 店いっぱいに華やかなムードがあふれる。おしゃべりがはずむ。

「ねえちゃんたち、たのしそうじゃのお」
 そんなテーブルに水をさすように、下品な男の声がやってきた。
 4人は一斉にそのほうを見た。
 真っ赤な顔をした男がフラフラとこちらへ歩いてくる。奥の座敷の客らしい。 一見してチンピラとわかる風体だった。

「うちのアニキがよお。ねえちゃんたちにシャクしてほしいんだとよ。すまんけ ど、 ちょっと顔貸してくれや。ただとはいわんからよお」
「こまります、お客さん」
 カウンターの中から店主らしい男がとがめた。
「うるせえ!ぐだぐだいうんじゃねえ!」
 チンピラにしてはなかなかの迫力だった。店主は一発でちじみあがってしまっ た。

「ワシはこのねえちゃんたちに頼んでるんだ。な、ええじゃろ。ちょっとだけ でええんじゃ。なっ」
 男がミホの腕をつかんでひっぱった。
「や、やめてください」
「わ、わたしたち、もう帰るところなんです。すいません」
 サヤカが立ち上がって頭をさげる。

「冷たいこと言いなや。頼むわあ。ワシの顔たててえや」
 ドスのきいた言葉だった。ミホはぐいと男に引き寄せられる。
「きゃあ!」
「おやめなさい!」
 ミホの悲鳴に重なるようにりんとした声がとんだ。
 チンピラはギョッとして声の主を探した。それほど大きな声ではなかったが、 男の背筋にゾクッとくるほどの威厳が感じられた。
 二杯目のジョッキをカラにしたばかりの少女がゆっくりと立ち上がった。

「な、、なんじゃあ、ガキかいな。ビックリさせなや。お嬢ちゃん、ワシら はねえちゃんたちと大事な話があるんじゃわ。おとなしゅうに待っとき」
 チンピラはあらためてミホを引き寄せようとする。
「手をお放しなさい!」
 フローラがユラユラと男に近づく。
「なんじゃ、このアマア!」
 チンピラが少女をにらみつける。
 ピュッと風を切る音がした。

「ぎゃああ!」
 悲鳴をあげながら男が手首を押さえて飛びさがる。そして、あまりの苦痛にそ の場にうずくまってしまった。
「テツ!なに、もたもたしとるんじゃ!さっさとつれてこんかい!」  ざしきから怒鳴り声が飛んできた。しかし、うずくまった男はもう返事もでき なかった。
こらテツ…な、なんじゃあ!どないしたんじゃ」

 奥から出てきた大柄の男は、床にうずくまるあわれな仲間の姿を目にすると、 見る見る顔をひきつらせた。 「なんか知らんが、こりゃあシャクだけじゃあすまんようになったみたいじゃの お」
 指をボキボキ鳴らしながら、ジリジリとフローラたちに近づいてくる。
「マ、マサコちゃん…」
 三人娘は身をよせあうようにしながら、おびえきった目でフローラを見ていた。
「大丈夫。すぐ終わるから」  真っ赤な顔をした少女がニッコリとほほえんで見せる。いままでピクリとも動 かなかった右肩の子ザルのヌイグルミが、長いシッポをゆらゆらとゆらせはじめ ていた。



 異変に気づいた奥の連中がゾロゾロと出てきた。10人以上はいるようだった。
どの顔もやくざそのもの。全員が真っ赤な顔をしている。
「や、やめてください。勘弁してやってください」
 店長があわててカウンターから飛んできた。指を鳴らす男とフローラの間に割って はいる。

「ひっこんどきいや。ケガするぞ」
 男は大きな目をギロリとむいておどしあげる。店長はおずおずとひっこむ。
「心配するなや。今日は鬼塚組が貸し切りしてやる。奥の座敷、ちょっと汚すかもしれんがよ」
 一番後ろで腕組みしている男が店長にむかって言った。
「警察なんぞに電話するなや。お前らの顔、しっかり覚えとくからな。わかっと るな!」
 ほかの男が店中をぐるりと睨みまわす。隅にすわっていた4人組が背筋をピンと 伸ばしたまま石になっていた。

「わるいな、あんたら。2時間もかからんから、そこでゆっくり飲んどってくれや。 帰っちゃいかんぜ」
「2時間じゃつまらんですわ、アニキ。最近たまっとります」
 男たちがドッと笑う。下劣そのものの笑いだった。
「さあお嬢ちゃん。そんな棒ふりまわしたら危ないよ。痛い目にあうよ。お ねえさんたちのご用が済むまで、おとなしゅう待っとき」
 一番前の男がフローラの白いバトンに手をのばした。
 フローラはすっと後ろにさがった。指先でバトンをまわしはじめる。右膝をく の字にまげ、左のつま先だちになる。

「あれ?」  グラリとよろけて転びそうになる。バトンがポトリと落ちる。フローラはあ わててそれを拾い上げた。
「何遊んどるんじゃ。オジサンたちは忙しいんじゃ」
「ねえちゃんたち!ケガせんうちにサッサと奥へきいや」
 三人娘は真っ青になって震えあがっている。酔いなどとっくに醒めていた。
「ちょっと待って」
 フローラは口笛のような音をたてながらゆっくりと深呼吸した。そしてまたバ トンをかまえなおした。

「き、気をつけろ。その小娘、ただもんじゃねえぞ」
 うずくまっていた男が仲間たちに必死で忠告する。だが誰も聞いてはいない。
ニヤニヤと笑っているだけだ。
「いい子だから、おとなしゅうしい。オジサンたち怒ると怖いでえ」
 フローラがゆっくりと踊り始めた。その動きは徐々にスピードを増していく。

「ほお、たいしたもんだ。ただもんやない言うんはまんざらウソでもない」
「けど、ワシ、おどりはええ。ねえちゃんたちと遊びたい」
 我慢できなくなったのか、角刈りの男が三人娘に襲いかかろうとした。
「きゃああ!」
 恐怖の悲鳴があがる。

「うわああ!!」  同時に角刈りの叫び声も。
 あっという間に、角刈りは店のすみまで吹っ飛んでいた。
「待ってて。5分で済むから」
 踊り続けるフローラがほほえみながら娘たちに向かって言った。
「このガキ!!」
 何人かの男が踊り舞う少女を押さえにかかった。

「ぐああ!」
「ひい!」
「ぐえええ!」
 竜巻にでもはじき飛ばされたように、男たちが高々と宙に舞い上がる。
「ば、ばけもの…」
 尋常でないことを察した畜生どもが、一転して逃げ出そうとしている。動物 的なカンが男たちに危険を直感させていた。
「だめえ。もう許さない!わたし、怒ってる」
 右肩のチチのシッポが激しく動く。

 フローラの小さな体が男たちのど真ん中に飛び込んでいく。
「うわあ」
「ぎゃああ」
「お、おかあちゃーん」
 テーブルが吹っ飛ぶ。イスが跳ね上がる。コップや皿が砕け散る。
 やくざたちの悲鳴はすぐに止んだ。
 店内がシンと静まり返る。

床に倒れ伏すゴミの山の中に、美しい少女がすっくと立っていた。まるで、踊 り終わって拍手を待つプリマドンナのように。
 本当に拍手が鳴った。店のすみにジッとすわっていた4人組みの男女からだった。
最初は遠慮がちに。しかし、だんだん強く。感動に顔を紅潮させながら。
 従業員たちもつられて手を叩きだした。
 やがて店内は拍手と歓声に飲み込まれた。
 フローラは照れ笑いしながら店長に歩み寄った。

「ごめんなさい。これで足りますか」
 サイフからお札を10枚ほど出して手渡す。
「こんなもの要りませんよ。いいもの見せてもらった。感動しました。こんな気 持ちは初めてだ。すばらしい踊りでした」
「この人たちの治療代も…。手加減はしたけど…」
「いいんですよ。こいつらも極道のはしくれだ。女の子にのされたなんて口が 裂けてももらしません。でも、早くこの町を出たほうがいいかも。鬼塚組って言う のは、このへんじゃけっこう大きな暴力団なんです。みなさんのお勘定だけいた だいておきます」
 店長は目に涙さへ浮かべていた。

「マサコちゃん、すごーい。どうなってるの」
「すご過ぎるわよ。いったい何者?」
「そんなことより、はやくホテルに戻りましょ。モタモタしてると…」
フローラたちは拍手に送られながら居酒屋を後にした。
 守山洋介の待つ部屋に戻ったのは、彼が首飾りを完成させた直後のことだっ た。

「守山さん、ごめんなさい。マサコちゃんを怒らないで」
「そうよ。わたしたちが悪かったの。あんなとこへ連れて行って」
「でもすごかったわあ。マサコちゃんって、とんでもない子ねえ」
 とびこんでくるなり三人娘は口々に事情を説明した。洋介は出来たばかりの首 飾りを握りしめながら呆然と聞いていた。何がなんだかわからなかった。
「わたしたち、あした朝はやくにホテルを出ます。守山さんたちもそうしたほう がいいわ」

「いっそわたしたちと一緒に来ません?」
「そうよ。わたしたち、明日は温泉宿に泊まるんです。どう?マサコちゃん。い いわよお。山の中のひなびた温泉宿」
「わあ、オンセン!行きたい行きたい!わたし、行きたい!ねえ、いいでしょう ヨースケ」
 フローラがせがむように洋介に飛びついてきた。酒臭い息がかかる。
「お、温泉かあ…。それもいいかもな…」
 天子のほほえみが洋介の思考能力を奪い取っていく。
 旅はまだまだ続きそうだ。


パート2  ---了---

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