トップページみんなの広場 長編小説のページ

 

◆第二十三話  石の眠り!◆

 ジッと石化して動かない父、アモン。なんとかして元に戻さなくてはならない。せっかく地獄の最下層まで訪ねてきたというのに、父は何も語らない石像になっていたとは……。愛する父に応えて欲しい。そして、よくきたと誉めて欲しい。辛い旅を続けてきた姉弟の望みはただ一つ。地獄の最下層にある闇牢獄に囚われている父に会いたい。そして、共に天国にいる母を助けに行きたい。それだけであった。しかし、求める父は、自らの意思で石像と化してしまっていたのだった。どうしたら父は応えてくれるのだろう?キラとナナは必至に応えぬ父に向かって叫び続けていた。

「パパ、パパ、パパ、応えてよ!ぼくたち、地獄までパパに会いにきたんだよ!パパ、目を覚まして、ままを助けて、お願い!」 懸命に父に訴える弟。ナナはたまらない表情で魔戦士ゴールズを見た。何か手立てはないのだろうか?もしかして、何か方法が?
「こうなってしまった悪魔を蘇らせる方法はただ一つ」
「それは?」

「それは、愛する者が懸命に呼びかけ、全身を念でマッサージしてやる他ないのだ。深層意識の底に封じられてしまった悪魔の意識は並大抵のことでは蘇ることはできない。ただ時間をかけて解きほぐしてやるしかないのだ」
「時間をかけて……?直ぐに元に戻すことはできないの?」
「……無理だ……。特に、アモンのような剛の者の意識を蘇らせるのは……普通以上に難しいのだ」
さすがの魔戦士も為す術を知らず、苦悶の表情で立ちすくんでいた。

「念でマッサージしてやればいいんだね?パパ、パパ、待ってて!僕、一生懸命やるよ。だから眼を覚まして!お願い、早く目覚めて!」 懸命に念を掌に集中し、キラは父の身体をマッサージして行く。しかし、石と化した身体に、念は素通りして行くだけであった。注いでも注いでも抜けてしまう。まるで底の抜けた桶に水を汲もうとしているように無益な作業であるように思える。だが、少年は諦めない。必至で手を当て、自らのエネルギーを与え続けている。額からは汗が滲み、身体は燃えるように熱い。

「キラ、そんなに急激に念エネルギーを放出したら、あんた自身がくたばってしまうよ」 弟の身体を危惧したナナが思わず止めさせようとする。だが、決して止めようとはしない。むしろ、もっともっともっと強くエネルギーを放出するように見えた。このままでは、キラは倒れてしまう。放っておくわけにはいかない。しかし、このままでは弟は止めようとはしないであろう。ナナのできることはただ一つしかなかった。

「あたいもやるよ」 キラの隣に座り、ナナもまた両手に念を集中して、父の身体をマッサージし始めた。まるで南極の氷を小さなライターで溶かそうとするかのような虚しい努力であった。エネルギーを注いでも、注いでも、まるで変化は見えない。だが、幼い姉弟にできることはそれしかないのである。例え、それが無限の時間を必要とする作業であろうと、やるしかないのだ。それも、限られた時間内に。瀕死の状態で母は彼らを待っている。助けるための時間はわずか。焦る気持ちはジリジリと二人の心を焦がして行く。

「パパ、パパ、起きてよ!パパ、起きてママを助けて!」 虚しい作業を続けながら、キラは懸命に呼びかける。しかし、父は応えてはくれない。涙が自然にこぼれ、石化した膝の上に落ちて行った。それは静かに染みとおって行く。ふと石像の顔が緩んだように感じたのは気のせいだろうか?ゴールズは眉間にしわを寄せ、ジッと石化した悪魔を見つめた。しかし、やはり何の変化も見られない。気のせいだったのか。魔戦士はホーッと深いため息をついた。


 低く垂れた暗雲の中央にそそり立つ妖帝山。周囲では雷鳴が轟き、激しい風が吹き荒れていた。しかし、頂きを占領する魔王宮には木の葉一枚舞うこともなく、重層たる暗雲も、そこだけはカミソリで断ち切られたごとくまるで垂れ込めてはいない。宮内では、魔王ブラスが落ち着かなく玉座の周囲を歩き回っていた。

何か異変が起きている。漠然とした危惧が胸中を騒がせていた。これは一体何なのだろうか?ブラスは臆病者ではない。むしろ、自ら剣を取り、敵と戦うことを喜びとする戦士であった。力と力、念と念、技と技を競い合い、命のやりとりをするのが快楽でさえあった。だが、この言い知れぬ不安は何なのだろうか?地獄が変わる。何もかも変わってしまう。そんな予感めいた恐怖が地獄の支配者を戦かせていた。

「魔王様!魔王ブラス様!」 不意に何物かの声が玉座を貫いた。キッと眉をつり上げ、地獄の支配者は視線を一点に集中する。途端、空中に黒い靄のような物が現れ、やがてそれは悪魔の姿へと実体化した。若い戦士、親衛隊長のルークであった。彼はブラスの勅命を受け、魔天使姉弟を密かに見張っていたはずなのだが、一体何が起こったというのであろうか?不愉快な予感に魔王の表情は一層険しいものへと変化した。

「何事であるか?まさか、魔天使姉弟に何かあったのか?もしや、サーザの手の者に?」
「はっ、実は暗黒宮に動きが……」
「やはり、サーザが手を出してきたか。して、何を?」
「手の者を集め、出撃の準備をなされておられるかのように思われます。恐らく行く先は闇牢獄かと」
「目的はアモンか?それに、魔天使姉弟」
「はっ、残念ながら」

 ルークは端正な表情を曇らせ、低く頭を下げる。魔王の表情は更に難しいものになっていた。
「魔王騎士団に出撃命令を出せ。精鋭百……いや、二百を闇牢獄に出撃させるのだ!サーザに遅れを取るでないぞ!」
「は!」 ルークは騎士の礼をとると、足早に王室から出て行く。魔王は渋面を作り、宙をにらんだまま、腕組みをした。地獄が変わるかも知れぬ。それも、まだ幼い魔天使姉弟のお蔭で……。それは如何なる変化か?

「光と闇を纏いし者、現れ師時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる。」

 それは、古より密かに伝えられし闇の伝承。地獄の破滅を予言した秘文と信じられている。だが……魔天使姉弟を知れば知るほど、それが信じられなくなってしまう。地獄の支配者としては、直ちに殺してしまうべきだった。しかし、できなかった。アモンに王位を継がせたい気持ちが躊躇わせたのも事実であったが……。キラとナナ、あの二人の子供を殺すことがどうしてもできなかったのだ。

「わしともあろう者が……」 何度も後悔した。地獄の支配者としては、後々の憂いを断つには魔天使姉弟を即刻殺すべきだったと。しかし、彼が下した決断は”人間界への追放”であった。”最も悪魔に近い人間を見つけたならば、地獄へ戻ることを許す”との条件をつけて。そのような者は存在しないことを知りつつ。何故なら、人間とは……

「魔王ブラス様、準備が整いました。私共々、精鋭一万騎、闇牢獄へ出陣いたします」 不意に思索が破られ、ブラスはギョロリと両眼を見開く。すっかり武装した親衛隊長ルークが各騎士たちを従え、礼をとる。魔王は無言で一度瞑目した。
「行け!魔天使姉弟をサーザに渡してはならぬ!」
「はっ!」 全員、一礼すると、王室を鎧の音も高らかに退出して行った。魔王は厳しい顔でそれを見送る。

 一刻も早く天国のママのところに行かなくてはならない。そして、彼女を愛する三人の血を与えなくては、死んでしまう。そのためにも、早くパパを蘇らせたい。キラとナナは必死で生体マッサージを試みた。だが、彼らのエネルギーは吸い取られて行くばかりで、何の変化も見ることができなかった。もしかしたら、もう二度と蘇ることはできないのかも知れない。そんな不安が沸き上がってくるのを止められなかった。

「パパ、パパ、目を覚まして!」 懸命に呼びかけるキラ。自分の持っている生命エネルギーの全てを石化した父に向かって放射する。だが、やはり何も起こらなかった。もしかしたら、もう二度と父は蘇らないのかも知れない。ふと、そんな不安が心を侵食する。いや、そんなことを考えてはいけない。もっと、真剣に生体マッサージを行わなくてはいけない。頭を振り、再び作業に熱中した。

「キラ、少し休みな!あんた、顔色が悪いよ。生命エネルギーを使いすぎているんじゃないのかい?」
 不意に姉に肩をつかまれ、フッと我に返った。途端、フワッと目の前が暗転する。
「危ない!」 倒れそうになった少年の身体を漆黒の鎧の戦士、ゴールズが抱きかかえた。
「全く無茶なガキだ!いくらなんでも、これでは己自身が倒れてしまうだろうに……」
 小さな身体を抱き上げ、百戦錬磨の戦士が眉を顰めた。気持ちは判らないでもない。しかし、ものには限度というものがある。こんなに急激に生命エネルギーを放出してしまえば、命さえ危うい。

「少し休むがいい」 ゴールズは静かに少年の身体を横たえた。顔色は蒼ざめ、憔悴は激しい。幼竜のエリオスがキラの脇にすり寄り、心配げに顔を舐めていた。
「ナナ、お前も疲れているだろう。少しは休め」 弟が倒れてもなお父の身体に生命エネルギーを与え続けている少女に瞳を向ける。彼女の疲労もかなりのものだ。もはや立っているのがやっとではないかと思えた。
「あたいはまだ大丈夫だよ。それよりも、キラに水でも飲ませてやってよ」 ナナは無理に微笑むと、目を閉じている弟に顎をしゃくって見せた。

「ったく、なんて姉弟だ……」 呆れたというように肩をすくめると、腰の水筒に手をかけようとした。が、不意にその手が止まる。瞼がスッとすぼまり、全身の筋肉が張り詰めた。

 シュッ!

 黒羽の矢が空気を切り、魔戦士の足元に突き刺さる。続く第二、第三の矢が漆黒の鎧を襲ってきた。それを大剣で薙ぎ払うと、ゴールズがカッと第三の目を見開いた。灼熱の赤い瞳が現れ、周囲の大気を切り裂く。
「何者?!」 雷鳴にも似た魔戦士の怒声。だが、応える声はなく、代わりに矢の雨が降り注いでくる。 「キラ!ナナ!避けろ!」

 しかし、何処にも避けようのない荒野の真っ只中。どうすることもできない。ただ、石化したアモンの蔭に身を隠すだけであった。ハシパシと矢が石化した悪魔に当たっては弾き返される。
「ちっ、こうなっては、アモンが石になってくれていて幸いだったな」 皮肉に顔を歪め、ゴールズが苦笑する。彼自身は顔を狙ってくる矢だけを大剣で薙ぎ払っている。それ以外の部分では、鎧が邪魔をして、矢を跳ね返しているのだ。

「おおっほっほっほっほっほーっ!裏切り者ゴールズ、今度こそ最後だよ!」 勝ち誇った高笑いが荒野に響く。ハッと身体を強張らせ、視線を泳がす。と、目の前に黒い霧のような闇が沸き出で、やがてそれは悪魔の姿へと具現した。白銀の長い髪、薄紫色の瞳の美しき姿をしてはいるが、酷薄な唇には残忍な笑みが浮かんでいた。

「シュール、貴様、生きていたのか?!」
 ゴールズの眉がキリリと寄り、唇の端から鋭い牙が現れた。彼こそは、何度も陰険な陰謀を巡らせ、キラたちを窮地に追い込んだ張本人であった。マリオスに魔竜の山で燃やされてしまったと思っていたのだが、生きていたか。なんともしぶとい悪魔だ。

「さあ、皆の者、裏切り者ゴールズをやっつけておしまい!」
 シュールがサッと手を上げると、闇の中から次々と武装した悪魔兵士が飛び出してくる。その数は百や二百ではない。キラたちを取り囲むように現れる黒い霧の中からゾロゾロとアリの群れのように流れ出してくる。
「ふっ、たった三人を捕らえるために、これだけの数を揃えたか。臆病者のお前らしいな」
 皮肉な笑みが魔戦士の顔に浮かぶ。僅か三人。それも、戦士と呼べるのはゴールズのみ。残りは幼い子供だけだ。それなのに、兵士を二百以上も繰り出してくるとは。全く呆れるほどの臆病さである。

「おーっほっほっほほっほっほーっ!なんとでも言うがいいわ!とにかくお前たちを殺すことがサーザ様のお望みなのだ。さあ、者ども、裏切り者と魔天使姉弟を殺しておしまい!」
 口を半月状に押し開き、白銀の髪の悪魔が命令を下した。戦士たちはウォーッと時の声を上げる。長剣を振りかざし、双頭の悪魔がゴールズメガケ突っ込んできた。
「ふっ、甘い突きだぜ!こんな突きで魔戦士ゴールズを倒せると思ったかーっ?!」

 大剣がゴーッと風を切り裂き、長剣を叩き折る。ハッと怯んだ双頭の悪魔の首が左右に分かれて飛ぶ。だが、胴体は構わず、折れた長剣を魔戦士に向けて振り回す。そこへ大剣が心臓を貫き、ドーッと倒れた。鮮やかなゴールズの剣さばきに、周囲の兵士が思わず息を呑む。
「ええいっ!何をしておる、例えゴールズといえど、二百もの兵士に敵うはずがないわ!一度にかかれ!」

 シュールが白銀の髪を逆立て喚き立てる。一瞬、怯んでいた兵士たちの顔にも、威勢が蘇った。言われてみればその通りである。一対二百、どう見積もっても、ゴールズに勝ち目はない。一時に襲い掛かれば、倒せるに違いないのだ。
「よーしっ、行くぞ!」
「おーっ!」
「魔戦士ゴールズといえど、畏るるに足りぬわ!」

 勢いを受けた兵士が四人、四方から躍りかかった。前方から竜頭の兵士が大剣を兜割りに振り下ろす。左右からは鬼面の兵士が長槍を真っ直ぐに突っ込んでくる。背後には、半人半羊の兵士が三叉の矛で狙っていた。
「死ね!」
「死ね!」
 四方の剣と槍矛が同時に魔戦士の身体を貫いた。いや、貫くと思われた瞬間、ゴールズの身体が掻き消えた。

「グッ!」
「グェーッ!」
「ウォーッ!」
「……んな馬鹿な……」
 目標を失った左右の槍は、反対側の鬼面兵士を貫き、大剣は半人半羊の兵士の頭部を粉砕し、三叉の矛は、竜頭の兵士の胸を刺し抜いていた。見事な同士討ちである。

「なんと……」 シュールが絶句する。明らかにゴールズの最後だと確信していただけに、驚愕は凄まじかった。
「ゴールズは何処じゃ!?捜せ!捜して殺せ!」 怒り狂った薄紫色の瞳が燃え上がる。兵士たちも、右往左往しながら魔戦士の姿を捜す。だが、何処へ消えたのか、逞しい双角の戦士の姿は忽然と消失していた。

 

ページトップへ

◆第二十四話  無残!騎士バーモン! ◆

 突如、消えた魔戦士ゴールズ。一体何処へ?兵士たちは恐慌に陥っていた。誰しもが、戦士としてのゴールズの豪名を聞き及んでいる。たった一人で何十人もの敵を倒したという伝説にも似た恐るべき魔戦士なのだ。よもや二百人もの兵士相手に倒されぬはずはないと思っていたのだが、あっと言う間に五人もの兵士が殺られたことによって、抑えられていた恐怖が再燃してきたのである。

「ええーい!何をしておる!さっさと裏切り者ゴールズを見つけぬか!」 シュールがヒステリックに叫ぶ。しかし、そのようなことを命令されても、姿が見えないのではどうしようもなかった。
「キラ、ナナ、伏せろ!」 不意に魔天使姉弟の耳元でささやく声が聞こえた。はっと顔を見合わせ、二人は地面に身体を伏せた。
「うわーっ!」 不意に兵士の絶叫。ハッと振り向いたシュールの目を射たのは宙を飛ぶ悪魔兵士の首と、噴水のように吹き上がる血飛沫であった。

「どうした?!」 問うまでもなく魔戦士ゴールズの仕業であることは明白である。だが、如何にして?動揺が兵団を襲った。姿も見せず、敵を倒す。これが魔戦士と呼ばれる所以であった。
「ぎゃーっ!」
「ぐぇーっ!」
 次々と起こる絶叫と悲鳴。その度に、骸が一つでき上がっていた。
「逃げろ!」
「ゴールズは最強の戦士だ。オレたち、下級兵士のかなう相手じゃない!」

 数においては絶対の優位にありながら、恐慌を起した兵団は、ただの群集と化していた。右へ左へと逃げ惑う兵士たち。次々と上がる悲鳴と血飛沫が恐慌に油を更に注ぐ。もはや、誰もシュールの命令など耳に入らなかった。
「者ども、静まれーっ!静まらぬかーっ!相手はたかだかゴールズ一人。何を恐れるかーっ!落ち着け!」

 喉も枯れよと怒鳴る。だが、混乱を極めた集団はもはや収集がつかないほど思考力を失っていた。己の隣にいる者がゴールズではないかと、恐れ、近づく者に大剣を振るう。その相手も、奴めこそはゴールズかと槍を突き出していた。壮絶な相討ちが始まる。そのような相討ちを裂けようと、集団から抜け出した兵士もいた。だが、ホッと安堵した途端、不意に現れた魔戦士に両断される。ゴールズは巧みに、兵士たちの中を駆け抜け、大剣を振るって混乱を加速させていた。

「ええーい!情けない奴らだ!敵はたった一人だというのに!」
 白銀の悪魔がじだんだを踏みながら怒鳴る。もはや混乱は収拾がつかない。疑心暗鬼にかられ、敵も見方も判らず互いに殺し合い、隙に乗じてゴールズに倒されていた。
「このばか者共!たった一人の敵になんと無様な醜態をさらしておるのだ!」

 突如、一団の頭上から雷鳴のような大声が轟いた。一瞬の沈黙。ハッと上空を振り仰いだシュールの表情が凍りついた。上空には不吉な闇色のドラゴンの大群が浮かんでいる。中心にいるのは一際巨大なドラゴン、アアギラオ。黒曜石の鱗を輝かせ威風堂々と宙に浮かんでいた。その背には輝く黄金の髪をなびかせた痩身の悪魔が鎮座している。かっと見開かれた瞳は酷薄な銀色であった。

「サッ、サーザ様……」
 驚愕に白銀のシュールが凍りつく。なんと、それは暗黒宮にいるはずの王甥、アモンが失脚した今、第一王位継承者サーザであった。キラ、ナナという二人の魔天使姉弟を殺すようにと命じた張本人である。しかし、普段は暗黒宮から出ようとはしない彼が何故ここに?不吉な予感に白銀の髪が逆立った。

「シュール、役に立たぬ奴」 冷徹な声音が大気を凍りつかせる。シュールは弾かれたように平伏した。だが、サーザの銀の瞳は何の感情も示してはいない。まるで不要になった玩具でも見る子供のような視線を送るだけであった。

「裏切り者など放っておればよいものを!」
 冷然と采配を振り上げる。と、両側にいた騎士が黙って一礼すると同時に、翼竜から舞い降りた。ハッと息を呑むシュール。それはサーザ親衛隊でも最強の騎士と呼ばれる二人であった。一人はゲノン。槍の名手で、三頭のドラゴンを槍一本で倒したという豪傑。もう一人はバーモン。二メートルを越す長剣を自在に操る剣士。ゴールズと並ぶ腕前の持ち主であった。二人は真っ直ぐに石化した悪魔の傍らに着地した。

「しまった!」
 兵団に紛れていた魔戦士が舌打ちをする。ゲノンがキラを、バーモンがナナに襲い掛かったのである。槍が伏せている少年の背を狙って振り下ろされた。長剣が少女の首を落とそうと閃く。
「うわーっ!」
「はーっ!」
 咄嗟に逃れる魔天使姉弟。槍はブスリと地面に突き刺さり、長剣は虚しく空を切った。紙一重で攻撃を避けた二人であったが、ピタリと槍と剣を喉元に突きつけられ、身動きできなくなっていた。

「出てこい、ゴールズ!ガキ共の命はないぞ!」
「それとも、己の命が惜しくて出てはこれぬか?!」
 恫喝と嘲弄が騎士たちの口から吐き出される。
「おじちゃん、だめだよ出てきたら!」
「そうよ、ゴールズ、あたいたちを放っといて逃げるのよ!」

 姉弟たちは口々に叫んだ。しかし、そう言われておめおめと逃げる魔戦士ゴールズではない。口惜しいが観念するしかないのだ。
「だめーっ!ゴールズーッ!出てこないで!」
 キラが懐から白羽を取り出す。途端、七色の光が周囲の空間を切り裂いた。同時に剣へと変化する。それを思いっきり騎士に向けて突き出した。
「小僧!」  意表を突かれた ゲノンが思わずたじろぐ。だが、歴戦の騎士、直ちに体制を取り戻し、槍を回転させる。槍尻が剣の柄を捕らえた。

「あっ!」 強烈な衝撃が少年の手を痺れさす。同時に宙を舞う剣。それはクルクルと円を描き石化した悪魔の腕の中へと落ちた。もはや絶体絶命か。
「こざかしい小僧だ!先に始末してくれる!」 切っ先がキラの胸へ向けて伸びた。貫かれる少年の心臓!ナナは思わず身体を躍らせる。
「うわーっ!」 鋭い絶叫。大きく見開かれる眼。ナナの身体はキラの上に覆い被さっていた。

「……何故だ……?」 深々と自分の胸に突き刺さった大剣を不思議そうに見つめるゲノン。ザワと兵士の群れが割れ、双角の戦士が姿を現わした。
「魔戦士ゴールズ……」
 現れたのは、双角の戦士ゴールズであった。凝然と見つめる悪魔たちを尻目に、堂々と歩を進め、はたとゲノンをにらみつけた。そして、ゆっくりと己の大剣を敵の胸から引き抜く。途端、迸る鮮血。それをサッとマントで防ぐと、ついと、もう一人の敵に向かい直った。

「随分と卑怯な真似をするじゃねえか。それでも、オレと並び評された騎士バーモンか?」
「くっ!」 口惜しげに唇を歪めるバーモンであったが、悪びれることなく長剣を魔戦士に突き出していた。
ゴールズはそれを大剣で払うと、ついと懐に飛び込む。がら空きになった胴に大剣が突き出されて行く。狙いは違わず相手の心臓を貫くであろう。

だが、剣先が頑丈な鎧を貫こうとする瞬間、鋼鉄の膝当てに護られた膝が跳ね上がり、魔戦士の腹を襲撃した。紙一重の差で、バーモンの心臓から大剣の切っ先が逸れる。隙を見逃さず、横一文字に長剣が戻ってくる。カシンと二つの剛剣が火花を散らした。次の瞬間、二人の戦士はパッと左右に跳び離れた。全くの互角。凄まじい闘気が二人の間で激しく激突しているのが、幼い魔天使姉弟にもありありと判る。

「ええーい!皆の者!何をボンヤリと見とれておる?!弓隊、さっさとゴールズを射なぬかーっ!」
 逆上したサーザが軍竜の上から怒鳴った。ハッと弓を構える弓士隊であったが、激しく戦っている見方の騎士、バーモンが邪魔で射ることができない。
「早く射よ!」 ヒステリックに命令が繰り返される。だが、弓を引いたまま、弦を放つことができない。

「申し上げます、サーザ様。今、矢を射ては、見方の騎士バーモンに当たってしまいまする」
「それがどうした?早く射よ!」 有無を言わせぬ、冷酷な銀色の瞳が、鋭く弓士隊長を射抜く。その意味するところを悟り、隊長は思わず背筋を凍らせた。バーモンもろともゴールズを射よと言うのだ。
「しっ、しかし……バーモンは閣下の部下の中でも、屈指の騎士でございますが……?」
「騎士の代わりなどいくらでもおるわ!」
「はー……」 不承不承頭を下げる隊長に、サーザは一瞥さえも与えず、早くしろと言うように、顎をしゃくった。

「弓士隊、一斉攻撃!」
 隊長の命令が、大気を凍りつかせた。一瞬、顔を見合わせた兵士たちであったが、しかたがないという面もちで弓弦から指を離した。
「おじちゃん、危ない!」 弓隊が矢をつがえたのを察したキラが警告を発した。同時に放たれた矢が雨と二人の戦士の頭上から降り注ぐ。

「サーザ!」 ハッと二人が空を仰ぐ。ゴールズの目は怒りに燃え、バーモンの瞳は驚愕に見開かれていた。味方もろとも殺そうとするとは!
「おのれ、サーザ!」 次々と降り注ぐ矢の雨を長剣でなぎはらい、バーモンが吠えた。だが、はらい切れず腕、肩、腿と矢が突き刺さって行く。それらを抜こうともせず、騎士は己が主人に向かって駆けた。散々利用し、嫌な仕事もさせられた。だが、主人だと思えばこそ、従ってきた。その代償がこれか?怒りが騎士に信じられない力を与えた。全身ハリネズミのようになりながらも、突進し、怒りの咆吼を上げた。

「翼よ!」 
バーモンが叫ぶと、背に強大なコウモリの翼が現れ、空気を切り裂いた。パッと飛翔する騎士の巨大。
「バーモン、血迷ったか?!」 自分に向かって長剣を振りかざして舞い上がってくるバーモンを恐怖の目でにらみつけるサーザ。全ては己自信が巻いた種であったのだが、そんな反省など持つはずもなく、弓士隊に射落とすようにと、狂気のように叫びつづけた。兵士の方も、恐慌に陥り、次々と矢をつがえては、放った。

「王甥サーザ、貴様のような悪魔に使えていたとは、騎士バーモン、一生の恥。汚名をそそぐには、貴様の心臓をえぐり出し、魔神ルシファーに捧げる他ないわ!」
 更に突き立った矢を全身にまとい、バーモンが軍竜の上に降り立った。そして、ジリジリと主人に向かって歩を進める。滴り落ちる鮮血が 、竜の背に川を作って流れて行く。
「だっ、誰かあやつを止めろ!」 引きつった顔で、サーザが叫ぶ。だが、あれだけの矢を全身に受けてなお、動き続ける悪魔騎士に向かって行く勇気のある者など一人もいなかった。ただ呆然と立ちつくすのみである。

「サーザ、殺してやる……」 かっと見開いた両眼に憎しみの炎を燃え立たせ、騎士バーモンが長剣を振り上げる。サーザは凍りついたように動けなかった。次の瞬間には、その長剣によって両断するであろうことは、誰の目にも明らかであった。

「……」 殺される。恐怖に心臓をつかまれ、サーザは銀色の瞳を閉じた。トクトクと脈撃つ音が大きく聞こえる。もはやこれまでか?覚悟した王甥は呼吸を止めた。だが、予想していた長剣は振り下ろされる様子がない。どうしたことだ?恐る恐る瞼を押し上げると、真っ赤に凝視した瞳が己を見下ろしていた。唇はめくれ上がり、両端からは鋭い牙が剥き出しになっている。世にも恐ろしげな形相であった。しかし、長剣は振り上げられたまま、微動もせず固まっている。一体、何が……?

「サッ、サーザ様、死んでおります」
「なっ……?」
 いつまでも動かずにいるバーモンに恐る恐る近づいた兵士が驚愕の叫びを発した。なんと、騎士バーモンは、立ったまま往生していたのである。
「なっ……なんと恐ろしい執念だ……」 サーザの背後の兵士たちから驚嘆のつぶやきが漏れた。魔戦士ゴールズと並び評された騎士バーモンの、これが最後であった。

 
ページトップへ

◆第二十五話  魔戦士ゴールズよ、永久に!◆

 騎士バーモンの壮絶な死、一千人にも及ぶ悪魔たちは凝然と無数の矢に貫かれてもなお立ち続ける偉大なる騎士を見つめていた。そして、そのような騎士を見殺しにし、敵もろとも射よと命じた主を侮蔑を込めて見下ろしていた。なんという情けない者に使えていたのであろう?誇り貴き騎士たちの心中にぽっかりと空虚な風穴がひらいてしまっていた。

「もっ、ものども、何をぼんやりとしているのよ!そのような血迷った愚か者などどうでもよいわ!ゴールズを伐つのよ!奴も矢を受けて負傷しているはずよ。殺るなら今だわ!」
 いきなり、シュールの甲高い怒号が飛び、茫然自失の悪魔たちが我に返った。言われて見れば、最初の目標は魔戦士ゴールズと魔天使姉弟であった。それが、騎士バーモンの狂乱で、相手を違えていたことにやっと気づいたのだ。全員の視線が地上に向けられた。

「いないぞ!」 ザワと悪魔兵士に動揺が走る。またも魔戦士を見失ってしまった。おまけに、今度は魔天使姉弟の姿も見えない。
 「血の痕よ。ゴールズは負傷しているはず、血の痕を調べるのよ」
 気づいたシュールが指示を出す。数人の悪魔騎士が地面を調べるが、闘いで傷ついているのは、ゴールズやバーモンだけではなかった。他にもゲノンや、ゴールズに倒された者の血があちこちに散乱していて、どれがゴールズのものなのか判別は不可能であった。

「ええいーっ!何をもたもたしておる!」 竜に騎乗したサーザの叱咤が悪魔たちを焦らせる。シュールも度重なる失態を今、取り戻そうと懸命に周囲を眺め回す。と、何かが石化したアモンの足下で動いたような気がした。何だろうと、用心深く近づいて行く。

「シャーッ!」
「ああっ!」 いきなり飛び出した黒い生き物が銀髪の悪魔の顔を引っ掻いた。慌てて仰け反るシュール。
「カアーッ!」
 続いてもう一つ、黒い鳥が飛び出す。
「黒猫とカラス、魔天使姉弟の化けた姿だ!」

 サーザが軍竜の背から叫ぶ。弓士が慌てて弓に矢をつがえた。だが、猫とカラスは別々の方向へジグザグに逃げるため、なかなか狙いを定めることができない。右往左往する兵士たちのただ中へと駆け込み、混乱させた。重い鎧に包まれた巨体の悪魔兵士たちは、ちょこまかと逃げ回る猫とカラスに翻弄され、混乱は収拾がつかないほどだ。おまけに、先ほど、主が仲間の騎士もろとも矢を射かけるようにと命令を下したことが脳裏を過ぎり、自分たちも矢の標的にされるのではないかという恐怖のため、益々平常心を失ってしまっていた。

「なんという愚かさだ」 サーザが苛立つように吐き捨てる。
「アモンの像を破壊するのだ!そうすれば、ガキ共は阻止しようと出てくる!」
 主の言葉に我に返ったシュールが、足下の骸を蹴り飛ばし、細身の剣を抜いて、アモンに斬りかかった。キラリと銀光が輝き、石化した悪魔の首を襲う。

「なっ……?」 シュールの薄紫色の瞳がカッと見開かれる。そして、信じられないとでも言うように自分の左胸を見つめた。大剣が深々と柄の部分まで突き刺さっている。ジワッと滲み出る鮮血が胸を赤く染め、ポタポタと滴り落ちて、地面に血だまりをを作って行った。シーンと静まり返る大気を切り裂いて、ザッと大剣が引き抜かれた。勢いよく迸る鮮血、そしてたった今、シュールが蹴り飛ばした骸がむっくりと起きあがってくる。手には血染めの大剣が握られていた。

「ゴールズ……」 血の気を失った唇が相手の名前をつむぐ。魔戦士ゴールズと。矢を射かけられ、傷ついた身体を休めるため、骸に化けていたのだ。
「おじちゃん!」
「ゴールズ!」
 黒猫とカラスが同時に飛び出し、魔戦士の側に集まった。二人は直ぐにキラとナナの姿に戻り、剣を構える。倒れている銀髪の悪魔はピクリとも動かなかった。

「弓士隊、三人を射よ!」
 キリリと引き絞られた弓が満月にたわむ。標的は魔戦士と魔天使姉弟、三人集まっていれば、狙うのは容易い。仲間を誤射する心配もないのだ。ヒョーッと風を切って矢が降りそそいできた。三人は懸命に矢をたたき落とす。だが、全てを避けることはできず、幾本化の矢が彼らを傷つけていた。巨体のゴールズは先ほど射られた肩と大腿に矢を突き立て、それでも仁王立ちのまま、第二矢を警戒して、大剣を構えている。ナナは脇腹と左腕に、キラは頬と膝に矢がかすめた傷を負っていた。

「子供たち、オレはお前たちと旅をして楽しかったぞ。人生最後を充実させてくれてありがとうよ」
「えっ?」 不意に飛び出した魔戦士の言葉に、魔天使姉弟は凝然と顔を上げる。ゴールズの唇は獰猛な笑みを浮かべている。一体、何を?
「オレは全力でサーザに突撃する。先ほどのバーモンのようにな。あいつでさえ、あそこまで行けたのだ、オレならば、必ずサーザを殺せる。だが、もしもの時のため、オレが飛び上がったら、直ぐに向こうの崖に向かってはしれ。あそこには、オレたちがくぐった竜王の玉座に繋がる洞窟の入り口がある」

「おじちゃん……」
「ゴールズ……」
「いいか、判ったな!」
 子供たちがうなずくのも確かめず、ゴールズが跳躍した。バッと広がる漆黒の翼。魔戦士の巨体は、矢のように上空に浮かぶ軍竜へと一直線に飛んだ。

「やっ、奴を射落とせ!」 恐慌に陥ったサーザが狂乱して叫ぶ。弓士隊は、バーモンの時と同じように、矢をつがえ、射ようとした。
「おじちゃん、だめーっ!」 キラが絶叫する。
「キラ、ゴールズの犠牲を無駄にするんじゃない!早く、崖に向かって走るんだよ!」 ナナが弟の腕を掴み、走ろうとする。だが、キラは動こうとはしなかった。

「嫌だ!おじちゃんを見殺しになんかできない!」 唇を噛みしめ、涙をためた瞳で姉をにらむキラ。その気持ちはナナとて同じである。だが、彼らは今ここで死ぬわけには行かない。父と共に天国の母を助けなくてはならないのだ。
「行くよ!」
「嫌だ!嫌だ!嫌だ!パパ、パパ、パパーッ!ゴールズを助けて!」 姉の手を振り解き、石化した父にしがみつく。大粒の涙がアモンの胸を濡らした。

「ふっふっふっふっふ、逃がしはしないよ、魔天使姉弟」 ユラリと起きあがった銀髪のシュール。鮮血に染まった胸には、そのまま空洞ができあがっていた。弱点である心臓を何処か他に隠していたのである。卑怯者の男にふさわしい、用心深さであった。
「死ねーっ!」
 痩刃が少年の心臓めがけて突き出される。

「キラ、危ない!」 ナナの短剣がかろうじて痩身の刃を弾き飛ばした。しかし、弾力性に富む痩剣は反発した勢いのまま、ナナへと襲いかかる。ああっと声と共に、短剣がたたき落とされてしまった。
「おーっほほほほほーっ!生意気な小娘、死ぬがいいわ!」
 細身の刃を指先でぴんと弾いて、シュールが高笑する。そして、いたぶるように刃先をナナの正面でクルクルと回転させた。

「なぶっていないで、殺しなよ」 怒りの瞳で銀髪の悪魔をにらみつけるナナ。だが、シュールは捕らえた鼠をいたぶる猫のように、切っ先で少女の白い肌に赤い筋をつけて行くだけであった。痛みに唇を噛むナナを見て、シュールは楽しげに笑い声を立てた。
「ほーら、ごらんよ、あんたたちを逃がそうと突っ込んで行った馬鹿者の最後を!」
 はっと見上げた姉弟の目に、ハリネズミのようになったゴールズの姿が飛び込んだ。

「おじちゃん!」
「ゴールズ!」
 子供たちの絶叫が届いたのか、ニッと笑ったゴールズは、大剣を振り上げたまま、サーザの上空へ飛翔し、そのまま急降下する。
「射落とせ!あの男に私を殺させるな!」 悲鳴に近い声で必死に命令する。弓士も盛んに矢を射るのだが加速度を増して急降下してくるのではどうしようもなかった。サーザは髪を振り乱し、逃れようとするのだが、腰が抜けてしまったのか、へたり込んだまま動けずにいた。

「サーザ様!」 親衛騎士団長が咄嗟に主人の上にかぶさる。
「ええーい、どけーっ!」 怒りの咆哮が、魔戦士の口から稲妻のように飛び出す。だが、隊長はしっかりとサーザを護ったまま動こうとはしなかった。
「それならば、もろとも串刺しにしてやる!」 ゴールズは大剣を真っ直ぐに突き出し、思いっきり落下した。
「ぐええええーっ!」 団長の口から血の絶叫が迸った。背には大剣が深々と突き立っている。魔戦士ゴールズは、その剣に寄りかかるように立っていた。もはや自力で立ってはいられない様子であった。

「そっ、それで私を倒したつもりか?」 親衛騎士団長の骸の下から声がする。ハッとなるゴールズ。まさか……?
「残念だったな、裏切り者ゴールズ。こやつのお蔭で、大剣は外れてしまったようだな」
 死骸の下から這い出してきたサーザの鎧には返り血は付着してはいたが、傷は何処にも見られなかった。なんという運の良い男なのであろうか。ゴールズは己の失敗に歯噛みしてうなった。
「クッ、殺してやる……」 団長の骸に突き刺さっている大剣を抜こうとするが、己と団長の血で滑り、抜くことができない。

「死ねーっ、ゴールズ!」 騎士隊の一人が、団長の仇と、長剣をゴールズの背中へと突き立てた。
「団長の仇だ!」 もう一人が脇腹を同じく突き刺す。続く別の騎士が前方から心臓へと槍を突き立てた。
「おっ……おのれ……邪魔を……」 カッと見開いた第三の眼が怒りに燃えサーザをにらむ。だが、もはや魔戦士ゴールズには前進する力さえ残されてはいなかった。

「おじちゃん!」
「ゴールズ!」
 魔天使姉弟の悲鳴が地獄の大気を震撼させた。
「逃げろ……魔天使姉弟……」 小さなつぶやきがゴールズの口から漏れたが、もはやそれは誰の耳にも入らなかった。
「おっほほほほほほほーっ!裏切り者は死んだわ。次はお前たちのばんよ」 シュールが嘲笑する。ナナはキッと銀髪の悪魔を口惜しげににらんだ。

「ナナ!」 キラは七光剣を持ち直し、身構える。しかし、細身の剣の刃先は姉の喉元にある。少しでも動けば、ナナの命はない。
「キラ、お前だけでも逃げるんだよ!」
「嫌だ!ナナ、そんなことできない!」

 ここまで一緒に旅してきた魔戦士ゴールズを失い。ナナもまた失うことはできない。なんとしてもナナを助ける。決意は少年の身体に微妙な変化を加え初めていた。額の環に取り付けられた、紺碧にも、ルビー色にも、エメラルド色にも見える宝玉がサーチライトのように輝いている。それは輝きを増しつづけ、ついには太陽のように強烈な眩しさで周囲を圧倒した。銀髪のシュールも思わずたじろぎ、一歩後退する。

「あれはキラの力を封印した……」 ナナは思わず息を呑んで弟を見つめていた。額の環に納められた宝玉は、彼らが地獄へ降りてきた当初、地獄を嫌ったキラが自身をも嫌い、己自身を己の魔力で傷つけてしまうことを防ぐため、アモンの乳母であったゾーラがキラの力を封印したものである。ゴールズを殺された怒りと、姉を助けようとする力強い思念が宝玉に変化を加えているのかも知れない。

「だめ!キラ、それ以上魔力を使ったら、キラ自身も傷ついてしまう!」 ナナが絶叫した。あの時の恐怖は忘れられない。地獄を嫌い、己自身を嫌って死にそうになった弟。もし、ゾーラの呪を破ってしまったら、またキラの魔力は自分自身を傷つけてしまうかも知れないのだ。
「ナナを殺させはしない!」 ゴウゴウと立ち上る凄まじいオーラ。千人もの悪魔兵士たちはその圧力に圧倒され、ジリジリと後退を始めていた。

「ええいっ!臆病者めら!たかが子供一人、何を恐れるかーっ!倒せ!弓士隊、矢を射よ!」 サーザが怒気をはらんだ声で叱咤する。しかし、太陽のように光輝くキラに畏れをなして、弓士も怯えてしまっていた。

”闇を纏いし者、現れし時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる。”

 今こそ闇の伝承が権限するのかも知れない。恐怖が全員の脳裏に響いた。それは、地獄に伝わる終末の予言。それこそが、アモンたち親子に災難をもたらした呪いの秘文であった。

 
ページトップへ

◆第二十六話  光と闇の伝説! ◆

 闇牢獄から少し離れた風の妖精の村では、シルフィーが集めてきた薬草の束を念入りに分けていた。毒消しの草、猛毒の殺人茸、吸引するだけで痺れさせてしまう黒すみれの種、等。
「母ちゃん!大変だ!」 いきなり小さな妖精が慌てふためいて飛び込んでくる。シルフィーは眉をひそめ、そちらへ顔を向けた。

「ユーリー、なんですか騒々しい。私は今、大切な薬草を仕分けしているところなんですよ。少しはおとなしくできないの?ユーリーと同い年のキラくんは、お母さんを助けるため、お父さんを捜して恐ろしい闇牢獄まで行ったというのに……」
「そうだよ、そのキラが危ないんだよ!」
「なんですって?」 シルフィーは仕事の手を止め、息子の顔を見た。ユーリーは前進汗びっしょりで、肩で息をしている。よほど一生懸命に駈けてきたに違いない。

「さっき、旅人が噂していたのを耳にしたんだ。王甥サーザが軍竜に乗って闇牢獄の方へ向かっているのを見たって」
「サーザが闇牢獄へ向かった?まさか……」
「そうだよ!キラがいる闇牢獄へ向かったってことは……」
「キラくんたちが危険?!」
 シルフィーは真っ青な顔で立ち上がる。キラは村の恩人だ。そして、あの子の父親も。

「こうしてはいられないわ。みんなを集めて!」
「もう集まっているよ。村長(むらおさ)が大人に集合をかけたんだよ」
「判ったわ。私も直ぐに行くわ!」
 風の妖精は、長いブロンドの髪をしっかりと束ね、裏手の小屋に走った。中へ入ると、壁に吊るしてある革の胸当てを装着し、続いて小手、膝当てを身につけ、最後に長剣を腰にさすと、広場へと駈けた。

「おうっ、シルフィー、やっときたか」 村長が、顔を見るなり、難しい表情でうなずく。すでに集まっている村人たちも、シルフィーと同じく武装した出で立ちであった。皆、心は同じというわけだ。
「キラ殿は吾が村の恩人だ。何か異論のある者はおるか?」
 誰一人首を横に振る者はいない。それは最初から判っていたことであるが、儀式としては必要な手順である。風の妖精は地獄界では弱小種族であるが、決して臆病ではないし、恩知らずでもない。受けた恩は命がけで返す。それが弱小種である風の妖精の誇りでもあった。

「では、すぐに闇牢獄に向かって出陣だ」 村長の号令に全員がうなずいた。
「まって、オレも連れてってくれ!キラはオレの命の恩人なんだ。オレもキラの手助けをさせてくれ!」
 いつの間にかユーリーが父親の形見の剣を背中に背負って母親の傍らに立っていた。
「無理だ!ユーリー、お前はまだ幼過ぎる。戦いに参加するのは死にに行くようなものだ」
 村長が言下にはねつける。いくら元気のよい男の子だとはいえ、まだ幼い子供を戦いに巻き込むのはできない相談であった。

「でも、キラはオレよりも子供なんだぜ。それなのに、戦っている」
「だめと言ったらだめだ」 厳しく反対されて、ユーリーはブッと膨れっ面して母親シルフィーを仰ぎ見たが、やはり首を横に振るのを見ると、しょんぼりとうなだれた。
「では出発だ!」 号令と共に、風の妖精たちは一斉に大空へと舞い上がる。それはトリドリノ羽を持つ蝶の大群のように、西へと向かって流れて行った。


 ここまで姉弟を助けてくれたゴールズを失い、姉をも殺されようとして、キラは心の糸を断ち切ってしまった。怒りと悲しみで小さな身体は張り裂けんばかりである。何度も卑怯な手段で姉弟を苦しめた銀髪の悪魔。そして、親子をバラバラにした張本人のサーザが、今度は親友である魔戦死ゴールズをも殺してしまった。二人とも許せない。怒りの炎が全身を包む。そして、キラは気づかなかったが、額の環に納められていた魔力を封じた宝玉が強い光を発し始めていた。その光は光量を増大させ、小さな太陽のように光り輝く。

「なっ、なんなのよ?この光は?!」 あまりの力強い光の渦に、たじろいだシュールが主人のサーザを仰ぎ見た。だが、サーザとてこのような圧倒的な力を見せ付けられたことはなかったのだ。
「ええーい、恐れるでないわ!射よ!弓士隊、一斉射撃だ!」
 サーザが怒鳴る。弓兵たちは矢を次々に光の中心へと射込む。だが、どうしたことか、中心に届く前に燃え尽きてしまうのであった。

「よくも、おじちゃんを!許せない!」 キラは七光剣をシュールに向けた。途端、強烈な光の刃が伸び、銀罰の悪魔の身体を微塵に吹き飛ばしてしまった。
「ひーっ!なんて力だ!」
 兵士たちに動揺が起こった。それは、かつてゴールズが姿を消し、次々と仲間を殺した時とは比べ物にならない驚愕であった。ゴールズの力は、まだ彼の剣技に対する畏怖であり、姿さえ捉えれば、なんとかなるかも知れないレベルだ。

だが、キラの発する力は、かつて見たこともない異質な力であったのだ。それは、地獄の住人が自然に恐怖する神の力を感じさせるものであった。光に満ちた天界の住人が発する力。光を疎い、闇の世界に生きる悪魔にとっては災厄そのものともいえた。

「光と闇を纏いし者、現れし時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる」

 誰かが叫ぶ。それはかつて地獄で密かに伝えられた予言の一説であった。誰しもが、今、自分たちが見ている光景こそ、その予言の顕現であると信じた。
「だから、あの時、殺すべきだと言ったのだ!それなのに、あの馬鹿魔王ブラスは……」 サーザが恐怖におののきながら、絶叫する。そんな王甥の足元にも光の刃は飛翔してくる。さすがの軍竜も、痛みと恐怖で全身をくねらせ始めた。振り落とされまいと背びれにしがみつくが、ますます暴れる力は激しくなってくる。

「くそっ、役立たずの竜めが!」 忌々しげに吐き捨てると、サーザは竜の背から飛び降りた。光の塊そのものと化したキラから無数の光の矢が四方に向けて飛び出して行く。ヒュンヒュンと黄金の矢は兵士、騎士に分け隔てなく襲いかかり、相手を消滅させた。恐慌に陥った兵士、騎士は逃げ惑い、先を争って遁走し始める。もはや千を越す圧倒的数の有利も、彼らには関係のない事実であった。

「ええーい!この臆病者めら!逃げるでない!相手はたった一人、それも年端の行かない子供なのだぞ。それでも、栄えあるサーザ兵団の兵士か?地獄を震え上がらせた竜騎士団か?!」
 自らも軍竜から振り落とされ、地上に降り立つを得なかったサーザが怒りの形相で部下に命令する。だが、すでに信じられない力を見せるキラに畏れをなした軍団は、主の言葉など耳に入らないかのように、ひたすら逃亡を続けていた。

「サーザ、お前だけは許さない!」
 フワリと光の球が浮上した。大きく見開かれるサーザの眼。それは、真っ直ぐに向かってきていた。
「ひっ!弓士隊、早く、あの光の球を打ち落とせ」
 恐ろしいスピードで近づいてくる光球を、サーザがヒステリックに叫びながら攻撃命令を出す。だが、総崩れになった兵士、騎士には、命令を実行するだけの勇気のある者は誰もいなかった。
輝く光球は王甥の直前まで迫ると、ピタリと静止する。怯えた視線を向ける相手をジッと見つめるキラの姿が、おぼろげに光球の中に浮かび上がって見えた。キラは七光剣を高々と掲げ、振り下ろそうと身構える。 「たっ、助けてくれーっ!」 サーザがみっともなく哀願する。他人の命は平然と奪う悪魔であるが、己の命だけは惜しいらしい。冷笑が少年の唇に浮かぶ。

「今まで犠牲になった人たちの悲しみと恨みを思い知るがいい!」 重々しい口調でキラが言い放つ。だが、剣を振り下ろそうとはしなかった。ジッとにらんでいるだけなのだ。あまりにも長い間の沈黙に、サーザが不信げに視線を上げた。何故かは理解できないが、少年の顔には苦悶が表れていた。
「キラ、何をしてんのよ!早く、サーザをやっつけちまいな!」 ナナが叫ぶ。
「ミューミュー!ミューッ!」 エリオスも、早くしろと手足をバタつかせていた。

「……」 サーザを殺さなくてはならないのは、判っていた。殺さなくては、殺される。父母を陥れ、自分たち姉弟を人間界に追放するように仕組んだ悪魔。大切な親友、ゴールズを殺した憎き敵だ。母が天国で生死の境を彷徨うはめに陥ったのも、サーザの陰謀によって、姉弟が危険にさらされているのを見かねた母が自らの風切り羽を引き抜いたためなのだ。彼らの全ての不幸は、この男のせいだと言っても過言ではなかった。

しかし、キラの身体に流れる天使の血が怒りに任せた殺戮を許さない。敵を傷つければ傷つけるだけ、キラの心身も傷つく。魔女ゾーラの呪によって封印されていた天使の力が発動してきた今、サーザに向けられた怒りと憎しみは、合わせ鏡のように自らにも降り注いでくる。

「そっ、そうか、判ったぞ!貴様の力、悪魔と天使の力が体内でぶっつかり合っているのだな?!だから、思うように動けなくなってしまったのだ!」 今まで恐怖に引き攣っていたサーザの顔に冷笑が浮かぶ。正確とはいえないが、鋭い読みだ。相手の弱点は決して見逃さない、サーザらしい読みであった。
「弓士隊、今だ!今の間に、奴を射殺せ!」 急に元気を取り戻した王甥が大声で命じた。兵たちも、何かを感じたのか、慌てて矢をつがえる。

「キラーッ!早くサーザに止めを!」 ナナが絶叫する。だが、キラは動けなかった。宿敵サーザを殺さなくてはならないと思う気持ちは逸るのだが、身体が動かないのだ。怒りと憎しみは、天使と悪魔の混血であるキラの天使の心を痛めつけ、身体をも破壊させる。心も身体もバラバラになりそうだった。そんな葛藤が爆発的だった光の力を弱めたのか、太陽のように光り輝いていたキラの周囲から輝きが消えて行った。

「ふん、たたのコケオドシだったようだな」 すっかり輝きを失ってしまい、ガックリと膝をついた少年を、サーザは嘲笑った。
「ふふふふふふふ、地獄を破滅に追いやる伝説の破壊者も、たいしたことはなかったわ!くだらぬ天使の心などなまじ持っておるから、そのようにみっともない姿をさらすことになるのだ。地獄の住人には優しさなど必要ない!必要なのは、己だけの栄達へのあくなき欲望と、他の者を踏み台にしてでも生き延びようとする執念、そして、敵を必ず殺すという冷酷さなのだ」 苦痛に脂汗を流し、蹲っているキラを冷然と見下ろし、サーザが豪語する。

「おいっ、このガキを始末しろ!」 危機を脱したと判断して、戻ってきた兵士に命じると、サーザは大空高く舞っている軍竜に降りてくるようにと合図を送った。竜はフワリと巨大な影を地上に映す。一瞬、暗くなった地表で、兵士のかざす剣が光る。次の瞬間にはキラの首が地面に転がっているに違いなかった。

「キラーッ!」 ナナが絶叫する。
「ミューッ!ミューッ!ミューッ!」 エリオスも必死で鳴いていた。
「死ね、小僧!」 兵士の顔面が、血の欲望に恍惚となった。
「うわーっ!」 鋭い悲鳴。思わず顔を背けるナナ。エリオスは四肢を駆って、全力で突進した。

 
ページトップへ

◆最終話  さらば地獄よ! ◆

 地獄の大気を震わせて、断末魔の悲鳴がナナの鼓膜を直撃した。同時にエリオスの悲愴な鳴き声も聞こえる。ずっと苦難の旅を共に歩んだ弟。まだ幼くて、母親を恋しがり涙していた可愛い少年だった。そのキラが今、悪魔兵士の剣の犠牲に。

「キラーッ!」 歯を食いしばり、弟の名前を絶叫する。
「お前は……?」 驚愕で、大きく眼を見開いた兵士の口から血の塊が吐き出された。胸には大剣が深々と突き立てられている。突きたてたのは……

「パパ……?」 ナナの眼が、信じられないものを見て、飛び出さんばかりに見開かれていた。大剣を引抜く逞しい腕。分厚い筋肉の盛り上がった胸、キリッと吊り上がった黒曜石の瞳。闇牢獄に囚われ、精神を破壊しようと襲い掛かる幻想から己を護るため、石化してしまったはずの父、アモンであった。
「キラ、よく頑張ったな」 傷つき、倒れていた息子を逞しい腕が抱き上げた。

「パパ……どうして……?」 キラは、信じられないものを見たように、眼を大きく見開いた。本当に父、アモンなのだろうか?あんなに一生懸命に呼びかけても、変じもしてくれなかった石化した父。生命エネルギーを使ってマッサージをしたにも関わらず、石化したまま動かなかった父。それが今、目の前にいて、強い力で抱いてくれていた。

「ゴールズが死んだお蔭で、オレは復活することができたのだ」
「えっ?」 不思議そうに魔天使姉弟は 父を見た。何故、ゴールズの死と、父の復活が関係あるのだろうか?

「闇牢獄に囚われたオレは、次々と襲ってくる妄想と幻影からみを護るため、石化した。だが、完全に石化する前、幽体の一部を飛ばしたのだ。そして、サーザの部下、ゴールズが眠っている間に、乗り移った。だが、ゴールズの精神は強靭で、逆に飲み込まれてしまい、意識下に押しやられてしまった。それで奴を自由に動かすことはおろか、逃げ出すこともできなくなってしまった。無理矢理にでも動かそうとすればできたかも知れぬ。だが、あえてそうはしなかった。オレは地獄では罪人であったし、サーザの悪企みも知る必要があったからだ。お蔭で、お前たちを助けることができた。ゴールズはサーザの部下とはいえ、本当の戦士だった。だから、まだ幼いお前たちを殺すことには躊躇いがあり、サーザも主人であるというだけで、決して従いたい悪魔ではないという思いを持っていたから、サーザを裏切らせることは簡単だった。実に惜しい男だった。生きてまみえることがあれば、互いに高めあえる相手になったに違いない男だったのだが……」

 よくは理解できなかったが、父がゴールズの中で自分たちを護っていてくれたことだけは判った。始めは殺そうとしていたゴールズが、何故か急に自分たちを助けてくれたのも、父が後ろにいたからなのだろう。
「パパ!」 ナナが駆け寄り、アモンに抱きつく。逞しい腕が優しく包んでくれた。これが懐かしい父の感触。何度も夢見た恋しい父の胸であった。

「ママが……ママが天国で待ってる。あたいたち三人の血が必要なの。死にそうなの……」
「判ってる。ゴールズを通じて、フレアのことは分っていた。目の前の奴を倒したら、直ぐに天国へ行く」
 子供たちを静かに下ろすと、アモンは宿敵サーザに視線を向けた。黄金の髪、銀色の瞳の美しい悪魔の顔が蒼白に引き攣る。

「へっ、兵士共、何をしておる!早く反逆者アモンを討ち取れ!奴こそは地獄を破滅に追いやろうとしている反逆者だ!」 遠巻きに取り囲んでいた兵士、騎士が互いの顔を見合わせる。反逆者アモン?だが、アモンといえばかつての第一王位継承者。そして、地獄一と謳われた勇者である。その勇者に剣を向けることに動揺したのであった。

「早く討て!アモンを殺せ!」 金髪を逆立て、サーザが怒鳴る。
「しかたがない……」 弓士の一人が、渋々と矢を番えた。
「ギャッ!」 その途端、何処からともなく飛んできた矢が弓士の喉元を貫いた。思わず息を呑む一同。ふと視線を空に向けた兵士が驚愕の叫びを上げた。
「なっ、何だ奴らは?!」

 指差す方向に視線が集中する。それは武装した要請の群れであった。中心にいるのは黄金の風の妖精シルフィーである。彼女の弓弦は、いまだ振動を止めてはいなかった。
「勇者アモン、風の妖精はご恩に報いるため、参上いたしました」 フワリと三人の目の前に降り立った妖精の長が深々と頭を下げた。隣に降り立った、黄金の髪の妖精も会釈する。

「シルフィー!きてくれたんだね」 アモンの腕に抱かれていたキラが飛び出し、風の妖精に抱きつく。つい数日前に別れたばかりなのに、なんと懐かしいのだろう。妖精たちは、次々と地上に降り立ち、アモンと子供たちを守るように取り囲んだ。
「おのれ!弱小な妖精の分際で王甥であり、第一王位継承者、サーザに逆らおうというのか?!」
 逆上したサーザが銀の瞳を燃え上がらせ、妖精の長を怒鳴りつける。風の妖精ごとき、恫喝すれば恐れおののいて、引き下がるものと信じていた。しかし、長も、その一族も決して臆することはなかった。手に持っている武器をしっかりと握りしめ、身構えている。

「騎士団、奴らを蹴散らせ!」 恫喝だけでは妖精を退かせることはできないと判断した王甥は、ヒステリックに騎士団に命じた。だが、いくら武装しているとはいえ、妖精は儚い種族、栄誉ある騎士が殺したとして、決して誉れとはいえない。むしろ、恥じとさえいえるのである。戸惑いが、騎士の戦意を挫いてしまった。

「ええいーっ!何を躊躇っておる!早く、妖精共を殺してしまえ!」 しかし、騎士も、兵士も命令に応じようとはしなかった。恥を知る者であれば、無力な赤子のような妖精を討つことなどできはしない。できるとすれば、サーザやシュールのような卑劣な悪魔だけである。その一人、シュールはすでにキラの怒りの前に消滅してしまっていた。

「くっ、腰抜け共が!それならば、軍竜よ、奴らを皆殺しにしろ!」 業を煮やしたサーザが竜たちに命令した。サーザ騎士団の騎乗するドラゴンは、竜族でも最も苛烈な黒竜である。彼らが本気で怒れば、火炎を吐き、雷鳴を呼ぶ。ひ弱な風の妖精など一溜まりもないであろう。しかし、竜たちは命令に従わず、ボンヤリと視線を空に彷徨わせていた。中には、うずくまったまま眠り込んでいる者さえいた。

「なっ、何事だ?!栄えあるサーザ騎士団のドラゴンともあろうものが、戦場で眠るとは!」 銀の瞳が怒りにカッと燃え上がった。掌から電光を発し、ドラゴンを叱咤する。しかし、どの竜も反応は鈍い。
「ミユー……」 足下でエリオスが半眼になって大きなあくびをした。とそのまま眠りにつく。 「エリオス……?」 キラが驚いて幼竜を揺さぶる。しかし、いくら揺すろうと全く起きようとはしなかった。

「うふふ、キラくん、大丈夫よ。エリオスは私たちが撒いた竜眠草の花粉で眠っているだけだから、時間が経ったら目覚めるわ」
「竜眠草?」 驚いて振り向いたキラに、シルフィーがにっこりと微笑んだ。風の妖精の生業は、アラユル物から薬を作ること。そして、それは彼らの最大の武器であった。竜眠草もの花粉も、彼ら秘伝の薬物である。風上から密やかに撒布するだけで、あらゆるドラゴン族は眠りについてしまうのだが、他の生き物には全くの無害な毒粉である。

「どうやら、騎士も兵士も、竜ですらお前を見捨てたらしいな」
 大剣を片手に、アモンはユックリと従兄弟に近づく。
「アモンめ……」 サーザは口惜しげに牙を剥いてうなる。だが、一歩アモンが近づくと、一歩退く。また一歩近づくと、一歩退いた。

相手は地獄一の勇者、アモンである。力だけでは到底敵わないことは、彼自身がよく判っている。なんとか防ぐ術はないものか。アモンを牽制しながら、思案をめぐらせる。騎士も兵士も、アモンの勇名と、かつての第一王位継承者であるという事実に、臆してしまっていた。もはや、部下は役に立たない。とすれば、自分自身の力でなんとかするしかない。

「アモン、私が悪かった!ゆっ、許してくれーっ!」 突如、サーザが地面に這いつくばり、哀願した。呆気に取られる一同を尻目に、懸命に命乞いを始めたのである。王甥であるという誇りも、王位継承者であることもかなぐり捨て、ひたすら命を惜しむ姿は醜悪でさえあった。

「ちっ、このような男が宿敵であったとは、情けなくなるわ!キラ、ナナ、行くぞ!こんな奴の血で、吾が大剣を汚す必要もなかろう」
「パパ、早く天国へ行かなくちゃ。ママが待ってるよ」
「おうっ!」 キラが嬉しそうに父に甘える。アモンの表情も、ふっと優しく変化した。

「油断したなアモン!死ね!」
 従兄弟が背を向けた途端、サーザは懐に隠し持っていた短剣を取り出し、思いっきりぶっつかってきた。
「ぐえええーっ!」 驚愕に眼を見開くキラとナナ。そして、蒼ざめた風の妖精たち。
「ちっ、何処までも卑怯な奴……」 嘲りの瞳でサーザを見つめるアモン。腕には微かな切り傷から血が滲んでいた。そして、金髪の悪魔の背からは、まだ震えの止まらない矢羽が突き立っていた。

その矢のお蔭で、サーザの短剣の切っ先が狂い、アモンの心臓から逸れ、腕をわずかに傷つけただけで済んだのである。しかし、一体誰が矢を放ったのだろう。風の一族はサーザの前方にいたのだし、アモンと子供たちは背を向けていたのだ。
「へへへへ!オイラ、やったぜ!」 不意に上空から少年の笑い声。ハッと見上げると、小さな風の妖精の男の子が空中に浮かんでいた。まだ子供だからと、村に残っているようにと言われたのだが、我慢しきれず、コッソリと村人の後を追いかけてきたのである。そして、物陰から様子を探っていたところ、サーザがいきなり短剣を取り出したのを見て、素早く矢を射たのであった。

「ユーリー!」
「あんたって子は!村で待っているようにって言ったのに……」
 シルフィーがキッと眉を吊り上げる。ユーリーはビクッと身体を硬直させた。
「まあまあ、シルフィー、お蔭でアモン様のお命を救うことができたのじゃ、許してやりなさい」
 長が苦笑しながらシルフィーの肩を叩いた。
「申し訳ありません、村長……」 シルフィーはしかたなく村長に謝罪した。ユーリーは叱られることはないと悟り、ヒラリとキラの目の前に舞い降りる。そして、ニヤリと唇を吊り上げた。

「えへへ、これで貸し借りなしだぜ!」
「うん、ありがとうユーリー」 キラもニッコリと微笑んで見せた。二人の少年は堅い友情の握手をする。
「どこまでも見苦しい男だったな」 醜悪な汚物でも見るようにアモンがつぶやく。彼ら親子を散々苦しめた悪魔。ありとあらゆる陰謀で、親子を抹殺しようとしていた宿敵であった。だが、その最後はなんとも呆気ない。弱小種族と呼ばれる妖精、それも年端の行かない少年の矢に倒れるとは、卑怯者らしい最後とも言えた。

「さあ、キラ、ナナ、天界へ行くぞ!ママが待っている!」
「うん!」
「あいよ!」
 魔天使姉弟がうなずく。しかし、天界は遠い。こんな地獄の最下層から、あの道程を戻って行っては、時がかかり過ぎる。一刻も早く旅立たなくてはならない。
「あっ、空を見て!」

 何気なく空を見上げたシルフィーが叫び声を上げた。驚いて指差す方向を見る一同。天空の雲の割れ目から虹いろの光の柱が降りてきていた。あれは一体……?
「キラ、ナナ、そしてフレアのただ一人愛した者、地獄の勇者アモン」
 天空から涼やかな声が流れてくる。
「ナナ、この声」
「まさか……大天使ガブリエル様……?」

 姉弟ははっと互いの顔を見合わせる。しかし、こんな地獄の最下層に天使の声が聞こえるはずがない。だとすれば空耳か?
「私は大天使ガブリエルです。緊急事態なので、百人の天使の力を借りて遠話を送っています。長くは話せません。フレアが危篤なのです。すぐに三人共、天界に……」
「ママが危篤?!」 キラとナナが凍りついた顔で互いを見つめる。アモンの顔も厳しいものへと変化した。
「……虹の柱を目指して登って……きて……」

 不意に大天使の声が途絶えてしまった。天界から地獄界へ遠話を送ることは、そうとうの力を必要とする。百人の天使の力をもってしても、たったあれだけの遠話を送るのが精一杯だったのだろう。
「虹の柱が消えて行く!」
 遠話が途絶えたと同時に、虹の柱も消滅し始めていた。大天使ガブリエルは柱を目標に展開にくるようにと言った。恐らく、それが天界への近道なのであろう。

「行くぞ!」 アモンが背のコウモリの翼を広げ、柱を目指して飛翔した。キラとナナも続く。急がなくては、柱が消えてしまう。三人は力の限り翼をはためかせる。地獄の大気が重い重油のようにまとわりつくようだ。恐らく、地獄と天界を繋いでいる空間を越えているため、普通以上の抵抗を感じるのであろう。
「もう少しで柱だ」 アモンが子供たちを励ます。そして、両手で二人の子供たちの手を掴み、更に、羽ばたきを強くした。重圧は荒滝を流れる水のように力を増す。息が止まりそうな重圧が三人を苦しめる。だが、諦めるわけには行かない。力の限り翼を動かした。

「ああっ、虹が消える!」 絶望の叫びが、見ていた妖精の口から漏れた。その時、三人の姿が虹の端に届く。とたん、彼らの姿が虹とともに消失した。
「キラたちが消えた!」 ユーリーが悲鳴を上げる。
「大丈夫、三人は天界に入ったのよ。間違いないわ」 シルフィーが怯えている息子の身体を抱きしめた。天空には再び暗雲が立ち込めている。
「キラ、ナナ!絶対にママに会って甘えるんだぞーっ!」 ユーリーが天空に向かって叫ぶ。妖精たちも、心からそれを願った。

 魔王宮の玉座で、ブラスはジッと瞑目したまま、親衛隊長ルークの報告を聞いていた。王甥サーザに狙われ、利用されようとしている魔天使姉弟を捕らえよとの命令を受けて、闇牢獄に向かったルークであったが、到着した時はすでに遅く、復活したアモンと共に魔天使姉弟は天国へと旅立った後であったと言うのである。

「……」
「魔王様、申し訳ありません。私がもっと急いで駆けつけていれば……」
 沈黙を守ったままの魔王を、怒りのためと思ったルークが床の上に平伏す。地獄の掟を破った姉弟は裁かれなくてはならない。それに第一王位継承者サーザを倒したという罪もある。それをむざむざ逃がしてしまった。魔王の怒りはどれほどのものか、想像もつかない。どのような罰が与えられようと文句は言えない。

「サーザはアモンと共に魔天使姉弟を殺そうとしたのか?」
「はっ、しかしながら、応援に飛んできた風の妖精に逆に殺されてしまったようでございます。それに、驚くべきことではありますが、竜族の王、ガーリオンも影で力を貸しておったようでございます」
「本当か?竜王ガーリオンは滅多なことでは悪魔に力を貸すことはないと聞く偏屈だぞ。それが、魔天使姉弟に力を貸しておったとは……」
「どうやら、姉弟が気に入ったようでございます」
「ふむ……、弱小種の妖精といい、偏屈の竜王といい……」

 魔王は組んでいた腕を外すと、ニヤリと笑った。
「地獄に光が満ちる時がきたやも知れぬな……」
 ついと視線を窓の外に向ける。心なしか空が明るくなってきているように思える。本当に光の届かぬ地獄に光が満ちるのだろうか?それは神に悪魔が許される時と言われる、天の時。

 ”光と闇を纏いし者、現れし時、天と地の境は崩壊し、天は闇に閉ざされ、地は光に溢るる。”



「アモンよ、早く帰ってこい!玉座はお前を待っておるぞ!」
 ブラスは豪快に笑うと、再び瞑目した。

ページトップへ