屑
文:蛍火
どんな人の生涯にも、他人には話せない出来事が一つや二つはあるものだ。
たとえそれが、その人の一生を大きく変えてしまった出来事であっても、
過ぎ去ってしまえば、
ただの「秘めたる思い出」にすぎなくなる。 ただ、運命の歯車が、少し廻っただけ。 波のウネリが、少し大きかっただけ。 沖田孫右衛門が、筆頭家老に返り咲いてから、約一年が経った。 前の家老・三木本政直は、確かに、数々の悪政も失政もあったが、一方では、その強
引とも見えるやり方で、
後世に残る事業も手がけた。
歴代の為政者達が、立案しては立ち消えになっていた、菅ヶ窪(すげがくぼ)の新田
開拓に着手し、その完成によって、
今年は、かなりの成果が期待出来るという時に、失脚してしまった。 その新田の、見事な実りを眺めたのは、沖田家老だったのである。
全般的な豊作に加えて、その菅ヶ窪新田の豊かな収穫を得て、藩の財政は潤い、
沖田家老の新政権は、出だしから好調だった。
だが、その年の冬は、例年になく温暖で、降雪も少なく、土地の古老達
は、口々に、来春の気候不順を予測した。 郡奉行を始めとする農事の指導者達は、苗代の早期
作成や、裏作の麦などの早めの刈り取りを奨励して、田植えを早めて実行させるな
ど、出来得る限りの対策は実施したが、やはり、天候には勝てなかった。
梅雨時の長雨や、それに続いた冷夏で、稲の生育は、大幅に
遅れた。
夏の終わり頃、やっと戻って来た暑さで、稲も順調に育って、この分では、平年作に
近い収穫が見込まれると思われた矢先に、
今度は、嵐がやって来た。
近隣の諸国でも、大変な被害を蒙った嵐だった。
そのために、その付近一帯が、広い範囲にわたって、未曾有の大凶作と
なった。 昨年、長年の藩財政の困窮を、少しでも和らげようと、豊作
の大部分を売却してしまった方がいいという声が多かったのだが、沖田家老は、「楽
あれば、苦あり」という自説を、頑として曲げず、「来年も豊作とは限らな
い」と言い張って、一部を、来年まで保管する事を主張した。
そして、実際には、一部どころか、かなりの量を残させたのである。
「沖田の、ケチで、用心深い性格が、そうさせた」と、密かに囁かれていたが、現実に、大凶作になったのを見て、
先見の明があったと絶賛された。 そのお陰で、藩内には、一人も餓死者が出なかったが、その反面、国境を越えて、他の藩の難民が、続々と流入して来てしまった。
いくら国境を封鎖して、厳重に取り締まっても、生きるか死ぬかの境にある者達は、
道なき道を辿って入り込み、後を絶たなかった。 どの藩でも、収穫出来る作物の料が決まっている以上は、そこに住める人の数は限ら
れている。
漆器などの職人ならば、金になる物を作るのだから、受け入れても、どう
にかなるのだが、
流入者の大部分は、農民とその家族なのだから、藩内に定住さ
せる事は、不可能であった。 追っても追っても、群がるハエのような流入者に、阿佐野藩の重臣達は、困惑した。
その大部分の者達を、元の領国に追い返し、また、隣藩にも、農民の流出を留める手段を講ずるように、
再三に渡り、強硬な抗議を申し入れたので、ようやく、大騒動が鎮静化したのであった。 或る昼下がり、沖田家老は、次郎兵衛を呼んで、話を聞かせていた。 『ま、このような騒動は、もう、当分は起こらぬであろうが、それにしても、政事
は難しいのぉー。・・・ 他国からの、農民の流入に関する経緯(いきさつ)を、沖田家老が、ため息混じりに
話すのを、次郎兵衛は、黙って聞いていた。
そんな愚痴話を聞かせるために、わざわざ呼び出したのではない事ぐらいは、察しが
ついていたが、
今は、相手の言うがままに聞いている以外には、なす術(すべ)はなかったのであ
る。 『「豊作は、二年とは続かず、凶作は、二年は続く」という話を知って居るかの。
土地の古老が話してくれたのじゃが、昔からの経験から出た言葉だと思えば、あなが
ち、否定も出来まいて。 わしが、近頃、つくづく思う事がある。
それはのう、誰にも言えぬ話じゃが、・・・そなたにだけは、言うて置く。 もはや、今の世の中を動かしているのは、商人であって武士ではないと断言出来る。
つまり、それほどまでに、武家支配は、行き詰まって居るという事じゃ。
やがては、商人達が支配する世の中になるであろうと、わしは思う。
そしてその時期は、もう遠くないともな。 それでの。
近日中に、大阪の蔵屋敷に、人を派遣する事になったので、
その一行に、そなたを同行させたいと思うのじゃ。 わしは、若い頃、江戸に三年ほど居った事があった。
その間に、大阪まで行った事もある。
その時、わしは思った。なんと言っても、商いは大阪が中心じゃとな。 そなたに、そこに行って、見聞を広めて貰いたい。
遊びがてらと言うては語弊があるので、表向きは、藩の特産
物になるような物を見つけるため、
という立派な派遣理由がある。 これは、わしの、以前に厄介かけた事の、ほんの礼心じゃ。
どうじゃ。受け取ってはくれぬか?・・・』 『・・・・・・・・・・』 次郎兵衛は、思いもかけない申し出に、言葉が出て来なかった。 『ハッハッハッハ・・・・・・唐突な話で、戸惑っているよ
うじゃな。
ま、良く考えて、家の者とも相談するが良い。
期間は、往復の日数も入れて、約二ヶ月じゃ。
人間、一生に一度ぐらいは、「清水の舞台から、飛び降りる」ような、
思い切った事をしてみるべきじゃと、
わしは思うがのぉ。・・・・・・』 沖田家老からの申し出を、ありがたくお受けして、次郎兵衛が旅立ったのは、翌年の
春の終わり頃だった。 尻込みする彼に、大阪に行く決心をさせたのは、家族の者達だった。
志津の父親・重吉は、数年前、すでに隠居していたが、心配する婿の次郎兵衛に、こ
う言い切った。 『わしは、お前が心配するほど、年老いては居らん。
なぁーに、たった二月(ふたつき)の事ではないか。志津と二人で、お前の代わりく
らい立派にやって見せるわい。
昔取った杵柄じゃ。ことによると、お前より巧くやれるかも知れんぞ。
・・・』 大変な剣幕で、張り切って見せたが、それが、彼への励ましと分かって
居るだけに、
次郎兵衛は、より一層恐縮していた。
妻の志津は、もっと強い事を言った。 『旦那様の唯一の欠点は、時折、臆病になられる事です。
それが良い方に向いている時は、慎重で間違いがなくていいのですが、そうかと言っ
て、そればかりではダメではないかと、
私は思って居りますの。
殿方には、時々は、無茶をするような事があっても、いいのじゃないか
しら。 旦那様。少し寄り道をなさりませ。
川で溺れていた私を、救って下さったあの時の勇気を、思い出して下さいませ。
こんな良い折は、もう二度とはございませんよ。 幸いと言っては、なんですが、父もあの通り元気ですし、今なら、旦那様も身軽に動
けるのではないでしょうか。 正式な藩の命を受けて、出立したのは、沖田家老の嫡男・沖田道成と、
その供の者達三名であった。
次郎兵衛は、最初から、僧形で行きたいと願い出て、卓次と辰吉を連
れて別行動を取った。
一番喜んだのは、辰吉であった。
元々、定住する事が苦手な辰吉は、阿佐野藩に来てから五年目になり、ぼつぼつ尻が
落ち着かなくなってきた所だったからである。 次郎兵衛には、一つの狙いがあった。
藩の特産物を、新たに見つけるには、やはり何と言っても、大きな需要を見込める
物でなければならない。
そういう観点からすると、町人の、それも下層の人達の好む物が、一番いいのだ。
だから、彼等二人に探させれば、きっと、何かを見つけるだろうと、思って連れて来
たのである。 だが、卓次には、もう一つ、若奥様の志津に、内密で頼まれた事があった。
旦那様の、浮気の監視である。 あれこれの思惑を、それぞれ胸に抱いて、三人は旅を続けたが、僧侶と
その供の者という事では、思ったほどの出来事もなく、無事、大阪に着いたのであっ
た。 大都会に出て来たばかりの田舎者達は、同郷同志の結束が、より一層強くなるもので
ある。
沖田家老の密かな狙いは、子息道成と次郎兵衛が、親密になる事で
あった。
この狙いは、巧く行った。
年齢の近かった二人が、以前からの親友のように打ち解けてしまうのに、さほどの日
数はかからなかった。 こうして、一ヶ月は、瞬く間に過ぎてしまった。
そろそろ帰り支度をせねばと思い始めた或る日、慌しく出先から戻って
来た道成が、全員大至急集まるように命じた。
堺の町まで出かけていた次郎兵衛が、道成から話を聞いたのは、深夜で
あった。 『詳しい事が分からんので何とも言えぬが、とにかく、我が藩を含めたあの
地方一帯に、大きな地震があって、
被害が、かなりなものらしい。どの程度のものなのかは分からんが、大至急、帰国せ
ねばならん。 幸い、こちらに来たお役目は、殆どすでに終えているので、明早朝、全員出立する事
にした。
ここに来る時は、ゆるりとした旅で十六日を要したが、十日か十二日で帰りたいと思
うて居る。
かなり厳しい旅だが、どうにかやれるだろう。
そのための細かい予定を立ててみたが、天候にさえ恵まれれば、出来ると思
う。 馬や駕籠は、なるべく使わぬようにする。
我々は、ただ単に帰国すれば良いというものではない。むしろ、帰国したその時か
ら、日夜働かねばならぬと覚悟した方がいい。
そのためには、多少の遅れには眼を瞑っても、体力の温存を心
掛けたいと思っている。 これが拙者の考えだが、何か異論があれば、聞こう。どうだ?・・・』 無論、次郎兵衛に異議はなかった。
それどころか、これほどまでの慎重な考え方を示した道成を、改めて見直したくらい
であった。 こうして、彼等のつらい旅は、始まった。 志津は、あんなに強がりを言って、旦那様を笑顔で送り出したが、すぐに後悔し始め
た。
父親の居ない寂しさを口にする子供達を叱りながら、心の中では、どれほど旦那様を
頼っていたかを、しみじみ感じていた。 だが、木綿屋を背負って立つ女主人であれば、そんな泣き言は、絶対に他人には言え
なかった。
彼女は、昔の自分の姿を思い浮かべていた。
左腕一本で、字を習ったり、ソロバンを弾いたり、針仕事に苦労したりし
た、あの頃の自分を思い出して、
その強い心を呼び戻そうと、決心したのであった。 そんな志津の思いをよそに、木綿屋の商いは、相変わらず順調だった。
一つには、ご隠居の重吉が店に出て来たという事だけで、商売仲間も顔を立ててくれ
たし、顧客も、ご祝儀をはずむような気持ちで、余分に買ってくれた。
もう一つは、店の者達が、皆この非常事態を心得ていて、それぞれ自分のやるべき事
を、より一層熱心に、
忠実に行ったためだった。 志津の心配は、杞憂に終わるかに見えた。
もうすぐ、約束の二ヶ月になろうとした時、災害は起こったのであった。 それは、午の刻近くであった。(現在の昼間の十二時)
突然、ずどーんという物凄い音響とともに、真下から突き上げられるような衝撃
があった。
続いて、強い横ゆれがあり、ガラガラっと、屋根瓦が落ち始め、棚の品物が投げ出さ
れ、
タンスは無論の事、障子、襖など、立ててある物は、すべて
倒れた。 まるで、この世が地獄になってしまったような騒ぎの中で、幸いにも、木綿屋の一同
は、奉公人も含めて、皆無事であった。
こういう時には、さすがに年取った者は落ち着いていて、父親の重吉は、てきぱきと
指図して、
とりあえず、女子供は近くの寺に避難させ、店の品物の片付けから、手をつけ始め
た。
その一方で、近所の様子を見に行かせ、又、特に、風上の様子を見てく
るように言いつけた。
一番恐ろしい火事に、気を配ったのである。 だが、重吉の心配は、不幸にして的中した。
数ヶ所から出た火は、折からの強風に煽られて、たちまち、町全体に広がっ
て行った。 木綿屋では、三つあった土蔵のうち、二つは使えなくなっていた。
一つは、屋根瓦がひどく落ちてしまっていて、屋根に穴が開いていた。
もう一つは、庭の松の木が倒れて壁に当たり、壁を壊してしまっていて、こ
れも使えなかった。
たった一つ無事だった土蔵に、品物を出来るだけ詰め込んで、厳重な目張りをした。
火災に対する備えである。 一方、隣近所の人々と力を合わせて、迫り来る火の海を、何とか食い止めよ
うと、あらゆる手段を講じた。
だが、木綿屋を含めた寿町全体の人々の、必死の努力にもかかわ
らず、どうにもならなかった。
乾燥した気候に、大地震による建物の倒壊と、強風が加わってしまった
のだから、
盆地の城下町は、カマドの中と同じようなものだった。
とても、人力の及ぶ所ではなかったのである。 大火は、一晩中続いた。
翌朝になって、ようやく鎮火した時、人々は、一面の焼け野原を見て、ただ呆然と立ちすくむばかりであった。 父親の重吉が、自分の年齢を忘れて、率先奮闘したために、精
も根も尽き果てて、寝込んでしまったため、
志津は、父に代わって、陣頭指揮を取らなければならなくなった。
この時ほど、旦那様の一刻も早いお帰りを、望んだ事はなかったが、それでも志津は
歯を食いしばって、
父や大番頭の意見を聞きながら、少しずつ、再建に向けての準備を始めた。 こういう非常事態の時には、普段の付き合い方が、ものを言う。
普段から、親切で、面倒見の良かった木綿屋は、近在の人々が、すぐに駆けつけて来
てくれて、
たちまち、仮の店舗が出来上がった。
その店先に、蔵に残った品物を並べると、それこそあっと言う間に、売り切れてし
まった。
後は、仕入れに出かけさせた大番頭達が帰ってくるのを、待つ以外にはなかった。
肝心の品物がなければ、商売にはならない。 三日後、藩から通達が出た。
町並みを、火災を防ぐという観点から見直した計画書を示して、その縄張り通りに、
家を建てるようにとの指示であった。
その計画書によれば、 街道筋の道幅を、両側とも、従来より六尺(約一・八メートル)ずつ広げる。
街道筋以外の道も、所によっては、倍の広さにする。 という、大胆な変革であった。 これには、猛烈な反対意見が、湧き上がった。
確かに、対岸とは、蛍見橋という大きな橋で結ばれてはいるが、だ
からと言って、これほどまでに、町の戸数を減らしてしまっては、町全体の活気
というものがなくなる。
第一、武家屋敷を含めて、人々の生活が不便になる、等々の異論が続出して、実行不
可能な形勢になってしまった。
あまりにも、火災の恐怖に怯えた計画だったのである。 最初から、この案には消極的だった沖田筆頭家老は、すぐに、訂正案を示した。
それによると、街道筋の道幅と、それを横切る形の、一番重要な道の拡幅は、変更しないが、火除け地を半分に縮小して、町の小路は、従来通
りで良い事にした。
つまり、最初の案は、町全体を、幾つかの地区に分割したものであったが、それを、
四つの大きな区分にしただけに留めたのである。
そして、小さな料理屋とか飲み屋とか、遊郭などの遊興施設は、すべて、対岸に移るように命じた。 この案は、大方の人々に受け入れられて、それに沿った町づくりが始め
られた。
丁度その頃、次郎兵衛達が、帰国したのであった。 商店にとって、建物の規模を変えるという事は、大変な事である。
街道に面した商店街、寿町の西隅とは言え、木綿屋にとっても、店の規
模の変更から始まって、どのような店舗にするのか、計画が立てられなければ、何も
手がつけられなかった。 志津と病人の父親・重吉とでは、何も出来なかった。
困り果てていた丁度その時、次郎兵衛の顔を見る事が出来たのである。
涙を浮かべて縋りついた志津の心情は、察するに余りあるものであった。
それほどに、事態は切迫していたのであった。
沖田道成が案じた如く、帰ったその時から、一家の主としての責
務を果たすべく、
日夜の努力が必要だったのであった。 しかし次郎兵衛は、顔色にさえも出さなかったが、「絶好の機会」と、内心では、喜
んでいた。
彼には、大阪で見聞きした事で、将来、自分の店でもやってみようと考えていた事が
あった。
それには先ず、店先の間口を、広げなければならなかった。
幸い、左隣の小さな荒物屋が、もとの場所での商いを続ける気持ちを
失って、立ち退く事になった。
次郎兵衛は、即座に、その土地を、先方の言い値で買い取った。
そして、訝る義父母や志津に、こう説明した。 『私は、大阪で、この眼で見てきました。
そういうお店が、あそこにはあるのです。そして、大層、繁盛して居ります。 お店にお出でになるお客様の便利を考えれば、そうなって当然の事なのです。
木綿屋に行けば、木綿の着物や反物だけではなく、簪や櫛笄
などの髪飾りの物、
それに足袋や草履や下駄なども、その場で買えるとなれ
ば、これほど便利な事はないでしょう。 でも、それらを全部、この店の者達だけでやるのは、到底、無理です。
その上、そんなに儲けを独り占めしなくてもいいのです。
私共の商いが、今までよりも少し増えてくれればいいのです。店の奉公人も、増
やしたくはありません。
大勢になればなるほど、眼が行き届かなくなりますし、私自身も、そん
な器量はありませんし、
お店を大きくしたいとも、思っては居りません。 ではどうするか。
早い話が、お店の一角を貸すのです。
髪飾りを売る所、足袋を売る所、下駄を売る所、という風にね。
そのために、店先を広げるのです。 えっ?・・・ああ、貸す場所の大きさですか。
それは、今までのやり方とは違ったやり方をしますから、小さくていいのです。
早く言えば、売る所と作る所を別にするのです。髪飾りの物のようにね。 足袋屋さんでも、履物屋(はきものや)さんでも、売ってる店の奥で作っています
が、作る職人さんと売る人とは、たいがい別です。
それを遠くに離すだけの事なのです。
無論、多少の手直しは、その場で出来なければ困りますけどね。 店の一角を貸す以上は、店賃(たなちん)は、多少は頂きますが、それも、売れ行き
に応じてという事にして、なるべく安くします。
お客様を一人でも多く、私共の店に呼び込み、私共の店の品物が、一つでも多く余分
に売れればいいのですから、
店賃は、安くていいのです。 ただし、私共の店は、絹などの高級品は売っていませんから、入って頂く店も、当
然、町の人達が普段使っている物を、扱う店でなければなりませんがね。
こういうやり方で、如何でしょうか?・・・・・・』 その当時としては、画期的な構想であった。
志津達は、呆気に取られて、まじまじと、次郎兵衛の顔を、見つめるばか
りであった。 次郎兵衛の考え方は斬新ではあったが、周囲の人々には、受け入れられ
なかった。
内々で、沖田家老の承諾は得ていたが、彼の案に賛同して、一緒にやろうと言う者
は、一人も居なかった。
商人の間には、長年の慣習で、扱う品物別に、「寄り合い席」(現在の組合)があっ
て、誰でも勝手に、何でも商っていいという事ではなかった。 当然、次郎兵衛は、先ず、遠くの大きな店に、木綿屋の中に出店を作って欲しいと頼
んでみた。
だが、頭から断られてしまった。
『そんな事をしなくても、今は、売れすぎて困っているほどだ。
経験を積んだ奉公人を、一人でも自分の店から出すなんて、とんでもない』と。
しかも、「ど素人が、・・・」という軽蔑の眼差しが明らか
に見えた。 店の建物は、本格的な、立派な物が出来つつあると言うのに、次郎兵衛の顔色は、冴
えなかった。
いくら、根が呑気な性格であっても、今度ばかりは、意気消沈していたのであった。 半ば諦めかけていた時、志津が、思いがけない提案をしてくれ
た。
卓次の妻のタネの知り合いに、福蔵という男が居た。
福蔵は、腕のいい足袋職人だったが、今度の地震と大火で、左腕と左足を失い、自暴
自棄になって、
毎日、酒びたりで、荒れ狂っていた。
命だけは助かったが、この先、出来る事の当てがない以上、生きる希望がなくなった
のも、当然であった。
福蔵の妻がタネと幼馴染で、その福蔵の事を卓次に話したので、
卓次が志津に、意見して欲しいと頼み込んで来た。
志津は、人のお役に立てるのならと、むしろ喜んで、福蔵の家に出かけて行った。
そして、福蔵の眼の前で、左手で文字を書き、ソロバンを弾き、針に糸を通
して、縫い物をして見せたのである。 『女の私でさえ、これだけの事が出来るんです。
やろうと思えば、どんな事でも出来るんですよ。
ましてや、貴方には、利き腕の右が残っているではありませんか!
足袋が作れない訳はありません。やろうとしないからです。 そりゃあ、私だって、こうなるまでには、大変な苦労をしました。つらいつらい練習
と、工夫の毎日でした。 でもね。少しは遅くても、人と同じ事が出来るようになった時の嬉しさは、
とても他の人には、分かって貰えないほどのものなんですよ。
涙が出て止まらないくらい、自分を褒めてやりたい気持ちでしたよ。 やろうと思えば、何でも出来るんだって信じて、やってごらんなさい。
左腕しか残らなかったこの私に、負けたくないとは思いませんか!
男でしょう!もっと、しっかりしなさい!』 志津の言葉には、迫力があった。
しかも、眼の前で見せられた見事な所作には、福蔵も圧倒された。
その場で、『何とかやってみます!』と、誓っていた。
志津は、この福蔵に店の一角を貸して、足袋の商いをさせたらどうかと言うのだっ
た。
震災で、身体の一部を損傷して、一人前の仕事が出来な
い人に、
働く場所を提供するという大義名分があれば、同業者も、反対は
出来ない筈だと、志津は言った。 こうして、二ヵ月後、再建された木綿屋の店の一角に、福蔵の店は開かれた。
当初は、あまり知られて居なかったが、片腕片足で頑張っている福蔵に、称賛と同情が集まり、
協力の気持ちで、買って行く客が次第に増えて行った。 噂が広がって行くに連れて、「同じ値段なら、福蔵の所から買ってやろう」という声
が多くなって来て、福蔵の店は繁盛した。
それとともに、次郎兵衛の狙い通り、一ヶ所で何でも間に合うという便利さ
も評判になって、木綿屋も繁盛した。
福蔵は、お客の要望によって、草履や下駄も置くようになり、そ
れが又、お客を呼んだ。 天災による障害者には、周囲の人々も温かく接したので、同業者の商人達も、大目に
みていた。
福蔵一人では、自分達の商いを脅かすほどのものにはならぬと、分かった
せいもあった。
こうして、すべては順調に運び、又、穏やかな日々が戻って来た。 翌年の夏の初めに、筆頭家老の沖田孫右衛門が、突然、病に罹って、亡く
なってしまった。
まだこれからという時に、この世を去った本人もさぞや心残りだっただろうが、藩の
大部分の人達も、これを惜しんで、
葬儀には多数の人々が参列し、盛大に行われた。 急遽、跡を継いだ守山甚兵衛は、温厚な、誰にでも好かれる人物だった。
という事は、裏を返せば、自分の主義主張を持たない、日和見的人物という事でもある。
敵になる人も居ない代わりに、力強い味方も居ないのだ。 政事の先頭に立って、藩を支えて行くのには、今一つ力量が足りず、
筆頭家老の職には相応しくない人物と、衆目の一致する所
であった。
本人も、それを自覚して居り、「この難しいご時世に、巧く舵取りの出来る人を、早く選び出して貰いたい」と、
重臣達に申し入れていた。 だが、その人選は、困難を極めた。
自薦他薦入り混じって、なかなか決まらなかった。
沖田孫右衛門の子息、沖田道成を含めた三人に、候補者が絞られ、熾烈な争いが続いた。 そんな或る日、次郎兵衛は、道成に呼ばれた。
孫右衛門の時と同じように、浄法寺の庫裏の一室であった。
この会談の方法は、二人が大阪で親しくなった時、次郎兵衛が、今までの経緯を全部話し、
そのついでに、教えて置いたのであった。
父・孫右衛門が、どのようにして次郎兵衛と接触していたのか、いつも疑問に思って
いた道成が、
初めて知った二人だけの秘密であった。 だが、次郎兵衛は、この事を打ち明けた時にも、道成に念を押していた。 『私は、武家の出ですが、あくまでも町人で居たいのです。
だから、表立ってのご家老様とのお付き合いは、極力避けたい。他人には、知られたくないのです。
いくら利があっても、お武家様との係わり合いは、持ちたくないと思って居ります。 道成様も、ご同様にお願い致します。・・・』 その時の道成は、次郎兵衛が、婿養子であるがための、小心な用心深
さだと判断していたが、
次郎兵衛の心の奥深い所に澱んでいる、武家社会への不信感までは、到底、
読み切れる筈はなかった。 『それでな。正直に申すと、拙者も迷って居る。
あまり強引な事をしては、後に禍根を残す事になるであろう
し、
さりとて、ただ傍観して居る訳にもいかぬ。難しい所じゃ
て、・・・』 道成は、権力争いの渦中にある自分の立場を、かなり率直に話した後、
何の関係もない第三者の意見を聞くという形で、次郎兵衛の判断を求めた。 『貴方様の今のお気持ちは良く分かりますが、私の申し上げられる事は、ただ一つで
す。
ご無理なさらないように、という事です。
忌憚のない意見を聞きたいと仰いましたので、ここだけの話
としてお聞き下さい。 そもそも、もし筆頭家老になられたとして、貴方様は、何をなさりたいのですか?
まさか、ただ権力を握りたいだけだ、などとは、仰らないでしょうね。
藩のため、主君のため、などという表向きの歌い文句はさて置
いて、
この阿佐野藩の領民のために、何をどうすべきかを問われているのではないでしょう
か? 無論、貴方様も、理想の計画は、お持ちでしょう。
でも、それをどう実現するかが問題なのです。
仮りに、他の人の協力を得て、無理に権力を得たとしましょう。
そうなれば、協力した人達の言う事を、かなり聞き入れなければなりません。
つまり、貴方様の意に反した事を、次から次へとさせられるのです。
そこには、貴方様の存在価値は、ほんの少ししかないのです。
それ故、ご無理なさってはいけないと、私は思うのです。 貴方様に、そうなるべきご運があれば、無理なさらなくても、自然に、そうなりま
す。
周囲の人達が、それを望むのです。
そういう事が、一番大切なのです。
人の上に立つ方は、人望がなくては勤まりません。人を動かすためには、そ
の人望が一番必要な事なのです。 私が貴方様に融通する金子(きんす)は惜しみませんが、もっとどっしり構え
て、
無理にはなりたくないと、はっきり仰るのです。
人は、要らないと言えば、くれたがるものですよ。
欲しがらない、無欲で居るという事、それは、亡きお父上様の信条ではございません
か。
お父上様のように、おなりなされませ。 私に言える事は、これだけです。』 次郎兵衛には、分かっていた。
家老の末席に連なってはいるが、道成は、まだまだ経験も浅く、学ばなければならな
い事が、多い筈なのだ。
今は、先頭に立つべき時期ではない、と。 それに、道成には、あえて言わなかったが、大阪に行った時の表向きの使命を、彼は
忘れては居なかったし、
それを密かに実現しようと努力していたのである。
それは、次郎兵衛にとっては、今は亡き沖田孫右衛門の、遺言のような
ものであった。
「大阪に行って、藩の特産物になるような物を、探して来い」と、言われたのであっ
た。 だが、それが完成するのは、まだまだ先の事であったが、その成功の暁には、
それを手土産にすれば、道成は、筆頭家老の座を手に入れる事が出来る
と、次郎兵衛は、考えていたのである。
だから、時期尚早と言って、今回は見送って欲しいと、言外に匂わせたのであった。 一方、沖田道成も、次郎兵衛の言葉を、素直に心に留めた。
彼は、あの大阪からの帰国の、つらい急ぎの旅の中で、より一層深く、次郎兵衛の人
柄を知るようになり、
父が、次郎兵衛を強く信頼していた理由が、はっきりと分かったのであった。
彼もまた、父以上に次郎兵衛を信頼し、次郎兵衛の意見を尊重して、それに従う気持
ちになっていた。 次郎兵衛には、人より優れた能力はなくても、大所高所から見
る眼は、確かであった。
あまり欲がないため、目先に拘らない見方が出来るためなのだろう。 次郎兵衛が、大阪に連れて行った卓次と辰吉は、帰って来てから、人が変わったよう
になってしまっていた。
彼等が見聞きした大阪での日々が、そうさせたのである。 次郎兵衛は、最初、「藩の特産物を見つける」という表向きの使命を、かなりの額の
懸賞金をつけて、二人に任せた。
面白半分で競争し始めた二人は、大阪という活気に溢れた雰囲気に煽られて、次第に真剣になり、互いに競い合って、大阪中
を探し歩いた。
卓次が農家の出で、辰吉が町家の出だった事も、その競争心を刺激する結果となり、
次郎兵衛も手を焼くほどであった。 短気で、喧嘩早いという性格は、無頼の者達に共通する点であるが、
これを裏返せば、物事に熱中し易いという事になる。
卓次と辰吉は、夢中になれる物を見つけたのであった。 先ず、辰吉は、コンニャクに眼をつけた。
コンニャクは、豆腐と同じように中国から渡って来た物で、特に、僧侶や公家の社会
では、古くから食べられていた食物であった。
京・大阪では、料理法も発達して、次第に、庶民の口にも入るようになっていた。 これには、コンニャクの製造方法が、大きく変わった事が貢献していた
のである。
従来の方法は、収穫したコンニャク玉を、洗って、そのまますりおろして、これに水
とニガリを加えて煮立て、
豆腐と同じような方法で作っていた。
コンニャク玉は、腐り易く、しかも重かったので、輸送にも保存に
も適さず、収穫した秋から冬にかけての、
一部の人々の食物でしか、あり得なかったのであった。 だが、江戸時代の中頃、コンニャク玉を輪切りにして、藁を通して数珠
のように連ねて、
風通しの良い軒先に吊るすと、乾燥して水分が抜け、非常に軽くなり、腐敗もなくな
るという事を、見つけた人が居た。
そして、この乾燥したコンニャク玉を、臼などで搗いて粉にし、ニガ
リを入れた水で練って、茹で上げれば、
すりおろした物と同じになる事を、発見したのである。
こうして、輸送が楽で、保存も容易という事になれば、需要は、飛躍的に伸びた。 だが、このコンニャクという作物は、芋の一種でありながら、成長が非常に
遅いという難点があった。
種芋の植付けから収穫まで、三年も五年もかかるという欠点があったの
である。
それは、日陰の、あまり肥沃でない痩せた土地を好むという性質の
ためであった。 辰吉は、需要の増加に伴わない、生産の低さに眼をつけた。
そして、阿佐野藩の地形が、痩せた寒冷な土地が多い事と考え合わせて、これこそ特
産物になり得ると、
鼻高々で、次郎兵衛に報告した。 一方、卓次の見つけた物は、甘薯、所謂サツマイモであ
る。
この作物は、元々は、南方の薩摩の国の、そのまた南方の片隅で、細々と栽培されていた物であった。
原産地が熱帯地方なのだから、当然の事だったが、これが次第に北の方に広がってき
ていた所を、
青木昆陽という学者が眼をつけて、これを研究して、栽培方法
を確立した。
食物としての甘薯は、地中に出来る芋そのものだけではなく、地上に繁茂する蔓も、乾燥すれば、保存食になった。
つまり、殆どすべてが食べられる作物だったのである。 幕府が率先して、この作物の栽培を奨励していたが、南国原産の作物だけに、
関東以北に、その栽培を広げるのには、幾つかの困難があった。
卓次が眼をつけた時には、大阪では、その料理法が色々と工夫されて、生産と供給さ
え確保出来れば、需要は、まだまだ伸びると見込まれていた。 だが、北方の寒冷地である阿佐野藩で栽培するのには、大変な障害があった。
一つは、南方原産の甘薯は、寒さには、特に弱かった。
取り入れ後の保存が、難しいのだ。コンニャクと同じように腐り易い性質を持ってい
た。 もう一つは、春先の植付けの方法である。
甘薯の蔓の先を短く切って、土中に挿せば、割合簡単に根付くのだが、
種芋から、肝心の蔓を伸ばさせる方法が、難しいのである。
温かい地方では、春先、土中に埋めれば、自然に蔓が伸びて来るのだが、寒い地方で
は、早めに蔓を植え付けないと、
取入れまでの期間が充分でなくなる。従って、如何に早く蔓を伸ばさせるかが、問題
だったのであった。 二人の見つけてきた物は、それなりに、試してみる価値はあると思われたが、それを
やってくれる人を選ぶのには、
次郎兵衛の交際範囲は狭すぎて、到底不可能であった。
さりとて、沖田道成では、交際相手が大きすぎて、とても、まともに取り合ってはく
れぬだろうと思えた。
小回りが効いて、実際に農事に携わっている人、しかも、新しい事に興味
があって、積極的にやろうという意欲のある人、これが、最低の条件だった。 幸い、次郎兵衛には、このような事を相談出来る相手が、一人いた。
親友の平山重吾郎である。
彼は、今、郡奉行の配下で、毎日のように、農村を見回っていた
のも、好都合であった。
或る夜、次郎兵衛は、重吾郎と会った。
浄法寺の裏手の卓次の家での、辰吉と四人だけの談合であった。
以前の、菊川の一件以来、卓次も辰吉も、重吾郎とは顔馴染であっ
た。 『お前も大変なんだなあ、・・・・・・』 次郎兵衛から、事の経緯を聞かされた重吾郎が、先ず口から発した言葉
が、この感心したような口ぶりだった。 『そう言えば、あの地震のすぐ後で、俺が、お前の様子を見に木綿屋に行った時、志
津さんが言いにくそうに、
「ちょっと遠くの旅に出ている」としか話してはくれなかったが、そんな目論見で、大阪くんだりまで行っていたのなら、
詳しい話をしてくれなかったのも、当たり前だな。・・・・・・ まてよー、・・・俺はあの時、腹を立てていたんだ。
親友のこの俺に、一言の挨拶もなく、遠くの旅に出るなんて、なんて薄情な奴なんだ
ろうってな。・・・忘れてたよ。
だが、沖田家老様のご命令とあれば、致し方のない事だとは思うが、お前も、とんだ
人と係わり合ったもんだ。 うっ?なんだぁ?・・・・・・そうかそうか。俺が最初に、寛四郎の事を、持ち込ん
だのだったな。お前がまだ常念の頃だった。
思えば、あれからか。あいつの事から始まって、ご家老様と繋がったのか。
そう言われれば、俺も責任の一端はあるっていう事か。 ま、責任があってもなくても、お前の相談には乗るが、亡きご家老様のご遺言ともなれば、
より一層の奮発をせねばなるまいて、・・・
よし!俺にまかせろ!
こういう事は、俺の得意中の得意だ!
何しろ、この通り、年がら年中、真っ黒になって、村々を見回っているんだからな。
どの庄屋が、どんな事をしているか、何処そこの村役は、どんな人柄
か、などという事は、熟知しているよ。 大丈夫だ。安心してまかせろ!
だが、こういう話は、どうしても現物が要るぞ!
現物を見せて話した方が、説得し易い。 お前ら二人は、すぐに大阪に行って、コンニャクの粉と、甘薯を手に入れて来い。
丁度、今は初秋だから、早出しの物が、ぼつぼつ出回る頃だ。
手に入るまでは帰ってくるな!
それと、二つの品物が揃っていなければ、具合が悪い。 俺は、二つとも、同じ人に頼むつもりでいる。
心当たりがあるんだ。丁度、ピッタリの人が居るんだ。
一人に両方ともやらせれば、秘密は守り易い。
極秘でやらんと、ちょっかいを出してくる奴がいるからな。
手柄を横取りされたら、折角のお前らの苦労が水の泡になってしまう。分かったな。・・・』 重吾郎は、いつになく多弁であった。
彼もまた、言わば、世の中の先取りをするこの試みに、大いに心を動かされ、賭けをしているような、
躍動感を感じていたのであった。 重吾郎の見つけた人は、丸子村の名主・初左衛門という
人であった。
研究熱心な人で、色々な事に興味を持ち、農事に関する事なら、何でも試してみると
いう人物であった。
村人達は、新し物好きの、お調子者と、陰口を叩いていたが、本人は、至極真面目で、
この道楽さえなければ、・・・と、家族は嘆いていたのである。 そこに重吾郎が、とんでもない話を持ち込んだのだ。
彼が、その家の家族全員から、白い眼で見られたのは、当然だった。
だが、重吾郎は、そんな事は、お構いなしで、一切無視した。
彼は生来、図太い神経の持ち主だったのである。 その上、彼は、次郎兵衛や卓次・辰吉達の苦労を知っていた。
彼等の汗を無にする事は、絶対に出来なかった。
多少の非難、誹謗は、覚悟の上であった。 しかし、初左衛門は、予想を上回る知識と経験を持っていた。そして、その彼に、絶
好の機会がやってきたのだ。
家族の者達や、村人達の非難を一身に受けながら、試行錯誤を繰り返して、努力してきた事が、
今ここで、役立つかどうかの瀬戸際だったのである。 コンニャクの事は、すでに知っていて、実際に栽培もして居り、量産の方法まで、考
えついていた。
ただ、それをどう売ればいいのかが、分からなかっただけであった。
それが、こうすれば売れると分かり、需要がある事も分かったのだ。
初左衛門が、涙を流して喜んだのも無理はなかった。
好機到来である。
今や、彼の長年の苦心は、遂に実を結び、花を咲かせようとしているのだ。 早速、先般の飢饉の折に隣国から流入し、丸子山の中腹に、開墾地を与えられて定住
した、細尾部落の農民に、
コンニャクの種芋を配布して、その栽培方法を教えた。
無論、手付金も支払い、秋には、全部買い取る事を約束した。 ちなみに、コンニャクの栽培方法は、次の通りである。
日陰の、あまり水はけの良くないような畑に、春先に種芋を植える。
秋までは、たまに雑草を取ってやるらいで、殆ど、手をかけないですむ。
初秋に、少し大きくなった球状の芋を掘り上げる。
その芋を、二年〜三年繰り返して植えて行くと、大きくなって、周囲に子芋をつける
ようになる。(ここの所が、サトイモなどとは違う)
その子芋が、種芋になるのである。 コンニャク芋の主成分は、殆ど水なので、非常に腐り易い。
収穫した秋から、植え付ける春まで、農家の土間の片隅に置くだけでいいのなら、取
り扱いは簡単なのだが、そのような方法では、水分が凍ってしまって、春先
には、腐ってしまう。
又、傷が少しでもついていると、そこから腐ってしまうので、一度置いたら、なるべ
く動かさない方がいい。
取り扱いが非常に面倒な作物なのだ。 保管場所は、温度が一定していて、しかも、あまり温かくならない所が最適で、凍ら
ない程度の土の中がいいのである。
その保存方法さえ確立すれば、これほど手の掛からない作物はなかった。
初左衛門は、コンニャクの性質を良く知っていて、土中に埋めて保存する方法を、す
でに、考えついていたのであった。 この方法は、甘薯の保存にも適用出来た。
甘薯は、温かい南向きの斜面の横穴を掘り、そこに保存すればいいと分かっていた。
だが、問題は、春先に植え付ける蔓を、如何にして早く出させるかという点にあっ
た。 農事の改良には、たいがい、長い年月を要するのだが、初左衛門の、これまでの無駄
と思われた試行錯誤の経験が、
充分に生かされて、僅か二年で、完成したのである。
コロンブスの卵の話と同じで、出来上がってみれば、なぁーんだと思うような、誰に
でも出来る、簡単な方法だった。
だが、そういう簡単な方法でなければ、農民の間には広がっては行かないものだか
ら、
そこが、初左衛門の苦心した所だったのである。 甘薯の早期の発芽と、蔓の繁茂には、次のような方法が取られた。
囲いの中に落ち葉を大量に入れて、土を被せ、その土の中に、種芋を埋めるという方
法である。
落ち葉は、腐って行く時に、発酵して熱を出すから、囲いの中は、非常
に暖かい。
その熱が、南方原産の甘薯には、程よく伝わって、早々と発芽して、蔓を伸ばすので
ある。
約一ヶ月ほどかかって、勢い良く伸びた蔓の先の方を、二十センチほどに切って、温
かい日差しの当たる南側の畑に、植え付けるのである。
後は、草取りも、初めのうちだけで、根付いて蔓が繁茂すれば、何もしなくていいと
いう手の掛からない作物であった。 この完成までの間、卓次も辰吉も、生まれながらの百姓のように、
一生懸命、初左衛門を手伝った。
秘密を守るためには、手伝う人間は、この二人だけが一番と、重吾郎は最初から決め
ていたが、
この変わり者の名主に、喜んで手を貸す者は居ないという事情もあったのである。 或る日、沖田道成は、これらの成果を、重臣会議の席上で、発表した。
当時、ようやく幕府が本腰を入れて、甘薯の栽培を奨励し始めた所だったので、いち
早く甘薯に眼をつけ、その栽培方法を確立させた沖田に、称賛の声が
集まった。
コンニャクを、藩の特産物として、栽培を督励する案も、全員一致で可
決された。 道成は、この二つの作物を、この地に定着出来るようにするために、今まで努力して
きた経過を、こう説明したのである。 『先般、それがしが藩命により大阪の蔵屋敷に出向いた際、手の者に言いつけて、藩
のお役に立つ物を探させた所、
色々な物の中に、それがしの眼に止まった物が、この二つでござった。・・・・・
・』 本来なら、「父・孫左衛門の発案であり、それに繋がる木綿屋次郎兵衛と、その配下
の者達の手柄」として、報告すべきであったが、次郎兵衛の強硬な願
いで、その功績の大部分を、道成の才覚としたのであった。
確かに、その方が、重臣達への印象は、強烈であった。
藩のため、領民のために、先行きの見通しを立てていた(と思い込んだ)沖田を、筆
頭家老に押す声が、俄かに、高まったのである。 無論、実際に、その栽培方法を確立させた初左衛門には、特別の報奨が与えられた。
一番、得をしたのは、平山重吾郎であった。
彼は、道成の命を受けて、初左衛門を説得し、助力者(卓次と辰吉)を提供した事に
なっていて、
かなりの報奨と、家禄の加増を得たのであった。 次郎兵衛が、陰の最大の功労者である事は、道成、重吾郎、卓次、辰吉の四人だけが
知っている事で、
初左衛門にすら、知らされては居なかった。
次郎兵衛は、あくまでも表面に出る事を、嫌った。
しかも、普通の商いで得る儲け以外は、何も求めなかった。
彼の無欲は、周囲の人々には、異常とさえ見えたが、彼の、武家社会への不信感が変
わらない以上は、
藩との繋がりを、極端に恐れるのは、当然の事であった。 だが、商人達の感覚は鋭い。
心ある人々は、この件に関する次郎兵衛の存在を知り、その無欲な態度に、称賛
の眼を向けた。
そしてそれが、大火災の後の、木綿屋の新しい商いのやり方について、多少の疑問視
がされていたのを、時代の先取りと理解されて、尊敬の眼で見るように変えて行った。 こうして、次第に、木綿屋次郎兵衛は、商人仲間の間で、尊敬され、指導的立場に立
つように、推薦され始めたのである。
それは、彼の好む所ではなかったが、かと言って、そうむやみに断ってばかりも居ら
れず、不承不承ながら、
自然に、人の上に立たざるを得なかった。
運命とは、こんなものかもしれない。 瞬く間に、五年が過ぎた。
この間に、義父の重吉が亡くなり、堀田家の実母も見送り、小言を言う人が居なくな
ると、
次郎兵衛は、心に、ぽっかりと、穴が開いたような淋しさを、覚えるようになって来
た。 誰でも一度は経験する事だが、或る年齢になると、自分のこれまでの人生に、疑問を
持つ時期がある。
無我夢中で過ごしてきたこれまでの生涯に、果たしてこれで良かったのかという疑問
を抱くのである。
或いは、もう先の見えて来た自分の人生は、こんなものだったのかという失望と、諦
めを感ずる。
それとともに、若い頃、夢見ていた事と、現実との格差に気付いて愕然
として、焦って、何かをしたいと願う。 その焦りは、それこそ、人それぞれで、その度合いの小さい人は、趣味などの道に走
り、
大きな人は、道を踏み外すような事にもなる。
しかも、その時期が、中年以降の、もはや、やり直しの効かない年齢の時に、
そうなってしまう事が多いので、
家族の者達は、困惑するのである。
そして、その岐路もまた、運命的な出会いによって、決まってしまう。
そんな、神の悪戯とでも言うべき出会いが、往々にしてあ
るのが、この世の習いなのだ。 次郎兵衛の身に、或る日突然、それが訪れたのであった。 口にした事はないが、他の人には滅多にないような特異な経験をして来た彼には、他
の人の倍以上の人生を歩んで来たという
自負があった。
そんな豊富な経験が、常に、彼を冷静にさせ、何事にも、溺れるという事はなかっ
た。 商売仲間の人達との付き合いで、やむなく始めた茶屋遊びも、一応は無難にこなし、
茶屋女や芸妓も、幾人か抱いては見た。
上得意客や仕入先の問屋を接待するためにも、こういう事は、慣れて置かなければな
らなかった。 そんな表向きの理由はともかく、近頃では、毎晩のように次郎兵衛が遅
く帰って来ても、
志津は、ヤキモチを焼かなかった。
母親から、しつっこいくらい、言い聞かされていたからであった。 『殿方は、どんなお方でも、必ず、一度や二度は、浮気の虫に取り付か
れる事があるものです。
その期間が、長いか短いかは、人それぞれですが、それでも、何時かはきっと、その
熱の冷める時が来ます。 その時に、優しく迎えられるかどうかが、妻の価値を決めるのですよ。
それを忘れてはいけません』と。 志津には、充分に、分かっていた。
次郎兵衛が、どんなに浮気をしようと、木綿屋を潰すような事は、決してし
ない、と。
それに、「旦那様は、私から離れたら、暮らしては行けない人なんだ」という自信も
あった。 幼い頃から「屑」と呼ばれて、軽蔑されていた次郎兵衛が、今は、一人前以上の立派
な商人(あきんど)と、誰からも認められるようになったが、彼の心の奥底に潜んでいるものは、「屑」のままで居る方が、どれほど気が楽か・・・という怠惰
な気持ちだった。
その事を、志津は、良く知っていたのである。 沖田孫左衛門との繋がりも、初めは、たった一回きりの事だからと、軽く考えていた
のに、それが次第に大きくなって、コンニャクや甘薯の栽培まで係わってしまい、よ
うやく終わったかと思えば、今度は、商人仲間から無理やり先達にされ
て、先頭に
立って何でもしなくてはならなくなってしまった。
どう足掻いても、昔の、怠惰な、しかし気楽な繁太では、居られなくなった
のである。
彼の心には、その重みが、ずっしりと沈んで行くばかりであった。 その何処にも向けようのない憤懣と、人生への疑問に悩み始めた事とが
重なった時、
ふと、奇妙な縁(えにし)で、出合った女があった。
多加という女である。 それは、夏の盛りを過ぎて、ようやく朝夕が涼しくなって来て、人々がほっとした気
分になった頃の事であった。 或る夜、いつもの商人仲間の寄り合いの席があった。
今年の稲作の出来も良く、筆頭家老になった沖田道成の政策も穏やかなもの
だったので、
藩内は、一応、平穏を保っていた。
そんな背景もあって、寄り合い席の議題も、さしたる事もなく、他に用事のある人も
居て、いつもより少し早めに散会した。 世話役だった次郎兵衛が、後に一人残って、細々とした事の整理をして
いると、女中がそばに寄ってきて、
「辰吉さんという人が、別室でお待ちしています」と、耳打ちした。
次郎兵衛が廊下に出ると、その女中が待っていて、別室に案内してくれた。 部屋に入ると、一人座っていた辰吉が、いきなり喋りだした。 『旦那、お呼び立てしまして、誠に申し訳ありません。
実は、どうしても、旦那にお目にかかりたいという人が居りやして、・・・ では、あっしはこれで、消えさせて頂きやす。へい。ごめんなすって、・・・』 辰吉も少し慌て気味で、早口に、一人でベラベラと喋って、素早く消えてし
まった。 次郎兵衛には、分かっていた。
帰ってしまったように見せかけて、辰吉が、きっと何処かで聞き耳を立てているに違
いない。
好奇心の人一倍強い彼が、このまま黙ってほっとく事は、ない筈だと思った。
だが、それも良かろうと、次郎兵衛は、苦笑しながら、一人でゆっくりと、杯を干していた。 四半刻(しはんとき・現在の三十分)ほどして、やっと衣擦れの音がし
て、
『ご免下さいまし。こちらは、木綿屋さんのお座敷でしょうか?』
という、女の声が、廊下から聞こえた。
返事をすると、障子を開けて入って来たのは、眼にも鮮やかな芸妓であった。 『おいおい、私は呼んだ覚えはないよ。座敷を間違ったのではないか?』 『いいえ。私は呼ばれて来たのではないのです。
私が旦那にお逢いしたいと、辰吉さんに頼んだのです。 私、美代香(みよか)と申します。紅屋から出て居ります。 『ちょっと待って下さい。
いくら野暮な私でも、紅屋さんが、このご城下では、一流中の一流の、芸妓
置屋(げいぎおきや)である事ぐらいは、
存じて居ります。 美代香さんとかおっしゃいましたね。
どうしても、貴女との係わり合いは、私にはないと思いますが、・・・』 『いえ、私がお逢いしたいお方は、今の木綿屋さんではなく、
もっとお若い頃の、常念様か繁太様ですのよ。オッホッホッホッホ・・・・・・』 『・・・ふーむ、・・・どうして、それを?・・・』 次郎兵衛が驚いて、聞き正そうとした時、廊下に人の気配がして、遠慮がちながら、
小さい声がした。 『お姐さん、お早く、・・・』 『はい、ただいま参ります。・・・では失礼致します。』 丁寧にお辞儀をした美代香は、立ち上がると、素早く次郎兵衛の傍らに来
て、跪いて、囁いた。 『明日、昼下がり、辰吉さんがお迎えに上がります。
どうぞ、いらっして下さい。お待ちして居ります。』 にっこり笑った笑顔を見せ、かぐわしい香りを残して、天女は立ち去っ
て行った。
次郎兵衛は、ただ呆然と、見送るばかりであった。 『お前、どうして、あの人を知ってるんだい?』
翌日、辰吉に案内されながら、次郎兵衛は、尋ねた。 『いえ、とんでもねぇ!いくらなんでも、あっしの知り合いって訳じゃねえんです。
あんな、ずぅーっと遠くの高嶺の花を、あっしみてえなもんが、知ってる
訳はねえでしょう。 なにね、あっしのカカアの友達に、紅屋の下働きをしているのが居り
やして、その友達の頼みを、うちの奴が引き受けて来ちまったもんで、・・・ 辰吉は、汗をかきながら、弁解した。どうも、こういう事は苦手らしい。 程なく着いた場所は、予期していた茶屋などではなく、一軒の町家だっ
た。 『良くいらっして下さいました。どうぞ、お上がり下さい。
辰吉さん。ご苦労様でした。 昨夜は、たいへん失礼を致しまして、・・・ 素顔に近い化粧を落とした顔で、出迎えた美代香は、それでも、充分に美しく輝いて
いた。
何処となく、いそいそとした素振りも見えていたので、次郎兵衛は、訝りながらも、弾む思いがしていた。
この紅楼の水で磨き上げられた美女と、差し向かいで話をする
のは、男にとっては、何よりのご馳走であった。 『ここは、貴女のお家ですかな?』 『はい。さようでございます。
何処か別の、お料理屋さんなどにお招きしようかとも思ったのですが、これから、お
話し申上げる事の内容が、
そのような場所では、相応(ふさわ)しくないと考え、あえて、失礼を承知の上で、
ここにお招き致しました。 『いやいや、そのような事は、お気になされますな。一向に構いませ
ぬ。
そう言ってはなんですが、あまり堅苦しい場所では、かえって、話は聞きづらいもの
です。
何事も、ざっくばらんの方が、私の性に合って居ります。 どうぞ、何なりとお気軽におっしゃって下さい。何を聞かされても、驚きはしませ
ぬ。
そのくらいの修行は積んで居りますから。
またもし、私に、お尋ねになりたい事があれば、なんでも正直にお答え致します。
それしか、能のない男ですから、・・・』 『フッフッフッフ・・・面白いお方。
やはり、私の思っていた通りのお方でしたわね。
それでは、お言葉に甘えまして、言葉を飾らずに、申し上げましょう。 ああそうそう。昼間からお酒という訳にも参りませんので、こんな粗茶ですが、堪忍
して下さいね。 さて、何からお話しましょうか。
お話したい事が沢山ありすぎて、何処からどうやってお話したらいいのか、迷ってし
まいますわ。・・・ 『まあまあ、今日はゆっくり出来ますから、そう焦らずに、のんびりゆっく
り、お話を伺いましょう。・・・ さっきから、考えているんですがね。
確かに、何処かでお目に掛かっているような気がするのですが、さて、何処で、い
つ、となるとサッパリ思い出せないのです。
私は、幼い頃から、物覚えが悪かったものですから、・・・』 『フッフッフ・・・その幼い頃に、お目に掛かって居りますの。一度だけですけど、
・・・ 私、誰も知らない事ですけど、本当の名前は、石川多加と申します。
そう、貴方様のお兄上の繁孝様が、婿入りなされた石川家の、末娘でございます。
驚かれましたか?・・・・・・ 姉の婚礼の折に、貴方様を、一度だけお見かけしましたが、私は、良く覚えて居りま
すのよ。
繁孝様に良く似たお顔をしてらっしゃるが、性格は、まるで正反対とお聞きして居り
ましたので、
どんなお方かと、内心、興味がありましたからね。』 『これはこれは、どうも、・・・・・・
とんだ所で、旧悪が露見しましたな。』 『ホホホ・・・、昔、お目に掛かっている事は、お分かりになったでしょう。 それはそれとして、私共の家族は、お義兄様の、あの事件以来、大変でし
た。
百石あった家禄が、たった十石に減らされては、幼子を抱えた姉上と、
私と年老いた両親だけに人数を減らして、
あらゆる工面をしても、食べては行けませんでした。
それに、周囲の人達の冷たい仕打ちにも、耐えて行かなければなりませんでし
た。 それで、とうとう、私が一家の犠牲になって、身を売る事になりました。
それしか、方法がなかったのです。
誰のせいでもありません。「身から出た錆」と諦める以外には、なかったの
です。 私は、或る人の養女になり、名前も換えて、その家から紅屋に入りました。
だから、私の過去は、誰も知らないのです。
それをあえて、貴方様にお話したのは、特別な理由があるからです。・・
・』 やはり、深刻な話であった。
次郎兵衛は、特に、このような話が苦手だった。
女が、泥水を被るような、色街の水に漬かるのには、それぞれ、それ相
応の、深刻な事情があってこそなのだ。
だが、もはや取り返しのつかぬ過去の話を、涙まじりに聞かされても、そうかそうか
と言う以外に、方法はないのである。 誰にだって、人には言えないような苦労は、過去にあったのだ。
だから、「言っても仕方のない事は、絶対に言わない」のが、次郎兵衛の信念だった
し、
このような「お涙頂戴」的な話には、興味はなかった。
でも、この場は、ただ黙って聞いているより他はなかった。 美代香の話は、なおも続いた。 『後日になって聞いた話ですが、常光寺のご住職が、「切腹した若
者達の霊を慰めるための法要をする」と、正々堂々とおっしゃって、藩からご注意を
受けた時、「死せる者は、すべて同じ仏となる。これを供養するのは、寺としては当
然の事。
それとも、死せる者達の怨念がさ迷って、この先ずぅーっと、ご重役方
につきまとっても良いと申されるか!」と、
あべこべに言い返されたそうです。 そして事実、常念様という若いお坊さんに、その供養のためにのみ、毎日ありがたい
お経を挙げるようにと、
お言いつけになったそうです。 私達は、涙を流して喜びました。心から感謝致しました。
世の中に、人々の私達への冷たい視線しか感じないこの世の中に、こんなありがたい
事を仰って下さって、
供養までして頂けるなんて、思いも寄らない事だったのです。 私は、その時初めて心に誓いました。
供養のお経を、毎日挙げて下さるお方が居らっしゃる限りは、私も決して、どんな事
があっても、挫けたりはしまい、と。
それは、私の生きる支えでした。
私がこれまで、人に後ろ指をさされるような事もなく、どうにか人並みにやって来れ
たのも、皆、常念様のお陰なのです。 それが先日、ひょんな事から、常念様が、お義兄様の弟御の繁太様
で、
今は還俗して、木綿屋次郎兵衛様になって居る事を知りました。
私は、どうしてもお逢いして、お礼を申し上げなければと思い、矢も盾もた
まらず、無理に、辰吉さんにお願いしてしまいました。 本当に、ありがとうございました。
改めて、お礼を申し上げます。・・・』 美代香は、一膝下がって、深々と頭を下げると共に、ついた両手の上
に、涙が滴り落ちていた。 次郎兵衛は、事の成り行きが思わぬ方向に進んだので、慌てて、無意識のう
ちに、美代香の両手を取って握り締め、
無言のまま、頷いて見せた。
それは、事件の陰で泣いた者同士にしか分らない、共感であった。 やがて二人は、互いにきまり悪そうに微笑み合って、涙を拭いた。 『あっ!そうそう。貴女は、あの事件の真相をご存知かな?・・・』 次郎兵衛は、急に思い出したように、喋り始めた。
何か喋っていないと、落ち着かない気分だったのである。
その思いは、美代香にも通じていた。
まるで初恋の者同士のような、初々しい雰囲気が、二人を
包んでいた。 次郎兵衛は、事の真相を語るとともに、沖田孫左衛門との繋がりから、その子息の道
成との係わり合いまで、
すべてを美代香に話してしまった。
それは、かなり長い話であったが、彼女は、眼を輝かして聞き入っていた。
何故、次郎兵衛が、こんなに喋ってしまったのか、何故、美代香が、こんな話に興味
を持ったのか、
それは誰にも分からない事だった。
まさに、神の悪戯と言うべき出来事だったのである。 二人は、この日を境に、急速に接近して行った。
やがて、大人の恋として、肌を合わせるようになったのも、当然の成り行きであっ
た。
ただ、美代香は、紅楼の女という職業柄、何人かの男に抱かれはした
が、心まで与えてしまったのは、
次郎兵衛が初めてだったのである。 美代香は、不思議な女であった。
唄や踊りも、三味線や太鼓も、芸妓の身につけなければならない
芸事すべてに、非凡な才能を発揮し、たちまち売れっ子になった。 しかも、元を正せば、百石取りの、れっきとした武家の娘である。
幼い頃より躾けられていた、行儀作法や学問の素養が、これに加
わっていたのだから、一流中の一流芸妓として、持て囃されたのも、無理は
なかった。
だから、紅屋でも、彼女だけは、破格の取り扱いをして、独立した一軒の
家を与えて、自由にさせていた。 或る時、次郎兵衛が尋ねた事があった。
『どうして貴女は、そう何もかも巧く出来るんですかね』と。
美代香は、事も無げに答えた。
『私、何かに打ち込んでいなければ、挫けそうだったんです。
一生懸命、何かをしていなければ、生きては居られなかったのです。ただそれだけの
事ですの。』 だが、どれほど芸事が優れていても、芸妓は芸妓にすぎない。
所詮は、色街の掟には、従わなければならなかっ
た。
水揚げされ、旦那を取らされたのである。 美代香は、次郎兵衛に抱かれた最初の夜の寝物語に、今の旦那が、沖田道成である事
を打ち明けた。 『もし、私の旦那が、ご家老様である事がお嫌なら、二度と私に近づかない
で下さい。
つらいけど、私、諦める。そうする以外にはないの。・・・・・・』 『諦める事はないよ。私はお前を離さないからね。可愛いお前が、これほど好きなん
だから、・・・・・・ えっ?どうして分かったかって?・・・簡単な事さ。 おまえが、木綿屋次郎兵衛が、元は常念で、その前が繁太だっていう事を、何処で、
どのようにして、知る事が出来たのか、
考えてみた。
藩のお偉方や、一部の金持ちしか相手にしないお前が、そんな話を耳にする機会は、
そんなに沢山ある筈がない。
そういう人達の中で、私の素性を知っている人は、ただ一人、沖田道成
様だけ。
しかも、あの人は、こういう事を、滅多に口にしない人だから、余程、親密にならな
ければ、聞けない話だ。 とすれば、ご家老様がお前の旦那である可能性は、かなり高いと思った。
それだけの事さ。 だが、私は、今のお前の暮らしを、変えるつもりはない。
そしてまた、はっきり言えば、私自身の暮らしも、変えるつもりはない。
どんなに好きでも、所詮、私達は一緒にはなれないのだ。
お互いの、辿って来た道や、今の暮らしが、違いすぎるのだよ。
これを世間では、「浮世のしがらみ」と言うがね。
身に沁みこんだ今までの暮らしが、棄てられないんだよ。・・・・・・』 妙に冷めた論理だが、言われてみれば、美代香にも納得出来
た。 今後、どういう風にして、人知れず逢瀬を重ねるかを、次郎兵衛の思案に
任せた美代香は、
安心して、再び、次郎兵衛の愛撫を求めた。
この歳になって、初めて性の喜びを知った彼女は、明日の保証のない水草の身を、
今日のこの時にだけ、燃やし続けたのであった。 美代香の今の境遇は、知れば知るほど、破格なものであった。
藩内随一の権力者が、旦那になっているのだから、抱え主の紅屋も、
より一層、丁重に扱わざるを得ず、
彼女の望む事は何でも、叶えられて来た。
一軒の洒落た家を与えられて、自由気ままに暮らせているのも、当然であった。 しかも、美代香の後ろに筆頭家老の沖田が居るという事は、色街では、かなり、知れ
渡っていて、彼女に、ちょっかいを出す者は、誰も居なかった。こういう世界では、
権力のある者、金のある者の威光は、絶大なのだ。 美代香自身にも、このような境遇が、いつまでも続くとは思えなかったが、だからと
言って、自分が飽きられて棄てられるとか、
沖田が権力を失うとかするまでは、この居心地のいい今の状態を、無くしたくはな
かった。
たとえ、次郎兵衛との恋が、どんなに真剣なものであっても、・・・ そして又、次郎兵衛も考えていた。 月に一度か二度の、道成と美代香との接触に、眼をつぶってさえ居れ
ば、彼女との恋は続けられる。
それに、二人とも、もう若くはないのだ。
無分別な事をする勇気もなければ、死んでもいいとまで思い詰める情熱もない。 だが、一度や二度の逢瀬で別れてしまうのには、あまりにも、身も心も、ピッタリと
溶け合いすぎていた。
やはり、或る期間までは、情熱は、燃えるだけ燃やし尽くさなければならない。 運命的な出会いで惚れ合った二人は、思慮分別も、別れな
い、今の暮らしを変えないという方向でしか、
働かなかったのも当然だったのである。 次郎兵衛は、辰吉だけではなく、卓次にもすべてを打ち明けて、協力を求めた。
かって、ヤクザの世界に漬かって居た事のある二人は、男同士として、次郎兵衛の気
持ちを理解し、同情して、進んで、協力を約束してくれた。 彼等は、江戸に居た頃の、親分の別宅の事を思い浮かべ、或る方法を思いついた。
先ず、辰吉が美代香に、引越しを勧めた。引っ越した先は、或る町の奥まっ
た所にある家だった。 裏手に板壁があって、その向こうの家は、別の町内に属していた。
つまり、背中合わせの家なのである。
という事は、間にある板壁に、ちょっとした細工をすれば、簡単に行ったり来たりが
出来るのに、
属する町が違うため、誰も、そんな事はしなかった。
(当時は、町単位の連帯責任が、非常に厳しく実施されていたので、町の違う家と家
とが付き合う事は、滅多になかった。) これは、盲点だった。
美代香の家の裏手の家を卓次が借りて、知り合いの老夫婦を住まわせた。
都合のいい事に、その家に行く道は、小路が幾つもあって、昼間でも、次郎兵衛が、
何処からその家に入り、
何処から出て行ったか、誰にも分からなかった。 こうして、人知れず、密会は続けられた。
だが、その逢瀬も、月に二度か三度と決めていた。
お互いに忙しい身体だったし、そのくらいの頻度でも、長い刻を
かけて、濃厚な触れ合いをする二人には、充分だったの
である。 『私、本当は、今まで、姉さんを軽蔑していたのよ。何であんな事をす
るような繁孝様を、婿に迎えたのかってね。 でもね、貴方とこうなって、初めて分かったの。姉さんは、繁孝様に惚れたん
だってね。
惚れたからこそ、あんな事をした人でも、許せるんだわ。 私達姉妹は、どういう訳か、貴方達兄弟に、惹かれるのね。
どう考えても、その理由は分からないけど、とにかく、逢った途端に、惚れて
しまうのよ。こういう事は、理屈じゃないのね。
「前世の因縁」とでも、言うのかしら?・・・』 美代香の寝物語は、芸妓としてお座敷に居る時の彼女からは、とても想像が出来ない
ほどの、戯言ばかりであった。
それほどに、彼女は、次郎兵衛に、身も心も許していたのである。
それは、溺愛とでも言うべき、光景であった。 金魚の中に、「蘭鋳」という名の、高級魚が居る。
見た目が非常に派手で美しく、動作もゆっくりしていて、きらびやかな衣装
を纏った女性に見える所から、
「貴婦人」とも呼ばれている。好事家の間では、珍重される金魚であ
る。
だが、見た目に似合わず気性が激しく、ミミズやゴカイなどの生餌しか食べない。
しかも、気に入らない餌は口にせず、餓死する事さえあると言う。 美代香は、その「ランチュウ」に似ていた。
周囲の者達が意識的にそうさせたのだが、高級志向の感覚が、いつの間にか身につ
き、
芸妓・美代香としては、職業上、不可欠の習慣であった。
だが同時に、彼女の日常生活も、かって、躾けられていた武家社会の質素
な生活とは、
およそ縁遠いものになってしまっていた。
そして、彼女自身、もはや、そういう高級な物なしでは、生きては行けないように
なっていた。 身につけている高級品や、口にする贅沢な食べ物が、どれほど庶民の暮
らしからかけ離れた物であるかなどという事は、すでに、彼女の頭の中からは、消え
てしまっていたのである。
所詮、高嶺の花は、高嶺の花でしかなかった。
下界の一般庶民とは、住んでいる世界が違うのだ。
或る日、その事に気付いた次郎兵衛は、急速に、心が萎えて行った。 だが、別れるのには、あまりにも深入りしすぎていた。
未練とも、惰性ともつかない関係が、三年も続けられた。 いつの世でも、無事平穏な日々は、そう長くは続かない。
或る日、藩主が宴会の最中に倒れ、そのまま死亡してしまった。 急遽、幕府から正式に認可されている嫡男・武兼が、新藩主の座についたが、
以前、三木本政道と組んで、我が子・武之を次期藩主にと
画策した、
側室・お美知の方が、また、惷動し始めた。 かって、三木本に替わって政権についた沖田孫左衛門は、温厚な
人柄だったので、
明白に、三木本に加担した者と判明した者達以外は、ゆるやかな処分に留
めて置いた。
これを裏返せば、お美知の方に味方する者達を、多数残したという事になる。
その者達、つまり、三木本時代に優遇され、その失脚とともに、冷遇
されて来た者達の、根強い復帰への願望が、
お美知の方を走らせたと言えよう。 それに加えて、もう一つ、大きな力が働いていた。
藩内随一の豪商・武蔵屋秀兵衛という男
が、この政争に絡んで来たのである。 いやむしろ、秀兵衛本人が、事を起こした黒幕と言うべきだった。
三木本と、密かに繋がっていた彼が、突発的な三木本の失脚以来、表立って
の動きは見せなかったが、
内心、再び、甘い汁の吸える日の来るのを、待ち望んでいたのである。
金が権力と結びついて、世の中を、思うがままに操れる面白さを知った彼
は、その味を忘れては居なかったのだ。 そもそも、人攫いに連れられて、他国から来た小娘の、美貌
と才知に眼をつけ、これを買い取って、
或る武家の家に預け、教育して磨き上げて、江戸藩邸に送り込んだの
は、他ならぬ、先代の武蔵屋だったのだ。
こうして、藩主の眼に止まるように細工までして、強引に、側室お美知の方を作り上
げたのが武蔵屋なのだから、
生まれも定かではない彼女が、唯一の肉親的味方と思い、全面的に頼りにしていたの
は、当然の事だった。 金もかけたが、その見返りの利益も、すでに充分に得た筈の武蔵屋にとって、蒸し返
したくはない昔の夢であったのに、新藩主に、健康上の不安がある事が分かっている
今、ひょっとすると、・・・という野心が芽生えたのも、また当然の成り行きであっ
た。 これらの条件が重なって、どす黒い陰謀の渦が、再び、藩内に発
生したのである。
この動きを、いち早く察知したのは、次郎兵衛であった。 或る夜、卓次が厄介な事を持ち込んで来た。
浄法寺の寺男としての卓次には、墓地の清掃という役目もあった。 その日の夕暮れ時に、墓地に入って行く赤子を背負った女を、卓次は見かけた。
だが、そのただならぬ様子が気になって、そっと後をつけてみた。
女は、小さな墓石の前で、しばらく泣き続けていたが、やおら、あたりを見回しなが
ら赤子を下ろし、墓石の前にそっと置いて、
立ち去ろうとした。明らかに、捨て子である。
卓次は、それを咎めて説得し、ひとまず、その母子を自分の家に連れ帰っ
た。 子のなかった卓次の妻・タネは、普段、昼間は、寺の門前の店の手伝いをしていた。
夕暮れになって、家に帰ってみると、亭主が、何かいわく有り気な母子の前で、困っ
た顔をしているではないか!
勘違いして、カッとなったタネは、卓次に掴みかかったが、それを防ぎながら弁解す
る卓次も、まだ事情を聞いていないので、
しどろもどろにしか話が出来ず、タネは、益々怪しんで、怒り狂っ
た。
ひとしきりの騒動が収まった時、その母親の顔には、笑いが浮かんでいた。 間もなく、卓次夫婦は、見知らぬ母子を連れて、木綿屋を訪れた。 『そんな訳で、あっしも、まだ詳しい事情は聞いて居りゃせんが、どうもこりゃ
あ、あっしどもの手に負える事じゃねえって、
こいつも言うもんですから、こうして、ここにお願ぇに来たという訳でして、・・』 顔のあっちこっちに、真新しい引っかき傷が残っている卓次が、汗をかきかき喋っ
た。 『まあまあ、それはとんだ災難でしたこと!・・・ 『いえ、お内儀さん。この人の普段の行いが悪いから、私も、つい誤解した
んです。
この際ですから、少しきつい小言を言ってやって下さい。』 『まあまあ、貴女達の事は後にして、先ず、この人の話を聞きましょう。
ねえ旦那様。』 『そうだな、痴話喧嘩は、家に帰ってからゆっくりやりなさい。
見てごらん、この人だって困ってるじゃないか。』 大店のご主人夫婦が、こんなに気軽に、寺男夫婦と話す事に、眼を丸く
して見つめていたその女は、安心したのか、
ポツリポツリと話し始めた。 トキと名乗ったその女は、指物職人の留吉と夫
婦になり、子にも恵まれ、
貧しいながらも、平凡な暮らしをしていた。
しかし、或る日突然、夫の留吉が、家に帰って来なくなったのである。 『それが、他所に女が出来たとか、私と暮らすのが嫌になったとか、世間に
良くある話ならば、
私も、我慢の仕様があるのですが、・・・・・・』 やはりトキには、つらい話であった。
涙が込み上げてきて、言葉は、途切れ途切れになってしまった。 留吉が家を棄てた原因は、思いもかけぬ事だったのである。
友達に連れられて行った或る山伏の祈祷師に、トキと別れ
なければ、留吉自身の命が危ないと、
妖術をかけられてしまったのである。 真面目で正直一方だった留吉は、その日から、その祈祷師の言葉を信じ込んでしま
い、トキが訪ねて行って、いくら説得しても、
一向に耳を貸さず、祈祷師の家に泊まりこんでいて、仕事にも行かない
日々を過ごしていた。
トキは、その有様に絶望して、死を決意し、幼子だけは、道連れにする
のはあまりにも不憫に思えたので、
両親の墓の前に、置き去りにするつもりだったとの事であった。 とにかく、トキ母子は、志津が預かる事にして、その夜は、それで散会したが、翌日
から、次郎兵衛の命を受けた卓次と辰吉は、
問題の祈祷師を調べ始めた。 確かに、留吉は、その家に居たが、驚いた事に、留吉以外にも、様々な
職業の者達が、今までの暮らしを棄てて、
祈祷師に仕えていたのであった。
それはもはや、一介の祈祷師の分際を越えていた。
しかも、その背後には、武蔵屋が居る事まで、辰吉は調べ上げた。 それを可能にしたのは、辰吉の友達の、好吉という身の軽い盗賊だった。
その上なおも、辰吉は、次郎兵衛の許可を得て、好吉に大金を与えて、武蔵屋を探ら
せた。
そして初めて、お美知の方と武蔵屋との陰謀の全容を、知
る事が出来たのである。 『初めにお断りして置きますが、これから私が申し上げる事には、確たる証拠は、何
一つございません。・・・・・・・・・』 ここは、浄法寺の庫裏の一室である。
筆頭家老・沖田道成の前で、次郎兵衛は、淡々と話していた。 『ご家老様が、この話を信じて下さるかどうか、それが一番の問題です。
如何でしょうか?・・・・・・』 真剣な表情をしながらも、あえて、努めて冷静に話して居る次郎兵衛を見
て、道成は、力強く頷いた。 『よかろう。信じよう。 そこには、藩の要職に座っている者の貫禄と、父・孫左衛門に似てきた
鷹揚さが、滲み出ていた。 『ありがとうございます。ご家老様にそう言って頂けると、心強うご
ざいます。 後一ヶ月もしないうちに、新しいお殿様が、ご帰国なさいますね。
その新藩主・武兼様に、毒を盛る陰謀が、進んでいるのです。
いつ、何処で、という事までは、まだ決まっていないようですが、毒は、すでに企
んだ者達の手に入って居ります。 具体的に、名前を申し上げましょう。
黒幕は、武蔵屋秀兵衛。主役はお美知の方。
その他大勢は、失脚した三木本家老に繋がる者達という訳です。 その上、一番肝心な立案者の、博通という山伏の祈祷師が居ります。
この男は、危険極まりない人物で、妖術を使って人々を誑かし、様々な職人達を集めて居ります。 その上、藩内のご重役方の中に、すでにその妖術に掛かっている人が、居るのではな
いかと思われます。
そういう節が見えるのです。
例えば、寺社奉行とか、町奉行とか、お奉行様自身でなくても、
その配下の、少し上席の方の誰かが、気脈を通じていな
ければ、ああまで大胆に、事を運ぶ事は出来ないと思うのです。 それほど、彼等のやってる事は、このご城下の人々を、苦しめているのです。
なるべく早く、横路町に巣食っている、似非祈祷師・博通を、
捕まえて下さい。 お調べになれば、すぐに分かる事ですが、この男は、本当に危険人物なのです。
極悪人と言っても、過言ではありません。
かなり大勢の人々を集めて、良からぬ事を企んでいるのです。
そのために泣かされている者が沢山居ますから、早く手を打たないと、ご城下は、大
変な事になりますよ。・・・・・・・・・』 『ふーむ。・・・・・・』 道成は、事の重大さに、しばし沈思黙考していたが、やがて、お
もむろに口を開いた時には、
毅然とした決意が、漲っていた。 『よし!徒目付(かちめつけ)を使おう!
殿のご帰国前に、片付けてしまおう! その祈祷師の一味と武蔵屋を、一網打尽に引っ捕らえて、厳しく究明しよう。
これに異議を唱える者があれば、その者も一味と見なして、即座
に捕縛する。
これで、どうじゃ。』 『結構でございます。
ただ、博通と武蔵屋は、なかなか、しぶとうございますから、素直には、白状しない
と思います。 私の調べで分かって居る事は、ここに書き出してございますから、これを基
に、
先ず、武蔵屋の二番番頭幸助を、脅して白状させ、
博通の方は、妾のツヤという女を締め上げれば、かなりの事が分かる筈で
す。 出来れば、ご家老様じきじきにお調べになる方が、よろしゅうございます。
この際、子飼いの方々しか、信用なさらないように、・・・
博通の毒牙が、何処まで及んでいるのか、私にも、見当がつきませんか
ら、くれぐれも、ご用心をなさって下さい。』 さすがに、沖田は、藩内随一の実力者であった。
決断した事を、実行に移すのは、素早かった。
次郎兵衛の話を聞いた二日後、武蔵屋と博通は捕らえられ、番頭や妾の証言によっ
て、陰謀の全容が明らかになった。 新藩主のお命を狙った事件であった事が判明した時、藩士の間には、大きな
動揺が走った。
お美知の方を初めとして、三木本一派の残党は、悉く処罰された。
新藩主及びその周辺の人々の怒りは大きく、この機会に、徹底した反対派の
一掃を命じたのである。 一方、この陰謀を未然に防いだ、沖田家老への信任は益々厚くなり、その名声は、極
まりなきものに見えた。
陰謀の後処理と、新藩主の帰国と、慌しく二ヶ月が過ぎた。 『いやぁ、忙しくてのぉ。まいったわい。・・・・・・
やっと一段落ついたので、そなたに、こうして会えたのじゃが、・・・
そなたのお陰で、大事になる所を、未然に防げた。
改めて、礼を申す。』 『いえとんでもない。私の方こそ、お礼を申し上げなければなりませぬ。
あの似非祈祷師に騙されて、泣かされていた者達を、救って下さっ
たのですから。』 道成と次郎兵衛が対座しているのは、例の、浄法寺の庫裏の一室であった。 『ま、良い良い。無事にすんで、良かったのぉ。
巨悪の害毒は、それほどに、広範囲に及んでいた
という事じゃ。 それはともかくとして、本日は、そなたに何か礼をせねばと思い、呼んだのじゃが、
・・・
実は、武蔵屋を取り潰したがために、思わぬ支障が出て来て
の。 知っての通り、武蔵屋は、藩内きっての豪商だったので、藩が認可していた諸々の仕事があったのじゃが、
その仕事が渋滞して居る。
とりあえず、少しずつ各店に分散して、やって貰う事にした。
それで、そなたの店にも、何か与えようと思うて居る。 いやいや、遠慮されては、こちらが困る。
早く言えば、どうでもやって貰わねばならぬ「藩からのお達し」なのじゃ。
何しろ、藩内随一の大店で、手広く商いをしていた武蔵屋なのだから、
その商いを皆で受け継いで貰わねば、
藩内の物の流通が、滞ってしまう。 それに、何の罪もなかった、武蔵屋の手代や番頭などの奉公人達の、身の振り方も考
えてやらねばならぬ。
店を取り潰すからには、そのくらいの後始末はせねば、笑われる。
大木を倒せば、それだけ、余波も大きいという事じゃ。』 『ごもっともで、・・・・・・ご苦労様ですな。・・・・・・ それはそうと、つかぬ事をお伺いしますが、例の毒薬は、如何なされましたか?』 『ああ、あれか。あれは、祈祷師の家から発見された。
小さな、ギヤマンの入れ物に、入って居った。』 『どのくらいの量でしたか?』 『半分より、ちょっと少な目だったと思う。
匂いも味もなくて、酒でも水でも、何にでも入れられると、言う話じゃったが、・・
・』 『実際に使う量は、どのくらいなのか、お聞きになりましたか?』 『武蔵屋の申し立てでは、人に試した事がないので分からぬが、その半分ぐらいで、
充分殺せると聞いて居ったそうじゃ。
それにあの毒薬は、その場ですぐに効果が現れて、死ぬというものではなくて、
四半刻以上も経ってから、効き目が出るというも
のらしい。 何か疑念があるのか?』 『いえ、これは、私の思い過ごしであればいいのですが、少し、心に掛かる所がござ
います。
第一に、入れ物の中味が、半分だった事。
もう一つは、それが博通の家にのみあって、武蔵屋にはなかった事。 この二つを考え合わせて、私は、こう思うのです。
何方もそうでしょうが、特に武蔵屋さんほどの商人が、万一
の場合を考慮に入れない筈はありません。
つまり、全部の毒薬を、博通に渡す筈がないのです。
二回分だけ渡したと、考えるべきなのです。・・・・・・』 次郎兵衛の論理は、明快であった。
沖田は、その毒薬がまだ残っている筈だと、考えている次郎兵衛の言葉に胸を突か
れ、熱心に耳を傾けていた。 『お武家様方と、私共商人との、考え方の一番の違いは、なかなか諦
めないという点だと思うのです。 例えば、戦の戦術でも、お武家様方は、一度失敗すると、これはもう駄目
だ、今後は使えない、と諦めて棄ててしまいます。
しかし商人は、一度や二度の失敗では、決して諦めない。
なぜなら、その仕事を考えた時に、あらゆる事を想定して考えてあるか
ら、それが失敗した時には、そのやり方の何処が悪かったのかを考える。
そして、一つ一つ、組み立て直すのです。 そういう論理からすれば、やり直すための予備の物を、持って居ないという事はあり
ません。
必ず、予備という物が、ある筈なのです。
しかも、私の勘では、後の半分も二つに分けて、それぞれ何処かに隠した筈です。
だから、大至急、それを探させて下さい。 或いは、最悪の事態を考えれば、その二つともが誰かの手に渡っていて、
今度は、お殿様ではなくて、
逆恨みして、ご家老様に使われるかも知れない。
急いで、徹底的に探して下さい。
もし、二つとも見つからなければ、武蔵屋の住まいと、博通の家や妾の家を、焼き
払ってしまうしか、方法がありません。 ああ!私としたことが!・・・・・・ 次郎兵衛は、切歯扼腕して口惜しがったが、もう、その
時は、後の祭りであった。
打つべき手が、遅かったのである。 道成が、三日もかけて、徹底的に探させたが、毒薬は出て来なかった。
処刑を免れた番頭達を、いくら締め上げても、その在り処は分からなかった。 しばらくして、或る町医者からの届出があって、その毒薬を飲まされた
と思われる死人があった。
身元を調べたら、この度の事件の折に、いち早く逃げ出した武蔵屋の手代
の一人で、
その者が密告したのではないかという噂が流れていた男であった。 早速、その男の周辺を洗ってみたが、何も分からなかった。
毒薬入りの何かを飲まされ(或いは、食べさせられ)てから、四半刻も経たないと、
症状が出てこないという事が、調べを困難にさせていたのである。 半年後、町奉行所は、この件の調査を打ち切った。
いつまでも、この事だけに係わっている訳にも行かず、沖田家老も、自分が用心して
さえ居れば済む事なのだからと、
調べの打ち切りに同意した。
だが、恐れていた災難は、ずぅーっと後になって、現実のものとなった
のであった。 『お前、近頃、ご家老様とは、どうなんだい?・・・』 次郎兵衛は、濃厚な情事の余韻に、酔ったようにまだしがみ
ついている美代香の、裸の背中を優しく撫でながら、ふと、思い出したよ
うに言った。 『どうって?・・・いやあねぇ、・・・ヤキモチ焼いてるのぉ?・・・いまさらなに
よぉー、・・・』 『いや、そういう意味じゃないんだ。
この前、話したと思うが、どうしても、例の毒薬が出てこないのだ。
後一人分、必ず、何処かに残っている。私には、それが恐ろしい。不安なのだ。 沖田様が狙われる理由は、充分あるのだから、用心するようにとは進言して置いたが、
考えてみれば、お前と一緒の時が、一番危ないんだ。
そういう時は、警戒も手薄だし、第一、沖田様ご本人が油断している。
お前と一緒の時ぐらいは、のんびりしていて、心を解きほぐしているだろうからね。 酒でも水でも食べ物でも、口に入る物なら、何にでも入れられるのだから、始末が悪
い。用心のしようがないのだ。
いくら注意をしていても、何も口に入れないという訳には、行かないだろう。
とすれば、沖田様がお前と会う場所、茶屋とか料理屋とか、そういう所に雇われてい
れば、
毒を入れる機会は、いくらでもあるんじゃないのかな? 敵は非常に執念深く、また、用心深い。
だから、これを防ぐのには、お前と会う場所を、いつも決まった所にしないで、毎回
変える以外には手がないと思う。
ただ残念な事に、この御城下では、沖田様がお前を呼べる場所は、そう沢山はない。
五ヶ所ぐらいじゃないのかな?
それも、お前を抱ける部屋のある所は、三つほどだ。
だから、その中の一つに、敵は潜んでいると、考えた方がいい。 お前の口から、今の話をそのまま伝える訳には行かないだろうから、それとなく、注
意をしていてくれ。
ひょっとすれば、お前までも巻き添えにされてしまう危険だってあるのだから、その
つもりで、注意を怠るなよ。・・・・・・』 閨の寝物語としては、誠に興醒めの話だったが、
次郎兵衛には、言うべき事は、ちゃんと言って置かなければならないという焦りがあった。
どう考えても、不安が、拭い切れなかったのである。 だが、美代香は、次郎兵衛の不安から出た忠告を、それほどには思っていなかった。
武蔵屋と博通が、長年培って来た人脈の強さを、知らなかったからであ
る。 施された些細な恩と、巧みな言葉に操られ
た人々が、処刑された者の恨みを、
自分の恨みとして思い込み、仕返しの報復行為にのみ情熱を燃やして居る
事を、
次郎兵衛以外には、誰も推察出来なかったのである。
「災害は、忘れた頃に、やって来る」のだ。 武蔵屋が取り潰されてから、もう、二年になろうとしていた。
誰もが、ご城下を震撼させた、あの事件の事は、もうとっくに頭の中か
ら消えてしまい、日常の忙しさに追われていた。
今年の米は、豊作とまでは行かなくても、平年以上の収穫が見込まれ、人々は、良く
晴れ上がった秋空を眺めながら、
今年も無事平穏だった事を感謝し、口々に、来年もかくありたいと願っていた。 次郎兵衛は、沖田家老に無理やり押し付けられた藍などの染料の商いで、毎日、忙しく飛び回っていた。
慣れない商売とは言え、武蔵屋で、この道一筋に商っていた実直な番
頭を雇って、どうにか、順調な利益を上げていた。 その日は、藍の仕入れに、番頭と一緒に山奥の村まで、三日がかりで出かけて行っ
て、家に戻ったのは、夜も遅い時刻であった。
やっと辿り付いた我が家で待っていたのは、沖田家老の訃報だった。 『ご家老様がお亡くなりになった事について、辰吉さんが、何かお話があるそうで、
宵の口から、お待ちかねですよ。』 一応、旅の姿から、普段の着物に着替えて、
休む間もなく、辰吉とともに、例の、美代香の家と背中合わせの家に行った。
そこは、次郎兵衛と、卓次、辰吉達との、秘密の会合場所でもあった。
そこには、卓次と好吉が、沈痛な面持ちで、座っていた。 『旦那、すまねぇ。・・・あっしの手抜かりで、とんだ事になっちまって、・・・・
・・』 いきなり、好吉が手をついて、そう言った。 『あいつもか。・・・』 短くても意味の分かる言葉を、次郎兵衛が口にした。 『へい。・・・』 誰ともなく、重い返事が聞こえたまま、しばらく、沈黙が続いた。 『それで、・・・下手人は?・・・』 『それが、未だに分かりませんので、・・・』 『うん?どういう事だ?・・・』 三人が、互いに補足しながら喋った話から、次の事が分かった。 事は、俵屋で起こった。
俵屋は高級料亭だったが、「出会い茶屋」(モーテルのような所)も、兼ねて
いた。
広い内庭のあっちこっちに、独立した茶室のような「離れ」があって、
その一つに、沖田家老が、特別に作らせたものがあった。
無論、秘密の会合に使っていたが、美代香との、甘い一時にも、利用し
ていた。 沖田からの要望もあって、俵屋では、かなり厳重な警戒をしていたが、それでも、も
うすぐ二年になろうとする歳月は、
人々の記憶から、毒薬に対する恐怖を消してしまっていた。
下手人は、その時を、辛抱強く待っていたのであった。 昨夜、沖田と美代香が来て、専用の「離れ」に入った。
子の刻(午前二時)を過ぎても、帰る気配のない二人に、番頭が不審に思い、
念のためと、女中に様子を見に行かせた。
今までに、泊まった事はなく、子の刻前には、必ず帰って行く二人だったからであ
る。
女中が、中の様子がおかしいと、お供の武士達に告げたのは、かなり経
ってからだった。
色事の座敷には、店の者であっても、なかなか入れるものではなかった。
長い時もあれば、短い時もあるのだ。
呼ばれるまでは、決して近づかないというのが、こういう商売の基本なのである。 変事に気付いた供の武士達が、急いで大目付を呼び、
客を含めた俵屋に居た者すべてに、禁足を命じた時には、すでに、二刻
が経っていた。
それまでに、来ていた客の殆どは帰り、店の奉公人すらも、半数以上は自宅に戻って
しまっていたのである。 その夜の客の洗い出しから始まって、奉公人の身元調べまで、かなり入念
な調査が行われたが、
手がかりすら掴めなかった。
俵屋ほどの一流の店になれば、奉公人はすべて、古くから居る者ばかりで、身元も
はっきりしていた。
疑う余地はなかったのである。
だが、特に、その時の係りだった女中のミネには、大きな疑いがかけられ、未だに牢
に入れられたままだったが、
何回尋問しても、従来通りの事しかしなかったと言うばかりだった。 いずれにしても、次郎兵衛の懸念していた通り、祈祷師博通の持っていた
毒薬が使われた事には、間違いはなかった。
二人の死体を検分した医者が、以前、武蔵屋の元手代の変死体を、検分した時に見た
状況と、そっくり同じであると証言したのである。
次郎兵衛は、自分の予感が的中した事に、身震いを感じた。
恐ろしい敵に出会ったという恐怖が、走った。 美代香の死体は、その日のうちに、紅屋に下げ渡され、紅屋で死んだ事にして、
今日の昼過ぎに、密かに埋葬されてしまったという話であった。
葬儀すら許されない状況の中では、周囲の人々は、沈黙を守るしかなかった。 『あっしらも、情けなくって、口惜しくって、・・・
お墓の前に立つ事すら、いけねぇって言いやがって、下っ端役人が見張ってやがるん
で、・・・・・・
こんなバカな話はねえ。・・・』 涙まじりに、辰吉が愚痴った。 『だからよう、絶対、敵討ちしようぜって、俺達ゃ誓い合ったじゃねえか。・・・ 旦那、お願ぇだ、知恵を出しておくんなせぇ。
俺達の滓頭(かすあたま)じゃ、何をしていいのか、わかんねぇんだ。』 『分かったよ。何とかしよう。
私も、泣いてなんか居られないな。
泣くのは後にして、よくよく考えてみよう。・・・・・・ そうだ!先ず湯を沸かせ!
頭を洗って、身体を拭いて、さっぱりすれば、いい考えも浮かぶだろう。
みんな、今夜は徹夜だぞ!覚悟して置けよ。 それから、握り飯を作って置け!
腹が減っては、何も出来ぬからな。・・・』 次郎兵衛が、沈み込んだその場の空気を、振り払うように、わざと威勢良く声を上げ
ると、
驚いた事に、卓次の妻のタネと、辰吉の妻スミも、いつの間にか出て来て、一緒に
なって、働き始めた。
呆気に取られている次郎兵衛に、卓次が、耳打ちした。 『驚かしてすみません。
近頃じゃ、うちの奴と、辰んとこの奴と、一緒になって、俺達を見張ってやがるん
で、・・・・・・
訳を話さねぇと、今夜、ここにも来れねえ始末で、・・・ 『お前達も、色々と苦労があるんだな。アッハッハッハッハ・・・』
考えてみれば、わしが、領民のために、良かれと思ってやった事が、近隣諸国と多少
違っていたがために、起こった事なのじゃ。
つまり、あまり違った事をすれば、必ずや、騒動を招くという教訓じゃ。』
だが、大凶作をくぐり抜けた領民には、質素倹約の癖がついていて、仮に、来年も凶
作になったとしても、これを克服するのは、
容易であろうと思うて居る。
経験は、何よりも良い勉学じゃ。
それで、わしは、ふと思った。次郎兵衛にも、経験させたいとな。
いやいや、政事の話ではない。商いの話じゃ。
こんな武家支配の世の中は、もうすぐ終わりになるであろうという事じゃ。
何故なら、我が藩だけではなく、何処の藩でも似たようなものじゃが、藩の財政は、
もうどうにもならぬ所まで来て居る。
誰がやっても同じじゃ。大勢は変わらぬ。
三木本の乱脈なやり方は、我が藩の悪くなるのを、少し早めただけの話。
根元の方は、変えようもない。わしにも、どうにも出来ぬ。
それやこれやで、わしはそなたに、商人としての経験を積ませたいと、思ったの
じゃ。
なに、大した用事があるのではない。
飢饉の折に、米を融通して貰ったお礼の挨拶と、今後の打ち合わせのため
じゃ。
だから、差し迫った仕事がある訳ではない。
わしとしては、どうしても見つけて来いという訳ではなく、一番の眼目
は、そなたの見聞を広める事にある。
それを忘れないで欲しい。
今以外にはありません。遠い旅に出られるのは、・・・・・・』
そして、町単位で一区画ずつ区切り、その周囲を広い道で囲み、火事の延焼を防ぐ。
しかも、所々に、火除け地としての空き地を設ける。
これらの事を実行するためには、立ち退く家が、かなり必要になるので、町の南に接
している阿佐川の対岸に、
その代替の土地を与える。・・・・・・
なに、あっしは、旦那とその方とを、お引き合わせするだけの役目でして、詳しい事情は聞いて居りやせんので、・・・
いえほんとです。こういう事ぁ、事情を知らねぇ方がいいんで、・・・
間もなく、お出でになると思いやすから、しばらくお待ちになって下せぇ。
と申し上げても、貴方様は、何故こんな女がと、お思いになるでしょうね。』
ですから、そんな貴女のような方を、呼んで遊べるような、結構なご身分な人とは、
私は、まるで縁がないのです。
余計な事をしやがると、怒ってはみたものの、いったん引き受けてしまった
ものを、いまさら出来ませんとも言えねえんで、
それで仕方なく、旦那んとこに持って行ったという訳で、・・・・・・』
何しろ、お座敷に呼ばれていた途中でしたので、ゆっくりとお話も出来ず、その上、
ぶしつけなお願いを致しました。
お許し下さいませ。・・・』
なにとぞ、ご容赦下されませ。』
ごめんなさいね。私、お逢い出来た事が嬉しくて、少し取り乱しているようです。』
(註)(「水揚げ」とは、処女を金で買う事)
(「旦那を取る」とは、特定の男に、長期間、身を任せる事)
私には、多分そうなんだろうと、分かっていた。だから、それなりの覚悟もしたし、対
策も考えてある。
それにしても、さすがの卓次さんも、タネさんには、弱いようですね。オッホッホッ
ホッホ・・・・・・』
長い間の、わしとそなたの仲じゃ。わしはいつでも、そなたを信じて居る。何でも話
すが良い。』
少し前置きが長くなりましたが、それだけ、この話は、耳を疑うような事柄なので
す。
もっと早く気付くべきでした。迂闊でした。・・・』
と、志津が、疲れ切った旦那様の様子に、気の毒そうな表情をしながら、話した。
そんでもって、つい喋っちまったら、「じゃあ、あたし達も行く」って、ついて来ち
まったんで、・・・・・・
かんべんしてやって、おくんなせぇ。・・・』