命尽きる時 文:蛍火
命尽きる時・目次
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第五章 別離 [NEW!] |
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ネコは、自分の死を悟った時、 飼い主の前から姿を消し、 その死に様を、決して見せない習性を持っている。 人もまた、命の尽きる時を知って、 静かに、孤独の中で、 その最後を迎える事が出来るならば、 それは、「聖者の域に達した人」と言える。 たとえ、その人の生涯を知る人が、
誰一人として居なかったとしても、・・・
命尽きる時 まえがき ---了---
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礒野新吉は、日向山の頂上で、夕陽を浴びて、立っていた。日向山は、その僅かな裾野に、二十数戸の日向部落が、しがみついている 小さな山で、新吉が立っている頂上は、部落全戸の墓石が並んでいる墓地になっていた。 誰も居ない、その墓地の真ん中で、新吉は、ただぼんやりと遠くを眺めていた。見ている南の方向には、山裾を流れる大代川(おおじろがわ)が、やや川幅を広くしたあたりに、僅かばかりの平地があり、橋を挟んだ両側に、モザイク模様の屋根が、連なっていた。 豊岡町である。視線を少し上げれば、名も知らぬ山々が連なり、東の空も、北も西も、同じような山々の稜線が、ぐるりと周囲を取り囲んでいた。こんな山奥の、こんな墓地に、五十数年ぶりに立っている新吉を、見知っている村人は、今では、恐らく一人も居ないだろう。八十近い年齢になっている彼と、同じような年頃の村人が少なくなっているせいもあるが、もともと彼がこの土地で暮らしていた頃から、村人達との付き合いは、ほとんどなかったから、忘れられていて当然だった。 「そうだ!確か、俺が五年生の十月の初めの事だった。・・・」
新吉は、鮮やかに、思い出していた。もう七十年近くも前の事なのに、つい昨日の事のように思い出されるのは、どうしてなのか、不思議に思いながら、彼はすぐに、思い出に沈んで行った。 それでも、木登りとか、魚取りとか、身体を使っての遊びは、年は下でも、新吉の方が、ずぅーっと上手かったから、いつでも部落のガキ大将は新吉であり、誠治は参謀役だった。その誠治の祖母が亡くなった時、誠治の父親は、日向山の墓地に、四方をガラスで囲んだ灯篭を立てて、四十九日の間、そこのローソクの火を灯す役目を、誠治に命じた。無論、日暮れ時に明かりを灯すのだから、日向山に登って行く時は、まだ明るさが残っているからいいけれども、帰りの道は、当然、暗くなる。 まだ子供の誠治にとっては、暗くなれば、歩きなれた道でも怖いのに、山の墓地からの帰り道なのだ。いくら可愛がって貰ったババ様のためでも、自分には、とても出来ないと言って、誠治は、大泣きに泣いて嫌がった。誠治の父親は、サラリーマンとして、遠くの町へ電車通勤していたから、一時間間隔でしか動いていない電車では、朝早くから出かけて、とっぷりと日が暮れてからでなければ、戻れなかった。その帰りの夜道を、日向山の墓地の灯明を見ながら、経文を唱えつつ歩むのが、苦労をかけた母親に対する、せめてもの供養だと考えていた父親は、是が非でも、その仕事を誠治にさせなければならなかった。秋のこの農繁期の時に、その時間、身体の空いている者は、誠治しか居なかったからである。 「一人が怖いのなら、新吉を連れて行け」という事になって、四十九日の間、それこそ、雨の日も風の日も、一日も休まず、二人して懸命に、日向山の墓地まで、日暮れになると、登って行った。確かに、最初の内は怖かった。飛ぶようにして走り下った。だが、毎日毎日続けている内に、少しづつ慣れて来た。怖さがまったくなくなったという訳ではなかったが、慣れてくれば、それほど怖くはなく、かえって、二人っきりの冒険のような気持ちになれた。 それになんと言っても、新吉には、予想外の「余禄」があった。学校から帰るとすぐに、農作業の手伝いをさせられるのは、いつも通りだが、一番辛くなる夕方、早めに切り上げる事が出来た。それから、誠治の家に誘いに行けば、何かどうか、お菓子が貰えた。少量ではあったが、自分の家では、到底お目にかかれないような、綺麗で、美味いお菓子だった。いつも出渋(でしぶ)る誠治を、引き立てるようにして連れ出すのも、そんな事があればこそだったのである。新吉は、この仕事が出来るだけ長く続く事を、心密かに願っていたくらいであった。
それでも、秋の月が、煌々と道を照らす頃になると、二人とも、「夜遊び」の面白さを覚え、なるべく遅く行くようにした。そんな或る夜、キツネ狩りに行く猟師に出会い、興味をそそられて、後をそっとつけて行ったのはいいが、途中で巻かれてしまい、急に怖くなって、無我夢中で、飛ぶようにして山を駆け下った事もあった。子供の頃の冒険(?)としては、かなり異色な、強烈な印象を残した出来事だった。 「どういう事情だったかは、詳しくは聞いて居らんが、とにかく、この新吉があんたの兄さんの誠治君に、生命を助けられたので、その恩返しの意味で、どうしても、あんたの看病をさせて欲しいと、わしに頼み込んで来たのじゃ。その思いは、よくよくの事と見えた。それにな。この男は、特効薬を手に入れる方法があると言うて居る。つい最近、アメリカで発見されたという話は、わしも知っとるが、こんな田舎では、正式な方法では、なかなか手に入らぬ。医学雑誌に詳しく出て居ったから、使う方法は、わしにも分かって居るが、闇市などでは、かなり高い品物らしい。」 「しかもだ。少なくとも、一年や二年は続けねばならん。毎日という訳ではないが、最初の頃は、一週間に二度ぐらい、効果が出始めてから、一ヶ月に三・四回程度になるじゃろう。どのくらいの量が必要なのかは、病状や患者本人の体力など、色々な条件によって違ってくるが、先ず、取っ掛かりとしてやってみるぐらいの薬は、新吉が持っている金で買ってくると言うて居るが、そのあと、どのくらい必要なのかが問題なのじゃ。ま、金の事はともかくとして、大切なのは、豊子さん、あんた自身の考えじゃ。この男の好意を、素直に受け入れられるかどうかという事。」 「それを決めるのは、あんたじゃ。あんた自身が決心せねばならん。それがはっきりせん事には、話が先には進められん。わしも患者を待たせて置いて、わざわざこうして出かけて来ているんじゃから、話すべき事は、今、全部喋るつもりじゃ。考える時間が多ければ、良い思案が浮かぶというものでもなかろう。所詮、人間の考えなんちゅうものは、十のうち、一か二しか分からんものでのう。『熟慮断行』という言葉があるが、わしは、『熟慮』は二分か三分で、『断行』の方が大部分だと思うて居る。人間のする事なんて、所詮は、そんなもんだ。」 「ま、それはそれとして、わしにも、この川辺家には恩義があってのう。前々から、あんたの病気を治してやりたいと思うて居った。だから、新吉の話には、すぐに乗り気になった。何としてでも、この話を纏めて、良い治療をしてやりたいと思った。で、薬代の金の出所を、考えてみた。ここに来て貰っている分家の正一さんに、川辺家の財産のすべてを引き取って貰って、あんたの病気を治すための薬代を出して貰うという風に、話をつけた。少し出しゃばり過ぎではあったがな。ま、早い話が、たった一人の相続人のためなら、全財産を使い切っても、ご先祖様も、文句は言うまいという事じゃ。」 「実際には、この家の財産の五分の一程度で済むと、わしは考えて居るが、だからと言うて、この川辺家を切り盛りするのは、病身のあんたには、到底、無理な事は、誰にでも分かって居る。だからこの際、潔く、すべてを分家に譲り渡すという道を取ったら、あんたも気兼ねなく、治療に専念出来るのではないかのう。どうかな?・・・悪い話ではないと思うが?・・・」 開け放たれた障子のすぐ傍で、布団の上に横たわっている病人、川辺豊子に語りかけていたのは、長岡町の青木という老医師だった。後ろには、分家の正一と新吉が、控えていた。 「なに、ぜにのこんは、心配(しんぺえ)しなんでええ。おめえの身体を治すんなら、この叔父さんがどんな事でも、してやるよ。大家あっての分家だからな。大家の血筋を絶やしてはなんねえからな。・・・」 分家の叔父は、心にもない事を口にしていた。本当は、この娘が一日でも早く死んでくれれば、手づかずで、そっくり大家の財産が転げ込んでくる筈だったのに、老獪な青木医師に説得され、世間体を取り繕うためにも、多少の出費はやむ終えないと考えただけだったのだ。豊子には、そんな叔父の魂胆が、手に取るように分かっていた。姪の病気を心配しているような口ぶりはしても、日頃から、感染を恐れて、なるべく近づかないようにしていたその態度で、叔父の考えている事は、はっきり分かっていたのである。それに触発されて、豊子は、とっさに決心した。 「先生、・・私、・・先生の、・・おっしゃる、・・とおりに、・・します。ただ、・・わたしの、・・言う、・・とおりに、・・して、・・いただけ、・・ませんか?分家に、・・この家の、・・財産を、・・ゆずる、・・からには、・・私も、・・この家を、・・出て、・・行きたい。村はずれに、・・おじいさまが、・・たてた、・・隠居、・・小屋が、・・あるはず、・・です。そこに、・・うつり、・・たい。」 「それから、・・しんきち、・・さん。・・・そばに、・・きて、・・かおを、・・よく、・・見せて。あなた、・・ほんとに、・・いいの?・・・こんな、・・私の、・・ために、・・・どう、・・しても?・・・あなたの、・・人生が、・・だめに、・・なるのよ。・・・ほんとに、いいのね。・・・じゃ、・・私と、・・結婚、・・して!看病、・・して貰う、・・には、・・その方が、・・いいと、・・思うの。きがね、・・しなくて、・・すむわ。・・・・おたがい、・・ね。・・・いその、・・とよこに、・・なれば、・・私も、・・生まれ、・・かわれ、・・るかも、・・しれない。そうして、・・くれるぅ?・・・・・・」
肺結核に冒されている豊子の言葉は、弱々しく、途切れ途切れだった。新吉は、そのか細い声を聞いて、じぃーんと、鼻の奥に来るものがあり、返事をするどころか、こぼれ落ちそうになる涙を、必死になって堪えていた。 敗戦後、半年も経ってから復員して来た新吉が、真っ先に尋ねた川辺家の座敷で、一人ぽつんと淋しく寝ていた豊子を見た時、まるで雷に打たれたような衝撃が、彼の全身に走った。 「何としても、この人を助けたい!この天使のような笑顔を見せてくれた人を、死なせてなるものか!」と思ったのである。 それに、豊子の兄・誠治に、命を助けられたのも事実だった。誠治に対する感謝の念と、天使への憧れと、もう一つ、自分の心の奥底にあるものが、豊子の看病に一生をかける決心をさせたのであった。新吉の心の奥底にあるもの、それは、「自分は、普通の人のような平穏な暮らしを、決して望んではならないのだ」という固い信念であった。彼にそう思わせるほどの深い「負い目」は、戦地で背負わされたものだったが、その「負い目」、つまり「心の傷」を話して聞かせたのは、妻になってからの豊子一人っきりだったので、親兄弟ですら、彼の心情を察する事の出来た者は、誰も居なかった。 「何故、誰にも話さないんだ?」と言われれば、彼は、こう答えただろう。 「だって、あの時の事を経験した者でなくちゃあ、この気持ちは、とても分からんよ。口で説明出来るようなもんじゃねえ。」と。 豊子と新吉の結婚話が公表されると、部落中が大騒ぎになった。特に、新吉の肉親達は、猛烈に反対し、口々に、一晩中、罵った。結婚そのものに反対したのではなくて、川辺家の財産のすべてを、分家に譲り渡してしまう事、その事が、「間違っている」というのである。 無理もなかった。農地解放で、殆どの田畑を失ったとは言え、広大な山林や、立派なお屋敷は、そのまま残っているのだ。川辺家の財産を熟知している元小作人の新吉一家にしてみれば、「どうせ、すぐ死んでしまうお嬢さん」と結婚するのだから、理由はともかく、相続出来る財産の半分以上は貰うべきだと主張した。青木医師の言う通り、治療のための薬代が、川辺家の財産に匹敵するほどになるとは、誰の眼にも映らなかったのだ。手に入るべき財産を、全部放棄する事を条件に、結婚するなんて事は、絶対、許さねえ、と母親も長兄も(父親は、すでに亡くなっていた)強硬に反対した。 だが新吉は、頑として自説を曲げず、「そういう条件だからこそ、結婚するんだ」と言い張った。とうとう最後の切り札として、肉親達は、縁切りを申し渡した。所謂、「義絶」である。それでもいいと新吉は言って、それを素直に受け入れた。やがて、豊子と新吉は、ひっそりと、部落はずれの隠居小屋で、新婚生活を始めたが、訪れる者は、青木医師以外には、誰一人として居なかった。
二人の暮らしは、当初から、一般社会とは、隔絶していたのである。もっとも、豊子が一人で寝ていた時も、感染を極端に恐れた村人達は、誰も近づかず、金で雇われた隣部落のバアサンが、食事の世話などをするために、通って来ていただけだったから、周囲の状況が、それほど変わった訳でもなかったと言える。
第一章 追憶 ---了---
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「貴女だけには、本当の事を話して置こう。少し長くなるから、疲れたら、聞き飽きたら、いつでも、そう言って下さい。なに、時間は沢山あるんです。それに、今日のうちに、どうしても話してしまわなければならないという訳でもないし、ゆっくりと時間をかけて話しましょう。その方が、俺にとっても、いいんだから、・・・」 青木医師の計らいで、戸籍上の結婚をした豊子が、新吉の献身的看護を受けるようになってから、六日目の朝だった。新吉が、横浜の闇市から仕入れて来た肺結核の特効薬・ストレプトマイシンが効いてきたのか、今朝は特に、豊子の容態が良かった。朝食も、いつもよりは多めに、喉を通った。食事の後片付けや何やかやを終えて、新吉の手が空いた頃を見計らって、豊子がせがんだ。 「誠治、・・兄さんと、・・何が、・・あったの。・・教えてぇ、・・・」と。 新吉は、豊子の様子に気遣いながら、ゆっくりと、話し始めた所であった。 「貴女も知ってる通り、誠治さんと俺とは、幼馴染だった。でも、誠治さんが中学に通い、俺がK市の饅頭屋に奉公に出された頃には、俺達の間には、遠い隔たりが出来てしまった。普通は、それでお終いになる所だが、俺達は、そうじゃなかった。戦地で、ばったり出会ったんだ。入隊した部隊も、配属された所も、まるっきり違っていたのに、戦争が負け始めて、フリッピンから少しづつ撤退して来て、或る島に集結した時、俺の部隊も、誠治さんの部隊も、人数が減ったために、一緒にされて再編成された。その時初めて出会ったんだ。『良く生きていたなあ』って、二人で抱き合って喜んだもんだ。」 「でも、その後が、ひどかった。闘っては負け、負けては後退し、島から島へと渡って、逃げるばかりだった。食料はなくなるし、ジャングルの中ばかり歩くので、大勢の兵隊が、病気になった。当然、病人は連れては行けないのだから、置き去りにされるのだが、見捨てられるだけなら、まだ良かった。捕虜になって、何かを喋られては困ると思った日本の軍隊では、昔から、『捕虜になるくらいなら、自殺しろ』と教え込んでいたから、置き去りにされた病人は、自殺する者が多かった。」 「自殺も出来ないような病人は、手を貸して、無理やり死なせた。そういう役目を命令された下士官が、必ず一人は、部隊が移動した後に残るんだ。ひどい話さ。俺もマラリヤに罹って、高い熱を出し、おまけに、変な物を食ったせいで下痢がひどくて、動けなくなっていた。明日は部隊が出発するという夜、誠治さんが俺の所に来て、こっそり耳打ちしてくれた。」 「『いいか、良く聞け。明日は、お前はここに置き去りにされる。他の病人と一緒にな。その警護という名目で、大岩軍曹が残るが、本当は、部隊が出発した後、すぐに、お前達病人の息の根を止めろという命令を受けている。だが、俺が大学で勉強した国際法という法律では、捕虜は、決して粗末には扱わない事になっている。お前がこれまでに教えられた事は、みんな忘れて、俺の言う事だけを信じろ!みんなで力を合わせて、何とか大岩軍曹のする事を阻止して、アメリカ軍がくるまで生き延びろ!捕虜になれば、国に帰れる日もあるのだと思え!お前にも、薄々分かって居るだろうが、もう少し経てば、日本は、戦争に負けて降伏する。その日まで、何とか生き延びて居れば、俺も、国に帰れるだろうと思ってるんだ。だから、何としてでも、生き延びる工夫をしろ!殺されるな!生きろ!生きて国に帰れ!分かったな!・・・』ってね。」 「俺は、熱に浮かされながらも、誠治さんの言葉は、はっきりと覚えていた。翌日、部隊が出発して行ってから、三十分も経たないうちに、大岩軍曹は、病人全員に自決を命じた。銃剣で胸を突けって言うんだ。出来ない重病人は、無理やり両手を添えさせて、大岩が、力づくで胸に銃剣を突き立てた。俺は、それを見て、身震いがした。日本人が、同じ日本人の、しかも同じ仲間だった兵隊を殺すなんて、あまりにも、ひどすぎると思った。何も無理に殺さなくたって、そのままにして置いても、どうせ助からないと、はっきりわかるような病人さえも、そうしたんだ。俺には、大岩軍曹が、地獄の鬼に見えた。」 「俺は決心した。『何とか大岩をやっつけよう』と。隣に寝ていた石井純一という戦友と打ち合わせて、俺の所に来た大岩の足を捕まえさせて、俺が隠し持っていた銃剣で大岩の腹を刺し、二人がかりで、ようやく殺してしまった。その時は、そうする事が正しいと信じて、無我夢中でやってしまったが、後で、よくよく考えてみれば、大岩だって、命令されていたからこそ、あんな事をやったんで、彼自身は、ガチガチの軍人だったから、命令に忠実だったというだけで、本当は、鬼でも何でもなかったんだ。そう分かってみると、今度は、俺だって、やむ終えない事情だったにしろ、同じ日本人を、この手で殺してしまったのだ。罪の重さは同じなんだと思った。」 「名誉の戦死という事にはなっていても、同胞の手によって、命を絶たれた人達も、かなり居る筈だと思う。少なくても、俺は、そう思えるだけの悲惨な経験をしたんだ。まあ、それはともかく、その時、自殺しなくて生き長らえた病人は、十五人居た。だが、アメリカ軍が発見してくれるまで生きていたのは八人、その後も生き延びて、無事祖国の土が踏めたのは、俺と石井と井上って奴と水上の、たった四人だけだった。でも、貴女の特効薬を手に入れる道を教えてくれた石井も、俺も、どうしても、あの大岩を殺した時の光景が、忘れられないんだ。」 「自分が生き延びるためだったとは言え、この手で、同じ仲間の日本人を殺したという罪の重さが、どうしても、心の奥底にあって、平凡な幸福な生活に落ち着く事が出来ないんだ。自分自身で、自分が許せないんだ。こんな気持ちって、普通の人には、分からないだろうね。貴女を看病したいと思うようになったのも、確かに、誠治さんへの恩返しという気持ちもあるけれど、本音を言えば、俺の罪の償いのためなんだ。こんな事でもしていなければ、俺は、生きてはいけないんだよ。だから、俺のためにも、良くなって、命を永らえて欲しい。一生、面倒を見させて欲しい。お願いだ。頼むよ。・・・」 長い時間をかけて、ゆっくり少しづつ思い出しながら話し終えた新吉の眼には涙が光っていた。それを見ていた豊子は思った。
「こんな深い悲しみを背負って生きている新吉さんに較べれば、私の苦しみなんて、大した事じゃないんだわ。もっと頑張らなくっちゃ、・・・」 「ねえぇ、新ちゃん。・・・お願いが、あるんだけど、・・・」 「うん?なんだい?・・・言ってごらん?」 「私達、・・結婚、・・したんだから、・・・そのぅ、・・・あのぅ、・・・こんな、・・身体で、・・いやで、・・しょうけど、・・・つまりぃ、・・・そのぉ、・・・ほんとの、・・お嫁さんに、・・してぇ、・・・・・・」 「ああその事か。大丈夫だよ。青木先生に、ちゃんと聞いてあるから。貴女の身体の状態が一番いい時に、胸に負担の掛からない方法でするように教えてくれた。これは、その時に青木先生が言った事だから、恥ずかしがらずに聞いて欲しいんだが、あの先生の言うには、あれをする事によって、俺の力が、貴女の身体の中に入って、栄養注射をしたのと同じ働きをするのだそうだ。どのくらいの効果があるのかは、先生にも分からないって言ってたけど、とにかく、十日に一度ぐらいなら、そのぉ・・・なにをしてもいいって言われた。その上、これは、ずぅーっと続けるようにとも言われて居る。だから、心配しなくてもいいんだ。貴女が、自分の身体の調子がいいと思った時に言ってくれれば、俺の方はいつでもいい。但し、十日に一度だけだよ。」
「ウッフッフッフ、・・・・・・おかしな、・・夫婦ね。・・私達って、・・・それから、・・新ちゃん。・・いつも、・・私のこと、・・貴女、・・あなたって、・・言ってるけど、・・・それって、・・おかしい。・・・豊子とか、・・とよちゃんとか、・・呼んで!・・ね!・・・」
だが、まだまだ油断は出来なかった。体力が回復してきたら、受けるべき手術が、最後の難関として残っていた。背中の肋骨を少し切り取って、結核菌によって食い荒らされた右の肺に、出来てしまったミカンの大きさぐらいの穴を、押しつぶして小さくする手術なのである。その手術を済ませて、その後の経過が良ければ、普通の生活が出来るようになると、青木医師が断言した。無論、普通と言っても、肺活量が普通の人の半分ぐらいしかないのだから、肉体的には、半病人のままという事だが、それでも、お勝手仕事をしたり、歩き回ったりは出来るだろうという話だったのである。 「それは、特効薬・ストマイのせいだ。アメリカでも、そういう実例はかなりあるらしい。これだけは、今の医学では防ぎようがい。」と言われてしまった。 その異常とは、耳が聞こえなくなって来たという事である。所謂、難聴で、全く聞こえなくなってしまった実例の方が多いとも言われた。何でも包み隠さず話すという夫婦間の約束事がある以上は、新吉は、青木医師の言葉を、そのまま豊子に伝えた。筆談を交えて、・・・彼女自身も薄々は感づいていたらしく、その話を聞いた時、驚いた様子もなくこう言った。 「私ね、病院に、いる時から、そうじゃ、ないかなぁって、思ってた。病院で、療養所に、入ったらって、言われた、あの時、新ちゃんと、一緒に、暮らしたい、からって、断った、けど、ほんとは、看護婦さんや、ほかの、人達とお喋りする、ってことが、出来なく、なるんじゃないか、って、思ったの。耳が、聞こえない、ってことは、そういう、苦しみが、あるってこと。おおぜいの、人の中で、暮らせば、・・・私、新ちゃんと、なら、耳が、聞こえなく、たって、楽しく、暮らせるわ。そりゃぁ、風の、ざわめきとか、小鳥の、さえずりとか、聞こえないのは、それだけ、楽しみは、なくなるわ。」
「でも、私、生きてるの。眼は見えるし、手や、指も、ちゃんと、動くわ。それにね。私、新ちゃんの、言う事、だけは、分かるの。口の、動きでね。だからね、新ちゃんの、言う通り、私たち、炭焼きに、なって、それで、一生を、送るのなら、いっそのこと、山奥で、暮らしたら、いいと、思うの。その方が、誰にも、会わなくて、私は、気が楽だわ。・・・」
第二章 夫婦 ---了---
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十四年が経った。日向部落の人々だけではなく、誰もが、新吉夫婦の事は、忘れてしまっていた。その消息を知る者は、炭問屋・望月商店の社長、望月栄之助ただ一人だった。新吉の焼いた木炭を一手に引き取る代わりに、二人の暮らしのための食料などの一切を補給していた。 無論、炭にする原木の雑木林を買い取って、新吉が炭を焼く作業だけに専念出来るように手配してやる事も、彼の仕事の内で、言わば、新吉は、望月商店の下請けのようなものであった。物欲のない新吉夫婦は、栄之助にとっては、大変な儲けの種だったから、新吉の望む 事は、何でも、言う通りにした。 「誰にも、自分達の居場所を教えないでくれ」と言われていたから、栄之助だけの秘密として、決して口にはしなかった。もっとも、新吉の事を尋ねてくる人など、誰もなかったせいもあったが、・・・ こうして、世間から隔絶され、ひっそりと、深い山奥で、自然の中に溶け込んで生活し始めると、聴覚を失い、半人前の体力しかない妻と一緒でも、新吉には、この上もない「至福の日々」であった。夜明けとともに起き出し、暗くなれば寝てしまう、まるで原始人のような生活、汗水流して精一杯働く毎日、無論、電気はなく、ラジオすら聞かない日々、それでも、充分に満ち足りていたのである。 ここで少し、炭焼きの仕事について、説明して置こう。木炭の原材料となる木は、ナラやクヌギなどの所謂雑木である。山の雑木林(ざつぼくりん)だけを買い取って、それを木炭にするのが、「炭焼き」という専門的職業なのだ。炭にする山が決まると、先ず原木の集めやすい麓の、少し平らな所を選んで、炭を焼く窯を築くのだが、炭には、白炭と黒炭との二種類があり、作り方も違えば、窯そのものも 違う。 白炭は、白っぽい色をしていて、固くて叩くと金属的な音がする。焼き鳥屋などで使われている「備長炭」は、その代表的な物だ。火もちが長く、火力も強いが、火をつけるのに手間取る。昔、火鉢やコタツなどしか暖房の方法がなかった時代には、この白炭が何処の家庭でも使われていた。 黒炭は、真っ黒で柔らかく、マッチ一本でもすぐに火がつく便利さがある。茶道の席などで広く使われ、近頃では、脱臭剤としての用途も出て来たから、炭と言えば、これしか知らない人が多い。 白炭を作るには、窯を築いた最初に、炭にはならない細い枝を窯の中入れて火をつけ、燃え尽きるまで置いて良く窯を熱する。燃え尽きたら、その灰をかき出して、まだ窯の熱い内に、原木を入れるのだが、1.5メートルぐらいに切り揃えた原木を、先端をY字型にした長い鉄棒を使って、熱い窯に中に入れて、立てて並べるのだから、どうしても男が二人以上居なければ、出来ない仕事である。(きちんと立てて並べないと、良い炭は出来ないし、一度で出来上がる量が違ってくる。熱い上に、力が必要な仕事なのだ。) 窯一杯に原木を入れたら、窯口(かまぐち)を小石と水でこねた土で急いでふさいで、一ヶ所ちいさな穴を開けて火をつけ、火がついたら、その穴もふさぐ。(こういう作業のために、窯口は出来るだけ小さくしてある。)それから三日ほどして、蒸し焼きの状態になった頃を見計らって、窯口を少しづつ開いて空気を入れると、窯の中が真っ赤になる。その真っ赤になった原木を、長い鉄棒で一本一本取り出して、土をかけて急速に冷やす。言わば、日本刀に焼き入れをする作業と同じ事をするのだから、固い炭が出来上がるのだ。こういう一連の作業のため、白炭を作る窯は小さいが、何回も短い期間に(窯の熱い内に)繰り返し使えるように頑丈に築くし、複数の男手も必要なのだ。 これに対して、黒炭の製造方法は、しごくのんびりしたものである。先ず、窯の大きさが、白炭用の窯の三倍以上はある。原木を窯に立てて並べる時も、それを取り出す時も、すべて窯が冷え切ってから行う。蒸し焼きにする期間も二十日ぐらいかけて、ゆっくりじわじわとやる。焼き終わっても、窯全体が冷え切るまで、何もしない。そのために、簡単な屋根さえも、窯の上につけるのだ。だから黒炭は、白炭のように時間に追われるたり、熱くて力の要る仕事ではない換わりに、日数がかかり、炭の値段も安いという欠点があった。でも、こうした作業なら、新吉一人でも充分やって行けたから、当然、新吉の焼く炭は黒炭だったが、だからと言って、仕事が暇な時はなかったのである。 原木の切り出し、窯のある場所までの運搬、長さを揃えて切り取る、大きさを揃えるために割る、というような作業から始まって、荷駄馬が登って来られる山裾の場所に作った臨時の集荷所まで、出来上がった炭を詰めた俵を、四・五俵づつ背負子で背負って降りて行ったり、やらなければならない事は、いくらでもあった。
一方、豊子も遊んでいる暇はなかった。新吉に厳しく言われていたので、炭焼きの仕事には、一切手を出さなかったが、炭焼き窯の近くに作った住居用の小屋で、三度の食事の仕度をしたり、ネコの額ほどの畑で野菜を作ったり、新吉が水を入れてくれたドラム缶の風呂の火を絶やさないようにしたりとか、ワラビやセリなどの山菜取りから、山吹イチゴや山ブドーなどの果実取りまで、慣れてくれば、やりたい事、やらなければならない事は、一杯あったのである。耳の聞こえない事など、少しも不自由はなかった。そこには、幸せな日々だけがあった。豊子が自ら選んだ道は、正しかったと言えるだろう。こうした平穏な、しかし充実した日々が、十四年という歳月を刻んだのであった。 「無事だったのか!・・・・・・良かった!よかった!心配してたんだぞ!・・・・・・奥さんも無事なんだろうね?・・・そうか、そうか、ともかく良かったなあぁ!・・・今朝、あんたの山を見に行って来たんだが、まさか、あの有様の中で、無事で居ようとは、思わなかったよ。『オドロキ、モモノキ、サンショノキ』だね。あの物凄い山崩れを、どうやって逃れたんだい?・・・・・・なにぃ?・・・前の日に、反対側の天狗岩の所に非難していたぁ?そりゃまたどうしてぇ?・・・何となく危険を感じたぁ?・・・・・・ああ、分かった!例の奥さんの霊感ってやつだろう!・・・そうだな!そうに違いない!」 「なるほどねぇ!・・・大したもんだね!・・・これほどまでとは思わなかったよ。・・・まったく、もう、『オソレ入谷ノ鬼子母神』だね。いやいや、誰にも言わないよ。あんたと俺との『男同士の約束』だからな。言わないけど、たまげたよ。まったく、・・・・・・ああ、集荷所の炭かい?あんなもの、大した損害じゃないよ。たかが知れてるよ。心配しなさんな。それよりもだ。この前から言おう言おうと思っていた事なんだが、どうだね、この際、思い切って炭焼きを辞めたら?・・・いえなにね、正直な所、あんたには随分と儲けさせて貰ったが、時代が変わってね。今じゃぁ炭が要らなくなってしまったんだ。何もかも電気でやるようになっちまったんだ。」 「飯は電気釜で炊き、電気コタツで温まるご時世になって、炭なんか見向きもされなくなったんだよ。あんたらが、山に閉じこもったままのこの数年間に、世の中が大きく変わったんだよ。どうしようもないよ。炭の商売は、もう終わりなのさ。それでね。あんた達が入っていた山の裏側の方に、『涸れ沢(かれさわ)』っていう部落がある。俺の遠い親戚の家が、そこにあったんだが、三年前から誰も住んで居ねぇんだ。無理はねぇやな。あんな山奥の不便な場所に住もうなんて物好きな奴は、今の若いもんの中には、一人も居ねぇや。俺だって、正直言やぁ嫌だもん。すったもんだの挙句の果てに、七代続いた家を、俺が買い取った。ただ同然の安値だった。」 「なぁーに、いつでも立派に住んで暮らせるよ。手を入れる必要はねえくらいだ。田畑も少しはあるし、どうだい?あんた達二人、そこに住んで見ねえか?新さんの仕事は、国有林の手入れをする営林署の常雇(じょうやと)い、現場作業員ってわけ。一生それで食って行けるよ。話は、ちゃんとつけてあるんだ。どうだろう?悪い話じゃねえと思うがね?いやいや、これは、昔っから、たんと儲けさせて貰った俺からの、ほんのお礼の印だ。このくらいの事はしないとね、俺だって後生が悪いやね。俺の眼の黒いうちに、そうして置かないと、大威張りで、あの世に行くって訳には行かないからね。」
「そういう意味でも、今度は俺の言う通りにしてくれよ。頼むからさ。そうかそうか、奥さんに相談してから決めるか。俺の方は、いつでもいいよ。住民登録やなんかの一切の手続きは、俺の方でやってやるからね。なんの気兼ねも要らないよ。分かったね。良い返事を待ってるよ。」 だが、豊子の場合、聴覚を失ってからの事らしい。彼女自身、幼い頃から、そんな経験をしていたというような記憶は、全くない。すべての音が消えてしまった、深海の底の沈黙の世界に居ながら、言葉を必要としない大自然の中で、原始的生活をし始めた時、聴覚の代わりとして、予知能力が身についたのではなかろうか。一番初めは、炭を焼くための窯を築く場所に迷った新吉が、何気なく豊子の意見を聞いた時だった。はっきりとした断定的な見解を言った彼女の言葉に、新吉は思わず『占いの巫女さんみたいだ』と笑ったが、結局は、豊子の言う通りにした。 その時は、妻を大切に思う心がそうさせたのだが、窯のすぐ近くの木を『切らないで』と言われて、切らずに残して置いたのも、その気持ちからだった。だが後日、その木が、危うく窯を壊しそうになった落石を防いでくれたり、窯を築くつもりで居た最初の予定地が、落石で埋まってしまったのを見て、豊子の予知能力を『本物だ』と、新吉は悟ったのであった。山崩れの時も、前日の夕方になって、『ここは危ないから、向うの山のあの岩の陰で寝ましょう』と豊子が言い出したため、土地の人々が『天狗岩』と呼んでいる大きな岩の下の窪みで、一夜を過ごしていたら、明け方近くになって、大規模な山崩れが発生したのであった。
何もかもが、すざまじい勢いの土石流に飲み込まれて行くのを、目の当たりに見た新吉は、今更ながら、豊子の予知能力に驚嘆したが、それを誰にも言うまいと決心した。半人前の体力しかない彼女に、何の負担もかけたくなかった。他人に知れれば、必ず、彼女の予知能力を頼って尋ねてくる者が出てくる。それは、必然的に、豊子の体力を消耗させる事になると思ったからであった。 新吉達の生活のリズムは、以前と少しも変わりはなかった。朝は薄暗いうちから起き出して働き、夕刻、暗くなれば寝てしまうという原始的な生活が、彼等の長年のリズムだったから、二人とも、それで充分満足していたのだ。電気の引いてある家に住むようになったからと言って、あえて、それを変える気にはなれなかった。第一、耳の聞こえない豊子には、ラジオもテレビも、必要のないものだった。また、一日中、山に出かけている新吉も、そんな物は欲しいとも思わなかった。雨が降った時や、普通の休日の日でも、新吉には、こまごまとした雑用があった。板壁の修理とか、作業道具の手入れとか、家の中の片付け、庭の手入れ、等々、テレビなど見ている暇はなかったのだ。 「寸暇を惜しんで働く」という習慣が、この夫婦には、身についていたのであった。その上、都合のいい事に、この家には、煮炊きのためのカマドや囲炉裏が昔ながらの姿で残されていた。そのための薪や粗朶さえも、納屋に積んであったのである。食器洗いや洗濯のための小さな用水路までも、庭の片隅で水の流れを絶やさず、慎ましやかに、せせらぎの音を立てていた。都会に憧れる若者達には、不便極まりないと見えたこの家の環境のすべてが、二人には、好都合に出来ているように思えた。彼等の今まで通りの暮らし方が、そのまま出来るのだ。こんなありがたい事はなかった。 電気炊飯器や電気洗濯機などの電化製品を、一切使わずに長年暮らしてきた二人にとっては、この昔ながらの暮らし方が、一番、性に合っていた。こういう場所を提供してくれた望月社長に、改めて感謝していたくらいであった。その望月社長が、引越しの祝いと称して持ち込んだ中古の冷蔵庫だけは、ただ一つの例外として、何かと便利に使ってはいたが、暗くなっても、電灯の明かりの見えない新吉達の家は、村人達には、かなりの貧困家庭と見えたらしい。付き合ってくれる人は、誰も居なかった。たった一人の老婆を除いては、・・・ だがしかし、その事は、他人との会話が苦手な豊子にとって、願ってもない事だった。むしろ喜んで、山奥に居た時と同じような世間から隔絶した生活を楽しんでいたのである。それでも、人里(ひとざと)で暮らすためには、最低限必要と思われる事だけはしていた。それは、新聞を購読する事である。いや、「購読」ではなかった。二人とも、世の中の出来事には興味がなかったから、殆ど読まないのだが、新聞紙そのものが必要だったのだ。
新吉の弁当の包み紙にもなったし、白菜などの保温のための包み紙にもなった。火をつける「つけ木」代わりにもなったし、鼻紙や便所紙にもなった。(山中では、木の葉などで済ませていた事でも、人里では、そういう訳には行かない。)こうして、世にも稀な「変わり者の夫婦」(村人達は、陰で、そう呼んでいた)の、新しい日々が始まったのである。
第三章 奇禍(きか) ---了---
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一年近く経った或る日の夕方、新吉が仕事から帰って見ると、部落中が大騒ぎになっていた。朝早くから、山菜取りに山に入った初老の男が、行方不明になったという話である。 色々な事情から、部落(むら)を出て町に住むようになった人達の心の奥底には、山への郷愁が根強く残っていて、春先には、ワラビやタラノメ取り、秋には、キノコ取りや、クリ拾いを楽しむために、まだ充分生活出来る元の家を別荘がわりに、時折、泊りがけで帰って来る人達が居た。そういう人々は、大概、土曜日の夕方やって来て、まだ残っている近所の家々を訪れ、酒を酌み交わして、昔話に花を咲かせ、翌朝には、早くから山に入って行く。子供の頃から遊び慣れている山だから、「勝手知ったる自分の庭」のようなものだが、それでも午後には必ず戻って来て、又、町に帰って行く。月曜日の勤めがあるからである。 だが、その男は、「休みが取れたから、・・・」と言って、金曜日の夕方来て泊まり、翌日の早朝出かけて行った。「二晩泊まりで来た」という話を聞いていた近所の人達は、その日、かなり遅くなるまで、山から戻って来ない事に気がつかなかった。夕暮れ近くに、町に残っていた家族からの電話があって、初めて、「まだ戻っていない」と分かったのである。乗って来た自動車が、そのままあるのだから、町に帰ったとは思えなかった。隣家の老婆が心配して、村中にふれ回り、隣の部落にも応援を頼んで、大勢で、山に探しに行くという所に、新吉が帰って来たという訳であった。 とりあえず家に戻った新吉は、耳が聞こえないために、そんな騒ぎを知らずに居た妻に、顔を真っ直ぐ向けて、ゆっくりと話してやった。こうする事で、新吉の口の動きを読む豊子には、夫の言葉だけは理解出来たのである。 「北の窪(きたんくぼ)のヨシバアサンの隣の家の人が、山に入ったきり戻らないんだそうだ。これから、みんなと一緒に山に探しに行く。遅くなると思うから、先に寝てろ。なに?晩飯か?・・・大丈夫だ。炊き出しをしているから、そこの握り飯を貰うよ。」 「ちょっと待って!ヨシバアサンなら、山神様の事を教えてくれた人でしょう?だったら、私にも手伝わせて!家の祠の山神様に、お伺いしてみるから、少し待ってて!」
豊子はそう言うと、庭の片隅に祭ってある祠の前に行き、跪いて手を合わせ、一心に祈り始めた。 特に豊子は、三途の川を渡りかけた所を、運命的な出来事から新吉に助けられ、聴覚を失ったとは言え、それなりの幸せな日々を過ごしている今の自分を、どう考えてみても、「神様のお陰で、生きさせて貰っている」としか思えなかった。その素朴な信仰心は、長い間に深まって行き、ゆるぎなき物となっていた。だからその時は、すぐさま、その場所を綺麗にして、改めて、この家の、そして二人の「守護神」として祭って、毎朝二人揃って手を合わせて拝んでいた。 それから幾日か経った或る朝、ひょっこりヨシバアサンが尋ねて来て、二人と共に、その祠を拝んでくれた。そして、この祠のご本尊様が、「山神様」である事を教えてくれたのであった。 「このムラの者(もん)はようぅ、みんな山仕事で生きとった。キコリ、スミヤキ、テッポーブチ、どいつもこいつも、みんな山のお陰で食ってたんだが、どんなに慣れた山でも、毎年、誰かどうか、怪我したり、おっ死んじまったりした。山は怖(こえ)ぇ所(とこ)だ。山神様のお庭だからだ。そのお庭に入らせて貰って、ムラの衆は、生きていた。だから、昔っから山神様のお慈悲にお縋りするために、何処の家にも祠があって、大切(でえじ)にお祭りしてたもんだ。ここん家(ち)のこの祠も、その一つだ。良く綺麗に祭ってくれたなあ。おらぁそれが何よりも嬉しい。決して粗末にしてはなんねぇんだ。神様ちゅもんは。今の若けぇもんは、山神様の事なんか、まるっきり忘れっちまっとる。情けねぇこんだがよぅ。・・・・・・」
こんな話をしながら、ヨシバアサンは、ほろりと涙を流していた。 やがて捜索隊に加わった新吉は、「俺に心当たりがあるから」と言って、二・三人の人と一緒に、豊子の言った場所に直行して、遭難者を救出して来た。「やはり、長い間、山で暮らしてきた人は、流石に違うもんだ」と、人々は褒めそやしたが、新吉はただ黙って苦笑いしているばかりだった。「人の噂も七十五日」と良く言われるが、村中を騒がした大事件も、ようやく忘れられかけた或る雨の日、新吉が休みの時を見計らったように、ヨシバアサンが尋ねて来た。 「こんな事言っちゃぁ旦那さんに悪いんだけんど、今度の事(こん)は、本当(ふんと)は、豊ちゃん、あんたが占ったんだべぇ?・・・ムラの衆は、みんな、旦那さんのお陰だっちゅうて居るけんど、おらぁ最初っから、そんな筈はねぇと思ってた。このムラの者(もん)でせぇあんな場所は、見当もつかん。ましてや、ついこの間っから、ここに住むようになった旦那さんが、いくら山のペテランだからっちゅうても、そうそうすぐに分かるもんではねぇと、おらぁ考えた。ふんじゃぁ誰なら分かるかっちゅうと、思い当たるもんは、豊ちゃん、あんたしか居らん。」 「あんたが『山神様のお告げ』を聞いたからこそ、分かったんじゃ。な、そうじゃろう。そうに違いない。そこまでは、おらのこのバカな頭でも考えられたが、じゃぁ、どうしてそんな事が出来るかっちゅうと、これがまた難しい。あんたは、耳が聞こえんらしいが、それだけなら、『山神様のお告げ』が聞ける訳はねえ。おらぁ、この歳になるまで、聾を幾人か見ているが、こんな事の出来る奴は一人も居らなんだ。誰にでも出来るこっちゃねぇんだ。だから、『お告げ』の聞けるあんたは、『山神様の巫女さん』なんだ。神様にお仕えする巫女さんでなければ、『神様のお告げ』は聞けんからな。」 「いやいや、心配せんでもええ。この話は、誰にもしとらん。話したって分かる奴ぁ、今じゃ一人も居らん。情けねぇこっちゃがな。そんでな。遠い遠い昔、おらがまだ小っちゃかった頃、おらのバアサマから聞いた話を、是非聞いて貰えぇてぇと思ってな。こうしてわざわざやって来たちゅう訳だ。あんたらなら、この話を信じて貰えぇるだろうからな。・・・」 ヨシバアサンの話は、何杯も何杯も、お茶のお代わりをしながら、際限なく続けられた。まるで、胸の中にあるもののすべてを吐き出すように、熱っぽく、とつとつと、喋り続けた。聞いている新吉達には、それが、ヨシバアサンの人生そのもののように、聞こえたくらいであった。 「おらの生まれた所(とこ)は、山一つ向こうの、神住川(かんずがわ)ちゅう川の中ほどにある小縄(こなわ)ちゅう部落(むら)でな。その神住川の一番どん尻に、神住ヶ原(かんずがはら)ちゅう所(とこ)があるだ。おらも二・三度、バアサマに連れられて行った事(こん)があるが、行くったって、神様に捧げるお供物の、塩やら味噌やら大根(でぇこ)や菜っ葉を、一杯(いっぺぇ)背負(しょ)って、十五里ぐれぇ歩くんだぞ。それも山坂を登って行く道だ。」 「大変な事(こん)だった。子供のおれと、年寄りのバアサマにとってはな。神住ヶ原ちゅう所(とこ)は、山崩れの後みてぇに、岩や石がごろごろしている小っちゃい平地でな。その片隅に、山神様の神社があった。モヨさんちゅう巫女さんが、たった一人で住んでいて、神社をお守りしていたらしい。なんしろ、一番近えぇムラでも、五里はあるちゅう所だ。そんな場所に、たった一人で住んでる女の人なんて、おらぁ恐ろしくて、顔もろくろく拝めなんだから、どんな人だったかは知らねぇ。もっとも、バアサマだって、まともに見た事ぁねぇらしい。いつでも、薄い白い布を被っているから、年取ってるんだか若いんだか、さっぱり見当もつかねぇって、バアサマが言ってた。」 「バアサマだけがお社に入(へぇ)って、なにやら占って貰っている間、おらは、すぐ傍(そば)の河原で遊んでいた。河原って言ったって、水がちょろちょろ流れている沢のような所(とこ)で、小さな『サンショウウオ』が一杯(いっぺぇ)居たっけ。バアサマに、『サンショウウオは、神様のお使いをする魚だから、決して取ってはならんぞ』と厳しく言われていたから、捕まえはしなんだが、追いかけたり、水をかけたりして遊んでいたのを、良く覚えているよ。水がやたらに冷たくって、あんまり手を入れていられなんだなぁ。」 「七十年も昔の事(こん)だから、その神社が今でもあるかどうか、おらは知らねぇが、モヨさんちゅう巫女さんも、もうとっくに死んでしまってるだろうし、第一(でぇいち)、山神様のこんを忘れっちまってるこんなご時世じゃぁ、お参りする人もねぇだろうよ。ま、それはそれとしてだ。こいつぁ、おらのバアサマが、その前のバアサマに聞いた話なんだから、ずぅーっとずぅーっと昔の話なんだ。子供の頃聞いていたんだけんど、今まで忘れとった話だ。この間の事があって、豊ちゃんが巫女さんだって気付いた時、ふと思い出したんだ。子供の頃に聞いた話って、案外忘れんもんだな。こんな歳になって、思い出すなんて、不思議なもんだよ。・・・」
ヨシバアサンの話は、とめどなくあっちこっちに寄り道をして、新吉は、苦笑いをしながら聞いていたが、耳の聞こえない豊子にとっては、バアサンの口の動きを見て、話の本筋を理解するのには、その方が都合良かったらしく、あくまでも熱心に、バアサンの口元を見つめていた。それにしても、奇妙な昔話だった。 或る年の晩秋の或る日、人々が稲刈りで大忙しをしていた時、瑞江はサキと鬼ごっこをして、屋敷の庭中を飛び回っていた。普段は、誰かが必ずそばに居て、見守っているのだが、その日は、「ネコの手も借りたいくらいの忙しさ」で、乳母も、年老いた下男も、農作業の手伝いにかり出され、二人の動きを注意して見ている大人は、誰もいなかった。だからという訳でもなかったが、二人は、自由奔放に、夢中になって駆け回っていた。 そして遂には、「その周囲(まわり)には、決して近づいてはいけない」と、厳しく何回も言い聞かされていた場所に、うっかり足を踏み入れてしまった。そこは、立花家の守護神を祭った祠のある場所で、庭の築山の頂上の榊を二本植え込んだ真ん中に、祠が安置されていて、毎朝、当主が供物を捧げて手を合わせ、一家の無事を祈る神聖な場所であった。鬼の番だったサキが、瑞江を探して築山の中ほどまで来た時、突然、「ギャアァー!・・・イタイィー!」という悲鳴が聞こえて来た。 慌てて、築山の頂上付近に駆け登ってみると、瑞江が足を押さえて、泣いていた。ともかくも、瑞江を築山から引きずるように下ろして、助けを呼びに走った。途中で、山のような稲束を背負った五郎に出会い、「お嬢さんが、怪我をした!」と叫ぶと、五郎は、荷物を背負子ごとホッポリ出すと、サキと一緒に駆け出した。「蛇に噛まれた!」と、瑞江が泣きながら言うと、五郎はその傷口に吸い付いて、血を吸っては吐き出す事を、何回も繰り返した。その間にサキを叱り付けて、人々の居る田んぼまで走らせた。 やがて親達が駆けつけて、瑞江を座敷に運び、手当てをしたが、噛み付いた蛇がマムシらしいと分かって、下男下女に至るまで、この家のすべての人々が、沈痛な顔つきになった。無論、庄屋のこの家には、マムシの毒に効くという常備薬はあったが、久しく使った事がないので、果たして、どのくらいの効き目があるのか、誰にも分からなかった。十里も離れた町へ、医者を呼びに走らせたが、それだけでは心もとなく、誰言うとなく、「神住ヶ原の山神様の巫女さんの所に、マムシに良く効く秘伝の薬があるそうだが、・・」という話が出て来て、「誰か貰いに行け」という事になった。 「岩雄と五郎が、先月、供物を収めに行って来たばかりだから、こんな夜中でも大丈夫だろう。二人に行かせろ」と決まった。早速、父親の当主が手紙を書き、それを持って二人は慌しく出発した。日はとっぷりと暮れていたが、幸い月が明かるく夜道を照らしていたから、二人にはそれほどの苦労はないように見えた。 だが、瑞江の命を救いたい一心の五郎の足に運びは、ともすれば、速くなりがちで時折、岩雄が「そんなに早(せ)くなよ」と、声を掛けるくらいだった。それでも、五郎に「もし間に合わなんだら、どうするだぁ!」と怒鳴られれば、いくら年下の者の言う事でも、頭から押さえつける訳にも行かず、ただ、むすっとして、黙って歩くばかりだった。 神住ヶ原の手前の最後の急な坂に差し掛かった時、岩雄は、「おらぁもう疲れた。動けねぇ。五郎、お前(めぇ)一人でも大丈夫(でぇじょうぶ)だろう。一人で行って来(こ)う。おらぁここで待ってる。」と言って、しゃがみこんでしまった。いくら頑丈な身体でも、昼間、目一杯働いた上に、山道を早足で登って来たのだ。疲れるのが当たり前だった。それに、岩雄には、「どうしてもお嬢さんを助けたい」と願う五郎のような強い気持ちはなかった。言いつけられたから、仕方なしに、ここまで来たのだ。「後は、若えぇもんに任せよう」と思ったのも、無理もなかったのである。 山の神の社の中で、五郎はコチコチに固くなって、かしこまっていた。初めて、恐れ多い巫女さんと、二人っきりで対座したのだ。頭を下げたまま、相手の言う事を聞いていた。薄い白い布を被った巫女が、五郎に向かってこう言った。 「お前は、マムシに噛まれたその娘を救いたいと思っているらしいが、本当にそう思っているのか?お前の命と引き換えても良いと思うか?どうだ?・・・はっきり返事をしなさい。それによっては、私が教える事があるのじゃ。どうだ?」 「おれ、・・・どう言ったらいいのか分かんねぇけんど、・・・おれ、お嬢さんが好きだ!お嬢さんのためなら、おらの命なんぞ要らねえ!・・・お願えします!おらの命と引き換えでいいから、どうか、お嬢さんの命を助けてやっておくんなせえぇ!・・・」 「よし分かった。お前の気持ちが、そこまで固まっているのなら、話してやろう。良く聞きなさい。薬は今お前に渡す。だが、この薬で、絶対に治るとは言えぬ。そもそも、お前達は、その娘がマムシに噛まれた事が、たまたま起きた事故だと思っているようだが、そうではないのだ。これは、立花家の守り神が仕組んだ事なのだ。美しく生まれた者が、必ずしも、美しい心を持っているとは限らぬ。その娘の心に、邪悪な気持ちの芽生えがあって、それを知った守り神が、将来、その家の存続を危うくする者と判断し、禍根を断ち切るために、マムシに噛ませて、命を奪おうとしたのじゃ。」 「お前は、ここが何故、神住ヶ原と呼ばれているのか、知って居るか?毎年二回、あっちこっちの山の神様達がここに集まって、祭りをするからそう呼ばれるようになったのじゃ。今年も、明後日の満月(もちづき)の夜に、その祭りがある。だが、立花家の守り神のような『里の神様達』は来ない。つまり、山の神様達と里の神様達との間には、お互いに干渉しないという掟があって、これだけは、私にも、どうする事も出来ぬ。だから、今お前に教えられる事は一つだけだ。それも、仕組んだ里の神様の気持ちが、どう変わるかによって決まる。」 「この薬を父親に渡したら、お前は、立花家の守り神の祠の前で、一心に祈れ!お前の命と引き換えに娘の命を助けて下さいとな。後は、里の神様のお気持ち次第じゃ。お前の祈りを聞き届けて下されば、娘は助かる。お前の命はなくなるが、・・・」 五郎は、喜び勇んで、飛ぶようにして駆け下り、薬を庄屋に手渡すと共に、「家神様」の前で祈る事の許しを願った。だが、巫女さんから聞いた話は、喋らなかった。自分の秘めた恋心を話さなければ、説明の仕様のない事だったからである。ただ一人、「一緒に祈りたい」と、しつっこくせがんだ妹のサキだけには、「俺一人でさせてくれ」と頼んで、納得させるために、すべてを話して聞かせた。
翌朝、瑞江の高熱がようやく下がったので、一家の人々は、ほっと胸を撫で下ろしていたが、その頃には、祠の前で冷たくなっていた五郎に、サキが取りすがって泣いていた。確かに、五郎の願いは聞き届けられた。瑞江の命は助かった。だが、高熱が続いたせいか、幾日経っても、もとの明るい笑顔は戻らなかった。それどころか、奇妙な行動が多くなり、その後の生涯を、座敷牢で過ごす事にさえなってしまった。立花家の守護神は、命は助けても、元どうりには、しなかったのであった。
第四章 巫女(みこ) ---了---
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「人の寿命は、神様のお決めになる事」と言われて居るが、それが何時なのかは、誰にも分かって居ない。だが、何時かは、その時がやって来るのだ。嫌応なしに、・・・ 新吉達の涸れ沢部落での暮らしが十年を超えた時、部落の戸数は、当初あった八戸から、僅か三戸に減っていた。新吉達のように、離村した家に入る人が、一人も居なかったからである。確かに、家並みは、未だあった。だが、田畑も山も、なす術もなく荒廃し、間もなく、太古の自然に戻るように見えた。いくら、田畑が荒れているからと言っても、勝手に手をつける訳には行かない。ちゃんとした所有者がある以上は、面倒な手続きを踏まなければ、他人の土地には勝手に入る事すら許されないのである。部落中の田畑や家屋が荒廃して行くのを見ていても、それを所有する力も欲もない新吉達には、どうする事も出来なかった。 当然、ここではすでに、山神様への信仰は消滅していた。豊子がいくら祈っても、山神様も悲しげに微笑むばかりだった。豊子の心は、急速に萎えていった。或る日、新吉が仕事を終えて帰宅してみると、妻は、布団を被って寝ていた。風邪を引いたらしいと言う。今では、部落まで車が入れるようになっていて、町の診療所に電話をすれば(公衆電話も引かれていた)、お医者さんがすぐ来てくれる手筈になっていた。だが豊子は、「大した事はないから、お医者様は呼ばなくていい」と言った。近頃、次第に元気をなくして行く様子の見える妻を気遣って、「大丈夫か、本当に呼ばなくても良いのか」と、新吉は何度も念を押したが、豊子は笑って見せて、夫をなだめていた。 その夜の事である。
「ねえ、新ちゃん。・・・私、お星様を見たい。」と、眠っていた筈の豊子が、新吉を起こした。寝ていた布団ごと軒先まで引っ張って行って、二人で、綺麗な満天の星空を見上げた。
「さあなぁ、・・・あんまり良く覚えていないなぁ。・・・何しろ、思いが叶って、とても嬉しかったのと、これから、どうしようか
と、一生懸命考えていたからね。・・・」 「新ちゃんが寂しくなるのは分かっているわ。・・・悲しいのもね。・・・私だって悲しいのよ。つらいのよ。お別れするのは、・・・でも仕方がないわ。そういう運命(さだめ)ですもの。・・・分かって!・・・・・・ねっ!・・・・・・今日ね、昼間、居間で繕い物をしていたら、開けてあった縁先から、アカトンボが一匹入って来て、私の胸にとまったの。しばらく、じっと私の顔を見つめて、それからまた、飛んで出て行ったけど、その時、はっきりと思い出したの。ほら!初めて部落(むら)から出て、山奥の炭焼き小屋に、引っ越した時の事!」 「あの時、新ちゃんは、私を背負子で背負って、隣の部落を通って、その向うの部落も通り抜けて、三つか四つの部落を通って行ったでしょう?最後の部落を通り過ぎて、周囲(まわり)に小さな田んぼがある道に差し掛かった時、突然、大きな銀色のトンボの大群に出会ったわね。『ギンヤンマだ!』って、新ちゃんが教えてくれたけど、その時、一匹が、私の胸にとまったの。そして、今日のアカトンボと同じように、頭を上にしてとまり、大きな眼で、しばらくじぃーっと、私の顔を見つめていたわ。その時は、周囲の景色が珍しくって、すぐに忘れてしまって、新ちゃんに話さなかったけど、それって、本当は、大変な事だったのよ。」
「いつか新聞で読んだけど、トンボって、死んだ人の魂(たましい)を運ぶって言われているんですって。『精霊のお使い』として、大切に崇めている土地(ところ)もあるという話だったわ。それでね、私初めて分かったの。ギンヤンマが私の胸にとまったあの時は、兄さんが、私に、生き延びる生命を、持って来てくれたのよ。そして今日のアカトンボよ。あのアカトンボは、『授かった生命を、お返しする時が来たよ』って、知らせに来たのよ。私には、そうとしか思えない。・・・・・・そういう風に悟ったの。 「私、山に帰りたい!山が一番いい!これは、私の最後のお願いだから、是非、そうしてね。でも、心は、いつも、新ちゃんのそばに居るから安心していていいのよ。何か困った事が起きた時には、私の事を念(おも)うのよ。そうすれば、必ず、新ちゃんの夢枕に立って、良い方法を教えて上げるからね。私、楽しかった。いい人生だった。新ちゃんと一緒になれてからが、私の本当の人生だった。ありがとう。新ちゃん。ありがとうね。・・・・・・今夜は、思い出す事が一杯あって、とても眠れそうにないわ。本当に、いい夜ねえぇ、・・・・・・・・・」
新吉は、ただただ涙に咽ぶばかりだった。そして、「今夜は、俺も眠るまい」と決心した。せめて、そのくらいの事はしてやらなければ、・・・と思った。だが、いくら頑健な身体でも、昼間、重労働をして来た上に、普段から、夜になれば、ぐっすり眠ってしまう習慣なのだ。どんなに気張ってみても、一晩中眠らないでいるのは、不可能だった。
そして遂に、思うように身体が動かなくなり、仕事を辞める時が来た。サラリーマンの定年とは違って、肉体労働者は、肉体の衰えが、「定年」として、職を離れる事を決めるのである。仕事を辞める決心をした時、新吉は、すでに七十八歳になっていた。「いよいよ俺も、命の尽きる時が来たな」と、彼は感じた。そして、夢枕に立った豊子の言葉に従って、生まれ育った故郷(ふるさと)・日向(ひなた)部落を見、日向山の墓地に立ったのだった。
新吉の生家も、跡取が都会に出てしまうと、誰もそこに住む人もなく、貧乏だった小作人のボロ家は、たちまち、朽ち果ててしまっていた。日向部落全体でも、毎年のように一軒、二軒と住む人が途絶え、今では、三・四軒の家で、年寄り達が細々と、暮らしているに過ぎなかった。日向山の墓地には、新吉の父母の墓はあったが、いくら立派な石碑が建てられていても、雑草が生い茂り、花のかけらもない有様では、寒々とした光景としか見えなかった。 所持品の中の預金通帳には、かなりの額が残っていたので、「困窮(こんきゅう)のあまり」という理由も成り立たない。その住所の涸れ沢部落の住まいは、すでに朽ちかけていて、長い間、住んでいなかった事が分かり、どうして、方向違いの、こんな場所に来たのかという理由すら、誰にも分からなかった。司法鑑定も、はっきり老衰死と断定されたので、結局は、住所不定の放浪者の変死として、片付けられた。しかし、その死を哀れに思った役場の人が、涸れ沢部落の墓地に残っていた、新吉の妻の豊子の墓の傍らに、彼の遺骨を葬ってやった。
こうして、磯野新吉のすべては終わった。そしてそれと共に、彼の生涯をかけて貫いた一途な愛も、誰一人として知る者もなく、消えて去って行った。
命尽きる時 ---完---
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