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長編小説 デュオの仮面騎士

文:カメ仙人



◆第一章 第十三話  悪魔の誘惑!◆



 絶世の美女とは、このような女性を言うのだろうか。透き通るような白い肌、整った鼻梁。真紅の薔薇のような唇。深い湖のようなエメラルド色の瞳。そして闇を照らす月の光をそのまま映したようなプラチナブロンドの長い髪。更に、全体にバランスの取れた身体。どれを取っても、完璧な美しさであった。月神シャラのような女性、ダイアナの後ろを歩きながら、フェリオは思わずため息をついていた。ライヤのような少女とは違う、大人の女性。まるで乱暴に扱ったら壊れてしまうような危なっかしい幼なじみと、目の前にいる一見華奢に見えるが、驚くべき力を秘めた美女。いつの間にか、ライヤとダイアナを比べている自分を発見して、フェリオは思わず頭を大きく左右に振っていた。

 「フェリオ、どうかした?」
 振り向いたダイアナの太陽に輝く笑顔に、少年は知らず顔を赤くしてうつむいてしまった。それを訝るでもなく、ダイアナは再び前を向いて歩き出す。フェリオは口を閉ざしたまま後を追った。行く先はデスペラード。大将軍ダンに託された手紙をデスペラード王に渡さなくてはならない。宿敵であったウッズマンの父親、ゲリオール・ウッズマンが息子の復讐の名の下、デュオを侵略しようとしている。それを共に防がなくてはならない。アルディオンの神子、ライヤを慕い集まってきたデュオ新政府だけでは科学力のはるかに優れた地球人には到底かなわない。しかし、全てのデュオ国家が手を結び、決然と反抗すれば、どんな敵であろうと、必ず勝てるはずだ。

それに、地球人の中にも、キヨネやダイアナのように力を貸してくれる人たちもいる。デスペラード王を説得出来れば、きっとデュオを、いやライヤを守り抜くことが出来る。でも、そんな大役を務めることが出来るだろうか? 自分のような子供を、国王が本気になって話を聞いてくれるだろうか? ダンは出来ると言った。デュオの伝説の勇者、青い虹のフェリオなら、それが可能だと言った。でも、自分自身、伝説の勇者だなんて信じられない。デュオ革命の時は、ダンやドルベ爺さんが助けてくれたから、あんなことも出来た。でも……。自分の肩にデュオ、いやライヤの運命がかかっていると思うと、それだけで息苦しくなってくる。

 「フェリオ、信じて待っているわ」
 神都アルカディアを出る時、ライヤが言ってくれた。あの瞳、自分だけを見つめていた。彼女の期待を裏切りたくない。ライヤだけ。彼女だけがこの世の全てだと思う。畏れてはいけない。ライヤを守るためなら命だって惜しくない。失敗を恐がっていちゃだめだ。アルディオンの神子を守護する勇者として恥ずかしくないようにならなくては。改めて気持ちを高めると、真っ直ぐに顔を上げた。

 「ミャッ!」
 不意に、ユキが足下で警戒するように鳴いた。何事? 緊張した視線を周囲に向ける。と、前を歩いていたダイアナも立ち止まり、前方を見つめていた。何があるのだろう? 視線を追い、更に前方を見つめる。

 「あっ……あれは……」
 思わず絶句する。目の前の大地には、累々と無数の屍が散乱していたのだ。何処かの兵士であろうと思われる男たちに、デュオ最強と言われる獣王エルフォンの屍。それも、まるで粉砕器にでも飲み込まれたのではないだろうかと思われるようなバラバラ死体ばかりなのである。首が手が、足が、胴が、ひっくり返した玩具箱のように散らばっていた。

 「一体何が……」
 ダイアナも眉を寄せ、驚愕を隠せずにいた。色々な事件に遭遇した経験のある彼女ですら、このような惨劇の跡を見たことがない。如何なる災厄が騎士とエルフォンを襲ったのであろうか?

 「ダイアナさん、あれっ!」
 あまりにも惨たらしい現場から顔を背けたフェリオの目が何かを捕らえた。まるで落雷でもあったかのように木々が押し倒されたまま炭化している。そしてポッカリと地上に出来た擂り鉢状の巨大な穴の中心には、焼けただれてはいるが、金属の塊が半分埋もれていた。

 「ロケットだわ……」
 月神シャラのような美しい唇がかすかに吊り上がった。あれこそが彼女をデュオまで引っ張ってきた元凶であった。あれがここにあり、無数のデュオ人とエルフォンの死骸が転がっているということは、あの中に乗っていた者が犯人に違いない。あれは単座式宇宙艇だった。ということは、犯人も一人ということだ。たった一人でこれだけの騎士と凶暴な竜を倒したということは只者ではない。もしかしたら、ダイアナと同じ存在である可能性が高い。今回の任務、ただでは済まないかも知れない。それにしても、悔やまれるのはデュオ成層圏での攻防で、敵に止めを刺せなかったこと。もしも、あそこで敵宇宙艇を完璧に撃破出来ていたら、このような惨劇を防げたはずだ。

 「……誰か……」
 「えっ?」
 不意に足を捕まれ、フェリオがギョッと身体を硬直させた。恐る恐る目を向けると、片腕と両足を失った騎士が残された腕で足を掴んでいると判った。このような重体であるにも関らず、生きているとは、なんという生命力であろうか。畏怖と共に、畏敬の念が込み上げてくる。

 「……獣神ゴーラだ……獣神が現れて……デスペラードが危ない……頼む……」
 だが、騎士の生命力も、それだけを告げるのが精一杯であった。ガックリと腕が落ち、それっきり騎士は動かない。恐らく、自国の危機を報告しなくてはならないという責任感だけが彼をここまで生かせていたのであろう。息絶えた騎士から離れ、ダイアナを見る。

 「どうやら、私の目的地もデスペラードに決まったみたいね」
 激しい怒りを秘めたエメラルド色の瞳が妖しく燃え上がる。最初はフェリオをデスペラードへ送って行くだけで、その後、撃ち漏らした敵を探索するつもりであった。しかし、その敵はデスペラードにいると判った以上、放ってはおけない。

 「犠牲者がこれ以上増えないうちに、デスペラードに行かなくてはならないわ。フェリオ、急ぎましょう」
 「うん」
 ダイアナとフェリオはデスペラードへの道を急ぐ。その後ろを雪のような純白の猫が追っていた。




 デスペラード国王、デスロ三世は己の身の不運に戦神ディーンを呪った。国王の証である宝珠を実の王子を殺してまで取り戻したというのに、離宮から外へ出た途端、あの奥庭を襲った化け物に出会してしまったのだ。これが不運でなくて、何を不運と呼べるだろう。宝珠をギュッと握り締め、世にも恐ろしい化け物を見上げる。ゴリラのような獣面、彼よりも一回り以上も大きな体躯、それが全身に返り血に覆われていた。正に伝説の獣神ゴーラその人であった。ギョロリと血に染まった眼球が地面に転がるブルブルと振るえる男を見下ろす。デスロ三世はヒッと小さな悲鳴を上げて逃げ出そうとした。だが、恐怖のため足腰に全く力が入らず、まるでひっくり返されたルータン(毒亀)のようにジタバタと見苦しく手足を動かすだけであった。やがて、腰の辺りにジワッと黄色の液体が染み出てくる。それはドンドンと泉のように溢れ出、水溜りを作った。

 「ふん、一国の主が、みっともいい様だ」
 ゴーラが嘲笑の笑みを浮かべる。だが、デスロ三世には、それに対する不敬を諌める傲慢さは微塵も残ってはいなかった。いや、それどころか、己が失禁していることさえ気づかずにいる。ただ、目の前に存在する恐怖から逃れることだけしか頭にはなかった。

 「貴様がデスペラード王か?」
 「ひっ! たっ助けてくれ! 王位もいらぬ、宝珠もやる! だから命だけは助けてくれ!」
 近づいてくる獣神ゴーラの問いは耳に入らず、必死で命乞いをする。実の息子を殺してでも取り戻そうとした宝珠さえ、己の命のためなら投げ出そうとしていた。この男には、肉親の情などはただの飾りに過ぎぬ。大切なのは己の命だけ。王座も、その証である宝珠も、己の命のためなら簡単に投げ出すことが出来る男なのだ。そんな国王を獣神がジッと見下す。やがて、その口元に笑みが浮かんだ。

 「デスペラード王よ、吾は悪神ドードに使える獣神ゴーラである」
 「ひーっ! たっ助けてくれ! いや、助けてください! 獣神ゴーラ、偉大なる悪神ドードの下僕よ! 吾は本日より、ドードに帰依致しまする。いえ、あなた様、獣神ゴーラの下僕となりましょうぞ!」

 デスペラードの神は戦神ディーンである。彼らは生まれた時より、ディーン信仰に包まれて育つ。戦に出て戦功を立てることこそが最高の誉れであり、敵に背を向けることは最大の汚辱と考える。しかし、今の国王に、そのような精神は微塵もない。ただ自己保身しか頭にはなかった。己が信仰する神を裏切り、恥じ知らずにもその対極とも呼べる神、悪神ドードに乗り換えようとしていた。呆れるほどの厚顔無恥さであった。獣神は、そんな男を蔑みの眼で見下ろす。この男なら使えるかも知れぬ。無闇やたらと殺戮を繰り返すのも飽きた。この臆病者の国王を利用すれば、使命を果たすのに役立つかも知れない。そのような考えが、ゴリラ面の裏側で巡っていた。

 「デスロ三世よ、そなたは世界の王になりたくはないか?」
 「へっ? 世界の王?」
 一瞬、ポカンと目の前の獣神を見上げた。彼は何を言っているのだろう? 世界の王? 獣神が自分を世界の王にしてくれる? まさか、何かの罠か? もしも、それを望むと言った途端、殺される?

 「フッフッフッフッ! 何を怯えておる? 吾、獣神ゴーラがそなたを世界の王にしてやろうと申し出ておるのだ。不服か? それならば、吾は隣国カナンに出向き、カナン国王を世界の王にしようぞ」
 「隣国カナンの国王を……」

 この瞬間、卑怯未練な国王の心中に激しい嫉妬が生まれた。自分に代わり、隣国カナンの王が世界の王になる。それは堪え難い屈辱であった。長年に渡り近隣の国々を滅ぼし、国土を広げてきた。現在、手に入れようと画策していたのが隣国カナンだ。弱小国でありながら、堅固な岩城のため攻めあぐねていた。謀略を巡らせ、カナンの姫を嫡子であるカリムに無理矢理に嫁ぐように強要し、まんまと嫁いでくれば、闘わずして隣国を手にいれることも可能になってくる。婚姻とは名ばかり、実のところは人質なのであった。だが、再三の申し出に対し、なかなか良い返事を返してはこない。業を煮やしたデスロ三世は竜騎士に命じカナンを刺激するため、国境を越えたカナンの村を襲撃させたりもした。しかし、カナン王はそれでも答えを渋っている。その相手が自分よりも大きな存在になる。そんな理不尽を許してたまるものか。

 「フッフッフッフッ、その顔では決心はついたようだな」
 「うむ……」
 獣神の目が陰惨に輝いたことにデスロ三世はまるで気づいてはいない。ただ、己が世界の王としてデュオ全土に君臨する姿を想像し、それも悪くない選択だと悦に入っていた。




 獣神ゴーラに従い、ベスペラード国王デスロ三世は世界の玉座に向かって歩き始めた。何物も殺すことも、傷つけることも出来ぬ魔神に守護された、厚顔無恥な王が世界を支配する。それは想像するだけでも恐ろしい世界であった。

 「なんということだ……」
 離宮の内側から一部始終を覗き見ていた騎士はあまりにもおぞましい現実に唇を噛んだ。デスロ三世は、己の使える主である。その主のため戦って死ぬことは恐くは無い。しかし、デスペラードの民が信仰する戦神ディーンを裏切ることは死ぬことよりも恐ろしかった。悪神ドードは地獄の魔王だ。そして獣神はその下僕。ゴーラに従うということは、魔王に魂を奪われるということなのだ。悪魔に魂を奪われた者は、永延に地獄を彷徨う。決して許されることのない煉獄に落される。

 「うっ……ううっ……」
 困惑の極みにいた騎士の耳が小さな呻き声を捕らえた。ギョッと振り返ると、血溜りに倒れている王子の姿が目に入る。母である王后を助けようと宝珠を獣神に差し出そうとして父王に刺されたのだ。短剣は左の背中に突き刺さっている。即死したのだと思った。

 「……ちっ……父上……母上を……」
 だが、あんな男でも親としての情が多少はあったのか、切っ先は心臓には達してはいなかったらしい。王子は死に切れずにいた。父を呼び、母を案じて生死の境を彷徨っていた。

 「カリム王子……」
 騎士バランの顔が痛ましさに歪む。父王、デスロ三世に比べ、カリムは本当の戦士だった。常に戦いの先頭に立ち、勇ましく剣を振るう。エルフォンに騎乗している姿は、正に戦神ディーンの申し子であった。戦場においては鬼神の如く、そして王宮に置いては気持ちの良い友のように振舞う。騎士、兵士、誰もが彼を次の王としてではなく、本当の支配者として慕っていた。その王子が死のうとしていた。このまま放っておけば確実に死ぬであろう。例え生き残ったとしても、王に逆らった反逆者として裁かれてしまうに違いない。このまま見殺しにするのが、王子のためであろう。バランは意を決したように出口に向かって歩き出す。

 「だめだ!」
 が、数歩行ったところで、騎士は踵を返した。悪神の下僕と成り下がってしまった王などに未練はない。だが、自分たちの戦神を見捨てることは出来なかった。デスペラード王は戦神の末裔だと言われている。だから、デスペラード王を崇拝することは、戦神を崇拝することに繋がる。デスロ三世は、自らの意思で戦神の地位から降り、ドードの下僕へと堕落した。地上の戦神を継ぐのは日嗣の王子カリムしかいない。

 「王子様、しっかり!」
 バランは、グッタリと力なく伏している王子の身体を抱え上げた。まだ微かではあるが心臓の鼓動は脈打っている。直ぐに手当てをすればまだ助かる。バランは短剣に手をかけ、ユックリと抜く。途端、鮮血が傷口から噴水のように流れ出た。それを引き裂いた衣服で堅く縛り、止血する。これで暫くは大丈夫のはずだ。バランは王子の身体を肩に担ぐと、出口に向かって歩き始めた。このまま国を脱出しよう。いつの日にか真の王を立て、戻ってくる日のために。

 「バラン、何処へ行く?」
 「はっ?」
 離宮の外へ出た途端、何者かにすい何された。バランは思わずギョッと立ち尽くす。どう返事をしたらよいのだろう? 真実を伝えるべきだろうか? それとも……。だが、目の前に仁王立ちに立っている人物の顔を見て騎士は心を決めた。

 「エルドラン将軍、デスペラードは獣神ゴーラに乗っ取られてしまいました」
 「なっ……?」
 意を決してバランは言葉を放った。彼の上官、エルドラン将軍は最も信頼に値する軍人だと彼は信じた。今、起こった事実をそのまま告げれば、必ず正しい判断をしてくれるに違いない。騎士は、戦禍を報告する兵士の生真面目さで、自分が目撃したことを将軍に報告する。始めは王宮に現れた化け物に対する怒りを顔に現していた将軍であったが、化け物の尋常ならざる強さと凶暴さに顔色は青ざめて行く。そして、国王に王子が刺されたところにくると、表情は苦痛に歪んだ。やがて、彼らが仕える国王が獣神ゴーラに帰依してしまったことを知るや、ガックリと肩を落として落胆の表情を隠せずにいた。

 「将軍閣下、これから私はどうしたらよいのでしょうか?」
 「……」
 思わずバランは尋ねていた。悪神ドードの使い神、獣神ゴーラの下僕に成り下がった国王にこのまま仕えなくてはならないのだろうか? それは考えるだけでも耐え難い屈辱であった。しかし、それが騎士として果たさなくてはならない使命であると将軍が判断されるのならば、従わなくてはならないだろうとバランは考えた。だが、エルドラン将軍はジッと部下の顔を見つめたまま応えない。彼もまた、如何にすべきか決断を出せずにいたのだ。




第一章 第十三話  悪魔の誘惑! ---了---



◆第一章 第十四話  亡国の王子!◆



 カナンの岩城の最上階に位置する、謁見の間に通された仮面の男、レオナルド・フォレストは、異形の人物を見つめる好奇の視線を意に介することなく悠然と玉座に向かって歩いていた。先導するのはカナンの姫、サリヤである。彼女もさすがに重臣たちの打ち揃った謁見の間にあっては緊張を隠し切れずにいる。だが、フォレストは、まるで歩きなれた庭を散策でもしているかのように自然体を崩してはいない。やはり、この男、ただの旅人ではない。サリヤは背後に感じる仮面の男を強く意識しながら、父であるカナン国王の玉座の前で膝をついた。

 「父上、サリヤ、ただ今、無事に竜覇の試練を果たし帰国致しました。これに控える仮面の男は、私の試練の成果を見届けた者であります」
 深々と頭を下げる姫をカナン国王、フラン七世は渋面で迎えた。竜覇の試練を果たしたということは、サリヤは王位継承権への資格を手にしたということである。代々カナンの王位は、試練を果たした者の中から選ばれると決まっていた。だが、それは今までは男子に限られている。まさか、姫であるサリヤがその試練を成し遂げるとは思いもかけないことであった。如何なる返答を返したらよいのか見当もつかない。当惑と、このようなことを為した姫に対して理不尽な怒りを禁じえない。

 まして、その試練を見届けた者が異形の騎士である事実が、王を一層不機嫌にさせていた。光沢を放つ黄金の髪といい、金色の仮面から覗くエメラルド色の瞳といい、まともな人間とは思えない。その姿は、正に伝説の美神、その美しさ故に周囲に禍を齎すと言われる厄神ナリスそのものである。果たしてどう返答をしたら良いのだろうか。カナン国王、フラン七世は目の前で跪くサリヤと、超然と屹立している仮面の男とを交互に見つめた。

 「そこに控えおる仮面の男よ、王の眼前で起立するとは無礼であろう。膝を折らぬか!」
 姫に対する返答に窮したフラン七世は、とりあえずの矛先を仮面の男に向けた。異邦人への糾弾で、この場を取り繕うとする意図は見え見えである。だが、それは最も効果的な手段であるであろうことは間違いはないと思われた。王の糾弾により、数名の護衛兵が槍を握り直していた。命令が下された瞬間、彼らは仮面の男に向かって槍を繰り出してくるに違いない。そして有無を言わせず殺してしまえば、試練の証人はいなくなる。

 それは王にとって最も喜ばしい結果を生む。サリヤはハッと顔を背後に立つ仮面騎士に向けた。だがフォレストは全く動揺を見せず前方を見続けている。なんという豪胆な男であろうか。サリヤはこの一見華奢に見える、だが決して軟弱さを感じさせない男に内心舌を巻いていた。

 「父上、その男は異邦人でございます。吾がカナンの礼儀を知らずとも無理からぬこと。どうか無礼をお許しください。それに、この男、フォレストと申す騎士はサリヤの命の恩人でございます。ご報告が遅れましたが、竜覇の試練を成した後、王宮へ戻る途中、隣国デスペラードの兵が吾がカナンの国境の村を襲撃している場面に遭遇致しました。吾らは敵を打ち払わんと戦いを挑みました折、不覚にもサリヤは敵の刃に刺し貫かれようとしました。それを助けてくれたのが、フォレスト殿でございます。どうかカナンの姫であるサリヤに恥をかかせないでくださいませ」

 フラン七世は驚愕とともに、姫と騎士とを交互に見つめた。そして、チラッと周囲の重臣たちを盗み見る。誰もが王の次の言葉を待ち望んでいる。これはもう諦めるしかない。カナン国王はホーッと小さくため息をついた。

 「隣国の兵が吾が国境の村を襲っておったのか。忌忌しき事態ではないか。何故、それを早く報告せぬか? ボルクス、それがお主の使命であろう」
 サリヤからずっと後方に控える巨漢に視線を向ける。ボルクスは、突如して王の怒りの矛先が己に向けられたことに戸惑い、慌てて平伏した。

 「国王陛下、申し訳ありません。ご報告が遅れました罪は全て私にございます。デスペラードの竜騎士約五十騎が国境の村を襲撃しておる場面に私共は偶然遭遇致し、これを撃退せんと戦いを挑み、見事撃退致しました。その際、敵の騎士の数名が姫を害さんと襲いかかってきたところを、その仮面の男、レオナルド・フォレスト殿が防いでくれたのであります。かの御人は、真の騎士とみえて、その剣さばきの見事さは、目を見張るものがございました。決して身分賎しき者とは思えませぬ。いずれは名の有る騎士殿かと……」

 「ええいっ、そのようなこと尋ねておるのではない! わしが問うておるのは、隣国デスペラードが吾が国を侵略してきたという事実じゃ。これは、姫の竜覇の試練などという些事とは比べ物にならぬ大事ではないか! 直ちに各将軍を討議の間に招集する。姫の試練に対する王位継承権に関する問題は、デスペラードの処置が決着した後だ」
 フラン七世は、マントを翻し、謁見の間から消えて行った。サリヤはそれを唖然と見つめる。あれほど苦労した試練を取るに足らない些事だと言い放ち、立ち去ってしまった父王。全ては、徒労に終わってしまった。

 「さて、私はどうしたらよいのかな?」
 ガックリと肩を落としたサリヤの背後からボソリとつぶやく声が聞こえた。声の主は振り向かずとも判っている。試練の証人として無理に頼んで王宮まで来てもらった。だが、こうなってしまうと、何の役にも立たぬ。王はデスペラードの侵略という格好の口実を得て、サリヤの果たした試練をなかったことにしようとする心積もりに違いないのだ。

 「フォレスト殿、申し訳ない。そなたの役割はもう……」
 ないと言おうとして、サリヤはギュッと口惜しそうに唇を噛んだ。

 「これでよかったのではないか?」
 「えっ?」
 意外な男の言葉にサリヤは一瞬ポカンと仮面の割れ目から覗くエメラルド色の瞳を見上げた。別にからかっているようには思えない。では何故そのようなことを言ったのだろうか?

 「姫は弟に代わり王座に座りたかったのか?」
 「ちっ、違う! 私はそのようなことは望んではおらぬ! ただ……」
 「人質さながらの婚姻を避けたかっただけなのだろう? ならば、それはかなったではないか。隣国が理不尽にも国境の村を攻撃してきたことに対して、王は戦う決心をしたと見えた。そうなれば、敵国同士の婚姻など直ちに破談であろう」
 「そうなのか……?」
 あまりにも意外な言葉に、サリヤは思わず背後に控えるボルクスを見た。だが、そのボルクスでさえ、意表をつかれ、阿呆な表情で仮面の男を見つめている。

 「やれやれ、何も感じなかったとは……。姫様同様、国王陛下も、姫を隣国に嫁がせたくはなかったのだろう。だから、隣国デスペラードの挑発は逆効果だった。これで開戦の大義名分が出来あがった。後は敵国と戦って勝ち残るだけだ」
 「父上が……そのようなことを……」
 「姫様のお父上は、自分の一人娘を平気で敵国に人質として差し出すような人間なのか?」
 「なっ、何を無礼な! 父を侮辱する気ですか?! 私の父、カナン王、フラン七世はそのような人でなしではありません。何よりも国を愛し、人民を愛し、家族を愛する立派な国王です。平気で娘を敵に差し出すなんて……」

 怒りに任せて吐いた言葉であった。だが、その言葉の中に今まで見ようとはしなかった父の真実が見えた。何故、今まで気づかなかったのだろう。あの父が喜んで自分を敵に人質として差し出すわけがなかったのだ。それを決意したということは、どんなに父にとって苦痛であったろう。前后である母が死した後にも、父王は決して正妻を持とうとはしなかった。例え、将来王太子になるであろうニーノを生んだ愛妾ですら王后とは呼ばせなかった。それが父の亡き母への愛の証であったのかも知れない。そんな父が何の心の痛みも感じることなく娘の自分を見殺しに出来るはずがなかったのだ。ただ、たった一人の娘を犠牲にすることで、多くの国民を救うことが出来るの ならばと、その心を鬼にしたのに違いない。そんな父の心を理解しようともしていなかった。

 「我侭な姫様のお蔭で、内憂外患ということだな」

 不意に、仮面の男が言った言葉が蘇る。あの時は思わずカッとなってしまった。何も判らないくせに。顔も知らぬ敵国の王子に嫁がなくてはならない娘の気持ちなど、男になんか理解出来るものかと。だが、判っていなかったのは自分の方だった。父の苦悩も理解せず、国内に騒動の種を播こうとしていた。弟王子ニーノと争うことになっていたかも知れない。いや、そんなことよりも、自分が犠牲になるのが嫌さに多くの国民を苦しめることになっていたかも知れない。本当に身勝手だった。

 「フォレスト、私は恥ずかしい。自分の幸せだけのために多くの人々を悲しませようとしていた……」
 「何も恥ずることはない。自分が幸せになりたいと願うのは人間として当たり前のことだ。王であろうと、王女であろうと、ただの平民であろうと、それは同じことだ。ただ、それぞれの立場がそれを困難なものにしてしまうだけだ」
 仮面の下の瞳がふっと閉じられた。そして、何かを思い出しているかのような沈黙。サリヤは何の根拠もなく、この男にも同じような経験があるのではないかと思った。だが、今それを尋ねるのは気が引ける。そんな他人の過去の傷口に塩をすり込むような真似は出来ないと思った。




 カナン国の重臣が討議の間に集まり、隣国デスペラードの挑発であろう攻撃に対する議論を戦わせていた。一方でカナンの姫を娶りたいと申し出、その同じ国が国境を脅かす。これはどう考えても、グズグズと婚姻の答えを出し渋っているカナン国に対する脅しである。和睦か戦か、二つに一つ。早く答えを出せという催促に違いない。だが、敵がこのような行動に出たということは、やはり姫に対する婚姻の申し込みはハッキリと人質を遣せということだ。婚姻とは名ばかり、体の良い人質なのだ。一人娘を人質に取られてしまえば、カナンはデスペラードの思い通りに従う属国となるしかない。そして、それを拒めば姫は惨殺されてしまうであろう。

さすれば、幼い姫を見殺しにした血も涙もない卑怯極まりない卑国と見下されてしまう。それは、とりもなおさずカナンの国としての信用を失墜させ、人民も兵も国を見離してしまうことに繋がる。もはや姫を敵国にやることは出来ない。初めからそれは判っていたつもりであった。だが、こうもあからさまな態度に出られると、もはや迷うべくもない。例え、隣国と比べ、はるかに劣っているカナン国と言えど、それなりの意地と外聞がある。戦わずして負けるなど出来ようはずもない。徹底抗戦だ。討議の間に出席したほとんどの者がそう考えていた。

 「我が王都は頑丈な岩山を刳り貫いて作られた岩城だ。何万の敵が攻めてこようと、畏れるに足らず! 防塁を固め、敵を迎え撃たん!」
 重臣の一人が拳を固め、息巻いた。他の臣たちも同意の意を示す。戦わずして敵に敗北するなどと彼らの心にはない。まして、カナンの姫を人質に差し出すなど言語道断の仕儀であった。和睦の使者として姫を迎えるとデスペラードが言ってきた時は、これで戦がなくなるのならばと姫の婚儀に同意していた者たちも、敵の真意がカナンの侵略とはっきりした以上、全員の意見は一致した。デスペラードは信用出来ない。戦も已む無しと。




 フェリオたちがデスペラードに向かっているとは逆に、離れようとしている者たちがあった。竜に騎乗した二名の騎士だ。中央に竜車を守るように全力で駆けている。先頭を走るのは老齢の騎士、しんがりを務めるのは若い騎士であった。若い騎士は厳しい視線を時々背後に向けては、竜車を心配そうに見つめる。やがて、背後に上がる土煙と、無数のエルフォンの駆ける足音が聞こえてきた。騎士はハッと先頭を走る老齢の騎士に近づいて行く。

 「エルドラン将軍、どうやら追っ手のようです」
 若い騎士はバラン、老齢の騎士はエルドラン将軍であった。彼らは国王デスロ三世によって重症を負わされた王子を助け、国外へと脱出しようと試みていた。悪神ドードの配下、獣神ゴーラの下僕と成り下がった国王を見限り、傷ついた王子を守っての逃避行だ。だが、そんな彼らを国王が許すはずがない。追撃の魔の手が背後に迫ってきている。二人の騎士は互いに顔を見合わせた。

 「バラン、王子を頼む。わしが追っ手を食い止める」  「将軍、それはなりません! 王子様にとって、将軍はこれから必要とされる方。私が残ります」
 若い騎士が決意を込めた表情で将軍を睨むように見た。追っ手を食い止めるために残るということは死を意味している。だが、バランも騎士、名を惜しんで命を惜しまぬ覚悟であることが、その表情から読み取れた。エルドランはため息をつき、思案を巡らせる。若く将来のある若者と、真のデスペラードを継ぐべき王子を如何にしたら助けることが出来るであろう? 敵は直ぐ背後に迫っていた。

 「バラン、将軍としての最後の命令だ。カリム王子を守護し、安全な場所へと落ち延びよ!」
 「将軍……」
 バランが苦痛の視線をエルドランに向ける。だが、頑固一徹の騎士の目は何を言っても無駄であると伝えていた。こうなってしまうと、何を言っても時間の無駄だ。バランはしかたなくフッとため息をつく。

 「将軍、御武運を!」
 王子を守るため、王国の復興をなさんがため、若い騎士は涙を飲んだ。ここは年長者の言うことをきくべきだと自分自身を言い聞かせ、エルフォンに鞭を当てた。竜車と並行に全力疾走させる。後ろは振り向かない。もし、敬愛する将軍が苦戦しているのを見てしまえば、自分も応援に駆け戻ってしまう。はかない望みではあろうが、将軍の無事を祈らずにはおられなかった。

 「バラン、王子殿下を頼んだぞ」
 エルドランは静かに瞑目し、若い部下と、王子の無事を戦神に祈った。やがて、砂煙の中から竜騎の一団が近づいてくるのが見え始める。その数、約三十騎。恐らくは、近衛隊であろう。国王直属の竜騎士であれば、王の命令は絶対。王子の命を奪うことさえ、躊躇わぬ連中だ。エルドランは大剣を肩手に、相手を待ち受けた。徐々に相手の姿がハッキリと見えてくる。白銀の竜の旗が目にも鮮やかだ。やはりデスペラード近衛隊だ。先頭を走る一団の中に、一際大柄な巨体が見えた。あれこそが近衛将軍、バルドーである。王に寵愛されていることを良いことに、隣国を挑発し、侵略することを進言した人物だ。無益な戦いを好む奸物、何事にも正道を好むエルドランとは対 極にある男であった。

 「エルドラン将軍、反逆者カリム王子は何処だ?! 下手に隠すならば、貴様も同罪。反逆者として処分する!」
 数百歩手前で止まり、バルドーが大音声で問う。王は己の実の王子を反逆者として糾弾するつもりなのだ。やはりという思いが老齢の将軍の胸に鉛のように重くのしかかってきた。獣神ゴーラに帰依した国王に肉親の情は霧散してしまったらしい。ただ世界の王にしてやろうと言う悪神の誘惑に骨の髄まで犯されてしまっていた。悪魔に魂を売ってしまった人間は、悪魔そのものに成り下がってしまう。そんな国王でも、バルドーは王として躊躇いなく従うつもりだ。だが誇り高い騎士、エルドラン将軍には、悪魔に成り下がってしまった王に従うことは堪えられないことであった。それは生まれてからずっと身体に染み込んでいる戦神ディーンへの信仰でもあった。

 「バルドー、目を覚ませ! 吾が国王、デスロ三世陛下は悪神ドードの使い神、獣神ゴーラに帰依したのだぞ! そんな国王に従うつもりなのか? そんな王を見限って、真の戦神ディーンの後継者、カリム王子殿下に従え!」
 これが最後の説得だ。共に将軍としてデスペラードを守護し、戦神の手足となり、戦ってきた。互いに相容れない部分は多々あったが、同じ国に育ち、守るべき物も同じであったはず。それが今は互いに刃を突きつけている。

 「吾が仕えるのは、神ではない。デスペラード国王陛下である。その陛下が獣神を信仰すると言われるのなら、吾はそれに従う。それが忠実な家臣というものだ」
 バルドーの表情に迷いはなかった。彼もまた己の忠誠心を信じて行動している。もはやこれまでか。エルドランはギュッと唇を噛んだ。




第一章 第十四話  亡国の王子! ---了---

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◆第一章 第十五話  月神の微笑み!◆



 何事かがデスペラードに起きている。デスペラード兵の無数に散らばる、悲惨な骸の山に出くわしてしまったフェリオとダイアナは、焦る気持ちを抑え切れず、早足で街道を駆けていた。フェリオは神都アルカディアで待つライヤのため、大将軍ダンに託された手紙をデスペラードの将軍エルドランに渡し、共にデュオを守って欲しいと説得しなくてはならない。一方、ダイアナは追跡してきたゲリオール・ウッズマンの配下の、恐らくはサイボーグであろう、工作員を逮捕、もしくは抹殺しなくてはならない。

二人の目的は、共にデスペラードにある。それも、一刻を争う旅であった。常人にはない特殊能力を身につけているダイアナは、いくら急いでも疲れることを知らない。しかし、普通の少年であるフェリオには、数日に渡る強行軍が身に堪えていた。文句は言わないが、少年の息が上がってきているのをダイアナは少し前から気づいていた。今は少しでも時間が惜しい。彼には悪いが気づかぬ振りを通してきた。だが、それもそろそろ限界だと思われる。

 「フェリオ、少し休みましょうか?」
 ふと足を止め、少年を振り返る。フェリオは物も言わず、肩で荒い息をしていた。しかし、何故こんなところで止まるのだ、自分はまだ走れる、と言いたげな目だ。なんという強情な少年なのだろうか。ダイアナはフッと笑みを浮かべた。

 「私、少し疲れたみたいなの。休んでもいいでしょう?」
 「……すっ……少しだけなら……」
 息が上がって、途切れ途切れに答えるフェリオ。自分のために休もうと言われたのではないと判り、多少表情が緩んでいた。だが、少年の意地もそこまでであった。言った途端、膝が砕け、地面に倒れ伏してしまう。ダイアナは少年を仰向けに寝かせ、頭を自分の膝に乗せてやる。

 「ユキ、補給水をちょうだい」
 「ミュー」
 二人の傍に寝そべっていたユキが、顔を上げダイアナに近づく。そして、チョコンと膝の上に乗ると、金色の瞳で見上げてきた。ダイアナがフェリオの腰にぶら下がっている皮袋の中から木製のカップを取り出し、ユキの目の前に差し出す。すると、まるでお手をするように前足をカップに乗せた。と、見る間に足の先から水が零れ出す。

 「へえ、ユキってそんなこともできるんだ」
 横目で見つめていた、フェリオが簡単の声を上げる。キヨネがくれたユキであったが、どんなことができるのか何も知らなかったのだ。こんな凄い物を簡単に作ってしまう地球人を敵に回して、本当に勝てるのだろうか? ふと、そんな不安が脳裏を過ぎった。だが、直ぐに不安を打ち消す。地球人全てが悪人だというわけではない。キヨネやダイアナのように、自分たちを助けてくれる人たちもいる。それに、科学力の劣ったデュオ人だって、一致団結して立ち向かえば、きっと勝てるはずだ。そう信じたからこそ、ここまでやってきたのだ。

 「さあ、飲みなさい。体力回復の栄養剤も入っているドリンクよ」
 「栄養ドリンク?」
 フェリオは口元に押し付けられたカップを恐る恐る覗き込む。特に変わった風には見えない。ただ、なんというか、不思議な香りと色をしていた。チラッとダイアナを見ると、ニッコリとした微笑が帰ってきた。フェリオは少し顔を赤らめ、おとなしくカップに口をつけた。途端、フワッとした甘味が口の中に広がる。奇妙な味だが、決して嫌な味ではない。むしろ、美味しい。思わずゴクゴクと残りを飲み干してしまった。全身の細胞に活気が溢れてくるように感じる。力の入らなかった足腰も力が漲ってきた。

 「オレ、もう大丈夫だよ。それにしても、凄いな。今飲んだ水、魔法の水みたいだ。嘘みたいに元気が出た。まさか、これって鉱山で働かされていた男たちが騙されて飲んでいた薬が入ってるんじゃないだろうね?」

 ふとフェリオが不安そうな表情になった。かつて地球人に騙され、連れ去られ、鉱山で無理やり働かされていた男たちが、元気が出るからと言われ、飲まされていた薬を思い出したのだ。初めは確かに元気が出、疲れも悩みも忘れて働くことができていたらしい。だが、次第に身体が薬に冒され、やがては薬なしには生きられなくなってくる。そして、最後は禁断症状に苦しめられ、無残な最後を遂げてしまう恐ろしい薬。フェリオの育ての父も、その薬のため、毎日毎晩、獣のように咆哮し、苦しみを逃れるために自らの身体を傷つけ、血だらけになりながらも胸を掻き毟り、白い骨までも露出させて死んで行った。あの恐ろしい薬が入っていたのかも知れない。そう考える と、顔が蒼ざめるのを禁じえなかった。

 「木星麻薬のことを言っているのね。大丈夫、そんな恐ろしい薬は入っていないわよ。私は木星麻薬を作る連中とずっと戦ってきたのよ。キヨネだって、それは同じ。私はデュオを木星麻薬の栽培地になんか絶対にさせない」
 「ダイアナさん……ごめんなさい。オレ、疑ったりして……」
 なんて失礼なことを言ってしまったのだろう。キヨネの友達であるダイアナを疑うなんて、キヨネにも申し訳ない。フェリオはションボリとうなだれてしまった。

 「謝る必要はないわ。木星麻薬に警戒する気持ちは大切なことよ。それに、私たちの敵は恐らくただ者ではないと思う。もしかしたら、私たちの知り合いそっくりに化けて近づいてくるかも知れない。例え、私やキヨネにそっくりに見えても、用心を怠らないことが大切になってくる。フェリオだって経験したって聞いているわ。革命の時、敵はライヤそっくりのアンドロイドを使ったんでしょう?」
 「そっ……そんな……」
 思わずフェリオは顔を上げて美しい人を見つめる。月神シャラのように神々しいとさえ見える白皙の美貌は微塵も美しさを崩してはいない。ただ、真摯な慈愛のこもったエメラルド色の瞳だけが返ってくるだけであった。この人は信じてもいい。例え、何者かが彼女に化けようとしても、この瞳だけは絶対に真似のできないものだ。もはやあの革命の時のように、大切な人を見間違わない。偽者のライヤを見分けられなかった自分。キヨネに指摘されるまで、あれがライヤの偽者だなんて思いもしなかった。それが恥ずかしい。だから、次は絶対に同じミスは犯さない。決意をこめた瞳をダイアナに向けた。

 「その表情、素敵よ。キヨネが夢中になるのも理解できるわ」
 ダイアナがニッコリと微笑んで、少年の頬に唇を当てた。

 「うわっ、何すんだよ?!」
 顔を真っ赤にして跳び下がるフェリオ。ダイアナはそれを見て、おかしそうに笑った。息子にするように、軽く唇を当てただけだと言うのに、この過激な反応。この分では、大好きなライヤの手も握ったことがないのだろう。地球の子供たちに比べ、なんて純情なのだろう。益々目の前の少年が好ましく思えてきた。任務とは別に、本気で彼を助けたくなってきた。

 「ミューッ!」
 不意に、ユキがピンと耳を立てて起き上がった。そして、警戒するような視線を前方に向ける。ダイアナとフェリオも身構えて立ち上がった。一体何が? と、砂煙と共に竜車とエルフォンに騎乗した騎士の姿が見えてくる。二つ共、恐ろしいほどのスピードで駆けていた。

 「何? あれ? まるで悪魔にでも追いかけられているみたいだ」
 「あれは、さっき見た兵士と同じ鎧だわ」
 「じゃあ、デスペラードの?」
 ハッと緊張が走った。もしかしたら、あの惨劇の張本人に追われているのかも知れない。

 「油断しないで!」
 用心深く身構えたダイアナがフェリオに注意をうながす。

 「ミャー!」
 その時、ユキがいきなりエルフォンの前に飛び出して行った。危ない! 踏み潰される。思わずフェリオも飛び出そうとする。しかし、ダイアナに腕をつかまれて動けない。ハッと振り返ると、大丈夫と首を縦に動かすのが見えた。本当に大丈夫なのだろうか? 不安そうな視線を純白の猫にむける。ユキは真っ直ぐにエルフォンに向かって顔をあげた。

 「ユキ! 避けろ!」
 猛然と突進してくるエルフォンが目前に近づいても、ユキは避けようともしない。このままでは、あんな小さな身体は踏み潰されてしまう。フェリオは必死で叫ぶ。しかし、純白の猫は全く意に介した様子はなく、平然と竜を見つめている。だめだ、このままではユキは破壊されてしまう。せっかくキヨネにプレゼントしてもらったのに、こんなことで失ってしまうなんて、どう言い分けしたらいいのだ。焦る気持ちでユキを見つめる。だがその時、信じられないことが起こった。突然、ユキの双眸が強烈な光を発したのだ。太陽の下でも眩しく感じるほどの強い光が突進してくる竜の瞳を射た。不意に現出した強烈な光に、デュオ最強の竜も、恐慌をきたした。

突進していた足を急激に止めようと焦り、身体を捩ろうと首を大きく右に振る。だが、全速力で駆けていた身体が簡単に停止できるはずもなく、さりとて急転換して曲がることもできなかった。エルフォンの巨体は大きく傾ぎ、そのままドッと地面に倒れそうになるのを、騎乗している騎士の制御で辛うじて止まる。しかし、並走していた竜車はバランスを失い、横倒しに倒れてしまった。竜車を引いていたエルフォンはそのまま走り去って行く。轟音を立てて竜車が転がり、背後の観音扉が弾け飛び、中から人間が転がり出た。ハッとそれを見るダイアナとフェリオ。それは鮮血に染まった少年であった。フェリオよりは年長のように見える。上品な面立ちと、それを包む豪奢な服装。それは身分の高い人間であることを示していた。

 「カリムさま!」
 竜上の騎士が主を気づかい、絶叫する。しかし、それよりも早くダイアナが少年を抱き上げていた。応急処置の包帯は鮮血で真っ赤に染まっている。もはや少年は虫の息であった。このままでは命の火が消えてしまうのは時間の問題であろう。ただでさえ深手を負っているのにも関らず、竜車の横転に巻き込まれている。

 「何故、医者に診せないの? このままでは、この子、死んでしまうわよ」
 ダイアナが厳しい表情で竜上の騎士をにらむ。だが、騎士がそれを望んで放置していたわけではない。改めて問われ、騎士の表情が口惜しさに歪んだ。

 「理由(わけ)も判らず、勝手なことを言うな!」
 思わず怒鳴る騎士であった。しかし、ダイアナは、そんな男など無視し、少年の包帯を解き始めていた。驚いて目を剥く騎士。

 「止せ! カリム様に何をする?!」
 慌てて竜から飛び降りる騎士。しかし、ダイアナは全く動揺を示さない。包帯を溶き、傷口を改める。そして、純白の猫を振り返った。

 「ユキ、傷口を閉じて」
 「ミャーッ!」
 猫はヒラリとダイアナの膝から少年の背に飛び乗った。一体何をするのだ? フェリオは唖然と見つめる。騎士は大事な主人に何かされるのを阻止しようと剣を構えて突進してきた。だが、神々しいほどの美しさを誇る美女のエメラルド色の瞳に阻まれ、戦意を挫かれてしまう。なんと言う美しい人だろうか。月の女神、愛と勝利の女神とも呼ばれるシャラその人のような美しさであった。もしかして、デスペラードの危機を知った戦神ディーンに頼まれ、天上界から降臨してきたのではあるまいか。騎士バランは知らず跪いていた。

 「月神シャラ、どうかカリム様をお助けください」
 深々と平伏する騎士から視線を外し、ダイアナは膝の上に抱きかかえた少年を診る。左の背を短剣のような物で刺されたらしい傷跡である。これはかなりの深手だ。ユキは舌でペロペロと傷口をきれいに舐めている。傷口に舌を突っ込むと、痛みのためか、少年がウッと呻き声をもらしたが、猫は構わず、舐め回していた。デュオ人たちは知らないが、ユキの舌からは、消毒液と痛み止め等の薬剤が分泌されていた。やがて、すっかり消毒が終わると、ユキは傷口に牙を立てた。アッと驚くフェリオの目の前で傷口は縫合されて行く。牙から出る生体ボンドが傷口を閉じたのである。

 「ユキってこんなこともできたんだ……」
 ダイアナに出会って以来、フェリオは驚嘆の連続だった。キヨネにプレゼントしてもらったロボット猫であったが、こんなに色々なことができるなんて全く思いもよらなかったのだ。

 「きっ……奇跡だ……」
 だが、フェリオ以上に騎士の受けた衝撃は激しかった。ユキの行った奇跡に近い治療に、すっかり畏怖を覚えてしまっていた。目の前にいる美女こそ、月神シャラに間違いない。バランは確信をこめた視線でダイアナを見つめている。

 「もう大丈夫だと思うわ。でもどうして、こんな重症の人間を手当てもしないで運んでいたの?」
 「えっ……」
 エメラルド色の瞳に見つめられ、騎士はハッと我に返った。そうだった。重症の王子を竜車に乗せ、走っていたのは、追っ手が迫っていたからである。こんなところでグズグズしてはいられないのだ。一刻も早くここから離れなくてはならない。我が身を盾にして自分たちを逃がそうとしてくれたエルドラン将軍の犠牲を無駄にしてはならない。

 「月神シャラ、感謝する。私たちは一刻も早くここを離れなくてはならないのです。ご恩は忘れません」
 慇懃に礼をすると、王子の身体を抱えようとした。だが、女の白い華奢な手がそれを止める。ハッと身を強張らせる騎士。

 「一応傷口は閉じているけど、本当に治ったわけじゃないのよ。今、無理に動かすと、この少年は死ぬわよ」
 「なっ……」
 ギクリとバランの動きが止まった。動かすと言っても、竜車はさっきの転倒で壊れてしまっているし、それを引くエルフォンも逃げ去ってしまった。とすれば、王子を抱え、エルフォンに騎乗して駆けるしかない。それがどれほど重態の人間に負担になるか……。だが、だからと言って、ここに留まるわけにはいかない。どうしたらよいのか……。騎士が当惑に立ち尽くした。

 「この少年、結構きれいな顔をしてるわね」
 「はあ……?」
 不意にダイアナがまるで関係のないことを言う。騎士はポカンと口を開けたまま目の前の美女を見つめた。手当てが終わり、仰向けに寝かされた王子の顔は蒼ざめてはいたが、安らかなものに変わっている。細面の上品な面立ちは、まだ大人には成りきってはいない。痛々しいほどの華奢な肢体は、彼がまだ成熟した大人ではないことを如実に物語っていた。

 「誰かに似ている……」
 フェリオは、そんな年上であろう少年の顔をジッと見つめていた。ダイアナの膝枕で横たわる少年を見ていると、誰かを思い出す。しかし、それが誰なのか思い出せない。凄く身近な人間のように思うのだが、全くその名が出てこないのだ。

 「この子の服を脱がせて、私の服を着せましょう」
 「えっ……」
 暫し沈黙が広がる。そして、彼女が何を提案したのかを悟ると、騎士の顔が憤怒で赤くなった。

 「そっ、そのようなふざけたことを許すわけには行かない! 仮にも一国の王子を女装させるなど、言語道断だ!」
 「あらっ、この子、王子様だったの? まさか、デスペラードの王子?」
 「そっ……それは……」
 思わずカリムの素性を口走ってしまい、騎士は慌てて口を抑える。しかし、もう遅い。今さら何を言ってもどうにもならない。王子の正体を知られたからには観念するしかないのだ。こうなったら、目の前の美女を月神シャラと信じるしかない。

 「王子様を女装させるなんて、もってのほかってことね。それなら、益々そうすべきだわ。まさか、追っても王子様が女に化けているなんて夢にも思わないでしょうから、きっとうまく行くわよ」
 ダイアナは、どんな頑丈な氷の心でも溶かしてしまいそうな天使の笑みを浮かべた。





第一章 第十五話  月神の微笑み! ---了---

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◆第一章 第十六話  眠れる姫君!◆



 追っての足を少しでも遅らせようと、将軍エルドランは決死の覚悟で剣を振るっていた。もはや老齢と呼べる年齢に達しているにも関らず、将軍の剣技は追っ手の騎士に一歩も引けを取らない。数十人もの騎士を相手に互角以上の戦いをしていた。だが、年齢からくる体力の差は次第に彼を窮地に追い込んで行く。敵の剣を受ける腕に力が入らなくなってきている。一合、二合と打ち合わせる度に、跳ね返せなくなってきた。しかし、引き下がることはできない。まして、脇に避けて逃げることもできなかった。彼がしなくてはならないのは、追っ手を阻むこと。敵を倒すことではなかった。

 「さすがは、名将軍と呼ばれただけのことはある。だが、お遊びはこれまでだ。射手、エルドランを射よ!」
 バルドーが背後に構えていた弓士に命令を発する。同時に、前方にいた騎士たちが左右に割れた。十の弓がエルドランの眼前に現れる。これは決して外れることのない距離だ。だが、歴戦の勇士は怯むことを知らない。飛翔してくる矢を叩き落さんと身構えた。

 「射よ!」
 近衛将軍の号令が響く。同時に矢が放たれた。エルドランは剣を振るい、顔面に飛んでくる矢を数本叩き落した。だが、避けきれず、肩と腹に矢を受けてしまった。激痛が身体を痺れさせる。しかし、気力で竜から落ちることだけはかろうじて堪えた。

 「次、射よ!」
 第二波の攻撃命令が発せられる。同時に無数の矢がエルドランに降り注いだ。懸命に振り払う将軍。しかし、突き立てられる矢の数は増えて行く。甲冑を着込んでいなければ、とっくに急所を打ち抜かれていたであろう。よくぞここまで持ち堪えられたと己でも思う。老骨の将軍の顔面に笑みが浮かぶ。戦士にとって戦場で死ねることは最高の誉れである。まして、デスペラードを継ぐべき日嗣の王子を守って死ぬのだ、これ以上の誉れがあろうか。

 「カリム様、後は頼みましたぞ!」
 全身を包む激痛を気力で抑え、エルドランはエルフォンに剣の柄を打ちつけた。猛然と駆け出す竜の背で将軍は最後の剣を振るおうとした。一人でも多くの追ってを倒しておきたい。ただそれだけが戦う原動力となっていた。

 「殺れ! 奴は手負いだ。恐れるるに足らぬ!」
 近衛将軍、バルドーの罵声が騎士を叱咤する。全身矢襖と化した将軍の姿は、正に鬼神のごとき凄まじさであった。逃げ腰になろうとしていた近衛隊の中から数人が前に出てくる。しかし、老兵が発する凄まじい殺気に持つ剣の先が震えていた。エルドランの剣は気合と共に一閃する。同時に二人の騎士が竜の背から姿を消した。まだまだ若い者には負けぬ。老将の唇に笑みが浮かんだ。たった一人の老将が数十名の騎士を完全に圧倒していた。

 「ええいっ、老いぼれ一人を始末できぬのか? それでも、デスペラード近衛隊か?! 恥を知れ!」
 あまりにもだらしのない部下に、バルドーが激怒する。相手はたった一人の老戦士だというのに、何が怖い?! 

 「あんな老いぼれなど槍で一突きであろうが! 行け、ガント! 貴様の槍でエルドランを刺し貫け!」
 「はっ」
 近衛将軍の影のようにひっそりと控えていた大男が、長槍を片手に前に出てきた。ブルンと槍を一振りすると、ピタリと上段に構える。エルドランは相手の技量に並々ならぬものを感じ、竜の背で剣を構え直した。槍使いは槍を水車のように振り回し、上段、下段、中段と刃先を繰り出してくる。それを紙一重で避け、隙を狙うが、縦横無尽に繰り出される長槍に押され、徐々に後退させられて行った。槍の恐ろしさは前端の刃だけではない。槍尻には重たい鋼鉄の環が嵌められており、その一撃は、軽く頭蓋骨を砕いてしまうほどの破壊力を持っている。切っ先を避けても、勢いよく回転してきた槍尻が頭蓋を襲う。

無数の矢を全身に受けている将軍の動きが、次第に鈍くなって行った。尖端の刃を辛うじて避けた拍子に、上体がバランスを崩す。そこへ、槍尻の鋼鉄の環が飛んできた。危うく直撃は避けられたが、そのまま落竜してしまった。肩口に突き刺さっていた矢がボキリと音を立てて折れ、エルドランの身体は地面に激突した。うっと、呻き声が漏れる。全身を駆け巡る激痛で瞬間、意識が遠のいた。

 「もはやこれまでだな、エルドラン」
 起き上がろうとする喉元に、槍の切っ先が突きつけられた。動けば、刃が喉を確実に貫く。もはやこれまでか。だが、老将エルドランは唇をジュッと噛み、ガントを睨み付けた。最後の一瞬まで決して諦めない、猛将の恐るべき執念であった。

 「エルドラン将軍、最後の機会だ。王都に戻ってこい。貴様ほどの勇将をむざむざ犬死させたくはない。反逆者カリム王子の首を差し出し、国王陛下に詫びを入れれば、陛下も快く許してくださるはずだ。その時は私も口添えをしよう。どうだ、悪い話ではないだろう?」
 バルドーが勝ち誇った笑みを浮かべ、最後の説得を試みようとする。真摯な表情はしてはいるが、目の奥にチラつく嘲りは隠し切れない。デスペラード一の勇者と謳われたエルドランに恩を売り、辱めることができる。そんな下心が見え見えであった。

 「悪神ドードの下僕に成り下がるぐらいなら、死を選ぶ。我が剣は戦神ディーンに捧げた。例え殺されようと決して変わらぬ血の誓いだ! 誇りあるデスペラードの騎士ならば、皆同じだ!」
 相手を直視したままエルドランは言い切った。その言葉を聞いた途端、バルドーの顔色が変わる。それは暗に、悪神ドードの下僕、獣神ゴーラに変心した彼を告発する言葉であったからである。

 「そこまで言い切るならばしかたあるまい。ガント、殺れ!」
 怒りのため、顔面蒼白になった近衛将軍が部下に怒鳴る。

 「ガント、貴様ほどの槍の名手が獣神に使えるとは恥ずかしくないのか?」
 「……」
 槍を持つ手が一瞬固まる。ガントは静かに見つめてくる老将軍の瞳に動揺した。今殺されようとしているにも関らず、怒りも、憎しみも感じられない。ただ何の躊躇いもなく悪魔の命令に従おうとしている自分に対して、哀れみだけを投げかけている。かつては、勇猛果敢な勇者として戦場を駆けた名将エルドラン。子供の頃は、そんな彼に憧れ、騎士に志願したのであった。運悪く、エルドランの指揮下には配属されなかったが、いつでも彼は眩しい存在だった。その彼を殺そうとしている。

 「ガント、何をしておる! 早く殺せ!」
 激しい叱咤が上官から投げつけられる。躊躇うことはできない。ガントは目をギュッと強くつぶり、槍を握る手に力をこめた。

 「ええいっ、グズグズするな! ノルカ、貴様でもよい。エルドランの止めを刺せ!」
 痺れを切らせたバルドーがガントの隣にいた騎士に命じた。ノルカと呼ばれた騎士は、己の槍を大きく振りかぶり、躊躇いなく振り下ろす。今度こそ最後か。エルドランの瞳は己に向かって落ちてくる槍の刃先を静かに見つめた。

 「ぎゃっ!」
 鋭い悲鳴が大気を震わす。パッと鮮血の花火が空中に咲き、ガンとの隣にいた騎士がエルフォン上から転げ落ちた。何事かと集中する視線の中央に、血に染まった槍を同僚の胸から引き抜くガントがいた。老将軍の胸を槍が貫くと思われた一瞬前、ガントの槍がノルカの喉を貫いたのだ。最後の瞬間、戦神への信仰がガントを突き動かせた。悪神の下僕に堕落してはならない。悪魔に魂を売った者は、未来永劫地獄の業火に焼かれる。いや、地獄に落されるのが恐かったのではない。騎士としての自負と誇りが、あの獣神ゴーラに使えることを許さなかったのである。

 「バルドー将軍、私は多くの仲間を惨殺した化け物に従うことはできません。騎士として、いや、人間として悪魔に魂を売ることは我慢できないのです。どうか将軍、目を覚ましてください!」
 槍を構えたまま騎士ガントが叫ぶ。始めは驚愕のため大きく見開かれていたバルドーの目が、怒りのため吊り上がる。エルドランだけでなく、身内からも裏切り者が出た。何故、国王に歯向かうのだ。騎士として永延にデスペラード王家に剣と魂を捧げると誓ったのではないのか? 騎士としての忠誠は国王陛下、デスロ三世のものではないのか? 国王陛下が戦神ではなく、獣神を信仰すると言うのならば、何故素直にそのように従わぬ? それが、真の忠誠ではないのか? 

 「おのれ、ガント! 今まで可愛がってやった恩を忘れたのか?! この不忠者! 構わぬ、エルドランもろともガントを討て!」
 憤怒に顔面を真っ赤に染めた近衛将軍の怒声が部下に向けられた。同時に騎士たちが武器に手をかける。だが、進んでガントに向かって行こうとする者はいない。同じ仲間だからこそ、その実力を熟知していた。迂闊に攻撃はできない。

 「かかれ! 裏切り者を許すな! 奴を仕留めた奴を百騎長に任ずる!」
 「おーっ!」
 騎士たちの間にどよめきが起こる。ガントを倒すだけで百騎長になれる。これは彼らにとって信じられないほどの昇進であった。槍の名手、ガントは確かに恐ろしいほどの強敵である。だが、彼らとて近衛隊に任じられたほどの兵なのだ。決して遅れを取るものではないはずだ。一瞬の躊躇いの後、一人の男が前に進み出た。ガントは、その顔を見て顔面を硬直させる。親友、マリウスであった。彼とは恐らく腕は互角。もしかしたら、奴の方が上かも知れぬ。ガントは用心深く槍を中段に構えた。マリウスが大剣を抜きざま、低く身を沈め、横一文字に刃を一閃させた。

それを槍を回転させ、流し、槍尻を相手の胸に叩き込む。が、それを予想していたのか、腕を下から跳ね上げ、避けられてしまった。だが、槍はクルリと回転し、今度は刃先が襲って行く。槍は変幻自在に動き、右へ左へと攻撃の姿を変え、長さすら変化する。二人の騎士は次第に集団から離れて行く。だが、息を呑み、見つめている近衛隊は気づきもしていない。ただ一人、地面に叩き伏せられていた男のみが、それに気づいていた。エルドランは戦いに気を取られている連中に気づかれないように、ユックリと身体を起して行く。時折、体中に突き刺さった矢のため激痛に襲われる。声を立てれば敵に気づかれる。必死で奥歯を噛み、ジッと堪え。痛みの嵐が去ると、再び身体を動かす。

 「はっ」
 やっと半身を起した時、いきなり目の前にエルフォンの巨大な足が現れた。ギョッと顔を上げると、銀の面当てがこちらをジッと見つめているのが見えた。激しい長槍と大剣の戦いに惑わされることなく、エルドランの動向を見張っていたのだ。

 「おのれ!」
 このままおめおめと生き恥を曝すのか。口惜しさに老将軍の顔が歪む。それならば、せめて一太刀なりとも敵に討ち込んでやる。己の長剣を握り、飛びかかろうとした。だが、目の前の騎士が奇妙な仕草をした。人差し指を面当ての口の辺りに立てて、首を左右に振る。静かにしろということか? だが一体……? 躊躇っているエルドランの目の前に手が差し出された。まさか、これにつかまれというのか? 驚愕に見開かれた眼を騎士に向けると、かすかに頷く。そして、見つめている将軍だけが見えるように、素早く面当てをずらし、再び下す。それだけで十分であった。エルドランは今度こそ躊躇いなく差し出された手を掴む。途端、強い力で身体が持ち上げられた。

 「おっ、貴様、何を……」
 エルドランの身体が竜上に引き上げられた時、傍にいた騎士が不信な行動を取る仲間に気づいて、大声で叫ぼうとする。だが、面当てを下した騎士が投げた短剣が喉を貫き、言葉を最後まで言わせなかった。喉に短剣を突刺された騎士は、物も言わずに竜上から落ちて行く。

 「曲者……」
 だが、仲間が倒され、気づかぬわけには行かない。周囲にいた騎士たちの間からどよめきが起こる。各々が剣、槍を構え直した。その目の前で、面当てをした騎士が高々と手を挙げた。途端、巻き起こる時の声。驚愕に見開かれた眼に、そうそうたる竜騎士の一団が目に飛び込んでくる。漆黒の布に黄金の竜の旗印。竜騎隊であった。

 「吾らがエルドラン将軍は取り戻した! 存分に仇討ちをしろ!」
 面当ての騎士が雷鳴のような大声で号令を発した。刹那、竜騎士の一隊が怒涛のように襲いかかってくる。一糸乱れぬ陣形で突入してくる竜騎士の前に、三十騎の近衛隊は敵ではなかった。瞬く間に蹴散らされ、方法の体で逃走を始める。

 「オルトリオ、助かったぞ」
 「将軍、遅くなって申し訳ございません」
 痛む矢傷に顔を顰め、エルドランが、それでも笑顔を作る。面当ての騎士は素顔を露にし、申し訳なさそうに頭を下げた。副将軍オルトリオである。将軍が重傷の王子を連れて国を出奔したと聞き、部下を引き連れ追いかけてきたのであった。斥候が将軍に追いついた時、すでに将軍は近衛隊に取り囲まれ、身動きできない状態であった。そのため、一計を案じ、オルトリオは密かに近衛隊に混じり、機会を狙っていたのである。

 「エルドラン将軍閣下!」
 「うむ?」
 不意に背後から声をかけられ、エルドランが振り向く。と、槍を手にした騎士と大剣を持った騎士が真剣な面持ちで近づいてきた。相手を見た途端、老将の顔に笑みが浮かんだ。先ほど、将軍を窮地から救った近衛隊員たちであった。二人が壮絶な戦いを見せてくれたお陰で近衛対の注意を逸らすことができたのだ。

 「ガント、マリウス、助かったよ、君たちのお蔭で私は命拾いをした」
 「そっ……そんな……」
 サッと騎士の顔に朱がさす。思ってもいない、憧れの勇将からの讃辞の言葉であった。

 「将軍、どうか私の槍を将軍に捧げさせてください」
 「私も剣を捧げます!」
 ガントとマリウスはパッとエルフォンの背から飛び降りると、エルドランに騎士の礼を取る。相手に槍と剣を捧げ、一生使えたいという表明である。だが、老将は静かに首を横に振る。それを見たガントはガックリと肩を落した。一度は近衛騎士として、バルドーに槍を捧げた。その誓いを破り、新たにエルドランに捧げるということは、騎士にとってはそれほど立派な行動とは呼べない。騎士が使えるのは一主のみ。二主に仕えるということは恥じとされているのだ。

 「そなたの槍を安売りしてはならぬ。ガント、そなたの槍は次期デスペラード国王陛下に捧げよ! そして、マリウス、そなたの剣も同じだ」
 「将軍……」
 騎士の顔が驚愕に変わる。そして、エルドランの言った言葉の意味を理解するに従って、表情が喜びに変わった。二主に仕えるのではない。主の主である国王陛下に直接仕えるのだ。決して騎士の誇りを失わせることのない提案であった。あくまでも相手のことを考えてくれる。あまりの感激に平伏する二人であった。

 「さあ、皆の者、急ぎ王子殿下に追いつくのだ!」
 矢を抜き、簡単に傷の手当てを受けた将軍は、自分の竜に乗り、勇ましく号令をかける。無数に負った矢傷をもろともせず、竜騎隊を指揮し、先に行った王子の竜車と騎士バランの後を追って、力強く竜を駆る。竜騎隊は一斉に一陣の風となって疾駆し始めた。一刻も早く王子と合流しなくてはならない。懸命に先を急ぐ。途中、病らしい娘を看病している男女を見かけたが、それには目もくれず、ひたすら先を急ぎ、駆け去って行った。

 竜騎の一団が通り過ぎると、病らしい少女を看病していた少年が頭を上げる。そして、もはや一団が砂煙の彼方に去ってしまったことを確かめると、ニッコリと笑った。

 「うまく行ったよ、ダイアナ。追っ手は何も気づかずに、行ってしまったよ」
 「うふふ、まさか、眠れるお姫様が王子様だなんて、誰も気づくわけないわよ」
プラチナブロンドの美しい女は、嫣然と微笑み、静かに眠る女装の少年を見下ろした。





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