トップページ>みんなの広場>長編小説 目次>デュオの仮面騎士 目次>デュオの仮面騎士
長編小説 デュオの仮面騎士
|
文:カメ仙人 |
|
中天のデュオの赤い月が荒涼たる砂の地平を照らす。凸凹の激しい砂丘が昼間とは異なる不気味な陰影を作り出していた。熱気盛んな陽光を恐れ砂の中に姿を隠していた小動物たち、恐らくはチョロ(黒ねずみであろう、が、巣穴から頭を出し、キョロキョロと周囲を見回し、敵のいないのを確かめると素早く走り出ては、また穴の中に引っ込んで行く。時折、バサッと空を過ぎるのは、ホウ(銀ふくろう)だ。静かな中にも多くの生命が戦っている。 と、巣穴から出てくるチョロを狙って宙を舞っていたホウの目がギョロリと動いた。何かがやってくる。猛禽は注意深く気配のする方を見た。二本足の獣だ。それに、小さな四足の動物が近づいていた。ザッザッと砂を踏みしめ、砂漠を歩いている。特に危険な雰囲気は持ってはいないようだ。しかし、ホウは知っていた。二本足の獣は危険な存在だと。奴らは、食べるためだけに動物を殺すのではない。殺戮を楽しむだけに動物を殺す。危険な存在なのだ。ホウは一時、狩を諦め、ついと離れて行った。 「ユキ、ちょっと疲れたよ。少し休もう」 「ミュー」 額の汗を拭いながら、少年が、前を歩いている純白の猫に言う。猫はクルリと振り返り、分かったと言うようにその場に立ち止まる。少年が砂の中に半ば隠れている岩の上に座ると、チョコンと膝の上に丸くなった。 「本当に、この先に国があるのかなあ?」 「ミュー」 少年、フェリオが不安そうにエメラルド色の瞳を、砂漠の向こうに向けた。ユキは顔を上げ、ジッと見つめている。それは、まるで気弱になった少年を叱咤しているように見えた。フェリオは、フッと苦笑い浮かべる。そうだった。信じるしかないのだ。 「惑星デュオをウッズマンの陰謀から守るには、我々だけでは無理だ。何しろ、地球人はデュオよりも遥かに科学の進んでいる。わずかな兵でも、神都アルカディアは簡単に侵略されてしまうに違いない」 それは、デュオが革命により地球人たちの支配から解放されて以来、誰もが持っていた不安であった。革命の時は、圧倒的な数の市民が神都に集結し、総督府を攻めたお蔭でなんとか勝利することができた。しかし、今度は守りの戦いだ。いつ攻撃してくるか判らない敵に対し、何万もの市民を常駐させておくことは、心理的にも経済的にも不可能である。 「ところで、皆はゲルディザードの北にも国があることを知っているか?」 「死の砂漠の向こうに国があると?」 「まさか? ゲルディザードは死の国、バスールに続く砂漠。北に住んでいるのは死者だけだ」 「いやいや、わしは聞いたことがあるぞ。死の砂漠を越えたところには、岩城の国、カナンと、戦神ディーンの治める国、デスペラードという二つの国があると言う話だ」 「おいおい、それは砂漠の遊牧民たちのサーガに出てくる話ではないか。あれはただの空想の国、幻の大国だ」 ダンの話を聞いた将軍、宰相が口々に話し出す。死の砂漠の向こうに行ったことなどない彼らには、ダンの話は荒唐無稽のホラ話にしか聞こえてはいなかった。 「砂漠の向こうには確かに二つの大国が存在している」 暫く沈黙していたダンが、重々しく口を開いた。途端、全員が口を閉ざして大男の大将軍を見つめた。彼は決して嘘は言わない。そして、大言壮語も吐かない人間であることも十分心得ていた。彼は真実を語っている。だが何故、それを知っている?そんな疑問が一同の瞳にはあった。 「オレはかつて、その砂漠の向こうにある国の一つ、デスペラードからやってきた。実は、オレは昔、デスペラードの将軍の一人だった。死んだドルベ爺さんも王の側近の一人だ」 「なっ……」 その場にいた全員が唖然と目の前の大男を見つめた。何処か普通のデュオ人と異なった雰囲気を持つ男だとは感じていた。革命の戦いの時に見せた剣技や、皆を指揮する手際は、見事なものであったし、数千人もの人間を手足のごとく動かすのは並大抵の器量では到底できないことだ。 「ダンは何処かで軍隊を指揮したことがあるに違いない」 と誰しもが密かに感じていた。それに、革命で死んだドルベ爺さんも、並みの人間ではなかった。到底ただのサーカスの親父とは思えない風格を備えていた。デスペラードの将軍と王の側近だった。それでと納得する気持ちと、そんな男が何故ここにいるという疑問が人々の胸に沸きあがってくる。 「……それで、どうしようと言うのだ?」 竜騎士隊長のヤコブが躊躇いがちに口を開いた。尋ねたいことはたくさんあった。しかし、それは聞いてはならないことのように思える。将軍と側近が密かに国を出て、民の中に身を潜めていたのだ。何か語れない秘密があるに違いない。理由を尋ねたい衝動を抑えての質問であった。 「デスペラードとカナンは北方の二大国だ。その二つの国と同盟を結べれば、例えウッズマンといえど、容易くデュオを侵略することはできないだろうと思う」 「同盟を結ぶ? そんなことが可能なのか?」 「はっきり言って、かなり困難だ。だが、フェリオならできるかも知れぬ」 「えっ? オレ?」 いきなり自分の名前が出て、フェリオは眼を丸くした。何故、自分ならできると言うのだ? どんな根拠があってそんなことを言うのか、まるで理解できず、ただただ呆然と大男の大将軍を見つめるだけであった。 「ふむ、確かにフェリオなら、それができるやも知れぬな。何しろフェリオは伝説の英雄、デュオの青い虹なのだからな」 「おうっ、そうだ! フェリオならできる。アルディオンの神子を守る伝説の勇者だ!」 「そっ……そんな……オレは……」 不意に一同の注目を浴びて、フェリオはエメラルド色の瞳を瞬いた。ライヤを救うために、デュオの青い虹と名乗ったこともある。しかし、それはダンやドルベ爺さんに乗せられただけであり、自分がそのような伝説の英雄だなんて思ったことは一度もなかった。ただ、ライヤを助けるため、デュオを地球人の手から奪い返すための飾り物の旗頭だったのだと思っていた。 「フェリオ、心配するな。オレがことの一部始終を書き記した手紙を書く。フェリオはそれをデスペラードの将軍の一人、エルドランに届けてくれるだけでいい。そうすれば彼が全てをやってくれるだろう」 「そうか、そんなことでいいのならオレ、やるよ」 あまりにも簡単に引き受けてしまったように思える。キヨネにプレゼントしてもらったユキを道連れにして砂漠を旅し始めて僅か一昼夜。すでに少年の胸には後悔の念が生じはじめていた。果たして自分のような子供に何ができるのだろう? ダンの信頼できる将軍と言うけれど、本当に自分のような子供の話を真剣に聞いてくれるだろうか? それに、無事に砂漠を越えられるのだろうか? ユキは頼もしいナビゲーター(案内人)だけれど、本当にちゃんとデスペラードに連れてってくれるのだろうか? 次々に沸き上がってくる不安と戦いながら旅を続けるフェリオであった。 「ミャッ!」 不意に白ネコが耳をピンと立て、顔を上げた。金色に光る双眸を夜空に向け、ジッと見つめている。フェリオもつられて空を見上げた。と、夜空に一際大きく輝く星が眼に飛び込んできた。あのような大きく光る星があっただろうか? ふと頚をかしげ、もう一度見上げる。大きくなっていた。そんな馬鹿な! 流れ星? いや、違う。ロケットだ。地球人たちの乗り物だ。もう、奴らはやってきたのか? こんなアルカディアから遠く離れたところに降りたとうとしているのは敵に違いない。もしも、キヨネたちの仲間なら、堂々とアルカディアに設けられている発着場に降りてくるはずなのだ。 「畜生!」 キヨネにもらったレーザー・ソードを握り締め、ロケットの降りようとしている地点へと駆け出した。ロケットは見る見る降下してくる。意外に近くに下りてきそうだ。フェリオは走るスピードを上げた。ゴーッと大量の砂を巻き上げ、ロケットは着地する。突風に煽られたフェリオの髪が逆立つ。砂から眼を守るため、腕で眼を覆った。風が収まると、再びロケットに向かって駆け出す。銀色の船体が月の光を反射して、砂の上に碇泊していた。 「小さいな……」 それはフェリオの知っているどの地球のロケットよりも小さかった。とにかく、どんな奴が乗っているか確かめなくてはならない。どうせ敵には違いないのだから。ユックリ、用心深く身を隠しながら近づいて行く。ロケットのコックピットが開き、人間が出てきた。ハッと砂の上に身を伏せ、様子を探る。細い華奢な身体をしている。これなら、不意を突けばやっつけられるかも知れない。敵に悟られないように腹ばいになって前進した。音を立ててはいけない。呼吸も荒くならないように用心しながらソロソロと進んだ。 「ミャーッ!」 不意に、ユキが飛び出して行った。なんてことだ。止めようとした手をすり抜け、一直線に敵に向かって行く。まさか、敵を倒す気か? あんな小さな身体のネコに、人間を倒せるはずがない。無茶だ。思わず駆け出していた。 「ユキ! 止めろ! お前のかなう相手じゃない!」 もう、密かに近づくことはできない。こうなったら、やけだ。ソードのボタンを押し、敵に向かって突進した。 「ミャーッ!」 ユキが敵に向かって跳んだ。 「ユキーッ!」 フェリオが絶叫する。だめだ! やられる! 思わず目を閉じた。が、何も聞こえない。恐る恐る目を開く。 「ユキ……?」 どういうことだ? 自分の目が信じられなくて、パチパチと目を瞬かせる。なんと、ユキは敵の腕の中で満足そうに目を細めていた。 「君がフェリオね」 「えっ?」 いきなり自分の名を呼ばれ、フェリオは唖然と立ちつくした。どうして敵が自分の名前を知っているのだ? それに、ユキも変だ。 「このネコ、キヨネからもらったんでしょう?」 「うっ……うん……」 そんなことまで知っているとは、本当に何者なのだろう? 用心深く相手を観察する。月明かりの下でもハッきり判る、美しい女性だった。 「本当にキヨネの言った通りだわ。可愛い男の子!」 「あの……もしかして、キヨネさんの知り合い……なのですか?」 「あらっ、ごめんなさい。自己紹介がまだ……」 言いかけて、女の表情が厳しくなった。ハッと身構えるフェリオ。油断させておいて、襲う気だった? 慌ててソードを構えようとした。だが、相手の方が一瞬速かった。突き飛ばされ、フェリオは砂漠の上を転がって行く。 「くそっ!」 素早く跳ね起き、ソードを構える。今のは油断していたが、次の攻撃は必ず避けてみせる。いや、避けるだけでなく、やっつけてやる。 「馬鹿! ボーッとしないで! 足下!」 「えっ?」 女の叫び声に、思わず足下を見た。何か紐のような物が砂の中から伸びてきている。蛇? いや違う。 「うわっ!」 フェリオは悲鳴を上げて後ろへ跳び下がった。が、その目の前に、ザザッと砂を撒き散らしながら無数の触手が出現した。慌てて避けようとしたが、いくつかの触手に足を取られてしまった。 「畜生ーっ!」 ソードを振り下ろし、触手を切断する。だが、切っても切っても、触手は次々と巻きついてくる。次第に巻きついてくる触手の数は増えて行き、足だけでなく、腰や胴にまで絡みついてきた。 「しつこい長虫ね。何なのよこれ?」 チラッと見ると、女の方も触手に襲われていた。彼女もフェリオと同じようにレーザー・ソードで長虫のような触手を切断していたが、次々と襲ってくる触手のに閉口している。 「砂漠に棲むダムリンだ!」 「ダムリン? 随分と可愛い名前じゃないの! こんな長虫には似合わないわ!」 「こいつは蛇じゃない! 中心は巨大な口で……」 そう言いかけた言葉が途切れる。ザッと砂が吹き上がり、本体である巨大な口が姿を現わしたのだ。 「まるでイソギンチャクの化け物ね」 女が呆れたように感想を述べる。フェリオはイソギンチャクがどのような生き物かは知らなかったが、女が少しも恐れてはいないことは判った。どういう神経をしているのだろう? こんな化け物を目の前にしても全く畏れないとは。それに、驚いたのは、素早くソードで触手を切り払い、タッと巨大な口に向かって跳躍して行くのだ。なんて勇敢な女性なのだろうか。それに、身のこなしの素早さは、常人とは思えない。まるで、ファルコン(隼)のようだ。地上高く跳躍し、一直線にダムリンの口に向かって急降下する。ソードの光の刃がグーンと伸び、化け物の口を貫いた。 「クェーッ!」 化け物の断末魔の絶叫が砂漠にこだまする。ザックリと斬られた巨大な口が真っ二つに割れ、強力な酸を含む唾液と、青黒い体液を撒き散らしながら砂の中へと落ちて行った。 「すっ……凄い……」 フェリオはただ呆然と見つめているだけであった。 「フェリオ、ボーッとしないで! 後ろ!」 「えっ?」 女の警報に思わず振り向く。が、時すでに遅く、新たに出現したダウリンの触手が頚に巻きついていた。懸命に外そうともがくが、触手は強い力で締め上げてくる。苦しい! ソードを振り上げ、触手を切ろうとした。だが、その手も別の触手にからめ捕られ、動きを封じられてしまった。だめだ、このままでは殺されてしまう。なんとかしなければ。自由を失った右手を必死でうごかす。だが、そんな目の前にザッと砂を吹き上げ、ダムリンの本体が姿を現わす。巨大な口が牙を剥いて待ち受ける中へズルズルと引きづられて行った。 あの中に飲み込まれたら、一巻の終わりだ。スッと全身から血の気が引く。こんなところで死ぬわけにわ行かない。砂漠を渡り、北の大国デスペラードに行かなくては、デュオに明日はない。いや、デュオなんかどうでもいい。ライヤが危ない! 例え、その心がまだ金髪の地球人にあったってかまわない。大好きな女の子を守るため、まだ死ぬことはできないのだ。 「畜生ーっ! ライヤは絶対にオレが守るんだーっ!」 愛する少女を守らなくてはならないと思う気持ちが、少年に思いがけない力を与えた。触手に抑えられていた右手が徐々に上がって行く。ブルブルと振るえる指にソードのボタンが触れた。よし、これだ。このボタンを押しさえすれば……。だが、手がボタンを押すよりも早く、触手が首に巻き付き、締め上げてきた。ボタンを押さなくては。それが最後の意識であった。
第一章 第九話 月神降臨! ---了---
|
|
大草原を走る少女。自分はいつも、その後姿を見ていたように思う。大好きで、大好きで、彼女の心を欲しいと思った。でも……。 「ライヤーッ!」 フッと少女の前に現れる黄金の髪の美青年。少女は青年の腕の中へと包まれて行く。なんて彼女は幸せそうな顔をしているのだろう。満ち足りた笑顔のライヤ。そして、冷たい笑顔の美麗な男、ウッズマン。 「だめだ! そんな奴に騙されちゃーっ! ライヤ、お願いだ、こっちを見て!」 あいつは死んでも、まだライヤを捕まえている。あいつの面影は今だってライヤの一番大事なところにいる。いくら忘れさせようとしても、ずっとそこにいる。ライヤ、どうしてオレの方を見てくれない! 「ライヤーッ!」 大切な少女を取り戻そうと、フェリオは男に掴みかかった。途端、フッと相手の姿が消える。 「フェリオ、止めなさい!」 「畜生ーっ! ウッズマンめ! 殺してやる!」 「止めなさいってば! 私はウッズマンじゃないわよ!」 「えっ?」 力一杯頬を叩かれてハッとフェリオは我に返った。どうやら夢を見ていたらしい。と、目の前に黄金の滝のような光の渦が目に入る。驚いて、目をパチパチと瞬かせる。次に目に飛び込んできたのは、深い湖のような二粒のエメラルドの宝玉。いや、エメラルド色の瞳を持つ人間の顔であった。 「ウッズマン!」 生きていたのか? 驚愕が全身を駆け巡る。同時に飛びかかっていた。宿敵ウッズマン。ライヤを苦しめ、デュオを地獄に落とした極悪人。 「止めなさい、フェリオ! 私はウッズマンじゃないわ!」 無我夢中だった。この男だけは許せない。そして、絶対にライヤに会わせてはならない。使命感と嫉妬が入り混じった感情で襲いかかる。だが、フェリオの指が相手の喉に到達する直前、手首が捕まれ、そのまま地面に投げられていた。急いで起き上がろうとしたが、相手の方が早い。フワリと地面を蹴ったと思った瞬間、背中に膝をつき、右手を逆に捩じ上げられてしまった。 「畜生! ウッズマンめ! 殺してやる!」 ジタバタともがくが、どうしても抜け出すことができない。やがて、諦めて静かになった。 「ったく、キヨネの言ったとおりね。無鉄砲で、猪みたいな子だわ」 背中で笑いを含んだ女の声がした。この時初めて、フェリオは自分があいてをしていたのがウッズマンではないことに気づいた。それも、相手は男ではなく、女だった。 「……お前は誰だ?!」 口惜しそうに唇を曲げ、フェリオは尋ねた。女はフフッと静かな笑い声を立て、手を離し、背中から降りた。フェリオは用心深く起き上がり、相手の顔を見る。間違えたのも無理はない。目の前にいた女は、あの憎きウッズマンと同じ黄金の髪とエメラルド色の瞳を持つ美しい女性だった。なんてきれいな女性なのだろう。フェリオは瞬間、我を忘れて見入っていた。 「月神シャラ……」 思わずデュオで最も美しい女神の名をつぶやいていた。美神ナリスが男性神の美の象徴だとすれば、月神シャラは女性神の中で最も美しいと言われる女神であった。いや、シャラは美しいだけでなく、勝利の女神だとも言われる。ナリスは、その美しさのため戦いの種となってしまう運命を持つ厄神であるのに対して、勝利をもたらす神としてデュオ人たちに敬愛されている神であった。 「あらっ、それってデュオで一番美しい女神様の名前ね。ありがとう、誉めてくれて。でも、私にそんなこと言っていいの? ライヤに怒られるわよ」 「えっ……」 いきなりライヤの名前を出され、フェリオは顔を真っ赤にする。どうして彼女はライヤの名前を知っているんだ? 「うふふ、本当にフェリオって可愛いわ。キヨネが夢中になるのも無理はないわね」 「……あの……キヨネさんの友達なんですか?」 オズオズと尋ねる。 「えっ? そう言えば、私、まだ自己紹介をしてなかったわね。だって、夕べはいきなり、あんな化け物が出たし、フェリオったら、わけも聞かずに襲いかかってくるんだもの……」 月の光のような髪を揺らし、美女が微笑む。なんてきれいな女性(ひと)なのだろう。それに、なんて優しい目をしているのか。突然、少年はいたたまれない恥ずかしさを感じた。 「私はダイアナ。キヨネに頼まれて、君を守りにきたのよ」 「守りに? だって……」 「あらっ、だって何? 私が女だから頼りにならないって言いたいの? 君、夕べの私の戦いを見てなかった? こう言ってはなんだけど、ダムリンって化け物から君を助けてあげたのは、わ・た・し・なのよ」 「……ごめんなさい……」 思わず顔を赤くしてうつむくフェリオだった。女なのに、なんて言うのは自分には言えない。いつだって、自分は誰かに助けられてきた。アルディオンの塔に乗り込んだ時も、キヨネに助けてもらったし、鉱山でもダンとドルベに助けられた。そして、革命だって、皆は“デュオの青い虹”と称えてくれたけれど、それだってダンや他の皆の助けがあったからだった。いつだって、誰かに助けられなければだめな人間、それが自分だ。 「あらあら、どうしたの? いきなり暗くなって?」 「なっ、なんでもないよ! そんなことより、どうして、こんなところに着陸したんだよ? 宇宙船できたのなら、アルカディアの宇宙港があるのに。それに、何の連絡もなしにやってきたから、てっきり敵だと思った」 「そうだった! すっかり忘れてたわ! 私、敵を追っかけてきたんだったわ」 「えっ?」 「私たち、メディウス・トンネルで、ウッズマンの部下がデュオに侵入しようとするのを待ち構えていたのだけれど、一機だけ単座式宇宙艇を逃してしまって……。私はそいつを追ってきたのよ。丁度、ここの上空で捕捉して攻撃したのだけれど、逃げられてしまって……」 「ウッズマンの部下? やっぱり、あいつは生きていたのか? あの革命の時、毒を飲んで死んだと思っていたけど、いつの間にか死体がなくなっていたから……。もしかしたらと思っていたんだけれど……」 少年の表情がハッと緊張した。宿敵ウッズマン。あの時、止めを刺しておけばよかった。自分の迂闊さが堪らなく口惜しい。 「やだ! 違うわよ。ウッズマンと言っても、父親の方よ。ゲリオール・ウッズマン。息子がデュオで殺されたと知って、仇を討とうとしているのよ。……と言っても、本当は、仇なんてどうでもいい。実はデュオを我が物にしたいだけのこと。あいつは親子の愛情なんて持たない冷血動物だわ」 初めて見せるダイアナの怒りに満ちた表情に、フェリオは一瞬怯んだ。 デスペラードの兵士たちは、自分たちの国へと近づいていた。だが、彼らの表情に帰国の喜びはない。隊長ギヅマはチラと背後を見る。やはり、奴はそこにいた。何度、あれが夢であってくれたらと願ったことか。しかし、獣王エルフォンを素手で捻り殺した化け物は、そこにいた。見かけは人間だが、とてもそうとは思えない恐ろしい相手であった。素手で竜を殺し、爪で兵士の首を斬り落とす。大剣で斬りつけても、平然と跳ね返し、炎すらも奴を殺すことはできない。正に、化け物、獣神ゴーラだとしか思えない相手であった。 その化け物に、デスペラードに案内しろと命じられ、ここまで連れてきた。しかし、本当にそれでよかったのだろうか? 命をかけても、阻止すべきではなかったろうか? いや、そんなことはない。きっと、デスペラードの全軍を使ってかかれば、奴を倒すことができるはずだ。それだけを頼りに、ここまで我慢をして連れてきたのだ。 「クックックッ、どうやらお前たちの国が見えてきたようだな」 化け物が不敵な笑みを浮かべる。一帯、何を企んでいるのだろう? もしかしたら、とんでもない奴を国に引き入れようとしているのではないだろうか? 再び、ギヅマの胸中に不安が込み上げてくる。 「ギヅマ隊長、その化け物は一体何なのだ?」 門の警備兵が、不信気に誰何した。思わずギクリと顔を見合わせる部下たち。ギヅマは舌打ちをしたい気分だった。如何に説明したらよいのだろう? 相手が背後にいたのでは迂闊なことは言えない。言った途端、あの化け物じみた怪力で首を捻じ切られてしまうだろう。だが、そいつが敵であることは伝えなくてはならない。こんな化け物を国内に入れただけでなく、城中にまで侵入を許せば、如何にギヅマが言い分けしようと、ただではすまないに違いない。下手をすれば、首を斬られてしまうだろう。そんなことは真っ平だった。なんとか、あいつが敵であることを密かに伝え、兵士を集めて倒してもらわなくてはならない。 「フッフッフッ、どうした隊長殿? 門番に言ったらどうだ? 空から降りてきた化け物に脅されて無理矢理連れてこさせられたと」> 「なっ……?!」 含み笑いと共に重苦しい声がした。蒼ざめるデスペラード兵たち。門番は聞くなり、槍を構える。だが、獣神ゴーラの化け物は平然と門に向かって歩いて行く。 「化け物め、ーっ! 止まれ!」 相手の不遜な態度に、怒りった門兵が槍を突き出した。ただの威嚇のつもりだったのだろう、切っ先には殺気がない。 「邪魔だ!」 一瞬、ゴリラ面の目が光った。次の瞬間、門兵の首級が空を飛ぶ。目にも留まらぬスピードで、鋭い爪が敵を薙いでいたのだ。傍目にはただ睨んだだけのようにしか見えなかった。 「貴様、何をした?」 門前での異常に気づいた他の兵士たちが、血相を変えて集まってきた。全員剣や槍を構えている。 「ドーソン!」 一人が転がっている門兵の首を見て絶叫した。恐らくは知り合いなのであろう。何かを訴えるような友人の視線に、その兵は歯噛みをして、大男を睨みつけた。 「おのれ、ドーソンの仇!」 「待て! そいつは化け物だ! 油断するな!」 見かねたギヅマが大声で警告した。しかし、怒りに支配されていた兵の耳には届かなかった。大剣を八双に構え、叩きつけるように化け物の首を薙ぐ。剣は見事に敵の首を切落したかに見えた。誰しもが血飛沫を上げて飛んで行く化け物の首級を想像した。が、血飛沫を上げていたのは敵ではなかった。 「そっ……そんな馬鹿な……」 恐怖に凍りついた兵の口から驚嘆が漏れる。大剣は化け物の首を数ミリも傷つけることができず、中央からへし折れ、剣を放った兵の胴は腰の部分から真っ二つに切断されていたのである。鮮血と臓物を撒き散らしながら落ちて行く同僚の姿を、兵たちは沈黙したまま見つめていた。こんな馬鹿なことがあって良いものだろうか? これは悪夢に違いない。大剣で傷つけることさえできない化け物。爪先一つで人間の胴を切断してしまう悪魔。このような人間が存在するはずがない。 「獣神ゴーラだ!」 「悪神ドードの下僕だ!」 恐怖と嫌悪の入り混じった動揺が、門前の兵士たちを押し包む。巨大な人間の姿をした悪魔。槍も剣も奴を殺すことはおろか、傷つけることさえできない。 「矢だ! 矢を撃て!」 恐怖にニ上ずった声で命令しているのは、騒ぎを聞きつけて飛び出してきた門番兵の隊長だ。槍も剣も跳ね返されてしまったのを見て、咄嗟に命じていた。門の上や、兵の上に常駐していた弓兵が次々と弓を引き、化け物に向かって雨と矢を放つ。 「だめだ! そんなことでは奴を倒せない……」 それは既に、ギヅマたちが試して、効果が全くないことが判っている。そんなことをすれば、化け物を益々怒らせるだけだ。何百もの矢がゴリラ男の身体に当たっては跳ね返る。一本の矢も、針で突いたほどの傷さえつけられず落ちて行った。 「なんて化け物だ……」 圧倒的な力を見せつけられ、兵たちの戦意はドンドンと萎えて行く。現在、彼らの目の前にいるのは、決して逆らってはならない、悪神ドードの使者、獣神ゴーラだった。 「助けてくれ……」 「あんな奴、人間ではない! 化け物だ!」 「獣神ゴーラだ!」 「馬鹿者! 逃げるな! それでも、栄光のデスペラードの兵か?!」 逃げ出そうとしている部下を止めようと隊長は剣を抜き、威嚇する。しかし、一度恐怖に取りつかれてしまった兵の逃走は止まらない。 「この臆病者めらが!」 あまりにも不甲斐ない部下に、思わず剣を振り下ろしていた。ギャッと叫び声を残し、部下は真っ二つに斬られた額から鮮血を迸らせながら倒れた。 「よく見ろ! デスペラードに臆病者は必要ない! 化け物と勇敢に戦って勇名を残すか、それとも卑怯者としてオレに斬られるか、どちらでも好きな方を選ぶがいい!」 瞳を爛々と怒らせ、大音声で部下を叱咤する。 「デスペラードは戦いの民だ! 例え悪神ドードの下僕、獣神ゴーラだろうと後ろは見せぬ!」 「そうだ! 我ら、戦神を奉じるデスペラード軍だ! 逃げてたまるか!」 恐怖に駆られていた兵士たちの顔に生気が戻った。自分たちは栄えあるデスペラードの軍兵だ。戦神ディーンを奉じる軍人にあるまじき所業であった。例え死すとも、敵に後ろを見せてはならなかったのだ。兵たちは、それぞれの武器を握り直し、獣神に向き直る。決して王宮内に悪魔を引き入れてはならない。 「だめだ! あいつに、こんな少人数で向かっても勝てない……」 化け物の強さを目の当たりにしているギヅマは小さく叫び声を上げた。このままでは、門兵が全滅してしまう。戦に気を取られている見方からそっと抜け出し、王宮へと走り出していた。もっと、兵士を集めなくては、あんな化け物を倒すことはできない。どうか、味方が戻ってくるまで持ちこたえてくれ! 祈るような気持ちでギヅマは駆けた。
第一章 第十話 デスペラードの悪夢! ---了---
|
|
このままでは門兵が全滅してしまう。それも自分が連れてきた正体不明の化け物に。そうなれば失態の責任を取らされてしまう。悪くすれば斬首だ。そんなことになれば、何のためにカナンから逃げてきたか判らなくなってしまうではないか。門前の戦いから密かに離れ、エルフォン隊長ギヅマは、己の直属の上司、エルドラン将軍の下へと懸命に駆けた。一刻も早くこのことを知らせなくてはならない。そして、デスペラード全軍の力でゴーラのような化け物を倒さなくてはならない。そうしないと、もしかしたら国は滅ぼされてしまうかも知れない。 「将軍! エルドラン将軍!」 デスペラード・竜騎隊を率いる将軍エルドランは自分を呼ぶけたたましい叫び声に、目を通していた書類から眼を離した。一体何を慌てているのか、眉を顰めユラリと立ち上がる。と、いきなりドアが破られたかと思うような勢いで男が飛び込んできた。 「何事だ? ドアもノックせずに飛び込んでくるとは無礼であろう!」 静かではあるが、凛とした声で将軍が問う。男はハッとしたように直立不動に身体を固くなって、敬礼する。知っている顔だった。確か、カナンの国境を越えて、敵を挑発に向かった、エルフォン隊の隊長である。 「どうしたギヅマ隊長? まるで隣国カナンが攻めてきたかのような慌てぶりではないか?」 エルドラン将軍の口元には、揶揄するような笑みが浮かんでいた。だが、ギヅマが真剣な面持ちで語るにつれ、段々と顔色が変化して行った。 「空から降ってきた炎の中から生まれた、化け物だと? 槍も通さず、大剣も跳ね返してしまう獣神だと? そんな化け物の話は聞いたこともない! そんな奴が門前で暴れている? 一体、そいつは何者だ?」 部下の話す、荒唐無稽な話を聞き終わると、老将軍は天井を見上げた。この男は夢を見ていたのではないだろうか? それとも、何かの企みで騙そうとしている? いや、そんなはずはない。何しろ、隣国カナンから脱走して、傷つき行き倒れになっているところを自分が助け、隊長にまで押し上げてやった恩をいつも感謝していると口にしている男だ。それに、今やデスペラード国王に老害と疎まれている自分を陥れ、得をする人間もいない。だとすれば、真に、そんな化け物が現れたのだ。 「ギヅマ、竜騎士部隊に召集をかけろ! 直ちに門前の警護を補佐するのだ!」 「はっ!」 サッと敬礼をし、ギヅマは踵を返す。 「待て、ギヅマ!」 「はあ?」 勢いよく駆け出そうとした機先を制され、ゆっくりと顔を後ろに向ける。将軍は腕組みをしたまま暫く沈黙していた。こんな一刻を争う緊急時に何を考えることがあるというのだ? ギヅマはジタバタと地団太を踏みたい気分を必死で抑え、我慢強く次の言葉を待った。 「先ほど聞いた化け物の話が本当なら……」 「疑っておられるのですか? 私がそんな嘘を言って何の得があるとおっしゃられるのです?」 「分かっておる。だから、考えておるのだ。もしも、そのような化け物が現れたとすれば、何人兵士や騎士がかかろうと、倒すことはできぬであろう。槍も、大剣も、炎ですら奴を倒せぬとあれば、無駄死にが出るばかりであろう」 「……それは……」 それは考えないことではなかった。どうやったら化け物を倒すことができるか。何人もの兵士がかかれば倒せるに違いないと思っていた。しかし、改めて将軍に、そう問われては考えないわけにはいかない。どうやっても傷つけることさえできない相手。それをどうやって倒せというのだろう? 「十数年前、空から降りてきた人間がくれた武器が宝物殿に秘蔵されておる。もしかしたら、それが役に立つかも知れぬ。わしは、それを取りに行ってくる。それまで副将軍、オルトリオに、とにかく化け物を王宮に、いや国王陛下に近づけないようにするようにと伝えておいてくれ」 「はい」 パッと敬礼をすると、ギヅマは駆け出して行った。一刻も早く部隊を召集し、化け物を退治しなくてはならない。使命感に燃え、必死で招集命令を怒鳴りながら走り去って行く。エルドランは、そんな部下の後姿を見送った後、急ぎ足で室を飛び出して行く。目指すは宝物殿であった。 ギヅマが門から離れ、将軍に応援を頼みに走ってから、竜騎士部隊と共に戻ってくるまで、十分も経ってはいないはずであった。だが、門前に駆けつけた時、すでに化け物の姿はそこにはなかった。ただ残されていたのは、累々と転がる門番兵たちの無残な体だけであった。ある者は首を失い、ある者は胴を切断され、内臓をはみ出させていた。腕が四方に飛び、足が棒切れのように転がっている。首はまるで子供たちがサッカーボールの山を蹴っ飛ばして散らかしたかのようにあらゆる場所に転がっていた。 「なんと言う惨状だ……」 いかにも戦いなれた副将軍でさえ、目を反らしたくなるような悲惨な現場に、思わず吐き気を堪えきれぬと言った様子でうめいた。 「副将軍閣下、死体は王宮へと続いております」 「狙いは国王陛下だ! 急げ!」 竜騎士たちは騒然となった。突然現れたという化け物は、国王を狙っている。もしも、国の長である国王を失えば、国全体の危機だ。一刻も早く化け物を取り押さえなくてはならない。 「皆の者、続け! 国王陛下をお守りするのだ!」 緊迫感のある命令に、竜騎士全員が緊張した。先頭を切って走る副将軍オルトリオの駈るエルフォンの後ろに続いた。 デスペラード国王、デスロ三世は王宮内の奥宮にある庭園で后であるアンナルシアと一時の談笑を交わしていた。話題になっているのは王子、カリムの婚姻についてである。隣国カナンの姫、サリヤを強引に嫁がせ、隣国をも支配下に置く。それが目下の目標であった。だが、カナンの王は返答を渋り、姫を差し出そうとはしない。それが苦々しく、腹立たしかった。ついに業を煮やした彼は、部下に命じ、隣国を挑発するよう命じたのである。そろそろ、結果報告がくるころだ。果たしてカナンの王はどのような反応をするであろうか。素直に姫を差し出せばよし、差し出さねば、それを口実に攻めることができる。どちらに転んだとしても、隣国は我がものとなるはずであった。 「でも陛下、わたくしは心配でございます」 「何を心配だと言うのだ后」 困惑の表情の后に、国王は首をかしげる。一体、何を心配するというのだろう? 隣国カナンは確か大国ではない。しかも、軍事力の面においても、デスペラードの方が勝っている。戦を仕掛けて返り討ちにされる心配はないはずだ。 「サリヤ姫のことです」 「はあ?」 「噂ではカナンのサリヤ姫というのは、生まれつき乱暴な娘で、男勝りだとか。普段から男の子のような格好をして国中を暴れ回り、国民に恐れられているとか……。カリム王子は心の優しい子だから、もしもそんな男のような姫を嫁に持ったら……。どんな酷いことになるか……」 后が深刻な顔をしているのを見て、デスロ三世は苦笑を漏らした。 「どのような姫だろうと関係はなかろう。婚姻とは名ばかり。事実上、サリヤ姫は人質なのだ。王子が気に入らぬと言うのなら、塔の上にでも幽閉しておけばよいだろう」 「そっ、そうですわね。そのような姫、まともに王子妃として扱う必要など無用でありました」 王の答えを聞いた途端、顔色がパッと明るくなった。実に判り易い性格の后であった。 「陛下! 陛下! 陛下ーっ! 一大事でございますーっ!」 和やかな夫妻の談笑を打ち破る絶叫に、デスロ三世は眉を顰めた。なんという無礼。王のプライベート空間に大声で乗り込んでくるとはとても許せる所業ではない。厳しく叱責してやろうと顔を上げ、息を大きく吸い込んで……そのまま固まってしまった。王宮兵士の一団が血相を変えて走っている。これは一体何事だ? もしや反乱か? サッと顔色を変える夫妻。 「父上! 母上! 早くお逃げください!」 「カリム?!」 髪を振り乱した十七、八才ぐらいの少年を見て、王后が悲鳴を上げた。カリム王子、たった今、彼の后について話し合っていた当人なのだ。それがどうして? 日嗣の王子ともあろう者が、取り乱して大声を出すとはただごとではない。王后は一層不安になっていた。 「何事です? 大声を出して! 王太子として何事が起ころうとうろたえてはなりません」 己の不安を打ち消そうと、后は息子をたしなめる声を幾分か荒げていた。例え、反乱が起こったとしても、ここは王宮の大奥、宮殿を守護する近衛騎士隊が阻止してくれるはずだった。だが、確信は直ぐに崩れ去ってしまう。近衛騎士の一団が押し包むようにして獣面の巨人と共に雪崩れ込んできたのだ。巨人は全くの素手でありながら、鋭く長い爪で騎士の首級を飛ばし、胴を断ち斬る。大剣も、槍も、獣面の男を傷つけることさえできない。 返り血を浴た獰猛な獣の後ろには、累々と切り刻まれた人間の残骸が転がっている。血に飢えた獣がそこにいた。懸命に化け物のような大男の前進を阻止しようと騎士たちが群がっているが、それはまるで蟻が大アリクイに戦いを挑んでいるようなものであった。爪を一閃させる度に、首級が宙を飛び、胴が切断されて行く。血飛沫の花が空中に咲いては、散って行った。それはあまりにも非現実的な光景であった。これは悪夢に違いない。王も后もそうであって欲しいと願った。だが、目の前に繰り広げられているのは夢でも、幻でもなかった。 「父上! 母上! 一刻も早く王宮外へお逃げください! あやつは、あの巨人は化け物です! 如何なる剣も槍も奴を殺すことはおろか、傷つけることもできません。正に、奴は悪神ドードの下僕、獣神ゴーラです。尋常な武器では到底かなわぬ相手」 「獣神ゴーラ……」 王と后は絶句したまま、恐ろしい勢いで近づいてくる化け物を凝視していた。伝説に出てくる獣神がそこにいる。それは、吟遊詩人が唱えるサーガよりも凄まじく、畏怖すべき姿であった。 「母上、早く!」 王子が背後に迫る化け物を気にしながら、母を急かす。だが、彼女はまるでゴーゴンの目に射すくめられ、石と化したかのように動かない。あまりの恐怖に精神は吹っ飛んでしまっていたのである。カリム王子は、チッと舌打ちすると、母の手を掴み、力強く引いた。とにかく、この場から離れなくてはならない。それだけが頭の中にあった。 「国王陛下! 王后陛下、カリム王子殿下! ここは近衛隊が楯となって化け物を防ぎます! 早く落ち延びください!」 近衛隊長が蒼ざめた顔で絶叫した。カリムは一瞬、背後を振り返る。同時に、隊長の胴が斜めに切断され、ズルリと地面にバラバラに落ちて行く姿が目に入った。あの歴戦の勇士がいとも簡単に殺されてしまう。もはや一刻の猶予もない。カリムは必死で母の手を引っ張った。 「お離し、カリム!」 不意に王后の目が狂気に光った。ハッと立ち止まるカリムの腕を、信じられぬような力で振り解き、懐剣を抜いて駆け出す。何をする気だ? 唖然と見送る王子の耳が、けたたましい笑い声を捕らえた。目の前のあまりにも信じられぬような惨事に、王后の精神の箍が吹き飛んでしまったのだ。目は空中を彷徨い、口はだらしなく開き、涎が滴り落ちている。懐剣を握った手は目に見えぬ魔物に向かって振り回されていた。なんということだ。あの宮廷の花と謳われた母親の醜態に王子派唖然と立ち尽くすばかりであった。 「カリム、あれはもうだめじゃ! 棄てておけ! それよりも早く逃げるのじゃ!」 「父上?!」 紙のように白くなった国王の顔を凝然と見つめる。国王の威厳はすでになく、ただ脅威に怯えるただの男がそこにいた。これが戦い神ディーンを奉じる国、デスペラードの王なのか? 失望が王子の心中に沸き上がってきていることなどまるで気づきもせず、デスロ三世は、衣服を乱して逃走を始めていた。あまりにも醜悪な姿に、王子は嘆息する。臣下を見殺しにし、妻をも見捨てて遁走する国王。このような男が父親であったのだ。大国、デスペラードの王として、隣国に対し傍若無人に振舞っていた時の威厳は、ただの空威張りであった。所謂、虎の威を借るというやつであったのだ。 「なんという情けない……」 もはや、あのような男を父とは思わぬ。カリムの心は、醜く遁走する父王に対する失望と怒りで一杯になっていた。確かに、化け物の襲来に驚嘆し、強さに恐怖して父母に逃げるように進言した。しかし、それは一旦落ち延び、反撃の機会をとの願いから出たのであり、臆病者として遁走して欲しいと願ったのではない。それも、長年つき添ってきた妻を見殺しにし、ただ己の命だけを惜しんで逃げ出すとは、唾棄すべき裏切りであった。 「吾は父とは違う! 味方を見殺しにして逃げることなどできぬ!」 父王の姿が奥庭から消え去るのと同時に、カリムは化け物に向き直っていた。かなわぬかも知れぬ。しかし、卑怯者、臆病者と蔑まれるよりは、命を失う方がましであった。長剣を構え、迫ってくる獣面の男をにらみすえる。すでに近衛隊は十名足らずまでに減少していた。 「カリム殿下!」 懸命に化け物を阻止しようとしていた近衛騎士が剣を構えている王子に気づく。カリムの目は一心に敵を見据えていた。闘うつもりなのだ。 「殿下、なりません! あやつは尋常な者ではありませぬ。お逃げください! 私共が楯となっている間に!」 敵の動向を用心しながら近衛騎士が近づいてきた。国の王太子を傷つけてはならない。一刻も早くこの場から逃がすべく、腕を取った。だが、王子の反応は、意に介して反抗的であった。騎士の腕を振り払い、長剣を構えたまま、敵に向かって前進して行く。もはや、獣面の化け物は目前だ。 「貴様がこの国の王子か?」 獣がしゃべった。ギクリと立ち竦む近衛隊。まるで地獄から響いてくるようなくぐもった声音であった。次いで、ギラリと底光りする眼がカリムに向けられる。ゾッとするような無機質さだ。感情というものが全く感じられない。ただ、殺戮を淡々と行う機械の眼であった。殺される。王子は化け物の目を見た途端、悟った。これはただの化け物ではない。殺戮のためだけに神が創造した魔獣なのだ。 「王子を殺させはしません!」 「はっ……母上……」 化け物が爪を王子に向けようとした刹那、何者かが二人の間に滑り込んできた。王后だ。狂気に支配されていたとはいえ、吾が子の危機を察し、懐剣を振り回しながら飛び込んできたのだ。 「ふふん、王后か」 獣が唇をめくれ上げ、笑った。カリムは一瞬、ギクリと後ずさりたい衝動にかられる。だが、恐怖を必死に押し返し、母を庇おうと一歩踏み出す。しかし、敵の方が素早かった。振り下ろされた懐剣をまるで無視し、化け物の腕が王后の身体を掴む。思わず息を呑む。その場にいた全員が、無残に切り裂かれた王妃を想像した。 「お離しなさい、この無礼者!」 怒り狂った絶叫。ハッと顔を上げるとゴリラに捕らえられた美女さながらに、悲鳴を上げ続けている王后の姿が眼に飛び込んだ。
第一章 第十一話 流血のデスペラード! ---了---
|
|
デスペラードに獣神ゴーラが現れた。天から降ってきた火の玉から生まれ、剣でも槍でも傷つけることさえできなかったと聞く。それが門前兵士を惨殺し、宮殿へと向かった。副将軍、オルトリオを先に向かわせたが、報告してきたギヅマの話では、到底並みの武器では倒すことはできないと悟った将軍エルドランは、王宮の宝物殿へと急行した。この中には、デスペラード王家の代々の王が略奪し集めた数々の宝が保存されている。その宝物の中に十数年前、空から降りてきた男、フィルがデスロ三世に献上した不思議な剣があった。 一見、それはただの筒のように見える。だが、筒の表面にあるボタンを押した途端、光輝く剣が出現するのだ。空から降りてきた男は、どんな物でも切り裂くことのできる光の剣だと言った。あの男の言うことが真実ならば、今、デスペラードを襲っている化け物も倒すことができる。いや、そうでなければ困る。エルドランは迷わず宝物殿の中央に置いてある筒に手を伸ばす。そして、確かめるようにボタンに指をかける。途端、眼を射るような白銀に光る剣が現れた。一瞬、躊躇った後、脇にあった鋼鉄の楯に向かって剣を振り下ろす。柔らかな豆腐を切るほどの抵抗もなく楯は両断され、左右に分かれて落ちて行った。間違いない。これだ。これこそが化け物を倒す神剣、エクスカリバーだ。将軍は再びボタンを押し、刃を収めると、腰に挿した。 后を見捨て、己の後継ぎの王子をも残し、単独で遁走するデスロ三世は、はたと足を止めた。何かが近づいてくる。敵か?背後にいる化け物とは別に敵が攻めてくるのか?顔色を変えた国王は、キョロキョロと隠れる場所を捜す。だが、そこは丁度広場のようになった場所で、あいにくと身を隠せるような物は何もなかった。オロオロとうろたえている間に足音を立てている者たちの姿が目に入った。 「陛下!国王陛下、よくぞご無事で……」 「おおっ、竜騎士部隊か……」 ホッと安堵のため息が国王の口から漏れる。敵ではない。兵団の中でも最強と呼ばれる竜騎士部隊であった。 「王后陛下と王子殿下は何処に?」 「うむ……それは……」 たった今、見捨ててきたとは答えられず、デスロ三世は思わず口ごもる。その様子に何かを悟ったのか、オルトリオ副将軍は僅かだけ目を細め、視線を国王の背後に向けた。耳をすませるまでもなく、激しい喧騒が聞こえてきている。 「バラン、陛下を安全な場所にご案内しろ」 短く部下に命じると、エルホンを駈って喧騒の中心へと向かった。ドドッと広場の石畳を踏み鳴らして通り過ぎていく竜騎士の一段をデスロ三世は頼もしげに見送る。いくら敵が化け物でも、デュオ最強の生き物、エルフォンに騎乗する竜騎士に敵うはずがないのだ。 「バランとやら、案内せい」 「はっ」 先ほどまでのうろたえぶりが嘘のように消え、尊大な口調で国王は命じた。バランはエルフォンから下竜し、慇懃に礼を取ると、戦闘から最も離れた離宮へと国王を案内した。 不意に喧騒が止んだ。エルフォン部隊は不吉な予感に背筋が凍りつく。まさか、王后と王子もろとも、近衛隊が抹殺されてしまったのでは。 「王后陛下!王子殿下!」 オルトリオは不吉な考えを吹き飛ばすように大声で叫びながらエルフォンを急がせた。やがて奥庭の様子がハッキリと見えてきた。何故か誰も動いてはいない。中央に一団と背の高い男がいる。顔はと見ると、とても人とは思えないような獣面だ。あれがギヅマの報告してきた化け物に違いない。だが、どうして兵たちは奴を倒そうとはしない?それほど奴が怖いのか?そんなにデスペラードの兵は臆病者揃いだというのか?しかし、視線を化け物の顔から下方に下した時、全ての疑問が氷解した。獣神の腕の中に王后が捕らえられていたのだ。国王の夫人を人質に取られていては、手を出すことはできない。ギリギリと歯噛する近衛騎士たちの表情が見えてきた。 「おのれ、卑怯な!」 オルトリオの瞳がカッと怒りに燃え上がる。 だが、どうにも出来ない。報告では、あの化け物には剣も槍も傷つけることさえ出来なかったという。では、ただ指をくわえて見ていろというのか?それはあまりにも屈辱的であった。 「エリル、貴様弓が得意だったな?!」 「はっ」 副将軍に呼ばれ、若い騎士が戸惑いの表情になる。一体、何を命じられるのだろうかと、不安そうに目を瞬いていた。 「矢であやつの目を射れるか?」 問われて、エリルと言う若い騎士は逡巡した。現在いる位置から標的まて約百メートル。いつもの彼なら決して外す距離ではない。しかし、化け物の手の中には王后がいる。もし、間違って外すことがあれば、傷つけるかも知れない。 「エリル、何を臆病になっている。いつもの調子でやれ!お前の腕なら決して外すことはない」 「キルヒ……」 エリルがハッと振り返ると、幼なじみの顔があった。キルヒだ。彼はニヤリと微笑んでうなずいている。親友に励まされ副将軍を真っ直ぐに見た。オルトリオも黙ってうなずいていた。親友が、上官が信頼してくれている。なによりも心強い味方だ。エリルはフーッと深呼吸をすると、弓弦に矢をつがえた。狙うは獣神の右目。キリキリと弦を引き、ピタリと狙いを定める。決して外さない。渾身の精神力を込めて、放った。矢は風を切り、一直線に化け物に向かって飛翔する。エリルは結果を確かめる間もなく、第二矢をつがえていた。 次の狙いは左眼。だが、それは弓を離れることはなかった。矢が右目に突き刺さると思われた瞬間、獣神の腕が素早く動いた。鏃を巨大な手が掴み、そのままポイッとまるでゴミでも棄てるように投げた。放り出された矢は弓から放たれた時以上の速度で射手に向かってもどって行く。アッと思った時には、矢はエリルの胸に深々と突き刺さっていた。カッと血を吐きエリルの身体はエルフォンの上から崩れ落ちた。オルトリオ以下、竜騎士部隊の誰も口を利けず、唖然と仲間の騎士の骸を見つめている。なんという化け物だ。到底、彼らのかなう相手ではなかった。 奥庭の喧騒は離宮までは届かない。何も聞こえてはこないだけに、不安は一層つのってくる。デスペラード国王、デスロ三世は焦燥感で押し潰されそうであった。今まで、国王として君臨してきたが、自らの命の危険を感じたことは一度もなかった。近隣の国を侵略するのは兵の仕事であり、彼は一度も兵を率いて戦ったことはない。それが当たり前だと思っていた。だから、何人配下の兵が死のうと平気であった。しかし、今回は違う。人外の化け物に王宮を荒らし回られ、目の前で兵を惨殺された。そして、こともあろうか、王自身の命さえ危うくされた。王后や王子の身も心配ではあったが、あんな恐ろしい化け物のいる裏庭には近づきたくもない。 そんなことよりも、果たして後から駆けつけた竜騎士部隊は無事に化け物を倒してくれただろうか?もしも、竜騎士でも倒せないとなると、もはやデスペラードには倒せる者はいない。そうなると……王国の滅亡しか残されていない。王としての栄耀栄華は全て奪い去られてしまう。いや、それどころか命さえ危ない。かつて彼が滅ぼした国の王や家族に対してどのような処分をした?思い出そうとして、身震いがする。敵国の王は斬首した上、晒し物にした。腐った首の目玉をカラスがくり抜き、人々が石を投げつけた。白骨化した骸骨となり、地面に落ちた骨を犬が貪り食う。想像しただけで寒気がする。冗談ではない。そんな惨めな最後を迎えるなど真っ平であった。 「おいっ!貴様、バランと言ったな。奥庭の様子を見てこい……いや待て……」 堪り兼ね、ここまで案内してくれた騎士に向かってデスロ三世は命じようとした。だが、彼を行かせてしまえば、一人になってしまう。そうなると、もしもの時、守ってくれる者は一人もいない。それでは、あまりにも心細い。どうしたものだろう。騎士、バランは直立不動の姿勢のまま、命令を待っている。 「父上!」 優柔不断な国王を呼ぶ声がして、ハッと顔を上げる。入り口から入ってくるのは、置き去りにしたカリム王子であった。無事であったのか。デスロ三世の顔に安堵の表情が浮かぶ。王子がここにきたということは、竜騎士たちが化け物を倒したということであろうと考えたのだ。 「父上、宝珠をお持ちか?」 「もちろん、これにあるが……?」 何故、このような時にそのような質問をするのだろう。国王は不信に思いつつも、常に持ち歩いている、デスペラード王であることの証の品、ディーンの眼と呼ばれる宝珠を懐から出してみせた。戦神ディーンの瞳の色と同じ、碧色、恐らくはエメラルドであろう、鳩の卵大の宝珠だ。 「見事な宝珠だ」 父王の手からもぎ取るように宝珠を奪うと、カリムが唸った。曇りのない透き通った碧の玉、中央には白い星が浮かんでいた。間違いなく戦神ディーンの眼と呼ばれる宝珠であった。 「カリムよ、もうよいであろう。宝珠を……」 王子の様子にふと不安を感じた国王は宝珠を取り戻そうと手を伸ばした。が次の瞬間、その手が動きを止める。いつの間に抜いたものか、長剣の切っ先が喉元に突きつけられていたのだ。これは何の真似だ?蒼ざめたまま、我が子を見る。しかし、カリムの目は全ての苦渋を飲み込んだように、暗く沈んでいた。これが本当に、あの王子だろうか?このような瞳をした息子を始めて見た。動揺がデスロ三世を押し包む。 「王子殿下、一体何を……」 たった一人、王を護衛していた竜騎士、バランが驚愕の叫びを上げる。日嗣の王子が国王に剣を向ける。それは、例え冗談にしてもあってはならない光景であった。この状況をどう理解したらよいのだろうか?戸惑い、狼狽した視線を国王と王子に交互に向ける。 「バラン、謀反じゃ!王子が謀反を起した!ひっ捕らえよ!殺しても構わぬ。」 「はっ……」 国王の命に、反射的に返事を返すが、騎士は動けなかった。下手に動けば、国王を傷つけるかも知れない。いや、それよりも、同じデスペラード王家の親子のどちらを支持すべきかが判らない。本当は理解していた。いくら第一継承権を持つ王子であろうと、現国王の命には絶対服従しなくてはならない。その絶対君主に対し剣を向けるということは、謀反以外の何ものでもない。しかし、普段の王子を知っている騎士にとって、王子は国王と同等の主であった。 デスロ三世は常に王宮の奥深くで毎日を安穏におくるだけの、言わば愚王だ。しかし、カリムは常に王宮だけでなく、各兵士、騎士と交わり、強い信頼関係を作り上げていたし、周辺諸国との戦にも、自ら剣を取り、その雄姿はデスペラードの兵たちにとっては憧れの対象であった。それに、国王とも中むつまじいと見えていた。その王子が父王に向かって剣を突きつけている。全く信じられない悪夢としか言いようの無い状況であった。 「父上、母上が人質にとられました」 「なっ……?」 一瞬、唖然と王子を見つめる。王后が人質?一体何者がと問うのは愚問であろう。 あの人外の化け物に捕らえられたに違いない。 「母上の命が惜しくば、国王の証である宝珠を差し出せと……」 「そっ……それは……」 それはできぬ相談だと言おうとして口をつぐんだ。王子の真剣な眼差しは、すでに何があっても宝珠を渡す気であることを物語っていた。とかく悪い噂を立てられているカリムであったが、母親思いであることは父である彼はよく知っていた。恐らく、父である自分を傷つけてでも宝珠を渡そうとするであろう。 「判った。后の命には代えられぬ。宝珠を渡すがよい。宝珠はいつでも取り戻せる。だが、一度失った命は取り戻すことはできぬ」 「父上!申し訳ありません。宝珠は必ず私が取り戻してみせます」 「うっ、うむ……」 内心の動揺を隠しながら、国王は威厳を込めてうなずいて見せた。王子の顔が軽い安堵を浮かべる。王の証とも言える宝珠を敵に差し出すことを父が許してくれるとは思わなかった。国王としては怠惰なくせに、権力に対する執着だけは人一倍強い父であったから、その権力の象徴とも言える宝珠を、手放すことは何よりも嫌悪すべき事柄であるはずだった。それが、愛する家族のために快く諦めてくれた。先ほど、妻や子を見捨てて逃げ出したことは忘れてもよいかも知れないと思った。 「父上、例え宝珠を失おうと、デスロ三世は紛れもなくデスペラード国王陛下です」 カリムは心からの尊敬を込めて、父王に一礼すると、背を向けた。一刻も早く宝珠を持って行かなくてはならない。母である王后に傷一つつけられたくはなかった。王子は本当であるなら、いつの日にか自分の物になっていたであろう宝珠を愛しげに一撫ですると、出口に向かって足を一歩踏み出した。その時、背後で人の動く気配がする。恐らくは宝珠を失った父王が悲嘆に暮れて膝をついたのだと思った。そのような姿は見たくない。あえて振り向こうとはしなかった。が次の瞬間、カリムは背中に起こった激痛に、思わず振り向く。デスロ三世がいた。手には真っ赤な血に染まった短剣が握られている。それが自分の血だと気づいた時、カリムは床の上に力なく倒れていた。 「愚か者目!誰が王の証の宝珠を渡すものか!」 デスロ三世は憎々しげに王子の身体を蹴りつけ、宝珠を取り上げる。親子の愛情など微塵もない。ただ己の地位を脅かす存在が邪魔なだけであった。王という身分こそが彼のアイデンティティであり、宝珠を持つことこそがそれを揺るぎないものにしているのだと錯覚していた。 「バラン、ここは危険じゃ。王宮外に逃れる。ついてこい!」 「……」 横柄に命令を下す王を、騎士バランは唖然として見つめていた。なんという国王なのだろう。王后よりも宝珠を取る男。母を助けようと宝珠を奪った王子を騙し討ちにする人間。それが、自分たちが命がけで崇拝していた王なのか。誇り高き騎士は、常に王の命令を遂行するため、力を蓄え、技を磨く。一旦事が起これば、一命を投げ捨ててでも、守り抜く。それは主たる王が尊敬に値すべき人物だと信じていればこその絶対服従であった。だが今、目の前にいる男は何だ。このような男を王と崇め、奉っていたというのか。なんという情けない…… 「何をしておる!早くせぬか!」 身動き一つしない騎士に業を煮やした国王は、一人だけ先に出口に向かって駆け出す。一刻も早くここから離れなくては、あの化け物がやってくる。そうなってからでは、もう逃げられない。もたもたしている騎士など放っておいて、自分だけ逃げるつもりであった。だが、出口から外に出た途端、何者かにぶっつかってしまい、よろけるように石畳の上に転がっってしまった。 「無礼者!デスペラード国王の進路を邪魔するとは……」 己の不注意を棚に上げて、罵倒しようと相手を見たデスロ三世の身体が硬直した。巨大な体躯に乗ったゴリラのような獣面。その手中には、気絶した女が全身血まみれで捕らえられていた。
第一章 第十二話 デスペラード陥落! ---了---
|