長編小説のページ・3(九話から十四話)
| やっと服も乾き、三人は妖精の村に向かって歩き始めた。毒蜘蛛の毒にやられたキラは風の妖精に抱かれている。ナナは、そんな弟を複雑な表情で見ていた。あまりにも母にそっくりな女性だ。恐らく、キラはシルフィーを母と信じたくて甘えているのであろう。その気持ちは理解できる。だが、母ではない。本当の彼らの母は天国で、姉弟と父のアモンの血を待っているのだ。 残された時間は少ない。一刻も早く父を助け出し、天国へと向かわなくてはならないのに……。あんなに、妖精に懐いていては別れが辛くなってしまうに違いない。それで、旅立ちが遅れるようになったら……。あんなに嬉しそうな弟の顔は久しぶりだ。だから、ナナは何も言えずにいた。 「ミューッ!」 不意に、前方を歩いていた幼竜が叫び声をあげた。一同はギクリとして足を止める。 シューッ! 同時に、地面に黒金の矢が突き刺さる。エリオスは悲鳴を上げ、草むらへと逃げ込む。シルフィーはギュッと小さな少年の身体を抱きしめた。ナナは素早く腰の革ベルトから短剣を抜き、身構える。 「アモンの子らよ、観念して、オレに従え!」 太い男の声が天空から轟く。同時に黒い影が地上へと降り立った。巨大な体躯を漆黒の鎧で包みんだ魔戦士。銀色の髪からは太い二本の角が見えている。黄色の双眼は鋭く、閉じられた額の第三の眼が不気味な威圧感を与えていた。サーザに命じられ、魔天使姉弟を捕らえにきた、ゴールズである。 「呪われた魔天使、オレと共にサーザ様の元へくるのだ。おとなしくしておれば、乱暴はせぬ。だが、抵抗するならば ……」 ゴールズはスラリと腰の大剣を抜いてみせる。有無を言わせず連行してやるぞと言う無、言の威圧であった。だが、そのような脅しに屈するわけにはいかない。キラもナナも、一刻も早く父を闇牢獄から助け出し、天国の母の元へ行かなくてはならないのだ。 「私たちは、あなたと行くわけにはいかないわ。」 短剣を構えたまま、ナナが鋭い声で拒絶した。ジッとにらみ返す瞳は黄金の輝きを発している。たかが十二、三才の少女なのに、何故かゴールズはギクリとして、一歩後ずさりたい衝動にかられた。 「おじちゃん、ぼくたちを邪魔しないで。」 妖精の腕を離れ、地上に降り立ったキラが見つめる。あどけない黒い瞳が魔戦士を戸惑わせた。なんと言う汚れのない瞳であろうか? 「だっ、黙れーっ!お前らは、魔王様の禁を破り、地獄へ舞い戻った罪人。そのような戯れ言、聞く耳持たぬわ!」 動揺した己を振り切るかのように、ゴールズは大声を上げる。そして、二人を捕らえようと、足を一歩踏み込んだ。 「キラ、逃げな!あんたは毒で弱っているんだ。ここは、あたいに任せるんだ!」 ナナが苛立たしそうに叫ぶ。 「そうはさせるか」 ゴールズの大剣がキラの行く手を遮る。 「畜生ー!この大男!」 少女の短剣が戦士の胸を狙う。だが、巨体の割には敏捷な動きで軽く避けられてしまった。 「くっ!」 素早く短剣を返そうとした。しかし、魔戦士の手が少女の腕を掴む。動けない。強い握力で握られた細い腕から血の気が引いて行く。短剣を持つ手から力が抜ける。 カチリ! 短剣は音を立てて地面に落ちてしまった。紫色に変色したナナの腕を掴んだまま、戦士はキラに迫る。 逃げなくては。しかし、剣の切っ先は、喉元から微動もしない。一歩でも動けば、そのまま首を胴体から切り離してしまうに違いなかった。毒にさえやられていなければ、素早く逃げることもできたかも知れない。だが、今のキラでは、とうてい大剣をすり抜けることは困難であった。 「ふふ、小僧、観念したか。」 ジッと身動きしない少年を見て、ゴールズが笑みを浮かべた。子供相手に手荒なことはしたくはない。おとなしく従ってくれるのなら、助かると言うものだった。 「さあ、こい!」 少年の腕を掴むと、戦士は大空に舞っている己の翼竜を呼ぼうと顔を上げる。その時、僅かに隙ができた。 「えいっ!」 おとなしくうつむいていたキラが、不意に腕にかみついた。途端、ナナを掴んでいた手から力が抜ける。その隙を逃さず、彼女は魔戦士の手を逃れた。 「まっ、待て!」 慌てて捕らえようと手を伸ばす。その時、キラも腕をすり抜けた。 「小僧!」 二人はバラバラに逃げる。咄嗟にどちらを追いかけるべきか迷うが、毒にやられフラついているキラを無視してナナを追いかけた。手強い方から先に倒す。それは戦士としての修正であった。 「小娘め、逃がすかーっ!」 ゴールズは手に持っていた大剣を少女の背に向かって投げつける。 「当たる!」 と、思った瞬間、ナナの身体がよろめき、地面に転がった。剣は少女の肩口をかすめ、地面に落ちた。ナナは慌てて起きあがろうとする。だが、何者かがその手を掴んだ。ゴールズか?唇を噛み、相手をにらみつけた。 「あっ……あんたは?」 相手の顔を見たナナが絶句する。長い黒髪をサラリと背に流した青年戦士。蒼白に見える肌とくっきりと書いたような眉。長い睫毛に囲まれた黒曜石の瞳は、不思議な光に溢れていた。 「また合いましたね、子猫ちゃん。」 薄く形の良い唇に笑みを浮かべ、少女を助け起こす。 「あっ、あの時、闇牢獄の場所を教えてくれたおじちゃんだ」 いつの間にか側にきていたキラが叫ぶ。ナナも思い出していた。確か、あの時、ナナは黒猫の姿をしていたはずだが……? 「ふふ、私にはすぐに判りましたよ。あなたの美しい黄金の瞳。あの時の子猫ちゃんだと。」 青年戦士は笑みを浮かべたまま、ナナの黒髪を手で弄ぶ。 「この人は誰?」 ナナはうっとりと若い戦士を見つめた。 「おのれ、邪魔をするかーっ?!」 すっかり無視された形のゴールズが怒鳴る。青年はゆっくりと少女の身体を離すと、正面を向いた。 「地獄で一、二と言われた魔戦士ゴールズともあろう者が、こんないたいけな井子供に大剣を振るうとは、落ちたものだな。」 ゴールズに向かい、皮肉な笑みを浮かべる。 「きっ、貴様は……ルークか?親衛隊長の?何故、お主がここにいる?」 さっと戦士の顔色が変わった。目の前に現れたのは、魔王親衛隊の隊長ルークだったのである。しかし、何故?親衛隊と言えば、常に魔王の側に付き従っているはず。不信がゴールズの胸に沸き上がってきた。 「そのようなこと、どうでもよかろう。とにかく、子供たちから手を引け。さもなくば……」 しなやかな動きで若き戦士は腰の長剣に手をかけた。 「ほう、面白い。言うことを聞かねば、剣にかけても……と言うわけだな。」 ゴールズは口元に笑みを浮かべる。戦士の血が強い相手を見つけ、沸騰してくるのだ。子供相手に嫌な仕事だと思っていたが、魔王親衛隊長が相手ならば、不足はない。思いっ切り戦えると言うものだ。 「かかってきますか?」 ルークも笑みを浮かべたまま長剣を抜いた。二人の戦士は剣を構えたまま、互いの隙をうかがう。だが、ゴールズ、ルーク共に地獄に名を馳せた戦士、容易には切り込むことができない。僅かに切っ先を動かしただけで、相手は動きを読み、間合いを外す。ジリジリと間合いを計り、敵の呼吸を読む。緊張の糸が二人の間にピンと張りつめ、ナナもキラも息を呑んで戦いを見つめていた。 「でえーい!」 若いルークが耐えきれず、長剣を突き出した。瞬間、ゴールズも大剣を跳ね上げる。二つの剣が激しく火花を散らす。力は互角。剣は絡み合ったまま微動もしない。二人の戦士の筋肉が盛り上がり、互いの剣を押し退けようと全力を尽くしていた。両者の全身から汗が噴き出し、キラキラと輝きながら落ちて行く。 「えっ?」 不意に何者かがナナの腕を引く。驚いて振り返ると、かぜの妖精が唇に指を立て目配せをしているのが目に入った。しゃべるなと言う意志表示だ。ゴクリと言葉を飲み込んだ。 「今の間に……」 妖精が小声で囁く。ナナは無言でうなずくと、そろそろと戦っている戦士たちから離れようとした。キラもそれに気づき、後ずさりを初めている。 「うおーっ!」 男二人は、かけ声と共に後ろへ跳ね飛ぶ。相当の力の押収があったのだろう、二人とも肩で息をしていた。 「小僧、なかなかやるな。さすがは、若くとも親衛隊長をしているだけのことはある。」 二人の戦士は吐息にも似た笑みを浮かべる。互いに好敵手を得た喜びに悦に入っていた。一生に一度会えるかどうかの素晴らしい敵だ。双方共、戦いの喜びに我を忘れていた。
「驚いた?妖精は地獄では弱い存在で、以前は隠れ、怯えて暮らすしかできなかったのよ。でも、ある時、突然現れた悪魔戦士が村人たちの苦渋を知り、村の周囲に結界を張るようにと忠告してくれたの。そして、一人一人は無力な妖精でも、全員の力を集合させれば、強力な結界石を作ることができると、その方法を伝授してくれたのよ。妖精たちは、戦士の指導で強力な結界を張ることができ、今はこんな地獄でも安全に暮らすことができるようになったの。私たち、その戦士にとっても感謝してるわ。」 シルフィーは沈黙し、遠くを見つめる。何か感慨にふけっているように見えた。そして、視線をキラに戻した時、今までにない優しい眼差しをしていた。 「じゃあ、行きましょうか」 シルフィーにうながされ、彼らは再び歩き始める。森は、地獄には珍しく危険な動物も植物も棲息してはいない。食料になる木の実もそこここに実っていた。奥へ進むに連れ、穏やかな風が肌を心地よく吹き抜けて行く。キラとナナは地獄へきて以来初めて緊張を緩めることができた。やがて、森の中央とおぼしき場所が見えてくる。そこには、マッシュルームを想像させるような高床式住居が円を描くように点在していた。中央にある広場では、十数人の子供たちがはしゃぎながら走り回っている。女たちは何やら薬草のような物を大きな釜で煮ていた。男たちはと言えば、たった今狩ってきたばかりなのであろう、巨大な野牛に似た動物を解体している。 「あっ、母ちゃん!」 遊んでいた男の子の一人が三人を見つけて駆け寄ってくる。シルフィーと同じ黄金の髪、紅の瞳のやんちゃそうな少年だ。 「ただいま、ユーリー。良い子にしていた?エレーナを泣かせてたりしてないでしょうね。」 男の子は少し頬を膨らませて答える。年齢はおそらくキラと同じぐらいだ。気の強そうな瞳が何処かしら動揺しているように見えたのは気のせいだろうか? 「嘘だよ、ユーリーはエレーナに意地悪をして泣かせていたよ。」 後ろからついてきた女の子が告げ口をした。ユーリーは真っ赤な顔をしてにらみつけたが、彼女は赤い舌を出してシルフィーの陰へ隠れてしまった。 「もう、ユーリーったら、いけない子ね。」 苦笑しながら男の子の頭を軽く叩く。 「そっ、そんなことより、母ちゃん、そいつは誰なんだよ?図々しく母ちゃんにだっこされてよー。」 叱られて、少しふてくされた顔で、腕の中で眼を丸くしているキラを指さす。 「こら、そんな風に言うんじゃありません。キラ君は母ちゃんをドクランテスから助けてくれたのよ。その時、毒にやられてしまったから、母ちゃんが抱いてきたんだよ。だから、早く家に戻って寝床の用意をしてきておくれ。」 ユーリーは少し恨めしげににらんでいたが、渋々家に向かって走り出した。が、ふと立ち止まり振り返る。 「おいっ、キラとやら、母ちゃんはオレの母ちゃんだぞ。勝手に母ちゃんに甘えるんじゃないぞ!」 シルフィーが咎めようと口を開きかけた。だが、その時にはもう家に駆け出している。 「全く……」 息子の後ろ姿を見送りながらシルフィーは、深いため息をつく。キラは黙って目を伏せていた。なんて幸せそうな母子なのだろう。自分たちにも、こんな幸せな時がくるのだろうか?天国で瀕死の重傷でふせっている母、フレア。父を闇牢獄から助け出し、三人で助けに行くまで待っていてくれるだろうか。一刻も早く母に会いたかった。そして、ユーリーのように……。 「ママ……」 思わず母によく似た妖精の胸に顔を埋めていた。もしも、これが本当の母だったらどんなによかっただろう。柔らかな胸、ほのかに香る体臭、そして優しく撫でてくれる手、どれもが母を思い出させた。 |
| 高床式の家の中は外見から想像した通り、かなり狭かった。恐らく食事も仕事も外で行われているのであろう。中は五、六人がやっと眠れるぐらいの広さしかない。その家の中の窓際にユーリーは枯れ草を集め、寝床を作ってくれていた。シルフィーはその上にキラの身体をそっと寝かしつけた。 「ゆっくりと休むんだよ。旅を続けるには先ず体力だからね。」 優しく言うと、ニッコリと微笑む。キラも弱々しい笑みを浮かべた。ナナは無遠慮に家の中を見回している。本当に何もない殺風景な家だった。飾りと言うものは何も見あたらないがらんとした空間。もしかしたら、人間の世界にある、物置小屋の方がもっと愛嬌があるかも知れないと彼女は思った。シルフィーはキラを寝床に下ろすと、再び外へ出て行ってしまった。 「おいっ、毒消しだ。飲め!」 母親と入れ替わりに 小さな壷を抱えたユーリーが中へ入ってきた。そして、ぶっきらぼうにキラの鼻先に突きつけた。 「ありがとう」 キラが小さな声で礼を言った。 「礼なんかいいから、さっさと飲めよ。」 言うだけ言うと、顎をしゃくってにらみつける。キラは受け取った壷を暫く見つめていたが、おもむろに飲み込んだ。 「うえーっ、苦い……」 薬の苦さに思わず吐き出そうとする。 「ちゃんと飲めよ。そうしないと、治らんからな。」 顔を顰め、無理矢理苦汁を飲み込む。目にはうっすらと涙が滲んでいた。ユーリーはそんなキラの様子を見て、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。 「キラ君、毒消しは飲んだ?」 そこへ一端外へ出ていたシルフィーが戻ってきた。 「飲んだよ、ありがとう。でも、凄く苦かった。」 キラがいまだ口の中に残る苦い味に顔を顰めながら答えた。 「苦い……?」 シルフィーが怪訝そうに首をかしげた。その様子を見て、ユーリーが足を忍ばせて出て行こうとする。 「ユーリー!」 母親ににらみつけられて、少年は脱兎のごとく家を飛び出して行った。羽を背中に生やし、空へと舞い上がる。 「全く、困った子……。ごめんね、キラ君。あの薬はとっても苦いから、蜂蜜を混ぜて上げるように言っておいたのに、忘れちゃったのね。」 キラは苦笑しながら答えた。きっと、蜂蜜を入れなかったのは、わざとに違いない。ユーリーはよその子に優しくする母親に嫉妬したのだ。だから、あんな意地悪をしたのであろう。 「もう、後できつく叱ってやらなくちゃいけないわ。」 キラは寝床から起きあがろうとした。いまだ少しフラつくが、随分と身体は楽になっていた。シルフィーとユーリーの母子を見ていて、重症の母が急に恋しくなった。少しでも早く父を助け出さなくてはならない。そう思うと、毒にやられた身体に力がみなぎってくるようであった。 「キラ君、もう少し横になってなさい。せめて、明日の朝まではおとなしくしてないと……」 キラはニッコリと微笑むと立ち上がった。 「じゃあ、行こうか」 ナナもうなずく。二人とも、決心は変わらないと見たシルフィーは肩をすくめた。そして、脇にあった革袋を差し出す。 「これには、私たち、風の妖精が作った薬が入っているわ。赤いのが熱冷まし。白いのがお腹の薬。黒いのは毒消し。青いのは眠り薬よ。何かの役に立つかも知れないから、持って行って。」 キラが礼を言って受け取ると、シルフィーはニッコリと微笑む。そして、ナナには食料の入った袋を持たせてくれた。 「シルフィー、ユーリーを叱らないでね。たぶん、ぼくにママを盗られると思って焼き餅を焼いたんだ。」 風の妖精は片目をつぶってにっこりと微笑んだ。 「あんたたちのママだって、いつもあんたたちのことを思っているさ。」 キラは思わず抱きついていた。この母によく似た妖精の言葉が何よりもうれしかったのだ。 「うわーっ!」 不意に外で村の者たちの悲鳴が轟いた。抱き合っていたキラとシルフィーは驚いて顔を上げる。ナナは咄嗟に外へ飛び出していた。 「ああーっ、ドクランテス……」 家から飛び出した途端、目に飛び込んできたのは、あの巨大な蜘蛛の一団であった。十数匹、いや数十匹の毒蜘蛛が村の中へ攻め込んでくる。男たちは手に手に鎌や鍬を持って襲いかかってくる巨大な化け物に立ち向かっていた。だが、吐き出される糸にからめ取られ、自由を失う者、巨大な牙に噛み砕かれる者、強酸の唾液に溶かされる者たちが続出している。それに、例え傷つけたとしても、毒を含んだ体液のために倒される蜘蛛よりも、やられる男たちの方が数多かった。 「何故、ドクランテスが村に入ってきたのかしら?村の周囲には、敵を侵入させないための結界が張り巡らされていたはずなのに……?」 シルフィーが繭を寄せる。そう言えば、この森に入る時、妖精が入り口の所で何やら呪文を唱えていた。あれは結界を抜けるためのものだったのに違いない。あの結界は見事なものだった。おいそれとは見破ることはできないはず。なのに、その結界を破って巨大蜘蛛の群が進入してくるとは……? 「誰かが結界を開いたままにしておいたのに違いないわ。それにしても、一体誰が……?この村の人間なら、結界を開いたままにしておくことがどんなに危険なことか知っているはずなのに……。」 鎌や鍬では化け蜘蛛を倒すことはできないと悟った村人たちは、武器庫から弓矢や剣を取り出し、本格的な反撃に出ていた。石弓をビュンビュンと蜘蛛に射かけ、急所を狙う。だが、敵もおとなしく石矢を待ってはいない。毒液を吐き散らし、勇敢な村人を溶かそうとする。何人もの男たちが避け切れずに倒されてしまった。剣を手にした男は果敢にも空から蜘蛛の急所である額の中央目がけて特攻を試みる。何人もが蜘蛛の糸にからめ取られ、地上へと落ちて行った。そして、糸をくぐり抜け見事に急所に剣を突き立てた者も、蜘蛛の毒を含んだ体液のため、戦闘不能に陥って行った。 「ユーリーの母さん。」 不意に横から声がする。驚いて主を捜すと、先ほどの少女、ポーリーが落ち着かない様子でシルフィーを見つめていた。 「ポーリー?どうかしたの?」 愕然となるシルフィー。キラもナナも凝然と小さな妖精を見つめていた。村を守る結界を壊したのはユーリー?何故、彼がそんなことを……?
「ドクランテスを倒し、見返してやるんだ。」 心の中はその思いで一杯になっていた。父の形見の剣を片手に、草原を飛び回る。巨大毒蜘蛛は、妖精にとっては天敵である。奴らは、妖精の気配を察知すると、密やかに近づき、襲ってくる。小さな妖精は油断なく草むらの中を観察した。何処かに蜘蛛が潜んではいないか?何処かで、罠を仕掛けてはいないか?用心深く地上へと降り立った。今にも真っ黒な足が飛び出してきそうな深い草原。僅かな物音にも、身体を硬直させる。 ガサッ! 不意に背後の草が揺れた。ユーリーは剣を構え、振り向く。出たか?思いっ切り、剣を振り下ろした。 「ちょっとーっ!あんた、何するのよーっ?」 剣は跳ね返され、女の声がかえってくる。思わず飛び退き、相手を見た。ほっそりとした手足、長く腰まで伸びた白銀の髪。薄紫の瞳は妖しく輝いている。ドキリとする程の美女であった。 「ごっ、ごめんなさい……。オレ、ドクランテスかと思って……」 美女が妖艶に微笑んだ。何と言う瞳の輝きであろう。ユーリーは魅せられ、女の瞳から視線を外すことができなかった。前進の筋肉が弛緩したように力が抜け、手に持っていた剣が地面に落ちた。だが、そんなことにも気づかず、ひたすら女の瞳を凝視する。 「うふふふ、可愛い坊や。私の元へいらっしゃい。」 手招きにフラフラと歩を進める。甘美な感覚が前進を包み、相手の言葉に抗すことができないのだ。 「本当に可愛い子。お姉さんのお願いを聞いてくれるわね。」 耳元に響いてくる甘い声を朦朧とした頭の中で聞いていた。美女が何を言ったのか覚えてはいない。だが、気づいた時、周囲には誰もいなかった。 「……夢だったのかなあ……?」 夢うつつの顔でユーリーはつぶやいた。今見たことがはっきりとは思い出せない。誰かがいたような気がするのだが、それが誰だったのか……? 「帰ろう……」 何か今まで気負っていたのがばかばかしくなってきた。どうせ、相手はよそ者。そのうち村を出て行くのだ。あんな奴に嫉妬していたのが馬鹿なことのように思えてきたのである。地面に落ちている剣を取り上げ、村へと戻って行った。森の入り口にくると、呪文を詠唱し、結界を解くと、青い森が現れる。足を踏み入れようとした時、彼の目を白い石が目に入った。これが、村人たちの念を込め、結界を作り出している結界石なのだ。 「……」 ユーリーの身体が痺れたように動けなくなった。どうしても石から視線を外すことができない。何かが意識の奥で囁きかけてくるのだ。 「石を壊せ!石を壊せ!石を壊せ!」 抗し難い声が頭の中で響いてくる。だめだ。これは、村を守る大切な結界石なのだ。声に逆らおうと目を閉じた。だが、それはもっと声の力を増させるだけであった。網膜の裏に現れる薄紫色の瞳。妖しい光をたたえた光彩が神経を麻痺させて行く。 「結界石を壊せ!」 声に操られるように、ユーリーの足が白い石に向かって踏みしめて行く。危険だと言うことは判っていた。このまま石を壊してしまえば、村が無防備になってしまい、危険な獣や悪魔の餌食になってしまう。それは判っていた。だが、彼の手足は意志に反し、勝手に動いてしまうのだ。石が目の前にきた時、剣を持つ右手が挙がった。このまま振り下ろせば、剣は結界石を粉砕してしまうに違いない。だめだ。そんなことをしては!ユーリーは懸命に止めさせようと試みた。 「ユーリー!なんてことをしてるのよーっ!」 不意に背後から声がした。その声はポーリー、幼なじみだ。思わず意識がそちらへ向く。途端、必死にこらえていた右手から力が抜けてしまった。 「ああーっ!」 ポーリーの絶叫!剣から伝わってくる強い衝撃。そして、粉砕されてしまった白い石…… 「ユーリー!なんてことを……」 意識の遠くで幼なじみの声が聞こえていた。なんてことをしてしまったのか……。剣を握り締めたまま、ユーリーは呆然と立ち尽くしていた。
「ユーリー、どうして……」 風の妖精の顔が苦痛に歪んだ。誰よりも結界の大切さを知っているはずなのに。何故なら前回、結界が壊れた時、父を失っているのだから……。形見の剣は、父がその時、侵入してきたドクランテスを倒したものなのだ。村を守るため、蜘蛛を倒し、毒を含んだ体液を浴び、死んだ父親のことを忘れたと言うのか? 「シルフィー、ぼくも闘うよ。」 傍らで村人たちの闘いを見つめていたキラが懐から母の羽を取り出しながら、駆けて行く。 「待って、キラ君!あなたはいまだ……」 シルフィーは止めようとした。だが、少年の姿はもう闘う男たちの中へ紛れてしまっている。七色に輝く剣を振るい、猛然と蜘蛛に斬りかかっていた。ドクランテスとは一度闘っている。攻撃能力も、敵の特質も判っている。そして、弱点も!額の中央、眉間を狙うのだ。 「ミューッ!」 頭上で鳴き声がした。見上げると、エリオスが翼を羽ばたかせている。自分に掴まれといっているのだ。キラはうなずき、翼竜の足に掴まった。幼竜はフラフラと舞い上がり、蜘蛛の頭上へと飛ぶ。手を離し、狙い定めて剣を突き立てた。ズブリと剣が食い込む感触を確かめる暇なく、飛び退く。迸る蜘蛛の体液を避けるためである。だが、空中に飛び出した少年の身体は、地上へと落下する。 「ミューッ!」 そこへ、エリオスが飛んできた。キラは手を伸ばして、足に掴まる。再び、翼竜は舞い上がって、別の蜘蛛の頭上へと運んだ。 「キラ、あたいも手伝うよ。」 ナナは、村人から弓矢を借り、蜘蛛の額を狙う。ギリギリと弓を引き絞り、矢を放った。矢は、電光のように宙を切り裂き、化け物の額を貫いた。 「ナナさん、凄い!」 隣で見ていたポーリーがため息をつく。ナナはそれには答えず、第二、第三の矢を次々と放った。二人が参戦しても状況は少しも好転する気配はなかい。むしろ、巨大な蜘蛛の勢力に圧倒され、じわじわと追い詰められているようであった。このままでは村は全滅してしまうかも知れない。キラを吊り上げている翼竜の力も徐々に頼りなくなってくる。元々が少年を足にぶら下げて飛ぶのがやっとの状態だったのだ。それが、何度も蜘蛛の頭上へ運んだのだ。だらしないと叱責するよりは、よくやったと言うべきであろう。 「ミューッ!」 ついにエリオスが地面にへたり込んでしまった。もう息も絶え絶えで、翼も動かせない状態である。 「エリオス、よく頑張ったな。もう休んでていいよ。」 キラは優しく翼竜の頭を撫でてやった。もうこうなったら、魔力を使うしかない。禁を犯して地獄に潜入してきた彼らは、魔王の命令に背いた罪人なのだ。そして、彼らの使う魔力こそは 「光と闇を併せ持つ力」なのだ。もし、魔力を使ってしまえば、悪魔の使う闇の力とは異なるため、居所が直ちに知れてしまうのだ。だから、どんな危険に遭っても、魔力は使ってはならないと、老乳母ゾーラに言われていたのだ。しかし、このような惨事を目の前にして、弱い妖精たちを見殺しにすることはできない。 「待ちなキラ!」 魔力を発動させようと手を組んだキラに、ナナの叱責が飛んだ。 「でも、ナナ……」 厳しく言い渡すナナを恨めしげに見つめる。だが、姉は決然と首を横に振った。 「例え魔力で蜘蛛を退けたとしても、あたいたちがここにいたと判れば、村人たちに迷惑がかかるんだよ。それに、変だとは思わないのかい?」 キラの目が希望に輝く。操っている者を突き止めればよいのだ。そうすれば、蜘蛛は自然と散って行くに違いない。 「何処だ?」 キラは静かに目を閉じ気配を探った。荒々しい蜘蛛の思念、恐怖し必死で守ろうとする村人たちの思念。色々な雑念が入り交じる中、ひときわ強い思念がアンテナに引っかかる。強いが冷酷で、残忍な思念。人々を傷つけることに喜びを感じているような思念であった。 「ナナ……」 キラが指さす方向には高い崖があった。その頂上に小さく人影が見えている。どうやら女のように見えた。二人はいまだ知らないが、先ほど、ユーリーが出会った謎の美女である。 |
| 高い崖の上から妖精の村の様子を眺め、謎の美女は唇に笑みを浮かべていた。人々の恐怖の叫び、絶望の悲鳴、結界を壊したユーリーにたいする怒りと憎悪の罵声は、彼女を歓喜を引き出しているようだ。犠牲者の断末魔の悲鳴が耳に届く度、至福の笑みを浮かべている。そして、足下に拘束され、転がっている少年の顔が苦痛に歪むと、目を細め、残忍な笑みを浮かべていた。 「おーっほっほっほっほーっ!どう?あなたが結界石を壊したお蔭で、仲間が殺されて行くのを見る気持ちは?」 「畜生ーっ!この魔女め!よくも、オレを操って……」 口惜しげに少年が女をにらみつける。だがそれは、ただ相手を喜ばせただけであった。 「うふふ、可愛い坊や。いいわ、その顔。苦痛と憎しみに歪んだその表情こそ、たまらなく私を喜ばせてくれるのよ。もっと苦しみなさい。そして、絶望の涙をお流し。」 女は高らかに笑った。この上もなく残忍な美しいが、冷酷な笑みである。罪悪感に身を焦がし、苦悩している少年をいたぶることに至極の喜びを感じているのだ。 「畜生ーっ!母さん、母さん、母さん……」 唇を噛みしめ、ユーリーは呻いた。目には口惜しさのためか、後悔のためか、涙が滲んでいる。 「おや、泣いてるのかい?楽しいねえ、あんたみたいな可愛い坊やが泣いてるのを見ると、私は楽しくてしかたがないよ!」 女は大声で笑った。そして、少年の顎を持ち上げ、口づけしようと顔を近づけて行く。ユーリーは顔を引きつらせ、避けようともがく。だが、しっかりと抑えられていて、動くことができなかった。おぞましい悪寒が少年の全身を駆け巡る。 ヒューッ! 「ああーっ!?」 電工のように矢が飛来し、女の頬をかすめた。一瞬、銀色の花が咲いたように女の髪が宙に舞う。ユーリーの身体が手から離れ、地面に転がった。一体何が起こったのか?瞬間、時間が凍りついたように誰も身動き一つしなかった。 「何者?」 頬の傷を右手で押さえ、女がヒステリックに叫んだ。 「動かないで!」 鋭い声が返ってくる。女は目尻を吊り上げ、声の主をにらみつけた。弓を満月のように引き絞った少女と少年だ。 「おーっほっほっほっほーっ!出たわね!」 手に付着した自分の血を舌先でペロリと嘗めると、女は高笑いする。鼠を捕らえた猫の目つきである。 「一体何が目的で村を襲わせたのよ?!」 鋭い声音でナナが詰問した。 「何が目的ですって?愚かな質問を……。」 ナナの顔色が変わる。変身とは……。キラがドクランテスの体液にやられ、シルフィーを追いかけた時、コウモリに変身したことを思い出したのだ。小さな力しか使わなかったし、時間も僅かだったから大丈夫だと思っていたのに……。 「もう諦めなさい。武器を捨てて、私に従うのよ。さもないと、この可愛い坊やが死ぬことになるわ。」 勝ち誇った笑みを浮かべ、ユーリーに剣を突きつける。 「キラ、こんな奴の言うことを聞く必要はない!オレはお前なんかに助けられるなんてごめんだ。構わず、こいつを……」 が、言葉が中途で途切れる。冷たい氷の切っ先が少年の柔らかな首筋を僅かに傷つけた。赤い筋が引かれ、血の滴がしみ出してくる。ユーリーの顔が苦痛に歪む。 「止めろ!友達を傷つけないで!」 キラが叫ぶと同時に、剣を投げ捨てた。 「卑怯者!」 ナナも口惜しそうに弓矢を地面に叩きつける。女は勝ち誇った笑みを浮かべ、剣を僅かに引いた。 「おーっほっほっほっほーっ!聞き分けのよい子たちね。私はあなたたちみたいな良い子が大好きよ。可愛くて、可愛くて、殺したくなっちゃう。」 「……」 二人は口惜しそうに女をにらみつける。だが、相手は残忍な笑みを消そうとはしない。懐に手を入れると、何か小さな種のような物を取り出し、二人の足下に投げつけた。それは、地面に落ちると同時に芽を吹き出す。蔓がスルスルと延び、あっと言う間に姉弟をグルグル巻きに締めつけた。 「それは、封魔の蔓よ。どんな魔力も封じ手しまう。もう逃げられないわ。観念するのね。」 手も足も蔓に拘束されたキラが言う。 「なにをオバカなことを!悪魔が約束を守ると思ったの?もちろん、この坊やには死んでもらうわよ。」 キラの声は虚しく宙を飛んだ。女は満面の笑顔で剣を大きく振りかぶる。こんな幼い子供の命など、剣の一振りで十分であろう。だが、女はゆっくりといたぶるように少年の身体を傷つけて行く。 「おーっほっほっほっほーっ!お遊びはお終いよ。次は、坊やの心臓を一突きにして上げるわよ。これで、苦しみは終わり。私はなんて優しい悪魔なんでしょうね。」 剣が太陽に反射してキラリと輝いた。そして、一気に振り下ろされる。キラとナナは思わず目を背けた。 「ぎゃあああああーっ!」 心を凍りつかせるような絶叫が空気を震撼させた。いたいけな少年は悪魔の手で生け贄にされてしまった……
「ユーリー?!」 驚いて妖精の名を呼ぶ。一体どうなっているのか? 一体何者が矢を射たのか?だが驚きはそれだけではなかった。矢を突き立てられた女の姿が徐々に変貌して行くのだ。美しいが、細い体躯の男の姿だ。 「やはり、シュールであったか。そのようないたいけない子供を殺そうなど恥を知れ!」 上空から太い男の声がする。振り仰ぐと、双角の逞しい体躯の戦士が弓を構えて浮かんでいた。 「ゴールズ、何を甘いことを言っておる。命令を遂行するためには手段など選んではおれぬわ!馬鹿者が!」 正体を現したサーザの腹心、シュールが怒りに任せて腕に突き刺さった矢を引き抜き、地面に叩きつける。 「命令?魔天使姉弟を捕らえよと、命じられたのはオレだ。何故、お主が魔天使を狙う?それに、そのような卑怯な手を使うとは、サーザ様がお知りになられたら、きっと、お怒りになられるぞ!」 かっと目を見開き、相手をにらみつける。だが、シュールは鼻先でせせら笑った。 「やはり、サーザ様は正しかったようだな。たかが、子供の一人や二人を殺すのに狼狽えるとは……。とんだ正義漢だぜ。サーザ様がお前では頼りないと思われるのもしかたがないな。だから、私に姉弟を捕らえ、殺すようにお命じになられたのだ。サーザ様の部下に正義の味方は必要ない。お前のような使い捨ての戦士など、お払い箱だ。」 「なっ……」 ゴールズの顔色が変わる。 「いい加減なことを言うな!サーザ様が腹心の部下であるオレを使い捨てだと……?!」 「どこまでもおめでたい奴だな。サーザ様は、いずれはブラスを倒し、魔王になられるお方だ。きれいごとなど通じぬわ!悪魔は、勝った者勝ちだ。如何なる手段を使おうと、生き残らねば価値はないのだ。」 「……ブラス様を倒すだと……?謀反を企んでおられると言うのか?あのサーザ様が……?信じられぬ……」 呆然となる戦士をシュールは嘲笑した。 「愚かな男よのう……。己の主人が何を考えておられるかも気づいていなかったとは、犬以下の知恵しか持たぬ下等悪魔め!判ったら、私の邪魔をせず、黙って見ておれ。妖精のガキを殺したら、そこの魔天使姉弟を始末してくれん。まあ、そいつらの首を運ぶ役ぐらいはさせてやる。ありがたいとおもえ!」 美形の悪魔はだらだらと嘲りの言葉を吐き続ける。ゴールズは沈黙したまま唇を噛んでいた。 「ふふふ、待たせたな坊や。今、殺して上げるよ。」 シュールは剣を取り上げ、再び振り上げた。今度こそは殺される。ユーリーは観念して目を閉じた。キラとナナも同時に顔を伏せる。 「ぎゃあああああーっ!」 絶叫が轟く。 「ゴールズ……?」 シュールの唇が戦士の名をつむぐ。驚愕に目は大きく見開いていた。胸には黒鉄の矢が突き刺さっている。美しい顔が醜く歪み、口から血の塊を吐き出した。やがて、細い体躯がゆっくりと倒れて行く。 「……どうして……?」 驚きで唖然となっていた三人の口から疑問が同時に飛び出す。だが、魔戦士は何も答えない。ジッと子供たちを無表情に見つめているだけであった。やがて、静香に地上に降り立つ。そして、ゆっくりとユーリーに近づいた。 「何を……」 恐怖の眼差しでゴールズを見つめる。異様に底光りする黄色の瞳、閉じられた第三の眼が畏怖の念を呼び起こす。少年は拘束された手足を懸命に動かし逃げようともがいた。 「動くな!」 原に響く低音が恫喝する。ビクリとユーリーは身体を凍りつかせた。同時に戦士が剣に手をかける。 「止めろーっ!ユーリーに手を出すなーっ!」 キラが叫ぶ。だが、ゴールズは沈黙したまま剣を抜き放ち、一閃した。 「うわーっ!」 ユーリーが悲鳴を上げる。カチリと剣を鞘に納める戦士。呆然と立ちすくむ魔天使姉弟。ゴールズは姉弟に振り返ると、再び剣を振るう。ハラリと落ちる魔封の蔓。自由になっても、三人は声を出すことができなかった。ゴールズはクルリと背を向けて歩き出した。 「……待って……」 黙って立ち去ろうとする戦士に向かって、やっとナナが声をかける。だが、足は止まらない。何故、自分たちを助けてくれたのだろう?ナナとキラは互いの顔を見合わせた。そして、二人共首をかしげる。彼は魔天使姉弟を捕らえるためにきたはずなのに、助けてくれただけでなく、そのまま立ち去ろうとしている。どうして? 「おじちゃん、待って!」 キラが駆け出し、戦士の前に立つ。無言で立ち止まるゴールズ。 「ありがとう、ユーリーを助けてくれて。」 にっこりと微笑む少年。魔戦士の眉がピクリと上がる。 「何故、礼を言う?オレはお前たちの敵だぞ。」 キラは眩しい程の笑顔を浮かべた。ゴールズは少し戸惑いの表情になる。別に、感謝してもらおうなどとは考えてはいなかった。ただ、いたいけな子供を平気で殺そうとする男が許せなかっただけである。 「気はすんだか?なら行くぞ。」 ぶっきらぼうに言うと、歩き出そうとする。しかし、少年は何か言いたげに見つめていた。 「まだ何か用か?」 あどけない笑顔が戦士の心を突き刺す。かつてこのような笑顔が自分に向けられたことがあったであろうか?幼い頃から戦士として育てられたゴールズ。同じ年頃の子供たちは皆ライバルであった。年上の者は、全て倒すべき目標。年下の者は、油断ならない挑戦者。何時と何処で命を狙われるかも知れない緊張の日々。 サーザに認められ、腹心の部下と迎えられても、常に誰かが追い落とそうと画策していた。妖しい媚態で近づいてきた女は何者かの送り込んだ暗殺者であった。贈り物として届いた食物には毒が仕掛けられていた。自室でくつろごうとしたベッドには呪いがかけられ、闇に封じようとしたこともあった。周囲は全て敵。そんな彼に向けられた無邪気な笑顔は彼に形容し難い戸惑いを感じさせたのである。 「蜘蛛をやっつけてよ。」 少年はジッと戦士の眼を見つめる。彼が蜘蛛を倒すと信じて疑わない視線だ。 「よかった!じゃあ、これ!」 嬉しそうに弓を差し出す。ゴールズは渋々受け取ると、崖の端に立つ。そして、弓を背に戻した。と、空に向かって叫ぶ。 「ユリシーザー!」 「えっ?」 何が起こったのか、急に当たりが暗くなる。驚いて空を見上げた。 「翼竜だ!それも、凄く大きい!」 ユーリーが叫び声を上げる。突如現れたのは、巨大な翼竜であった。恐らく体調は軽く二十メートルは越えているであろう。かなり上空に浮かんでいるにも関わらず、その姿は眼を見張るものがあった。 「ユリシーザー、お前の好物の毒蜘蛛がたくさんいるぞ。食ってしまうがいい!」 翼竜は甲高い声で鳴くと、村へと急降下して行った。そして、慌てて飛び退く村人たちを後目に、蜘蛛を食らい始めた。毒蜘蛛の群は、突然現れた食いしん坊に驚き、まさに蜘蛛の子を散らすがごとく逃げまどう。しかし、翼竜は容赦なく捕らえ、口に放り込む。毒を含んだ体液も、翼竜には通じないのか、実にうまそうに食らって行った。キラや妖精たちがあれ程手こずったドクランテスであったが、瞬く間に平らげてしまった。 「すっ……凄い!」 キラが素直に感想を述べる。ナナもユーリーも唖然と立ちすくんでいた。 「おじちゃん、凄いよ!あの翼竜はおじちゃんの翼竜なの?本当に凄い翼竜だね。」 ゴールズが憮然と応える。 「ええーっ?翼竜の好物なの……?」 キラが眼をまん丸く開き戦士を見、自分の足下にいる幼翼竜を見た。 「ミューッ!」 エリオスが何を言いたいのかと、問いたげに鳴く。 「お前、もう少しでドクランテスに食われるところだったよねえ……?」 少年の冷たい視線に抗議するように幼翼竜が手足をバタつかせる。 「あははは、判ってるよエリオス。冗談だってばーっ!」 キラが笑いながらエリオスの頭を撫でる。だが竜の子は不満げにそっぽを向いていた。 「そんなに拗ねるなよ。判ってるよ、お前はよくやってくれた。立派な竜の子だよ。」 キラが笑いながら頭をポンポンと叩いてやると、竜はやっと機嫌を直して、ペロペロと手や顔を嘗め始める。ゴールズは少年と翼竜を苦笑しながら見つめていた。
「魔戦士ゴールズを手なずけてしまうとは……。あの少年の最大の武器はあの笑顔かも知れぬな……」 そんなつぶやきを残し、ルー区は忽然と姿を消す。残るは一陣の風のみであった。
暫く静かな静寂が続く。と、ピクリと、 白く細い指がかすかに動いた。まさか……?しかし、その後、死体はピクリとも動かない。先ほど、指が動いたのは、気をせいだったのであろうか?そう思われた時、不意に眼瞼がゆっくりと持ち上がって行った。続いて浮かぶは不適な笑み。悪魔は白銀の髪を振り立て、起きあがった。 「ゴールズめ、裏切りおって、この恨みは必ず返させてもらうよ。」 生き返ったシュールは唇を三日月状に笑みを浮かべ、静かに立ち上がる。目は憎しみに燃え立っていた。そして、胸に突き刺さっている黒鉄の矢を引き抜くと、地面に叩きつける。ポッカリと開いた胸の傷からは、一滴の血も流れてはいなかった。 「今にみておいで、魔天使姉弟、ゴールズ共々地獄の恐ろしさを味併せて上げるからね!」 高らかに笑うと、空中へと姿を消した。 |
| 毒蜘蛛に襲撃された風の妖精の村は、大きな被害を出していた。蜘蛛の吐く強酸にやられた者。果敢にも剣を振るい、毒を含む体液に犯されて倒れた者。糸にからめ取られて自由を失い、生きたまま蜘蛛に生き血を吸われた者。数多くの犠牲者が出ていた。人々は、突然現れ、蜘蛛を食らって飛び去った翼竜が見えなくなると、それらの犠牲者を一人ずつ葬り始める。 深い悲しみと共に、村を守る結界石を破壊したユーリーに対しての怒りを漲らせていた。村の者ならば、子供でも結界の重要性は知っているはずなのに、何故破壊してしまったのだ。許せない。例え、子供と井江戸、それは許されない大罪である。 「ユーリーめ、もし返ってきたら殺してやる。」 人々は家族の亡骸にすがり、呪いの言葉を吐きだしていた。地獄において弱い存在である妖精にとって、村の周囲に結界を張り巡らすことだけが、自分たちを守る術なのだ。それをこともあろうか、破壊してしまったユーリー。怒りが、憎しみが、燃えるような怨念が村人たちを包んでいた。 「おっ、ユーリー!」 村人の動きが一斉に凍りつく。この惨劇を生み出した張本人がぬけぬけと現れたのだ。真ん中にユーリー。両側には少年と少女。そして、背後には、巨躯の戦士が付き従うように現れたのである。人々が注視する中、四人はゆっくりと村の中へと入ってきた。 「みんな……」 怒りに満ちた人々の顔。その中に助けを求めるように母の姿を探す。しかし、求める顔は見えなかった。恐らく、傷つき倒れた人々を介抱するために、屋内で立ち働いているのであろう。やがて諦めたようにため息をつき、青ざめた顔のユーリーが口を開いた。 「この裏切り者!」 不意に、夫の遺骸にしがみついて泣いていた女が立ち上がり、手に持っていた石を投げつける。ユーリーは咄嗟のことによけることもできず額で受けた。パックリと裂ける皮膚。 「ああーっ!」 手で押さえた額から血が滴り落ちる。 「みんな、ごめん……」 苦痛に顔を歪め、謝罪の言葉を口にする。 「ごめんで済むと思っているのかーっ?!お前のお蔭で何人死んだと思う?三十五人、村人の半数が毒蜘蛛に殺されたんだぞ。」 堰を切ったように、村人の怒声が起こる。いずれも、ユーリーに対する怒りと憎しみに満ちていた。主人を殺され、子供を殺され、友人を失った悲しみを怒りに変え、目の前の少年にぶっつけていた。八つ裂きにしても収まらぬ怨念。殺すだけでは、飽きたらぬ程の憎しみを。どう復讐してやろうかと、人々の目は憤怒の炎にギラついていた。手に手に得物を持ち近づいてくる。怯えて立ち尽くすユーリー。 「殺してやる!」 先頭の男が鍬を振り下ろす。 「うわああああーっ!」 絶叫が空気を震撼させた。人々は凍りつき、動きを止める。青ざめた男の顔。手にしていた鍬の柄がバッサリと切断されていた。ブルブると震える唇、視線の先には、巨躯の戦士が仁王立ちになっている。鍬が振り下ろされようとした直前、大剣が柄を両断したのであった。 「早まるな。この少年には罪はない。」 低いゴールズの声が静寂の中に流れる。 「つっ、罪がないって、どう言うことだ」 巨躯の戦士に恐れをなしながらも、勇気を振り起こし男が尋ねた。他の村人たちも顔を見合わせていた。結界を壊したのは間違いなくユーリーだ。それは、間違いのない事実。それなのに罪がないとは?どの村人の顔も、納得のいかない様子であった。 「ユーリーは悪魔に操られていたんだ」 キラが正面に出て説明する。 「悪魔に操られていただと……?」 不信げに目の前の少年を見つめる。何故、悪魔が妖精の村の結界を壊す必要があったのだ?そのようなことをしても、何の得もないのに。 「悪魔は……ぼくたちを狙ったんだ。ぼくたちを苦しめようとして、村をドクランテスに襲わせたんだ。」 村人の視線が今度はキラたちに集中する。 「そっ……それは……」 口ごもるキラ。真実を伝えることはできない。魔天使として生まれた彼らは、地獄を追放された身。禁を犯し、地獄へ舞い戻った彼らは罪人なのだ。そして、魔王ブラスと、父の仇敵サーザに追われる身であったのだ。 「そんなことどうでもいい!それより、一刻も早くこの村から出て行け!これ以上私たちに災いを及ぼすな!」 村人の憎しみの矛先がキラに変わった。恐らく、今すぐにでも殺してやりたいと思っているのであろうが、背後にひかえている巨躯の戦士に恐れをなして、手が出せずにいる。それが余計に憎しみをかき立てていた。 「……わかった……。出て行くよ。迷惑をかけてごめんなさい……」 黙って立ち去る三人の背後から罵声が浴びせかけられる。キラは辛そうに唇を噛みしめていた。 「ふん悪魔共め、去ったか……」 キラたちの姿が見えなくなると、妖精たちはチリヂリに後かたづけに戻って行く。怒りはまだ収まらないが、それでも、やることがたくさんありすぎて、いつまでも集まってばかりではいられなかったのである。ユーリーはたった一人広場に残された。誰も口を利いてくれない。責めはしないが、許してくれたわけでもないのだ。 「ユーリー!」 そこへ、誰かが彼の名を読んだ。ゆっくりと顔を上げると、手に薬湯の壺を抱えた女が目に入る。 「母ちゃん……」 それはユーリーの母、風の妖精シルフィーであった。彼女はドクランテスとの闘いで傷ついた村人を看病して家の中にいたのだ。そして、何やら外が騒がしいので、顔を出したのであった。何が起こったのか、判らず、息子の顔を見つめている。 「母ちゃん、実は……」 ユーリーが涙声で今までのいきさつを語り始める。シルフィーは黙ってそれを聞いていたが、話が進むにつれて、顔色が変わって行った。 「それで、村の人たちは、キラ君たちを追い出してしまったのかい?なんてことを……」 シルフィーは話を聞き終わるや否や、村の外へと走り出した。 「かっ、母ちゃん? 何処へ行くんだ?」 呆然と立ちすくむユーリーを残し、シルフィーは森の中へと消えてしまった。 シルフィーは森を駆けた。早くキラたちに謝らなくては。アモンは風の妖精の恩人なのだ。かつて、村には結界などなかった。だが、ある時、ふらりとやってきた一人の悪魔戦士。彼は村人の難儀を知り、外的を村に入れないための結界の作り方を伝授してくれた。それが、アモンなのだ。そんな恩人の御子たちをこともあろうか、罵詈雑言で罵り、追い出してしまったとは……。 こんなことになるとは……。アモンが冤罪で闇牢獄に繋がれてしまい、その子たちが人間界に追放されたと風の噂で聞いていた。だから、地獄に舞い戻った彼らのことは秘密にしておかなくてはならないと思い、他の者たちには秘密にしていたのだが……。このようなことになるのであったら、皆に話しておくべきだったと、後悔が沸き上がってくる。 ガサッ! 不意に何物かが行く手を遮った。もしや、キラたちではと、視線を上げる。だが、そうではなかった。女だ。白銀の長い髪をした、美しい女が薄笑いを浮かべて立っていたのだ。 「うふふ、あの坊やたちを追っているのね?」 シルフィーは知らず女の顔を見つめる。途端、女の薄紫色の瞳が輝きを増す。引き込まれるような妖しい瞳の輝きである。危険だ。視線を外そうとするが、どうしても反らすことができない。だめだ、逃げなくては……。しかし、焦る心とは裏腹に、手足の力が抜け、意識が遠のいて行った。
「キラ、あんたのせいじゃないよ。元気を出しな」 ナナが慰めるように弟の肩をたたく。だが、深く沈んだ顔は変わらなかった。彼らを狙った悪魔のために、何人もの村人の命が失われた。何も関わり合いのない人たちだったのに、彼らが村に入ったばかりに、巻き添えを食ったのだ。なんと詫びったって、生き帰りはしない。あの憎しみに満ちていた目が今でも、心に突き刺さってくる。悲しくて、悲しくて、悲しくて…… 「何故、黙って引き下がる?」 「お前たちの力ならば、あの村の妖精など簡単に殺すことができただろうに、何故、あのように罵倒されて黙っていた?あいつらが殺されたのは、あいつらが弱いせいだ。例え、お前が狙われたせいで巻き添えを食ったとしても、悪いのは卑怯な手を使ったシュールだ。お前らのせいではない。地獄で生き残りたければ、強くなければならない。弱い者は死ぬしかないのだ。」 ゴールズが理解できぬと言う顔で言う。 「でも……。やっぱり、ぼくのせいで、たくさんの人が死んだんだ……」 そう言われても、やはり表情は明るくはならなかった。 「ぼくのママは天使なんだ。だから、ぼくは天使になりたくて、みんなを幸せにしたいのに……。いつだって、みんなを不幸にしてしまう。頑張れば頑張るほど、みんな不幸になって行くんだ……」 少年の目に涙が浮かんでくる。今までに何度同じことがあっただろう。その度に周囲を不幸にしてしまった。本当は幸せにしたかったのに……。どうしてこうなってしまうのだろう。 「ぼくはやっぱり『呪われた子』なのだろうか?だから、みんな不幸になってしまうのかも知れない……ぼくたち、生まれてこなかった方が……」 ナナが強い力で弟の身体を揺すぶった。本当に心から怒っているようだ。こんな情けないキラを見て、どうしようもない程腹を立てていた。 「あたいたちは、パパとママが本当に愛し合って生まれたのよ。悪魔と天使、本来は敵どおし。でも、愛し合った。例え、どのような相手でも関係ない。魂と魂が引き合ったの。本当に好きだったから、相手が悪魔でも、天使でも関係なかった。あたいたちは、そんなパパとママから生まれたのよ。だから、誰が何と言っても『呪われた子』なんかじゃない。二人の愛によって生まれた『希望の子』なのよ。絶対に負けない、愛を纏った存在なのよ。ママと別れる前の日、話してくれたのよ。例えどんなことがあっても、絶対に希望を失ったらだめだって。だって、あたいたちこそが希望なんだから……」 「どうかしたのかい?」 不意にナナが沈黙した。キラはジッと姉の顔を見つめている。心なしか普段よりも優しい顔をしているように見える。何を考えているのだろう、不思議な光が彼女の瞳に宿っていた。 「何者だ?!」 突然、ゴールズが叫ぶ。驚いて顔を上げると、戦士はすでに大剣を抜刀し、身構えていた。まさか、もう次の追っ手が?ナナとキラも緊張して身構えた。 ガサッ! 目の前の木の枝が揺れ、小さな影が現れる。それは妖精の子、ユーリーであった。しかし、何故ここに?不信と疑惑が頭に浮かぶ。もしかして…… 「ユーリー、どうかしたの?まさか、またドクランテスが村を襲っているのかい?」 キラが心配げに尋ねる。だが、風の妖精は黙って首を横に振った。別に村に危険が迫っているというわけではなさそうだ。ナナとキラはホッと安堵のため息をついた。 「じゃあ、何故?もしかして、結界石を破壊したことで、村から追放されたのかい?それで、頼る者がなくて、あたいたちを追っかけてきたのかい?」 キラが叫ぶ。しかし、ユーリーは沈黙したまま首を横に振る。 「これを母ちゃんが、持って行けって……」 と、小さな革袋を差し出す。 「それは……?」 驚いてユーリーと革袋を交互に見る。それは、ユーリーの母、シルフィーがくれた妖精の薬の入った物だ。でも、どうして?妖精たちはみな、キラたちを憎んでいるはずなのに……。特に、シルフィーは、息子のユーリーを悪魔に操られ、結界を壊させられている。だから、誰よりも彼らを憎んでいるはずなのに…… 「キラが……」 ギクリとしてユーリーを見る。自分のしたことで、何か迷惑がかかったのだろうか?もしかして、母にそっくりな妖精、シルフィーに何かが起こったのだろうか?そんなことになったら…… 「キラ様が真実を話してくれたから、村の人たち、オレを許してくれたんだ。でも、本当はオレ、キラ様に嫉妬して村から飛び出て、一人でドクランテスをやっつけようとしていたんだ。それで、悪魔に……。悪いのはキラ様だけじゃないのに……。一人だけ悪者になってくれて……。だから……だから……」 妖精の子は言葉を詰まらせる。たった一人、キラに罪をなすりつけてしまったことに対する後悔で一杯になっていたのだ。 「母ちゃんにそれを話したら、これを持って行けって……。そして、無事にアモン様に会えるように祈っているって伝えて欲しいって……。アモン様は、弱い妖精にも優しい方だった。だから、みんな、アモン様が戻ってこられる日をお待ちしていますって……」 ユーリーの話を聞いて、キラが驚いて尋ね返す。 「妖精は皆、アモン様を慕ってます。オレたち、お二人がアモン様の御子様(みこさま)だって知らなかったから、あんな酷いことを……」 ユーリーは言葉を切った。そして、やおら膝をつく。 「お許しください。キラ様、ナナ様!」 額を地面にこすりつけるように平服してユーリーが叫んだ。ナナも、キラも唖然と立ち尽くしている。 「オラたちも!」 突然、森の木の影からゾロゾロと現れた風の妖精たちが同じように平服する。三人は驚いて互いの顔を見合わせた。 「キラ様、ナナ様、私は、あなた方が地獄の最下層に囚われの父上を探しに行かれると言う話をお聞きして、もしやと感じていたのです。そして、ユーリーの話を聞いて確信しました。あなた方がアモン様の御子だと。でも、肝心な時、私は屋内でけが人の看病をしていたため、お二人に村の人たちが無礼を……。まことに申し訳有りませんでした。」 妖精の中からシルフィーが立ち上がり、深々と頭を下げる。 「村の結界石は、かつてアモン様が村に立ち寄られた時、私たち弱い妖精のために作ってくだされたものなのです。」 シルフィーは深々と頭を下げる。続く村人たちも地面に額をすりつけんばかりに平服していた。チラリとキラの顔を見たシルフィーの目がふと曇ったのは気のせいか?すぐに、表情は真摯なものに戻っていた。 「さあ、御子様たち、どうかもう一度村へおいでくださいませ。このまま行かせたのでは、私どもの気が済みませぬ。」 キラは困った顔で姉を見る。だが、彼女も当惑の表情であった。それも無理内ことであろう。ついさっきまでは、疫病神と罵詈雑言を吐いていた連中が、手のひらを返したように平服しているのだ。キラたちでなくとも、困惑するであろう。それに、彼らは先を急ぐ身。何時までもこんなところで時間を無駄にすることはできなかった。 「ありがとうシルフィー、でも、ぼくたちは……」 キラがそう言いかけた時、風の妖精の手元で何かが光った。 「あっ!」 ユーリーの小さな叫び声が、何処か遠くで聞こえる。呆然と立ち尽くす、キラに向かって振り下ろされるシルフィーの手には、陽光に反射する短剣が握られていた。 「きゃーっ!」 呆然と見つめる人々の中から悲鳴が起こる。一体、何が?誰もが理解できず、立ち尽くしていた。 「おっ……おばちゃん……?」 青ざめた顔でシルフィーを見つめるキラ。それを見返すシルフィーの瞳には、何の感情も表れてはいない。短剣は少年の胸に突き刺さり、握られたまま白銀の光を放っていた。 |