長編小説のページ5(第十八話から第二十二話)
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何処までも続く闇の中、キラはナナとゴールズを引きずったと思われる痕を白羽の発する七色の光を頼りに追った。幼竜エリオスは最初、懸命に引き留めようとしていたが、キラの決意が固いと判ると、渋々後ろからついてきていた。闇は何処までも重く、果てしがないように思えた。時折照らし出された妖魔が光に驚いて逃げ出す他、本当に何も無い世界である。 もしも母の羽の発する光がなければ、精神が闇に飲み込まれて発狂してしまったかも知れない。進めば進むほど、闇は濃度を増し、羽の発する光を押し包んでくる。初めは周囲を明るく照らしていた七色の光も、今は足下をやっと確かめられる程度にしか輝きを持たない。 「ミューッ!」 不意に幼竜が甲高い悲鳴を上げた。驚いて振り返ると、何物かがエリオスの上にのしかかっている。長い手足には真っ黒な剛毛が生えていた。妖魔か?思わず羽を持っている手に力がこもる。途端、羽は姿を七光剣へと変じた。
「妖魔め、エリオスから離れろ!」 怒声に振り向いた妖魔が、金属を擦り合わせるような鳴き声を上げた。キラは剣を振り上げ突っ込もうとした手を止める。醜く崩れてはいたが、妖魔の顔は明らかに人間のものであったのだ。恨みと憎しみで歪んだ面相。しかし、首から下は恐るべき剛毛に覆われている。一見蜘蛛のように見える人間?これは一体何……? 「ガルルルルーッ!」 一瞬の戸惑いの隙をついて、蜘蛛人間が長く鋭い爪を少年の首筋に叩き込んできた。 「うわーっ!」 爪が首に食い込むと思われた瞬間、横っ飛びに避ける。だが、直撃は避けられたものの、爪は少年の肩口を切り裂いた。 「うわーっ!」 肉が抉り取られ、鮮血が飛び散る。小さな身体が赤い軌跡を残して地面に転がった。妖魔は残忍な笑みを浮かべもぎ取った肉片を口に放り込むと、モグモグと食らう。赤い舌で手に付着した血をペロペロと嘗めた。 「ミューッ!」 エリオスが倒れたままのキラに駆け寄る。しかし、ピクリとも動かない。まさか死んでしまったのか?不安にかられ、グイグイと少年の身体を揺すった。 「うーん……」 苦痛に顔を歪め、少年が呻く。まだ生きている。幼竜はペロペロと顔を嘗め回した。やがて、うっすらと目を開く少年。
「ミューッ!」 肩に走る激痛に顔を顰め、キラは起きあがろうとした。が、その目に襲いかかってくる妖魔の姿が写った。シューッと延びてくる鋭い爪。その切っ先は幼竜の頭!エリオスが危ない!キラは痛みを忘れ、右手の剣を突き出した。 「ギャアアアアアーッ!」 恐ろしい絶叫が闇を引き裂く。ドロリとした液体が四方に飛び散り、暗黒の花を咲かせた。クワッと見開かれる目に憎悪が浮かぶ。呪わしい想念が奔流のように流れ込んできた。虐げられ、操られ、騙された気憶が痛恨の思いと共に吐き出されてくる。憎い!恨めしい!怨恨の思念は暗黒の世界を更に重く冷たいものに変えて行った。 「殺してやる……」 爛々と光る目でにらみつけると、呪いの言葉を絞り出す。果てしなき怨念だけが蜘蛛男を動かしていた。剣により穴の開いた胸からはドクドクと体液が流れ出しているのだが、一向に弱る気配はない。 「化け物め!」 再び剣を妖魔の首に叩きつけた。ザクッと食い込んだ剣が骨を断ち切る。支えを失い首がブラリと胸元に垂れ下がった。倒したか?剣を構えたまま敵をにらむ。 「死ね!死ね!死ね!」 逆しまになった首の口が呪詛の言葉を紡ぎ出す。まだ死んではいない。ユラユラと胴の動きにつられ、首が振り子のように揺れる。思わず後ずさる少年。黒い手が伸び、首に食い込んできた。逃れなくては!必死に手足をバタつかせ、爪から脱出を試みる。しかし、爪は更に強く締め上げてくる。逃れられない。目がかすみ、意識が遠ざかって行った。
「ミューッ!」 エリオスの鳴き声に、失いかけていたキラの意識が戻る。諦めたらだめだ!今諦めたら、ママを助けられない。子供たちを助けるために自らの風切り羽を抜いてしまった母、フレア。命をかけた母の愛……。でも、そのために、死の縁にいる母。助けるためには、彼女を最も愛する三人の血が必要なのだ。キラとナナ、そして彼らの父アモンの血を一刻でも早く母に届けなくては、母は…… 「ママ!」 薄れかけていた意識が急速に戻ってきた。そうだ、今ここで死ぬわけには行かない!瞼を押し開き、相手をにらみつけた。首のない胴体からは無数の白い虫が這い出ている。蛆虫?それはゾロゾロと群れをなして這い出てくる蛆虫であった。ピョンピョンと跳ねながら飛び出してくる白い虫たち。宿主を見捨て、目の前の少年に乗り換えようとでも言うのか、次々に這い寄ってくる。 「うわーっ!」 思わず腕を払いのけ、後ろへ飛び下がった。途端、人間蜘蛛は崩れるように地面に落ちて行った。蛆虫の群れはザワザワと這い出し続けている。一体何が?後一歩で殺されてしまうところだったのに、この変化は如何にしたものなのか? 「ミューッ!」 不意に聞こえる幼竜の鳴き声に、キラは我に返った。頭を巡らせ、主を捜す。と、得意そうに彼を見上げるエリオスの姿が目に入った。口には何か赤い物を咥えている。何だろう?用心深く覗き込むと、それは血を滴らせた心臓であった。どういうことだろうか?戸惑いながら倒れている蜘蛛人間の躯を見た。ほとんどもげそうになった首が恨めしげに見つめている。そして、その胸には、ポッカリと大きい空虚な穴が開いていた。 そこからも蛆虫たちはぞくぞくと這い出している。しかし、それ以外には何もない空ろな空洞があるだけである。まさかエリオスの咥えている心臓は、あの胸の中にあったものなのか?そう言えば、地獄の住人たちは、心臓を貫かれない限り死なないという。それを知って幼竜は蜘蛛人間の心臓を抉り出したのか……? 「エリオス……」 再び視線を幼竜に戻して、キラは絶句した。血の滴る心臓をうまそうに食っているのだ。
「お前……さっきのドルといい、蜘蛛人間の心臓といい……下手物食いだなあ……。でも、助かったよ。ありがとう、エリオス」 心臓を貪り食う幼竜がキョトンと見上げる。その表情はなんとも愛らしいものがあった。 「うっ……」 が、ホッとした途端、激痛が襲う。先ほど蜘蛛人間に抉られた肩だ。思わず剣を落とし、ガックリと膝をついた。 「ミューッ!」 一心不乱に蜘蛛人間の心臓を食らっていた幼竜が顔を上げた。 「だっ……だいじょう……ぶ……だ……」 痛みをこらえ、微笑もうとする。だが、大量の出血と痛みのため、意識が遠のいて行く。しっかりしなくては。手足に力をこめ、立ち上がろうとした。しかし、もう手にも、足にも指一本動かす力は残されてはいない。 「ミューッ!」 慌てて駆けてくる幼竜。何か言ってやらなくては。大丈夫、心配しないでと笑って見せなくては……。その時、ふっと思考が暗転した。誰かが心配げに呼ぶ声がしたように思える。あれは誰の声だったのか……
「ママ……」 ああ、そうだ。ママの匂いだ。ママに抱かれていた時に嗅いだ、甘やかなママの匂いだ。閉じていた瞼をユックリと押し上げる。柔らかな光に満ちた世界が、そこにはあった。確か、竜王の座の下に開いた穴をくぐり、真暗闇の世界に入ったはずなのに……?戸惑いながら、視線を上げると、黄金に輝く光の滝が目に入った。ドキリとして目を瞬かせる。 「黄金の髪……?」 光の滝に見えたのは、美しく輝く黄金の髪の毛であった。それは自分を抱いている人物の黄金の髪なのだと気づく。柔らかな胸が頬に触れていた。この胸、まるでママのようだ。恐る恐る顔を上げ、相手の顔を確かめる。ほっそりとした顎。微笑を湛えたうす紅の唇。彫像のような整った鼻梁。そして、優しく見つめるエメラルド色の瞳。 「キラ、目が覚めた?」 涼やかな声が耳をくすぐる。間違いない。この女性は間違いなく 「ママ?ママだよね?風の要請、シルフィーじゃないよね?!」 身体を起こし、真剣に見つめる。信じられない。何故、ママがここにいるの?どうして、地獄の、こんな闇の世界にママがいるの?尋ねたい。でも、それを尋ねたら、ママが消えてしまうかも知れない。聞きたいけれども、聞くのが怖かった。だから、見つめるだけしかできなかった。
「キラ、どうしたの?ママよ、判らないの?」 驚いて母の顔を見つめる。ここは地獄ではない?そんな……?さっきまではたしかに地獄の最下層の闇牢獄にいたはずなのに……。蜘蛛人間を倒しはしたが、自らも傷つき倒れて……? 「キラ、あたいたちが、あんたを助けたんだよ」 不意に背後から声がする。驚いて振り向くと、黒髪の少女と双角の戦士が立っていた。そして、その背後には……
「パパ?!それに、ナナ、おじちゃんも……無事だったの?」 大きく目を見開いて母を見上げる。フレアはニッコリと微笑んだ。
「ママ、ママ、ママなんだね。やっと、やっと、やっと……」 キラはギュッと抱きしめられるままに抱かれていた。なんという長い苦難の日々だっただろう。母に会いたくて、一緒に暮らしたくて頑張った日々。人間を本当に幸せにすれば、ママと一緒に暮らせる。それだけを夢見て、乗り越えてきた茨の道。やっと、天使と認められ、天国のままに会えると思ったのに……。彼らを助けるため、母は天使の命の源とも言える風切り羽を抜いてしまい、死の縁に陥ってしまっていた。 助けるためには、地獄にいる父を助け、キラとナナ、そして、父の血が必要だと教えられ、はるばる地獄へ落ちてきたのであった。地獄でも色々あった。醜い戦いだけの世界に嫌悪を感じ、自らの心と身体を傷つけたりもした。しかし、そんな辛い冒険も終わったのだ。今、目の前には母がいる。優しく抱いてくれる母の腕。何度夢見たことだろう、母の胸。 「ママ!ママ!ママ!」 歓喜の涙が少年の頬を濡らす。辛くて流した涙ではない。本当の喜びに満ちた涙なのだ。嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。 「可愛い坊や、私の大切な坊や。あなたは私だけの物。誰にも渡さない、大切な宝物……」 細く白い指が優しく髪を撫でる。穏やかで、暖かな声が痺れるような喜びを呼び起こした。
「ミューッ!」
「エリオス無事だったんだね!よかった!こっちへおいでよ。ぼくのままを紹介するよ」 しかし、首を横に振るだけで、近寄ろうとはしない。どうして?不信げに幼竜を見つめる。 「ミューッ!」 触れようと手を伸ばすが、後ずさって行く。 「エリオス、ふざけているの?おいでよ、ママに紹介するから」 母の手を離れ、追いかけようとした。だが、白い手が腕を掴んで離さない。驚いて振り返ると、微笑むフレアの顔があった。
「私の可愛い坊や、ママは絶対に離さないわ。もう、一人ぼっちはいや。坊やはママと一緒にいるのよ。いつだって、いつまでだって、ずーっと一緒」
「ママ、どうしたの?ぼくは何処へも行かないよ。ただ、エリオスが……」 うっとりと頬擦りしてくる女の顔。強く抱きしめてくる白い腕。甘やかな芳香が精神を痺れさせてくる。ねっとりと貼りついてくる肌の感触が堪らない快感を目覚めさせてくるようであった。周囲を包んでいた白い光は徐々に光度を減少し、辺りは再び闇に閉ざされてしまっていた。傍にいたナナとゴールズの姿も見えなくなっている。そして、治ったはずの妖魔に食い千切られた肩の痛みが戻ってきた。これは一体どうなっているのだろうか?驚愕のため、キラは呆然となる。
「ママ、変だよ?周りが暗くなってきたし、おかしな妖気を感じる。それに、そんなに強く抱かれたら肩が痛いよ……」 「マッ、ママ?!」 思わず母の身体を突き離し、腕の中から飛び出していた。一体何が起こったのだろう疑念を抱いた途端、今まで平気だった肩に激痛が走った。驚いて触れてみると、ザックリと抉られたような傷跡が生々しく残っている。これは、蜘蛛人間にやられた傷……。今まで治っていたと思っていたのは幻術のせい??目を大きく見開き、母を見る。 が、そこにいたのは母ではなかった。かつて母であった物は、姿を返じていた。白く細かった手足は醜い鱗に覆われている。黄金の髪は、オゾマシイ血の色の蛇へと変貌していた。美しいエメラルド色の瞳も、爛々と輝く紅に染まっている。胴体はスルスルと長く伸び、クネクネとのた打ち回り始めていた。 「へっ、蛇女……?」 それはまさに、人面の蛇であった。キラは思わず懐の白羽を取り出そうとする。だが、見つからない。まさか失ったのか?大切な母の風切り羽だったのに……。蜘蛛人間と戦った時にはたしかにあったのに、まさか、あのまま……?
「坊や、私の可愛い坊や。どうしたの?ママよ?こっちへいらっしゃい」
「どうしたの坊や、ママの腕の中へお帰り。私の可愛い坊や。ママはあなただけを愛しているのよ」 「止めろ!お前はママじゃない!ママはそんな化け物なんかじゃない!近づくな!」 キラはジリジリと後退しながら怒鳴った。やっと会えたと思ったのに……。長い間夢見た母だと思ったのに……。正体はおぞましき蛇女であったのだ。喜びが大きかっただけに、失望の反動は凄まじかった。愛しい母に化けるなんて絶対に許せない。優しくて美しい天使のママのふりをして騙すなんて……。堅く握りしめた拳に激しい怒りが集中する。こんな化け物、バラバラに引き裂いてやる!拳が青い光を発し始めた。 怒りの想念が拳に集束し、光が光量を増す。眩しいほどの光が溢れ、闇を照らし出した。無数の妖魔が光に怯え逃げ出して行く。いつの間にそんなに集まっていたのか、人面の犬猫、人身馬頭の妖怪共が、強烈な光にたじろぎながらも周囲を取り巻いていた。こやつらは、キラの拳の発する光にも臆することなく嘲笑を浮かべている。逃げ出した小物とは違うということか?そう思った途端、蜘蛛人間に抉られた肩に激痛が走る。唇を噛み、痛みに堪えた。だが、拳の光は急速に衰えて行く。
「フエッフエッフエッ、どうした蛇女よ。そんなガキ、一口で呑み込んでしまえよ」 取り囲んでいる妖怪の中でも一際大きな人面を背負ったガマガエルが耳障りな声で嘲笑した。他の妖怪たちも、ガマ妖の言葉に呼応して、やんやと下卑な野次をとばす。蛇女はギョロリと紅の瞳で妖怪共をねめつけ、シューシューと荒い息を吐いた。
「寄るんじゃない!この子は私の大切な坊やよ!あんたたちに手出しはさせないよ!」 妖怪たちは口々に勝手なことを言い、ジリジリと輪を縮めてくる。背後には妖怪の群、前方には毒々しい血色の蛇を纏った蛇女が迫っている。絶対絶命の危機であった。どうするキラ?!
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周囲を妖魔に囲まれたキラは、ジリジリと追い詰められていた。その中でも、母に化けていた妖巳は、執拗な妄念で迫ってきていた。毛髪代わりの無数の蛇が次々に絡みつこうと襲撃してくる。それを懸命に避けた。だが、蛇たちは疲れることを知らぬのか、休む暇なく鎌首を擡げ、矢のように飛んでくるのだ。 「おうっ、だらしねえぞ蛇女!オイラが手伝ってやる!」 ニタニタ笑いを浮かべて見物していたカエル妖が長い舌をビューッと吐き出す。それは狙い違わず少年の細い足に絡みついた。 「ああーっ!」 思わずよろけ、地面に倒れる。慌てて起き上がろうとするが、すぐに人面犬が背に飛び掛り、押さえつけられてしまった。もう逃げられない。このまま妖怪たちの餌食にされてしまうのか?天国で待っている、重態の母を助けることもできず、地獄で討ち果ててしまうのか……? 「いやだ!負けるものか!」 唇をギュッと噛み、目の前の蛇女をにらみつけた。 「ひっひっひっひ!こいつはオレ様がひっ捕まえたんだ。最初の一口はオレが頂くぜ!」 人面犬がカッと大口を開き少年の首筋を狙う。ゾロリと並んだ鋭い牙が光り、振り下ろされてくる。 「ええいーっ!」 あわや噛み砕かれると思われた刹那、身体をひねり、両の拳を必死で突き上げる。 「ギャーッ」 拳は顎に命中し、犬は地面の上を転がった。だが、ホッと安心したのも束の間、化け猫の爪が襲ってくる。ギリギリのところで避けるが、猫はシナヤカナ動きで地面に降り、背を丸め、再び跳躍してきた。今度は避けきれない!普通の猫の数十倍の大きさの妖猫の銀色の爪だ。少年の柔らかな皮膚など、軽く引き裂き、骨までも砕いてしまうに違いない。咄嗟に身を屈める。しかし、鋼鉄の爪は少年の背に! 「ギャアアアアアアーッ!」 鋭い悲鳴が空気を震撼させた。飛び散る鮮血が闇に真っ赤な花を咲かせる。妖魔たちの顔に一瞬の悦楽が浮かぶ。ゴロゴロと転がる生首。恨めしげに宙をにらむ金色の眼。だらりと伸びた舌は紅に染まっていた。
「なっ、何故だ?」 闇に驚愕が沈黙を誘う。誰もが信じられぬという表情で立ち尽くしていた。
「貴様、獲物を独り占めする気か?!」
「おだまり!その子はあたしの可愛い坊やだよ。あんたたち醜い化け物の餌なんかにして堪るもんか!」 カッと口を大きく裂けると、紅の炎を吐いた。炎の舌は目の前にいた馬頭妖をと人コウモリを一瞬にして灰に帰した。パッと飛び下がる妖怪たち。だが、女は容赦なく炎を吐く。次々と燃え上がって行く化け物が火炎のダンスを舞い踊っている。大きな炎、小さな炎、様様に勝手な踊りをまい踊り、やがてはポッと消滅した。
「このイカレアマ!己の子供と見も知らぬガキを混同しやがったか!?」
「馬鹿な蛇妖怪が!」 グッタリとなった蛇の首から巻きついた舌を外すと、蛙妖が唾を吐いた。 「ガーッ!」 牛頭人身の化け物が角を立てて突っ込んでくる。それを危うく避けると、次は蜥蜴妖が毒を吐きかけてきた。間一髪で避けるが飛沫がうでをこがした。激痛が少年を痺れさせる。それをすかさず、人面犬の牙が襲う。咄嗟に地面に伏せ、牙から逃れた。だが、ホッとしている暇などない。転がった少年の上にドサリと巨大なナメクジが振ってきたのだ。ナメクジはピッタリと皮膚に張り付き、消化液を分泌させて獲物をとかそうとした。いや、それ以上にひだを伸ばし、顔を覆って息を止めてしまおうとする。懸命にもがいて逃れようとするが、ジワジワと侵食してくる。 「わ……私の……坊やを……」 グッタリと横たわっていた蛇女の目がカッと開かれる。眼には怒りの炎が燃えていた。彼女の目にはナメクジに襲われているキラが、悪者に騙され殺されてしまった己の息子に見えていた。なんとしても助けなくては!逆鱗が逆立ち、髪の毛を構成している無数の蛇が一斉に鎌首を擡げる。
「殺させてなるものかーっ!」
「ナメクジめーっ!喰らうなら、私を喰らいな。しかし、坊やだけは殺させはしない……」
「だっ、誰にも私の坊やを殺させは……しない……」
「フエッフエッフエッフエッ!そんな死に損ないなど無視して、そっちの甘そうな子供をいただこうぜ」 「ガーッ!」 好物の子供の肉を目の前にして、我慢できなくなった人面犬が飛びかかる。もはや保護者たろうとした蛇女は瀕死の状態であった。邪魔する者は誰もいない。思う存分いたぶりながら喰らうことができるのだ。恍惚たる歓喜が犬の牙を多量の涎で湿らせていた。獲物は呆然自失で立ち尽くしている。銀色の牙が少年の柔らかな肉に食い込もうとした。
シューッ!
「キラ、大丈夫か?!」 野太い男の怒声が闇を切り裂いた。
「キラ、無事だったかい?!」 続いて現れたナナが掌から火炎を発しながら叫ぶ。押し寄せる洋間の群れを火炎で焼き尽くし、短剣で切り裂いて行く。 「あたいたちはずっと傍にいたんだよ。でも、こいつら妖魔の幻術で幻を見せられていたんだ。先ずはゴールズが、そして、ゴールズに助けられてあたいが幻術から覚めたんだ。そうしたら、目の前であんたが妖魔たちに襲われているじゅあないの。ったく、まんまとしてやられるとは、あたいも修行が足りないねえ」
ナナとゴールズはキラを庇うように互いに背を向けて立ち、妖魔を蹴散らす。双角の戦士は強弓を投げ捨て、大剣を振るう。ナナも短剣に念を集中して妖魔を切り伏せた。
「くっ、こんなちっこい奴らを相手にしていたのでは切りがない!ナナ、燃やしちまえ!」
「……坊や……」 絶え絶えのうめきが少年の耳に届く。ハッと見下ろすと、瀕死の蛇女が震える手を小さく持ち上げようとしていた。一体何を?と、見る間に握られていた拳が開き、白羽が現れた。
「妖魔め、退散しろ!」 七光り剣を一閃させると同時に稲光が起こり、妖魔を貫く。二振りすると、竜巻が起こり、小蛙の群れを吹き飛ばした。
「フエッフエッ!なんて小僧だ。一瞬にして、我が子らを……。殺してやるーっ!」
「キラ!」 ナナが慌てて引き戻そうとする。だが、そうはさせじと、白毛猿が襲いかかってきた。咄嗟に短剣を振るって鋭い爪を避ける。
「フエッフエッ!」 蛙妖の長い舌に絡まれ、キラの小さな身体はガバッと開かれたがま口に飲み込まれる。
「よくも……」 憎悪のこもった呪詛が背負った人面から発せられた。同時に、両眼から青白い光線が放たれる。咄嗟に避けるキラ。と、たった今まで転がっていた地面が炎と燃え上がった。
「奴め、どうする気だ?!」
「ゴールズ、あいつら共食いを……」
ビーン!
「許さぬぞーっ!」 熱気が全身から吹き上がり、空気を燃え上がらせる。
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仲間の妖魔の力を得た蛙妖は妖力を増大させ、姿も巨大で醜く変貌している。そして、怒りの想念が具象化したように全身から炎を吹き上げていた。赤い炎の舌がペロリと一舐めしただけで堅い岩盤もドロリと溶け出す。もうもうと立ち上がる瘴気のため、卑小な妖魔たちが次々と燃え上がって行った。 「なんて化け物だ!」 さすがの魔戦士も額に脂汗をにじませている。燃え盛る妖怪の灼熱の炎が、結界を張っていてさえも皮膚を焦がし、体毛もチリチリと 炎を上げ始めていた。もし彼らの魔力が脆弱なものであったのなら、燃え上がって行く卑小な妖魔同様に炭化してしまっていたに違いなかった。 「死ね!」 蛙妖の口から火炎の渦が三人を襲う。慌てて避けるが多少のダメージは受けてしまった。ゴールズは腕に、ナナは足に、キラは背に火傷を負ってしまっている。しかし、魔力で傷を癒している暇はない。次々と襲ってくる火炎の触手が三人を追い詰めて行く。
「ゴールズ、なんとかならないの?」 懸命に氷の結界を強化させながら、ナナが叫ぶ。
絶望がナナを襲う。その間にも、火炎の長い舌は舐めるように地面を焦がし、大気を沸騰させていた。逃げると言っても、蛙妖の動きは以外にも素早い。とても逃げ切れるものではないように思える。
「坊や……私の可愛い坊や……」
「坊やは、ママが守ってあげる。あたしの身体を矢にして、あいつを射るんだよ。あたいの心は、坊やが死んだ時、凍り付いてしまった。どんな炎でも溶かすことはできない。例え、蛙妖の奴の瘴気でさえも……」
「この人が……ママに化けていた蛇女が……自分の身体を矢に変えて討てって……」
「とにかくやってみるよ」 キラが印を結び、骸に念を集中させた。見る間に蛇女の無残な姿が凍りの矢と変化する。それは驚くほどの冷気を発する矢であった。青白く透き通り、周囲の空気さえも凍結してしまうような氷の輝きがある。
「おじちゃん、早く!」
「当たれ!」 キラが眼を閉じて、グッと念じる。 「冗談じゃないわよ!」 ナナがキッと唇を噛み、印を結んだ指先から凍結魔法を繰り出した。凍りついた水蒸気がキラキラと輝きながら燃え盛る矢の周囲を取り囲む。ダイヤモンドダストは渦を巻き、矢と共に炎の壁を突き破り蛙妖の胸へと突き進んだ。火炎の塵が舞い、赤色の花を咲かせる。同時に超新星を思わせる爆発が全てのものを吹き飛ばした。 闇はまばゆい金色の光にその存在を失い、静寂は凄まじい轟音によって破られる。四散する蛙妖の身体は無数の彗星を弾き飛ばして行く。ウネリ、渦を巻いてのたうつ大蛇であった。灼熱の炎の嵐は永遠に続くかと思われたが、やがて力尽きたかのようにガックリと大地に崩れ落ちた。しかし、炎は消えてもなお、溶解した岩石はブスブスと音を立てて、近づく者を拒み続けている。周囲には何物も存在せず、一面の溶岩だけが惨劇の証人のように水蒸気を吹き上げていた。 もう、妖魔も魔戦士もキラたち魔天使の姿も何処にも見えない。ただ溶解した地面が永遠と続くばかりであった。そんなもうもうと立ち上がる水蒸気の中、ふと黒い小山のような影が現れる。黒く焦げた巨大な妖魔の骨だ。どす黒く変色した胸の中央には、冷たい氷の光を放つ矢が、深々と突き立っている。やがて矢の放つ冷機が大気を冷却し、ドロドロに溶解した大地を瞬時に凍結させた。もはやグツグツという溶岩の立てる音も、水蒸気の立ち上がるシューシューという音も聞こえてはこない。ただ絶対の静寂が辺りを支配していた。 「ミューッ!」 不意に悲しげな幼竜の声が静けさを破った。そして深遠の闇空から舞い降りてくる小さな姿が現れる。エリオスは炎の竜と呼ばれる、赤竜だ。蛙妖の放った灼熱の炎にも堪え、爆発の瞬間、空の高みへと弾き飛ばされてしまったのだが、無傷で舞い戻ることができたのである。
しかし、キラたちは……?懸命に固まった地面を探し回る。だが、何処にも姿は見えない。ただ花崗岩の作った奇岩の群れが延々と続くばかりであった。幼竜はクンクンと鼻を鳴らし、臭いを嗅ぐ。だが、懐かしい少年の臭いは、強烈な硫黄のためにかき消されている。
ボロッ!
「ミューッ!」 周囲の惨状を見渡した魔戦士がつぶやく。動く物は彼ら以外全く見当たらない。本物の死の世界であった。キラが一人、黒こげの骨になった蛙妖に近づいて行く。胸の部分には矢によって凍結した心臓だけが残されていた。あの恐るべき力を示した妖魔の首領の妖力を封じ、滅ぼした氷の矢は、今も凛然と冷たい光を発している。何物にも溶かされることのない氷結した蛇女の心そのままに……。
「キラ、何をする気だ?!」 ゴールズは、何物をも凍りつかせるような冷気を発している矢に触れようとする少年を見て、凝然となった。あの超高熱を発していた蛙妖の心臓すら凍結してしまう矢に触れようとは、正気の沙汰とは思えない。小さな少年など瞬時にして氷化してしまうに違いないのだ。 ニッコリと微笑むと、ソッと矢に触れてみる。ナナとゴールズは思わず息を呑んだ。だが、恐れていた惨事は起こらない。それどころか、冷然と光を放っていた矢から禍々しさが薄れ、次第に暖かさを持ち始めているようにさえ見えた。いや、それは気のせいだけではない。たしかに凍結していた大気が精気を復活させ、穏やかさを取り戻し始めていた。
「坊や……私の可愛い坊や……。今度こそ守ることができたのね……」
吹きすさぶ風が、村外れに佇む荒れ家の板戸をガタガタと揺らす。あちこち敗れた壁からは隙間風と呼ぶには激しすぎる寒風が吹き込んで、中で震える母子を容赦なく凍えさせた。母と子は抱きあい、互いの暖かさをたよりに、紙のような薄っぺらい布団にくるまっている。
「母ちゃん、おいら寒くなんかないよ。だって、母ちゃん、とっても暖かいんだもん」
怒鳴り声であった。慌てて板戸を開くと、すっかり酒に酔った亭主がそこにいた。 母を抱きしめ、鬼のように赤い顔をした父をにらみつける。いつも酒を飲んでは暴れる男。父である男であるが、母子に苦しみしか与えない男。彼らが細々とした生活を続けられるのは、猫の額ほどの畑を母が耕し、僅かに獲れる粟や稗をたよりに食を得ているからであり、父の働きによるものではなかった。 男が与えるのは理不尽な暴力による痛みと恐怖だけだ。それに、わずかな食料ですら、男が帰ってくれば、全て奪われてしまう。それに、帰ってくる度、何かを持ち去って行く。畑を耕す鍬も鋤もすでに男の酒に化けていたため、母は竹でこしらえた箆で畑を耕している有様であった。もはや荒家に残っているのは、紙のように薄っぺらい布団のみである。このような男、いなくなればいい。もしも、自分がもっと大人で、もっと強ければ、こんな奴追い出してやるのに。少年の眼は雄弁に語っていた。 「クソガキ!生意気な!」 挑戦的ににらみつける息子に腹が立ち、男の拳が少年を襲う。ガツンという衝撃、たちまち起こる女の悲鳴。忌々しい憤怒で、男の暴力に対する衝動が止まらなくなった。憎たらしい子供。全く父親に懐かない可愛げのない息子。こんなガキ、邪魔なだけで、何の役にも立たない奴。残忍な快感に支配された男の拳が、踵が止めどもなく降り注いだ。こんな奴、死んでしまえばいい。男は本気でそう思っていた。
「止めろ、父ちゃん!母ちゃんが死んでしまう!」
「このくそあま、そんなに子供が可愛いかーっ!」
「ちっ、ったく貧乏ったらしい家だ。何もありゃしねえ」 舌打ちすると、男はつかつかと母子が唯一暖を求めていた紙のような薄っぺらい布団に近づいた。
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家から布団を持ち出した男は、何の躊躇いもなく質屋に持ち込んだ。そのような粗悪な品、いくらにもなるはずもなく、雀の涙ほどの金を手にした男は、舌打ちしながら懐へと押し込む。何かうまい金儲けはないものか……?真面目に働き、地道な人生を歩むなど毛ほども考えない人間であった。何の苦労もなく、好きな酒を飲む金が欲しい。汗水流して働くなど真っ平ごめんであった。
「困ったなあ……」
「何か困ってんじゃあねえのか?」
夫婦は口々に相手を罵る。だが、一言も子供を亡くしたという悲しみの言葉は出てはこなかった。
翌朝、女はいつものように、猫の額ほどの畑に出て働いていた。息子も、幼いながら懸命に手伝おうとする。小さな手を泥だらけにして、雑草を抜いていた。
母子は、ささやかな幸福を心から喜んだ。こんなことが嬉しいのも、相手がいるから。小さな発見も、母子が一緒だから、大きな喜びに変わるのであった。
「どうでえ、このガキなら五両は安いもんだぜ。元気だし、働き者だし」
「二両」
取りすがってくる女を足蹴にすると、芸人夫婦に目配せする。途端、夫の方が子供の腕を掴んだ。 怒鳴り声と共に拳が顔面に炸裂した。女の痩せた身体は、紙のように吹っ飛ぶ。地面に転がったまま、母は悲嘆の涙を流した。彼女のただ一つの宝の息子。それなのに、夫は、非情にも芸人に売ってしまったという。なんて男なのだろうか。毎日のように暴力を振るい、家中の物を持ち出して行く。暴力と苦しみしか与えない男だった……。それでも、いつかは心を入れ替えてくれると信じていたのに……。愛する息子まで売り飛ばすとは……。
「へっへっへっ、三両か……。当分は酒に困ることはねえな……」
「死ね!死ね!死ね!この疫病神!よくも、あたしの坊やを!」 女は血まみれになった石を何度も夫の顔面に叩きつける。今まで虐げられてきた憎しみを込めて。売られてしまった我が子の恨みを込めて。すでに顔だか、何だか判らなくなっても、女は石を振り下ろし続けた。返り血を浴び、悪鬼のようになった女は、憎悪の全てを肉塊になった男に叩きつけた。血が飛沫き、飛び出した眼球をも叩き潰す。頭骸が砕け、脳漿が飛び散る。 それでも、女の怒りは収まらなかった。石を何度も何度も振り下ろし続ける。だが最後には、頑丈な石さえも砕けてしまった。ハッと我に返る女。血みどろになった夫に哀れみの心は浮かんではこない。だが、連れ去られた息子は?今さらのように周囲を見回す。しかし、旅芸人の姿も、愛しい我が子の姿も何処にも見えなかった。
「坊やーっ!坊やーっ!坊やーっ!」
「坊やーっ!坊やーっ!坊やーっ!」
「ほんに可哀想だったなあ、あの子供」
村人たちは血相を変えて尋ねる女に一瞬たじろいだが、思い直してうなずいた。 今ここが何処でいつなのかまるで判らなくなっていた。ただ何物かに引きずられるがごとく、幽鬼のように彷徨った。突然、着物も、心もズタズタの女の足が滑った。あっと言う間に空中へ投げ出され、水飛沫が上がる。冷たい冬の水に包み込まれるように身体が川の中に消えた。子供を失い、全ての希望を失った女は水に抗おうとはせず、川底へと沈んで行くに身を任せた。たった一つの宝物を奪った亭主が憎い。愛おしい息子が目の前で連れ去られたというのに、助けられなかった己が許せない。 耳に残っているのは、絶叫にも似た、我が子の叫び。許して!許して!許して!助けられなかった無力な母を許して!何度も何度も心の中で許しを乞う。だが、応えてくれる愛し子はもういない。悲しみと絶望の中で息絶えたのだ。悲しい。狂おしいほどに悲しかった。心を凍てつかせ、憎しみの炎を瞳に輝かせる。長い間、長い間、母親は冷たい川底で我が子を待ち続けていた。気づくと、女の姿は人にあらざる物へと変化していた。憎しみに瞳を真っ赤に燃え立たせ、心を凍結した巨大な蛇へと。
不意に思念が途切れた。驚いて見つめるキラの手にあった矢が青白い光に包まれる。同時に揺らめいて人型を結ぶ。それは優しげな女性の姿。母なる者の姿であった。
「あれはどういうこと?」 はるか上空へ消えて行こうとする二つの光玉を見つめていたナナが、魔戦士を振り返る。
「ふーん……」 理解したのかどうか、ナナは魔戦士の腕にしがみついたまま、空を見上げている。もはや光玉は闇に溶け込んでいた。
「今度はお前たちの番だな」
「蛇女が浄化されて昇って行ったぞ!」
次々に現れた燐光が漂いながらキラに近づいて行く。驚いたゴールズとナナが振り払おうとするが、実態のない物のように虚しく通り抜けてしまった。
群がってくる燐光を排除しようと虚しく腕を振り回しながら、ゴールズが叫んだ。青白い光に包まれたキラは、どうしたものかと両手を胸で組、懸命に耐えている。救いを求める亡者の魂の叫びはどんどん大きく迫ってきていた。すがってくるものを無下に追い払えない。なんとかしてやりたいのだが、どうしたら良いのか幼い少年には何も判らなかった。
「ママ、力を貸して」 懐から取り出した純白の羽を空にかざし、強く念じた。途端、流れ出す七色の光が辺りを照らす。
「ママ……?ママの声だ……」
「全く、信じられぬことをする小僧だな……」
まさに、『光と闇を纏いし者、現れし時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる』の予言の顕現だな」
「あっ、あれは……」 不意に、呆然と闇牢獄の変化に見とれていたナナの視線が何かを捕らえた。遥か前方に鎮座した悪魔の像がある。逞しい体躯、背に閉じられた黒いコウモリの翼、そして漆黒の髪に、閉じられた瞼。
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闇が祓われた後に現れた原野の中心に、粛然と鎮座する悪魔の姿。それはキラたち、魔天使の父、アモンそっくりの石像であった。しかし何故、このようなところに父の石像が存在するのであろうか?三人は呆然と石像を見上げた。 「それにしても、まるで生きているようだな」 魔戦士ゴールズがつぶやく。 「パパ……」 懐かしい父の姿を目の当たりにして、ナナが深いため息をつく。 「ナナ、これはパパだよ」 キラが目を大きく見開いて石像を見つめている。 「そうね、これはパパだね。でも、誰が何のためにこんな像を造ったのかしら?」
幼い弟の心中を思うと、熱いものがこみ上げてくる。優しく頭を撫でてやりながら、ナナの思いはこの原野の何処かにいる父に飛んでいた。
「信じられぬことだが、アモンだ……。しかし、何故だ?彼ほどの悪魔が、何故石化しておるのだ。彼をこのようにできる悪魔など、この地獄界に存在するとは思えぬ。あるとすれば……自らの意志で石化したとしか考えられぬ」
「まさか、地獄で一、二の魔戦士と呼ばれるあんたがかい?」
だが、次の瞬間には、おびただしい数の蛭に襲われ、気も狂わんばかりに炎を浴びせた。次から次へと襲いかかってくる妖魔と魔獣たち。懸命に戦っている最中、魔戦士と再会できた。あの恐怖を一人で耐え続けていたら……。
「……」 だが、最悪の牢獄と呼ばれる闇牢獄に、正気も失わず、長期に渡り座り続ける悪魔が存在していた。地獄一の戦士と呼ばれた彼は、天と地の狭間と呼ばれる、天界と地獄界の境界で美しき天使に出会った。そして、あろうことか、愛し合ったのである。地獄の掟では、決して悪魔は天使と交わってはならない。しかし、狭間に伝わる呪いか、若い二人は互いに惹かれて行った。そして、 「光と闇を纏いし者、現れし時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる。」
天と地に伝わる秘文の一説が彼らの運命を決定した。地獄の崩壊を恐れた者たちによって、彼は捕らえられ、子供たちは人間界へと追放されてしまったのだ。 「ならば、闇牢獄で頭を冷やすがよい。」 激怒したブラスは、彼を地獄でも最悪の牢獄、闇牢獄へと封じたのであった。右も左も、上も下も、完全なる闇の牢獄。音も闇に吸い込まれるのか、物音一つ聞こえない。匂いも、肌に触れる物さえなにもない、虚無の世界。それが闇牢獄であった。何も五感に感じない世界。ジッと座っているだけで、気が変になりそうな無の世界。目を閉じているのか、開いているのかさえ判らなくなってくる。しかし、何も感じないと言うのではない。闇の中に潜む、様々な悪意に満ちた思念が重苦しく圧迫してくるのだ。 憎しみ、怒り、恨み、殺意、それらが始終、精神を蝕もうとのしかかってくる。吐き気をもよおすような悪意に精神が侵食され、どうしようもない絶望感に苛まれる。僅かでも、心に隙を見せると、触手をのばし、内部から精神を破壊しようとするのである。逃げ出したい程の恐怖に全身の皮膚が総毛立つ。だが、例え逃げ出したとしても、ソレは彼を逃しはしない。精神に食らいつき、バリバリと音を立てて、心を食いちぎろうとする。
「うぐぐぐぐ……。」 へし折れる程歯を食いしばり、恐怖を押し退けようとするが、ドロドロした暗黒の思念は、執拗に触手をのばしてくる。僅かに潜む、弱点を見抜き、攻撃してくるのである。
「おのれ、幻影か。消えろ!」 カッと口を開き、火炎を吐く。火だるまになった少年が悶え苦しむ。
「小賢しい真似を!」 幻影とはいえ、敵の攻撃は苦痛を伴う。切られれば、皮膚と筋肉を切り裂き、血が流れる。首を絞められれば、呼吸が苦しくなる。もし、幻影に負け精神が死すれば、肉体も死してしまうに違いなかった。
「死ね!」 突如変貌する娘の姿。牙を剥き、襲いかかる大蛇へ。アモンの身体に長い胴が巻きつき、締め上げてきた。メキメキと骨が軋むおとが聞こえてくる。大蛇は容赦なく力を増してくる。
アモンは更に精神の壁を強固にする。外界からの干渉の一切を断ち切り、己の殻の中へ閉じこもった。 一体、どうやったら父を元にもどすことができるのだろうか?母を助けるには、直ぐにでも三人で天国へ向かわなくてはならない。彼らに残された時間はわずか。ジッと目を閉じ、石化して動かないアモンを見つめる姉弟たちに、明日はあるのだろうか?
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