屑 文:蛍火
人の才能は、時期(とき)と場所(ところ)を得て、初めて開花するものである。 大空に舞い上がるタンポポの種子の大部分が、根付く事もなしに終わってしまうのと同じように、人の才能も又、時と所に恵まれなければ、ただ徒に涸れ果てて、朽ちて行く。 運命という名の化け物。 堀田繁太は、家では、「どうしようもない屑」と言われていた。 父親は、彼が八才のときに亡くなり、跡を継いだ長兄は、藩の学問所の俊才で、将来を嘱望されていたが、父の死のためやむなく次郎左衛門繁正と名乗って、堀田家の当主になったのである。 次兄の繁忠は、剣の道で頭角を表していたが、病のため、若年のうちに、この世を去った。
三男の繁孝は、次兄繁忠の跡を継いで剣の道で精進して、その才能を認められて良縁を得て、百石の石川家に婿入りした。
他に三人の姉があったが、それぞれ相応な家に嫁いでいて、今はもう堀田家には居らず、母親に甘やかされて育った繁太だけが、まだ長兄の厄介になっていた。 その彼が、何故「どうしようもない屑」と言われるのか、理由は簡単だった。 「もうそろそろ婿入りしてもいいのでは、・・・」という年頃になっても、まだ学問所の成績は、中の中ぐらいで目立たず、道場の成績は、もっとひどくて、最下位をうろうろしていた。
どちらの所でも、いつも兄達と比較され、叱咤激励されるが、一向に改まる気配すらなく、近頃では、すべての人に見放されて、「屑」と陰口を叩かれるようになってしまったのである。 そんな繁太にも、幾人かの味方は居た。何時の世でも、弱い者に同情し、庇う人達が、必ず居るものなのだ。
母親、老僕の仁平、平山重吾郎と曽根松寛四郎の二人の親友、などであった。
親友の二人は同年輩で、学問所も道場も一緒の上に、どちらの成績も似たり寄ったりだった。つまり、「同病相憐れむ」という仲だったのである。 ただ、重吾郎は平山家五十石の跡取りだったが、寛四郎は三男で、このままでは、良い婿の口などある筈はなく、生涯独身で通さなければならない曽根松家の「厄介者」となってしまうのが、目に見えていた。 勿論、繁太とて同じ事で、「厄介者」としての一生を送る可能性は、充分あり得た。
母親は、それを心配して、長い間、口うるさく「励め、励め」と言い続けていたが、近頃では、方針を変えて、婿入りの口を、せっせと探し歩いていた。 そんな母親の苦労など、そ知らぬ顔で、当人はいたってのんびりしていて、周囲の人の心配や激励を他所に、毎日遊んでばかりいた。 若さは、現実の厳しさを見ない。
明日への不安を抱かない代わりに、昨日の失敗もすぐに忘れる。
ただ、毎日の楽しさが、あるだけなのだ。
将来を夢見ない訳でもないが、その夢の実現のために努力するなどという考えは持たない。繁太は元々、奮闘努力する事が嫌いだったのである。 ただ漠然と夢見て、ただ漠然と一日を過ごす。それが彼の日々だった。 或る日、繁太達三人は、学問所の帰り道、誰言うともなく道草をしようという事になって、阿佐川の土手を歩いていた。
たわいもない噂話をしながら、じゃれあっている時、突然、悲鳴が聞こえて来た。 『だれかぁ!・・・たすけてぇ!・・・おじょうさぁーん!・・・・・・』 そのけたたましい声に驚いて、三人が駆けつけてみると、昨夜の雨で、水量の増した川の中ほどに、女の子が浮き沈みしているのが見え、その岸辺では、下女が、半狂乱になって泣き叫んでいた。 とっさに繁太は、書物などの荷物を投げ捨てて、袴を外し、着物を脱ぎ始めた。
『お前等は、帯や何かを繋いで、長い紐を作ってくれ!頼む!』と言いながら、川に飛び込んだ繁太の背に、『がんばれー!』と、声援を送った二人には、繁太に何を頼まれたのか、充分に分かっていた。 二人とも、荷物を放り棄てて川下に走りながら、帯を繋げ、下帯を繋げて、紐を作っていた。寛四郎が手ごろな流木を拾って、先端に結びつけた。 幸い、川の流れの緩やかな所で、女の子は、浮き沈みしていた。阿佐川が大きく右に曲がって、方向を変える場所で、川幅も広くなり、普段でも、澱んでいる淵だった。
深くても、流れが緩やかにさえなっていれば、繁太には、溺れた子を救い出す自信はあった。水泳だけは、他の二人とは違って、かなりの腕前だったのである。 危うく沈みかけた女の子を捕まえて、岸に向かって泳ぎ始めると、すかさず、重吾郎が、紐のついた木を投げた。二度・三度と投げているうちに、繁太の眼の前に、それが届いた。 こうして助けられた女の子が、すぐに医者の所まで運ばれるようになると、見ていた人達も、ぞろぞろと、その後をついて行ってしまった。 残された三人は、互いに見合って、その格好を指さしながら、笑い崩れていた。
協力して助けたという安堵感と、精一杯やったという満足感があった。 その日の夜になって、助けた女の子の家から、かなりの進物を持った男がやってきて、くどくどと礼を言った。
男は、木綿屋の番頭竹吉と名乗り、志津という一人娘が、溺れて死にそうになったのだと話していた。 それに付け加えて、『お嬢様は、今の所、熱を出して寝ていらっしゃいますが、お医者様の話では、「驚いたのと、恐ろしかった事からきた熱だから、一晩寝れば、元通りになる」との事でした。』とも、言っていた。 この出来事で、繁太の株は、急に上がって、堀田家の彼を見る眼が、以前とは違ったものになったのだが、それも、ほんのしばらくの事で、やがて、そんな名誉も忘れられてしまい、元の「どうしようもない屑」に戻ってしまった。 それもその筈である。
本人自身が、それほど大した事をしたとも思わず、その栄誉を長く持ち続けるための努力を嫌って、故意に何もしなかったのだから、当然の成り行きだったのだ。「屑」のままの方が、よほど気楽でいいと考えていたのである。
期待されているという重圧には、幼い頃から弱かったからだった。 繁太が、元の「屑」に戻ってから、二ヶ月ほど経った時、突然、志津の母親が堀田家を訪れた。繁太が出かけている昼下がりの事で、繁太の母に会って、何やら涙まじりに頼んで帰って行った。
その夜、何も知らない繁太は、当主の繁正に呼びつけられた。
「やれやれ、またお小言か」と、毎度の事ながら気が重く、ここの所、こういう回数が少なくなってきて、とうとう諦めてくれたかと、内心ほっとしていたのに、また始まるのかと、戦々恐々として、恐る恐る長兄の居間に入った。 『お呼びにより、まかりこしました。』と、部屋に入るや否や、いきなり繁太は平伏した。とにかく平身低頭して、この災いを(繁太はそう思っていた)逃れる以外にはないと、こういう時には、いつも考えていたからであった。
小言や意見で治るような年頃は、もうとっくに過ぎているのに、それでも相変わらず叱るのは、彼を養っている当主の威厳を示すためと、長兄本人の自己満足のためだと、常々思ってはいたが、口に出せる事ではなかった。 『もそっと、近くに来い。』 と、いつもの渋い顔つきで、繁正が言った。良く見ると、傍らで、母が、にこやかな笑顔を見せていた。 「これは、ひょっとすると、縁談かな?」と、内心では、ほっとしながら、繁太は膝を進めた。 『お前は志津という女子(おなご)を知って居ろうな?』 『はあぁ?・・・』 唐突な質問に、繁太は面食らった。
だが、とりあえず、巧く誤魔化した方がいいと思って、『いいえ。そんな人は知りませんが、その人が、どうかしたのですか?』と、否定した。
こうするのが、無難な答えというものなのだ。こういう事にかけては、繁太は、とっても要領がいいのである。 『お前、もう忘れたのかい?・・・』 母が、怪訝な面持ちで、口を挟んだ。 『でも母上、本当に、覚えがないのですから、致し方ありません。』 『おやおや、物忘れのひどい子ですこと。これでは、学問所の成績が悪いのも、当たり前ですね。そもそも、お前は、・・・』 『母上!今宵は、その事で呼んだのではありませんから、それはそれで、いずれ又、日を改めまして、致しまする故、・・・』 繁正が、慌てて母の口を塞いだ。小言を言い出せば、きりがないほど一杯あるのだから、本来の話を逸らされては困るのだ。 『繁太、お前は、つい先頃、阿佐川で溺れていた女の子を助けた覚えは、あるであろう。その子の名が、志津じゃ。どうだ?思い出したか?・・・』 『はい。思い出しました。・・・あの時の女の子の事ですか。それなら、最初から、そう仰って下されば、よろしかったのに、・・・名前だけでは、記憶にないのは、当然です。』 『おやおや今度は、開き直りですか。
お前は、どうしてこうなんでしょうねぇ。・・・いい事も悪い事も、みんな忘れてしまって、何を考えているのやら、・・・
一体、誰に似たんでしょうかねぇ、・・・』 母の愚痴は、何処までも続きそうだったので、繁正は、それに被せるように、喋り始めた。 『本日、志津の母親が尋ねて来て、母上に、頼み事をして行った。その事を、要約すると、こうだ。
あの時、溺れた時、志津という女子は、右腕を強くどこかに打ち付けたらしく、高熱が出たという事もあって、その腕の傷が悪化したために、とうとう切り落としてしまったという話じゃ。そうでもしなければ、命までも失ってしまうという事でな。そういう思い切った治療の結果、その他の所は良くなって、元通りになったのだが、右腕を失ったという事を悲観して、生きる気力までなくしてしまったらしい。 その女子の母親の言うには、「折角助けて頂いた命を、このまま死なせてしまっては申し訳ないので、何とかしたいと思って、色々と手を尽くしてみましたが、万策尽きてしまいました。」との事だ。それで最後の思案として、お前に、意見をして貰いたいと言って来たという訳じゃ。そうですな、母上。』 『その通りですよ。でもね、先方では、「あくまでも、お願いなのです」とは言ってましたが、それはそうですよ。いくら助ける時のとっさの場合には、身分の違いは関係ないとは言っても、こちらは武家、あちらは町家、こういう場合は、身分の違いを気にしない訳にはまいりません。ましてや、今度の事は、こちらから出向かなければならないのですから、その辺の事は、慎重に考えなければなりませんよ。まあ、ともかく、繁太の考えを聞きましょう。お前は、この事を、どう考えますか?・・・・・・』 『それがしの考えと申されても、・・・・・・兄上は、どうお考えですか?』 『わしは、お前さえ良ければ、行ってやるべきだと思う。ただし、常日頃、意見されているお前が、他人に意見するというのも、おこがましい話だが、この事には、人の命がかかっているのだから、少しでも助かる見込みがあるのなら、出来る限りの事はせねばならぬ。それが、人として、なすべき道じゃ。それに、もし行かなかったら、後悔する事になるやもしれんし、世間の口もうるさくなるじゃろう。 だがしかし、これは遊びではなく、真剣勝負と同じ事なのだ。お前にその気がなくて、・・・つまり助けようという気構えがなくて、ただ言われたから行くという軽い気持ちならば、よした方がよい。ただ行っただけ、顔を見せただけ、などという始末であれば、かえって邪魔になる。行くからには、相手の気力を奮い立たせ、生きる気持ちを取り戻すのでなければ、役目は果たせぬ。どうだ?それだけの気概を持てるか?・・・・・・』
自分の部屋に戻った繁太は、机に向かって座り、しばらく考えていたが、その内に、ごろんと仰向けに寝転んでしまった。 「面倒な事を言ってきたもんだ」というのが、正直な第一感であった。
だが、母も兄も、引き受けるのが当然だというような、口ぶりだった。
何をどう話すのか、それを考えなくてはならない。しかも、今夜中にだ。「行く気があるのなら、明日にでも行って上げなさい」と母は言っていた。 「やはり、面倒だなあぁ」とは思うが、こればっかりは、自分自身が「蒔いたタネ」なのだから、自分で始末する以外にはないのである。
「さて、どうしよう?」と、色々考えている内に、相手が町娘である事に気付いた。
町娘が、どんな暮らし方をしているのか、少しは聞いて置かなければ、方策の立てようがないではないか! そう言えば、老僕の仁平の娘は、確か、町家に奉公しているとか言っていた!あいつに聞いてみれば、分かるかもしれない。
そう思った繁太は、早速、仁平の寝起きしている長屋を訪ねた。 仁平は、もう寝ていたが、繁太の顔を見ると、喜んで迎え入れてくれた。
繁太が正直に、今、困っている問題を話して相談すると、嬉しそうな笑顔で、こう答えた。 『小坊ちゃま(彼は繁太の事を、いつもそう呼ぶ)、そりゃあ是非とも、巧くおやんねせえまし。なあーに、てえした事ぁ、ごぜえません。大丈夫でげすよ。その女子は、ただ甘めぇていなさるんです。大店のお嬢様なんて、みんなに甘やかされて育てられてるんでさぁ。
ましてや、一人娘となりゃ、それこそ、大事でぇじで育ってるもんです。本当に死ぬ気なら、もうとっくにおっ死んでまさあぁ。 わしらみてえな年寄りになれば、死ぬなんて事ぁ何ともねえが、若けぇ内は、そりゃぁ恐ろしくって恐ろしくって、とてもじゃねぇが、手前で自分の命を縮めるなんて事ぁ出来るもんじゃぁねぇ。そんな勇気がある訳がねぇ。
親達が、おろおろすればするほど、死にてえなんて言って見せるもんでがすよ。死ぬ死ぬなんて言ってた奴が、ふんとに死んだなんて話、聞いた事ぁねぇ。 小坊ちゃまが、またお手柄を立てられる、丁度いい折でがす。気張って、おやんなせぇ。
なぁーに、難しく考ぇえる事ぁねぇ。小坊ちゃまの、いつもの話を、いつものように話せばいいんでさぁ。
ただそれだけでいいんです。それだけで、そのお嬢様の気持ちは、きっと変わりまさぁ。間違ぇねぇこってす。このジイが保証しまさぁ!・・・・・・ 『ただぁ?ただ、なんだい?・・・言ってみなよ。怒らないからさ。』 『いえなに、てぇしたこっちゃねぇです。
小坊ちゃまは、町の女子衆に、すぐに惚れられそうな顔をしてなさるから、それが心配で、・・・・・・』 『なにをバカな事を!・・・・・・』 『急いで盥に湯を入れて貰って、その中に、あぐらをかいて座って、腰を温めて、ようやく、震えが収まったような始末でして、・・・』 ここは、木綿屋の「離れ」である。志津と、その母親を前にして、繁太は、いささか興奮気味に、喋っていた。 最初、この座敷で、志津の顔を見た時、女の子とは呼べないほどの、その憂いを含んだ大人びた雰囲気に驚いた。しかも、片腕のない事を忘れさせるほどの、美貌であった。 大体、繁太には、助けた時の、その子の顔の記憶がないのだ。
岸辺近くになって、引き上げるのに苦労したほどの、重量感のあった身体(水を含んだ着物の重さもあって)は、覚えているが、顔にも身体つきにも、一切記憶がない。 そんな事に眼をやる余裕などは、なかったのだ。
岸に上がった時は、疲労困憊していて、砂の上に大の字になって寝転び、ゼイゼイと荒い息をしていた。一瞬、気が遠くなって、何も分からなくなったほどだった。
その間に、助かった女の子は、運び去られていた。だから、記憶にないのも、当然だったのである。 それから、その翌日、重吾郎や寛四郎と、その時の事を話し合ったが、二人とも、美形だったとは、一言も言わなかった。
もっとも、必死の形相をしていたあの時と、髪形を整え、化粧をした今とでは、格段の差があるのは当然だが、これほどまでに違って見える事に、「あいつ等も、驚くだろうなぁ」と、繁太は思っていた。 だが、そんな思いは隠して置いて、彼は、こんな話をしていた。
志津を助け上げた後、見ていた人達が居なくなって、三人だけが河原に残された時、帯も下帯も取ってしまったあられもない格好に、互いに大笑いした事。
それから、濡れた下帯のままで家に帰ったら、途中で震えが来て、どうしようもなかった事。
その震えを止めるために、盥の湯で温まった事、などであった。 志津が、仁平の言うような「甘えん坊のわがまま娘」とは、繁太には、どうしても思えなかった。それほど、良い印象を受けたのである。
だから、自ずと、話にも熱がこもっていた。 『ま、あれでござるな。男の急所などと、良く言われて居りますが、まったくもってその通りで、あそこが冷たくなったら、もうどうしようもない物でしてな。・・・』 『まあぁ、・・・』と、母親は、顔をしかめて苦笑いしていたが、志津は、袂で顔を隠して、赤くなっていた。 『いやあぁ、こりゃぁどうも、・・・つい図に乗りまして、はしたない事を喋りました。ハッハッハッハッハ・・・・・・』 繁太は、訪れた最初から、ともすれば暗くなりがちな部屋の雰囲気を、何とか少しでも明るくしたいと思って、承知の上で、はしたない話をしたのであった。 その作戦は、一応成功した。
たとえ軽蔑の笑いでも、笑いは笑いである、笑う事によってのみ、人の気持ちは、ほぐれて行くものだという事を、繁太は知っていた。 『ま、こんな話は、もうよした方がいいですな。
だが、何か他の話でも、・・・と言っても、生憎、それがしは、不勉強でしてな、あまり巧い話は出来そうにもない。で、それがし自身の身の上話を、致します。 それがしが、家の者達には、「屑」と呼ばれているのを、ご存知ですかな。
いやいや、家の中だけではなくて、学問所でも道場でも、陰ではそう言われて居るから、少しお調べになれば、すぐに分かる事。
なに当人は、そう言われていても、一向に平気なのだから、お気使いは無用でござる。 何故そう呼ばれるようになったかと言うと、それがしには、兄が二人居りますが、いずれも優秀でして、その人達に較べると、それがしは、ずーっと劣るという訳でして、従って、いつしか「屑」と呼ばれるようになってしまった。 或る時、母上に口答えをした事がありましてな。
「同じ畑でとれたものが、どうしてこうも違うのですか?ひょっとして、それがしは貰いっ子じゃぁないですか?」ってね。
その時は、こっぴどく叱られました。叩かれたり、泣かれたり、いやぁ散々でした。 でも、才能がないという事は、どうしようもないんです。なんと言われようと、・・・
例えば、昨夜、母上に「たまには、志津さんの所に、お見舞いに行って上げなさい」と言われましたが、その時、それがしには、何の話なのかサッパリ分からず、返答に窮していると、「お前はどうしてそう忘れてしまうのですか。それだから、学問も駄目なんです」と又、叱られてしまいました。 それがしは、そのように忘れる事の名人でして、何でもすぐに忘れる。失敗した事も、叱られた事も、・・・
まあ、良く言えば呑気、本当は、頭が悪いという事でして、・・・
大体、溺れた人を助けた事は覚えていますが、その人の名前が志津さんだったなんて、どうでもいい事として、最初から覚えていないんです。 だから、志津さんは、それがしに恩義を感ずる事はない。誰でもやる事をしたまでの事。それだけの事と思って下さって結構。
本日は、ただの知り合いとして、お見舞いがてら、無駄口を叩きに来ただけ、・・・ ええーと、ああそうそう、無駄と言えば、大きな声じゃ言えませんが、おおよそ、剣の道なんてものは、無駄なものだと、それがしは、思っています。(いいですか、ここだけの話ですよ。他の人には、絶対喋らないで下さい。) 何故無駄なのかと言うと、剣の道は、究極の所、人殺しの道ですよ。
剣を振るって、人切るという事は、相手が、たとえ悪人だったとしても、人を殺すという事に変わりはない。
相手を切らなければ、自分が切られるという時でも、相手を切れば、人殺しになる。 ね!そうでしょう?そうは思いませんか?・・・ それがしは、切られる事も嫌ですが、相手を切る事は、もっと嫌です。ともかく、そんな事にならないように努力し、それでも駄目の時は、逃げます。
「君子危うきに近寄らず」ですよ。そんな切ったり切られたりしなくても、人は皆いずれは死ぬ。五十年も経てば、・・・ この庭先のあの石をご覧あれ。あれは、もう何千年も経っているものでしょう?
あいつから見れば、人はつまらん存在です。たかだか五十年の月日を、あくせく、もがいている、としか見えない筈なんです。 セミの声が聞こえますな。ミンミンゼミかな?・・・ あのセミが、幾日生きているか、ご存知ですか?夏の始めから、秋の始めまで、同じような鳴き声ですが、一匹一匹の寿命は、せいぜい十日ぐらいのものです。
学者もそう言っているし、それがしも、飼ってみましたから、間違いありません。 あっ!そうだ!・・・志津さんは、セミが幼虫から羽化して、成虫のセミになる所を、見た事がありますか?・・・ないでしょうね。
えっ?羽化ってなにかぁ?・・・ああそうか。志津さんは、虫の事は何もご存じないんですね。
いえいえ、女の人なんだから、知らないのが当然です。男だって、知らない者が多いんですからね。 えぇーと、そうですな。現物をお見せした方が早いな。ちょっと、お庭先を拝借。・・・・・・・・・・』 繁太は、素早く、縁先にあった庭ぞうりを履いて、庭に出た。志津達は、怪訝な面持ちで、彼のする事を見守るばかりだった。 『あった!あった!・・・これ!これですよ。見た事あるでしょう?
これがセミの抜け殻。「空蝉」とも言います。こういう幼虫から、硬い殻を脱いで、セミになるのです。
それを羽化と言います。羽に化けると書きます。その様子をご覧になった事、ありますか? とっても綺麗なもので、まるで天女が生まれ出てくるような気がしますよ。全身が、透き通っていて、羽が天女の羽衣のように、フワフワしていて、・・・
そりゃぁ美しいものです。この世の物とは思えないくらい、・・・ 明日の朝早く、夜明け前、一度、早起きして、ご覧になったら?・・・
いやいや、それがしがご案内するという訳にはまいりませぬ。誰か、田舎の方の出の下男にでも頼んでみたら、いかがですか? つまらんお喋りを長々と致しました。これでは、お見舞いにはなりませんな。
えっ?面白かった?そりゃぁ良かった。少しは、お慰めになりましたか?
また、折をみて、お伺い致します。では、この辺で、失礼。・・・』 繁太には、最初から、意見するなどという気持ちはなかったが、こんな取りとめもない話で、良かったのかどうか、自信はなかった。
或いは、「もう来てくれるな」と、断られるかも知れない、とも思った。
呑気な彼でも、さすがに、結果が気になった。 もう、あの片腕の美人には、会えないのではないかと、ちょっぴり、悲しい気持ちになっていた。 繁太が、志津の家を訪れてから、二日目の深夜、大事件が起きた。
彼の生涯を変えてしまった事件だった。 石川家に婿入りした兄の繁孝が、或る人を襲い、捕らえられたという一報が届けられた。
学問好きで、温厚な長兄の繁正とは違って、繁孝は、剣の道で名を上げ、小田道場では四天王の一人と、持て囃された時もあったが、性格は、生一本、悪く言えば、直情短慮だった。
表向きは、「男らしい男」といわれていたが、陰では、「騙され易い、単純な男」と囁かれているのを、繁太は知っていた。 翌日の昼頃になって、登城していた繁正が、慌しく帰宅し、家族全員を集めて、沈痛な面持ちで、蟄居謹慎を命ぜられたと言った。 「はっきりした事は分からんが、繁孝は、どうやら、次席家老の三木本様を襲撃した若者達の一団の、一人だったらしい。
彼等は、昨夜、三木本様のお駕籠を襲ったのだが、その計画は、事前に漏れていて、あっけなく失敗し、全員が捕らえられたのだ。 何故の、誰に命ぜられての犯行かは、今後の調査によって、明らかになるだろうが、わしは、罪を犯した者の縁者として、率先して、蟄居謹慎を願い出た。
恭順の意を表すためには、こうする以外にはないのだ。皆も、これからの言動には、よくよく注意をして貰いたい。 特に、繁太。お前は、当分の間、何処へも出てはならぬ。藩校にも、道場にも、友人の家にも、何処にもだ。
この屋敷から、一歩も外に出てはならん。分かったな!・・・
しかと、申し付けたぞ!』 繁正は、それ以上の事は言わなかったが、繁太には、繁孝が係わった事件の内容について、少しは知っていた。
「とうとうやったか。孝兄さんらしいな」と思ったが、口に出して言える筈もなく、現実の恐ろしさに、身を竦めて、おとなしくしていた。 藩を二分する対立は、ずーっと以前からあって、近頃では、次第に表立った争いにまで発展していたので、誰でも知っている事だった。
争いの根元は、現藩主の後継者、つまり、次期藩主の座を巡っての、熾烈な主導権争いにあった。
正式には、世継ぎは長男と決められて居り、幕府に届け出て、承認されている事なので、これを覆すなどという事は、殆どあり得ないが、その長男が病弱で、短命であると見なされた時には、必ず、藩内の争いは、何処の藩でも起きてくるものである。 そもそも、徳川幕府が諸藩の大名に課した、参勤交代の制度は、様々な狙いはあったが、一番の目的は、藩主の妻子を、人質として、江戸に置かせる事であった。 これを裏返せば、殆どの藩の主君は、江戸育ちという事になる。従って、国許に帰る時には、別荘地に行くような感覚があった。
鷹狩や、乗馬の遠乗りなど、小うるさい母や妻(つまり正室)の眼を気にせずに、遊び暮らせるのだから、政事に専念するなどという事は、殆どなくて当然なのである。
また周囲の者達も、藩主は飾り物なのだから、藩の政事などに、下手に口出しなどされるよりは、呑気に遊んでいて貰う方が仕事がやり易いから、あえて、遊ぶ事を勧めていた。 藩の政事は、表向きには、数人の重臣と呼ばれる家老達の合議制だったが、実際には、一人の実力のある家老に、すべてが一任されていた。
実力者の家老は、配下に優れた人材を集め、政策の立案から施行までの一切を、一手に握っている。従って、当然の事ながら、そこには、「利権の甘味」が湧いて来る。 だからこそ、常に、勢力争い権力争いがあるのだが、それに跡継ぎ問題が絡まってくると、事態は一層複雑かつ深刻になってしまう。
それを巧みに泳ぎきって、とんとん拍子に出世する者も居れば、足を踏み外して地獄に落ちる者も居る。 繁孝は、足を踏み外したのだ。それも、あの気性では、当然、先頭にたったに違いない。単純、短慮と言われたその性格が、自ら災いを招いたとも言えた。
ただその災いが、婿入りした石川家のみで留まるのか、或いは、実家のこの堀田家まで及ぶのかが、問題なのである。 こうして、堀田家は、暗雲に閉ざされたままで、数日が過ぎて行った。その中で、繁太だけは、相変わらず呑気だった。
屋敷の外に出られない苦痛にも、すぐに慣れて、退屈な一日を巧く過ごす方法を、考えついて居た。 二日目の夜、繁太は、母の隠居所を訪れた。 『如何ですか、母上。』 『どうにも、こうにも、・・・眠れなくて、・・・私が考えても仕方のない事ですがねぇ、・・・』 『母上、しっかりして下さい。この上、母上に倒れられては、困ります。』 『ありがとう。お前はいつも優しいのね。ありがとうね。
お前にも迷惑かけたね。良い婿養子の話があったんだけど、これで、何もかもダメになったね。ごめんね。』 『いえいえ、それがしの事なぞ、ご心配なされますな。大丈夫です。ちゃんとやって行きますから、・・・ それよりも、母上、本当に、しっかりなされませ。しばらく辛抱していれば、きっと良い方に向かってくると思います。それまでの辛抱です。』 『またまた優しい事を言って、・・・私もお前に慰められるようじゃ、お終いね。しっかりしなくちゃね。・・・
ところで、お前、何か他に、ご用があったのではないかい?・・・』 『良くお分かりになりましたな。さすがは母上。』 『おだてたってダメですよ。お小遣いは上げませんよ。もっとも、今のままじゃ、お小遣いなど必要ありませんけどね。』 『いえ、そのような事で、お願いに来たのではありません。
実は、この機会に、父上の蔵書の一部を、拝見出来ればと思いまして。』 『おや、それは良い事を思いつきましたこと。いいですよ。存分にご覧なさい。
場所は分かっていますね。ただ、あまり取り散らかさないように。きちんと片付けながら、見るのですよ。
分かりましたね。・・・・・・』 翌朝から、繁太は、亡き父の書庫に入り込んでいた。
繁太の父親は、若い頃、江戸屋敷に、三年ほど勤務していたと聞かされていた。その江戸で、眼についた書籍を、むやみやたらに買いあさり、暮らしの金が足りなくて、やりくりに苦労したと、母がこぼし話をしていたのを、繁太は思い出したのである。
そこには、藩校で教えるような堅い書物だけではなく、この辺では、お目にかかれないようなものもある筈だと、彼は、見当をつけたのであった。 半刻もすると、目的の物は見つかった。所謂、黄表紙というやつである。(現在の週刊誌や雑誌のような本)
自分の部屋に持ち帰って、貪るように読みふけった。母親の公認もあり、誰も見咎める者はいなかった。むしろ、「お勉強していて、感心な事」と、囁かれていた。
こんな時に、・・・と思う人も居るかもしれないが、まだ若い世間知らずの繁太には、事態の深刻さが理解できず、自分の身に、この事件が、どのように及んでくるのか、考えられなかったのも、仕方のない事であった。 約一ヵ月後、ようやく藩の裁定が決定した。
襲撃に参加した八名全員は切腹、家禄は激減、という厳しいものであった。 特に、石川繁孝は首謀者の一人と見なされたが、石川家が、藩の譜代の家柄だったため、辛うじて、幼子が成人した時、家名を継げるよう、家禄は十石に減らされても、家の存続は許された。
だが、繁孝の実家としての堀田家にも、その処分は及んだ。「当主・繁正の所業は神妙なれども、家禄は四十石減らし、八十石とする」と、告げられてしまった。 家禄が変わるという事は、増えても、減っても、屋敷は移らなければならない。つまり、堀田家は、百二十石に見合った屋敷から、八十石に相応する屋敷に、転居しなければならないのだ。(転居先の家は藩が決めて、何日までに転居せよと通知される。) 十日ばかりの間、繁太も、引越しやら何やら忙しい思いをさせられたが、ようやく落ち着いてきて、以前のような生活が戻った頃、とんでもない話が、繁太に持ち込まれてきたのである。 或る日、常光寺の住職が、堀田家を訪れた。
内密の話という事で、母親だけと何事か相談していたが、その日の夜、繁太が、母親と長兄・繁正に聞かされた話は、思いもかけぬ内容であった。 常光寺の僧侶にならぬか、という話である。ただ、その後の続きの話が、大変な事であった。
僧侶になって三年修行した後、還俗して再び普通の人となり、木綿屋の婿養子に来て貰いたいというのである。 本当は、直接、堀田家から来て貰いたいのだが、あのような事件があって、堀田家が藩から睨まれている現状では、到底、藩の認可は下りない。(武家と町家との婚姻は、原則としては禁じられているが、藩の認可さえあれば、許されていた。)
藩の意向が変わるのは、まだまだずーっと先の事で、かなりの年月を要すると思われるから、それを待っている訳には行かない。そんな悠長な事は、していられないのだ。何しろ、跡取娘の志津が、恋焦がれていて、先の見通しのない話では、納得しないのである。
そこで、思い余った両親は、檀家である常光寺の住職に相談して、その知恵を借りたという次第であった。 家禄を減らされた堀田家としては、一人でも扶養家族を減らしたい所だし、一人前の大人になった繁太の、良い婿養子の口が来る当てなど、まったくない現状では、かえって、武士の身分に拘らず、町人として生きて行く方が良いではないかと、長兄の繁正は考えていた。「あいつの性格には、町人のような所もあるからな」とも、・・・ 母親は、もっと積極的だった。
堀田家の現状と、繁太のこれまでを勘案すれば、もはや良縁が望めないどころか、下手をすると、一生このまま飼い殺し状態の「厄介者」になってしまう恐れが、多分にあるのだ。
それでは、本人も可哀想だが、当主の繁正の負担が、益々重くなってしまう。丁度良い機会だから、この話は、どうしてもまとめたいと思って、かなり積極的に繁太を説得した。 説得されたからという訳でもなかったが、繁太は、即座に、この話を承諾した。近頃ようやく、堀田家の現状の深刻さが、身に沁みて分かって来た所だった。
その上、将来の不安どころか、現状の不安すらも解決出来ないで居る彼が、真剣に考えていた事があった。 あの事件以来、学問所でも道場でも、誰もが冷たい視線を投げかけ、故意に無視されていた。繁太の顔を見ては、ヒソヒソと陰口を囁く者さえいた。
重吾郎や寛四郎は、それほど変わりなく付き合ってくれていたが、繁太の方に引け目があって、少しずつ遠ざかって行った。
周囲から孤立して、初めて、自分の置かれている立場を、肌身に感じて悟ったのである。そしてまた、このような逆境に追い込まれた事で、彼は彼の考えを固めつつあった。 そんな時、木綿屋の話が持ち込まれたのだ。だから、この話を聞いた時、真っ先に思ったのは、志津の事ではなく、この申し出を受ければ、「武家の掟から抜け出られる」という事であった。
繁孝兄や繁正兄が、如何に優秀であろうと、武士である限りは、所詮は、その法規の規制を受けなければならない。藩の意向が絶対なのだ。
繁孝兄の刃傷沙汰も、元を辿れば、藩主の跡目相続争いに、端を発している。そしてその余波を、繁正兄は、まともに受けてしまったのだ。 そもそも、次期藩主が次男の武徳様になろうと、側室の子武之様になろうと、殆どの藩士の家禄には、変わりはないのである。ましてや、領民の暮らしが楽になるなどという事は、あり得ないのだ。
つまり、正統であろうとなかろうと、そんな論理は武士だけのもので、飾り物の藩主が誰になっても、大多数の藩士や領民には、何の関係もないのである。
ただ、次の藩主になった(正確には、ならせた)方についた一部の重臣達だけが、政事の実権を握り、「美味い汁が吸える」というだけの事なのだ。 そんな争いに巻き込まれて、武士だったがために、優秀な才能は踏みにじられてしまった。道に棄てられたゴミのように、もはや、誰も見向きもしない。
その事に、繁太は気付いたのだった。この考えを延長すれば、「武士はつまらん」という事になる。
だから、「武士の掟」という束縛から逃れられるのであれば、僧侶でも商人でも、何でも良いとさえ思い始めていた所だったのである。 数日後、繁太は仁平を連れて、密かに、木綿屋の別邸を訪れていた。 『このたびのお申し越しの件を、ありがたくお受け致します事を前提に、お願いがござる。 一つは、本日、供をして来た下僕仁平の事でござる。
あの者は、拙者のためにのみ生きているようなもので、拙者が寺に入れば、身の置き所がなくなる訳でして、・・・』 この前来た時から、僅か半年しか経っていないのに、大人びた口調で話す繁太の、その急激な変わりように、志津達は、目を見張るばかりであった。 繁太の依頼は、要約すると、次のような事であった。
一つは、仁平を木綿屋で雇って欲しいという事。
もう一つは、志津に、残っている左手で文字を書き、ソロバンを弾けるようになって欲しいとの事であった。 仁平の件は、すぐに了承されたが、志津の件は、両親も本人も驚いて、すぐには返事が出来なかった。
繁太の言い分は、「夫となる自分が、三年間、寺でつらい修行をするのだから、妻となる志津も、そのくらいの修行はすべきだ」と言うのである。 あきれている両親を尻目に、志津は、力強く、そうする事を誓った。
そして、今まで、何をして良いのか分からなかった自分に、なすべき事を与えてくれた未来の旦那様を、感謝と尊敬の念を込めて、眼を輝やかして見つめていた。 覚悟していた事とはいえ、常光寺の修行は、厳しいものであった。常光寺だけが、特に厳しかったわけではない。何処でも、僧侶の修行は、普通の若者から見れば、厳しく感ずるものである。ましてや、どちらかと言えば、怠け者の部類に入る繁太には、大変厳しいものであった。だが、歯を食いしばって、耐える以外にはなかった。もはや、繁太には、逃げ帰る所はなかったのだ。 いや、繁太ではなかった。寺では、常念と呼ばれていて、俗世の名前は封印されていたのだった。しばらく辛抱しているうちに、彼は彼なりに息を抜くコツを覚え、日々の勤行も巧くこなし、次第に、一人前の僧侶らしくなって行った。だが、無念無想で読経するようにと、再三注意されても、若い常念には、無念無想の境地など、分かる筈はなかった。表面的には同じように見えても、徳をつんだ高僧と、かけ出しの僧とでは、その想念に、天と地ほどの違いがあったのである。 最初の頃は、経文を覚えるのに苦労し、その抑揚の細かい所まで、老師のようになるまでには、かなりの年月が必要であった。だが、こうした日々は、次第に常念の心を洗って行った。俗世とかけ離れた暮らしをしていれば、誰でも、雑念がなくなる。雑念がなくなるという事は、人の心を強くするとともに、残った数少ない想いが、深まって行くものである。常念の心には、入門して七日目に、老師に、こんこんと言い聞かされた話が、心の奥深く沈んでいた。 老師は言った。 『わしがお前を預かる事にしたのは、確かに、木綿屋さんの願いを叶えるためではあったが、もう一つ、大きな目的があったのじゃ。お前の若死した兄と、先頃切腹した兄と、この二人の兄達の事を、お前はどう思うて居るのじゃ?・・・わしは、こう思うて居る。年若くして、この世を去る者は、すべてみな、この世に未練を残して居る筈じゃ。理由はともあれ、もっと生きていたかったに相違ない。
肉親に、そのような者のある者は、その怨念の弔いをせねばならぬ。さもなくば、死せる者達は、浮かばれぬであろう。特に、このたびの事件では、大勢の若者達が、命を絶って居る。行く末、役に立つと思われる者達ばかりじゃ。わしは、どちらに味方するという訳ではないが、このような厳しすぎる仕置きには、納得しかねて居る。
あのような仕置きを決めた者達に、わしが怒りを覚えるのは当然の事だが、一方、あのような事に若者達を駆り立てた者達にも、わしは腹を立てて居る。示唆し、扇動した張本人達は、ぬくぬくと知らん顔して生きて居るのじゃ。これでは、尋常な事では、死者は浮かばれぬ。成仏出来ぬ。お前は、そうした若者達の霊を慰めるためにこそ、この寺に来たのだと思え!そう思って、これからの三年間、その事のみを念じて、読経に励むのじゃ。それがお前の、この世に生を受けた運命(さだめ)というものじゃ。分かるのぉ。・・・・・・』 『お前も随分変わったなぁ、・・・・・・』 重吾郎が、しみじみと、感心したように言った。 『なに、そうでもないさ。外見は変わっても、中身は殆ど変わっては居らん。人間、そう簡単には変われるものではないよ。』 常念は、意識して、わざと、くだけた口調で喋った。それが、わざわざ尋ねて来てくれた旧友への、親愛の情の表現だった。 『そんなもんか。俺は今でもお前の親友だと思っていて良いのか。』 『バカ言えぇ。そんな話は、まだ早すぎるよ。もっとも、ぼつぼつ持ち込まれては居るがな。』 『おっと、これは悪かった。すまんすまん。始めに断って置くが、これは、あくまでも噂だぞ。証拠がある訳ではないんだ。寛四郎に婿の口がかかったのだが、相手が普通の女なら、誰も噂などせんのだが、その相手が悪いのだ。六十石、足軽頭だった関信之丞の若後家、琴路なのだ。歳は二十六、二人の子持ちだ。寛四郎よりも十才近くも年上だという事も問題なのだが、それよりも何よりも、その後家が、二度も婿を追い出しているという点だ。しかも、けしからん事に、情夫がいるという噂もある。俺が、あいつに会ったのは、そういう噂を知ってるかどうか確かめたかったからだ。だが寛四郎は、婿入りの話自体を、知らんと言うのだ。そう言われてしまえば、後の話は何も出来ん。何も話さずに気まずく別れた。 『ふーむ、むずかしい問題だな。・・・しかし、寛四郎には、両親や兄弟も居るんだから、お前の言うような噂話は、当然誰かが聞いている筈だと思う。我々が、そう心配する事でもないと思うが、・・・だが、お前の忠告をしたいという気持ちも、分からんでもない。親友なのだからな。よし!寛四郎にここに来るように言ってくれ。久しぶりに、俺も、寛四郎に会ってみたい。会って、率直に、お前の気持ちを伝えよう。それから後の事は、寛四郎が決める事だ。我々の口出し出来る事ではない。拙僧は、そう思う。』 『何しろ俺は跡取だからな。俺がいくら「まだ早い」と言っても、俺の一存だけでは、こういう事は決められん事でな。結局は、親類縁者に押し切られてしまったよ。未だに俺には、良かったのか悪かったのか、良く分からんという心境だ。なるようになってしまったという所だ。ただ、婚礼の席には、お前も寛四郎も、是非とも出て貰いたいと思っている。』 『お前の祝いの末席に連なるのは構わんが、この前の寛四郎の例の一件は、どうしたんだ。拙僧の所に来ないではないか。まさか、お前言い忘れたのではあるまいな。』 『バカを申すな。俺がお前にわざわざ相談しにきた事だぞ。忘れたりはせん。昔のお前じゃあるまいし、この俺が、そうそう忘れたりするもんか。すぐ翌日には伝えたよ。ちゃぁんとな。だがあいつは、言っていた。「家の者に、繁太に会う事を止められている」とな。それから、こうも言っていた。「婿入りの話なんかない。心配かけるような事は何もない」とな。だからあいつは、ここには来れんのだ。それに、今になって考えてみると、あんな噂は、根も葉もない事だったようだ。俺が軽率だったのだ。すまなかった。謝る。』 『なに、いいのだ。何事もなければ、それでいい。拙僧の事など気にするな。正直な所、こちらも忙しくて、そのような事を考えている暇はなかったのだ。しかし、良かったな。平山重吾郎も、これで一人前か。拙僧も頑張らねばならぬな。ともかく、目出度い。今宵はお前のために、特に念入りに読経を上げるよ。・・・』 重吾郎の婚礼は、翌年の三月に行われたが、常念は、出席しなかった。 三年の歳月が流れた。常念は、逞しい立派な僧侶になっていた。
身体つきでも、顔つきでも、人々の尊敬を集めるだけの風格が、身について来た。 人は、思春期の或る期間中に、急激な肉体的変貌を遂げるものである。それと共に、刺激的環境に居さえすれば、精神的変革もなし得るものなのだ。
常念の、これまで殆ど何も書かれて居なかった心に、仏門での修行が、生涯持ち続ける信念を書き込んだのであった。 三年目の冬に入った或る日、老師が、常念に語りかけた。 『約束の期限が近づいて来たな、常念。・・・ほら、お前がここに来た時の、三年だけ修行するというあの約定じゃよ。なんじゃ?もう忘れて居ったのか。・・・ふーむ。・・・よいよい、お前らしゅうてよい。
だがのぉ、約定は約定じゃて。・・・これは、守らねばならぬ。だがしかし、お前の考えも聞いて置かねばならん。こういう事は、本人の気持ちが第一じゃと、わしは思うて居るからの。
心に染まぬ事は、させとうはない。必ず、破綻がくるからじゃ。どうじゃな?・・・・・・還俗するか、このまま生涯、一介の僧として過ごすか、お前の別れ道じゃ。よくよく考えて見るがいい。・・・・・・』 『はい、そう致しまする。・・・しかし、出来ますれば、師のご意見を承りたく、お願い申し上げまする。』 しばし、沈黙の時が流れた。老師の顔には、迷いの表情が浮かび、消え、又、浮かんだ。 ようやく口を開いて、独り言のように、呟いた。 『わしが迷うて居るのは、わしが話す事によって、お前に先入観を与えるのではないかという危惧じゃ。
だが一方では、この際でなければ、話す折はないとも思うて居る。
大仰に言えば、お前の生涯の指針を与える事になるであろうし、かと言うて、そのような事をしなくても、お前は間違いなくお前らしく生きて行くであろうとも思えるし、・・・・・・ ま、迷い出せば、きりがないな。お前も、もはや、立派な成人じゃ。自分の事は、自分で決められるであろう。わしの話は、参考程度に聞くが良い。 お前がこの寺に来たばかりの頃、わしが話した事、覚えて居るか?無念の涙で死んで行った者達の霊を慰めるために、読経に励めと申し渡した筈じゃ。
その事は、充分に成し遂げたが、それと共に、お前の心に生じて欲しいと、わしが密かに願って居った事があったのじゃ。
それは、一言で言うと、「武家社会の否定」じゃ。
お前の心には、わしの願うて居ったような事は、出て来なかったようじゃのぉ。 そもそも、仏門以外の生まれの者が、仏門に帰依するのは、二つの事のどちらかがなくてはならぬと、わしは思うて居る。 一つは、学問としての経典を、見極めたいと願う事。
仏教の経典は、経文と同じく、それはそれは興味深いものなのじゃ。その事に興味を持った者は、その学問のみを一心に勉学したいがために、仏門に帰依する道を選ぶ。 もう一つは、何かの理由があって、俗世を嫌悪し、否定する者の取る道じゃ。 そういう観点から見れば、武家社会への否定の念が生まれて来なかったお前は、仏門に留まる理由はないと言えよう。
確かに、お前がここに来た時、武家社会への嫌悪の思いは口にして居ったが、それが直ちに、否定に繋がらなかった所に、お前の前世の因縁があったのだと思う。
むしろ、お前の心の奥底には、母親や兄達に対する情愛が、多く残っていたという事かも知れぬ。それが断ち切れぬ以上は、お前はここに僧として残る事は出来ぬであろう。 むごいようじゃが、それが仏門の掟というものじゃ。武家も僧侶も、その中に生まれた者以外の者がなろうとするのには、それ相応の覚悟が必要という事じゃ。分かるな。
幸い、お前には、融通無碍の心がある。他の者にはない優れた特性じゃ。それを生かすが良い。
わしの言う事は、それだけじゃ。・・・・・・』 老師は、初めは迷いながらも、終いには、断定的な事を言った。 常念は、師の言葉を、心底から、ありがたく拝聴していた。そして、彼の心には、新たな境遇への、新たな気概が湧いて来ていたのである。 『お嬢様、いよいよでごぜえますねぇ、・・・』 仁平が、弾んだ声で、嬉しそうに言った。彼は誰よりも、小坊ちゃまのお帰りを、待ちわびていたのである。 『じいや。お前は毎日、私の顔を見ると、そればっかり言ってるのね。そんなに嬉しい?』 『でも、お嬢様。おらだけではねぇですよ。奥様だって、おっしゃってますだ。ヘッヘッヘッヘ・・・・
そう言う、お嬢様だって、嬉しいって、顔に書いてありまさあぁ。ヘッヘッヘッヘッヘ・・・・・・・・・』 『バカ、・・・・・・』 志津は、顔を赤らめていた。思いは、同じだったのである。 仁平は、毎朝欠かさず常光寺に通って、常念の顔を見ていたとは言え、短い挨拶程度の会話しか出来ず、主人の身の回りの世話が出来ないもどかしさに、三年が、とても長く感じられていたのであった。
赤子の時から世話をして、手塩にかけて育てたという思いがあり、その上、母親などの肉親達と絶縁状態になっている事を察して、より一層、想い入れが強くなっていたのである。 一方、志津の想いも、仁平に負けないほどのものであった。
交わした言葉は少なくても、若い娘には鋭い直感があった。
命を助けてくれた恩人に対する感謝の念もあったが、それよりも何よりも、片腕を失ってから会った時、最初からその事に拘らず、ごく普通に接してくれた事が嬉しかった。
自分の口からは「屑」だと言いながら、卑下もせず、拘りもせず、しかも、武家・町家の身分違いも気にせずに、明るく話をしてくれた事にも、好感が持てた。 志津は、右腕を失った時、本当に死のうと思っていた。
父親に、「おぼれて死ぬ所を助けてくれた人に、一言お礼を言わなければ、人道にも劣る」と言われて、仕方なしに会ったのだが、お礼を言う事など忘れてしまったくらいに、いっぺんに恋してしまったのだった。 そして、その想いが、「叶わぬ恋」だと知ると、また死にたくなった。だが、繁太の方の状況が急変して、両親の熱心な奔走の結果、望みが叶う事になった。
そうなってみると、今度は、片腕の(それも利き腕である右が)ない自分が、愛しい旦那様のお世話が出来ない事に気付き、また死にたくなった。 そこに繁太の申し入れがあった。「残った左腕で、何でも出来るようになれ」と言われたのだ。
志津は、待っている三年間に、人に負けないほど、何でも出来るようになろうと決心した。それは、希望であると同時に、努力する目標でもあった。そしてまた、生きる気力にもなったのである。
気力は、人を強くする。志津もまた、常念と同じく、思春期の、心の変革の、強い刺激を受けたのであった。 だが、志津の努力は、並大抵のものではなかった。どうしたらいいのか、教えてくれる人もなく、手ほどきの書物もなかった。
自ら考え、試行錯誤しながら、努力している内に、左腕は、自然に動くようになり、顔、口、足、あらゆる所を使う事を覚えて行った。
彼女には、恥も外聞もなかった。ただひたすら、両手のある人と同じように出来るまで、何度も何度も繰り返して、やってみるだけだった。 母親は、そんな娘の姿を見るに忍びず、再三、「もうその辺でやめたら、・・・」と声を掛けたが、その都度、恐い顔で睨まれて、「ほっといて!」と叫ばれ、すごすご引き下がっていた。
娘の何処にこんな気力があったのか、親でも全く知らない一面を見せられて、驚きあきれているばかりだった。 或る意味では、志津の修行は、常念の修行よりも厳しかったと言えよう。そこには普通の人には分からない、大変な苦労があったのだ。
こうした三年間の苦労は、終わってみれば、それを成し遂げた事そのものよりも、大きな精神的成長を、志津にもたらした。心が強くなり、落ち着きと自信が身について、風格さえも、備わった。
一つの目標に到達するための努力そのものが、その人を変えるのである。
常念は、還俗して、再び俗世に戻った。次郎兵衛という名を、常光寺の老師がつけてくれた。
町人・木綿屋次郎兵衛が、誕生したのである。 繁太=常念=次郎兵衛と、名が変わるたびに、いつも彼を取り巻く環境は一変する。
そしてそのたびごと、彼は人間的に大きく成長して行く。 だが、運命とは言え、彼が乗り越えるべき試練は、まだ幾つもあったのである。 商人にとって必要なものは、読み書きソロバンである。
武家の出で、仏門で修行した次郎兵衛は、読み書きは人一倍上手であっても、ソロバンだけは、習った事がなかった。
志津から教わったのだが、左腕一本の妻よりも、早く正確に出来るようになるまでには、三ヶ月を要していた。 還俗したその日のうちに、内々でひっそりと、婚儀を済ませた次郎兵衛は、翌朝早くから、仁平を連れて、少し遠いが、常光寺まで出かけて行き、その参道を掃き清めている人々の仲間に入れて貰った。
寺の近所の人達ばかりだったので、常念の頃の顔馴染で、喜んで暖かく迎え入れてくれた。
これが、次郎兵衛の町人としての、第一歩だった。 十年の歳月が過ぎて行った。
この間、志津は、男の子二人と女の子一人の、三人の子に恵まれていた。 次郎兵衛は、五年目に、商用がてら、江戸へ一ヶ月ほど行って来たが、その効果が出てくるのは、かなり後になってからである。
この間、木綿屋の商売は、堅実な家風と共に、着実に進展していた。すべてが順調であった。
両親は、良い婿を得たと喜び、彼を選んだ娘の眼を、改めて見直していた。 志津が三人目の子を産んで三ヶ月ほど経った或る日、突然、堀田家から使いが来た。
藩の許可が内々で下りたので、次郎兵衛の母親が、孫達の顔を見に、明日、訪れたいという事であった。 翌日、満面に笑みを浮かべて、オバアサンがやって来た。 『ごめんなさいね。私は、もっと早くに来たかったのに、繁正が許してくれないのよ。生真面目な性格だからね。藩のお許しがないうちは、ダメだって言うのよ。 あの子も色々と苦労しているようだよ。あの一件以来ね。家禄を減らしたのは、自分の責任だって言ってね。
何がなんでも元の家禄に戻さないと、ご先祖様に申し訳ないって思い込んでいるらしいのよ。そんなに堅く考えなくてもいいのにね。何かと、奔走しているようですよ。 とにかく、私が元気で居るうちに、この家の孫達の顔が見れて、本当に良かった。
このままじゃ、わたしが生きている間は、到底、会えないんじゃないかって、悲しかったのよ。・・・・・・』 何時までも続きそうな母の愚痴話を、次郎兵衛は、にこにこしながら、喋り疲れるまで、黙って聞いていた。 彼には、分かっていた。藩の重役の魂胆が、手に取るように分かっていたのである。
兄・繁孝達に襲撃された家老・三木本政直は、その事件の事後処理に、豪腕ぶりを発揮した。しかも、その事を境に、ぐんぐん勢力を広げて、遂には、筆頭家老の職まで手にしてしまった。
その力を未だに保っている家老が、何の理由もなしに、逆らった者の縁に繋がる堀田家に、甘い態度を見せる訳はないのだ。 次郎兵衛は、四年程前から、藩内の詳しい情報を得るための手蔓を掴んでいた。
その情報は、非常に正確で、しかも、事の真相を的確に突いていた。それによれば、表面上は順調に推移しているように見えるが、三木本家老の失政が幾つか続いたため、足場が崩れ始めたらしい。
それを防ぎ、勢力を保つためには、かなりの資金が必要になって来た。今までの金づるは、吸い尽くしてしまい、もうこれ以上の期待は出来ない。
従って、新たな鉱脈を探し出す必要に迫られた。 利権に群がるアリはいくらでも居るが、自分の陣営に取り込んで、安心して任せられる者は、そう沢山は居ないのである。 配下の武士達とは違って、商人は、忠誠心などというものは、殆ど持っていない。利によって動く。武士とは、根本的に違うのだ。
家禄=給料を支給している藩主(つまり権力者)に、生殺与奪=生かすも殺すも勝手の権利を握られていて、絶対の服従を義務づけられている武士と、自分一人の才覚で、家族や奉公人を養って行かねばならぬ商人とでは、権力者に対する考え方が違って当然なのである。
利によってのみ動く商人には、利益を与える以外に、動かす方法はない。しかも、与えるべき利益が少なくては、思うように動いてはくれぬ。 苦慮していた三木本家老に、側近の一人が進言した。堀田次郎左衛門繁正を懐柔して、恩を売りつけ、それを楯に取って、繁正の実弟が婿入りしている木綿屋から、金を引き出すという案であった。
その第一歩が、堀田家と木綿屋との肉親的つながりを、復活させる事であった。
母親の突然の来訪には、これだけの意味があったのである。 その事を、予め知っていた次郎兵衛は、その対策を、着々と実施していた。
そもそも、次郎兵衛が婿入りした時、彼が一番恐れていたのは、木綿屋に自分が入る事によって、堀田家、つまり武家社会とのかかわりが出来てしまう事であった。
それは、金と権力との結びつきに繋がって行く。そしてそれが、良い方に働いても、悪い方になっても、どちらにしても、平常の商売を乱す事になる。 その乱れは、次郎兵衛の好む所ではなかった。彼の理想は、過不足なく、ゆったりと生涯をすごす事であった。
それは、「屑」と呼ばれていた幼い頃からの願望であったが、決して栄達を望まず、優しさに満ち溢れた平凡な道でもあった。 だが、降りかかる火の粉は、払わなければならぬ。家族のためにも、自分自身のためにも、・・・・・・ 次郎兵衛が、藩内についての正確な情報網を作ろうと、思い立ったのは、ただ単に自分が武家出身者であるがために、及んでくるであろうと思われる災いを、防ぐためであった。
予め分かっていれば、避ける方法も考えられるからである。 しかし、そんな大きな事を考えていた割には、作ったきっかけはほんの些細な出来事からであった。 数年前、彼が自ら望んで江戸まで行って来たのは、商いの盛んな江戸には、学ぶべき所が沢山あると思ったからだった。
確かに江戸には、新鮮な刺激があった。新しい時代の波を敏感に嗅ぎ取り、先取りして行く何かがあった。片田舎の藩内にはない、商いの道があった。
だが一方では、その格差は乗り越えようもないもののように思えた。規模の大きさも、種類の雑多さも、所詮は、人の数の多さによるのだとは分かっていても、やはり、考えさせられる事は多かったのである。 帰り道の次郎兵衛の心には、重苦しい気分が広がっていた。「井の中の蛙、大海を知らず」という事を、しみじみ悟らされたのであった。
江戸へ行く時は、普通の商人の格好で出かけたが、帰りは、僧侶の扮装にしてみた。
六日間の道中を、昔の僧形になって歩いてみたいという望みは、出発する前から密かに抱いていた事だった。その方が気楽でいいとさえ思っていたのである。 一体に、昔の僧侶は、現代とは違って、死者を弔う役割だけではなかった。
大昔の僧侶達は皆、学識や見識は無論の事、建築土木や農事に関する事、医療や薬に関する事など、幅広い知識を持っていた。
中国から渡って来た高僧が尊重されたのは、その学識や見識だけではなく、一緒に連れて来た、その道の専門家達とともに、あらゆる方面の知識が豊富だったからであった。その博識は、美術芸術の分野にも及んでいたのである。
言わば、その地域の先達=指導者としての役割を、充分担っていたからこそ、人々の尊敬を集めたのであった。 江戸時代には、さすがに、それほどの広範囲の知識を身に付けた僧侶は少なくなってはいたが、それでも、各々の寺には、代々受け継がれてきた秘伝の薬草があり、治療知識もあったので、医学の進歩の遅れていた庶民にとっては、精神的支えと共に、必要欠くべからざるものであった。
従って、江戸時代の庶民の僧侶に対する敬愛は、信仰に裏づけされていたとは言え、計り知れないものがあったのである。 次郎兵衛は、後一日で家に戻れるという時に、とんでもない事に、巻き込まれてしまった。 国境の峠に差し掛かった時、坂道の崖下から、人のうめき声が聞こえて来た。
覘いてみると、確かに、人が倒れていた。
苦労して下りて行った崖下の窪みに、無宿人らしい男が、痛みで顔を歪めていた。 『どうした?・・・崖から落ちたのか?・・・しっかりしろ! おや?・・・この傷は何じゃ?・・・刀傷ではないか! 動くな!拙僧が、今、応急の手当てをして進ぜよう。・・・・・・これでよかろう。・・・
拙僧が、誰か幾人か人を呼んでくるまで、ここにじっとしていなさい。動いてはならん。
動けば、助かる命も、助からぬぞ。分かったな。・・・』 次郎兵衛は、来た道を引き返して、麓の村に入り、人足を集めて、怪我人を救出した。
彼も以前は僧侶だったから、少しは薬草の知識はあったし、手当ての方法も知っていたから、このくらいの怪我人の手当てぐらいは、大した事ではなかった。 だが、村人達には、珍しかった。僧侶が、薬草に詳しい事は知ってはいても、現実に、眼の前で見せられると、やはり、尊敬の念を持って眺めていたのである。
人々の忌み嫌う無宿者であっても、病人は誰でも同じだと、彼は言ったので、より一層尊敬の眼を向けた。
多少の金子を置いて、怪我人が歩けるようになるまでの面倒を見てくれるように頼むと、その農家の主人は、人のいい顔つきで、承諾してくれた。 一方、怪我人には、こんこんと諭して、真面目に働く気があるのなら、山向うの阿佐野藩のご城下に来て、寿町の木綿屋を訪ねるようにと言い、自分の名を常念と教えて、次郎兵衛は立ち去った。 『若奥様!どうしましょう!・・・・・・変な人が、変な事を言って来てますが、・・・』 『おとし。慌てないで、ゆっくり話しなさい。お前はどうしてそう慌てるのです?落ち着いて、ゆっくり、順番に、話してごらん。分かるように、・・・』 『はい。すみません。・・・それが、とっても恐そうな人なもんですから、つい、・・・ あのぉー、その恐い顔をした人が、お店に入って来て、いきなり、常念さんはいるかって聞くんです。
私、恐くって恐くって、・・・・・・』 『分かりました。私が、お会いします。大丈夫です。旦那様のお知り合いです。・・・』 その男は、卓次と名乗った。二十日ほど前、怪我をして困っている所を、助けて貰ったとも言った。
その話は、志津も聞いていたので、『今、旦那様は出かけていて留守なので、帰ってくるまで、奥の私の部屋で待ったらいいでしょう。』と言って、恐縮する卓次を、平然と、奥座敷に案内した。 そんな若奥様を、女中達は、今更ながら、驚嘆の眼差しで見ていた。 次郎兵衛の帰りを待つ間、志津は、茶を入れて菓子を出し、色々と話して聞かせていた。 『貴方との経緯(いきさつ)は、旦那様から聞いて居りましたよ。 ああ、そうそう、旦那様、つまり木綿屋次郎兵衛が、常念と同じ人だって事が不思議に思えるでしょうね。いえ、ウソではありません。
常念というお坊さんが、私の旦那様になって、次郎兵衛という名前になったのです。 でも、よくお出でになりましたね。良く真面目に働く気になりましたね。旦那様が、きっと、いい働き口をお世話しますよ。
いえ、大丈夫です。旦那様に任せて置けば、そりゃぁもう、大船に乗ったようなものですよ。もうすぐ、お帰りになるでしょうから、しばらくお待ちになって、・・・ えっ?なぁに?・・・・・・ああ、この腕の事ぉ?・・・左腕一本で、巧いもんでしょう?・・・ でもね、こうなるまでが、大変だったんですよ。 私は、二度も旦那様に命を助けられましたのよ。
一度目は、川で溺れて死にそうになった時。二度目は、この右腕を無くした時。 旦那様に、「残った腕で、普通の人と同じように、出来るように努力しなさい」って言われた時は、嬉しかった。
出来そうもない事をやってみるって、そりゃぁ大変な努力が要りますのよ。でもね、何とか曲がりなりにも出来るようになった時の喜びは、何とも言えないものでした。
なんと言うか、心の底から、自分を褒めてやりたい気持ち。 貴方も、これからが大変ですけど、それをやり通せば、私のように、素晴らしい喜びを味わう事が出来ますよ。頑張るんですよ。・・・・・・』 卓次は、この不思議な夫婦に感動した。
そして、この人達のために、命をかけて尽くす事を、心の中で誓っていた。 卓次は、次郎兵衛の世話で、浄法寺の寺男として、働き始めた。 翌年、弟分の辰吉が尋ねて来た。卓次が、次郎兵衛に言われて、江戸の母親に、現状を知らせたからであった。卓次も辰吉も、彼らは皆、世の中の「はみ出し者」である。そういう者達は、普通の人からの蔑視や冷笑には、敏感に反応するが、同時に、温かい受け入れには、とても弱い。すぐに感激してしまう。それだけ、愛情に飢えていると言えよう。 卓次から、前もって話を聞いていた辰吉も、次郎兵衛に会ったその日から、彼に心酔するようになってしまった。二人を前にして、次郎兵衛は、こんな話をしたのである。 『わしは、幼い頃から、「何も出来ない屑」と言われ続けて来たが、それでいいと思って生きてきた。優れた才能がない代わりに、大きな望みも持たぬ。ただ、才能がないからと言って、何もしないでいいという事にはならない。人として生まれた以上は、人としての勤めを果たさなければならぬ。それは、出来る限り、人のために尽くすという勤めだ。そうする事によって、この世は、少しずつでも、良くなって行くのだ。お前達と知り合ったからには、わしが出来るだけの面倒は見よう。だが、お前達も、自分の出来る範囲で、人のために役立つような事をして欲しい。そういう人の輪が広がって行く事、それが、わしの望みだ。分かるな。・・・』 黙って聞いていた二人の眼には、涙が滲んでいたが、それでも辰吉は、働き口を世話しようと言った次郎兵衛の申し出を断って、こう言った。 『あっしは、卓兄ぃほど、気持ちが強くねぇんで、ヤクザから足を洗うって事が出来ねぇんです。・・・・誠に申し訳ねぇこってすが、あっしの好きにさせておくんなせぇ。・・・なに、このご城下には、ちったぁ知り合いも居りますんで、何とかなりまさぁ。・・・ただ、旦那のお話にゃぁ、この胸を打たれやした。忘れやぁしません、この事は、・・・・・・』 それから、約半年が経って、次郎兵衛が、辰吉の事をすっかり忘れかけた頃、突然、仁平を通じて、辰吉が何か話したい事があると言って来た。卓次と辰吉の連絡係を、仁平と決めていたからであった。 その夜、浄法寺の卓次の小屋で、二人に会った次郎兵衛は、意外な事を聞かされた。曽根松寛四郎が、「罠に嵌められた」と言うのである。
親友であった二人のうち、平山重吾郎とは、細々ながら、交遊は続いていたが、寛四郎とは、繁太が常念になった時から遠のき、重吾郎も、彼とは気まずくなってしまい、時たま会う二人の話題になる事さえなかった。
思いがけない所から、寛四郎の名前が出て来た時には、さすがの次郎兵衛も、驚いていた。 『へい、いつだったか、仁平とっつあんと世間話をしていた時、何かの拍子に、旦那が奥様をお助けになった時の事が話題になりましてね。色々と詳しく聞かせて貰いやした。その時、一緒にお手伝いした、お友達のお名前も、聞かされやして、そいつが耳に残っていたんでしょう。一昨日、曽根松様のお名前を耳にした時、「はて?どこかで聞いたような?・・・」と思ったんですが、何処だったのか、その場では、思い出せませんでした。それが、昨日、久しぶりでとっつあんの顔を見た途端、はっきりと思い出しましたんで、・・・こいつぁ、是非とも、旦那のお耳に入れた方がいいと思ったもんですから、・・・』 『辰、てめぇの話は長すぎらぁ。さっさと、大事なとこだけ、話しちまいな。』 卓次も辰吉も、釣られて笑った。 大店の主人が、こうして分け隔てなく、彼等と一緒に酒を飲み、談笑するという事そのものが、世間一般の常識では考えられない事で、それが、この二人には、無性に嬉しかった。身分の差別の厳しかったこの時代では、稀有の事だったからである。だが、次郎兵衛には、仏門で培われた「すべての人は、平等である」という信念があったのだ。 その夜、辰吉の話を要約すると、こういう事であった。 どういう経緯からか、辰吉は言葉を濁して語らなかったが、スミという女が彼に惚れて、押しかけ女房気取りで、一緒に暮らすようになってしまった。スミには、姉がいた。その姉の「お絹」が、菊川照義という藩士の妾になっていた。菊川は、三木本家老の腹心の一人で、五百石の蔵奉行の要職についていた。 菊川の最大の欠点は、酒に酔うと、よく喋る事であった。特に、妾の家に居る時は、気が楽になるのか、自慢げに何でも喋った。その話を聞いたお絹が妹のスミに、スミが辰吉の耳にという順で、次郎兵衛まで届いたのであった。 これは、次郎兵衛にとっては、天の配剤と思えたほどの、確かな情報源であった。喜んだ次郎兵衛は、すぐその場で、二人に、「是非とも、やって欲しい」と頼んだ。スミの姉のお絹を、こちらの指示通りに動けるように篭絡して欲しい、と。そのための費用は惜しまぬし、どのような方法でも構わぬとまで、言い切った。そこまで言い切った根拠は、寛四郎に係わる話が、大変な事になっていたからである。 寛四郎が落ちた罠とは、次のような事だった。 ずぅーっと以前、次郎兵衛が常念になったばかりの頃、重吾郎に、寛四郎の事で相談を受けた事があった。寛四郎の婿入り話の、相手の女に関する、芳しくない噂についてだった。 関家の若後家・琴路の事である。その婿入りの話を、寛四郎は否定したが、確かに、一度はあったのだ。
だが、情夫がいるという噂などから、父親が、当人の意向も聞かずに、断ってしまった。
しかし、その噂は、本当だった。三木本家老の血縁で、飯田宗久という男が、情夫になっていた。 噂が広がったため、家老に叱責されて、飯田は、関係を絶った筈だったが、それは表面上の事で、情事は、つい先頃まで、密かに続いていた。
その事に苦慮した家老は、また広がりを見せ始めた醜聞の始末に、寛四郎を利用するように、腹心の者に言いつけた。
すべては、菊川の立案によるものであったが、最終の結末まで用意してあった所が、彼の狡猾な悪知恵だったのである。 先ず、曽根松家に多少の加増を与え、それをエサに、寛四郎の婿入りを、半ば強要した。
このままでは、将来の希望もなく、生涯、曽根松家の「厄介者」として、朽ち果てるしかないのかと思い始めた寛四郎が、それよりもいくらかましと考えて、エサに飛びついたのも、仕方のない事だった。 だが、琴路は、毒蜘蛛のような女だった。
中々の美人で豊満な肉体を持っていた彼女に、寛四郎は、すっかりのぼせ上がってしまったが、琴路は、寛四郎を手玉に取りながら、依然として、飯田との仲は続けていた。 その事を予期していた菊川は、日頃手なづけて置いた若者に、寛四郎と親密にならせて、その口から、琴路の所業を、わざと誇大して伝えさせ、寛四郎の嫉妬心を煽り立てたのである。
しかも、巧妙に、「制裁を加えるべきだ」と、唆した。人のいい寛四郎が、その罠に陥り、逆上して、妻を刺殺する恐れは、充分にあった。
それこそが、菊川の、真の狙いだったのである。 このたくらみを聞いた時、次郎兵衛は、すぐにでも、寛四郎に会って、忠告してやりたかった。
だが、交遊の途絶えた今となっては、直接、会うわけには行かなかった。町人と武士との身分違いもあった。
それらの障壁を無理に乗り越えようとすれば、必ず、禍根を残す事になる。 重吾郎に相談しようとしたが、生憎と、彼は北の国境まで出張したばかりだった。
三日は帰れぬと知り、次郎兵衛には、待っている一日一日が、とても長く感じられた。三日後になって、職務が手間取って、重吾郎は、もう一日、帰りが延びてしまった事が分かった。 その深夜、恐れていた惨劇が、起きてしまったのであった。 次郎兵衛は、悔いた。事前に、それを予期していながら、何の手も打てなかった事を、恥じた。
そして、生まれて初めて、人を憎む気持ちになった。親友の寛四郎を陥れる計画を立て、実行した菊川と、それに繋がる首領三木本家老を。 だが、彼は町人である。武家社会のいざこざには、巻き込まれたくないという気持ちも強かった。
しかし、知りうる限りの事は、知って置くべきだとも考えた。いつ、その火の粉が、こちらに降りかかってくるのか、分からないからだ。
これが、情報網の確立を決意させた、最大の原因であった。 その周到な用意のあったお陰で、母親が、孫の顔を見たいと言って来た時、その背後にあるたくらみを、次郎兵衛は知っていたのである。 次郎兵衛は、藩内に渦巻いている勢力争いの大部分を、詳しく調べ上げていた。それには、親友・平山重吾郎が、大いに活躍してくれていた。 曽根松寛四郎に関する一切を、次郎兵衛は、正直に、重吾郎に打ち明けた。そして、寛四郎に対する贖罪のつもりで、三木本家老に対抗する政敵を調べたいと言うと、重吾郎は、自ら進んで、その役を引き受けてくれた。
彼もまた、親友を陥れた者達に、強い怒りを抱いたのだった。 「水清ければ、魚住まず」という格言があるが、とかく、政事には、「清濁併せ呑む」という度量が要求される。
あまりにも、清廉潔白だったがために、その手腕を振るえなかった人物が居た。先々代の筆頭家老であった、沖田孫右衛門という人である。
沖田は、在職期間が、僅か三年ほどだったが、その善政を知っている人々の中では、今もなお、その復活を望んでいるらしい。 三木本家老の失政が続き、その一派の専横が、眼に余るようになってきて、藩内には、怨嗟の声が、くすぶり始めていた。
だが、沖田一人の力だけでは、三木本を倒す事は出来ない。少なくとも、有力者二人ほどの助力を、結集する必要があった。
その人達を、沖田に結びつけるものは、何と言っても、世論である。このままでは、駄目だという大勢の藩士達の声が、すべてを動かすのである。 その声を高めるために、次郎兵衛は金を使って、密かに、関家断絶に及んだ寛四郎の一件の真相を、三木本の非道な所業の、一端としての噂話として、流布させた。
いつの世でも、こういう好奇心をそそるような話は、あっという間に広がって行く。しかも、尾ひれがついて、とんでもない話にまで発展してしまうものである。
金はそれほど使わなくても、たちまち、全藩士の知る所となってしまった。 これらの下準備が着々と進んでいる時、堀田家からの呼び出しがあった。兄・繁正が顔を見たいので、妻の志津と子供達の家族全員で、遊びに来てくれとの事であった。
その日、堀田家を訪れた次郎兵衛には、約二十年ぶりで見る兄の顔であった。母は、もう四度ほど木綿屋を訪れているので、孫達とも顔馴染で、良きババぶりを見せていた。
堀田家の孫達は、もうとっくに大きくなっていて、祖母の相手などしてくれないので、年老いた身に、まとわりつく孫達は、特に可愛く思え、眼に涙さえ浮かべて喜んでいた。 『お前にも、大分苦労をかけたな。すまなかった。』 志津達の初対面の挨拶が終わり、しばらくして、二人だけになった時、繁正は、改めて次郎兵衛に詫びた。 『いえ、兄上。私は、自ら好んで、このようになったのです。何方のせいでも、ありませぬ。
ましてや兄上には、幼い頃、お世話になったという感謝の念があるばかりで、・・・ 今後は、何かお礼をさせて頂きたいと、志津とも話して居る所でございます。』 次郎兵衛は、商人特有の如才なさで答えていた。 『そうか、そう言うてくれるか。・・・ そう言って貰ったからという訳でもないが、・・・そのぉー、なにだ。・・・少し頼みがあるのだが、・・・』 繁正は、ためらいながらも、言葉を続けた。 『・・・・・・・・・』 次郎兵衛には、兄の言わんとする事の、おおよその見当はついていたが、ただ黙って聞いていた。 『わしの、真の気持ちからすれば、話すべきではないと思うのだが、さりとて、お前の耳に入れぬという訳には行かぬのじゃ。迷うて居るのじゃ。許せ。 先頃、町家であるお前の所との付き合いを、内々で許されたのだが、一昨日、菊川様に呼ばれてな。「藩が、これから栽培に力を入れる或る物を、木綿屋に、一手に扱わせたい」と仰るのだ。
それに、この事が成功すれば、つまり、木綿屋が菊川様の仰る通りにすれば、堀田家の家禄を元に戻して下さるという話もされた。 確かに、家禄を元に戻すという事は、わしの長年の念願ではあるが、だからと言うて、このような方法で叶うというのも、いささか抵抗を覚える。すっきりせんのだ。
もっと、有体に申さば、藩の産物を扱うには、その店に、それだけの力量がなくてはならぬのに、わしには、お前の木綿屋に、それほどの力量があるとは思えんのじゃがな。 お前は、この話を、どう思う?・・・』 『ハッハッハッハ・・・・・・兄上の仰るとおりです。
力量もさる事ながら、私には、そのような野心はございません。高望みは、しない主義です。今のままでいいのです。 とは申せ、兄上のご加増をフイにしては、それもお気の毒。今しばらく、思案の刻を賜りたいと、菊川様には、お伝え願います。
如何ですか?それで?・・・なぁーに、そうこうしているうちには、また良い思案も浮かびましょう。
大丈夫ですよ。・・・』 次郎兵衛は、兄の懸念を吹き飛ばすように、努めて明るく振舞っていたが、内心には、いよいよ来たかという緊張感が湧いていたのであった。 二回ほど、菊川から催促をされた繁正は、困り果てて、次郎兵衛に、直接会って聞いて欲しいと申し出た。
兄が苦し紛れにそう言うのを、次郎兵衛は、待っていたのである。菊川を、こちらの誘いに乗って来させるためには、そういう時期が必要だったのだ。 繁正から連絡があった時、次郎兵衛は、高級料亭「高砂」を指定して、菊川を招待した。
当夜は、十人ほどの芸妓を呼び、大盤振る舞いの賑やかな宴会であった。菊川は、自分の作戦の成功を、疑わなかった。
だが宴会は、これから始まる芝居の、第一幕に過ぎなかったのである。 酔いつぶれた菊川が、ふと目を覚ましてみると、寝かされていたその部屋には、誰も居なかった。
自分の屋敷ではない事だけは分かったが、さて、ここが何処なのか、さっぱり分からなかった。 手を叩いて、人を呼ぶと、入って来たのは、次郎兵衛だった。 『お目覚めですか。』 『ここは?・・・』 『はい、ここは、私共の家でございます。ご安心なされませ。』 『さようか。世話をかけたのぉ。・・・今、何刻じゃ?』 『もうそろそろ夜が明けます。四つ(現在の五時)過ぎになりましょうか?でも、もう少し、ここに居て頂かねばなりませぬ。
肝心のお話を、まだお聞きして居りませぬ故。』 『おう、さようであったな。馳走になって、すっかり忘れて居った。なに、大した事ではない。 兄の繁正から聞いて居ろうが、来年から、藩が力を注ぐ事が内定して居る楮(こうぞ)の栽培についての話じゃ。(楮は、和紙の原料になる木)
立案どおりに行けば、その量は、今までの十倍近くにはなる筈。それを、お前の店に任せようと、ご家老様が言うて居られる。
無論、そちらには、大きな利があるが、そのうちの一部を、こちらに回して貰いたい。 これが、話のすべてじゃ。分かったかな。・・・』 『大分面白そうなお話ですが、すべては、楮の栽培が巧く行っての話。巧く行くという保証は、何処にもありませんよ。
それよりも、もっと面白い話をしましょう。』 菊川は、呆気に取られた。次郎兵衛が、こんな態度に出るとは、思いもしなかったからである。 『もういいよ。入っておいで。』と襖の向うに、次郎兵衛が声を掛けると、
『へい!』と、短いがドスの効いた返事が聞こえた。
恐い顔をした渡世人らしい男が、縄で縛られた女を連れて入って来た。 『あっ!お絹!・・・・・・』 思わず菊川は、叫んだ。 『どうやら、ご存知の方のようですね。そうですよ。貴方のお妾さんのお絹さん。そして、この男は、卓次と言います。
先ず、どうして、この二人が、ここに来たかを、お話しましょう。貴方のお話より、ずぅーっと面白いですよ。ハッハッハッハ・・・・・・ この卓次さんは、元は、関家の使用人だったそうです。ほら、貴方が潰した関寛四郎の前の主・新之助様に、大変お世話になったのだそうです。
つい先頃、関家の断絶に、貴方が深く係わっていた事を知って、それで、貴方がお絹さんの所に居るときを見計らって、貴方を刺し殺す事を考え付いた。
でも、たまたま、その話が私の耳に入ったので、殺す事だけは止めるように、私が説得したのです。恨みを晴らす方法は、ほかにもあるからと言ってね。 おっと、じたばたしないで下さい。 ここには、卓次さんしか居ませんが、この家の周囲には、卓次さんの子分が大勢居るんですよ。どうせ逃げられないのです。
第一、その格好で、寝巻き一枚で、何処へ逃げられると言うんです?それに、お絹さんも居るんですよ。この人を見捨てては、何処にも行けませんよ。 お絹さんは、貴方から聞いた事を、洗いざらい喋ってくれました。卓次さん、あれをお見せして。・・・そう、これです。
これが、何だか分かりますか?
これは、お絹さんの「口書き(自供書)」です。貴方のなさった事が、殆ど書いてあります。 いえ、お絹さんを責めてはいけません。卓次さんのような恐い人に、殺すと脅かされれば、誰でも、喋ってしまいます。
元はと言えば、貴方が酒の肴に、自慢げに喋ったのがいけなかったのですよ。 それはともかくとして、これは、大変な事ばかりですな。関家の一件ばかりではなくて、ほら!ここ。
大西屋さんからの賄賂の事や、大倉山の材木切り出しに関する不正のやり方とか、色々ありますなあ、・・・ えっ?なに?・・・ああ、その事。・・・分かってますよ。貴方一人では、到底、こんな大それた事は出来ないってね。
私共にも、そのくらいの事は分かってます。誰が黒幕が居るぐらいの察しはついてます。そして、その人物は、三木本家老様だって事もね。
貴方が、ご家老様のお言いつけ通りにしたまでだって、言いたい気持ちは分かりますが、その真偽は、ともかくとして、貴方に考えて頂きたい事があります。 一体、三木本様がお幾つになられたのか、考えた事がありますか?もうすぐ、古希を迎えるお年頃ですよ。貴方も、そう言われてみれば、・・・と思うでしょう?
そのお歳で、いつまで筆頭家老でいられると思いますか?
もし、もしもですよ。もしご家老様が明日にでもお亡くなりになったとすると、跡を継ぐのは、誰でしょうね? ご嫡男の将弘様?・・・あの方と貴方は、あまり仲がよろしくない。いえ、お隠しになっても無駄です。私の耳は地獄耳ですからね。何でも知っています。悪あがきは、おやめなさい。
貴方は、今の状態が何時までも続くとお思いになっているようですが、そんな甘い夢は、もう棄てた方がいい。 まあ、私の見た所では、三木本様は、たとえご健在で居られても、ごく近いうちに、失脚なさるでしょう。
そうなったら、貴方はどうなさいます?
一緒に、心中なさいますか?それほど尽くさなければならない義理が、あるんですか?
もう、この辺で三木本様に見切りをつけて、他の方に、ついたら如何ですか? そのための手土産が、この「口書き」ですよ。
全部、三木本様のご命令で、嫌々ながらやった事だと、弁明するのですよ。そうすれば、相手の方も、悪くは扱わないと思いますよ。 これは、私の忠告です。お嫌と仰るのでしたら、どうぞ、お好きなように、・・・ ただし、この卓次さんが、貴方をどうしようと、私は一切、関知致しません。
多分、恨みの深い卓次さんは、お絹さんと一緒にして心中に見せかけたやり方で、始末なさるでしょうね。
そうなれば、どっちみち、貴方のした事は、世間に知れるのです。何しろ、この「口書き」があるんですからね。 どうします?・・・・・・あまり刻がないんです。
今すぐ、この場で返答して下さい!』 『・・・・・・・・・・・・・・・』 次郎兵衛の話は、表面上は穏やかであったが、菊川にしてみれば、まさに、恐喝そのものだった。それも、逃れようのない、ほかに取る道もない強制であった。 菊川は、がっくりと首うなだれて、涙さえ浮かべていた。 ここは、木綿屋の奥座敷である。
温かい春の日差しが、障子を開け放した座敷の中ほどまで差し込んで、庭の片隅では、ウグイスが、まだ拙い声で囀っていた。 『志津、私は、すまない事をしたと思っている。お店の大事な金を、あんな事に使ってしまって、申し訳なかった。
私のした事がきっかけとなって、藩も粛清されて、寛四郎も浮かばれるであろうとは思うが、終わってみれば、何か余計な事をしたようにも思える。 無駄な事をしたとは思わぬが、さりとて、お店のためになったとも言えぬ。お店のためにのみ働くべき私が、しばらくにせよ、店をお前に任せっ切りにして、他の事をしていたという無責任さを痛感して居る。
許してくれ。・・・』 『何を仰います、旦那様。お金は、いつでも稼げます。それに、私は父から、常日頃、こう言われて居ります。
「お金は、使うために稼ぐのだ」と。 「だから、今、蔵の中にあるお金は、一時預かっているだけなのだと思いなさい。お金というものは、世の中に流れていればこそ、オアシになる。
人の足のように、何処にでも行くのが、お金の本来の姿なのだ。蔵に、ただ眠らせて置くのは、あまりいい事ではないのだよ。」ってね。 旦那様が、今度お使いになったお金は、人の役に立ったのですから、決して、無駄なお金ではありません。私は、そう思っています。
これが、ご自分のためにだけお使いになったのなら、それも、他の女の方に溺れたとか、そういう事にお使いになったのなら、私も腹を立てましょう。 でも、今度の事は、私の旦那様ながら、天晴と、褒めて差し上げます。
自慢して、誰かに話したいくらいです。』 『おいおい、お前も存外、ヤキモチ焼きなんだな。これからは、気をつけねばな。・・・』 『ウッフッフッフ、お気をつけあそばせ。女は誰でも、嫉妬深いものですのよ。特に、命がけで惚れた旦那様にはね。フッフッフッフ・・・』 菊川を恫喝したあの朝早く、菊川とお絹、それにお絹の「口書き」を添えて、人知れず送り込んだ先は、沖田孫右衛門の屋敷であった。
予め、次郎兵衛は、沖田と内密の話し合いをしていて、この計画のすべてを語り、菊川達を運び入れる約束がしてあったのである。 少し前から、お絹は、こちらの味方になっていたが、菊川は、その事を全然知らなかったから、お絹の真に迫る芝居に、まんまと騙されて、何もかも、白状してしまった。
片腕のような腹心に裏切られては、流石の三木本も、どうする事も出来なかった。 沖田は、菊川の寝返りで、大した苦労もなく、三木本の追い落としに、成功したのであった。しかし、陰の力としての次郎兵衛の存在は、沖田以外には、誰も知る者はいなかった。
絶対に、他の人には知られないようにするというのが、次郎兵衛が、最初に出した、唯一の条件だったからであった。 偶然のめぐり合わせではあったが、沖田家の菩提寺は、浄法寺だった。その寺は、次郎兵衛が常念と呼ばれていた頃、一年間修行に出された本山で、しかも、卓次を、寺男として住み込ませた寺でもあった。 沖田には、毎月一度、先祖の墓参りをする習慣(ならわし)があった。
その事は、以前の筆頭家老の時も、今度また、その職に返り咲いた時にも、変わらずに続けられていた。 或る日、沖田は家臣の一人を、浄法寺に使いに出して、こう申し込ませた。「明日、昼下がり、墓参の帰途、少し休息したいので、庫裏の一室をお借りしたい」と。
それは、次郎兵衛を呼び出す合図であった。そういう打ち合わせが、すでに、出来ていたのである。 『少しばかり、そなたに話して置かねばならぬ事があっての。・・・』 頭こそ丸めては居なかったが、僧侶の衣装を纏った次郎兵衛を前にして、沖田は、淡々と言葉を続けた。 親子ほどの年齢差があっても、そこには、男同士の、信頼という固い絆があった。余分な挨拶を抜きにして、いきなり話し出しても、少しもおかしくない雰囲気が流れていたのである。 『例の菊川という男の口から出た事を、色々と調べてみて間違いないと分かったのじゃが、実は、かの三木本襲撃の事件は、元々、三木本自身が、立案した事であった。所謂、自作自演というやつじゃ。
当時、次席家老であった三木本が、側室お美知の方の意を受けて、急遽、あのような強硬手段を取ったという事も、判明致した。
事実、あの一件では、関係者全員の厳罰という処分を、強く推し進める事によって、周囲の者達を震撼させ、遂には、筆頭家老の地位まで、手に入れたのじゃった。 こうして、お美知の方のお子・武之ぎみを、お世継ぎにしようとする一派の作戦は、成功したかに見えたが、ご病弱であられた正式のお世継ぎである武兼ぎみが、次第に、お健やかになられて来たため、彼等の目論見は、頓挫してしまった。 それに加えて、お美知の方にばかり目を奪われていた主君(との)が、勢力を得たという自負からか、次第に増長して、専横になって行くお美知の方に嫌気がさし始め、一時の熱が冷めて来て、お考え直しになられるようになった。 そういう状況の折に、そなたが菊川をわしの所に持ち込んで来た。政変が、比較的穏便に運んだのは、そういう背景があったからなのだ。
運が良かったと言うべきか、そなたが、そういう潮時を選んだと言うべきかは、何とも言えん所じゃがな。ハッハッハッハ・・・・・・ ま、そういう訳で、三木本を襲った者達の処分を再考すべきだという声が出て来たのも、当然と言えば当然なのじゃが、これが、中々難しい。
無論、三木本の密命を受けて、若者達の仲間に加わり、当時の筆頭家老・米山公明の命と偽って、三木本の襲撃を扇動し、しかも、その計画のすべてを三木本に通告していた男、広川某という者は、改めて厳罰に処する事になったが、切腹した者達の縁者に対する処分は厳しすぎたとして、見直しを始めた所じゃ。
まあ、これは良いとしても、襲撃に加わった者達は、事情はともあれ、上の者に刃を向けたのじゃ。その見せしめだけは、やはり、残して置かねばならぬ。 それやこれや、頭の痛い事ばかりで、正直、投げ出したい位じゃ。
愚痴を言うても、始まらぬがのう。・・・ そなたには、兄の切腹の真相だけは話してやりたいと思うて、わざわざ来て貰うたのだが、もう一つ、何か、礼をせねばならんとも思うてな。
どうじゃ、何か、望みはあるか?あれば、遠慮なく申してみよ。・・・』 『ありがとうございます。お心遣い、痛み入ります。 でも、ご家老様。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とか申しますが、最初お目にかかった折に、申し上げましたとおり、私には、大それた望みを抱くほどの器量もなければ、力量もございませぬ。
私は、私に似合った穴に、居とうございます。
お志は、かたじけなく存じますが、ただいまお伺いしたお話だけで、充分でございます。 いくら愚かな兄とて、かなりの示唆扇動がなければ、あのような事はせぬ筈と思って居りました。
それに、その行動が、あまりにも相手に筒抜けに知れていた事にも、疑念がありました。
ただいまのお話を伺って、ようやく納得が行きました。 ありがとうございました。』 『相変わらず、そなたは無欲じゃのう。・・・ま、そなたらしゅうて良いとも言えるが、・・・・・・・ そのうち、何かの折があるであろう。それまで、待って貰うとしよう。
本日の話は、これまでじゃ。』 すべては、終わった。
沖田家老とのつながりは、多少はあっても、この一件の落着で、すべてが終わった筈だった。 少なくとも、次郎兵衛は、そう思っていた。
だが彼には、もっと過酷な運命が、待ち受けていたのであった。
逆らう術もない現実。
神の摂理とは、なんと残酷なものか、・・・
ただぁ、・・・・・・』
繁太から常念になって約半年が過ぎた頃、友人の重吾郎が会いたいと言っていると、仁平から聞かされた。仁平は、繁太が仏門に帰依してから、毎朝、庭掃除の時刻を見計からってやって来て、常念に、何かと言葉をかけていた。それが、この老僕に課せられた義務であるかのように、或いは、唯一の楽しみであるかのように、雨降りの日でさえも休まずに、必ず、その時刻には、やって来ていたのである。
『無論だ。拙僧には、友は、お前と寛四郎しか居らん。たとえ、どのような境遇になってもだ。』
『そりゃあそうだな。俺だって、友と呼べる者は、お前と寛四郎しか居らんからな。ところで、その寛四郎なんだが、・・・』
『おう、なんだ、寛四郎の話で来てくれたのか。拙僧、いや俺は、てっきり、お前の縁談話でも決まったのかと思っていたんだが、・・・』
『で、寛四郎が、どうかしたのか?』
『それが良く分からんのだ。だから、お前に相談に来たのだ。』
『どういう事だ?・・・寛四郎に直接聞いて見たのか?』
『無論だ。だが、あいつの口からは、何も聞けなかった。あいつは昔から、自分の事となると、口が重かった。考えてもみろ。あいつ自身の事で、俺達だけが知ってる事って、あるかい?俺達は、お互いに親友だと信じているが、よくよく考えてみれば、あいつの事は、殆ど何も知らんのだ。だから親友じゃあないとは言わんが、正直の所、俺は、分からん事を心配しても仕方がないとも思い始めている。』
『おいおい、重吾。話が回りくどいぞ。俺は、世俗を離れた者だ。世の中の事は、何も耳に入っては来んのだ。もう少し、ちゃんと筋道立てて話せ。』
その後、重吾郎が寛四郎にどう伝えたかは分からないが、寛四郎は、常光寺に来なかった。そのうちに、常念の日常が次第に忙しくなり、その事は忘れていた。いや、頭の片隅にはあったのだが、あえて、重吾郎や寛四郎に、連絡をとる気にもならず、そのままにして置いたのである。繁太が頭を丸めて常念になったのは、木枯らしの吹き始めた十一月の半ばであった。つらい冬が終わり、春が過ぎ、夏も越し、秋の取り入れがボツボツ始まろうとしている頃、再び、重吾郎がやって来た。その嬉しそうな顔を見て、「嫁の話が決まったな」と一目で分かったが、そ知らぬ顔で、重吾郎の話に驚いて見せた。
一つには、平山家から内々で、出席を遠慮して欲しいとの申し入れがあったためだった。やはり、切腹した繁孝の縁に繋がる者は、藩の重役方への配慮から、何処までも、忌避されるのである。
もう一つの理由は、年明け早々に、老師が、常念を、本山に修行に出したためだった。本山での、約一年の修行中は、一歩も外には出られぬ掟であった。老師が、平山家の申し出を事前に察知して、これを決めたと思われる節もあったが、常念が逆らう事は許されなかった。いやむしろ彼は、喜んで本山に行ったのである。
どれ、足を見せなさい。ああ、これは大した事はない。捻挫じゃ。ひねっただけじゃ。すぐ治る。
ははぁーん、どうやら読めたぞ。背中に一太刀浴びて、それを避けようとして、崖から落ちたのじゃな。
『まあ、良いではないか。・・・まだ、宵の口だ。・・・わしの持って来たこの酒を飲みながら、ゆっくり話を聞こうじゃないか。焦っても、仕方あるまい。』
『へっ、どうも、・・・旦那は、いつもこうなんだから、・・・・・・図太いと言うか、何と言うか、・・・・・・』
『鈍いと言いたいんだろう?はっきり言えばな。ハッハッハッハッハ・・・・・・』