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●マーシャン・レッド 全8話 文:カメ仙人

目次

マーシャン・レッド1

マーシャン・レッド2

マーシャン・レッド3

マーシャン・レッド4

マーシャン・レッド5

マーシャン・レッド6

マーシャン・レッド7

マーシャン・レッド8

 

◆マーシャン・レッド1◆


 ニュー・トキオ・宇宙ステーション、星山紀美子は火星からやってくる我が子の到着を待っていた。我が子とは言え、実の子ではない。火星に移民した兄の一人息子なのだ。八年前、生まれたばかりの翔(かける)と共に移民して行ってしまった兄夫婦であったが、先日起こった謎のコロニーの大虐殺に巻き込まれ、兄、兄嫁共に殺されてしまったのだ。

翔は、兄嫁の咄嗟の機転で 緊急用カプセルの中へ隠れていて難を逃れた、虐殺の唯一の生き残りである。両親を失い、孤児になってしまった甥は施設へと送られそうになった。そこへ、兄夫婦死亡の知らせを受けた紀美子が夫を説得して養子として引き取ることを申し出たのである。今日は児童福祉士に連れられ、翔が火星からやってくる日なのである。火星からの宇宙客船はもう一時間も前に到着しているはずなのだが、乗客が降りてくる様子がない。火星には危険な風土病があると聞く。もしかしたら、検疫に時間がかかっているのかも知れなかった。

 「きたようだぜ」
 隣で歓迎ゲートの扉を見つめていた夫、達也が小さな声で言った。我に返って、ゲートを見ると、係員が扉に近づいて行くのが見える。やがて開かれた扉から、ゾロゾロと人々が流れ出てくる。

 「お帰りなさいーっ!」 「ただいま」

 迎えにきた人たちと、帰ってくる人たちが次々と目的の相手を集団の中から見つけ堅い握手を交わしたり、抱き合ったりしていた。紀美子と、達也は群衆の中から小さな甥っ子を見つけ出そうと、フロアを探し回る。だが、それらしき姿は見えなかった。もしかして、何かあったのであろうか? もしかして、出発寸前に病気にでもなって、客船に乗り損ねたのではなかろうか? 一抹の不安が胸に浮かぶ。

と、その時、背の高い男に連れられたボストンバッグを持った小さな男の子が目に入る。あれだろうか? いや、それにしては、男の子が小さすぎる。あれはどう見ても、五、六才ぐらいだ。翔は確か、八才のはずだし、それに、男の子の髪の毛は燃えるような赤だった。翔は両親共、日本人を親に持つ少年だから、赤毛のはずはない。紀美子は、視線を反らし、くるべき甥っ子をさがす。だが、男は真っ直ぐに近づいてきた。

 「星山さんで? 火星軍の武田です」
 目の前に近づくと、男は二人に話しかけてきた。
 「はあ……、私は星山ですが……?」

 夫の達也が怪訝そうに答える。火星軍が何の用なのだろうか? 嫌な予感がする。もしかして、翔に何かあったのだろうか? そう言えば、翔はあの火星の大虐殺に巻き込まれたと言う。もしや、犯人が唯一の生き残りの甥っ子を狙って、危害を加えたのでは? 軍と聞くと、何か重大な事件が絡んでいるような印象がある。もしかして、翔はそんな重大な事件に巻き込まれているのだろうか? 嫌な考えばかりが脳裏に浮かぶ。

 「星山紀美子さんの兄上、谷川守さんの遺児、翔君をお連れしました」
 「えっ?」 思わず傍らの少年を見る。どう見ても、連れている少年は赤毛である。まさか、染めているとは思えない。それに、背格好が幼すぎるように見えた。

 「星山さん、どうかされましたか?」
 「あのー、まさか翔って、その子なのですか? その子はどう見ても五、六才にしか見えませんが……? それに、髪の色が……?」
 戸惑いを隠しきれず、思わず尋ねていた。
 「兄上からお聞きになっておられなかったのですか?」
 「えっ? 何を? 兄は火星に移民して以来、一通のメールもくれたことがありませんでしたけれど……」

 そうなのである。周囲の反対を押し切って移民して行った兄は、紀美子にだけでなく、家族、親戚の誰にも連絡を絶っていた。恐らく、反対されて火星に移住したからには、ある程度の成功を収めるまでは連絡を取ることを躊躇っていたのであろう。

 「そうですか……。では、マーシャン・レッドと言うものをご存知でしょうか?」
 「マーシャン・レッド? ……火星人の赤……ですか?」
 「火星の風土病です。大人は少し熱が出るぐらいですむのですが、子供に発症すると、高熱が続き、酷い時には死亡してしまうと言う恐ろしい病です。そして、治ったとしても、成長が遅れ……髪の毛が赤く変わってしまうと言う後遺症が残ってしまうのです」
 「風土病の後遺症……」

 達也と紀美子は沈黙した。火星の風土病の後遺症とは……。何か異質な物でも見るような目で翔を見つめる。恐ろしく痩せた手足、異常に見えるほど大きな瞳。その瞳さえ赤みがかって見えるのも、その後遺症なのだろうか? それに、今、話題になっているのが自分のことだと判っているはずだろうに、表情に何の変化も見えない。それが余計に不気味に思える。

 果たして、この子を養子にして大丈夫だろうか? 風土病は、自分たちにも感染する危険はないのだろうか? それに、後遺症……髪の毛が変わってしまったと言うことだけなのだろうか? もしかして、精神の方への影響も何かあるのではなかろうか? 様々な疑惑が心の中へ浮かんでくるのを止められなかった。

 「風土病は完全に治癒しております。あなた方への感染の心配はありません。もちろん もし、感染の危険があれば、地球の検疫を通過することはできません。それは、私が保証いたします。それに、今のところ、髪の毛が赤くなると言う以外に後遺症は報告されておりません。ご養子になさるための傷害は何もないと思われますが……」
 火星軍の武田は機械的に説明する。恐らくは、火星人の子供を地球人が養子にする時、疑念を持たれると予想していたのであろう。

 「もしも、養子縁組を拒否されると言われるのであれば、私はこのまま翔君を火星に連れ戻し、施設に預けることになります。選択権はあなた方にあります。私共は、何よりも子供が幸せになれる環境を見つけてやる義務があります。もしも、お気に召さない子供を養子に迎えて、親子共々不幸に陥ることは避けなくてはなりませんから、どうぞ正直にご決断ください。養子縁組を望まれますか? それとも、拒否されますか?」
 武田は慇懃に問う。だが、言い知れぬ威圧感があった。生半可な気分で養子にして、子供の未来を潰されてはならないと言う誠実さからなのかも知れない。

 「おじさん、おばさん、ぼくは施設でも平気だよ。心配しないで」  不意に、今まで沈黙していた翔が口を開いた。ぎくりとして少年を見る。微笑んでいるが、目は暗くよどんでいるように見えた。両親が死んで、もう誰も自分を愛してくれる者はいないと悟っているような笑顔である。紀美子は胸を突かれ、何か言おうとした。

 「施設に行くから、心配しないでだとーっ?! このクソガキ、何てかわいげのないガキなんだ!」 だが、彼女よりも早く、達也が反応した。激しい語気で翔に詰め寄る。
 「星山さん……」 火星軍少佐は慌てて少年を庇おうとする。だが、達也は強く手で払いのけ、翔の身体を抱き上げた。

 「そんなちょこざいな口が二度と聞けないように可愛がってやる。可愛がって、可愛がって、地球で一番愛されている子供だと言わせてみせる!」
 力強く抱きしめ、頬ずりをした。
 「達也、そんなこと許さないわ」
 紀美子が夫の手から少年の身体を取り上げる。八才の子供とは思えない程軽い。その軽さにショックを受けたが、それを振り払って強く抱きしめる。
 「宇宙一愛されていると言わせるのよ!」
 にっこりと微笑んで達也を見た。彼もまた、微笑んでうなずいて見せる。

 「ふふ、これなら、翔君をお任せしても大丈夫のようですな」
 少佐はにこやかな笑みを浮かべた。翔はいまだ戸惑いの表情を隠しきれずにいる。安心して懐いてもよいものかどうか……。そんな表情であった。
 「それでは、翔君をお願いします。必ず幸せにしてあげてください」
 武田は深々と頭を下げる。星山夫妻も同じように頭を下げた。

 「あっ、武田少佐」
 帰って行こうとした少佐を達也が呼び止めた。
 「あの、翔の両親を殺した、殺人犯はまだ捕まらないんですよね」
 「はい、残念ながら……。まだ、犯人の手掛かりは全く見つかっておりません。私たち火星軍と警察が全力を尽くして捜索しておりますが、全く手がかりが有りません。しかし、必ず犯人は捕らえてみせますからご安心ください。それに、ここは地球です。翔君は最も安全な場所にいると言っていいでしょう」

 「そうです、翔はここで、安全に暮らしますよ。もう、怖い思いなど一つもさせません」
 達也がキッパリと言う。紀美子も同じようにうなずく。武田は、目を細目笑みを作った。そして、今度こそ一度も振り返らずゲートの中へ消えて行った。

 翔を受け取った星山夫婦は、郊外にある家へ直行した。自然主義者とまでは行かないが、自然を愛する彼ら夫婦は、21世紀の科学を駆使して作られたシティを避け、郊外の20世紀末風の町に住居を構えていた。彼らはよそ道をすることを避け、真っ直ぐに自宅へと向かった。新しい兄がくると楽しみにしている一人娘の亜美が首を長くして待っているに違いないからだ。

 一人っ子だった彼女は、兄ができると知って大喜びだった。今日も一緒に迎えに行くときかなかったのだが、バーチャル・スクールの月に一度の登校日だったため、しかたなく迎えに行くのを諦めたのだった。三人が家に戻る頃には、既に帰宅して待っているはずだ。ガレージに車を入れ三人は外へ出た。

 「ウーッ、バウバウバウバウバウ!」
 途端、隣家、内山家の犬が激しく吠え立てた。驚いて犬を見るが、益々狂ったように牙を剥く。こんなことは初めてである。いつもは、甘えるような声で迎えてくれるのに……? どうやら今日は、虫の居所が悪いようだ。
 「おいおい、ベス、そんなに吠えるなよ。うちの息子が怖がるだろう。ほら、オレの新しい息子の翔だ、よろしく頼むぜ」

 犬好きの達也が隣家の犬に向かって笑顔で話しかけると、一瞬、おとなしくなった。だが、翔を見るなり、再び狂ったように吠え立て始める。
 「ガルルルル、バウバウバウバウバウーッ!」
 怒った野獣のようにベスは吠え立て、襲いかかろうと首を振り、鎖を引く。咽が閉まりゼーゼーと言う唸り声を吐きながらも諦めず、敵意をむき出しにしていた。  「全く、今日のベスは変だなあ……」
 達也は首をかしげた。一体何が気に入らないのだろう? しかたなく、側から離れた。

 「パパ、ママ、お帰りなさーいーっ!」
 ベスの大騒ぎで彼らの帰宅に気づいた亜美が、玄関のドアを開き、弾丸のように飛び出してきた。そして、翔を見るなり
 「ママったらお兄ちゃんがくるって言ったのに、弟じゃないの!」
 と叫んだ。七才の亜美にとって、八才の翔は年上なのだが、どう見ても五、六才にしか見えない彼は弟にされてしまったのである。別に弟呼ばわりされても嫌な風は見せず、二人は直ぐにうち解けたようであった。

 「亜美の奴、翔を年下だと思い込んでるよ。全く困った奴だ」
 二人が仲良く遊んでいる後ろ姿を見ながら、達也が苦笑する。紀美子も微笑んでいた。
 「翔君には、明日から、たっぷりとミルクを飲ませて上げないといけないわね。じゃないと、いつまでも、亜美の弟よ」
 「おう、それに、ニボシもだ。オレは子供の頃、チビだったから、悔しくて、ニボシをバリバリ食ったんだ。そしたら、ぐんぐん背が伸びて、今や180cmだ。あいつだって、直ぐに大きくなるさ」

 紀美子はクスリと笑った。今日出会ったばかりなのに、もうこんなに息子に入れ込んでいる。きっと、自分たちは翔の良い家族になれると思った。でも、あの子の目……。空港で始めて出会った時、翔にジッと見つめられ、思わず ドキリとした。きっと気のせいだと思うのだけれど、まるで心の中を見透かされているような恐怖を感じたのだ。火星の風土病に冒されたことがあると聞いた時、ふと不安を感じた。本当にこの子とうまくやって行けるのだろうかと。途端、

 「おじさん、おばさん、ぼくは施設でも平気だよ。心配しないで」
 と言ったのだ。まるで、あなた方の気持ちは判っている。そんなに無理をしなくても構わないんだよとでも言うように……。本当にドキリとした。もしかして、あの子は私たちの心が読めるのではないだろうか……?
 「いやだ!私ったら何を変なことを考えているのかしら」
 紀美子は大きく頭を振ると、苦笑した。

 亜美は新しくできた弟(?)が凄く気に入ったらしく、盛んに「可愛い」を連発していた。そして、どうしても一緒に眠るのだと言ってきかない。それで、紀美子はしかたなく、二人を同じベッドで眠らせた。翔は年下の亜美に弟呼ばわりされても 一向に嫌がる気配はなかったのが、その理由の一つでもあった。もしかしたら、彼自身、亜美を姉だと思っているのかも知れない。どうせ、子供同士のことだ。それで、お互いが納得しているのなら、それでも良いのかも知れないと思っていた。

 真夜中、紀美子は盛んに吠える犬の鳴き声に目を覚ました。一頭だけではない、数十匹の犬が狂ったように鳴き声を上げているようである。こんなことは始めてであった。何かに怯えているような、切迫したような鳴き声なのだ。
 「ねえ、あなた、起きて」
 気持ちが悪くなり、隣で寝ていた夫の身体を揺する。しかし、熟睡しているのか、一向に目を覚ましてくれなかった。

 しかたなく一人で起きあがると、足音を忍ばせてベランダへ向かう。カーテンをそっと開き、外の様子を見た。月明かりに照らし出された隣の庭で犬、ベスが星山い家に向かって盛んに吠えている。何がいるのだろう? 不信に思い、視線を自分の庭に向けた。だが、怪しい物の姿は見えない。

 「ったく、堪らないわ。お隣さん、犬を何とかしてよね」
 紀美子は眉をひそめ、ブツブツと口の中で文句を言った。だが、犬は吠えるのを止めようとはしない。電話でもして抗議しようかと、後ろを向く。

 「ギャーッ!」 途端、絶叫が轟いた。驚いて振り返る目に飛び込んできたのは、無惨に切り刻まれた犬の姿であった。首は引きちぎれ、内臓が飛び散っている。振り向いたのはほんの一瞬だったはずなのに、こんな無惨な殺し方をするとは……? 一体どんな生き物なのか? 恐怖で身体が凍り付きそうであった。だが、紀美子の目を射たのは、点々と続く血の痕だ。それは、隣家の庭から垣根を越え、星山家の庭へと続いていたのだ。それは、赤い不吉な悪魔の足跡のように月明かりに光る。

 「子供たちが危ない!」
 血の痕が続く先に何があるかに思い当たった彼女は、青ざめた。そのまま真っ直ぐに進めば、子供部屋なのだ。亜美と翔が危ない! 咄嗟に目に入った、夫のゴルフのクラブを掴むと、部屋を飛び出していた。無事でいて欲しい。あんな無惨な死骸にされてはいまいか? 不安で心が張り裂けそうであった。

 廊下に出ると、足音を殺す。もし、犯人が子供部屋にまだいたら、無用な刺激は危険だ。足早に、しかし、部屋の前に到着する。ゴクリと唾を飲み込む。そして、ゆっくりとドアノブを回した。音を立ててはならない。息を殺しジワジワと力を加える。カチリとかすかな音がして、ドアが開く。そーっと押して、中の気配を探った。特に怪しい感じはしない。だが、まだ油断はできない。

 「翔ちゃん、可愛い!」
 亜美の声だ。どうやら無事らしい。安心して、思いっきりドアを開いた。ベッドには亜美と翔、二人の子供たちが仲良く眠っている。よかった、二人は無事だった。思わず安堵のため息が漏れた。肩から力が抜け、クラブを下ろす。

 フワリ! 窓のカーテンが大きく揺れた。ぎくりとして、そちらを振り向く。だが、何の姿も見えなかった。
 「もう、亜美ったら、寝る時は窓を閉めなさいっていつも言っているのに……」 苦笑しながら窓を閉めようとした手が止まる。月明かりに照らされた窓枠に赤い物が付着していたのだ。ビクリとして一歩退く。強ばった表情のまま、部屋の中を見回す。ベッドの下や、家具の陰に何かが隠れているようで心臓の鼓動が早鐘のように激しく打ち始めた。

 「……ママ……どうかしたの?」
 不意に亜美の声。はっとして振り返ると、眠そうな目で見つめていた。
 「あっ……亜美……。何でもないのよ。大丈夫だから、寝なさい」
 「うん」 安心したのか、少女は目を閉じて寝息を立て始めた。紀美子は娘の頭を軽く撫でてやると、毛布をかけ直す。隣に眠っている翔は何事もなかったような平和な顔で眠っていた。そっと少年の頬に触れてみる。柔らかい弾力が戻ってきた。

 「翔君、我が家にきてくれてありがとうね」
 小さな声で囁くと、ニッコリと微笑む。そして、窓を閉じ、部屋から出て行った。
 紀美子が出て行った後の部屋は、静まり返っている。聞こえるのは、子供たちの静かな寝息。が、熟睡していたはずの、翔の目がパッと開いた。そして、ゆっくりと立ち上がると、窓へと歩いて行く。カーテンを少し押し開け、夜空に赤く輝く星を見つけると、長い間見つめていた。

 ガサッ! 部屋の隅に置いてあるボストンバッグから物音がする。翔がニッコリとして振り返った。見ると、バッグの口からチョコンと小さな生き物が顔を出している。目が異常に大きい。それに、両方の耳が丸く大きかった。それは、まるでディズニー・アニメのネズミのキャラクターのようである。ただ、違っていたのは、額の中央に小さな角が生えていることであった。

 「キューイ」 呼ぶと、角ネズミはチョロ利とバッグを抜けだし、膝の上に飛び乗った。翔は愛おしげにその頭を撫でる。ネズミは満足げに目を細めて丸くなった。
 「きゃあーっ! 可愛いーっ! それ何て生き物なの?」
 「わっ?」 突然、背後から叫び声。翔は驚いて振り返る。そこには、ぱじゃま姿の亜美が覗き込んでいた。いつの間に……? 少年の顔が引きつる。

 「あっ……亜美ちゃん……。起きてきたの……」
 「ねえ、触らせて。ふかふかしてて柔らかそう」
 亜美は翔の言葉など無視して、ネズミに触れようとする。慌てて隠そうとしたが、少女の手の方が早かった。

 「キューッ!」 ネズミが悲鳴を上げる。だが、彼女は一向に気にもしない。頭を撫でたり、耳を引っ張ったり、尻尾を摘んだり弄んでいた。ネズミは最初抵抗していたが、やがて諦めたのか、おとなしくされるがままにしていた。

 「可愛い、この子の名前は何っての?」
 「キューイ。火星の角ネズミだよ」
 はしゃいでいる亜美に、翔が憮然と答えた。
 「きゃあーっ、きゅーい! 可愛い名前ーっ!」
 「キューッ!」 頬ずりされて、キューイが悲鳴を上げる。だが、そんなことなど構わず亜美は珍しい生き物をいじくり廻していた。翔は頭を抱える。彼女には何を言っても応えないようであった。

 

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◆マーシャン・レッド2 ◆

 翌朝、近所は大騒ぎだった。隣家の犬が惨殺されていたのである。夕べ見たあの足跡の主が犯人に違いない。そう思うと星山紀美子は身震いした。もしあの時、犯人が子供たちを襲っていたなら……。

 「ママ、どうかしたの?」
 「きゃーっ!」 不意に声をかけられ、紀美子は飛び上がった。振り向くと、亜美が眼をまん丸くして立っている。隣には昨日、火星からやってきた翔が、冷たい視線で見つめていた。なんていう視線だろう。まるで何もかも知っていると言いたげだ。紀美子が無理をして良い母親を演じようとしていることも、火星の風土病が自分たちに感染しないだろうかと危惧していることも……。

 「おっ、おはよう。早かったのね亜美。翔君もよく眠れた?」
 思わず顔が強張ってしまうのを、無理矢理笑顔を作って応える。
 「早いって……ママ、もう十時だよ」
 亜美がおかしそうにクスクスと笑った。そう言われてみれば、そうだ。あの後、隣家の内山夫人が犬の異変に気づき、絶叫して近所の人たちを起こして大騒ぎとなった。そして、我が子同様に 可愛がっていたベスにすがりついて、大声で泣き叫んでいたのを 近所のみんなで慰めてたのだが、半狂乱になって暴れてるのを全員で押さえつけ、なだめすかしたりして、バタバタとしていて時間が過ぎたのにまるで気づかなかったのである。

 「ふっ、二人ともお腹が空いたでしょう? 直ぐに朝ご飯の用意をするわね。テレビでも見ていてちょうだい」
 「ええーっ? まだご飯の用意できてないの?」
 亜美が可愛らしい唇を尖らせて叫ぶ。いつもなら、とっくに用意ができているのに、今朝は犬殺し事件のお蔭で何も準備ができていないのだ。
 「ごめんね、ママ、朝寝坊しちゃったから、遅くなっちゃったのよ」
 「ふーん」
 娘は訝しげに見つめていたが、やがて翔を引きずるようにしてリビングへと駆けて行った。そして、テレビの声が聞こえてくる。紀美子は急いで朝食の支度を始めた。

 「あらっ?」 テーブルの上を見て首を傾げる。確か、キャベツの固まりを置いていたはずなのに、それが何処にも見えないのだ。まさか お菓子ではないので、亜美が持って行ったはずはないのだが……? もちろん、翔が持っていく理由も考えつかない。何処かへ置き忘れたのかとあちこち探したが、やはり見つからない。しかたがないので、今朝はサラダを作るのを諦め、味噌汁を作ることにした。

 子供たちはリビングに行くと見せかけ、自分たちの部屋へと駆けて行った。亜美の腕の中にはキャベツの固まりが抱えられている。紀美子が探していたキャベツである。
 「翔君、早く! ママに見つかっちゃうわよ、急いで!」
 部屋のドアを開くと、引きずり込むように翔の腕を引っ張った。そして、中へ入るやいなや、バタンと締める。
 「キューイ、キューイ!」
 二人は部屋の隅に置いてある翔のバッグに駆け寄る。同時にバッグから火星の角ネズミが顔を出した。亜美がキャベツを差し出すと、バリバリと音を立てて食べ始める。その仕草が可愛くて、二人は嬉しそうに見つめていた。

 「キューイ、キューイ! 本当に可愛いわ! ねえ、翔君、この子、何処で見つけたの?」
 「うん、火星のぼくんちの納屋にいたんだ。怪我してて、死にそうだったのを治してやったんだ」
 「ふーん」
 亜美がよく判らないと言う顔で少年を見た。
 「こいつ、凄く臆病なんだ。あの時も、こいつが騒ぎ出して……」
 「あの時って?」

 不意に視線を落とす翔を訝り、亜美は顔を覗き込む。しかし、少年は何も応えず角ネズミを抱く。その表情があまりにも悲しげだったので、それ以上尋ねることができなかった。翔は火星で酷い経験をした子供だったことを亜美は思い出す。嫌なことを思い出させてしまった。優しくして上げなくては。自分が年上のくせに、自分より小さな少年を守って上げるんだ。亜美は小さな胸で、そう決心していた。

 朝食を食べさせると、紀美子は子供たちを連れてショッピングに出た。色々と食料を買い込まなくてはならないし、火星からきたばかりの翔に服や身の回りの物を買ってやらなくてはならなかったからである。可愛いコップやタオル、スリッパを亜美は嬉しそうに選んでいる。一人っ子だったので、新しい姉弟ができて楽しくてしかたがないのだ。子供同士うまく行かないのではないかと密かに心配していた彼女は、ホッとしていた。

 「ねえ、ママ、あれも買ってよ」
 「えっ?」 娘が指さした物を見て、首をかしげる。それは、人形用の可愛らしい洋服であった。決して高価な品物ではないのだが、それに合う人形なんか持ってはいなかったはずなのだ。
 「ねえ、それは男の子のお人形の半ズボンよ。亜美は男の子のお人形は持ってないでしょう。どうして、欲しいの?」

 「あらっ、ママって変よ。だって、女の子は男の子のように半ズボンもはくわ」
 「そっ、そうだけど……。でも……」
 「ねえ、ママ、お願い!」
 「もう、しかたがないわねえ……」
 「わーい! ママ、ありがとう」

 紀美子は渋々買うことを承知する。亜美は一人っ子で育ったせいか、一度言い出したらなかなか諦めない子なのだ。今日はまだまだ買い物がたくさんあって、ここで時間をつぶすわけには行かなかったのだ。それに、嬉しそうな娘の笑顔を見ていると、やっぱり買ってやってよかったと思う。
 

 山のような買い物を済ませると、三人はファーストフードでハンバーガーを買い、ベンチで食べ始めた。亜美は大きく口を開いてパクパクと美味しそうに食べている。翔は少しうつむき加減で、恥ずかしそうに食べていた。まるで男の子と女の子が逆だと、紀美子はおかしかった。

 「ねえ、翔君。どうしてアレを買ったか判る?」 不意に亜美が翔にささやきかけた。
 「ううん」 少年は首を横に振る。
 「やだ、あの子に着せるのよ。きっと似合うと思わない? 赤い半ズボンを着せたら、ミッキーみたいでしょう?」
 「ああっ、そうか!」

 翔が顔を上げてニッコリする。亜美も、片目をつぶり、微笑んだ。紀美子は二人が仲良く話しているのを見て微笑した。昨日会ったばかりだと言うのに、もう本当の姉弟のようにうちとけている。うまく行くだろうかと心配していたのは、どうやら取り越し苦労だったようだ。良い家族にならなくては。大切な兄の忘れ形見だから、優しいママを演じなくてはならない。

 「あらっ、星山の奥さんじゃないの?」
 不意に声をかけられ、紀美子は顔を上げ、相手を見た。肉付きのよい中年女が愛想笑いを浮かべて立っているのが目に入る
。  「あっ、町田さん……」 相手が近所でも有名な嫌味な奥さん、町田婦人だと判ると、紀美子は少し顔を顰めた。だが、直ぐに表情を作り、相手を探るように見つめた。

 「こんにちは、亜美ちゃんも一緒にお買い物。よかったわねえ、楽しかった? でも、そっちのぼくは、どなたなのかしら、初めて見るようだけど……?」
 町田夫人は、紀美子が何も言う隙を与えず、ベラベラとしゃべり続けた。
 「でも、このぼく、髪の毛を赤く染めちゃって、まるで不良みたい。嫌ねえ、こんなちっちゃいのに、もう不良してるなんて……。呆れたものね、親の顔が見てみたいわ。亜美ちゃんのお友達でも、髪の毛を赤く染めるようではねえ。考えものよ。それに……」

 「待ってください! この子の髪が赤いのは染めているからではありません。病気なんです」
 あまりにもズケズケ言う婦人に、思わず声を荒げていた。
 「えっ? 病気? そんな病気のこと、聞いたことないわ。病気で髪の毛が赤くなるなんて、そんな病気あるの? 嘘でしょう?」
 「嘘なんかじゃありません。火星の風土病なんです。恐ろしい病で、子供が発病すると、高熱が続き、酷い時には死んでしまうと言われる『マーシャン・レッド』と呼ばれる風土病の後遺症で髪の毛が赤く変わってしまったのです。翔は不良なんかじゃありません」 紀美子は感情を抑えた声で静かに語った。

 「まあ! 火星の風土病ですって? じゃあ、その子、火星人なの? そんな、地球人にしか見えないけれど……。あっ、そうか、移民の子なのよね。思い出した、あなたのお兄さま、火星へ移民したって言ってたわね。じゃあ、そのお兄さまの子なのね。でも、怖いわ! まさか、私にうつらないでしょうね?! 嫌だわ、そんな子が近所に住んでいるなんて、怖くて外にも出れないわ! どうしましょう、私、この子と同じ空気を吸ってしまったわ! 大丈夫かしら?」 婦人は二、三歩後ろへ下がると、不潔な物でも見るように、赤毛の少年を見る。

 「奥様、何を中世の科学も何も発達していない時代の無知な人間のようなことをおっしゃってるの? もしも、そんな危険があるのでしたら、宇宙港の検疫に引っかかって、地球には上陸できませんわ。そんな、汚らわしい物でも見るような目は止めてください!」
 紀美子は思わず声を荒げる。等の翔がいる前で、感染しないかだとか、怖いだとか、傷つくようなことを平気で口にする無神経さに腹の中は煮えくり返るようであった。

 「直っているの……? でもねえ……。亜美ちゃんに近づけたりして、大変なことにでもなったら、困るのはあなたですよ。私、亜美ちゃんが大好きだから、心配してあげているんじゃないの」
 だが、紀美子の内心の苛立ちに気づかないのか、町田夫人は平気で続ける。  「ねえ、亜美ちゃん、その子、こわーい病気を持っているかも知れないのよ、近づかない方がいいわよ、本当に。でも、従弟じゃあしかたがないか。それにそれにしたって、怪しげな病気を持っているんでしょう? 怖いわよねえ。嫌でしょう、そんな子」 紀美子が怖い顔でにらんでいるので、今度は亜美に話しかける。

 「翔君は、亜美の弟よ! 失礼なこと言わないで! おばちゃんなんか大嫌い! ベーッ!」
 亜美は翔を庇うように仁王立ちになると、可愛らしい舌をだす。婦人は眉をひそめ少女と紀美子を交互に見た。そして、最後に翔を嫌な目つきでにらむと、憮然と立ち去って行く。亜美は、その後ろ姿に 「イーッ!」 と歯をむきだした。

 「亜美、そんな顔をしたら、せっかくの美人が台無しよ。止めなさい」
 「だってママ、町田のおばちゃんって嫌なことばかりいうんだもの。亜美、嫌い! ママは平気なの?」
 「平気じゃないわよ。私の可愛い息子を侮辱されたんですもの。ママだって、あの人、大嫌いよ」
 「そうでしょう! あんな人、死んじゃえばいいのに!」
 亜美が再び歯をむき出しにする。今度は紀美子も止めはしなかった。そして、チラリと翔を横目で見ると、寂しげに目を伏せていた。

 亜美に退散させられた町田夫人は、このことを誰かに話したくてうずうずしていた。火星の訳の分からない風土病に冒され、髪の毛が赤く変わってしまった少年。そして、その子を養子にしたと言う星山家。話したいことは山ほどある。火星の風土病とは一体どんなものか? まさか、伝染病では? それに、髪の毛の色が変わると言う以外にどんな後遺症があるのか? 憶測は膨大な宇宙のように広がって行く。これで、当分の間は井戸端会議の主役になれる。近所の人たちにあらゆるでたらめな解釈を話して聞かせ、面白がらせ、怖がらせてやれる。内心、婦人は興味本位の考えで一杯になっていた。

 「あらっ?」 不意に何かの視線を感じ、振り返った。だが、周囲には誰もいない。気のせいだったのかと、視線を戻した。
 ガサッ! 
 途端、背後から物音が……。振り向いた婦人の目が大きく見開かれる。何か叫び声を上げようと口を大きく開き、息を吸い込む。が、次の瞬間、婦人の首は胴を離れ宙を飛んでいた。地面に落ちた生首はゴロゴロと地面を転がり、空をにらんだまま停止する。驚愕に見開かれた目は一体何を見たのか、何も語らない。首を切り離された胴体からは引き出された内臓がズルズルと路上に長く延びていた。


 町田夫人が何物かに殺されたと言うニュースは瞬く間に町中に広まった。夕べ殺されていた隣の犬と同じように首をかき切られ、内臓を引き出された姿で発見された死骸は見るも無惨であったと言う。スッパリと切断された首の切り口は、とうてい人間の仕業とは思えない無惨な切り口であったらしい。死体を見聞した監察医は首を傾げ、凶器を断定することができなかった。

 彼が知っているどのような武器も、このような切り口で人を殺すことはできない。まるで、何か巨大な牙で噛み切られたような切り口であった。それに、裂かれた腹から引きずり出された内臓……。あまりにも猟奇的だった。とても正気の人間の仕業とは思えない。かと言って獣に襲われたと言うのも考え難い。何故なら、人の首を一撃のうちに噛み切ってしまうような肉食獣など、現在の地球上には全く存在しないからである。しかし、監察医の直感は、何かの獣を感じていた。とてつもなく巨大な獣。強大な牙を持ち、一撃で首を噛み切ってしまうような獰猛な魔獣……。

 買い物を済ませた紀美子たちは自宅に戻っていた。子供たちは庭で仲良く遊んでいる。相変わらず遊びの主導権は亜美が握っていた。ままごとのお母さんになりきり、子供役の翔にあれこれと指図をしている。だが、翔は文句も言わずおとなしく従っていた。紀美子はダイニングの窓からそれを微笑みながら見つめている。

 ピンポーン! 子供たちから視線を反らし、夕飯の支度にかかろうとした時、チャイムの音が耳に入った。一体だれだろうと 首を傾げながら玄関へと向かうと、お向かいの松本夫人であった。
 「星山さん、聞いた? 町田さんが殺されたってよ。今、テレビで言ってたわ」
 「えっ? 町田さんが……? 私、さっきショッピングセンターで会ったばかりなのに……」

 「まあ! 本当、じゃあ、その直ぐ後に殺されたのね。怖いわねえ! 町田さん、殺されたのはショッピングセンターの直ぐ近くの公園らしいのよ。もしかしたら、殺されていたのは星山さんだったかも知れないのね」
 「えっ?! 嫌だ! そんな……。もしかして、昨夜、犬を殺したのと同じ犯人なのかしら?」
 「そうそう、テレビでもそう言っていたわ。町田さん、犬と同じように首を切られ、内臓を引きずり出されていたって……」

 「まあ……」 二人の婦人は口を押さえ互いの顔を見る。首を切られ、内臓を引きずり出された町田夫人の姿を想像してしまったのである。恨めしげな目でにらむ生首、腸を長く引きずり出された胴体……。
 「危険だから、あまり外には出ないようにって、テレビで言ってたわ。特に、子供は危険だから、決して外に出さないようにって。もしかしたら、何か、獣の仕業かも知れないって。だから、気をつけるようにって……」
 「獣? 子供が危険? ああっ、子供たち!」

 不意に子供たちが庭で遊んでいたのを思い出す。いけない! 子供たちが危ない! 紀美子は慌てて庭へ飛び出す。しかし、姿が見えない。サッと顔が青ざめる。子供たちは何処だ? 
 「亜美ーっ! 翔ーっ?! 何処にいるのーっ!」
 不吉な予感に子供たちの名を絶叫した。頭の中には、無惨に切り取られた子供たちの生首が彼女に向かって救いを求めて泣き叫んでいた。

 「きゃあーっ!」
 「うわーっ!」
 子供たちの悲鳴。紀美子は弾かれたように駆け出した。一体何が起こったのか? 不吉な映像が脳裏に浮かび、心臓の鼓動が早鐘のように高まる。子供たちは何処? 素早く庭を見回す。と、片隅の木の影に亜美の赤いワンピースが見えた。あそこだ。まだ、娘は生きている。だが、安心するのはまだ早い。紀美子は花壇の鼻が潰れるのも無視して、突っ走った。

 「亜美ーっ! どうしたのーっ?!」
 「あっ、ママーッ!」
 母親の姿を目にした亜美がしがみつく。娘の身体をしっかりと抱きしめ、視線を木の向こうへ固定する。そこには、怯えて佇む翔の姿があるだけであった。一体、子供たちを怯えさせている敵は何処にいるのだ? 
 「亜美、どうしたの? 何がいたの?」 震えてしがみついている娘に問う。

 「蛇、蛇がいたのよーっ!」
 「へっ、蛇……」
 身体から思わず力が抜けてしまった。凶悪な殺人犯ではなかったのだ。よかった。安堵のため息がもれる。
 「あっ、そっちに行った」
 「えっ?」
 翔の叫び声に視線を落とす。途端、細長いひも状の生き物が鎌首を擡げて近づいてくるのが見えた。
 「きゃあああああーっ!」
 紀美子の絶叫が周囲の空気を震撼させる。太陽は傾き、夕空を真っ赤に染めていた。

 
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◆マーシャン・レッド3 ◆

 正体の判らない殺人鬼がこの町にいる。そう思うと、紀美子は恐ろしくて、子供たちを外で遊ばせることができなかった。二人に絶対に子供たちだけで外に出てはいけないと厳命すると、亜美は唇を尖らせて抗議した。しかし、今度ばかりは娘の我が儘を聞く訳には行かない。厳しく言い渡すと、家中の鍵を内側からしっかりとかけた。亜美はすっかりふてくされて、口をヘの字に曲げて翔と共に部屋に閉じこもってしまった。

 「ふーっ、いつまでこんなことが続くのかしら……」
 子供たちが部屋に入ったのを見送って、紀美子は深いため息をついた。静かで安全な町だと安心し切って住んでいたのに……。突然の殺人鬼の登場で、それは幻想と化してしまった。これからは、安心して眠ることもできない。鍵も厳重な物に変えなくてはならないだろう。明日の日曜は、夫、達也に頼んで鍵を換えてもらわなくてはならない。全く、恐ろしいことになったものだ。

 「そう言えば、テレビのニュース……」 ふと気づいて、テレビのスイッチを入れた。途端、ワイドショーのニュースが始まる。いきなり、画面に現れたのは、町田夫人のアップ写真だ。続いて、近所の公園の風景が映し出される。女性のリポーターが早口で殺人事件のあらましをまくし立てている。そして、地面にチョークで描かれた人影を示す。胴体と離れた処にある楕円……。気分が悪くなって消そうとした手がとまった。画面に見知った顔が現れたからである。

 「武田少佐……?」 それは先日、翔を火星から連れてきてくれた火星軍の武田であった。あのまま火星へ戻ったのだと思っていたのに……。なのに何故、テレビに? それも、地球で起こった殺人事件のニュースに出ているとは……? 紀美子の視線はテレビの画面に釘付けされた。
 「今日は、火星軍の武田少佐をゲストとしてお呼びしております」
 ワイドショーの司会者が武田を紹介した。武田は軽く頭を下げて会釈する。
 「実は、武田少佐は本日の殺人事件に興味深い資料を提供してくださったのです。それは、なんと、先日起こった火星の大虐殺の犯人と、今回の殺人と共通点があると言うことなのです」

 「えっ?」 思わず紀美子は小さく悲鳴を上げた。火星の事件と同じ犯人かも知れない。それは、翔の両親を殺した犯人かも知れないと言うことだ。まさか……。犯人が火星から追いかけてきたのだろうか? 唯一の生き残りである少年。それを抹殺しようと火星から執拗に狙ってきたのか……? 
 「翔君!」 突如、不安にかられて、紀美子は立ち上がる。

 ピンポーン! 
 「はっ」 玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に一体誰? ギクリとして紀美子は凍りつく。もしや、犯人ガ翔の居場所を嗅ぎつけてきたのでは? 恐ろしい不安に全身から冷や汗が吹き出してきた。
 「どっ、どなた?」 恐る恐る声をかける。だが、答えはない。
 「だっ、誰なの?」 うわずった声で再び問う。心臓の鼓動はドキドキと早鐘のように高まる。

 「内山です。お隣の内山律子です」
 「内山さん……。ああ、お隣の……」
 紀美子はホッと胸を撫で下ろす。犯人ではない。今朝、飼い犬を殺されたお隣の奥さんだったのだ。
 「どうかなされたのです? こんな時間に?」
 ドアを開けると、青い顔をした婦人が立っていた。どうも雰囲気がただごとではない。また何かあったのだろうか? 嫌な予感がする。

 「あの子は何処?」
 「はあ……?」 ギラつく瞳で、紀美子をにらむ婦人に思わずたじろぐ。
 「テレビで見たわ。あの子でしょう? 火星でも同じことがあったって言ってたわ。ベスちゃんを殺したのは、あの赤毛の子なんでしょう。出しなさい! ベスちゃんの仇! 昨日、ベスちゃんが吠えたから、殺したのよ。何て酷い子。この人殺し! 町田さんも、あの子の悪口を言ったから殺したのね。あの悪魔小僧をだしなさい! ベスちゃんの仇を取ってやる!」

 内山夫人は逆上し、紀美子に掴みかかった。一体何を言っているのか理解できない。翔がベスを殺したって? 町田夫人も殺したって? 何故、そんな馬鹿な考えが浮かぶのだろう? だが、婦人は錯乱し、強い力で紀美子を押し退け、家の中へ押し込もうとする。
 「ママ、どうしたの?」 玄関の騒ぎを聞きつけたのか、亜美が子供部屋から出てきた。背後には怯えた表情の翔がいる。
 「出たわね、この悪魔! ベスちゃんを返せーっ!」

 「奥さん!」 怒りの形相も恐ろしい内山夫人が紀美子の制止を振り切り、少年に躍りかかった。
 「止めてーっ! 翔君だって被害者なのよ。同じ犯人に翔君の両親も殺されているのよ。そんな子に何をしようと言うんですかーっ?!」
 必死で婦人の腕から少年の身体をもぎ取ると、大声で怒鳴る。だが、相手は猛り狂った猛獣のようだ。掴み、引っ掻き、噛みついてくる。それを懸命に避けながらドアの外に押し戻す。

 「悪魔め、死ね! ベスちゃんを返せ! ベスちゃんを返せーっ!」
 「ベスを殺したのは翔君じゃありません! 夕べ、翔君は、亜美と一緒だったんです。それに、こんな小さな子がどうやって犬や人間の首を一撃で切り落とせると言うんですかーっ?! 言いがかりもいい加減にしてください!」
 「うるさいーっ! 私は見たのよ。黒い影が、この家に入るところを! ベスちゃんが悲鳴を上げた時、窓からみると、確かに黒い影が入って行ったのよ!」
 「えっ? そんな、何かの間違いです。私がベスが殺された後、直ぐに子供部屋に行ったけど、亜美も翔君も眠っていました。そんなはずはありません」

 「うそ! この嘘つき! 庇う気? この悪魔を?!」
 「もう、出て行ってください! 翔君をこれ以上侮辱しないで!」
 紀美子は怒り狂っている婦人を全身で押し出すと、玄関のドアを閉じた。そして、素早く鍵をかける。ドアの外では、婦人が大声で叫き散らし、激しくドアを叩いている。子供たちはすっかり怯えて佇んでいた。 

 「だっ……大丈夫よ、亜美、翔くん。あの人は、可愛がっていたベスが殺されて少しおかしくなっているだけよ。だから、心配しないで」
 震えている子供たちを力一杯抱きしめる。何としても、可愛い子供たちは守らなくてはならない。殺人犯からモ、内山夫人からも……。早く夫に帰ってきて欲しい。こんな時に、達也は何をしているのだろう。理不尽だとは思うが、現在ここにいてくれない夫を恨めしく感じた。

 玄関から無理矢理押し出された内山夫人は、いまだ憤然とドアをにらみつけていた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。やがて、唇をギュット噛みしめると、玄関から離れて行く。
 「覚えてらっしゃい、悪魔小僧。必ず正体を暴いてやるからね。必ず、ベスちゃんの仇はとってあげるから、覚悟しておきなさい」
 憎しみに燃える瞳を星山家の子供部屋に向けると、自分の家へと歩み始めた。

 「ベスちゃん……」
 門を抜けると、玄関脇にポツンと置いてある小屋が目に入った。長く延びた鎖の先には、持ち主のいなくなった首輪が虚しく繋がれている。こびりついた血は既に乾き、赤茶色に変色していた。昨日までは、彼女が近づくと、クンクンと鼻を鳴らして甘えてきた愛犬がいた。だが、今は、空になった小屋が空虚に佇んでいるだけである。子供同様に可愛がっていたベスちゃん。それが突然いなくなってしまって、婦人の心はまるで大きな穴が開いてしまったように冷たい風が吹き込んでいた。

 「ベスちゃん……。どうして、いなくなってしまったの? ママがこんなに愛しているのに……」
 しゃがみ込んで首輪を取り上げ、胸に抱きしめる。本当に可愛かったベスちゃん。いつでも、尻尾を振って、嬉しそうに迎えてくれた我が子。
 「悪魔め、絶対に許さないわよ! ベスちゃんの仇は必ず取ってやる」
 両手で首輪を握りしめると、近いの言葉を吐く。瞳からは赤々と滾る憎しみの炎が燃えていた。

 「ハアハアハアハア……」
 「はっ?」 何か、動物の喘ぎが聞こえたような気がして、顔を上げた。
 「誰? ベスちゃん? 」
 無意識のうちに愛犬の名を呼んでいた。死んだのは、もしかしたらベスによく似た犬だったのかも知れない。あんな可愛いベスちゃんが殺されるなんて信じたくない。きっと、あの子は無事逃げていて、今返ってきたのだ。
 「ベスちゃん……」 立ち上がりざま振り返る。しかし、ベスどころか猫の子一匹見あたらない。気のせいだったのだろうか? しかし、何物かの気配を感じる。婦人は目を凝らし、庭の木立を注意深く観察した。と、四つ足の獣が木の陰から現れる。

 「ベスちゃん、やっぱり生きていたのね……」
 思わず笑みがこぼれる。そして、大きく手を広げ抱きしめようとした。が、不意に動きが止まる。大きく見開かれた目は何を見たのか? 

 「お前は……」
 悲鳴を上げようと大きく開いた口から声が漏れることはなかった。次の瞬間、婦人の首は胴体から切り離され、宙を飛んでいたからである。血しぶきをまるでロケット噴射のように飛ばし、犬小屋の前へと転がる。悪魔の偶然か、生首は彼女がこよなく愛した犬の首輪の上で止まった。その姿は滑稽でもあり、哀れでもあった。首を失った胴は、切り裂かれた腹から腸をはみ出させ引きずっている。何を求めるのか、一歩、二歩と歩みを進め、崩れるように花壇の中へと倒れた。獣はジッと生け贄を見下ろしていたが、やがて、かき消えるように姿を消した。

 子供たちは、しっかりと手を握り会ったまま 子供部屋で座り込んでいた。あの恐ろしい内山夫人の顔。憎しみに満ちた瞳を思い出すと、震えが止まらなくなっていた。
 「翔君、大丈夫よ。亜美が絶対に守って上げるからね。怖がらなくてもいいのよ」
 「……ありがとう……でも……」
 「遠慮はしないで。だって、弟を守るのはお姉さんとしては当然のことですもの」
 「亜美ちゃん……」
 亜美は自分も青い顔をしているくせに、懸命に翔を慰めている。一人っ子だった彼女は、本当の姉に成りきろうと努力していた。翔は少し寂しげな笑みを浮かべる。

 「あっ、そうだ! キューイ!」
 「本当だ、餌を上げるのをすっかり忘れてた」
 二人は顔を見合わせ、バッグへと駆け寄る。
 「キューイ! キューイ! キューイ!」
 小声で角ネズミの名を呼ぶ。蓋を開いて顔を突っ込むようにして呼ぶが、返事がない。二人は顔を見合わせ、バッグの中身を逆さに振って床にぶちまけた。しかし、角ネズミの姿は見えない。一体何処へ? 二人はキョロキョロと部屋の中を見回すが、やはりいない。ベッドの下、机の中、箪笥の裏まで探した。しかし、火星のネズミは見つからなかった。

 「キューイ! キューイ! キューイ!」
 「キューイ! キューイ! キューイ!」
 子供たちは半べそでネズミの名前を呼ぶ。もしかして、逃げてしまったのではないかと不安になってしまったのだ。あんなに可愛がっていたのに……。
 「キュー!」
 不意に角ネズミの声。

 「キューイ?!」
 二人は顔を上げる。何処から聞こえたのだ? キョロキョロと視線をせわしなく動かす。と、ふわりとカーテンが揺れて、窓が現れた。僅かに開いている窓の枠にちょこんと小さな生き物がいた。
 「キューイ! そんなところにいたのか! だめじゃないか。ぼくたち、とっても心配したんだぞ」
 翔が、手を差し出すと、チョロリと掌に飛び乗り、肩まで駆け上ってきた。

 「キュー!」 キューイは小さな舌で翔の頬を嘗めて、甘える仕草をする。
 「こいつ、甘えて誤魔化そうとしてる」
 少年が苦笑いを浮かべる。
 「本当に悪い子なんだから」
 亜美が指先でチョンとネズミの頭を突っつく。キューイはその指を小さな手で抱え込むように抱いて、見上げる。それは、まるで悪戯した子供が媚びているように可愛らしい姿であった。

 「もう、そんな顔をしたってだめなんだから。今晩はご飯を上げないわよ」
 亜美はそう言いながら、キューイの頭を撫でる。
 「窓を閉めなくちゃ。また、キューイが外に出たら大変だもの」
 翔がピッタリと窓を閉じると、鍵をかけた。
 「でも変ね、窓はさっき、ママが締めたはずなのに……? どうして、開いていたのかしら?」
 亜美が不思議そうにつぶやく。が、視線をキューイに戻した。途端、目が大きく見開かれた。

 「キューイ! 半ズボンはどうしたの? あの赤い可愛い半ズボンは?」
 大声で叫ぶ亜美をキョトンとした目で見上げる角ネズミ。翔も気づいて見つめた。
 「もう、仕方のないやつだな。せっかく亜美ちゃんが着せてくれたのに、なくしちゃって、だめじゃないか」
 翔が軽く頭を叩く。

 「キュー!」 ネズミはしょぼんと丸まってしまう。
 「うふふ、もういいわよ。やっぱり、動物に服なんか着せた私が悪いのよ。気にしないでいいわよ、キューイ」
 「キュー!」 途端、嬉しそうに編みの肩に飛び移り、ペロペロと顔を嘗め始める。二人の子供たちは目を細め、楽しそうに笑う。本当に可愛い。二人には絶対に失いたくない友達だった。

 仕事ですっかり遅くなってしまった達也は自宅の近くまできた時、足を止めた。何やら近所の様子が妙なのだ。赤い回転ランプを点灯させたパトカーが数台停まり、何人もの警官が慌ただしく動き回っているのだ。これは一体……? ロープが張られた道路で彼は立ちすくんでしまった。まさか、家族に何かあったのだろうか? 不吉な予感に身体が震えてきた。

 「あのー、何かあったのでしょうか?」
 偶然近づいてきた私服の刑事らしい二人に恐る恐る尋ねる。
 「おや、星山さんではありませんか」
 顔をこちらに向けた刑事の一人が彼の名前を呼んだ。驚いて相手の顔を見ると、何処かで会ったような顔だ。一体誰だったのか、戸惑いの表情になる。

 「武田ですよ。火星軍の武田です。先日、翔君を火星から連れてきた。お忘れですか?」
 「ああっ、武田少佐。でも、どうして? 火星に戻られたのではなかったのですか?」
 「実は事件が起きまして、火星に戻り損ねたんですよ」
 「事件?」
 「ええ、星山さんのお隣の内山夫人が何物かに殺されたのですよ」
 「ええーっ?! 内山さんが?! 何故? まさか、私の妻子にも何か危害が?」
 「いえ……。お宅のご家族はご無事です。でも……」

 「はあ?」 口を濁す武田を訝り、達也は顔を強ばらせる。何だろう、彼の逡巡は? 
 「実は、この犯人……いや、人ではないかも知れませんが……。翔君の両親を殺した奴かも知れないんです」
 「えっ? まさか……あの火星の大虐殺の犯人ですか? でも、どうして? ここは地球ですよ。火星で大虐殺をした犯人がどうして地球で……。まさか、翔を狙って、追いかけてきたと言うのですか?」
 「いや、それは……、まだ何とも言えませんが……。殺し方といい、証拠が全く残されていないことといい、全く火星と同じなんですよ。それに……」

 「それに?」
 「いや、何でもありません。とにかく、ご家族が心配でしょう。どうか、家に戻って上げてください。あっ、ロープはそのままくぐって構いません」
 少佐に促され、達也はロープをくぐった。チラリと隣家の玄関を見ると、白布を被された内山夫人の姿が見える。夥しい血が周囲に生々しく飛び散っていた。  「うっ……」 死骸の側にある長いひも状の物が腸だと判り、達也は思わず口を押さえる。そして、武田に会釈すると、早々に自宅へと帰って行った。あれを見たからには、今夜は眠れそうにはない。静かで平和な町だったのに何て事件が起きたのだろう。達也は堪らない思いだった。

 「ふーっ」 達也が家の中に入ったのを確認すると、武田は現場へと帰っていった。隣にいた若い刑事は深いため息をついた。全く手がかりを残さない犯人。一体どんな奴なのだろう? 早く見つけださないと、火星のように次々と犠牲者が出てしまう。そんなことをさせる訳には行かない。キッと眉を引き上げると、門の中へ入って行った。

 「うん?」 靴が何かを踏んだ。怪訝に思い、どけて見る。何やら赤い物だ。犯人の残して行った物だろうか? 手袋をはめた手で摘み上げ、ジッと観察する。  「なんだ、着せ替え人形の半ズボンか……」
 どうせ、何処かの子供が忘れて行った物であろう。彼は舌打ちをすると、半ズボンを放り投げてしまった。そして、再び視線を地面に投げる。足跡も、何も見あたらない。やはり、何もかも火星の事件と同じだ。犯人は一体どんな奴なのか……。謎はさっぱり解けなかった。

 

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